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リンカーン・マークⅧ 

リンカーン
08 /24 2021
リンカーン・マークⅧ フロント

こんなのを見掛けました。
リンカーン・マークⅧ…本当に久しぶりです。しかもこの個体は廃車の様です。
リアが下がっているのは、エアサスがトラブルを起こしているのでしょう。

リンカーン・マークⅧ サイド

この車が発売されたのは92年、最初にこの車の画像を見たのは、モータードレンドか何かのアメリカの雑誌のスクープ記事だったと記憶しています。市販前の偽装の施された画像でしたが、Cピラーの形状が明確に分からなかったせいか、そんなに悪くない印象を持っていました。

ところが、完成車の画像を見た印象は、イマイチ締まりの無い印象で、余り良く思いませんでしたが、当時の車で有り勝ちな、画像よりも実物の方が良く見える…というのを期待していました。

リンカーン・マークⅧ リア

ところが当時、発売直後のアメリカで見掛けて実車の印象は、画像の印象と全く変わらないのに逆に驚いたものでした。
これは同時期に発売されたクライスラーLHカーでも感じだことでした。

何となく全体的に丸っこくて、黒っぽい色も合わさって、ゴキブリを連想させる様なプロポーションだと思いました。
今から考えれば、コレが後の楕円のトーラスのプロトタイプの様なデザインだったと言えなくもありません。

トランクには、マークシリーズ伝統のスペアタイヤ風の出っ張りが有りますが、何故ココにContinentalというロゴを入れないのでしょうか?コレではデザインとして余り生きているとは言えず、何とも勿体ないと思います。

メカ的には、オールアルミの4.6リッターDOHCV8を搭載しており、足回りもコンピューター制御式4輪独立エアサスペンションと大変に凝ったものでした。

この車に関しては、正直一度も弄ったことありませんし、運転したこともありません。それだけ台数が少なかった訳ですが、現在実際に走っているのを見かけるのはほぼ皆無と言える状態です。

先代のマークⅦの方が遥かによく見掛けましたが、これは同時代のキャデラック・エルドラードも同じことでした。
90年代に入ると、一般人がSUVを購入するようになり、同時に最も縮小したのがクーペの市場だったと言えるでしょう。

しかも非常に高価な四輪エアサスを装備していたことも、生存率の低さに拍車を掛けていることでしょう。

97年モデルにてフェイスリフトが行われたものの、コレも当時のフォード特有の改悪でしか無く、98年モデルを最後に生産中止となっています。兄弟車のサンダーバードとマーキュリー・クーガーが97年に一足先に生産を終えており、マークⅧの生産中止を以て、かつての人気3兄弟が全て姿を消すことになりました。

トータルの販売台数は12.6万台程度であったということで、後のキャデラックXTSよりも少ない販売台数で、まあそう考えれば、生産中止から20年以上経っていることも考えて、見掛けないのは当然と言えるのでしょう。
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リンカーン・コンチネンタル

リンカーン
03 /18 2020
73年リンカーン・コンチネンタル フロントビュー


写真は1970年に発売されたリンカーン・コンチネンタルです。
グリルの形状からして、73年モデルでしょうか? 開閉式のヘッドライトは当時のフォードのアイデンティティーですけど、コレもその例外でなく、良い雰囲気を醸し出しています。

元々手作りの少量生産車だったリンカーン・コンチネンタルは、56〜57年のマーク2までが2ドアのみだったのに対して、58年モデル以降、大量生産モデルとなり、4ドアセダンも用意される様になりました。

しかし、その売上は芳しいものではなく、ライバルのキャデラックが毎年の様にデザインに変化を与えていたのに対して、リンカーンのソレは、正に十年一日といった代わり映えのしない地味な車で、実際に売上も、キャデラックの足元にも及ばない存在でした。

73年リンカーン・コンチネンタル サイドビュー

それがこの世代になると、一気にスタイリッシュなデザインを身に纏う様になったのです。
68年にリー・アイアコッカ氏がリンカーン・マーキュリー部門のトップに就任すると、従来の地味なデザインを洗い直し、ソレがマーク3となって結実しました。

その他にもマーキュリー・グランドマーキスもヒットさせており、このリンカーン・コンチネンタルも例外ではありませんでした。
高級バージョンとして「タウンカー」が登場したのも、このモデルからでした。

