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ハワイで働く日本人ウエートレス 朝だけ週数日勤務で「月収100万円」

ニュース
11 /15 2022
 年初には1ドル=115円台だったドル円相場の円安進行が止まらない。10月下旬には約32年ぶりに1ドル=150円を突破した。一方で給料は30年も横ばいのままで、2021年の日本の平均賃金はG7で最下位となった。一方、海外では世界的な人手不足で賃金が上昇しており、超円安の状況下では、日本で働くより海外で働いた方が収入が増えると、話題になっている。アメリカで“出稼ぎ”をしている日本人たちに、そのリアルな給料事情を聞いた。


有名レストランのウエートレスでチップが月100万円
 サーフィンが趣味で、こんがり焼けた橋本恵美さん(25才)は、ハワイで充実した毎日を送っている。

「いまハワイは人手不足なので、時給がどんどん上がっています。私は現地の有名レストランでウエートレスをしていますが、人気店なのでチップがいい。朝だけ数時間、週数日のパートで月100万円くらい稼いでいます。趣味のサーフィンも楽しめて最高です」(橋本さん)

給料も仕事のやりがいも増えた
 海外は儲かるだけでなく、心が安らぐという声も多い。

 シカゴのパン店で働く小野寺洋二さん(40才・仮名)はコロナの影響で国内の勤務先が倒産し、1年半前に知り合いのツテをたどって渡米した。

「日本では手取りの月収が24万円でしたが、こっちは70万円。オーナーの知り合いの借家に妻と子供と暮らし、1年半で260万円貯金しました。子供は1人だけのつもりでしたが、経済的に落ち着いたので2人目もほしくなり、妻は現在、妊娠4か月です」(小野寺さん)

 朝5時に出勤する小野寺さんの帰宅は17時。一見、長時間労働だがトータル4時間の休憩があり、職住近接でランチは自宅で家族と食べている。週2~3回の休みはドライブや公園の散歩を楽しむ。

「日本で働いていた頃はサービス残業が当たり前でしたが、こっちでは収入が増えて精神的なゆとりができ、仕事にやりがいが持てるようになった。思い切って日本を出てよかったです」(小野寺さん)

日本で人間関係に苦しんだ夫がNYで5倍の年収
 ニューヨークで洋服やバッグのリフォーム店を経営する本田英恵さん(35才・仮名)は夫婦で大きな収入を得るに至った。

「日本のIT関連企業で働いていた夫が人間関係でメンタルをやられ、夫が学生時代に留学していたときの友人を頼って5年前に移住しました。日本で年俸800万円だった夫はフリープログラマーになって、いまでは年収4000万円、私の年収も1000万円ほどあります。自分たちのお金と時間を好きに使えることが幸せです」

※女性セブン2022年11月24日号




よくこうやって海外に移民して幸せになった・・・という記事をよく見かけますが、果たしてコレ、どこまで本当なのでしょうか?

最初のハワイでウェイトレスという話しですけど、確かに今ハワイで人材不足なのは事実です。しかし、だからと言ってウェイトレスでワークビザが取れるとは考えられませんし、学生ビザでのバイトも禁止されています。

まさか不法就労じゃないでしょうね?

2番目のシカゴのパン屋勤務というのも同じです。日本でパン屋を経営していて、それが全国的に有名で…とか言うのなら話は違うかも知れませんが、勤務先・・・と言っているので、普通のサラリーマンだったのでしょう。
それでアメリカに来てパン屋勤務って、一体どういうビザなのでしょうか?

3番目の方は日本でIT関係だったということで、まあワークビザの可能性はありますが、その場合、いきなりフリーでビザが降りるものなのでしょうか?

