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クライスラーTC by マセラッティー

クライスラー
05 /22 2021
クライスラーTC フロントビュー

クライスラーTC by マセラッティー


本当に久々にこんな車を目にしました。前回の記事にしたのが2012年…実に9年ぶりのことです。

クライスラーTC by マセラッティー…1980年代にクライスラーを率いた故・リー・アイアコッカ氏が、フォード時代から私的な付き合いのあったマセラッティーのオーナー、デ・トマソとの私的な提携?の末に生まれたのが、このクライスラーTC by マセラッティーでした。

Chrysler-TC-rearview.jpg

ロゴはクライスラーに五角形にマセラッティーのエンブレムを組み合わせたものになっています。

シャシーはクライスラーのKカーをベースにしたものですが、ボディーの制作はマセラッティーの手によるもので、エンジンはクライスラーのエンジンをベースに、コスワーズ製のDOHC16バルブヘッドに載せ替えられたものでした。

クライスラー製のシャシーにクライスラー製エンジンをベースにしたエンジン、そしてマセラッティーのデザイン…コレが逆だった方が良かったのではないか?というのが大方の意見でした。

そして90年モデル以降は、クライスラーのお約束で、三菱の3リッターV6エンジンになってしまっています。

1986年のロサンゼルスショーで発表されたものの、発売は89年までずれ込み、更にはこの車が発売される前に、同様のデザインでクライスラー・ルバロンが半額で発売されてしまったことも、この車の存在価値を無くしてしまいました。

結局、僅か3シーズンの間に7300台が販売されただけで終わってしまいました。

クライスラーTC サイドビュー

ホイールベース 2,370 mm
全長      4,465 mm
全幅      1,740 mm
全高      1,318 mm

こうやって見ると、結構小さい車ですね。因みにル・バロンは全長4,694 mm、ホイールベース2,550と、この車よりも大きかったりします。

ル・バロンは4シーターで、TCは2シーターという差はあるものの、33,000ドルという当時の価格を考えると、やはりもう少し大柄な方が良かった気もします。

このデザインは、もう少し大きなボディの方が生きると思うのですが、如何でしょうか?

クライスラーTC リアビュー

80年代後半のアメリカビッグ3は、イメージ向上に躍起になっていた時期でもあり、キャデラック・アランテ、ビュイック・リエッタといった様な同セグメントの車が存在しましたが、どれもコンセプトが明後日の方向を向いていたこともあり、大した結果を残せませんでしたが、正に時代の徒花といった所なのでしょう。

一つ弁護するならば、今のマセラッティーよりはコチラの方が私の好みだということです。

そして、販売的には振るわなかったものの、こんな楽しい企画が出来るクライスラーは、現在のジープ「しか」売れていないソレと比べると、やはり遥かに魅力のあるメーカーだったとも言えます。
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クライスラー・ル・バロン・クーペ

クライスラー
01 /25 2021
クライスラー・ル・バロン・クーペ フロント

クライスラー・ル・バロン・クーペ


先日、クライスラー・クロスファイアーを取り上げた時、せめてル・バロン・コンバーチブルの現代版として出して欲しかった…という事を書きましたが、今となっては珍しくなったル・バロン・クーペを見掛けました。

このタイプは、コンバーチブルと同じく87年に登場していますが、93年にコンバーチブルがフェイスリフトを受けたのに対して、コチラは92年に一足早く生産を終了しています。

コンバーチブルは今でも比較的見かけるのに対して、このクーペは本当に見掛けなくなりました。

やはり趣味性の高い方が残存率が高い様で、コレは北米では絶滅状態であるブリティッシュ・レイランド系の車にも言えることです。

例えばMGBの様な車は今でも大切にされているものの、ADO16系どころか、ローバーSD1ですら全く見掛けないのと同じことだと言えるでしょう。

クライスラー・ル・バロン・クーペ リア

さて、本当に久々に見たクーペですけど、改めて見ると結構良いスタイルしてるじゃないですか!
この長いフロントオーバーハングは、良くも悪くもアメリカ的ですし、グリルを始めとした各部のクロームの使い方もアメリカ車そのものです。

