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C-C-Bについて語る。

映画・音楽
03 /19 2023

 - 瞳少女…80年代のハワイか西海岸の情景が脳裏に浮かびます。

少し前に元C-C-B笠浩二さんが若くして亡くなりましたが、私にとってC-C-Bというと80年代半ば頃に売れたアイドル系バンドという程度の認識しか無く、87年に関口誠人が脱退した辺りから急速に存在感を失い、正直解散についても当時知らなかった位だったのですが、89年の正にバブルの真っ只中での解散であった様です。

元々は「ココナッツボーイズ」というのが正式な名称で、「Romanticが止まらない」のヒット当時は、C-C-Bという表記と両方が見て取れましたが、その後C-C-Bに統一しています。

先日、何となくココナッツボーイズ時代の曲をYouTubeで検索してみたんですが、驚きました!
正にココナッツボーイズという名前の通り、夏を感じさせるバンドそのものだったからです。

元々は和製ビーチボーイズというイメージを狙っていたそうですが、事実この辺りの曲からは、正に80年代のハワイかアメリカ西海岸の様な空気が流れている様に思えて仕方有りません。

しかし、この路線は商業的に成功したとは言えず、デビュー曲の「Candy」はヨープレイトのCM,
この「瞳少女」もロート製薬のCMに使われたりはしたものの、ソレ以上ヒットすることもなく、筒美京平、松本隆のコンビによるサードシングル「Romanticが止まらない」で大ヒットを飛ばしたものの、ソレ以降、和製ビーチボーイズは影を潜め、アイドル的な人気を得るに至りました。

日本の音楽シーンというのは本当に変なもので、多くのバンドが本来の魅力で売れるのではなく、事務所による作られたアイドル的な姿で売れてしまい、当人たちはその人気とのギャップに悩み、やがて音楽活動に熱意が入らなくなり、メンバー間の方向性に違いが生じ、そして解散に至ります。



この初期のアメリカ西海岸を感じさせる本来の姿では売れなかった…そしてヒット後は初期の音楽も見直される… なんとも皮肉な話しです。

本来の「和製ビーチボーイズ」のままの姿を売り出す力が無かったレコード会社も力不足であったのかも知れませんし、当時の日本人には理解できなかったのかも知れませんが、この路線のままで行ったら一体どうなっていたのか、俄然興味が湧いてきました。

今まで、数あるアイドルバンドの一つで、ヒット曲数曲しか知らなかっただけに、余計にその当初の姿は新鮮な驚きでした。

既にリーダーの渡辺英樹さんも鬼籍にはいっています。もう復活も期待出来ないのが残念です。
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「シーナ&ロケッツ」鮎川誠さん、膵臓がんのため死去 ロック魂貫き74歳まで現役…俳優としても存在感

映画・音楽
01 /30 2023


 ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のボーカルでギターの鮎川誠(あゆかわ・まこと)さんが29日5時47分、膵臓がんのため亡くなった。30日、公式サイトで発表された。74歳。福岡県久留米市出身。「めんたいロック」草分けの1人として1970年代から活躍し、「ユー・メイ・ドリーム」などのヒット曲も飛ばした。2015年に最愛の妻シーナさんに先立たれたが、遺志を継いで「シナロケ」の活動を続けた。通夜は2月4日、葬儀・告別式は同5日、長年暮らした東京・下北沢の森巌寺・開山堂で、15年に亡くなった妻・シーナさんと同じ「ロック葬」で執り行われる。

【写真】08年8月、ライブで熱唱するシーナ&ロケッツのシーナさんと鮎川誠さん

 公式サイトの発表によると、鮎川さんは昨年5月に膵臓がんが判明。医師から「余命5カ月程」という宣告を受けた。それでも「みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず」に全国ツアーを続行。「昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、この1ヶ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました」と伝えた。