何かこういう海外生活を夢物語の様に宣伝している記事って、胡散臭さしか感じないんですよね・・・。
少なくとも移民経験のある私には、どうも嘘くさいとしか思えません。
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「ドリフ」仲本工事さん死去 18日横浜市で車にはねられる 81歳

ニュース
10 /20 2022
「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして活躍したタレントの仲本工事さんが、19日午後10時22分、交通事故による急性硬膜下血腫のため神奈川県内の病院で亡くなりました。81歳でした。

仲本さんは東京都出身で、学習院大学に在学中に歌手のジェリー藤尾さんが率いるジャズバンドのメンバーになりました。

1965年にいかりや長介さんをリーダーとする人気コミックバンド「ザ・ドリフターズ」に参加し、翌年にはビートルズの来日公演の前座でリードボーカルとして「ロング・トール・サリー」を歌い注目を集めました。

1969年に民放の公開バラエティー番組「8時だョ!全員集合」が始まるといかりやさん、加藤茶さんや高木ブーさんそれに志村けんさんらとともに数々のコントを披露して国民的な人気を博し、仲本さんも中学生の頃に始めた体操を取り入れたコントなどで人気を集めました。

その後もコメディアンとしてだけでなく、ミュージシャンとしてライブなどの音楽活動を行ってきたほか、俳優としてドラマや舞台に出演するなど幅広く芸能活動を続けてきました。

2001年にはザ・ドリフターズとして紅白歌合戦に出場しています。

10月14日には2020年に亡くなった志村けんさんに関する催しのゲストとして高木ブーさんとともに群馬県高崎市のデパートを訪れ、ファンたちとふれあっていました。

所属事務所によりますと仲本工事さんは、10月18日、横浜市の市道で車にはねられ、神奈川県内の病院で治療を受けていましたが、19日午後10時22分、交通事故による急性硬膜下血腫のため亡くなったということです。

81歳でした。

JR渋谷駅前では悲しみと驚きの声
タレントの仲本工事さんが亡くなったことについて、JR渋谷駅前では悲しみと驚きの声が聞かれました。

60代の男性は「ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』をいつも楽しみに見ていたので、本当に残念です。言葉が出てきません」と話していました。

50代の男性は「私たちの世代は子どものころにずっとテレビで見ていた人なので、本当に驚きました」と話していました。

ユーチューブで「ザ・ドリフターズ」を知ったという30代の男性は「志村さんがコロナで亡くなったあと、仲本さんがこういう形で亡くなってしまって、ショックです。ザ・ドリフターズの中では控えめで落ち着いているイメージがありました。昔、テレビで活躍していた人たちがどんどんいなくなってしまうのは残念です」と話していました。



皆さんはドリフというと誰が一番好きでしたか?
私が子供の頃、最も人気あったのは、他でもない加トちゃんでした。しかし、そんな中で私が一番印象に残っていたのは仲本工事さんだったのです。まだ志村けんさんが加入する前で、荒井注さんが在籍していた時代の話しです。

一見インテリそうに見えて、体当たりの演技で人を食った様なことをやる・・・仲本さんの個性は正にこんな感じでした。インターネット時代になってから、「8時だよ全員集合」や「ドリフ大爆笑」の動画を容易に観ることが出来る様になりましたが、今改めて観ると、当然加藤さん、志村さんが面白いのは変わらないにしても、やはり仲本さんって物凄く味のある演技をやっていると思ったものでした。



ビートルズの来日に際しては、のっぽのサリーでボーカルを取ったのはよく知られています。
特に90年代以降は、いかりや長介さんとの絡みが多かったと思いますが、これも私の好きなコンビでした。



先日、年下の奥さんとの問題がニュースになったと思った直後の交通事故、そして訃報…事故のニュースを聞いたときから、年代的にも厳しいか…と思っていたら、まさか本当に…。運動神経を売りにしていた方だけに、残念です。

コレでドリフの存命者は高木ブーさんと加藤さんの二人となってしまいました。既に高木さんも90近いですが、一番病気の話しを聞かないのが高木さんだったりします。

仲本さんも既に81か・・・と思ったら、私が子供の頃に活躍していた人は、軒並みその年代になっています。改めて年月の流れを感じずにはいられませんが、志村さんに続き仲本さん・・・少し前まで元気だった方だけに、残念で仕方有りません。


