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日産、ダットサンの生産終了 新興国ブランド、販売低迷

日本車
04 /25 2022
日産自動車が新興国向けのブランド「ダットサン」の生産を終了したことが25日、分かった。元会長カルロス・ゴーン被告が2014年に復活させ、低価格車として海外で生産していたが、近年は販売が低迷していた。日産は車種のラインアップの見直しを進めており、今後は電気自動車(EV)など電動車の開発に経営資源を集中する。

 ダットサンは日産の創業期からのブランドで、02年に一度途絶えたが、海外での知名度の高さを生かして再スタート。インドネシア、ロシア、インドで生産し、新興国を中心に複数の国で販売してきた。




>>新興国向けのブランド「ダットサン」

先ずはココが決定的なマーケティングミスなのに気付かないのでしょうか?

新興国というのは、当然日本や欧米に比べて購買力の劣る市場です。
その中で車を購入できる人というのは、それなりに裕福な人と言えますし、日本に比べても車というものがステータスシンボルとしての価値が大きいと言えます。

そんな中で誰が「安物ブランド」を欲しがるでしょうか?
少しでも見栄えのいい車を欲しがるのが新興国市場なのです。

だったらダットサンという安物ブランドではなく、同じ車をニッサンというブランドで売ってくれた方が客としても嬉しいというものです。仮にダットサンを買ったとしても、バッジをニッサンに付け替えたい…そんな市場なのです。

大金持ちの詐欺師、カルロス・ゴーンには、そんなマーケティングの基本も理解できないんですね・・・。まああんな輩に新興国の心理なんか分かる訳は有りませんけど。

元々ダットサンというのはニッサンの輸出用ブランドとして使用されてきましたが、81年に全てニッサンに統一されて以来、完全に忘れられたブランドでした。
記事に2002年と言われていますが、これはダットサントラックのみの話しです。

そんな実質30年以上もお蔵入りになっていたブランド、しかも高級車でもないブランドの復活なんて、物凄く難しいことだと思います。しかもニッサンの更に下のブランドって…ニッサンですら十分にチャチいブランドだという認識すら無いんですねぇ・・・。
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トヨタ・カムリ2代目

日本車
01 /30 2022
トヨタ・カムリ フロント

トヨタが2年続けて生産台数世界一を達成したから…という訳でも無いのですが、再びトヨタネタです。

写真は、2代目のトヨタ・カムリです。
初代カムリは、1980年にセリカの4ドアバージョンとして登場したもので、セリカ・カムリという名前でした。
セリカと同じFRのシャシーでしたが、僅か2年という短命に終わっており、生産台数も多くありません。

実質的、写真のこの車こそが初代カムリと言って良い位だと思いますが、1882年1月、兄弟車のビスタより一足先に発売されています。このビスタ・カムリ兄弟は、トヨタ初の横置きFFを採用した車として知られていますが。それを強調する為に、非常に広大な室内空間を有しているのが特徴で、クラウンよりも広い位でした。

ただ、広いものの、一体感に欠け、前後ともにグニャグニャで締まりのないシートといいペラペラな内装といい、高級感や快適性とは程遠い出来で、三本和彦先生からも「ゴム紐の緩んだパンツ」と酷評されてしまいました。

さて、写真はその北米仕様なのですが、ヘッドライトがシールドビームの4灯になっているのが目に付きます。それにこの色…当時の日本では全く考えれれない色ですね…。

トヨタ・カムリ リア

LEというグレードからも上級グレードであり、メタリックのツートンカラーやサンルーフ、アルミホイールといった辺りが目に付きます。しかし、だからと言って高級感が有る訳でも無く、やはり同時代のアコードの方があらゆる面で上質感が感じられました。まあ経年変化によるサビは、トヨタのほうがマシだったと思いますけど…。

