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ダッジ・ランページ

ダッジ
06 /19 2018
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こんなのを見かけました。

前から見ると、懐かしさを覚える80年代初頭のダッジ・・・?

ところが、横から見ると…!
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正直こんなの初めて見ました。
確認してみたところ、ダッジ・ランページという名前でした。

調べてみたところ、生産期間は82~84年の僅か2年で、ダッジ・オムニ024の兄弟車でした。

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ダッジ・オムニというのは、78年に発売されたコンパクトFFハッチバック車で、クライスラーヨーロッパのシムカによって開発されたモデルでした。

ヨーロッパでは、シムカやタルボットのブランドで販売されましたが、寸法的にもフォルクスワーゲン・ゴルフに近いものでした、

そして、オムニ024というのは、ゴルフに対するシロッコの様なモデルで、若干スポーティーなデザインを纏っていました。

そして、そのトラック版が、このランページという訳です。

エンジンはクライスラー製2.2リッター一本で僅か96馬力。オムニ024には、フォルクスワーゲン製の1.7リッターエンジンも設定されていたのに比べ、より排気量からくる余裕を重視した設定なのでしょう。

因みに普通のオムニには、シムカ製の1.6リッターOHVエンジンも用意されていました。

プリマス版のスキャンプも翌年登場しています。

寸法に関しては、ランページのデータは無いのですが、オムニ024の場合、全長4419mm、全幅1694mmと日本の5ナンバーサイズに収まっています。

80年代初頭、コンパクトカーは売れるようになっていたものの、トラックでしかもFFというのは、少し早すぎたのでしょう。
生産台数は、ランページが37401台、スキャンプが2184台と、大変に少なかった様です。

道理で今まで一度も見たことがなかった訳です!

現在、バンクーバーで時々日本の軽トラックを見かけることから考えても、今だったらそれなりに売れる様な気もしますが…。

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2006年には、同名のコンセプトカーがデトロイトショーで出展されていますが、オリジナルとは何ら関連性の無いモデルです。


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ダッジ バイパー 生産終了へ…米国の代表的スポーツカー、25年の歴史に幕

ダッジ
06 /25 2016
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米国を代表するスポーツカーのひとつ、ダッジ『バイパー』の生産が、間もなく終了することが分かった。

これは6月21日、ダッジブランドを擁する米国の自動車大手、FCA(フィアット・クライスラー・オートモービルズ)USが明らかにしたもの。「2017年モデルとして、6月24日から受注を開始する5種類の限定車を最後に、バイパーの生産を終了する」と発表している。

現行バイパーは4世代目モデル。2012年4月、ニューヨークモーターショー12で、SRTバイパーの名前で発表された。バイパーには、現在のダウンサイジングトレンドとは無縁の大排気量V型10気筒ガソリンエンジンを積む。

このV10は先代同様、排気量は8.4リットル。しかし、ピストンやインテークマニホールド、エグゾーストバルブなどに、大幅な改良を受けており、最大出力は640ps、最大トルクは83kgmを引き出す。これは先代比で、40ps、5.5kgm強化された計算。動力性能は0‐96km/h加速を3秒以下で駆け抜け、最高速は331km/hに到達する。0‐400m加速は11秒台半ば。

2014年9月に発表された2015年モデルでは、8.4リットルV10がパワーアップ。従来の640psから5ps引き上げられ、645psを獲得する。6速MTも改良。高速燃費は20マイル/ガロン(約8.5km/リットル)と、従来比で約5%向上させた。

6月21日、FCA USは、2017年型の5種類の限定車を最後に、バイパーの生産を終了すると発表。初代の誕生から25周年の節目に、その歴史の幕を下ろすことになった。FCA USの乗用車ブランドを統括するTim Kuniskis代表は、「25年前の初代発売以来、スーパーカーの世界に数々の新記録を打ち立て続けてきた」と語っている。



