FC2ブログ

シトロエン Type Hバン

ヨーロッパ車
11 /16 2019
201911161034333c3.jpeg

ショッピングモールで、こんなのを見かけました。
シトロエンType Hバン… 1947年〜81年までと大変に長い期間製造されたバンです。

何と言っても特徴的なのが、この外観です。凸凹のある平面の板を多用しているのは、生産コストを安く上げた上で、強度を出すための工夫で、同時代のシトロエン2CVと共通したものです。

ガラスが全て平面ガラスで、しかもドアガラスがスライド式なのも、2CVと同じで、生産コストを抑えるための工夫からでした。

開発が戦前にスタートし、途中で第二次大戦が勃発したことから軍用車に転用され、戦後になってから市販されたという経緯も2CVと共通しています。

このタイプは、何度かマイナーチェンジを受けていますが、写真のモデルは、凸凹の無いボンネット、角ばったリアフェンダーから、69年に発売されたモデルに当たります。

パリとスペインで生産され、その殆どがフランス、オランダ、ベルギーで販売され、ドイツにはVWタイプ2という強力なライバルがいたことから、販売されなかった様です。

尚、ドアに関しては、オランダ仕様が68年から通常の前ヒンジに変更されたということです。

lシトロエン Type H

荷物室のサイドは、跳ね上げる様に開けることができ、丁度ひさしの様になるので、フードトラック等の移動販売には持ってこいの存在でした。

シトロエン タイプH フードトラック

こんなのが街にいたら楽しいですよね!

シトロエン Type H リア

リア周りも大変に個性的で、テールゲートは、上半分が跳ね上げ式で、下半分が観音開きとなっています。
これも、限られたスペースで容易に開閉ができる、大変に実用的なデザインです。

エンジンは…と思って下回りを見たら…有りませんでしたが、FFのドライブシャフトは残っていました。この時代にFFで、しかもキャブオーバーというのは大変に珍しい物でした。

何もかもが個性的ながら、全てに於いて実用性と低コストが徹底されているのがシトロエンの伝統でもあります。 逆にその質実剛健な設計思想こそが、この奇抜ながらも合理的かつ美しい?デザインになっているのでしょう。

少なくとも安っぽいだけの日米の安グルマとは大違いです。まあ、当時は安全基準が無かったというのもありますが...。

日本人の多くが初めてこの車を目にしたのは、ドラマ「俺たちの旅」だったのではないでしょうか?
中村雅俊を中心とした青春ドラマですが、この車に拘って無理して手に入れ、スパゲッティーの移動販売を始めた若者が登場したのですが…、結局ソレは上手く行かず、回り回って中村雅俊たちがこの車を手に入れて、「何とかする会社」で使用する様になるのですが…。

スパゲッティーで何でシトロエンなの? 本場イタリアの味と言っておきながら、ナポリタンなんかが有ったり… なんて突っ込みたくなりますが… こういう所こそが昭和の味ですね.…。

しかし、2CVや、このタイプHがアチコチ走り回った時代のパリなんて、それだけでも面白い街だったんでしょうね…。
スポンサーサイト



ランボルギーニ・マルツァル

ヨーロッパ車
02 /20 2016
イメージ 1

70年代後半に勃発した空前のスーパーカーブームは、ランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ512BBの一騎打ちから、ポルシェ911、ロータス・ヨーロッパといった、明らかにクラスの違う車種まで同列に語られたかと思ったら、市販すらされていない試作車までも、その対象になったのです!

ランボルギーニ・マルツァル・・・これは1967年に製作されたランボルギーニのショーモデルなのですが、当時、私でさえ、その写真を持っていましたし、プラモデルなんかも普通に売られていたものでした。

広いグラスエリアが特徴的ですが、ミウラのシャシーをベースに4シーターにしたもので、エンジンは、ミウラの横置きV12の半分、横置きの直6となっています。
4シーターであること、そして、このフロンと回りのデザインは、後のエスパーダに、その影響を見て取る事が出来ます。