しかしコチラでは、80年代のアメ車に比べ、80年代の日本車は本当に見なくなりました。アメ車に関しては、FR車を中心に一部のファンに支持されて居るものの、流石にこの手を趣味で乗る様な人は皆無でしょうから、その辺りも現存数の少なさとなって現れるのでしょう。

あとは現在まで残っている80年代のアメ車の多くが変化を好まない高齢者に乗られていた事、ソレに対して同時代の日本車の方が平均年齢が若かったこと・・・この辺りも現存数の少なさに関係していると思います。

しかしこの当時、カムリというのは間違っても主流の車種ではなく、そんなのも有るんだね…という程度の存在でした。
ソレが今や北米でトヨタを代表する車種にまでなり、しかもアメリカ製セダンを駆逐するまでになりましたが、この当時、一体誰がそんな将来の姿を予想したでしょうか?

トヨタ・クレシーダ

日本車
01 /18 2022
トヨタ・クレシーダ・フロント

久々にこんなのを見かけました。
トヨタ・クレシーダ… これはマーク2の輸出仕様で、写真は88〜92年にかけて販売された最終型です。
日本では80型と言われたタイプで、バブル期にはマーク2、クレスタ、チェイサーの3兄弟が飛ぶように売れたものでした。

日本では、マーク2の4ドアハードトップが人気の中心でしたが、コチラでは安全性との兼ね合いからハードトップは無く、平凡なデザインのセダンのみのラインナップとなっていました。

エンジンは、日本では2リッターの直6が人気でしたが、より大きなエンジンの好まれるアメリカでは、最大の3リッター直6のみの設定でした。
更にアメリカの「5マイルバンパー」のせいで、全長が若干延長されていて、日本の5ナンバーの最大4.7mを少し超えています。

80年代後半のアメリカ市場に於けるトヨタといえば、ようやくカムリとカローラがそれなりの人気を示し、アメリカ上陸時に作ってしまった悪評を覆えしつつありましたが、それでも人気面でホンダに一歩譲るという時代でもありました。

トヨタ・クレシーダ・リア

そんな中ではクレシーダの販売も順調とは言えず、この世代を最後に北米市場を撤退しています。
日本では、コロナ、ビスタ・カムリの上級車として、少し経済的に余裕の出てきた世代、そして背伸びをしたい若者に大いに支持されたものでしたが、それは、当時の5ナンバーギリギリのサイズで贅沢な雰囲気を味わえたからに他ありません。

1989年の税制改革以前は、5ナンバー(小型自動車)の枠を少しでも超えると、途端に自動車税が2.5倍に跳ね上がったので、この様な5ナンバーギリギリのサイズの上級車に需要が有ったのです。

ところが、これが北米となると、このサイズ自体に何ら意味は無く、デザイン的にも平凡で、値段的にもカムリやアコードに比べてかなり高額であったこともあり、小さくて高い中途半端な車という感じだったのです。

当時、アコードやカムリは北米で人気を得ていましたが、それでもファミリーカーとしては少し小さ過ぎると思われていて、フォード・トーラス、GMのAカーやWカーといったアメリカ製の中型セダンの人気が健在でした。

値段的には25000ドル位していたと記憶していますが、それはビュイック・パークアベニューなんかにも手が届く価格でした。当時はまだまだこの手のアメ車の大型セダンの人気も健在で、この手に比べると、やはり中途半端なサイズで値段だけ高い…ということのなってしまったのです。

写真ではよく見えませんが、白の如何にも日本的な外装に反して、内装はバーガンディーの革シートで、サンルーフも付いており、かなり上級グレードだった様です。

色が違えばもう少しマシに見えたのでしょうが、当時のアメ車と比べると、完全に埋没するデザインですね。
後にカムリやアコードが大型化して、アメリカ製中型セダンを駆逐しただけでなく、ビュイック・パークアベニューの様な大型セダンすらも駆逐してしまいましたが、それらは最初からアメリカ市場のために開発された車故の成功だと言えるのです。

