阿部寛、ホームページ変更を拒否「あれ人気だから」 簡素すぎることでおなじみ
IT関係
俳優の阿部寛、安田顕が8日、都内で行われた映画『とんび』の公開初日舞台あいさつに登壇した。
映画の見どころについて、阿部は「全編出ているので、自分の評価になるから、あまり言いたくない」と恐縮しながらも「歌を歌うところがある。当時は、この歌は設定に合っているのか疑問に思っていた。でも、いざ映画になって、できた時に『こんなに胸を打つ歌い方ってあるんだ』と改めて瀬々(敬久)さんに感謝した」と振り返る。
そして、ラストシーンについて「安田くんが思いの外、殴った。それが、ちょっと油断していたのでテストの時に目の覚める思いをした(笑)」とぶっちゃけ。続けて、「『コイツ、このシーン、本気なんだ』って。そこからの展開で感情が上がるシーンがあるので、そこは感謝しています」とニヤリとすると安田は「申し訳ございませんでした。10回も叩いてしまい」と平身低頭で笑わせていた。
また、新年度がスタート。新しく始めたいことについてトークすることになったが阿部は「きのうから考えているんですけど思いつかない…」とぽつり。安田から「阿部さんは、ご自分の公式ホームページを更新された方が」と簡素なことでおなじみのホームページをイジられると、阿部は「でも、あれ人気だから」と笑顔で変更を拒否。笑いながら安田も「変える必要ないですね(笑)。失礼しました」と会場を笑いに包んでいた。
原作は人気小説家・重松清氏が親子の絆を描いた同名小説。過去にも2012年にNHKでドラマ化、翌13年にはTBSで連続ドラマ化もされた。物語の舞台は広島県備後市。市川安男ことヤス(阿部)は、愛妻との間に待望の息子・アキラ(北村)を授かったが、幸せも束の間、妻の事故死で無残にも打ち砕かれてしまう。親の愛を知らずして父になったヤスは、仲間たちに助けられながら、不器用にも息子を愛し続ける感動ストーリーが描かれる。
阿部寛のホームページというのは、ウェブ業界の人には大変に有名な存在なのです。
コチラ>>
1,990年代のインターネット黎明期そのままのデザインで、今日まで続いているのです。
少し前までこの手のデザインのサイトは色々残っていましたが、皆昔作ったまま放置されていたもので、Geocitiesのサービス終了と共に消え去ってしまいました。
ソレに対して阿部寛のホームページは、元々ファンの方が独自に作ったものが、後に公式サイトに昇格したもので、そのデザインが当時のままで、しかも現在まで定期的にアップデートされている、大変に稀有な例だと言えるでしょう。
フレームサイトという、今では5chanel(旧2ch)位でしか見られない様な原始的な構造となっています。
本来なら、このフレームサイトはSEOを考えると有り得ないタイプなのですが、阿部寛ほどの知名度があれば、ソレも問題無いのでしょう。
そして特筆すべきは、その表示の速さです。
複雑なプログラミングになっていないので、読み込みが非常にスムーズに行きますし、かつてウェブ業界から忌み嫌われたインターネット・エクスプローラーへの対応も全く問題ありませんでした。
こんな所からして、このホームページは、暗に現在のウェブデザインの潮流を批判している様にも見えてしまいます。
ウェブデザインというのは絶えず変わっていて、5年前のデザインですら結構古臭く見えてしまうものです。
そして10年前、20年前のデザインなんて完全に忘れされててしまう、そんな世界なのです。
そんな中で折角ファンの方が作ってくれたサイトだということで変更しない…この辺りに人柄を感じますね…。
かつて存在したNiftyやGeocitiesのサービス終了で、殆どの黎明期の個人サイトが消滅してしまいました。あの当時ウェブサイトを立ち上げた様な方々は、大変に技術に明るい人が多く、古臭いデザインながら楽しいサイトが多かったものですが、その消滅を見ても、IT時代の今、情報を所有するという概念は既に薄れてしまっています。そんな中で貴重なサイトが多く消えてしまい、ネット情報は意外と寿命が短いことを思い知らされる出来事となりました。
中にはオーナーが既に鬼籍に入っている例も多くあるでしょうし、そうなれば尚更です。
ぜひインターネット時代の生き証人として、これからも長く続いて欲しいものです。
[オマケ]
コチラはかつて話題になった「愛生会病院」という病院のかつてのサイトを保存したものです。
これもインターネット黎明期に院長が個人的に制作したサイトですが、まるで怪しい会社という雰囲気に溢れたサイトですよね? これだけ画像やフラッシュを多用し、更には太陽にほえろのBGMまで備えたサイトは、20世紀末頃のPCで、しかも当時のダイヤル回線では、ほぼ表示不能だったのではないでしょうか?そして、この時代にこれだけのサイトを作った院長自身、非常にコンピューターに明るい人だったことでしょうし、その制作には、間違いなく当時のトップレベルのコンピューターを使用していたことでしょう…ただデザインセンスは皆無だった様ですが…。
ココも既に先代の院長は引退し、今は極一般的なサイトへと変わってしまいました。私がこのサイトを知った頃には、既にPCの性能も十分に向上した時代だったので、読み込みには何ら問題なく表示できました。
皆が似たようなテンプレートから成り立っている今のウェブ業界からすると、非常に楽しい時代でもあったと思います。
