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ニュージーランドの食べ物

ニュージーランドの話
03 /26 2022
私がニュージーランドに居た頃の話しですが、現地の人が「どうもアメリカやカナダの食べ物は味気ない」と言っているのを聞いたことがあります。

日本人からすりゃ、それは当然なのですが、同じ英国系を祖先とするニュージーランド人がアメリカやカナダの食べ物を…というのが少し意外に感じたものでした。

私もカナダに来て既に10年以上経ちますが、ここで改めてニュージーランドの食べ物を思い出してみようと思いました。

ソーセージシズル
ソーセージシズル
先ずは北米というと、ハンバーガーやホットドッグが手軽な食べ物ということになっていますが、ニュージーランドではホットドッグは一般的とは言えず、代わりにソーセージシズルが一般的です。

これはソーセージをコッペパンではなく、普通の食パンの上に乗せたモノですが、イベントなんかが有ると、必ず屋台が出ていて、当時で大体1〜1.5ドルという非常に手頃な価格で購入できたものでした。

ただコレ、店では売ってないんですよね…。

ソーセージは、北米で使う様なタイプではなく、生のタイプのもので、同様な物は此方でも販売されていますが、かなり割高な上に、正直味も塩辛いだけでイマイチです。

ニュージーランド・パイ
Big Benのパイ
そして軽食の定番といえば、やはりミートパイでしょう。

コレは既に記事で取り上げましたが、このビッグベンのものが一番一般的です。
この手はスーパーで冷凍物を買うことも出来ますし、コンビニで温めたものを買うことも出来ましたし、よく街にあるテイクアウトの店では、フィッシュ&チップスと共に定番となっています。
種類も豊富ですが、どれも外れはありませんでした。

バンクーバーにも以前、NZスタイルのパイの店が有ったものの、非常に高価な上に味もイマイチで、長く続きませんでした。そして冷凍食品で似たような物も売っていますが、もう一回買おうとは思えませんでした。

キウィバーガー
キウィバーガー
ニュージーランドにもハンバーガーは有りますが、コレに関しては、私は特別何とも思いません。
写真はマクドナルドのキウィバーガーですが、大きな特徴が、ビートルートが入っていることです。
私はビートルートが苦手なこともあり、例えばテイクアウトの店でハンバーガーを買う場合でも、ビートルートは抜いて貰っていました。

フィッシュ&チップス
fish-and-chips
コレは英国圏なら当たり前の軽食ですが、私が滞在していた頃は、5ドルも出せば満腹になりました。
魚はタイが一般的でした。日本では高価なタイも、ニュージーランドでは安価で、そこら辺で普通に釣れる魚なのです。

カナダでも当然有りますが、魚はホッケが一般的なのが違いで、味は兎も角、非常に高価で気軽に手を出せる様な価格とは言えません。

やはりフィッシュ&チップスなんて物は、新聞紙に包んで…コレが定番なのです!

フィッシュ&チップスのついでに冷凍食品の魚フライですけど、Sealoadという会社のこの製品は、フィシュ&チップスの様な食べ方も当然ですけど、日本の天ぷらに非常に近い味で、うどんに入れて、天ぷらうどんとして十分以上に通用する味でもありました。

Sealord fish tempura

当然カナダにも似たような物はありますが、味は数段劣ります。

シーフード
ニュージーランドでシーフードというと、先ずはサーモンになりますが、これは有名なカナダのサーモンよりも脂が乗っていて、数段美味しいと思います。スモークサーモンも間違いなくカナダよりも美味しいでしょう。

魚でいえば、タイが一般的で、非常に手軽な値段で買うことが出来ます。
そしてスーパーで売っているこの手の魚が生で食べられる品質で、自分で捌いたサーモンとタイの刺し身は正に絶品です。

