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インターナショナル ブレーキマスターシリンダー交換後のトラブル

修理
03 /26 2023
久々にインターナショナルネタですけど、先日、ブレーキフルード漏れを起こしたインターナショナルのマスターシリンダーを交換しました。

このブレーキ関係というのは、こちらでは随分前からオーバーホールキットというものは設定されておらず、丸ごと交換が一般的で、古いものを返却すると、デポジットが戻ってくるシステムになっています。

そして、回収されてオーバーホールされたものが他者に渡る訳ですが・・・そのオーバーホールに問題があることが時々あるのです。

今回は普通に交換して、エア抜きを行ったんですが、いざエンジンを指導すると、Brake Pressureとい警告ランプが点灯したままで、けたたましい警告音が鳴り響きます。

この場合考えられるのは、

1.油圧が足りていない=エア抜き不良、倍力装置の不良
2.電気系の不良=センサー系の不良

以上が考えられます。
そこで先ずは再びエア抜きをやってみましたが改善しませんでした。

そして電気系の不良を疑い、先ずはセンサーの点検です。着脱時に破損した可能性も否定できないので、取り敢えず新品に交換してみましたが、改善しません。テストライトて点検した所、配線に問題がある様にも見えません。

そこで気づいたのが、妙にリザーバータンク周辺が濡れていることです。バスやトラックの場合、ブレーキのペダルを踏みながらマスターシリンダーを確認するのは極めて困難ですが、ペダルを踏み込むと、リザーバータンクからブレーキフルードが吹き出している様なのです。

これは間違いなくマスターシリンダーの不良だと確信して、新たなものを取り寄せて交換しました。そしてエア抜きを行うと、今度は問題を解決することが出来ました。

こういう警告灯の問題となると、やたら電気系を疑ってダイアグだよりでドツボにはまりがちですが、元の部品が正常に作動していなければ、油圧も正常にならないので警告を発するのです。

しかし、新品部品の不良によってブレーキフルードを扱う様な作業を2度手間、3度手間というのは、非常に腹立たしいものですね・・・。部品は保証されても、浪費した時間は保証されないので尚更です。

この手の再生部品というと、以前、ボルボのスターターを交換した時、ずっとスターターが回りっぱなしになったことがあり、その時は即座にバッテリーターミナルを外して、焼損を防ぎました。
この時も周りの人間は、「部品は新品なんだから、コンピューター制御の問題だ」なんて事を言いましたが、先ずは新品だろうと「交換した部品を疑う」…コレが鉄則だと思いますし、実際新たなスターターでは問題有りませんでした。
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C-C-Bについて語る。

映画・音楽
03 /19 2023

 - 瞳少女…80年代のハワイか西海岸の情景が脳裏に浮かびます。

少し前に元C-C-B笠浩二さんが若くして亡くなりましたが、私にとってC-C-Bというと80年代半ば頃に売れたアイドル系バンドという程度の認識しか無く、87年に関口誠人が脱退した辺りから急速に存在感を失い、正直解散についても当時知らなかった位だったのですが、89年の正にバブルの真っ只中での解散であった様です。

元々は「ココナッツボーイズ」というのが正式な名称で、「Romanticが止まらない」のヒット当時は、C-C-Bという表記と両方が見て取れましたが、その後C-C-Bに統一しています。

先日、何となくココナッツボーイズ時代の曲をYouTubeで検索してみたんですが、驚きました!
正にココナッツボーイズという名前の通り、夏を感じさせるバンドそのものだったからです。

元々は和製ビーチボーイズというイメージを狙っていたそうですが、事実この辺りの曲からは、正に80年代のハワイかアメリカ西海岸の様な空気が流れている様に思えて仕方有りません。

しかし、この路線は商業的に成功したとは言えず、デビュー曲の「Candy」はヨープレイトのCM,
この「瞳少女」もロート製薬のCMに使われたりはしたものの、ソレ以上ヒットすることもなく、筒美京平、松本隆のコンビによるサードシングル「Romanticが止まらない」で大ヒットを飛ばしたものの、ソレ以降、和製ビーチボーイズは影を潜め、アイドル的な人気を得るに至りました。

日本の音楽シーンというのは本当に変なもので、多くのバンドが本来の魅力で売れるのではなく、事務所による作られたアイドル的な姿で売れてしまい、当人たちはその人気とのギャップに悩み、やがて音楽活動に熱意が入らなくなり、メンバー間の方向性に違いが生じ、そして解散に至ります。



この初期のアメリカ西海岸を感じさせる本来の姿では売れなかった…そしてヒット後は初期の音楽も見直される… なんとも皮肉な話しです。

本来の「和製ビーチボーイズ」のままの姿を売り出す力が無かったレコード会社も力不足であったのかも知れませんし、当時の日本人には理解できなかったのかも知れませんが、この路線のままで行ったら一体どうなっていたのか、俄然興味が湧いてきました。