すっかり忘れていましたが、もう25年にもなるんですね・・・。

考えてみれば、この車が出たのは、80年代のKカー一色の時代が終わり、リー・アイアコッカ時代の最後、様々なニューモデルを投入した当時の一つでした。

元々生産台数が少ないせいか、見慣れる事もなく、それは即ち陳腐化する事も無く、それ故に何時までも古臭く見えなかったのかも知れません。

2009年の倒産を機に、一度生産中止になったものの復活し、今日まで来ましたが・・・正直この車、シャシーは鉄工所で作った様な雰囲気ですし、運転席に座った感じも物凄く不自然で、私個人的には運転して楽しいとか思ったことがありませんでした。

ホイールベースの後ろ半分に乗り込む様は、まるで通常の乗用車のリアシートに座って運転している様な、不思議な感覚ですし、そのせいもあり、ボンネットの長さ、更に1.9mを超える全幅から、途轍もない巨大な車に思えてしまうのです。

全てに於いて、私の好きなスポーツカー像とは真逆の車ですね・・・。

まあ、コレはコレで良いのかも知れませんが、今のこの時代、もう少し理論的な車作りが求められるのは確かでしょう。

しかし、そうなると、バイパーと比べて真面目すぎるとか、面白味に欠ける…とか言われるんでしょうね…。

コルベットどころか、カマロやマスタングですら全く見かけない今日、スポーツカーの置かれている状況は、大変に厳しいものであるのは確かです。

しかし、バイパーが無くなり、トラックも既にラムとして分離しており、段々ダッジのイメージが曖昧になりそうな気もしますが・・・。

1957 ダッジ・コロネット

ダッジ
03 /21 2016
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ダッジ・コロネットは、ダッジのフルサイズカーです。
当初はダッジの最高級ラインとして登場したものの、55年以降は、最廉価グレードになっています。

50年代のクライスラー系を語る上で、最も印象に残るのが、57年モデルですが、写真は、57年のコロネットです。

最廉価とはいえ、ツートンカラーが奢られています。

同年のシボレーと比べても、このスリムなボディーラインは印象的で、テールフィンの形状の複雑化の切っ掛けになったモデルだと思います。

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最廉価モデルで、しかも2ドアセダンと、ある意味地味な雰囲気とも言えるグレードですが、それですら、これだけ派手なのです。

58年以降、他社が一段と派手なスタイルを採用したことからも、この車は、50年代のアメリカの転換点だったとも言えるかも知れません。

しかし、シボレーやフォードなんかに比べ、クライスラー系のクラシックって、本当に少ないですね・・・。

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フルサイズであったコロネットも、65年にはインターミディエートクラスになり、76年まで生産されましたが、70年代のアメリカの映画やドラマでも、タクシーやポリスカーとして、よく、その姿を見かけたものでした。

夜、余り治安の良くない地域を走っている時に見かけたので、iPadで写真を撮りましたが、何故こんな所に…?不思議に思ったら、その直ぐ前にナイトクラブの様な店が出来ていました。

最近は、こんな地域にも、色々な店が出来る様になりましたが、逆に、よくこんな所に店を出すな…と、感心する位です。

再開発されて良いじゃないの...と思いたいところですが、逆に、そこまで、バンクーバーの地価が上がったのか...というのが、正直なところです。

ダッジ・コロネット

ダッジ
07 /27 2015
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かつて、フルサイズであったダッジ・コロネットも、59年モデルを最後に暫くのブランクの後、65年にインターミディエートクラスとして再登場しました。

60年代には、コンパクトやインターミディエートという、よりコンパクトなクラスが登場しましたが、その理由として、やはりフルサイズが大きくなり過ぎたこと、そして、2台以上の車を所有する家庭が増え、その2台目として、圧倒的に安価でコンパクトな輸入車に顧客が流れたことが挙げられます。