漫画家の石井いさみ氏死去 80歳 名作「750ライダー」「くたばれ!!涙くん」など 秋田書店が追悼

ニュース
09 /25 2022
青春漫画の金字塔として今も愛される名作「750(ナナハン)ライダー」などで知られる漫画家の石井いさみ(いしい・いさみ、本名勇巳=いさみ)氏が今月17日、急性心不全のため死去した。80歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で既に執り行った。24日までに秋田書店が公式サイトで発表した。

 高校在学時の1957年に「たけうま兄弟」(講談社「少年クラブ」)でデビュー。69年のサッカー漫画「くたばれ!!涙くん」(小学館「週刊少年サンデー」)など数多くのヒット作を発表した。「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)75年40号から「750ライダー」の連載を開始。バイクを愛する少年・早川光と仲間たちの瑞々しい日々を描き、連載9年、単行本50巻の大ヒットとなった。

 その後も「チック・タク」などの佳品を発表。秋田書店は「読者の皆様に多大な喜びを届け続けてくださいましたことに、あらためまして篤い感謝を捧げます。ここに故人の偉大な業績を偲び、謹んで哀悼の意を表します」と悼んだ。

 漫画家のあだち充氏はデビュー当時、石井さんのアシスタントを担当した。




750ライダーという漫画は、75年より週刊少年チャンピオンに連載された人気漫画です。
主人公早川光と愛車CB750を中心とした学園モノで、そのお陰で、当時の小学生でも「ホンダのナナハン」は見分けることが出来たものでした。

75年といえば、既にカワサキZ2が登場しており、発売後6年目のCB750の人気は流石に陰りが出ていたものの、この作品の影響で人気を盛り返したという一面もありました。
当初は暴走族相手のバトル等、血なまぐさいストーリーが少なくありませんでしたが、連載を重ねると共に穏やかなストーリーへと変貌していき、最後の頃には完全な青春ドラマと変貌していました。

70年代には大人気を誇った当作品も、79年にCB750がモデルチェンジされたことで急激に陳腐化したこと、そしてチャンピオンの全盛期を支えた「がきデカ」の連載終了辺りからチャンピオンの人気が低迷したこと…この辺りから忘れられた存在になってしまったと思います。
要するに70年代末〜80年代の未曾有のバイクブームの波に全く乗ることが出来なかった…という訳です。
そしてその頃になると、当時の非常に厳しい限定解除のせいもあり、ナナハンに対する憧れもすっかり薄れ、充実した400で十分だ…という風にもなってしまっていたのです。

750ライダーの連載終了は1985年、最後の50巻は所有していますが、もう完全に別の漫画と言った印象です。アシスタントがあだち充…実際あだち充作品か?と思うような作風でした。

85年当時、バイク業界といえばレーサーレプリカブームに突入した時代で、新しいことこそが全て、1馬力でも大きいのが偉い…旧車に対する人気というものは皆無でした。しかもナナハンとなると、免許取得が難しい上に、既に1年車検に突入していたこともあり、CB750もZ2もヤマハオートセンターの片隅でホコリを被って放置されているか、空き地に放置されて朽ち果てて、誰一人として気にも留めない…そんな時代だったのです。

87年頃からZ2にプレミア価格が付く様になり、やがてそれがCB750なんかにも波及する様になりましたが、そう考えると、あと数年続いていたら…とも思えてしまいます。

石井氏は、CB750以外のバイクは描きたく無いとおっしゃっているのをバイク雑誌のインタビューで観たことがあります。そのせいで、バイクブームに乗れなかったという面があると思いますが…。

75年10月に突然始まった限定解除制度、バイク乗り、暴走族に対する社会的非難…そういう正にバイクの冬の時代を必死で生き抜いた750ライダーが、後の空前のバイクブームでは全く存在感を示せなかったのは、実に皮肉な話しです。
Z2が登場する「あいつとララバイ」が大ヒットして、プレミア騒動まで起こしたのとは実に対照的です。

