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プリマス・カラベラ(カナダ)

プリマス
08 /20 2020
プリマス・カラベラ フロント

プリマス・カラベラという車は、アメリカとカナダでは少し違い、アメリカでは85年にFFのKカーベースで発売されたのに対して、カナダのソレは7年早い78年に発売され、旧型のFRシャシーでの登場でした。

このFRシャシーは、ダッジ・ディプロマットの直接の兄弟に当たりますが、コレはあの悪名高いダッジ・アスペン、プリマス・ヴォラーレ兄弟のより上のマーケットを狙ったモノでした。

実際には、アスペン・ヴォラーレ兄弟が余りに評判悪く、改良されても思うように販売が伸びなかった故に投入された…という面も大いに有ったことでしょう。

さて、このカラベラですが、こうやってフロント周りを見ると、ダッジ・ディプロマットとほぼ雰囲気が同じと言えますが、リアが中々面白い造形を見せています。

プリマス・カラベラ リア

初代プリマス・ヴァリアントを70年代風にアレンジし直した?様な雰囲気です。

プリマス・カラベラ サイド

そしてサイドビューは、アスペン・ヴォラーレ兄弟に比べて幾分フォーマルな雰囲気に仕上がっています。

1978年と言えば、リー・アイアコッカ氏がクライスラー社長に就任する前年、つまりクライスラーが倒産の危機にひんしている時期でした。

そんな時代にプリマスだけでもヴォラーレ、カラベラ、グランドフューリーと似た様な車を連発していたのには、改めて驚かされます。

元々市場規模の小さいカナダ専用車で、しかも錆の多さも手伝って、現存数も少なく、こんなキレイな個体は珍しいのではないでしょうか?

全長5.184m、全幅1.885mと、ほぼ4代目のキャデラック・セビルと同等のサイズでした。

当時はアスペン・ヴォラーレが品質問題で厳しい批判に晒されたこと、そしてクライスラー自身の経営危機もあり、当時のクライスラー車は正当な評価をされていたとは思えませんが、現在の目で見ると、アメリカもこのサイズをもう少し真剣に突き詰めていたら、また今日の状況も違っていたのではないか?と思えなくもありません。

そして、早くからこのサイズに力を入れていたクライスラーは、経営や品質管理に問題が有ったとは言え、やはり先見の明のあるメーカーであったのかも知れませんね!
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ミス・ベルベディア…50年の眠りから覚めて…

プリマス
04 /30 2020
Miss_Belvedere'_before

ミス・ベルベディア…50年の眠りから覚めて…


少し古い話しなので、ご存じの方も多いと思いますが、Yahooカナダを見ていたところ、この話のその後が紹介されていたので、取り上げてみました。

時は1957年、オクラホマ州タルサ市にて、オクラホマ州の50周年記念として、裁判所の地下にタイムカプセルを設け、そこに新車の57年プリマス・ベルベディア(愛称:ミス・ベルベディア)を納入し、同時に50年後の2007年のタルサ市の人口の予想を公募し、グローブボックス内にソレをマイクロフィルムとして納め、50年後の2007年に開封し、最も予想が当たった人にミス・ベルベディアをプレゼントする…という大変に夢のある壮大なイベントが行われたのです!

Miss_Belvedere'_before

時は冷戦の真っ只中、曰くこのタイムカプセルは、核兵器の攻撃にも耐える…という事だったのですが…。

時は流れ、2007年、ようやくそのタイムカプセルが開封される時が来たのですが…その衝撃的な姿がコチラ!

Miss belvedia 2007年

人々の前に50年ぶりに姿を表したミス・ベルベディアは、全身を錆に覆われた、ソレはひどい状態だったのです!

核兵器の攻撃に耐える筈のタイムカプセルも、水の侵入には耐えられなかったのです!

そして当選者は…というと、1979年に既に亡くなっており、当時100歳になる姉に所有権が移りましたが…こんなの貰っても困りますよね…!

Miss Belvedia after de-rest

先ずはニュージャージーのレストア業者に譲られ、サビ取りが行われましたが、一筋縄には行きませんでした。

miss belvedia interior

タルサ市も余りの失望から既に興味なし…。

miss belvedia belongings
- 一緒に収められた57年当時の小物…

最終的には、イリノイ州にあるヒストリック・オート・アトラクション博物館に寄付されることになりました。

Miss Belvedia after de-rest

そして現在の姿…。

このニュース、当時、その余りに酷い姿で発見されたことだけは知っていましたが、その後が有ったことを今日初めて知り、記事にしてみました。

あの当時、50年後に既にプリマスが無くなっているなんて、一体誰が予想したでしょうか?
アメリカ人が皆アメリカ車に熱狂し、毎年ニューモデルの発表をお祭り騒ぎで見守った50年代…。
正にこの時代ならではの夢のあるイベントだったと言えるでしょう。

仮に今、例えばダッジ・チャレンジャー辺りをタイムカプセルに収めた所で、「あっ、そう…」「税金勿体ない」で終わりそうです。

そして、ミス・ベルベディアのその姿は、正に現在のアメリカビッグ3の姿を風刺している様にすら見えてしまいます。

1962プリマス・バリアント

プリマス
12 /09 2016
イメージ 1

プリマス・バリアントは、1960年に登場したコンパクトカーです。

1960年には、フォード・ファルコンシボレー・コルベアといった同クラスのライバルが登場していますが、コレは、当時急激に増えていた輸入コンパクトカーに対応する為のものだったのです。

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50年代後半になると、アメリカの家庭で複数の車を持つのが一般的になり、1台目は家族の為のフルサイズ、そして2台目は奥さんの為の経済的なコンパクトカーというのが一般的だったのですが、その市場を軒並みVWやブリティッシュ・モータースの様な輸入車に奪われていたのでした。

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バリアントというと、角ばってシンプルな造形…という印象がありますが、初期のモデルは、こんなに凝った造形だったのです!