同時に、従来の専用シャシーを捨て、グランドマーキスのシャシーの延長版を使用したのも、やはりアイアコッカ流と言えるでしょう。お陰で従来のコンチネンタルのアイデンティティーであった後ろヒンジのリアドアが、通常の物に改められました。

同時に、モノコックからフレームへと時代を逆行したのですが…。

同じリンカーン・コンチネンタルでも、マークシリーズがサンダーバードとシャシーを共用しているのに対して、コチラはグランドマーキスの4ドアのシャシーを使用しています。

そして、コンチネンタルの2ドア、マークシリーズと2種類の2ドアクーペが有りながら、使用しているシャシーが違い、雰囲気も異なっています。

先代の地味なデザインが9年も続いたことから、非常に新鮮に見えたのですが、実はこのモデルも10シーズンの長きに渡って製造販売されたのです。

後にオイルショックの影響で、GMが77年モデルダウンサイズを行い、クライスラーはインペリアル部門を閉鎖したことから、77年以降は、最後の本当の意味でのフルサイズの高級車として君臨していました。

73年リンカーン・コンチネンタル リアビュー


80年モデルでは、それまでコンチネンタルの一グレードであったタウンカーがダウンサイズを受けながら独立してフルサイズとして残ったのに対して、コンチネンタルはインターミディエイトのフォックスフレームを使用し、それぞれ別のモデルとしての道を歩むことになりました。

そしてコンチネンタルには、何故か今まで無かったトランクのアーチが与えらてたのも不思議なものでした。

78年にアイアコッカ氏はフォードを追われることになりましたが、ソレ以降のリンカーンは何処か雰囲気が暗いのに対して、この頃は、高級車ながら、全身から明るい雰囲気を振りまいていた様な気がするのです。

今改めて写真を見て気付いたのですが、フロントフェンダーの角ばって、まるで塗り壁の様な様…ある意味先代の雰囲気を継承しているのかも知れません。

後に5マイルバンパーが装備され、更に巨大化すると同時に、Cピラーに楕円のオペラウィンドウが付いたり、グリルのデザインもマーク4に似てきたり、当初はどちらかというとマーキュリーに近かったデザインが、後半はマーク4に近くなっていきました。

考えてみると、リンカーン・コンチネンタルという車は、長い歴史を持ちながらも、脚光を浴びた期間は長いとは言えず、アイアコッカ氏の手腕によって一躍脚光を浴び、そして、アイアコッカ氏無き後のフォードでは再び低迷、打ち切り、復活、低迷…打ち切り予定…つくづくアイアコッカ氏あっての人気だったんだな…と思わずには居られません。

アイアコッカ氏があのままフォードに残っていたら、一体リンカーンはどうなっていたのか…少し興味ありますね!

フォード マスタング2

フォード
02 /06 2020
Ford Mustang2 front

74年に発売されたマスタング2は、あまりに大きく、高出力で高価格になると共に、販売面でもジリ貧となっていたマスタングを原点に戻す為に発売したモノでした。

やはり先代のイメージが余りに強烈であったため、V8エンジンすら設定されていないソレは、随分とショボく見えたものの、同時に手頃なサイズとリーズナブルな価格から、販売面では、当初の目標を十分に達成したと言えるでしょう。

しかし、V8が無い…というのは、やはり当時のアメリカでは行き過ぎと取られ、翌年V8仕様も追加されています。

Ford Mustang2 v8 side

こうやって改めてみると、初代に似せようとしたんだな…というのはよくわかるのですが、FFの様に見える長いフロントオーバーハングがホイールベースを短く見せています。

それに、初代のクリーンな雰囲気に比べると、やはり何処か脂ぎった、如何にも70年代…という雰囲気も見て取れます。
折角の4.9リッターV8エンジンも、僅か140馬力と悲しくなる程に低出力でした。

フォード マスタング2 v8 リア

正直ビニールトップは無くていいと思いますし、ダッシュボードの木目も70年代的とは言え、やはりマスタングという雰囲気ではありません。

一応販売面では当初の目標は果たしたものの、やはりオイルショックで…というイメージが如何ともしがたいクルマです。実際に開発されたのはオイルショック前にも関わらす…。

そんな事から、後世の評価は芳しくなく、長年見向きもされなかった車ですが、今日の辺りに喧嘩を売っている様な怒った顔ばかしの車の中では、寧ろ魅力的にも見えてしまいます。

バンクーバーでは、長年エアケアという排ガステストが行われていましたが、ソレも5年ほど前に廃止されました。その事からも、この車を「当時以上の本来のパワーで」走らせることが可能になりました…。

ある意味、40年経って、ようやく本来の姿に戻すことが出来た…のかも知れません。しかし、その頃にはほとんど残っていなかった…という意味でも、やはり悲運の車と言えるのかも知れません。

初代マスタングの車体番号1番!