今まで、数あるアイドルバンドの一つで、ヒット曲数曲しか知らなかっただけに、余計にその当初の姿は新鮮な驚きでした。

既にリーダーの渡辺英樹さんも鬼籍にはいっています。もう復活も期待出来ないのが残念です。

ヒュンダイのデザイン

カーデザイン スタジオ
03 /18 2023
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最近街で見かける車で、チョット印象に残るデザインというと、ほぼ毎回ヒュンダイだったりします。
この10年、特に中国をメインマーケットに据えたヨーロッパ車のデザインの肥大化と劣化も激しいところがありますし、事実ヨーロッパに行った時、全く景観に合わない醜い車ばかりだと思ったものでした。
日本車は当然、評価にすら値しない最悪レベルです。

そんな中で最も目を引くのが、ヨーロッパから人材を入れて、デザインの革新を行ったヒュンダイ、そしてキアだったりするのが実に皮肉なことです。

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写真はEVのIONIQ5ですが、一見先進的なデザインに見えながら、無駄なラインが無く、シンプルかつ洗練されたライン使いで、全てのラインに一貫性があります。
そして各部が昔ながらのデザインの基本に対して忠実なのも見逃せません。私は以前から、デザインの要はCMピラーであること、その形状次第でデザインは死ぬということを行っていますが、その辺りも見事なまでに完璧なバランスを見せています。

フロントマスクも、90年代初頭のデザインをより進化させた様な感じで、下品なツリ目とは無縁で、非常にバランスの良いものです。

この車に関しては、非常に未来志向の雰囲気に仕上がっていますが、逆にクロームを多用して、レトロな雰囲気に仕上げることも可能かと思います。それだけバランスの良い、普遍的なデザインなのです。

コレに対して日本のデザインといえば、多くの無意味なラインがうねり回って、お互いに喧嘩して、全く一貫性のない不気味かつ無意味なデザインばかりです。かつては日本車を下敷きにしていたヒュンダイのデザインですが、その日本車から離れることで、驚異的なまでに進化しているのです。

現在ヒュンダイは世界第三位となっています。トヨタvs VWの次につけている訳ですが、要するにニッサンもホンダも完全に後塵を拝している訳です。確かに品質では一歩譲ったとしても、此方で新車を買う人は、一人で10年乗るというケースは比較的少数派で、大体5年位で乗り捨てるのが一般的で、そうなると、安価でカッコいいヒュンダイの方がうれてしまう訳です。

私は個人的に世の中全てEVになるとは思っていないので、日本車が駄目になった、トヨタは終わった・・・なんていうネット記事は信用していませんが、しかしデザインに関しては、もう少し何とかしないとヤバいでしょう。
やはり日本人だけでやっているのは限界なのではないでしょうか?日本の一流大学でデザインを勉強したところで、そんなのはタカが知れています。要するに一流大学に入るためだけに受験戦争で消耗してエネルギーのない社員ばかりの日本・・・コレも衰退の原因なのは間違い有りません。
本当に欲しいと思える車が無いですしね・・・。

ニッサンNV200タクシーのその後

タクシー
03 /07 2023
 日本自動車博物館(小松市)の正面玄関前に6日までに、米ニューヨークで「イエローキャブ」の愛称で知られるミニバンタイプのタクシーがお目見えした。日産自動車がメキシコの工場で専用設計し、2013年に発売した「NV200」で、日産車体(神奈川県平塚市)が寄贈した。

 天窓を設けて見晴らしを良くするなど日本で流通する車体とは異なる仕様となっている。運転手の安全確保のため運転席と後部座席の間を頑丈なポリカーボネート板で隔てるなど米国特有の装備も施されている。

 寄贈式では、日産車体の鈴木拓也理事ら3人が同博物館の高川秀昭顧問にレプリカキーを手渡した。鈴木理事は「日本と米国の文化の違いも感じ取ってほしい」と話した。




2013年、ニューヨーク市は、あのNYCタクシーをニッサンNV200に総入れ替えするという計画を発表し、当ブログでもそれを大いに批判したものでした。

あれから10年・・・Yahooニュースでこんなニュースを見かけたので、その後どうなったのかを調べてみました。

その計画は、比較的早い段階で棚上げされ、より幅広い選択を可能にするということになり、NV200が普及する前に、トヨタ車が多数を占める様になっていきました。

メキシコ製の低品質のバンに比べてトヨタ車なんですから、そりゃ競争になる訳がありません。
メキシコ製のNV200は、品質面でも芳しいものでは無かった様で、様々なトラブルを発生していた様です。

一頃バンクーバーでもタクシーではなくても、一般仕様のNV200は結構見かけたものでしたが、今や完全に絶滅しています。GMにOEM供給したシボレー・シティーエクスプレスも短命に終わっています。

タクシーに使うには、居住性も乗り心地も良くなかった上に、一般人でこの手を使うというと、主に建築関係や運送関係となりますが、特に建築関係だと、規格化された建材の輸送に合わないこと、そしてパワーが無いことが問題となっていたのです。この辺りは、同じく一頃結構人気を得たフォード・トランジット・コネクトにも言えることでした。