映画の見どころについて、阿部は「全編出ているので、自分の評価になるから、あまり言いたくない」と恐縮しながらも「歌を歌うところがある。当時は、この歌は設定に合っているのか疑問に思っていた。でも、いざ映画になって、できた時に『こんなに胸を打つ歌い方ってあるんだ』と改めて瀬々(敬久)さんに感謝した」と振り返る。
そして、ラストシーンについて「安田くんが思いの外、殴った。それが、ちょっと油断していたのでテストの時に目の覚める思いをした(笑)」とぶっちゃけ。続けて、「『コイツ、このシーン、本気なんだ』って。そこからの展開で感情が上がるシーンがあるので、そこは感謝しています」とニヤリとすると安田は「申し訳ございませんでした。10回も叩いてしまい」と平身低頭で笑わせていた。
また、新年度がスタート。新しく始めたいことについてトークすることになったが阿部は「きのうから考えているんですけど思いつかない…」とぽつり。安田から「阿部さんは、ご自分の公式ホームページを更新された方が」と簡素なことでおなじみのホームページをイジられると、阿部は「でも、あれ人気だから」と笑顔で変更を拒否。笑いながら安田も「変える必要ないですね(笑)。失礼しました」と会場を笑いに包んでいた。
原作は人気小説家・重松清氏が親子の絆を描いた同名小説。過去にも2012年にNHKでドラマ化、翌13年にはTBSで連続ドラマ化もされた。物語の舞台は広島県備後市。市川安男ことヤス(阿部)は、愛妻との間に待望の息子・アキラ(北村)を授かったが、幸せも束の間、妻の事故死で無残にも打ち砕かれてしまう。親の愛を知らずして父になったヤスは、仲間たちに助けられながら、不器用にも息子を愛し続ける感動ストーリーが描かれる。
阿部寛のホームページというのは、ウェブ業界の人には大変に有名な存在なのです。
コチラ>>
1,990年代のインターネット黎明期そのままのデザインで、今日まで続いているのです。
少し前までこの手のデザインのサイトは色々残っていましたが、皆昔作ったまま放置されていたもので、Geocitiesのサービス終了と共に消え去ってしまいました。
ソレに対して阿部寛のホームページは、元々ファンの方が独自に作ったものが、後に公式サイトに昇格したもので、そのデザインが当時のままで、しかも現在まで定期的にアップデートされている、大変に稀有な例だと言えるでしょう。
フレームサイトという、今では5chanel(旧2ch)位でしか見られない様な原始的な構造となっています。
本来なら、このフレームサイトはSEOを考えると有り得ないタイプなのですが、阿部寛ほどの知名度があれば、ソレも問題無いのでしょう。
そして特筆すべきは、その表示の速さです。
複雑なプログラミングになっていないので、読み込みが非常にスムーズに行きますし、かつてウェブ業界から忌み嫌われたインターネット・エクスプローラーへの対応も全く問題ありませんでした。
こんな所からして、このホームページは、暗に現在のウェブデザインの潮流を批判している様にも見えてしまいます。
ウェブデザインというのは絶えず変わっていて、5年前のデザインですら結構古臭く見えてしまうものです。
そして10年前、20年前のデザインなんて完全に忘れされててしまう、そんな世界なのです。
そんな中で折角ファンの方が作ってくれたサイトだということで変更しない…この辺りに人柄を感じますね…。
かつて存在したNiftyやGeocitiesのサービス終了で、殆どの黎明期の個人サイトが消滅してしまいました。あの当時ウェブサイトを立ち上げた様な方々は、大変に技術に明るい人が多く、古臭いデザインながら楽しいサイトが多かったものですが、その消滅を見ても、IT時代の今、情報を所有するという概念は既に薄れてしまっています。そんな中で貴重なサイトが多く消えてしまい、ネット情報は意外と寿命が短いことを思い知らされる出来事となりました。
中にはオーナーが既に鬼籍に入っている例も多くあるでしょうし、そうなれば尚更です。
ぜひインターネット時代の生き証人として、これからも長く続いて欲しいものです。
[オマケ]
コチラはかつて話題になった「愛生会病院」という病院のかつてのサイトを保存したものです。
これもインターネット黎明期に院長が個人的に制作したサイトですが、まるで怪しい会社という雰囲気に溢れたサイトですよね? これだけ画像やフラッシュを多用し、更には太陽にほえろのBGMまで備えたサイトは、20世紀末頃のPCで、しかも当時のダイヤル回線では、ほぼ表示不能だったのではないでしょうか?そして、この時代にこれだけのサイトを作った院長自身、非常にコンピューターに明るい人だったことでしょうし、その制作には、間違いなく当時のトップレベルのコンピューターを使用していたことでしょう…ただデザインセンスは皆無だった様ですが…。
ココも既に先代の院長は引退し、今は極一般的なサイトへと変わってしまいました。私がこのサイトを知った頃には、既にPCの性能も十分に向上した時代だったので、読み込みには何ら問題なく表示できました。
皆が似たようなテンプレートから成り立っている今のウェブ業界からすると、非常に楽しい時代でもあったと思います。
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