それ以外はムール貝が粒が大きく、非常に安く手に入ります。カナダでは遥かに粒の小さいものが倍以上の値段で売られています。

カナダでは当たり前に売られているカニやロブスターが殆ど売られていませんが、既にカナダのソレも一般人には手が出ない様な価格になっています。

ジュース
Keri Juice

ジュースも果汁100%のものは、やはりニュージーランドの方が美味しかった様な気がします。
Just Juice、Keri、Mill Orchard... といった独自のブランドは、トロピカーナの様なお高く止まったブランドよりは確実に安く、しかも味も上だったと思います。

Mill orchard apple juice

個人的にはMill Orchardのアップルジュースが気に入っていたんですが、何故かカナダでは透明なタイプしか無くて、味気ない気がします。

L&P
L&P in Paeroa
- パエロアにあるL&P のモニュメント

ソフトドリンクでは、L&Pというのが現地の製品で、人気でした。
少しカナダドライに似た様な味なのですが、より上品な味だと思います。
L&PというのはLemon & Paeroaの略で、その名の通り、オークランドから120キロ程離れたパエロアという田舎町で作れれています。

120キロも走ると、既に片側1車線の田舎道で完全に違う文化圏となりますが、バンクーバーから120キロというと、まだグレーターバンクーバー内だということを考えると、やはり国土の大きさが違いますね…。

Whittker'sチョコレート
Whittker's Chocorate
チョコレートもWhittker'sを超えると言える物は中々無いでしょう。
アメリカやカナダのチョコレートは、どれも甘過ぎて、砂糖の味しかしませんし、ヨーロッパ製のものも特別コレ…と思う様なものはありませんでした。Whittker'sはその甘さも絶妙なレベルで、私が日本の土産に持って買えるのも今はカナダでも手に入る様になったコレです。

フィジョア
fijoa

果物はキウィフルーツ…と言いたい所ですけど、キウィフルーツはニュージーランドで食べると、実はあまり美味しくないのです。それは、収穫を一度に行ってしまう為、そのスケジュールが海外向けに適したものになっているのです。
国内では遥かに早く市場に出回る為、ガチガチで食べられたものでは無い状態で店に並ぶのです。そして輸出先に到着する頃には、丁度いい具合になっているのです。

…という訳で、ココではフィジョアを挙げておきます。これは元々中南米原産ということなのですが、ニュージーランドでは手頃な価格で非常に幅広く普及しています。

リアルフルーツアイスクリーム
real fruit icecream
あとはアイスクリーム…これはよく郊外の農場なんかで売っているものなのですが、本物の果物を混ぜ込んだリアルフルーツアイスクリームです。

イチゴ系統が多いのですが、郊外の農場で果物や野菜を買いながら、こんなのも一緒に買うのです。

アイスクリームの序ですが、欧米で夏によく見掛けるアイスクリームトラックにも、カナダとは大きな違いがあります。
ニュージーランドでは、主にソフトクリームが売られているのに対して、カナダのソレは、一般的に店で販売されているのと同じ様なアイスクリームが売られているだけです。

当然手頃で美味しいニュージーランドのソレに比べると、カナダのソレは店で買うよりもかなり割高で、しかも店と同じとあっては、とても買おうなんて気にはなりません。



こうやって色々と見て行くと、種類としては多くはないものの、その一つ一つがカナダに比べて美味しいというのは、やはり事実なのかも知れません。

例えばイースターの季節に売られるホットクロスバンにしても、此方で売られているものは、ニュージーランドで普通にスーパーで買っていた物に比べて数段劣りますし、よくコーヒーショップなんかで売られているバナナケーキ…コレはニュージーランド時代、仕事場にトラックで売りに来ていた人のモノ以上のものをコチラでは全くお目にかかれません。

ニュージーランドは90年代まで、旧英国植民地の中で最もイギリス的な国といわれていました。
そして、限られた物資の中で工夫を凝らしてきた歴史もあります。

ソレに比べると、物資に溢れている上に大した工夫をするでも無い、更にはアメリカの悪影響を受けやすいカナダは、どうしても大味になり易いのかも知れません。

反面、ニュージーランドの牛肉は正直苦手でした。非常にニオイが強く、何をやっても柔らかくならないので、アジア系の店で薄切りしか買わなくなりました。
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ニュージーランドの自動車産業 Cooper Henderson Motors

