fc2ブログ

実写版『リトル・マーメイド』予告編に黒人の少女たちが感動???

映画・音楽
09 /18 2022
ディズニーのファンイベント「D23 Expo」で、実写版『リトル・マーメイド』の予告編が公開されてからまもなく1週間が経つ。美しく幻想的な映像と、主人公アリエルを演じるハリー・ベイリーの圧倒的な歌唱力に注目が集まり、YouTubeでの再生回数は1500万回を超えた。

【写真】アリエル役のハリー・ベイリー

アフリカ系アメリカ人のハリーがアリエルに起用された際、多様性を歓迎する声と共に、SNSでは人種差別的な反発の声も上がった。ツイッターでは「#NotMyAriel(私のアリエルじゃない)」というタグも誕生したほどだ。

しかし、実際に動き、歌うアリエルがお披露目された予告編は「鳥肌が立つほどの素晴らしさ」「涙が出た」という声があがっており、特にハリーと同じ黒人の少女たちの心をつかんだ。予告編を食い入るように見て「私みたい!」「彼女も黒人?」とうれしそうに反応している少女たちのコンピレーション動画がバイラル化し、ハリー本人にも届いたことがわかった。

「先週末、みんながこのリアクション動画を送ってきてくれて、本当に圧倒されています。これ(少女たちの反応)は私にとってかけがえのないものです」と感動をつづり、動画をリツイート。ファンから「動画を見て、思わず泣いてしまいました。喜びの涙です」「この映画は黒人の子どもたちにとって計り知れない影響力があります。本当にありがとう」と温かいコメントが寄せられている。




リトル・マーメイドの実写版の主人公が黒人だということが話題になっています。
これは所謂「ポリコレ」なんじゃないか?という意見が出ています。

現在のアメリカでは、例えば映画やドラマの学校他様々な風景の撮影でも、様々な人種を混ぜていないといけないことになっています。

これは、各人種団体が声高に叫んでいるからなのですが・・・。

しかし・・・ですよ!
リトル・マーメイドって一体何処の話しですか?
原作はアンデルセン、つまりデンマークの話しですよ!
デンマークの話しが原作で、それが何故白人じゃないんですか?

例えばコレがアフリカの原作で、白人に改変されたというのなら、差別と言われるのも理解できます。
しかし、元々白人の原作で、今までの絵本もアニメも皆一貫して白人で来て、そういうイメージで出来ているものを黒人に…というのは人種差別とかそういう話しを抜きに、腑に落ちません。

やはり原作のイメージを無視したという面で、非難が多いのは当然だと思いますし、人種差別でも何でも無いと思います。何れプラスサイズのマーメイドなんかも出てきそうですね。

スポンサーサイト



「フランダースの犬」を改めて観て…コレは駄作です!

映画・音楽
03 /21 2021
先日、ベルギー人と会話する機会があり、その時に「フランダースの犬」を知っているか聞いたところ、当然ながら全く知りませんでした。

日本人なら誰もが知っているこの名作?ですが、それがベルギー人の間では全く無名であることも、また有名な話しです。
実際に原作を全く知らないアントワープの人たちが、フランダースの犬を求めて大勢の日本人が訪れるのを不思議に思っていたのです。

この作品は1975年に世界名作劇場でアニメ化され、同シリーズ最大の視聴率を記録していますが、その割に原作が全く現地で無名であるのは不思議なものです。

原作から実に46年ぶりに本作品をYouTubeで観てみました。この作品は全エピソードを観ることができますが、改めて観ると何でしょうコレ…酷い話じゃないですか!

