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ヤマハ 新型「NIKEN」名前の由来は大谷翔平?「二刀流」三輪スポーツモデルの秘密に迫る

ヤマハ
05 /20 2018
「NIKEN」は、何故大排気量スポーツモデルに……!?
 ヤマハはスクータータイプのシティコミューターとして、フロント2輪+リア1輪のスリーホイール機構「LMW(Leaning Multi Wheel=リーニング・マルチ・ホイール)」を持つ「TRICITY(トリシティ)」を2014年から発売しましたが、この3輪テクノロジーを用いたスポーツモデル「NIKEN(ナイケン)」を年内に発売予定です。

「二刀流」ヤマハ ナイケンの詳細を写真で見る(30枚)

 そのネーミングはフロント2輪を支持する2本のフロントフォークが宮本武蔵のような二刀流に見えることから「二剣」=『NIKEN』と命名したとのことです。現代で言えばメジャーリーグで活躍する大谷翔平選手のようですね。

 発売前の実車をヤマハコミュニケーションプラザ(静岡県磐田市)で見ながら、開発チームにお話しをうかがうことができました。

「NIKEN」は排気量847ccの直列3気筒エンジンを積む「トレーサー900GT」をベースにしているように見えますが、どうしてこのモデルにLMW機構をと考えたのでしょうか。それが知りたくて、まずはプロジェクトリーダーの鈴木貴博さん(ヤマハ発動機株式会社モビリティ技術本部)に、お話を伺ってみました。
 青木タカオ(以下:青木):トリシティから始まったLMW機構ですが、車体を傾けて旋回する楽しさ、エキサイティングな走りはコミューターでありながらも強烈に感じることができました。スポーツモデルへの発展は待望でしたし、然るべきだと思っていましたが、なぜ「MT-09」系(トレーサー900GTがもっとも近い模様)ベースなのかが気になりました。

 250ccや400ccのロードスポーツバイクでもよかったように思いますが、いきなり大排気量ロードスポーツモデルというのは、チャレンジングですよね?

 鈴木貴博さん(以下:鈴木(貴)さん):LMWは安定感ある走りが楽しめ、生活に採り入れていく価値のある技術だと知っていただくことが、第1弾としてリリースした「トリシティ」の狙いでした。そこからLMWを使ったコミューターを少しずつ増やしていくという戦略もあるかと思いますが、今度は一気に「LMWというのは、相当面白いね」って思っていただけるよう三輪スポーツへと舵を切りたかったのです。


50:50のベストバランスを追求したナイケン
 青木:ラグジュアリーなグランドツアラーでも、よりアグレシッブなスーパースポーツでもよかったのでは?

 鈴木(貴)さん:三輪の良さを活かしつつスポーツライディングを味わってもらう。車両の全体像を決めるまで、それが定まるまでは悩みました。いま、LMWの面白味を最大限出せるパッケージを考えたときには、ナイケンの車体構成となります。ツーリングでも余裕があって、エキサイティングな走りもできる。そして質量バランスを考えたとき、最適だったわけです。

 青木:質量バランスですか? ある程度、車体やエンジンが大きい方が、フロント二輪に対して好バランスということでしょうか?

 鈴木(貴)さん:はい、ナイケンは、前後の質量バランスにこだわりました。フロントまわりの機構が多いものですから、ライダーをより後方へ乗せて前後の分担荷重を最適化しています。乗る人の体重も含め、ベストバランスを追求したのです。

 青木:ベストバランス、つまり50:50ってことでしょうか?