ニュージーランドの話
11 /24 2016
イメージ 1
- Cooper Henderson Motorsの跡地…一体何店舗に分割されている事やら…。

私が最初にニュージーランドで勤務したのが、既に取り上げたMacdonald Halligan Motorsでしたが、実は同じ時、もう一つの内定を受けていたのでした。

仕事を探すに当たり、自動車関係の人材派遣会社に登録しており、そこからの紹介だったのです。

Cooper Henderson Motors...初めて面接に行った時、その店舗の大きさに圧倒されたものでした。
敷地一杯に整然と並べられた展示車の数には、圧倒される思いがしたものでした。

しかし…ココはヒュンダイのディーラーで、ヒュンダイなど全く興味の無い私には、その規模の大きさとは裏腹に、イマイチ興味が湧かなかったのです。

通勤に高速を使って20キロ以上のマヌカウ市という立地条件も、躊躇した理由の一つでした。
時給では、Macdonald Halliganよりも1ドル上だったのですが、そんなのはガソリン代でチャラです。

そして、何気なく新聞で見かけた求人に応募したのですが、ソレがMacdonald Halliganだったのです。

家からも5キロ程度の距離で、通勤に楽なこと、シトロエンのディーラーで、かつスバルやミツビシを取り扱っている…といことで、ヒュンダイよりは魅力的に思えたこと、そして面接を受けたサービスマネージャーの感じが良かったこと、全体的な雰囲気が何となく…という具合に、同社の内定を受けることにしたのです。

ところが、私が入社して1年ほどで、シトロエンのフランチャイズを失い、中古車専門店になってしまいました。

同じ頃、久々にCooper Hendersonの前を通ったところ、ヒュンダイの他にも、スズキの販売を始めており、「こりゃ失敗だったか?」と真剣に思ったものでした。

それから更に1年ほど経った頃、中古車を探しにマヌカウ市に行った時、ふと思い出してCooper Hendersonに行ってみると…あの巨大な敷地が空っぽになっているじゃないですか!

移転の看板が立っており、地図に書かれた新しい場所は、そう遠く無い所でした。

より静かな場所なので、移転して規模を拡大したのか…と思いながら、その場所に行くと、ソコには衝撃的な光景が広がっていました。

イメージ 2
 - 移転後のクーパーヘンダーソンの有った場所…。

そこには、かつて小さな工場であったであろう粗末な建物があり、そこで僅か10数台の中古車を並べただけの小さな中古車屋になっていたのです!
そして、少し離れた所に、小さな整備工場が有ったらしいのですが…。

その少し前まで、あれだけ大きな拠点を構えていた店が…正に衝撃的なことでした。

Macdonald Halliganにしておいて良かった…と、心底思ったものでした。

当時の私の会社の部品部門の一人が、以前ソコで働いていたことがあり、有名で規模が大きい割りに、経営が不安定で、評判もイマイチであった…という事でした。

話しによると、Macdonald Halliganと同様、長年ミツビシの販売をしていた会社だそうで、Cooper Hendersonのあの巨大な敷地はリースで、月に100台の中古車を売ってトントン…という状態であったそうです。

ところが、更に1年後、我がMacdonald Halliganも、大リストラを行い、似たような状況に成ったのですが…しかし、コチラは土地を所有していたことから、経営上は安定していたのが、大きな違いでした。

それから更に1年後には、Cooper Henderson社は完全に閉鎖となり、あの裏通りの新しい敷地も、他者の手に渡っていました。

かつての広い敷地には、大量の展示車が並び、しかも現在は埋められてしまっていますが、写真の入り口から入ると、裏の整備工場まで続く地下トンネルまで有ったのです!