同時代のサンダーバードと同系のデザインと言えますが、寧ろコチラの方が良い意味でのアメリカの味が残っている様な気がします。

全長4694mmと、ギリギリ日本の5ナンバーのサイズで、全幅は1740mmと少し5ナンバーをオーバーした程度ですが、今改めて見ると、このコンパクトなスタイルながら、意外な程に存在感があるのです。

このデザインは、クライスラーTC by マセラッティーを元にしたものですが、イタリア的な雰囲気を持ちながらも、アメリカ的なデザインを非常に上手くまとめ上げていると思います。

やはりこの頃のクライスラーは、GMやフォードに対して、小型車のデザインを心得ていたと思います。
例えば同サイズのシボレー・ベレッタなんかと比べれば一目瞭然です。

まあ、折角のこのデザインを活かせずに、セブリングなんていう後継車で自爆し、その挙げ句がクロスファイアーなんですから!

70年代に魅力的だったフォードも、リー・アイアコッカ氏が去ると共に碌でもない車を連発する様になりましたが、どうやらクライスラーも同じだった様ですね!

クライスラー・クロスファイアー

クライスラー
01 /20 2021
クライスラー・クロスファイアー フロントビュー

クライスラー・クロスファイアー…本当に久々にこんなのを見掛けました!
コレのみならず、同じ日にもう一台見掛けてしまったので、流石にコレは何か書かないと…と思い、久々に取り上げてみます。

この車は、かつてのダイムラー・クライスラー時代に、メルセデスのシャシーを元にクライスラーが開発されたもので、製造もドイツのカルマンで行われていました。

クライスラー・クロスファイアー サイドビュー


何と言っても特徴的なのが、このリアスタイルでしょう。比較的常識的な範囲のフロント周りに対して、凄まじい寸詰まりのリアスタイル…。コレは、アメ車のデザインに対して極めて厳しいジェレミー・クラークソンに「犬がウ◯コしている時の姿勢」と酷評されています。

どうせなら、普通にル・バロン・コンバーチブルの現代版として出して欲しかったところでした。

クライスラー・クロスファイアー リアビュー

折角洒落たクーペを作るに当たって、何を勘違いしたのか…最低限、コンバーチブルは屋根が無い分、常識的なスタイルでしたが…。

この特徴的なスタイル故か、76000台程度という販売台数の割には結構見掛けた印象があるのですが、2008年の生産中止から既に13年…流石に今日その姿を見かけることは無くなりました。

そして中古車市場でも特別に価値が有るという訳でも無い様です。

ダイムラー・クライスラーの決裂によって生産中止に追い込まれた上に、翌年には当のクライスラーが経営破綻に至りますが、正に時代の徒花といった所なのでしょうか?

私自身、正直何か書こうと思っても、余り思い入れも思い出も無いもので・・・。


プリマス・カラベラ(カナダ)

プリマス
08 /20 2020
プリマス・カラベラ フロント

プリマス・カラベラという車は、アメリカとカナダでは少し違い、アメリカでは85年にFFのKカーベースで発売されたのに対して、カナダのソレは7年早い78年に発売され、旧型のFRシャシーでの登場でした。

このFRシャシーは、ダッジ・ディプロマットの直接の兄弟に当たりますが、コレはあの悪名高いダッジ・アスペン、プリマス・ヴォラーレ兄弟のより上のマーケットを狙ったモノでした。

実際には、アスペン・ヴォラーレ兄弟が余りに評判悪く、改良されても思うように販売が伸びなかった故に投入された…という面も大いに有ったことでしょう。

さて、このカラベラですが、こうやってフロント周りを見ると、ダッジ・ディプロマットとほぼ雰囲気が同じと言えますが、リアが中々面白い造形を見せています。

プリマス・カラベラ リア

初代プリマス・ヴァリアントを70年代風にアレンジし直した?様な雰囲気です。

プリマス・カラベラ サイド

そしてサイドビューは、アスペン・ヴォラーレ兄弟に比べて幾分フォーマルな雰囲気に仕上がっています。

1978年と言えば、リー・アイアコッカ氏がクライスラー社長に就任する前年、つまりクライスラーが倒産の危機にひんしている時期でした。

そんな時代にプリマスだけでもヴォラーレ、カラベラ、グランドフューリーと似た様な車を連発していたのには、改めて驚かされます。

元々市場規模の小さいカナダ専用車で、しかも錆の多さも手伝って、現存数も少なく、こんなキレイな個体は珍しいのではないでしょうか?