長年ベルトーネが保有していたコレも、2011年にオークションで1,350,000ユーロという値段で落札されたそうです。

あの熱病の様なブームの中で、10年も前のジュネーブショーに一度展示されただけのショーモデルまで持ち出されたというのには、改めて驚かされます。

ランボルギーニとしても、一台も市販していない車の「ライセンス料」が支払われたという稀有なケースであったことでしょう。

さて、この記事を書く時点でチョット気になったのが、一体何と呼んだら良いか?でした。

当時はマルツァル、マザール、マルザル、マーツアール等、様々な呼び方が有ったのですが・・・。Marzarというスペルを見ると、アメリカ的に読めばマーザールの様になるでしょうし、ヨーロッパ的に読めば、マルザル、マルツァルの様になるのでしょう。

試しに検索してみたら、マルツァルという表記が一般的な様ですが、恐らくコレがイタリア語に近いのでしょう。

例えば初代カマロが登場した時、カーグラフィック誌では、「カメイロ」と表記していました。確かにアメリカ人の発音をそのままカタカナ表記にしたのでしょうが、後にローマ字読みでカマロという呼び名が定着しています。

カウンタックも、英語ではコーンタッシュとなる等、外国車の呼び名をどう日本語で表記するか?は時々遭遇する厄介な問題なのです。

この車の場合、市販されなかったこと・・・ソレ故に、統一した呼び名が出来なかったという稀有なケースと言えるのかも知れません。

インターネットも無い当時、一般の人が海外の情報を知る手立ては限られていました。ソレ故に、こんなショーモデルが、あたかも市販されているかの様な扱いを受けてしまったのでしょう。
 

【ロサンゼルスモーターショー15】フィアット124 スパイダー、30年ぶりに復活…マツダ ロードスター ベース

ヨーロッパ車
11 /19 2015
イメージ 1

イタリアのフィアットは11月18日(日本時間11月19日未明)、米国で開幕したロサンゼルスモーターショー15において、新型フィアット『124スパイダー』を初公開した。

新型フィアット124スパイダーは、マツダとフィアットの協業プログラムから誕生した1台。新型フィアット124スパイダーは、新型マツダ ロードスターと車台を共用する兄弟車になる。兄弟車ではあるが、ボディはフィアットの専用デザイン。

イメージ 2

フィアットは1966年、初代124スパイダーを発表。多くの顧客に支持され、1985年までの20年間に渡って生産された。30年ぶりに復活した新型124スパイダーは、新型マツダロードスターとは、全く異なる専用ボディを採用。ヘッドライトのデザインなどに、初代124スパイダーのモチーフを反映させた。

その一方、室内のデザインは、新型マツダロードスターと基本的に共通。ロードスターと同じステアリングホイールは、フィアットのロゴが目を引く。ダッシュボード中央には、7インチモニターを配置。

エンジンは、フィアットのオリジナル。1.4リットル直列4気筒ガソリンターボ「マルチエア」は欧州仕様の場合、最大出力140hp、最大トルク24.5kgmを引き出す。トランスミッションは6速MT(米国仕様には6速ATも設定)。サスペンションは専用チューンを受けている。


フィアット124 スパイダーが、マツダ・ロードスターをベース…。まあ仕方ないけどコレも時代の流れなのでしょう。

しかし、このデザイン…もう少し何とかならなかったのでしょうか?どう見てもロードスターのカスタムカー程度にしか見えません。
細かいディテールはともかく、全体の雰囲気が、そのままです。もう少し何とかならなかったのでしょうか?

それに、このグリル・・・シボレー・マリブを最初に思い浮かべました。

まあ、何でもかんでもハイブリッドという世の中で、こんなコンパクトなスポーツカーの原点の様な車が出るのは、価値のあることとは思いますが…。

初代フォルクスワーゲン・ゴルフ

ヨーロッパ車
04 /16 2014
イメージ 1

写真は、初代フォルクスワーゲン・ゴルフです。
何時も同じ場所に停まっていて、不動車の様に見えますが、時々移動している上に、タイヤに空気が入っているので、一応は実働車なのでしょう(ココでは、路上に不動車を放置したら、切符を切られます)。

戦前、アドルフ・ヒトラーの命令で開発された国民車、フォルクスワーゲン・ビートルは、戦後、長いこと世界中で愛されましたが、60年代になると、流石にその設計の古さは隠せず、VW社も何とか世代交代を試みたものの、新型車はことごとく失敗し、モデルチェンジが上手く行きませんでした。