確かに当時の時代背景では画家の様な仕事が認められていなかったという風潮があったのでしょうが、ネロに対する一部の大人の余りに非情な事…アロアの父親コゼツが子供の頃観たよりも遥かに冷酷非情に見えましたし、その腰巾着のハンスも極悪非道で、風車小屋の火事をネロのせいにして村八分に追いやった末、仕事が無くなって家賃が払えなくなったのを理由に家を追い出し、それがネロの悲惨な最後に繋がる訳ですが、身寄りのない一人の子供に対して、よくもあそこまで非情になれるものだと、改めて驚きました。

この作品は元々アントワープを背景にしているものの、原作者はイギリス人であり、その事も現地で知名度が低い理由なのですが、何よりもこんな胸糞悪いストーリー…何でこんなのが日本で人気なのか、改めて観て理解に苦しむ思いです。

あの終わり方では、アロアの将来すら絶望的なモノしか見えて来ません。父親が直接に親友の死因とあっては、その後親子関係が正常に行ったとは思えませんし、親子断絶だって仕方ない事態です。

当作品は1997年にアニメ映画化されていますが、コチラは大人になったアロアの回想という形でストーリーが始まります。アロアはネロが亡くなった教会のシスターになっていましたが、ある意味良い落とし所だったと思います。

一体日本人は、この物語に何を見たというのでしょうか?
観た後で気分が良くなるどころか、暗澹とした気分にしかなりませんし、教育的価値が有る訳でも無く、特に後半はネガティブな内容でしかありません。村八分のいじめ文化が日本人には理解しやすかったのでしょうか?

あんな物語を子供に…というのも、また随分と不思議なセンスだと改めて思いました。
そして、こんな酷い物語、現地の人が好き好んで語り継ぐ訳がありません。現地の人に言わせれば、自分たちは身寄りのない子供にあんな非情な対応をする訳がないと・・・当然ですよね?

当シリーズは、長年に渡り様々な欧米の作品が取り上げられましたが、その中でも圧倒的な人気が当作品だというのも、大人になった私の目には、極めて不思議に思えたのです。

改めて書きますが、現地でも全く知名度が無く、エンターテインメントの本場であるアメリカですら知名度が無いという意味で、やはり駄作というのが正直な感想でした。



上を向いて歩こう 坂本九 Sukiyaki

映画・音楽
11 /14 2020


上を向いて歩こう


ラジオのオールディーズを紹介するコーナーを聴いていたら、故・坂本九さんの「上を向いて歩こう」が流れました。

この曲は、日本人の曲で唯一アメリカのヒットチャートの一位を取った曲としても知られています。
更にこの曲の凄いのは、日本のレコード会社が一切の売り込みをやらなかった事で、アメリカで発売された時も、日本語の詩のままだったということです。

事の発端は、ある日本人の女子高生が、アメリカ人のペンフレンドに当時日本で大流行していたこの歌のレコードを送ったことに始まります。

アメリカ人のペンフレンドもそのレコードを気に入り、地元のラジオ局に持っていった所、凄まじい反響を呼び、ソレが全米での大ヒットに繋がったというのです。

作詞:永六輔、作曲はジャズピアニストの中村八大…このジャズピアニストという辺りがアメリカのみのならず世界中で大ヒットした理由なのかも知れません。

現在に至るまで、英語の詞を駆使し、アメリカ的なリズムや音楽センスを身に着け、必死で全米進出を試みた日本人アーティストは何人も居ますが、そんな中で一番成功したのが、レコード会社が一切の販売促進を行わず、歌詞も日本語のままのこの曲…というのが何とも皮肉なものです。

20数年前、カナダで働いていた頃、職場で常にオールディーズのチャンネルが掛かっていたのですが、そこでも一日中聴いていて唯一掛かっていた日本の曲は、当曲のみでした。

全米で大ヒット!凱旋帰国!と言われたYMOですら一度として耳にしたことはありません。

現在、コチラで日系の店に行けば、普通に日本の曲が掛かっていますが、そこからヒットが生まれた…という話は聞いたことがありません。

ゴダイゴ ギタリストの浅野孝已さん死去

映画・音楽
05 /13 2020
Godiego Beautiful name
- 79年当時のゴダイゴ。一番左側が浅野孝已氏


「ガンダーラ」や「モンキー・マジック」などのヒット曲で知られる人気バンド「ゴダイゴ」でギタリストとして活躍した浅野孝已さんが12日、亡くなりました。68歳でした。

