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リー・アイアコッカ氏死去 クライスラー元会長

ニュース
07 /04 2019
1970年代に黄金期にあったフォード・モーターの社長を務め、その後80年代は破綻の危機にあったクライスラー(現フィアット・クライスラー・オートモービルズ)会長として同社を救ったリー・アイアコッカ氏が2日、死去した。94歳だった。米メディアが相次いで報じた。

自動車業界にとどまらず米産業界を代表する経営者として同氏を評価する声は多い。

フォードの販売部門で頭角を現したアイアコッカ氏は60年に同社のフォード部門のトップに就任。今も残る名車「マスタング」の開発を指揮するなど、同社の躍進を支えた。
70年にフォード社長となり業績を拡大させるが会長だった創業家のヘンリー・フォード2世と衝突。78年に社長職を解任された。ただ、79年にはクライスラーの会長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、自動車業界に返り咲いた。
当時の米自動車メーカーは2度の石油ショックで新車需要が落ち込み、ビッグスリーで最も規模の小さかったクライスラーは破綻の危機にあった。アイアコッカ氏は就任直後に米政府から15億ドルの債務保証を取り付けるなど会社救済に剛腕を発揮した。コスト削減も推し進め、自身の給与を1ドルに引き下げている。
ガソリン高を受けた日本車の輸入増と米メーカーの不振を問題視した米政府は、クライスラー救済と同時に日本に対米輸出の削減を求めた。日本車メーカーは81年に輸出台数の自主規制に追い込まれた。
政府の支援で息を吹き返したクライスラーは85年に当時の三菱自動車工業と米国での合弁生産契約を締結。日本で記者会見したアイアコッカ氏は「日本が守るべきなのは自国市場ではなく米国市場だ」と主張し、円安是正や市場開放を訴えた。
92年にクライスラーを辞め引退生活に入ったが、99年に電気自動車(EV)会社を立ち上げるなど常に自動車の世界に関わり続けた。


リー・アイアコッカ氏はイタリア系移民の子供として生まれ、戦後間もない1946年、フォードに入社しました。

当時のフォードは、ヘンリー・フォード二世が社長に就任したばかりで、エドセル・フォードの死去後、社長に返り咲いたヘンリー・フォードによる経営は既に時代遅れとなっており、社内は規律を失い、裏組織のベネット一味が好き放題に経営を牛耳っている様な状態でした。

そんな中で元々技術畑出身ながら、企画、販売で大きく力を奮ったのが氏の特徴で、初代マスタングの成功は誰もが知る所です。

その後は不振のリンカーン・マーキュリー部門に移り、リンカーン・コンチネンタル・マーク3を大ヒットさせ、マスタングの兄貴分、マーキュリー・クーガー、そして4ドアセダンのグランドマーキスをヒットさせ、その成功から、70年にフォードの社長に就任しました。

要するに私たちがカッコいい…と思うフォードは、軒並みアイアコッカ氏の手にかかっている訳です。

反面、フォード・ピントの爆発炎上問題、それをリコールせずに大問題に発展したという影も付きまとうのですが・・・。

1978年にヘンリー・フォード二世との対立からクビになり、クライスラーの社長に就任しましたが、当時のクライスラーは、正に経営危機の真っ只中。

更に79年に勃発した第二次オイルショックがクライスラーに経営にとどめを刺すことになったのです。

連邦議会では批判一辺倒の中「今クライスラーを倒産させれば、失業保険だけで年間20億ドルはかかる。その全く戻ってこない金を払うのか、その半分の10億ドルをクライスラーに融資するのと、どちらがアメリカにとって得なのか考えて欲しい」という名文句で政府から融資を引き出し、それを予定より7年早く返済したことで、大いに話題になりました。

クライスラーでは、フォード時代のボツ企画であったKカーをヒットさせ、更にソレをベースにしたミニバンを大ヒットさせました。

同時に悪名高いセールスバンクの廃止、フルサイズからの撤退、北米以外からの撤退というリストラも行なっています。

現在クライスラーの稼ぎ頭であるジープを生産していたAMCを、皆の反対の中、独断で押し切って買収したのもアイアコッカ氏でした。

反面、インペリアルの復活や、クライスラTC by マセラッティー、ランボルギーニの買収の様な失敗例もありますが…。

そして、アイアコッカ氏を失ったフォードといえば・・・時代遅れのゴミみたいな車に終始し、あのヘンリー・フォード二世も、一躍時の人となったアイアコッカ氏の活躍を目の当たりにした直後に鬼籍に入っています。