そんな中で、74年に登場した初代ゴルフは、従来とのデザイン的、技術的なしがらみを完全に断ち切り、完全な新設計で生まれたのです。

横置きエンジンのFFハッチバックというレイアウトは、限られたスペースを有効利用する上で、最適のレイアウトなのですが、当初は顧客も、その余りの激変ぶりに戸惑い、売り上げも低調だったといいますが、やがて、その実用性、走行性能が認められ、ヨーロッパのスタンダードとして成長し、今日に至っています。

この車を語る上で忘れる訳に行かないのは、あの徳大寺先生の愛車であったことです。
当時、日本車もアメリカに輸出され、一応人気を得る様になったものの・・・このゴルフの走行性能、実用性に比べると、日本車のレベルは全く話にならないもので、その経験こそが、あのベストセラー「間違いだらけの車選び」を刊行するきっかけになったのです。

当時の日本車は、アメリカで「安くて燃費が良くて、故障が少ない」という事で、売れ始めましたが、走行性能も何も全く粗末なものでした。
この「間違いだらけの車選び」のお陰で、日本車のデザイン、操縦性、走行性能、内装のデザイン等、あらゆる面でレベルアップしました。

外装デザインばかりに凝る風潮に対して、「一度車に乗り込んだら、目に入るのは内装だ」と、内装デザインの重要性を説いたのは、実に画期的なことでした。

それまでの日本のメディアというと、広告主の機嫌を損ねない様な提灯記事ばかりで、欠点はモデルチェンジ後にしか指摘されませんでした。
広告主の機嫌を損ねた記者は、たちどころに干される・・・そんな業界だっただけに、この本は、大変に画期的なことだったのです。

ゴルフから少し話が逸れましたが、徳大寺有恒という自動車ジャーナリストを生み、一冊のベストセラーを生み出したこと・・・そして、それがメーカーは勿論、国民の自動車に対する目を大きく育てたという意味で、間接的にも、この車が日本の自動車業界に与えた影響は、非常に大きいものだったと言えるでしょう。

日本のメーカーは、今日でもメルセデスやBMWといった外国車の模倣が無くなったとは言えません。様々な車から多かれ少なかれ影響を受けながら今日ここまで来た日本車ですが、やはり、「間違いだらけの自動車選び」を書かせたこの車程のの影響は、他に見当たらないのではないでしょうか?

イセッタ

ヨーロッパ車
07 /24 2013
イメージ 1
隣のゴミ箱と比較して、如何に小さいかが判ります。

イメージ 2

第二次大戦の主戦場となったヨーロッパは、戦後、経済的に困窮しており、それ以前でも、アメリカに比べ、自動車が身近な存在とは言えませんでした。

そんな中、簡単に製造でき、コンパクトで安価な車として一頃生産されたのが、バブルカーと呼ばれるもので、イセッタも、そのバブルカーの一つです。

イタリアのイソ社によって1953年に発売されたものですが、イタリア国外でもライセンス生産されており、特にBMWによって生産されたBMWイセッタも有名なところです。

ドアはフロント全体は開く様になっており、シートはベンチシートで大人二人、子供一人が何とか入るスペースが確保されています。

エンジンも2ストローク単気筒で、初期は250ccで、写真の後期のモデルは300ccと、オートバイのエンジンそのままといった感じのものでした。

後ろから見ると、リアタイヤのトレッドが非常に狭いのが目に付きますが、コレは、4輪でありながら、リアにディファレンシャルを使わない様にする為の措置でした。

尚、イギリス向けに、3輪のバージョンも有った様です。

主に50年代に人気を呼んだバブルカーですが、60年代には、その人気も完全に失ってしました。ミニをはじめとした新世代の大衆車が登場したこと、そして経済的に安定してきた事も大いに関係あると思います。

因みに同時期、日本でも、軽自動車に関して、様々な試行錯誤が繰り返されていましたが、ソレ等も、ある意味、バブルカーの親戚を言えるのかも知れません。そして、その決定版として、58年にスバル360が登場し、それ以降、軽自動車は、日本独自の文化として、ガラパゴス的な進化を遂げて行きました。

因みにバブルカーという名称は、形状がシャボン玉の様に丸っこいからというところから来ていますが、日本でバブルカーと言うと、バブル時代に生産された贅沢な車というニュアンスがあります。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。