逆にアメリカメーカーのピックアップやフルサイズバンがいまだに支持される理由として、その規格化された建材の輸送に合っているというのが大きいのです。

話しをNV200に戻しますが、アメリカのタクシー仕様の生産は2019年に終了していて、2021年にはNV200自体の北米向け販売が終了しています。

やはり、この辺りがニッサンの実力なんだな・・・というのが正直な所です。正にカルロス・ゴーンがロクに車も開発せずにやりたい放題、浪費しまくっていた時代なので。

まあ、あんな醜い物がニューヨークの景観を汚さなかっただけマシでしたが、だからと言ってトヨタだってニューヨークの景色に馴染んでいるとは言えませんが・・・。

>>鈴木理事は「日本と米国の文化の違いも感じ取ってほしい」と話した

文化の違いも何も、そんなに言える程普及しませんでしたがね・・・。

「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」松本零士さん死去、85歳 急性心不全

ニュース
02 /20 2023

- こんなマイナーな作品もありました。主題歌だけ無駄に格好良かった様な…。

 「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」などの作品で知られる漫画家の松本零士(まつもと・れいじ)さん(本名・晟=あきら)が2月13日午前11時0分、急性心不全のため、都内の病院で亡くなった。85歳だった。20日、東映が発表した。告別式は近親者のみですでに執り行っており、喪主は妻で漫画家の牧美也子さんが務めた。

【写真】2009年12月、自身がデザインした「忍者列車」にサインをする松本零士さん

 所属する零時社の代表取締役で、長女の松本摩紀子氏もコメントを発表。「漫画家松本零士が、星の海に旅立ちました。漫画家として物語を描き続けることに思いを馳(は)せ駆け抜けた、幸せな人生だったと思います。『遠く時の輪の接する処で、また巡り会える』と松本は常々申しておりました。私たちもその言葉を信じ、その日を楽しみにしています。これまで応援くださいましたファンの皆さま、作品を世に送り出してくださいました関係各社の皆さま、お世話になりました各自治体ならびに各団体の皆さま、若かりし頃から共に切磋琢磨(せっさたくま)してくださった漫画家の先生方、そして旅立ちにあたりサポートしてくださいました病院の皆さま、心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました」とつづった。

 松本さんは、1938年(昭13)1月25日生まれで、福岡県久留米市出身。6歳の頃から絵を描き始め、9歳で運命的な本(「新寶島」「月世界紳士」いずれも著者は手塚治虫氏)との出会いをきっかけに漫画を描き始め、15歳の時に投稿作「蜜蜂の冒険」が「漫画少年」で受賞掲載され、商業誌デビュー。実質的な漫画家デビューは1957年「少女」掲載の「黒い花びら」で、しばらくは少女漫画誌での執筆が続いた。

 1968年に青年漫画誌が誕生し始めたころ、「漫画ゴラク」に「セクサロイド」を発表。以降、青年漫画誌での執筆が増え、少年・青年漫画のジャンルで活躍し、「男おいどん」「ガンフロンティア」「宇宙戦艦ヤマト」「クイーンエメラルダス」「ザ・コックピットシリーズ」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「銀河鉄道999」「新竹取物語1000年女王」など数々のヒット作を生み出した。

 19年11月、「宇宙海賊キャプテンハーロック」が、イタリアでのテレビ放送40周年を迎えて訪れたイタリア・トリノで倒れたこともあったが、帰国後は回復。東映によると、最近体調を崩し、年齢を考慮して入院していたという。




本当に著名人の訃報が多いですが、松本零士さんまで・・・驚きました。

70年代に子供時代を送った人であれば、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999は避けて通る訳には行きません。
時代背景として、アポロ計画、パイオニア計画、ボイジャー計画、そして来るスペースシャトル計画とリアルタイムで続く人類の宇宙開発の歴史とシンクロしていたこともあり、全人類が宇宙に果てしない夢を持っていた時代だっただけにあ、松本作品の宇宙を背景とした壮大なドラマがより一層輝いて見えたという一面もありました。

そして、そういった大宇宙を背景とした壮大なドラマと同時に、大四畳半物語、男おいどん…といった「大四畳半系」といわれる下町の下宿住まいのブ男を主人公とした物語も、また松本零士作品の醍醐味であり、壮大な宇宙ドラマとも不思議なリンクを見せているのです。

宇宙旅行も間近か?と思われたスペースシャトル計画ですら、民間人には全く縁のないウチに終了してしまった今日、70年代と比べて、人々の宇宙に対する好奇心は遥かに低いと言えるかも知れません。そんな中で、松本作品もあの頃程輝けなかったのも、また事実なのかも知れません。

しかし、あの時代にリアルタイムで松本作品に接することが出来たのは、人生に置いての大きな宝物だったと思います。
私が子供の頃に活躍していた方々が既に80代、90代という今日、本当に訃報が多くなったと実感します。

しかし、松本零士さんが亡くなったとしても、松本零士作品は不滅です。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。