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ニュージーランドの自動車産業 Cooper Henderson Motors

ニュージーランドの話
11 /24 2016
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- Cooper Henderson Motorsの跡地…一体何店舗に分割されている事やら…。

私が最初にニュージーランドで勤務したのが、既に取り上げたMacdonald Halligan Motorsでしたが、実は同じ時、もう一つの内定を受けていたのでした。

仕事を探すに当たり、自動車関係の人材派遣会社に登録しており、そこからの紹介だったのです。

Cooper Henderson Motors...初めて面接に行った時、その店舗の大きさに圧倒されたものでした。
敷地一杯に整然と並べられた展示車の数には、圧倒される思いがしたものでした。

しかし…ココはヒュンダイのディーラーで、ヒュンダイなど全く興味の無い私には、その規模の大きさとは裏腹に、イマイチ興味が湧かなかったのです。

通勤に高速を使って20キロ以上のマヌカウ市という立地条件も、躊躇した理由の一つでした。
時給では、Macdonald Halliganよりも1ドル上だったのですが、そんなのはガソリン代でチャラです。

そして、何気なく新聞で見かけた求人に応募したのですが、ソレがMacdonald Halliganだったのです。

家からも5キロ程度の距離で、通勤に楽なこと、シトロエンのディーラーで、かつスバルやミツビシを取り扱っている…といことで、ヒュンダイよりは魅力的に思えたこと、そして面接を受けたサービスマネージャーの感じが良かったこと、全体的な雰囲気が何となく…という具合に、同社の内定を受けることにしたのです。

ところが、私が入社して1年ほどで、シトロエンのフランチャイズを失い、中古車専門店になってしまいました。

同じ頃、久々にCooper Hendersonの前を通ったところ、ヒュンダイの他にも、スズキの販売を始めており、「こりゃ失敗だったか?」と真剣に思ったものでした。

それから更に1年ほど経った頃、中古車を探しにマヌカウ市に行った時、ふと思い出してCooper Hendersonに行ってみると…あの巨大な敷地が空っぽになっているじゃないですか!

移転の看板が立っており、地図に書かれた新しい場所は、そう遠く無い所でした。

より静かな場所なので、移転して規模を拡大したのか…と思いながら、その場所に行くと、ソコには衝撃的な光景が広がっていました。

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 - 移転後のクーパーヘンダーソンの有った場所…。

そこには、かつて小さな工場であったであろう粗末な建物があり、そこで僅か10数台の中古車を並べただけの小さな中古車屋になっていたのです!
そして、少し離れた所に、小さな整備工場が有ったらしいのですが…。

その少し前まで、あれだけ大きな拠点を構えていた店が…正に衝撃的なことでした。

Macdonald Halliganにしておいて良かった…と、心底思ったものでした。

当時の私の会社の部品部門の一人が、以前ソコで働いていたことがあり、有名で規模が大きい割りに、経営が不安定で、評判もイマイチであった…という事でした。

話しによると、Macdonald Halliganと同様、長年ミツビシの販売をしていた会社だそうで、Cooper Hendersonのあの巨大な敷地はリースで、月に100台の中古車を売ってトントン…という状態であったそうです。

ところが、更に1年後、我がMacdonald Halliganも、大リストラを行い、似たような状況に成ったのですが…しかし、コチラは土地を所有していたことから、経営上は安定していたのが、大きな違いでした。

それから更に1年後には、Cooper Henderson社は完全に閉鎖となり、あの裏通りの新しい敷地も、他者の手に渡っていました。

かつての広い敷地には、大量の展示車が並び、しかも現在は埋められてしまっていますが、写真の入り口から入ると、裏の整備工場まで続く地下トンネルまで有ったのです!