 内田裕也さんが始めた恒例の年越しライブ「ニューイヤー・ロックフェスティバル」への出演をキャンセルし、1月8日に予定した京都のライブハウス「磔磔(タクタク)」での公演も取りやめてファンを心配させていた鮎川さん。関係者によれば、高熱が続き、22年末から重篤な状態が続いていた。最期は娘たち家族に見守られ、眠るように息を引き取った。

 1970年に篠山哲雄や柴山俊之らとサンハウスを結成。74年に九州大を卒業して翌75年にメジャーデビューを果たした。リードギタリスト兼作曲家を78年のバンド解散まで担当した。

 サンハウス時代に演奏を聴きに来たシーナ(悦子さん)と出会い、シーナの妊娠を機に76年に結婚。双子の女児のパパとなった。78年に夫婦で上京し、シーナ&ロケッツを結成。79年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)メンバーのサポートを受けてアルバム「真空パック」を発表し、シングル「ユー・メイ・ドリーム」が日本航空のCMに起用され、一躍ブレークを果たした。

 80年のYMO初の国内ツアーにはゲスト・ギタリストとして参加し、81年の武道館公演ではYMOとシーナ&ロケッツの共演が実現した。88年には米ニューヨークのCBGBでライブデビューを果たすなど、海外にもその名をとどろかせた。90年代、2000年代に入っても、シナロケだけでなくソロとしても精力的に活動を展開。シナロケは13年に結成35周年を迎え、全国25カ所でツアーを実施。翌14年5月には「鮎川誠生誕66年祭2デイズ」を開催した。

 15年2月にはシーナさんが子宮頸(けい)がんのため61歳で急逝。喪失感の消えないまま、シーナさんの遺志でバンド活動の継続を明言。鮎川さんがボーカルを務め、オリジナルメンバーの奈良敏博、川嶋一秀とトリオで全国を回った。

 音楽だけでなく、俳優としても存在感を発揮。フジテレビ「愛情物語」(93年)、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」(01年)には那覇在住のロックの師匠役で出演。08年には「ジャージの二人」で堺雅人(49)の父親役を演じた。

 長女はモデルの鮎川陽子(46)、次女の鮎川純子(46、JUNK THE RIPPER)と三女の知慧子(LUCY MIRROR)はロックバンド「DARKSIDE MIRRORS」で活躍中。私生活では優しいパパの顔をのぞかせていた鮎川さん。今ごろは天国でシーナさんと再会し、娘達の活躍を祈っているに違いない。




数年前に…と思ったら既に8年も前でしたか…奥さんのシーナさんの訃報を耳にしましたが、今度は鮎川さんまで…。
私がシーナ&ロケッツを知ったのは、他でもないYMOつながりでした。前期YMOのバックバンドとしての活躍が知られており、ベストアルバム「YMOファミリー」にも数曲収録されていて、そこで初めてシーナ&ロケッツに接したのです。

1984年だったと思います。私の住んでいた関西の某地方都市て開催されたポップフェスティバルで鮎川さんを目にしたことがあります。5組程のバンドが登場したのですが、その中でもダントツの存在感であったのは忘れられません。その時はシーナさんは来ておらず、「ザ・ロケッツ」としての登場でした。

そして、その時のバンドの中で印象が最悪だったのが、あの「ハウンド・ドッグ」だったのです!
とにかく喧しいだけのクソだとしか思いませんでした。それが翌年ffで大ヒットした時には驚いたものでした。

何れにしても、あの時のあの茹だるような暑い夏の炎天下で目にした鮎川さんの強烈な存在感は忘れることができません。あれから既に40年近く経ち、高校生だった私も初老と言われる様になりました。
そして私が子供の頃に活躍していた方々の訃報を多く耳にする様になりました。まだ74歳…と思うと同時に、74歳にもなっていたんだ…とも思います。