アイアコッカ氏は、経営不振の時には凄まじい力を発揮するものの、経営が安定するとイマイチという傾向が見て取れ、80年台後半にクライスラーの経営が安定した後も、ニューモデルを投入せずにKカーの化粧直しでお茶を濁し続けた結果、90年台初頭の景気低迷の煽りを受け、再び経営悪化を起こし、LHカーを最後の置き土産として92年にクライスラーを去りました。

マスタング、マーク3、クーガー、グランドマーキス、ルバロン・コンバーチブル…氏の作品に共通しているのは、安い車をベースに非常に効率的にクルマづくりをしていることでしょう。

そしてメディアに積極的に顔を出すのも特徴でした。
クライスラーの最後の頃は、日本叩きでも知られましたが、同時に日本の凄さを誰よりも知っている人だったのです。


こんなジョークがあります。

アメリカの小学校の歴史の授業でのこと。

先生 「自由か、さもなくば死を!と言ったのは誰でしょう?」

日本人のHanakoがただ一人手を挙げて
    「パトリック・ヘンリー 1775年」

先生 「人民の、人民による、人民のための政治…」

Hanako 「エイブラハム・リンカーン 1863年」

先生 「日本人のHanakoが答えられるのに、皆さんは何で答えられないんですか?」

すると教室の後ろの方から "fuckin' Jap!" という声が…

先生 「誰ですか、そんな事を言うのは?」

Hanako 「リー・アイアコッカ 1985年」



コレは、アイアコッカ氏の自伝にも書かれているのですが、何れにしても、氏が有名であったからこそ、こんな小話が生まれたりしたのです。

アイアコッカ氏の去ったクライスラーと言えば…LHカーを始め新しい車を連発しましたが、正直どれも大した車とは言えず、だったらシンプルで整備性の良いKカーの方が良かった…なんて思ったものでした。

その後もクライスラーのみならず、ビッグ3の経営は不振を極め、今や風前の灯といった具合です。

そんな時代だからこそ、余計にアイアコッカ時代のフォードやクライスラーの車が魅力的に見えてしまったりするのです。

既にビッグ3の社長の名前すら知らない今日…それだけこの業界に興味がなくなったという事なのですが、それは、魅力的な経営者が居ないということでもあります。

あの頃活躍された方が既に90代…80年代も遠くなったと改めて思い知らされる気がします。

謹んでご冥福をお祈りします。

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元F1チャンピオン、ニキ・ラウダ氏亡くなる。享年70歳

ニュース
05 /21 2019
 3回にわたってF1王者に輝いたニキ・ラウダが亡くなった。70歳だった。

 ラウダは昨年半ばから健康問題に悩まされ、8月には肺移植の手術を受け、2カ月間にわたって入院を余儀なくされていた。また、今年の初めにはインフルエンザに感染し、再び短期間の入院生活を送っていた。

【フォトギャラリー】ニキ・ラウダ。現役時代から近影まで

 最近では、腎臓透析を受けているとオーストリアの新聞でも報道されていたラウダ。しかし5月20日(月)に、家族に見守られながら、息を引き取ったという。

「私たちの愛するニキは、月曜日に家族に見守られながら、静かに亡くなった」

 ラウダの家族は、オーストリアのメディアにそう声明を発表した。

「アスリートとして、そして実業家として、彼の達成した業績は忘れ難い。彼の疲れを知らない行動への熱意、そして彼の率直さと彼の勇気は、記憶の中に残っていく」

「我々全員の模範として、そして目標だった。プライベートでは、彼は愛と思いやりにあふれた夫であり、父親であり、祖父であった」


あのニキ・ラウダ氏が…。

皆さん、ニキ・ラウダというと、どの様なイメージをお持ちでしょうか?
3度のF1チャンピオンであるのは無論ですが、やはり彼の名前から連想するのは、あの有名な1976年ドイツ・グランプリでの炎上事故なのではないでしょうか?