当然、写真のピザハットの建物も無く、皆車で埋め尽くされてたものでした。

ココも、地元の人なら、誰でもその名を知っている名門でした。
そんな豪華な車のディーラーの建物が、今や、どうでも良い様な店の集合体になっています。

そして、この会社に関しても、ネットで検索しても、情報は皆無です。唯一、日本語の当サイト以外では…。

NZネタを書いているうちに、ふと思い出したネタでした・・・。
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ニュージーランドの自動車産業 ホンダ・ニュージーランド

ニュージーランドの話
11 /23 2016
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 - ホンダ・ニューマーケット…かつてBMC系のディーラーでした。

西暦2000年…既に16年も前の話しになるんですね…。

ホンダニュージーランドは、大規模なリストラを発表し、当時オークランドに6社あったディーラーの内、4社からフランチャイズを引き上げることを発表しました。

そのウチの2社は、私も鮮明に覚えています。

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 - Pacy Motors...中古車屋として営業していますが、ショールームは細かく分割されています。

Percy Honda・・・オークランドのダウンタウン近郊のGrey lynnにあり、この地で最初に目にしたホンダのディーラーでした。

オークランドのダウンタウンの南端にあるKロードを東に向かって少し歩いた辺りで、この辺りにも、多数の自動車ディーラーが点在しています。

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 -Paul Fahey Hondaの跡地…反対側にショールームが有りました。

そして、もう一社がPaul Fahey Honda・・・コチラはオークランドから車で20分ほどの海沿いの町、St. Heliersにありました。

周囲を高級住宅地に囲まれていることもあり、ユッタリとっした風光明媚な小さな町で、オークランドに来て直ぐの私は、「こんな所で仕事できたら良いな…」なんて思ったものでした。

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Paul Fahey氏は元々自動車レースで名を上げた人物で、長年マツダのディーラーを同地で展開しており、後にホンダに転向したのです。

ビジネス的にも上手く行っており、閉鎖する理由は何も無かったものの、ホンダとしては、拠点を集約することでコストを抑え、そして独占販売する方向に向かったのです。

6社のうちの4社が閉鎖・・・それだけ聞いただけでも、ユーザーの事などまるで頭に無いことが分かるというものです。

皆さんもご存知の様に、車というものは、サービスに出すには、車を置いてこないといけません。

特に公共交通機関の貧弱なニュージーランドでは、車を整備工場に置いてきた後、仕事に行くなり、家に帰るなりが切実な問題なのです。

それ故に近くにディーラーが有るというのは、日本以上に重要な事だったのですが…。

Paul Fahey Hondaの件は、裁判にまで発展し、高等裁判所まで行きましたが、結局フランチャイズは失い、暫く中古車販売を行っていたものの、程なくして閉鎖となりました。

そして後に、Paul Fahey氏がニューマーケット・ホンダに入社した…という噂を聞きました。

仮に氏がマツダのままだったら…と考えたら、実は同じ頃、マツダの販売をフォードが受け持つことになり、少数がフォードに鞍替えしたものの、大部分のマツダのディーラーも閉鎖されたので、恐らく同じ運命であったことでしょう。

先に挙げたPercy Hondaも、同時期にフランチャイズを失い、中古車販売業者になりましたが、同社の場合、ダウンタウンに近い地の利も有ってか、ショールームを他社に貸し出したりしながら、今日まで営業しています。

しかし、同社のホームページを見ると、社史の部分でも、ホンダに関する記述が一切無いのに、逆に驚かされます。それだけ強引で後味の悪い幕切れだったことは、容易に想像が付きます。

ニュージーランドでは堅調にビジネスを展開するホンダですが、その陰で、こんな形でディーラーと顧客に犠牲を強いていたのです。

同じくニュージーランドの常で、こんな僅か16年前の話しですら、現在、完全に忘れ去られており、ネットで検索しても、殆ど情報は出てきません。それを記述するのが、当時ニュージーランドに来たばかりであった日本人の私…残念な事です。

ニュージーランドの自動車産業 Macdonald Halligan Motors

ニュージーランドの話
11 /22 2016
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 -オークランドのアルバートストリートにあった建物は現存しています。