浅野さんは東京都出身で、16歳の時に音楽活動を始め、昭和50年にロックバンド「ゴダイゴ」の前身となるバンドにギタリストとして参加しました。

「ゴダイゴ」は翌51年にデビューし、テレビドラマの主題歌となった「ガンダーラ」や「モンキー・マジック」、それに「銀河鉄道999」など現在でも親しまれるヒット曲で人気バンドとなりました。

浅野さんは昭和60年にバンドが解散したあとも音楽活動を続け、自身のバンドと並行して平成18年には「ゴダイゴ」の再結成に加わりました。

今月9日には自身のフェイスブックを更新し、新型コロナウイルスの感染拡大について、「感染しない感染させないSTAYHOMEおうちにいましょう!そして笑顔で再会しましょう!」などとコメントを寄せていました。

所属事務所によりますと、浅野さんは12日、東京都内の自宅から病院に救急搬送され、亡くなったということです。

68歳でした。

「悲しくてやりきれない」ゴダイゴのメンバーが追悼
浅野孝已さんが亡くなったことについて、「ゴダイゴ」のリーダー、ミッキー吉野さんは「ゴダイゴのメンバーの中でいちばん長いつきあいでした。悲しいのひと言。悲しくてやりきれません。この時期のこういう別れは、本当につらいです」とコメントしています。

また、ボーカルのタケカワユキヒデさんは自身のブログを更新し、「僕たちの大切な仲間、ギタリストの浅野さんが亡くなった。つい2週間前に電話で話したばかりだったのに。僕のどんな曲にもすぐにギターを弾いて合わせてくれるオールマイティなギタリストで、愉快な仲間だった。冥福を祈りたい」とつづっています。



私が子供の頃に憧れた人たちが亡くなる年代になりましたが、遂にゴダイゴのメンバーが…。
私個人的に思い出されるのが、そのビューティブル・ネームを、当時の学校の音楽の時間に取り上げられたことでした。

あの時代、こういった歌謡曲を音楽の時間に取り上げる事自体が極めて異例なことでしたし、音響効果の良い音楽室で、四方に設置された木製のクラシックな大型スピーカーから発せられるその爽やかかつ重厚なサウンドは、テレビのソレとは全く異なり(まだステレオ放送が一般的で無い時代)、大変に衝撃的なモノでした。

ソレ以前にも日本にロックと言われる音楽は有ったのでしょうが、これとは全く別物…と思える新鮮な驚きがソコにありました。

ゴダイゴというと、ドラマ西遊記の主題歌「ガンダーラ」「モンキーマジック」「銀河鉄道999」、NHKで流れた「ビューティフルネーム」の印象が強く、「爽やかで健全な歌のお兄さん」というイメージが定着していましたが、デビュー・アルバム「新創世紀」は タケカワユキヒデ色が強く、何処かギルバート・オサリバンを思わせる様な作風で、セカンド・アルバムのデッドエンドからは、ソレ以降の爽やかなゴダイゴのソレを感じることは無く、純粋にロックと言える仕上がりです。

そんな具合に、時代によって作風が異なるにも関わらず、一見地味ながらも、どれも完璧にこなす職人…浅野氏のイメージは、こんな感じでした。

そして、よくあるグループを一つにまとめる役目を担っていたと、スティーブの自伝にも書かれています。

このグループは、タケカワユキヒデ、そして後にスティーブの後任として入った吉沢洋二の二人以外は、いい感じに年取ったと思っていたのですが…まだ68歳…残念です。

映画監督の大林宣彦氏、82歳で死去 肺がんで余命3か月の宣告から3年8か月

映画・音楽
04 /11 2020
 映画監督の大林宣彦氏が10日午後7時23分に肺がんのため死去したことが分かった。82歳だった。2016年8月にステージ4の肺がんで余命3か月の宣告を受けてからも意欲を失わず、昨年11月の第32回東京国際映画祭で「あと3000年、映画を作りたい」と語っていた。CMディレクターから映画の世界に入り、故郷の広島県尾道市を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”などで知られる。ファンタジー作品に定評があり「映像の魔術師」の異名を取った。