 鈴木(貴)さん:そうです、ピッタリ合わせています。

 青木:そのバランスの良さを早く体験したいものですが、具体的に利点を1つ教えていただけないでしょうか。

 鈴木(貴)さん:たとえば、二輪も三輪もブレーキングからコーナーへ入っていくときは、ほぼすべての荷重が前輪にかかりますが、フロントにかかり過ぎた荷重をフロント二輪で分割するという安心感がLMWには絶えずあります。

 青木:それはトリシティで強く感じました。ブレーキングを終わらせてからコーナーに入るっていうのが二輪モーターサイクルの基本操作ですが、LMWだとフロントブレーキを引きずりながら車体を寝かし込んでも2つの前輪はグリップを失いきってしまう気配がありません。もちろん路面状況にもよりますが、リラックスして乗れるから結果的に疲れにくいですし、二輪に不安感のある人にも入門用としてうってつけだと思います。

 鈴木(貴)さん:そうですね、三輪からモーターサイクルへ、または二輪車を降りてしまった人にもういちど三輪だったら乗ってみようかなって思ってもらえれば嬉しいです。

LMWアッカーマンジオメトリで、より自然なハンドリングを獲得
 NIKENで新採用されているのが「LMWアッカーマンジオメトリ」と呼ばれる独自の新構造です。見てすぐわかるのは、トリシティでは2本のフロントフォークが2つの前輪の内側にレイアウトされていましたが、ナイケンでは外側にそれぞれあります。

 プロジェクトリーダーの鈴木貴博さん、そしてLMW機構の開発当初から車両実験を担当している前田 周さん(ヤマハ発動機株式会社PF車両ユニット PF車両開発統括部)に、わかりやすく構造を教えていただきました。

 青木:「LMWアッカーマンジオメトリ」ではフロントフォークを外側に配置していますが、これは車体を深く寝かせたとき、互いのフロントフォークが干渉しないようにするためでしょうか。

 鈴木(貴)さん:おっしゃるとおりで、NIKENでは45度という余裕のバンク角を実現しました。トリシティでは38度でしたので、よりスポーティな走りが楽しめます。

 青木:トリシティでは前二輪が並行したラインを描けなかったと聞きましたが、「LMWアッカーマンジオメトリ」ではそれも解消したと?

 前田 周さん:簡単に言うと、トリシティではリーンしていくほどにガニ股になっていく傾向がありましたが、NIKENでは2つのタイヤの向きが常に旋回方向へと、より合っているのです。
 たとえば四輪車でも、フロントタイヤの切れ角は左右で変えてあり、かつクルマは外に向かってロールしますが、そのときバンプステア※と言いまして、傾いてリーンしているときも直立のときに決めた切れ角の差を守ってくれるよう調整しています。

 ※サスペンションが縮んだ時にタイヤがステアリングを切ったかのように、角度が付いてしまうことで発生する現象です。

 鈴木(貴)さん:当然、より高速でより深いバンク角で旋回できるようになりますから、各部の剛性も必要となりましたし、タイヤのマネージメントもより高いレベルで求められました。

 いったい、どれほど優れたコーナリング性能を味わえるのか、開発者たちの話しを聞いていると期待は膨らむばかり。トリシティで見せたあの旋回力と安心感から考えれば、ナイケンの高い運動性能を想像するのは容易いところです。


何と言いますか…勘違いもココまで来たら、本当に呆れますね。

コレを運転するために必用な免許は、やはり大型二輪ということになるのでしょうか?

わざわざ苦労して大型二輪を取った人が、三輪車と思うのでしょうか?

トレーサー900GTですら120万円もするというのですから、一体どれだけ高価になるのでしょうか?

バイクから不安定な要素を取り払う…だったらバイクである必然性がないのでは?

バイクが売れない…だからバイクから不安定要素を取り除く…という事なのでしょうが、だったら、もっと経済的で実用的な車のほうがいいじゃないですか!

それでも敢えてバイクに乗るというのは、その不安定な乗り物を操縦する楽しみを得るためなんですけど?

そんな基本すら忘れてしまったのでしょうか?
そんな小難しいこと考える前に、デザインをなんとかする方が、遥かに簡単だと思いますけど。

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ヤマハRD400

ヤマハ
10 /07 2016
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1975年に突如として中型免許制度が導入されると、大型免許は正に夢の話しとなってしまいました。

そんな中で俄然注目を浴びる様になったのが、中型免許で乗れる最大排気量の400ccクラスでした。

当時、国際的にこのクラスは350ccが一般的であったものが、コレを期に日本では400ccとなったのです。

ヤマハRDも、350であったものが、76年モデルから400になっています。
排気量の拡大もそうですが、外装も変更され、大柄な雰囲気になったのは、当時の風潮として、大柄なバイクが支持されたこととも無関係ではないことでしょう。