私がニュージーランドに行って最初に就職したのが、Macdonald Halligan Motorsでした。

同社の創業は1938年、第二次大戦開戦の前年のことでした。
現在の経営者の父が創業し、今日まで営業を続けています。

それだけ古い会社で、かつてはTVやラジオでCMを流していたこともあり、ある程度の年代の人なら、誰でも知っていたものでした。

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 - 上の写真の建物の現在…ショールームは空で、駐車場として使われています。

元々はイギリスのルーツグループ、及びクライスラーの販売を行っており、特にオーストラリア製のヴァリアント、チャージャー、ヒルマン・ミンクス等は、私の在籍していた当時ですら入庫していました。
後にクライスラー繋がりでミツビシの販売も始めました。

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 - 裏に整備工場への入り口があります。私の知っている限りでは、駐車場として使用されていました。

元々オークランドのダウンタウンで創業しましたが、70年代には東オークランドのパンミュアに移転し、80年代に自動車ディーラー街のグリーンレーンに移転し、現在もその土地は所有しています。

他にも兄弟会社としてLe Marque Europeanを展開し、プジョー、シトロエン、アルファロメオ、ボルボといったブランドも販売していましたが、この会社を大きく変えたのが、96年にミツビシのフランチャイズを失ったことでした。

時代的に日本の中古車の影響を受け始めた頃で、ミツビシは、その地域の販売トップの企業以外からフランチャイズを取り上げたのです。
その時、ダイアグ端末等、実費で購入した機材まで返却を求められ、大いにもめたそうです。

その後、スバルの販売を始めますが、コレも2000年にはフランチャイズを失っています。

私が入社したのは、道路を挟んで向かいに別のスバルのディーラーが出来、丁度スバルのディーラー権を失った時で、唯一シトロエンの新車販売は続いていました。

正規ディーラーではなくなったものの、日本から輸入したスバル、ミツビシの中古車販売は好調で、長い歴史故に顧客の数は多く、しかもサービスの評判も良かった為に、独自でサービス部門を維持する為に、日本語の情報を取り寄せる必要があったのです。

ソレが私を採用した理由だったのですが、同社はベテランばかりで、サービスも部品も、向かいのスバルの正規ディーラーよりも評判は高かったのです。

ところがその頃、急激にオークランドの地価が高騰し始めたのです。中国人の土地爆買いが始まったからなのですが、そんな中で同社が選んだ道は、敷地を貸し出して、家賃収入を得ることだったのです…。
私が入社して3年程経った頃でした。

オークランドの自動車ディーラーの集まる地域で最も良い敷地を所有していたのですが、ソレをクライスラーのディーラーに貸し出し、サービス部門は閉鎖、中古車部門だけが裏通りに移転…という話しになったのです。

同社も元々クライスラーであったことを考えると、非常に良く出来た偶然でした。

サービスは皆優秀な人たちばかりで、部門閉鎖の話しは業界内を駆け巡り、アチコチから声が掛かったのですが…私は長期休暇が欲しかったので、先の無い会社で仕事をする気も無くなり、数日間行方不明になったところ…移転先に小さなサービス工場を設けるから一緒に来る様に…という話しになり、私ともう一人がソコに行くことになったのです。

その移転先というのは、かつて、同社の大きなサービス工場及び部品部門が有った所なのですが、私の入社した時には既に閉鎖されており、既に細かく分割して貸し出されており、私たちに残ったのは、リフト二基、洗車スペース2台分という小さなスペースだったのです。

移転に当たり、社長は出来る限りモノを廃棄したい考えで、出来る限り残したい私とは相反するものでした。そこで毎日退社後、出来る限りの物を車に積んで、密かに移転していました…一度社長に見つかりましたが、それでも止めませんでした。

結局そこで2年間働いた後、予定通り長期休暇の為に退社しましたが、既にもう一人も退社しており、私の退社でスバル、ミツビシ、シトロエン他の技術は、同社から完全に失われ、そして後に、サービス部門は完全に閉鎖となりました。