写真は、テールランプの形状から、62年モデルと推測できます。

元々は、独立したバリアントというブランドで登場したのですが、翌61年以降、プリマス・バリアントとなっています。

エンジンは、クライスラーの定評ある2.8リッターと3.7リッターの直6、車体も全長4670mm、全幅1790mmと、当時のアメリカ車としては、異例なほどコンパクトなものでしたが、何度も独特な存在感があり、以外と小さく見えないのが面白いところです。

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かつて、ウルトラマンの様な特撮には、色々な車が使われました。インペリアルを改造したポインターなんかが有名ですが、この車だったら、それこそ何もし無いでも使えそうな気がしますが…。

この特徴的なスタイルを維持したのは、たった3年で、その後はごく平凡なスタイルとなり、北米では76年まで生産されました。

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この車のもう一つの特徴は、北米のみでなく、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンといった中南米、オーストラリア、ニュージーランドのオセアニア、スイス、スウェーデンのヨーロッパと、非常に広範囲で生産されたことでしょう。

特にオーストラリアやニュージーランドでは、ホールデン、フォードに並ぶブランドとして定評があり、アメリカで生産中止になった後も生産され続け、クライスラーがオセアニアから撤退した81年頃まで生産されていました。

非常に地味な実用車という印象の強い同車ですが、当初はこんな大胆なデザインをしていたのは、何とも興味深いところです。

1936年型プリマス

プリマス
09 /15 2014
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こんなのを見かけました。
36年型プリマス・・・。

プリマスは、クライスラーの大衆ブランドに当たりますが、中級ブランドのダッジは、クライスラーよりも長い歴史があるのに対して、コチラはクライスラーによって28年に設立されたブランドで、独自の歴史はありません。

クライスラーというと、34年に登場したエアロフローで、他社に先駆けて流線型のスタイルを採用しましたが、当初は否定的に取られました。

しかし、この頃になると、他社もそれに追従する様になったものの、やはりクライスラーのソレは、一歩先を行っている印象があります。

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因みにプリマスとは、メイフラワー号によってアメリカに来た清教徒が最初に入植した土地で、帆船の様なエンブレムは、メイフラワー号をあしらった物です。

しかし、この頃のアメリカ車は、上品な佇まいの物が多いですね。メカもサイドバルブの直6エンジンという古典的なものですが、50年代のソレとは全く違った豊かさが、そこに感じ取れます。

プリマス・ネオン

プリマス
03 /29 2013
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ネオンは、1993年に100万円を切る2リッターカー、ジャパニーズキラーと、日本のメディアが大々的に騒ぎ立てたクライスラーの小型車でした。

日本では、クライスラー・ネオンの名前で販売されましたが、北米では、ダッジとプリマスから販売されていました。

既にこの車も登場から20年近く経ち、元々品質が良くなかったこともあり、本当に見かけなくなったものです。しかも、プリマスとなると、余計に珍しい存在でもあります。

ところでこの車、この丸目ヘッドライトが大きな特徴となっていますが、その発売当時、雑誌で発売前のプロトタイプが掲載されていましたが、実は開発のかなり最終段階まで、通常の角型ヘッドライトであったのです。

見た目、同時代のカローラの様にも見えるのですが・・・・デザイン的には、そちらの方が、カッチリとして見えるものの、この丸目の方が、やはり個性的と言えば個性的です。
一応このデザインは成功だったと言えるのでしょうが、どちらにするか、最後までかなり迷った様なのです。

プリマスというブランドは、2000年に閉鎖されていますが、そのプリマスブランド最後の生産車が、次期モデルではありますが、プリマス・ネオンでした。

この車は、ニュージーランド時代、社用車として、顧客の車として、仕事で随分と乗った一台なのです。
一頃、会社の移転に伴い、社内で車検が行えない時期があり、このネオン(社用車)を車検場に持ち込んだことがありました。

丁度その日、会社で検査員の試験が有り、同僚がこれから実技試験を受ける・・・・という時に、そのネオンが車検場から帰って来たのです。

そして試験官曰く、「この車でテストをやる」と・・・・。

結果、車検場で合格したばかりの車だったのですが、今度は、それを落さざるを得なかったのです。

その試験官は、地域の車検を管轄している人物なので、その車検場にも話しが行き、大いに問題になりました。

サスペンションのブッシュが一箇所破損していたのですが、やはりそういった細かい部分が稚拙で、購入価格は安くても、維持費の高い車の典型でした。

当時のお客さんで、エンジンオイル漏れを放置して、エンジンが焼き付き、替わりのネオンを購入したものの、半年後、今度はミッションオイルの漏れを放置して、オートマを焼き付かせた・・・というツワモノも居ました。

OHCの2リッターエンジンに3速オートマ・・・当時の日本では、考えられない位古典的なメカでしたが、その割りに走りは活発で、高速を走っても、3速オートマで不自由を感じることはありませんでした。少なくともカローラよりは余程乗っていて楽しい車でしたが、その品質が残念な車でした。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。