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65年には、20万台以上を売り上げ、ダッジブランドのベストセラーとなっています。
写真はクーペスタイル故か、セダンに比べてかなりスポーティーな雰囲気となっており、コレをベースに、後に兄弟車として、ダッジ・ベルベディア、チャージャー、プリマス・ロードランナー等が登場しています。

かつてはポリスカーにも採用され、映画でもお馴染みであったコロネットも、76年には生産中止になっており、その後、他の兄弟車も順次生産中止になっています。

それは丁度、高級ブランドのインペリアルの廃止、ダッジ・アスペン/プリマス・ヴォラーレの兄弟が悪評を振り撒いた時代と一致しているのが興味深いところです。

クラスこそ若干違うものの、新世代のアスペンが、悪しきクライスラーの筆頭とすると、コロネットは、古き良きクライスラーの最後であったと言えるのかも知れません。

元々販売台数の差から、GMやフォードに比べて、クライスラーのクラシックカーの数は、決して多いとは言えませんが、この様な車を、しかも若い女性が乗っているのを見ると、何か嬉しくなりますね・・・。


ダッジ・アスペン

ダッジ
08 /19 2014
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ダッジアスペンが登場したのは1976年、プリマス・ヴォラーレと共に、旧来のダッジ・ダート、プリマス・ヴァリアントの後継モデルとして登場しました。

旧ダート、ヴァリアント兄弟は、実用的なサイズにシンプルかつ丈夫なメカニズムで定評のあった車ですが、アスペン、ヴォラーレ兄弟は、一転して大いに品質問題を抱えた車でした。
「ショールームで既に錆びている」と言われる程錆が酷く、特に初期モデルは、一年足らずでボロボロに錆びる有様で、全数リコールでパネル交換や再塗装が施される程でした。
エンジンも何時エンストするか分からず、とにかく乗っていて危険極まりない車として有名になった車です。

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当時のクライスラーは、技術は有っても、製品のテストを十分に行わないまま市場に出す傾向があり、特に初期モデルの顧客は、車を購入した上で、更にボランティアテストドライバーをやらされた様なものでした。

更に、当時のクライスラーは、セールスバンクと言う独自のシステムを採用しており、作った車は全数、セールスバンク販売したという形を取り、建前上は在庫も無く、フル生産を行っているのですが、当然現実は、セールスバンクは在庫の山と化し、ミシガン州の空き地と言う空き地は、クライスラーの在庫車で埋まったと言われる程でした。

そんな長期間風雨に晒された在庫車を定価で買う者は皆無で、結果、定期的に大バーゲンを行う訳ですが、そうなると、ディーラーもバーゲンの時しか車を仕入れないという風になり、更に収益が悪化して行ったのです。

主力モデルのアスペン、ヴォラーレが深刻な品質問題を抱え、そのリコールに掛かった金額、そして、セールスバンクによる過剰生産、大量在庫が、クライスラーの経営
を傾け、事実上、倒産に陥りました。

後に、品質は向上したものの、元々極めて評判の悪い車であったため、当然中古市場での価値も低く、今日、その姿をみることは、極めて稀です。

1979年、リー・アイアコッカ氏が社長に就任すると、社内の腐敗に徹底的にメスを入れ、諸悪の根源のセールスバンクも廃止し、そして翌年には、悪しきクライスラーの象徴として、このアスペン、ヴォラーレ兄弟もリストラに遭い、アイアコッカ氏肝煎りのKカーにバトンタッチしています。

当時、クライスラーは、オーストラリアにも子会社がありましたが、コチラはアスペン、ヴォラーレを売らず、一貫してヴァリアントを販売していた為、最後まで悪評が立つ事は無かったものの、親会社の経営破たんを理由に閉鎖され、惜しまれながら姿を消しました。

特にニュージーランドでは、ヴァリアントというと、ほんの数年前でも、当たり前に見かける車で、その多くがレストアを受けていない乗りっ放しの様な車で、オークランドの治安の悪い地域で見かけるボロボロのヴァリアント…そんな辺りからも、その耐久性をうかがい知ることが出来ます。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。