フォード
09 /29 2019
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先日、通勤中のラジオのニュースでこんなのを耳に挟みました。

64年初代マスタングの車体番号1番…この車を販売したセールスマンが、55年ぶりに再会したというのです...。

現在この車は、ヘンリーフォードミュージアムに保管されているそうです。普通フォードは、全ての車の生産第1号は保管しているそうなのですが、初代マスタングの場合、何故かそうなっておらず、この個体も、本来は販売用ではなく、ショールームの展示用だったそうです。

この車が販売されたのは、アメリカではなくカナダ、しかも大都市部ではなく、辺境のニューファウンドランドでした。何故このようなことが起きたか...というと、4月17日に一斉に発売するに当たり、辺境地には、より早い時期に車が発送されたという事情が有った様で、2番は、同じくカナダ辺境のユーコン自治州に行ったそうで、此方も現存が確認されています。

フォードからは、この車が展示用で、発売後に返却するように伝達があったそうですが、そのディーラーのセールスには伝わっておらず、現在84歳になるかつてのセールスマンが、地元のパイロットとして有名なスタンレー・タッカーという人に発売の1日前に販売しましたが、コレほど楽に車を売ったことは無いと懐述しています。

フォードはソレを買い戻そうとしたものの、タッカー氏から拒否され、2年後に再び連絡し、今度はシリアル番号100万の新車に好きなオプションを全て付けたモノと交換するという条件で、買い戻すことに成功したそうです。

この事は、僅か2年でマスタングが100万台を達成したことを示しており、その人気を示すエピソードの一つとなっています。そして、ディアボーンでは、その車のラインオフが盛大に祝われたということです。

因みに此方はタッカー氏によってニューファウンドランドの厳しい気候の元で酷使され、70年代の中頃に氏のメカニックに売却されて以降、所在は分からないそうです。

現在、こんな風に衝動買いしたい様な車も有りませんし、車体番号1番の現行マスタングですら全く価値を感じません。やはりあの時代、そして、あの初代マスタングの人気故のエピソードですね...。

フォード・フォーカスのボンネット開閉

フォード
08 /22 2019
。以前のフォード・フォーカスのボンネットの開け方を知っていますか?

スッと開けられた人で、予備知識無しという人は、恐らく皆無でしょう。

イメージ 1

…というのも、写真の様にフロントグリのエンブレムを開いたら、そこに鍵穴があるのです。

まあ、普通の人はならコレでも特に問題ないでしょうけど、整備現場では実に厄介なのです!

例えば試乗して、整備工場に戻って再びボンネットを開ける…なんて時は、イチイチエンジンを切って、キーを抜いて…という風になり、この少しの手間も大変に煩わしく思えるのです。

更に最悪なのは、例えば走行時の異音をテストしている時です。異音というものは、いつでも確実に起こるとは限らず、一度発生したとしても、一度エンジンを切ってしまうと、再発しないというパターンは物凄く多いのです。

試乗してせっかく異音が発生したのに、エンジンルームを点検するには、エンジンを切らないといけない…そして二度と再発しない…。

警告灯だって、一度エンジン切れば再発しない、ダイアグに繋いでも何も記録が残っていないなんてパターンも結構あるのです。

フォード如きの品質でコレは拙いですね...。
大体ボンネットを一番開ける頻度が高いのは整備現場です!そこで煩わしいなんて、言語道断です。

ですので、ある程度面倒な整備が予想されるときは、前もってキーを二つ持ってくる様に言った方がいいと思います。

流石に拙さに気付いたのか、現行モデルでは、通常のタイプに変更されています。盗難の恐れの高いコンバーチブルなら兎も角、平凡極まりないこの手の大衆車にこんなの採用した理由は何だったのでしょうか?

正に技術者の自己満足そのものですね。こんなモノ設計する金があるのなら、もう一ランク上の部品を使った方が良いと思いますよ!

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。