私の中では永遠にあの84年当時の姿が目に焼き付いていますし、それは今後も変わりません。

先日の高橋幸宏さんの訃報といい、残念で仕方有りません。何れ訃報のカテゴリーが必要になりそうな感じですが、そんな事は考えたくもないですね・・・。

「YMO」で活躍・高橋幸宏さん死去 70歳 『RYDEEN』を作曲 2020年には脳腫瘍の手術

映画・音楽
01 /15 2023


YELLOW MAGIC ORCHESTRA(イエロー・マジック・オーケストラ)、通称"YMO”のメンバーとして活躍した、高橋幸宏さんが、亡くなったことがわかりました。70歳でした。

高橋さんは1952年6月6日生まれ。ドラムを担当したサディスティック・ミカ・バンドの解散後、サディスティックスを経て、1978年に細野晴臣さんの呼びかけに応じて坂本龍一さんとともにYMOを結成しました。

コンピューターやシンセサイザーといった当時の最新テクノロジーを使って、様々なジャンルの音楽を発信。『RYDEEN』や『君に、胸キュン。』など、誰もが一度は耳にしたことのあるヒット曲を発表し、海外へも進出。世界的に活躍しました。YMOは1983年12月をもって"散開”(解散の意味)し、高橋さんはソロなどで活動していました。

高橋さんは2020年、脳腫瘍の手術を受けたことを公表。手術は成功し、治療に専念していることを明かしていました。自身のツイッターは2022年6月のツイートが最後で、誕生日の翌日に「みんな、本当にありがとう」と感謝の思いを伝えるメッセージを届けていました。




私もリアルタイムで熱心にYMOを聴いたので、このニュースは、ただたた残念です。
高橋幸宏さんといえば、YMOの真ん中でドラムを叩きながら歌っている姿が印象的です。先日亡くなったCCBの笠浩二さんも、YMOの影響を受けていることは有名な話しです。

YMOといえば、リーダーの細野晴臣と坂本龍一の確執が耳に入りましたが、その仲を取り持つ役を高橋さんが担っていたといいます。

細野晴臣は天才、坂本龍一は秀才、そして自らをただの人・・・その二人を取り持つ「太鼓持ち」と語っていたのが印象的です。

坂本龍一が療養中なのは知っていましたが、高橋さんに関しては今回はじめて知りました。
最近、どうも有名人の訃報が多い様な気がしますが、果たしてコレは偶然なのでしょうか?久々に名前を聞いたら訃報…というのがあまりにも多すぎる気がして残念です。

実写版『リトル・マーメイド』予告編に黒人の少女たちが感動???

映画・音楽
09 /18 2022
ディズニーのファンイベント「D23 Expo」で、実写版『リトル・マーメイド』の予告編が公開されてからまもなく1週間が経つ。美しく幻想的な映像と、主人公アリエルを演じるハリー・ベイリーの圧倒的な歌唱力に注目が集まり、YouTubeでの再生回数は1500万回を超えた。

【写真】アリエル役のハリー・ベイリー

アフリカ系アメリカ人のハリーがアリエルに起用された際、多様性を歓迎する声と共に、SNSでは人種差別的な反発の声も上がった。ツイッターでは「#NotMyAriel(私のアリエルじゃない)」というタグも誕生したほどだ。

しかし、実際に動き、歌うアリエルがお披露目された予告編は「鳥肌が立つほどの素晴らしさ」「涙が出た」という声があがっており、特にハリーと同じ黒人の少女たちの心をつかんだ。予告編を食い入るように見て「私みたい!」「彼女も黒人?」とうれしそうに反応している少女たちのコンピレーション動画がバイラル化し、ハリー本人にも届いたことがわかった。

「先週末、みんながこのリアクション動画を送ってきてくれて、本当に圧倒されています。これ(少女たちの反応)は私にとってかけがえのないものです」と感動をつづり、動画をリツイート。ファンから「動画を見て、思わず泣いてしまいました。喜びの涙です」「この映画は黒人の子どもたちにとって計り知れない影響力があります。本当にありがとう」と温かいコメントが寄せられている。




リトル・マーメイドの実写版の主人公が黒人だということが話題になっています。
これは所謂「ポリコレ」なんじゃないか?という意見が出ています。

現在のアメリカでは、例えば映画やドラマの学校他様々な風景の撮影でも、様々な人種を混ぜていないといけないことになっています。

これは、各人種団体が声高に叫んでいるからなのですが・・・。

しかし・・・ですよ!
リトル・マーメイドって一体何処の話しですか?
原作はアンデルセン、つまりデンマークの話しですよ!
デンマークの話しが原作で、それが何故白人じゃないんですか?