全長5.184m、全幅1.885mと、ほぼ4代目のキャデラック・セビルと同等のサイズでした。

当時はアスペン・ヴォラーレが品質問題で厳しい批判に晒されたこと、そしてクライスラー自身の経営危機もあり、当時のクライスラー車は正当な評価をされていたとは思えませんが、現在の目で見ると、アメリカもこのサイズをもう少し真剣に突き詰めていたら、また今日の状況も違っていたのではないか?と思えなくもありません。

そして、早くからこのサイズに力を入れていたクライスラーは、経営や品質管理に問題が有ったとは言え、やはり先見の明のあるメーカーであったのかも知れませんね!

ミス・ベルベディア…50年の眠りから覚めて…

プリマス
04 /30 2020
Miss_Belvedere'_before

ミス・ベルベディア…50年の眠りから覚めて…


少し古い話しなので、ご存じの方も多いと思いますが、Yahooカナダを見ていたところ、この話のその後が紹介されていたので、取り上げてみました。

時は1957年、オクラホマ州タルサ市にて、オクラホマ州の50周年記念として、裁判所の地下にタイムカプセルを設け、そこに新車の57年プリマス・ベルベディア(愛称:ミス・ベルベディア)を納入し、同時に50年後の2007年のタルサ市の人口の予想を公募し、グローブボックス内にソレをマイクロフィルムとして納め、50年後の2007年に開封し、最も予想が当たった人にミス・ベルベディアをプレゼントする…という大変に夢のある壮大なイベントが行われたのです!

Miss_Belvedere'_before

時は冷戦の真っ只中、曰くこのタイムカプセルは、核兵器の攻撃にも耐える…という事だったのですが…。

時は流れ、2007年、ようやくそのタイムカプセルが開封される時が来たのですが…その衝撃的な姿がコチラ!

Miss belvedia 2007年

人々の前に50年ぶりに姿を表したミス・ベルベディアは、全身を錆に覆われた、ソレはひどい状態だったのです!

核兵器の攻撃に耐える筈のタイムカプセルも、水の侵入には耐えられなかったのです!

そして当選者は…というと、1979年に既に亡くなっており、当時100歳になる姉に所有権が移りましたが…こんなの貰っても困りますよね…!

Miss Belvedia after de-rest

先ずはニュージャージーのレストア業者に譲られ、サビ取りが行われましたが、一筋縄には行きませんでした。

miss belvedia interior

タルサ市も余りの失望から既に興味なし…。

miss belvedia belongings
- 一緒に収められた57年当時の小物…

最終的には、イリノイ州にあるヒストリック・オート・アトラクション博物館に寄付されることになりました。

Miss Belvedia after de-rest

そして現在の姿…。

このニュース、当時、その余りに酷い姿で発見されたことだけは知っていましたが、その後が有ったことを今日初めて知り、記事にしてみました。

あの当時、50年後に既にプリマスが無くなっているなんて、一体誰が予想したでしょうか?
アメリカ人が皆アメリカ車に熱狂し、毎年ニューモデルの発表をお祭り騒ぎで見守った50年代…。
正にこの時代ならではの夢のあるイベントだったと言えるでしょう。

仮に今、例えばダッジ・チャレンジャー辺りをタイムカプセルに収めた所で、「あっ、そう…」「税金勿体ない」で終わりそうです。

そして、ミス・ベルベディアのその姿は、正に現在のアメリカビッグ3の姿を風刺している様にすら見えてしまいます。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。