RDは、国内と輸出仕様で若干姿が異なるのですが、写真のコレは、78年式の北米仕様だと思います。

76年当時、その不細工なシートの形状からデザインが批判同車も、77年モデルでテールカウルが付くことで少し雰囲気ががスポーティーになりました。

キャストホイールを装着しているのが目に付きますが、同年、日本仕様ではスポークホイールになっており、キャストホイールの採用は、翌年、外装を総取替えした時になりました。
コレは、78年当時、国内でキャストホイールが認可されていなかったからなのです。

70年代後半、2ストロークというと、スズキGT380や、カワサキKH400といった3気筒モデルばかりが持て囃される風潮がありますが、実際の走り、そして完成度では、2気筒のヤマハRD400が圧倒的なものでした。

この2ストローク2気筒は、正にシンプルかつ熟成された形式で、当時最高の40馬力を搾り出し、その信頼性、スリムかつ軽量な車体による操縦性の良さから、正に70年代のこのクラス最速を誇っていました。

しかし…このクラスに「大型車の雰囲気」を持つ車が持て囃された時代とあり、そんな走りの良さよりも、このクラス唯一の4本マフラーで、ナナハンの様な雰囲気のGTサンパチや、マッハの様な「雰囲気」のKH400の方が、より支持されたのは、皮肉な所です。

当時のヤマハのエンジニアと話しをした所、2ストロークの煙が問題になっていた時期で、少しでもソレを減らす為に、可能な限りオイルの吐出量を抑えたら、オーバーヒートや焼き付を起こしたり、苦労させられた…という事でした。

まあ、同時代の2ストロークにとって、焼き付きなんて、日常茶飯事でもあったのですが・・・。

オマケに77年に発売されたホンダのホークⅡが、4ストで40馬力を達成していたことも、2ストの立場を段々と肩身の狭いものへ追いやって行ったのです。

翌年には、外装を大きく変更し、後のRZと似た雰囲気になっていますが、特別注目される事はありませんでした。

このシリーズ、どうもデザイン的に躍動感が無いというか、地味というか…正直、後ろに垂れ下がった一直線のマフラーによる所が大きいのではないでしょうか?
2ストのメッキ一直線のマフラーというのは、80年代には完全に絶滅したもので、今となっては、何でこんな形に?という不思議な存在でもあります。

70年代当時、既にレースではチャンバーが使われており、その効果は知られていたのですが、市販車では相変わらず4ストロークと同じ様なメッキマフラーが使用されていたり、GTサンパチやKH用には、3in1の集合チャンバーなる、訳の分からないものまで売られていました。

当時、既にレース界では確立していた技術ながら、市販レベルでは、まだまだユーザーの意識が付いてきておらず、単にヨシムラの集合を2ストにも…という単純な発想だったのです。

因みに、日本にチャンバーをもたらしたのは、東ドイツのレーサーで、後に日本に亡命し、スズキで活躍したエルンストン・デグナーだと言われています。

そんなチャンバーのパイオニアであるスズキでさえ、GTシリーズでは、3気筒、4本マフラーで、それぞれを連結…という訳の分からない事をやって、しかもカタログで堂々と「低速トルクの向上」を謳っていたのです。

チャンバー一色になった80年代の2ストの排気系ですが、そのほんの少し前は、こんなホノボノとした?時代だったのです。

因みに、このシリーズには、弟分の250もラインナップされていましたが、基本的に車体は共通で、エンジンもボルトオンで交換出来たので、250に400のエンジンを載せて、車検なしで乗る人も沢山居ました。まあ、警察に捕まって調べられたらヤバイのですが・・・。

この250のボア×ストロークは、54×54.5という若干ロングストロークとなっているのが、高性能を売りにするバイクとしては意外なところですが、この数字、実はヤマハ初の2ストロークツイン、YD1以降の伝統で、一部例外はあったものの、TZR250まで引き継がれたものでした。