やはりこの車は、当時の日本の税制上に於ける日本人の為の「チョット贅沢な車」でしか無かったのです。

余談ですが、当時のアメリカでは、ビュイック・パークアベニューと同等の価格であったクレシーダですが、日本では、ポンディアック・グランダムと同等の価格として新聞の比較広告にマーク2が取り上げられたものでした。
コレは日本のアメ車が異常に高いことから起こった現象なのですが、だからと言ってグランダムと比較されるとは…。

車検に通らないことも! 最近話題のトヨタ車の「30万キロ問題」とは

日本車
01 /10 2022
 トヨタ車の30万km問題をご存じだろうか。ユーザーのブログでも見かけるし、修理工場の整備士もウエブで違和感を訴えていたりもする。この問題はなにかというと、オドメーターの数字が299999kmで止まってしまうもので、いくら走ってもそれ以上はメーターが回ることはない。キリ番を待っていたのに、という残念な声まであるほどだ。

 内容からして、正確には30万km問題というより、30万kmにならない問題といったほうがいいのだが、こうなるのは15年ぐらい前のモデルが多く、すべてのトヨタ車に出るわけではないようではある。はっきりしたことはわからないのは、30万kmまでいく車両はごくわずかだからだ。

 ただ、プロである整備士も含めて、ユーザー側としてはケタがある以上、999999kmまで回って、そこからまたゼロに戻ると思ってしまっているし、当のディーラーも知らないことがあるという。そもそもそうしている理由ははっきりとはわからないが、単純にそこまで乗るのを想定していないのと、コンピューターへの距離データ書き込みキャパの問題などではないかと言われている。ちなみに昔のぐるぐる回るアナログタイプではもちろんこのようなことは起こらない。

 そういう設定なのだから仕方がないし、トリップメーターで管理すればいいと思うかもしれないが、問題はここからで、車検が通らなくなってしまうのだ。現在、車検証には受検時の走行距離が記録されることから、ここが正確でないといけないと解釈されてしまう。つまり制御不良というわけだ。パスするにはメーターを換えることになって、アッセンブリー、つまり丸ごとなので高額になってしまう。

 そもそも作った側の想定不備といった問題なのでリコールとして無償交換なのではないかとディーラーなどに掛け合った人もいて、結果は命に関わる危険なものではないのでリコールにはならないと言われ、泣く泣く費用をかけて交換した例を見かける。大切にしてきて、調子も良ければがっくりだろう。交換ではなくてもメーター内のデータを書き換えればいいのだが、自分ではできないし、どこに頼めばいいかもわからない。巻き戻し屋ならやってくれるかもしれないが。

 一部では、解釈の違いからか車検にパスできたり、初期の頃はディーラーで交換してくれたりした例もあるようだが、いずれにしてもオーナーにとっては寝耳に水な話。30万kmまで乗るとは想定していないというのもわからないでもないが、だからといって走行距離が記録できないのは釈然としない話しだ。車検にかかわるとなるとなおさら。最近のクルマでは例は見かけないが、まだそこまで到達していないので表面化していないだけかもしれず、今後の動向に注視したい。




北米仕様がそうなっていないということを考えたら、故意にやっていると言われても仕方有りません。
北米では30万キロ位は当たり前ですし、50万キロ行くことだって珍しくありません。

今の日本車は、普通にメンテを続ければ、大したトラブルも無く50万キロ位当たり前に走れるものです。
それだけ優秀なのに、それを敢えてそうやって貶めるのは、非常に悪質と言わざるを得ません。

今でも多くの日本人が、車は10万キロで駄目になる、10万キロでエンジンのオーバーホールが必要、2回目の車検で買い換えるのが一番得…と言ったトヨタによる洗脳を本気で信じています。

良いですか!
今の車は普通に20年位何の問題も無く走るんですよ!
80年代の車は、確かに10年経てばアチコチにガタが来たものですが、今の車はそんな事ありません。
実際、私が日本の中古車市場を見れば、新車のような車が捨て値で売られているのを目にします。

そうやって顧客を騙して買い替えさせているやり方こそが、トヨタを始めとした日本車が、実力とは裏腹にブランドイメージを確立し兼ねている原因だと、何時になったら気付くんでしょうか?