当然、写真のピザハットの建物も無く、皆車で埋め尽くされてたものでした。

ココも、地元の人なら、誰でもその名を知っている名門でした。
そんな豪華な車のディーラーの建物が、今や、どうでも良い様な店の集合体になっています。

そして、この会社に関しても、ネットで検索しても、情報は皆無です。唯一、日本語の当サイト以外では…。

NZネタを書いているうちに、ふと思い出したネタでした・・・。

ニュージーランドの自動車産業 ホンダ・ニュージーランド

ニュージーランドの話
11 /23 2016
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 - ホンダ・ニューマーケット…かつてBMC系のディーラーでした。

西暦2000年…既に16年も前の話しになるんですね…。

ホンダニュージーランドは、大規模なリストラを発表し、当時オークランドに6社あったディーラーの内、4社からフランチャイズを引き上げることを発表しました。

そのウチの2社は、私も鮮明に覚えています。

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 - Pacy Motors...中古車屋として営業していますが、ショールームは細かく分割されています。

Percy Honda・・・オークランドのダウンタウン近郊のGrey lynnにあり、この地で最初に目にしたホンダのディーラーでした。

オークランドのダウンタウンの南端にあるKロードを東に向かって少し歩いた辺りで、この辺りにも、多数の自動車ディーラーが点在しています。

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 -Paul Fahey Hondaの跡地…反対側にショールームが有りました。

そして、もう一社がPaul Fahey Honda・・・コチラはオークランドから車で20分ほどの海沿いの町、St. Heliersにありました。

周囲を高級住宅地に囲まれていることもあり、ユッタリとっした風光明媚な小さな町で、オークランドに来て直ぐの私は、「こんな所で仕事できたら良いな…」なんて思ったものでした。

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Paul Fahey氏は元々自動車レースで名を上げた人物で、長年マツダのディーラーを同地で展開しており、後にホンダに転向したのです。

ビジネス的にも上手く行っており、閉鎖する理由は何も無かったものの、ホンダとしては、拠点を集約することでコストを抑え、そして独占販売する方向に向かったのです。

6社のうちの4社が閉鎖・・・それだけ聞いただけでも、ユーザーの事などまるで頭に無いことが分かるというものです。

皆さんもご存知の様に、車というものは、サービスに出すには、車を置いてこないといけません。

特に公共交通機関の貧弱なニュージーランドでは、車を整備工場に置いてきた後、仕事に行くなり、家に帰るなりが切実な問題なのです。

それ故に近くにディーラーが有るというのは、日本以上に重要な事だったのですが…。

Paul Fahey Hondaの件は、裁判にまで発展し、高等裁判所まで行きましたが、結局フランチャイズは失い、暫く中古車販売を行っていたものの、程なくして閉鎖となりました。

そして後に、Paul Fahey氏がニューマーケット・ホンダに入社した…という噂を聞きました。

仮に氏がマツダのままだったら…と考えたら、実は同じ頃、マツダの販売をフォードが受け持つことになり、少数がフォードに鞍替えしたものの、大部分のマツダのディーラーも閉鎖されたので、恐らく同じ運命であったことでしょう。

先に挙げたPercy Hondaも、同時期にフランチャイズを失い、中古車販売業者になりましたが、同社の場合、ダウンタウンに近い地の利も有ってか、ショールームを他社に貸し出したりしながら、今日まで営業しています。

しかし、同社のホームページを見ると、社史の部分でも、ホンダに関する記述が一切無いのに、逆に驚かされます。それだけ強引で後味の悪い幕切れだったことは、容易に想像が付きます。

ニュージーランドでは堅調にビジネスを展開するホンダですが、その陰で、こんな形でディーラーと顧客に犠牲を強いていたのです。

同じくニュージーランドの常で、こんな僅か16年前の話しですら、現在、完全に忘れ去られており、ネットで検索しても、殆ど情報は出てきません。それを記述するのが、当時ニュージーランドに来たばかりであった日本人の私…残念な事です。

ニュージーランドの自動車産業 Macdonald Halligan Motors

ニュージーランドの話
11 /22 2016
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 -オークランドのアルバートストリートにあった建物は現存しています。