ヤマハFZ250フェーザー

ヤマハ
08 /03 2016
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250㏄4気筒のパイオニアは、83年に登場したスズキGS250FWでした。
馬力は当時のVTと同程度ながら、如何せん低速トルクの不足、そして、その重さから、思うように走らず、人気を得るまでには至りませんでした。

その後もGF250なんかを出したものの、イマイチ評価を得ることがなく、4スト250㏄4気筒で、初めて市場から評価されたのが、このFZ250フェーザーだったと言えるでしょう。

250㏄の規制値45馬力を、実に14500rpmという高回転で発揮していました。このバイクに接した人が必ず驚いたのが、正にアクセルに直結した様なレスポンスの良さでした。ビュンビュンという音と共に、そのタコメーターのレスポンスの良さは、正に驚異的に思えたものでした。

エンジンレイアウトも、並列4気筒ながら、シリンダを前に45度倒したのが特徴でした。これは、かつてのXJ750で鈴鹿8時間耐久レースを走った結果、2ストに慣れたヤマハのライダーには、その重心の高さから来る操縦性の重さが大きな不満で、それを解決する為のものだったのです。

エンジンを大きく前傾させた上に、吸気~排気を一直線にレイアウトする為、エアクリーナーは通常のタンクの前半分の位置に来てしまった為、タンクは通常のタンクの後ろ半分~通常エアクリーナーの来る位置にあり、縦長の形状をしています。そのタンクの低部は、キャブレーターよりも低い位置になるため、燃料ポンプも装備されていました。

重いタンクを車体の中央近くに持ってくることで、低重心化にも貢献していました。

そして、その変則レイアウト故に、外装のタンクは、プラスチック製のダミータンクになっていました。

ホイールも前後17インチで、前述の低重心化と併せ、安定性、操縦性、共に高いレベルにありました。

スタイルも、FZ400Rがレーサーレプリカであったのに対して、あくまでも目新しさを狙ったスタイルでしたが、2年弱でレーサーレプリカのFZR250にバトンタッチし、より売り上げが上がった辺りからも、イマイチ支持されたとは言えませんでした。

まあ、173センチの私位の身長が乗っても、かなりバイクが小柄に見えてしまうのも、その理由だったと思います。

そして、既に述べた通り、その凄まじい吹け上がりから、高回転を多用した走りが印象的でした。

高回転を多用し、ビュイーンという独特な高周波の音を奏でながら疾走するのが快感なのですが・・・それが実際に速いか・・・というと、メーターを見ると、アレ?っと思うことがありました。

それでも、実用的なスピードで、あれだけ高回転を多用して思い切り走れるというのも、爽快で良いものですね・・・。しかも、水冷のお陰で、熱的にも安定していました。

ただ、このエンジンも、当時のヤマハの例に漏れず、前述の凄まじい吹け上がりを演出する為に、スロットルの開閉角が、かなり小さく設定されていたのではないでしょうか?

少し開いただけで急激に吹け上がり、驚いて戻すと、今度は強烈なエンジンブレーキを食らいます。FZ400Rなんかと同様、慣れないとギクシャクしたものでした。

それに比べると、後のFZRは、かなり性格が穏やかになり、そしてスタイルも、より一般受けするものへと変貌しました。

このバイクが登場した85年といえば、ヤマハがHY戦争に敗北し、大量の不良在庫を抱え、経営がひっ迫していた時代でした。
それまで中途半端な位置づけであった4ストも、スポーティー路線に振ることで、何とかイメージを構築しつつあった…正にそんな時代でした。

そんな流れの中、フェーザーも一応の成功は収めたものの、後に似たようなコンセプトで出てきたCBR250Fにマーケットをさらわれた…というのも、やはりヤマハでした…。

ヤマハXZ400/ 550

ヤマハ
07 /10 2016
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80年代初のヤマハは、4ストロークの位置付けに相当迷いがあった様ですが、やはり2ストローク専業であったことを考えると、4ストロークは、ツアラー的な位置付けであったのは、当時の関係者の話しからも間違いありません。

そして80年代初頭というと、所謂HY戦争と言われた中で、ホンダに対して全てのクラスにライバルを投入する…という意気込みがありました。

このバイクの水冷V型2気筒、シャフトドライブ…という出で立ちは、ホンダGL500/400への対抗馬として開発されたのでしょうか?