わずか3カ月で中国事業を店じまいしたスズキの勝負勘

日本車
12 /19 2018
 スズキは6月と9月に中国で合弁を解消し、現地での自動車生産から撤退した。同社は2012年に米国の4輪車販売事業からも撤退している。大型車や高級車の人気が高く小型車の勝算が小さい世界2大市場を捨て、シェア1位のインドに経営資源を集中する強い意志をあらためて鮮明にした。

 「のどに刺さった小骨が取れた」。中国撤退の皮切りとなった江西昌河鈴木汽車(昌河鈴木)との合弁解消についてスズキ関係者はこう語る。

 昌河鈴木は95年から4輪車生産を手がけてきたが、車両開発などを巡りスズキとの関係が徐々に悪化。09年に長安汽車が昌河汽車を吸収合併したのをきっかけにスズキはもう一つの合弁会社の重慶長安鈴木汽車(長安鈴木)に経営資源の集中を試みる。だがそれに不安を抱いた昌河鈴木の労働者たちと一触即発の状態になり、新型車の投入を凍結し、駐在員も引き揚げていた。

 一方の長安鈴木も現地での大型車、高級車人気を背景に苦戦を強いられた。「(長安鈴木は)ここ数年販売計画を達成できていない」「小さな車が売れないということならば態度を決めるしかない」。鈴木修スズキ会長は中国撤退のタイミングを探っていた。

 そして、わずか3カ月の間に立て続けに、それぞれの合弁事業からの撤退を表明した。合弁事業という足がかりをなくすと中国への再参入は難しくなるのは当然、覚悟の上だ。

 トヨタ自動車が20年に電気自動車(EV)投入を表明するなど、国内メーカーが中国への投資を積極化する中、スズキが中国からの撤退に踏み切ることができたのは、もうひとつの「10億人市場」のインドで50%近い圧倒的なシェアを確保しているからだ。

 今回の撤退が「英断」となるか否かは、インドでさらなる成長ができるかにかかっている。同時にインド市場への依存度が高い「一本足経営」からの脱却も喫緊の課題だ。


中国で車を生産するには、現地の企業と合弁でないと出来ないという規制があります。

中国という巨大な市場を得るために、そうやって皆合弁で事業を進めたものの、結果として技術も人材も吸い上げられて行ったのです。

そしてアメリカという市場は、大きいものの、かつて徳大寺先生が仰った様に、正に「巨大なゴミ箱」です。

その巨大なゴミ箱で車を販売するために、ドイツ車も日本車も皆巨大になり、大味になって行きました。

翻って、アメリカ市場を捨てたプジョーやシトロエンはどうでしょうか?今でもヨーロッパのための車作りをしています。

別に世の中、アメリカや中国だけじゃないんです。そんな市場に照準を合わせて、多くく孕んだ大味なクソ車を作るのなら、小型車に専念して他で売るというのもまた賢い選択だと私は思います。

中国でも、当初はスズキの様な安価なコンパクトカーの市場はあったものの、現在は、より大きく、より高価な車が売れる様になり、要するに日本の高度経済成長期と同じ様なメンタリティーなのです。

そんな状況では、仮にスズキ程度の予算しか無い人でも、無理してローンを組んで、ホンダ辺りを買うのです。

市場が成熟してくれば、またスズキのような車の需要も出てきますが、それはまだ当分先の事です。

無理して得意でない米中で苦戦するのなら、今既に持っているインドという市場に全力を注ぐというのは非常に賢い選択だと思います。

こういう大胆な決断ができる鈴木修社長という方は、やはり只者ではないですね・・・。

本来なら、三菱辺りも同様の決断が必要だと前から思っているのですが…。カナダでも保証で売っている様なものですから。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。