私がニュージーランドに行って最初に就職したのが、Macdonald Halligan Motorsでした。

同社の創業は1938年、第二次大戦開戦の前年のことでした。
現在の経営者の父が創業し、今日まで営業を続けています。

それだけ古い会社で、かつてはTVやラジオでCMを流していたこともあり、ある程度の年代の人なら、誰でも知っていたものでした。

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 - 上の写真の建物の現在…ショールームは空で、駐車場として使われています。

元々はイギリスのルーツグループ、及びクライスラーの販売を行っており、特にオーストラリア製のヴァリアント、チャージャー、ヒルマン・ミンクス等は、私の在籍していた当時ですら入庫していました。
後にクライスラー繋がりでミツビシの販売も始めました。

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 - 裏に整備工場への入り口があります。私の知っている限りでは、駐車場として使用されていました。

元々オークランドのダウンタウンで創業しましたが、70年代には東オークランドのパンミュアに移転し、80年代に自動車ディーラー街のグリーンレーンに移転し、現在もその土地は所有しています。

他にも兄弟会社としてLe Marque Europeanを展開し、プジョー、シトロエン、アルファロメオ、ボルボといったブランドも販売していましたが、この会社を大きく変えたのが、96年にミツビシのフランチャイズを失ったことでした。

時代的に日本の中古車の影響を受け始めた頃で、ミツビシは、その地域の販売トップの企業以外からフランチャイズを取り上げたのです。
その時、ダイアグ端末等、実費で購入した機材まで返却を求められ、大いにもめたそうです。

その後、スバルの販売を始めますが、コレも2000年にはフランチャイズを失っています。

私が入社したのは、道路を挟んで向かいに別のスバルのディーラーが出来、丁度スバルのディーラー権を失った時で、唯一シトロエンの新車販売は続いていました。

正規ディーラーではなくなったものの、日本から輸入したスバル、ミツビシの中古車販売は好調で、長い歴史故に顧客の数は多く、しかもサービスの評判も良かった為に、独自でサービス部門を維持する為に、日本語の情報を取り寄せる必要があったのです。

ソレが私を採用した理由だったのですが、同社はベテランばかりで、サービスも部品も、向かいのスバルの正規ディーラーよりも評判は高かったのです。

ところがその頃、急激にオークランドの地価が高騰し始めたのです。中国人の土地爆買いが始まったからなのですが、そんな中で同社が選んだ道は、敷地を貸し出して、家賃収入を得ることだったのです…。
私が入社して3年程経った頃でした。

オークランドの自動車ディーラーの集まる地域で最も良い敷地を所有していたのですが、ソレをクライスラーのディーラーに貸し出し、サービス部門は閉鎖、中古車部門だけが裏通りに移転…という話しになったのです。

同社も元々クライスラーであったことを考えると、非常に良く出来た偶然でした。

サービスは皆優秀な人たちばかりで、部門閉鎖の話しは業界内を駆け巡り、アチコチから声が掛かったのですが…私は長期休暇が欲しかったので、先の無い会社で仕事をする気も無くなり、数日間行方不明になったところ…移転先に小さなサービス工場を設けるから一緒に来る様に…という話しになり、私ともう一人がソコに行くことになったのです。

その移転先というのは、かつて、同社の大きなサービス工場及び部品部門が有った所なのですが、私の入社した時には既に閉鎖されており、既に細かく分割して貸し出されており、私たちに残ったのは、リフト二基、洗車スペース2台分という小さなスペースだったのです。

移転に当たり、社長は出来る限りモノを廃棄したい考えで、出来る限り残したい私とは相反するものでした。そこで毎日退社後、出来る限りの物を車に積んで、密かに移転していました…一度社長に見つかりましたが、それでも止めませんでした。

結局そこで2年間働いた後、予定通り長期休暇の為に退社しましたが、既にもう一人も退社しており、私の退社でスバル、ミツビシ、シトロエン他の技術は、同社から完全に失われ、そして後に、サービス部門は完全に閉鎖となりました。