当時のF1というものは、今とは比べ物にならない位に安全性が低く、事故による炎上は当たり前、有名レーサーの死亡事故も珍しいことではなく、正に生死を賭けた大変に血なまぐさいスポーツでもあったのです。

ソレ故か、ニキ・ラウダというと、どこか血なまぐさいイメージを抱いてしまうのです。

その事故でヘルメットが脱げ、ボディーパーツが炎上・・・という現在では考えられない様なレベルの安全性だったのです。

炎上により車内に取り残されたことから、大火傷を負い、炎上時に発生した有毒ガスを大量に吸い込んだことから、肺に深刻な負傷を負い、数日間生死の境を彷徨いました。

そんな大怪我から僅か6週間後に奇跡の復帰、イタリア・グランプリで4位に入賞しています。

有名F1レーサーの死亡事故として記憶に新しいのは、1994年のアイルトン・セナの事故ですが、ほぼ即死する様な衝撃を受けながら、、一切の火が出ていない辺りからも、その間、飛躍的に安全性が向上していたことを見て取る事ができました。

晩年は肺移植を受けたりしていたそうですが、やはりあの事故の影響だったんでしょうか?

まだ70歳だったんですね…活躍がスーパーカーブームと同時期ということもあり、当時の日本の小学生の間でも知名度が高かったのですが、そんな昔の話故に、もっと年配かと思っていました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


邦人カンボジアでタクシー運転手殺害

ニュース
03 /20 2019
遂に日本人もここまで落ちたか…と思った事件です。

この事件で重要なのは、暴力団でも無い一般市民の二匹が、犯行を目的に海外に出かけたということです。

過去にも日本人が犯罪に巻き込まれることはありましたが、どちらかというと被害者であったり、加害者でも偶発的なものだったりで、最初から犯行目的での渡航というのは…。

しかも日本よりもはるかに貧しいカンボジアです。

カンボジアを選んだ理由が、逃げきれそうということと、米ドルが出回っているからだそうですが…。

金目当てなら、もう少し豊かな国の方が良かったのでは?

まあカンボジア辺りなら、賄賂さえ渡せば警察も見ぬふりなんでしょうけど、ここまでニュースになってしまったら、それも無理でしょう。

車奪ってから300mで事故起こしたとか、バカも度を超えています。

こんな物体、日本に強制送還なんかしないで、カンボジアで処分して欲しいモノです。まあ、向こうも迷惑でしょうけど。

JR品川新駅、なぜ「高輪ゲートウェイ」なのか?

ニュース
12 /04 2018
山手線30番目の駅として、2020年春の暫定開業を目指してJR東日本が田町―品川間に建設中の新駅。その駅名が、12月4日に発表された。

高輪ゲートウェイ」。これが新駅の駅名だ。

JR東日本は6月5日から6月30日にかけて駅名案の募集を行っていた。6万4000件を超える応募が寄せられ、その駅名案は1万3000種類を超えた。

寄せられた案のうち、第1位は「高輪」、第2位は「芝浦」、第3位は「芝浜」という結果だった。JR東日本によると「高輪ゲートウェイ」は36人が応募し、130位だった。
■再開発エリアの玄関口として

 JR東日本は、駅名の選定理由について以下のように説明している。

この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています。 新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう選定しました。
 新駅は、JR東日本が開発している13万㎡の再開発エリアの玄関口となる。また、この再開発エリアは「グローバルゲートウェイ品川」というコンセプトが掲げられ、「世界中から先進的な企業と人材が集い、国際社会に受け入れられる街」を目指している。

つまり、高輪ゲートウェイとは、投票1位の「高輪」と、再開発コンセプトの「ゲートウェイ」の組み合わせというわけだ。

新駅のすぐそばには都営地下鉄浅草線の泉岳寺駅がある。新駅と泉岳寺は乗り換えに際しての利便性が保たれるはずで、その意味では新駅に泉岳寺という駅名を付ける選択肢もあったはずだが、再開発エリアのコンセプトを優先した格好となった。かつて泉岳寺駅の駅名をめぐっては、寺側が使用差し止めを求めて提訴したこともあった。
山手線の駅名のうち、カタカナが含まれる駅名は今回が初めて。しかし、昨今はカタカナ混じりの新駅名が見られることもあり、近年の流行に沿ったものともいえる。

隈研吾氏は予想していた? 