現在も同社の営業は続いているものの、創業者の息子兄弟、営業、経理と僅か四人で全てをこなしています。

輸入中古車の解禁は、ニュージーランドの新車ディーラーに大きな影響を与えました。

かつてはオークランドの中にも同メーカーのディーラーが何社も有ったものが、各メーカー一社になってしまいました。小さいマーケットの中で、下手に競争するよりも、独占販売することで、利益を確保しようとしているのです。

そんな中で、多くのディーラーがフランチャイズを失った後、暫く中古車業者として営業した後に廃業したり、または他社に併合されたりして、その姿を消していきました。

Macdonald Halligan Motorsの場合、不動産を所有していたことから、経営が安定しており、しかも新車販売から手を引いたことで経費を節約し、更に不動産を貸し出す事で利益を出し、その上、自動車ビジネスを小規模ながらも続けることで、本業は不動産業でありながら、自動車販売業として体裁を整えており、税制上も優位に働いている様です。

従業員の目からすると、全く発展性の無い会社ですし、かつてを知る顧客からしても、凋落し、正に倒産寸前の様に見えながらも、実は大きく店を構えて新車を販売していた時よりも利益を出している・・・という珍しい一例です。

以前紹介した自動車生産まで行っていた大手ですら、殆ど情報が残っていないのがニュージーランドの現状です。Macdonald Halliganに関しても、自社サイト以外、情報はほぼ皆無です。

ニュージーランドという国は、ビザなしでオーストラリアで合法的に働ける関係で、優秀な人程国外に出てしまいます。そして、その代わりに移民が流入するのですが、過去20年で、人種の分布が大幅に変わると共に、かつての古きよき時代に対する記憶が、急速に失われています。

今日アルバートストリートに残る同社の建物跡が、辛うじて、かつての栄光を今日に伝えているに過ぎません。

Campbell Motors ニュージーランドの自動車業界

ニュージーランドの話
11 /11 2016
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 - クイーンストリートに残っていた跡地は、既に取り壊されてしまいました。

Campbell Motorsは、かつてオークランドを拠点として、ウィリスやスチュードベーカーを販売していたディーラーですが、1939年にオークランドから115キロ程離れたテームズにマフラー等の部品工場を設立し、そして63年には新たな工場を設立し、AMCの組み立てを開始しました。

後に同社は、プジョー、日野・コンテッサ、いすゞ・べレットといった車種も加わり、最終的にはトヨタも加わり、ニュージーランド初のカローラは、同社で組み立てられました。

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こんな具合に主にマイナー系の集合体といった感じだったのですが、AMCのランブラーは、68年に本国での生産が中止された後も、生産され続け、主にオセアニア地域で販売されていました。

70年代末に、筆頭株主が変わり、トヨタ・ニュージーランドとして再編され、今日に至っています。

現在でもテームズの工場では、日本から輸入した中古車のメンテナンスが行われており、それ等は「シグネチャークラス」と呼ばれ、トヨタのディーラーから保証付きで販売されています。

以前紹介した会社は、既に車業界から撤退しているのに対して、コチラは名前こそ残っていないものの、トヨタ・ニュージーランドとして生き残っており、かつての組立工場も健在・・・という一例です。

本家であるオークランドのディーラーは…というと、実は、メインストリートのクィーンストリートに有ったのです!

つい最近まで、Real GroovyというCDなんかを取り扱った雑多な店が有ったのですが、それがCampbell Motorsのショールームだったのです。

私が記憶しているのは、その下にCity Garageという整備工場が営業していたことです。見た感じ、大変に古臭いのですが、良く見ると結構なスペースの整備工場であったことから、もしかしたらココ、元は何処かのディーラーだったのでは…?なんて思ったら、実にその通りだったのです。

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残念ながら、この建物も相当老朽化しており、しかも、折からの地価高騰も手伝って、高層マンションに建て替えられてしまいました。