ホンダのOHVに対して、コチラはDOHC、ホンダの横置きに対して、コチラは一般的な縦置きVツインで、ホンダの80度に対して70度…ある意味、何から何までホンダを意識した上で変化を与えた…という風に、私には見えてしまいます。

Vツインというのは、90度で理論的に一時振動がゼロになりますが、それでは余りにスムーズ過ぎる…という事で、若干鼓動を残す為に生まれたのが、ホンダの80度Vツインでした。

70度というのは、それよりも更に鼓動感を狙った…という事なのでしょうか?

馬力もGL500/400の50/40馬力に対して、XZ550/400では、64/45馬力と、より高出力になっています。

フレームは、ホンダのダイヤモンドフレームに対して、コチラはダイヤモンドフレームと、ダブルクレードルフレームの中間の様な、摩訶不思議な格好をしていました。

200キロ近い車重もといい、ヨーロピアンツアラーといった出で立ちといい、やはり、ホンダGLを何処かで意識していたのかも知れません。

巨大なタンクといい、何処から何処までもカクカクで美しさの感じられないデザインでした。その上、後にカウル付きバージョンが追加されますが、コチラはXJ650ターボを思わせる、これまたカクカクで醜いものでした。

値段も50万近く、ホンダCBX400Fよりも高価なものでした。これでは売れる訳も無いですね…。

当時のヤマハは、ヨーロピアンツアラーに拘りがあったのでしょうか?70年代後半のGX750といい、XV750Eといい、シャフトドライブの大型車を幾つも投入したものの、皆不人気に終わってます。

そして、この頃にはホンダのニューモデルの乱発が始まり、その結果、ヤマハはYH戦争に惨敗し、多くの不人気車の在庫を抱える羽目になってしまいました。そして、このバイクも、かなり後までカタログに掲載されていたものでした。

最低限、外装だけでも何とかすれば、もう少しマシになったと思うのですが…当時のバイク乗りの平均年齢を考えると、何れにしても、成功は望めなかったのかも知れません。



ヤマハ SDR

ヤマハ
06 /19 2016
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1987年の今頃、突如として登場したのが、ヤマハSDRでした。

オフローダーDT200のエンジンを、スリムなシャシーに搭載し、重量は僅か105キロと軽快なもので、ヤマハとしては、走る楽しみを提案した…という事です。

105キロという超軽量シャシーに、34馬力のコンパクトな水冷2ストローク単気筒エンジン…コレだけでも、見る人が見れば、如何に凄いかが分るというものです。
事実、当時のバイク雑誌では、大変にセンセーショナルに取り上げられたものでした。

しかし、その特徴的なスリムなシャシーは、原付の様に見え、折角苦労して中型免許を取ったライダーからは、見栄えがしないといって不評でした。

当時のこのクラスの顧客というと、殆どが免許取立ての10代で、しかもバイクを初めて買うという人たちで、そうなると、どうしても大柄で見栄えがして、もっとパワーが有って、タンデムも出来て…といろいろな要求が出てくるのでした。

コンセプトとしては悪くないものの、やはり、もう少し全体的にボリュームがあった方が良かったと、私も思います。正直、日本人の平均的体系でも、物凄く小さく見えてしまうので・・・。

時代は正にレーサーレプリカブームの真っ只中、NSRの様な、本来なら特殊極まりない少数派であるはずのバイクがブッチギリでベストセラーになった時代です。

そんな中で、絶対的なパワーで劣り、しかも小さ過ぎて見栄えがしない…となると、やはり売れないのは仕方なかったのかも知れません。

本来なら、他にバイクを持っている人の2台目のバイク…というのが相応しいポジションなのでしょうが、残念ながら当時のマーケットに於いて、そのポジジョンは、極めて限られたもので、僅か一年という短い生産期間に終わっています。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。