しかし私個人的には、あいつとララバイはイマイチ引っかかるものが無く、最低限の知識しか無いのに対して、750ライダーは単行本を多数購入して読み返したものでした。

あいつとララバイがバイク主体で走りをメインに語った物語であるのに対して、750ライダーの主役は主人公及びその周辺の人間関係が主役であり、ナナハンはあくまでも脇役に徹していました。それなのに、バイクの旧式化と共に存在感が無くなったというのも皮肉な気がしますが…まあ、ストーリー展開自体が70年代の青春ドラマ的であったことも、80年代には古臭く感じられたのかも知れません。

あれから既に40年、久々に耳にしたのが訃報…残念です。

エリザベス女王崩御

ニュース
09 /09 2022


本日、エリザベス女王が崩御なさいました。
96歳、在位期間は70年7ヶ月で歴代2位ということです。
因みに一位はフランスのルイ14世の72年と110日ということになりますが、即位時若干5歳ということもあり、その事を考えると、実質エリザベス女王が最長と考えて良いかと思います。

個人的に覚えているのが、1975年の来日時、テレビで中継されていたのを観たのですが、小さかった私にとってイギリスの女王と聞いて想像したのが、「不思議の国のアリス」に出てくる女王だったのです。ところが、いざ空港に降り立つと、意外と普通の人なので拍子抜けしたものでした。

女王の時代と言えば、戦後の混乱からの復興、そしてイギリス経済の没落、復活の時代と言えます。

日本の天皇ですら私にとって現在3人目であるのに対して、今までイギリスの国王というとエリザベス女王一人であったというのは改めて驚かざるを得ません。

旧イギリス連邦であるカナダにとって、国のトップに君臨するのは、他でもないイギリス国王です。
既に中国の植民地と化して久しいバンクーバーですが、街で半旗を全く見かけなかったのが、何とも寂しかったですね・・・。

後継がチャールズ皇太子というのも、何とも…。そして、あの有名な国歌の歌詞も残念ながら変更されてしまうということです。

改めて追悼の意を表します。


旧ソ連のゴルバチョフ元大統領が死去、91歳…東西冷戦を終結に導きノーベル平和賞受賞

ニュース
08 /31 2022
タス通信によると、1991年に崩壊したソ連最後の最高指導者として、東西冷戦を終結に導き、90年にノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ氏が30日、死去した。91歳だった。入院していた病院が明らかにした。




ゴルバチョフ氏は1980年代にペレストロイカ=雪解け、グラスノスチ=情報公開を行い、悪の帝国、鉄のカーテンと言われたソ連の実態が西側でも知られる様になる切っ掛けを作った人物でした。

しかし、徹底した情報管理を廃したのとは裏腹に、経済面では困窮を極め、1991年のクーデターで失脚し、エリツィンに権力が移り、そしてソ連が崩壊しました。

しかし、だからといって経済が上向くこともなく、エリツィン率いるロシアも相変わらずの困窮を極めた状態で、やがてプーチンの独裁体制へと引き継がれ、皮肉にも経済的にも飛躍的な改善を見るに至ったのです。

ロシアという国は、王政からそのまま社会主義へと転換したことから、資本主義経済の土台が全く無いまま来てしまい、それがソ連の衰退、そして崩壊後の混乱へとつながったのですが、その解決策が結局は独裁体制でしか無かったというのは、何とも皮肉な話です。

1989年のブッシュ大統領との冷戦終結宣言に新たな時代を予感した世代としては、現在の混迷を極めた時代など予想すら出来ませんでした。
既に盟友ブッシュ大統領も鬼籍に入っており、ゴルバチョフ氏も… 正に一つの時代の終了といった気がします。

そして、自由化を志半ばに政権を去ったゴルバチョフ氏は、今日のウクライナ戦争を複雑な思いで見ていたであろうことは容易に想像できます。

反面、ソ連時代の経済の混乱を知っている中高年世代程ゴルバチョフ氏に対する評価は低く、独裁主義に戻りつつも経済を立て直したプーチンを支持するという図式が成り立っているのです。

ゴルバチョフ時代のアネクドートとして、こんなのが有りました。

ゴルバチョフ時代になって、眼科を訪れる人が急増しました。
その理由は… ペレストロイカ、グラスノスチ… といった色々な掛け声は聞こえるけれど、一向に変化が目に見えないから…。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。