新駅の駅舎をデザインしたのは建築家の隈研吾氏。駅舎の特徴である白い大屋根は「日本の伝統的な折り紙をモチーフとしました」と、隈氏は説明する。この白い大屋根からは障子越しのような柔らかい光が駅舎内に差し込むという。つまり、和のテイストがふんだんに盛り込まれた駅舎だ。
8月29日の駅舎の報道公開時に、隈氏は「和のテイストを取り入れているが、シンプルでモダンなデザインなので、どんな駅名でも合うと思う」と話していた。カタカナ混じりの駅名になることをある程度は予想していたのかもしれない。

高輪はこの再開発エリアから品川駅前エリアの周辺の地名である。都営浅草線に高輪台、都営三田線・東京メトロ南北線に白金高輪という駅名がある。そこへ山手線の高輪ゲートウェイが仲間入りする。
再開発エリアが、JR東日本のもくろみどおり、世界へのゲートウェイになるとしたら、高輪という地名もグローバルになる可能性がある。「グローバルゲートウェイ品川」は、あくまで再開発エリアのコンセプト。駅名の決定を受けて、エリア自体の名前も「高輪」を冠することになるかもしれない。



何でしょう?このセンスのない名前は・・・。

先ずは公募の結果130位が選ばれるって、訳分かりませんね。

大体駅の名前なんて、覚えやすくてナンボです。大体ゲートウェイなんて洒落た横文字?に大した意味が無いですね。

国際化なんてホザイていますが、コレを「ゲートウェイ」なんて日本語の発音をしたら、絶対に通じませんよ!日本人の苦手なTとWが入っていますから。

そんな外国人に通じないカタカナ言葉なんて、付けない方が寧ろ国際化なのです。

それに、コレを検索した場合、Takanawa Gateway で検索できるんでしょうか?
まさかTakanawa Geitowei とか書かないと検索にヒットしない・・・なんて事にはならないでしょうね?

どうせそんな長ったらしい名前にしたって、皆間違いなく「高輪駅」って呼びますよ。

変な横文字を取って付けるよりも、「高輪」なり「芝浦」といった昔から知られている地名を駅名にすることの方が、よりイメージアップに繋がるのです。

正にJR東日本というお役所体質のバカさ加減を象徴するような名前ですね。
所詮はジジイの考えた「モダン」であり「国際化」です。

車で「若者向け」「女性向け」なんていうのがヒットした試しがないのと同じことです。


大卒初任給、5年連続増=過去最高、20万6700円―厚労省調査

ニュース
11 /28 2018
 厚生労働省が28日発表した賃金構造基本統計調査によると、2018年の大卒初任給は前年比0.3%増の20万6700円だった。

 5年連続の増加で、過去最高を更新した。同省は「景気回復や人手不足で賃金の上昇傾向が続いている」(賃金福祉統計室)としている。

 男女別では男性の1.1%増に対し、女性は0.7%減。女性は前年に大きく伸びた反動とみられる。

 大卒以外では、大学院修士課程修了が2.3%増の23万8700円、高専・短大卒が1.2%増の18万1400円、高卒が1.9%増の16万5100円だった。


5年連続で上って20万???

日本の給料って恐ろしく安いですね…。

コレ最低賃金の誰でも出来る仕事じゃなくて、大卒ってことは、一応それなりの企業の話しですよね?修士ですら23万ですか…。

正直コレは先進国ではダントツで安い賃金ですね。

私が学生だった時と殆ど変わっていないんじゃないでしょうか?

30年前、アメリカの物価の安さに驚いたものですが、今アメリカに行くと、物価の高さに驚きます。

逆に日本に行くと、物価の安さに驚きます。

こんな数字で過去最高なんて声高に叫んでもねぇ・・・。コレを始めにドンドン上がっていくというのなら、まだ分かりますが、ソレすら期待出来ないんですから余計に・・・。

金を払わなければ、金は社会に回らない・・・この基本を完全に忘れていますね。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。