こうして、また一つ、オークランドのランドマークが消えていきました。

Todd Motors... ニュージーランドの自動車産業

ニュージーランドの話
10 /21 2016
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ニュージーランドの自動車産業の特徴は、完成車に非常に高い関税が掛けられていた関係で、長いこと輸入部品を組み立てる「ノックダウン生産」が主流となっていたことです。そして、その組み立てが、メーカーによるもので無く、現地のディーラーレベルによって行われていた事も、その大きな特徴だったと言えるでしょう。

そんな中でも、Todd Motorsの存在は、忘れる訳に行きません。

この会社は、元々南島のオタゴを拠点としており、同地域に始めて車を持ち込んだのも、このファミリーで、1908年には、ダニーデンでフォードのディーラーを始めています。

その後、イギリスのルーツグループのディーラーになり、ヒルマン、ハンバー、コマーといったブランドの販売を手がけましたが、後に車のノックダウン生産にも参入し、ディーラー業のと同時に、クライスラーとルーツグループの組み立てを行い、後にミツビシの組み立ても行う様になりました。

私が以前勤務していた会社も、1938年にルーツグループとクライスラーの取り扱いを始めており、後に三菱も取り扱っていたという意味でも、非常に関わりの深い会社で、私の在籍した当時でも、Todd Motorsのステッカーの付いた車を結構見かけたものでした。

1980年代半ば、その社会主義性的な経済は破綻し、ニュージーランド経済は瀕死の状態に陥ったことから、改革開放路線を突き進み、その頃から日本の中古車の輸入が始まりました。

大手のTodd Motorsでさえ、年間生産台数が1万台程度という規模でした。お陰で新車の供給量は非常に限られており、注文してから納車されるまで2年も掛かる様な状態だったのです。

色も装備も運次第…とにかく新車が手に入るだけ有りがたいという有様で、それ故に中古車価格も高止まり、新車価格も然り…。

ところが、日本からの中古車は、現地生産の車に比べ、非常に割安な上に、装備が大変に充実していたことから、急速に顧客を奪われて行ったのです。

雨後の筍の様に個人輸入業者が現れ、下手すると、日本に旅行する人にまで、車を何か買って来る様に頼む程、その市場は急速に拡大して行ったのです。

そんな中でこの会社は、非常に身替りが早かった様で、1987年、ディーラー網と組立工場を三菱に売却し、自動車業界からは撤退しています。

その後、多くの老舗ディーラーが苦境に陥り、その多くが廃業した事を考えると、非常に賢明な選択だったのかも知れません。

そして、その時点で現地生産に乗り出すミツビシも…やはりダメな会社ですね…。

現地生産も、その後は撤退が相次ぎ、1997年のホンダが最後となり、ニュージーランドの自動車産業は消滅しました。

Todd Motorsは、ニュージーランドの自動車産業の黎明期に誕生し、そして、改革開放による国内自動車産業の崩壊の前に撤退...正にニュージーランド自動車産業の「古き悪しき時代?」の象徴とも言える会社だったと言えるでしょう。

現在同社は、原油の輸入、販売を主なビジネスにしている様です。

全てを国内生産で賄おうとした経済政策のお陰で、物資の供給が非常に限られていたニュージーランドですが、反面、農作物を季節が逆のイギリスに独占的に販売していた関係で、経済は非常に安定しており、日本人にとって、まだまだ海外旅行が夢のまた夢の話しであったプロペラ機の時代、既に一般人が当たり前に海外旅行に行く位に豊かであったのですが、反面、その貧困な物資から、海外に行った人は、皆持ちきれない位の電化製品等を買ってくる…というのも、その時代の定番だったのです。

後にイギリスがECに加入すると、農作物の独占的な独占的な買取は不可能になり、更にその辺りから、より鉱工業に主力を置こうとしたものの失敗し、ニュージーランド経済は破綻に向かったのです。

そして1984年に首相に就任したデビッド・ロンギの元、徹底的な改革開放が行われ、現在に至っています。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。