【写真】「第42回山路ふみ子映画賞」贈呈式に出席した大林宣彦監督

 約60年間にわたり映像作りに情熱を燃やし、生涯をささげた大林監督が逝った。余命宣告を受けながらも意欲を失わなかった映像の魔術師。昨年11月には東京国際映画祭で特別功労賞を授与され、遺作となる近日公開予定の映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を力強くアピールしていた。

 従来の撮影所から育った映画監督ではなく、CMディレクターとしてチャールズ・ブロンソンを起用した「マンダム」のCMなどを手がけ、77年に「HOUSE ハウス」で商業映画の監督デビューを果たす。当時としては異色の経歴だったが、ファンタジーあふれる表現力で映像の魔術師と呼ばれた。みずみずしい少女の描写、愛に満ちた人間ドラマ、ふるさと愛あふれる日本の原風景が作品に投影されていた。

 ふるさとの広島県尾道市を愛し、「転校生」(82年)、「時をかける少女」(83年)、「さびしんぼう」(85年)の“尾道三部作”を発表。薬師丸ひろ子、原田知世、富田靖子らをスターに押し上げたことでも知られる。遺作となる「海辺の映画館―キネマの玉手箱」では大林組の常連である常盤貴子を起用し、「人生の集大成」を表現していた。

 黒澤明監督から「僕たちの続きをやってくれ」と託された平和の願いを胸に刻み、「戦争を知っている私が、知らない若い人たちのために作らないといけない」と言い続けた。頬がやせ細り、車いすでの登壇となった東京国際映画祭の舞台あいさつでも「戦争は明日にでも起きますが、平和は400年かかる。観客が世界を幸せにする力を持っているんです。それが映画の自由な尊さです。やり遂げなければいけません」と訴えていた。

 「私が最初の観客よ」と話すプロデューサーの妻・恭子さんと二人三脚で映画を作り続けた。大林さんは「映画はプロデューサーが作るもの。それが私の持論。プロデューサーの想像力と人生体験が寄り集まって物語りを作る。私は忠実な体現者」と語っていた。11歳で「HOUSE ハウス」の原案者に名を連ねた長女・千茱萸(ちぐみ)さん、その夫の森泉岳士さんら家族ぐるみで制作にあたっていた。

 ◆大林 宣彦(おおばやし・のぶひこ)1938年1月9日、広島・尾道市生まれ。CMディレクターなどを経て77年「HOUSE」で監督デビュー。82年「転校生」、83年「時をかける少女」、85年「さびしんぼう」は“尾道3部作”と称される。主な作品に「異人たちとの夏」「なごり雪」など。長岡造形大の客員教授も務めていた。



今年は武漢・テドロスウィルスのせいで、多くの方々が亡くなっていますが、ソレとは関係無いとは言え、また日本の映画界に多大な影響を与えた方が亡くなられました。

80年代は、正に角川映画の全盛期と言える時代でした。

今日のこの惨状を予言したかの様な映画「復活の日」は、当時大いに話題になりましたが、同時に制作費用が掛かり過ぎたことから、以降、角川映画はアイドル路線を打ち出した、ある意味安上がりな映画にシフトしていきましたが、それでも、そんな安請け合いな感じは一切無く、誰もが共感を持てる素晴らしい映画の数々を生み出したものでしが、コレは単に大林監督の手腕によるものです。

転校生、時をかける少女、さびしんぼう、天国に一番近い島、彼のオートバイ、彼女の島、異人たちとの夏…どれも私が10代の頃に観た映画ですが、こんな奥深い映画を当時の10代は当たり前の様に観ていた…その事だけでも感謝したいところです。

特に「彼のオートバイ、彼女の島」は、車両関係に関わりの深いこのブログの読者の方々には、特に印象的だったのではないでしょうか?
あの片岡義男の世界観を寸分も損なうこと無く描いた手腕は、見事の一言です。

マンダムのCMも、あの時代を生きた方なら誰でも知っていますし、ハウスでは、デビューしたてで無名だったゴダイゴを使うなどで話題になりました。

また一人、日本の映画界を代表する方が亡くなりました。

「モラル」とやらに病的に五月蝿い今日、せめて大林作品が「禁書」扱いにならないことを祈るばかりです。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。