現在も同社の営業は続いているものの、創業者の息子兄弟、営業、経理と僅か四人で全てをこなしています。

輸入中古車の解禁は、ニュージーランドの新車ディーラーに大きな影響を与えました。

かつてはオークランドの中にも同メーカーのディーラーが何社も有ったものが、各メーカー一社になってしまいました。小さいマーケットの中で、下手に競争するよりも、独占販売することで、利益を確保しようとしているのです。

そんな中で、多くのディーラーがフランチャイズを失った後、暫く中古車業者として営業した後に廃業したり、または他社に併合されたりして、その姿を消していきました。

Macdonald Halligan Motorsの場合、不動産を所有していたことから、経営が安定しており、しかも新車販売から手を引いたことで経費を節約し、更に不動産を貸し出す事で利益を出し、その上、自動車ビジネスを小規模ながらも続けることで、本業は不動産業でありながら、自動車販売業として体裁を整えており、税制上も優位に働いている様です。

従業員の目からすると、全く発展性の無い会社ですし、かつてを知る顧客からしても、凋落し、正に倒産寸前の様に見えながらも、実は大きく店を構えて新車を販売していた時よりも利益を出している・・・という珍しい一例です。

以前紹介した自動車生産まで行っていた大手ですら、殆ど情報が残っていないのがニュージーランドの現状です。Macdonald Halliganに関しても、自社サイト以外、情報はほぼ皆無です。

ニュージーランドという国は、ビザなしでオーストラリアで合法的に働ける関係で、優秀な人程国外に出てしまいます。そして、その代わりに移民が流入するのですが、過去20年で、人種の分布が大幅に変わると共に、かつての古きよき時代に対する記憶が、急速に失われています。

今日アルバートストリートに残る同社の建物跡が、辛うじて、かつての栄光を今日に伝えているに過ぎません。

Campbell Motors ニュージーランドの自動車業界

ニュージーランドの話
11 /11 2016
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 - クイーンストリートに残っていた跡地は、既に取り壊されてしまいました。

Campbell Motorsは、かつてオークランドを拠点として、ウィリスやスチュードベーカーを販売していたディーラーですが、1939年にオークランドから115キロ程離れたテームズにマフラー等の部品工場を設立し、そして63年には新たな工場を設立し、AMCの組み立てを開始しました。

後に同社は、プジョー、日野・コンテッサ、いすゞ・べレットといった車種も加わり、最終的にはトヨタも加わり、ニュージーランド初のカローラは、同社で組み立てられました。

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こんな具合に主にマイナー系の集合体といった感じだったのですが、AMCのランブラーは、68年に本国での生産が中止された後も、生産され続け、主にオセアニア地域で販売されていました。

70年代末に、筆頭株主が変わり、トヨタ・ニュージーランドとして再編され、今日に至っています。

現在でもテームズの工場では、日本から輸入した中古車のメンテナンスが行われており、それ等は「シグネチャークラス」と呼ばれ、トヨタのディーラーから保証付きで販売されています。

以前紹介した会社は、既に車業界から撤退しているのに対して、コチラは名前こそ残っていないものの、トヨタ・ニュージーランドとして生き残っており、かつての組立工場も健在・・・という一例です。

本家であるオークランドのディーラーは…というと、実は、メインストリートのクィーンストリートに有ったのです!

つい最近まで、Real GroovyというCDなんかを取り扱った雑多な店が有ったのですが、それがCampbell Motorsのショールームだったのです。

私が記憶しているのは、その下にCity Garageという整備工場が営業していたことです。見た感じ、大変に古臭いのですが、良く見ると結構なスペースの整備工場であったことから、もしかしたらココ、元は何処かのディーラーだったのでは…?なんて思ったら、実にその通りだったのです。

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残念ながら、この建物も相当老朽化しており、しかも、折からの地価高騰も手伝って、高層マンションに建て替えられてしまいました。

こうして、また一つ、オークランドのランドマークが消えていきました。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。