例えばコレがアフリカの原作で、白人に改変されたというのなら、差別と言われるのも理解できます。
しかし、元々白人の原作で、今までの絵本もアニメも皆一貫して白人で来て、そういうイメージで出来ているものを黒人に…というのは人種差別とかそういう話しを抜きに、腑に落ちません。

やはり原作のイメージを無視したという面で、非難が多いのは当然だと思いますし、人種差別でも何でも無いと思います。何れプラスサイズのマーメイドなんかも出てきそうですね。

「フランダースの犬」を改めて観て…コレは駄作です!

映画・音楽
03 /21 2021
先日、ベルギー人と会話する機会があり、その時に「フランダースの犬」を知っているか聞いたところ、当然ながら全く知りませんでした。

日本人なら誰もが知っているこの名作?ですが、それがベルギー人の間では全く無名であることも、また有名な話しです。
実際に原作を全く知らないアントワープの人たちが、フランダースの犬を求めて大勢の日本人が訪れるのを不思議に思っていたのです。

この作品は1975年に世界名作劇場でアニメ化され、同シリーズ最大の視聴率を記録していますが、その割に原作が全く現地で無名であるのは不思議なものです。

原作から実に46年ぶりに本作品をYouTubeで観てみました。この作品は全エピソードを観ることができますが、改めて観ると何でしょうコレ…酷い話じゃないですか!

確かに当時の時代背景では画家の様な仕事が認められていなかったという風潮があったのでしょうが、ネロに対する一部の大人の余りに非情な事…アロアの父親コゼツが子供の頃観たよりも遥かに冷酷非情に見えましたし、その腰巾着のハンスも極悪非道で、風車小屋の火事をネロのせいにして村八分に追いやった末、仕事が無くなって家賃が払えなくなったのを理由に家を追い出し、それがネロの悲惨な最後に繋がる訳ですが、身寄りのない一人の子供に対して、よくもあそこまで非情になれるものだと、改めて驚きました。

この作品は元々アントワープを背景にしているものの、原作者はイギリス人であり、その事も現地で知名度が低い理由なのですが、何よりもこんな胸糞悪いストーリー…何でこんなのが日本で人気なのか、改めて観て理解に苦しむ思いです。

あの終わり方では、アロアの将来すら絶望的なモノしか見えて来ません。父親が直接に親友の死因とあっては、その後親子関係が正常に行ったとは思えませんし、親子断絶だって仕方ない事態です。

当作品は1997年にアニメ映画化されていますが、コチラは大人になったアロアの回想という形でストーリーが始まります。アロアはネロが亡くなった教会のシスターになっていましたが、ある意味良い落とし所だったと思います。

一体日本人は、この物語に何を見たというのでしょうか?
観た後で気分が良くなるどころか、暗澹とした気分にしかなりませんし、教育的価値が有る訳でも無く、特に後半はネガティブな内容でしかありません。村八分のいじめ文化が日本人には理解しやすかったのでしょうか?

あんな物語を子供に…というのも、また随分と不思議なセンスだと改めて思いました。
そして、こんな酷い物語、現地の人が好き好んで語り継ぐ訳がありません。現地の人に言わせれば、自分たちは身寄りのない子供にあんな非情な対応をする訳がないと・・・当然ですよね?

当シリーズは、長年に渡り様々な欧米の作品が取り上げられましたが、その中でも圧倒的な人気が当作品だというのも、大人になった私の目には、極めて不思議に思えたのです。

改めて書きますが、現地でも全く知名度が無く、エンターテインメントの本場であるアメリカですら知名度が無いという意味で、やはり駄作というのが正直な感想でした。



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アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。