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ベルリン2017 トラバントの話

ヨーロッパ 2017
08 /26 2017
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1989年のベルリンの壁崩壊の象徴として話題になったのが、東ドイツ製の車「トラバント」でした。

発売されたのは1957年で、共産主義体制故に、それ以降、大きなモデルチェンジもなく生産され続けていた為、89年当時、西側とのその技術差は如何ともしがたいもので、立派な西ドイツ製の車の間を、煙と騒音を撒き散らしながら走るトラバントの姿は、ベルルンの壁崩壊の象徴、そして新しい時代への象徴として、大いに話題になったものでした。

当時、既に西側では絶滅した2ストロークエンジンでしたが、この車は、かつての2ストロークの名門DKWの流れを汲んでいるのです。

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元となった旧アウトウニオン(Auto Union)は、高級車のホルヒ、中級車のアウディ、大衆車のヴァンダラー、2ストローク及びバイクのDKWの4社が合併したもので、現在アウディのエンブレムとなっている4つのリングは、その4社を示しているのです。

アウトウニオンも、ドイツの分断によって、東西に別れ、西は2ストロークのDKWで復興し、後に4ストロークに切り替える時、アウディになりました。

東はVEBザクセンリンクとして復興し、当初は戦前のDKWを生産しながら、1957年、このトラバントの発売に漕ぎ着けました。

この車は、ボディーがダンボールで出来ている…と言って散々バカにされたものでした。

ドイツのジョークとして、

”メルセデスのSクラスとトラバントが正面衝突をした時、Sクラスの
ドライバーのすべき事は…ワイパーひと拭き…”

なんてのも有りました。

このボディーは、当初グラスファイバーで作られていたのです。初代コルベットの発売が53年…それを考えると、非常に早いことがお判り頂けるでしょう。

しかし、コルベットが少量生産で、軽量化を目指していたのとは異なり、トラバントの場合、当時、極度に鉄が不足していたという東ドイツの経済状況からの苦肉の策でもあったのです。

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エンジンは600cc、横置きの2ストローク並列2気筒、馬力は23/3900rpmでした。

フィアット500が20馬力前後、シトロエン2CVが12~15馬力程度であったことを考えると、当時としては十分以上のものでした。

潤滑方式は、ガソリンの中にオイルを混ぜる「混合給油」です。後に主流となる「分離給油」が登場したのは、60年代も後半になってからのことです。

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エンジンにはカバーが付き、冷却ファンによる強制空冷になっています。

このトランスミッションの配置の仕方は、現在のFFの直接の祖先とも言えるもので、寧ろFFの元祖の様に言われるミニよりも、より現代的です。

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エンジン後方に設置されたガソリンタンクは、キャブレーターより高い位置に置くことで、燃料ポンプが不要ということで、同時代の小型自動車に見られたレイアウトですが、反面、安全性には問題が有り、現在は考えられないものです。

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個人的に面白いと思ったのが、このフロントサスペンションです。

ダブルウィッシュボーンで、アッパーアームの代わりに左右を横置きのリーフスプリングで連結することで、非常に低コストで、シンプルかつ合理的な設計です。

フロアも完全に平らで、全長3.5m、全幅1.5mというコンパクトサイズからは感がられない程のスペースを有しています。

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シートのクッションも、結構シッカリと分厚いものでした。

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リアシートも、173センチの私に十分なスペースがあります。

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更にトランクも、このサイズとしては十分以上のサイズですし、このヒンジ…現在のパンタグラフ式の原型とも思えるもので、限られたスペースを有効利用しています。

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以上の写真は、一般的に最も有名なトラバント601と呼ばれるモデルです。

57年発売当初のモデルはP50と呼ばれ、エンジンは500ccでした。

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トラバントP50…可愛らしい顔が印象的です。

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1962年には、600 ccに拡大されたP60が登場しました。

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そして、コチラが次期モデルのP601で、1664~90年という大変に長い期間生産されたため、一般に我々の知るトラバントというと、コレになります。

P60をベースに、主に外装のグレードアップが特徴で、ホイールベースはそのままに、全長、全幅も拡大しています。

そしてベルリンの壁の崩壊と共に、この車の愛らしい姿が西側で話題になったのです。

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1989年4月の段階で620万台の受注があったものの、当時東ドイツ国内での生産台数は年間15万台程度で、注文して実際に手に入るのは10数年後というのが当たり前でした。

故に、特に必要ないけど、取り敢えず注文しておく…子供が生まれたから取り敢えず一台…という人が大量に居た為、実際の需要がどの程度であったかは不明なところもありました。

取り敢えず注文だけしておいて、キャンセルしたら…喜んで次の人が買ってくれるので、問題なかったのです。

ベルリンの壁崩壊によって、東ドイツの産業は皆一気に苦境に追いやられました。

仮に50年代のトップレベルとは言ったところで、90年代の西側の技術に太刀打ちする術はありませんでした。

トラバントの歴史は、常に社会主義政権との戦いであったと言われ、発売に漕ぎ着けるまでにも、最終的に一番大変だったのが、役人を説き伏せる事であったと、当時の技術者のインタビューで語られていました。

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そんな中で登場したのが、トラバントの最終型、1.1です。

この車は、フォルクスワーゲン・ポロの1.1リッターエンジンを積んでおり、トラバント唯一の4ストローク水冷4気筒車です。

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実はこのプロジェクトは、84年頃からP1100プロトタイプとして始まっていたのですが、役人との折り合いが付かなかったこともあり、実際に発売される事は無く、お蔵入りになっています。

その代わり?として1.1が発売に漕ぎ着けたのは、ベルリンの壁崩壊後の1990年になってからでした。

この車は、寧ろVEB ザクセンリンクの雇用を守ることが主目的であったと言われています。

しかし、同時に大幅に値上がりしたこと、そして、西側から大量に西ドイツ車の中古車が流入したこともあり、販売は不振に終わり、この事は、トラバントの市場が統一ドイツに於いて皆無であることを示し、わずか一年で39.474 台生産された後に生産中止になっています。

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 -  こんなの役に立つの?なんて思いますが、まあ他も同じなので…

以降、トラバントというと、まるでジョークの様に扱われ、無意味に破壊されたり、無残な扱いを受け、急激にその台数を減らしました。

当時のドイツ人には、この車の歴史的価値を理解できなかったのです。

そして、現在の台数は24879台という事です。

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現在、ドイツの市街地では、この様な古い車を通常の方法で使う事はできませんが、歴史的価値のある車種に関しては、特例が設けられているということで、VWビートルなんかと共に、トラバントもソレに相当します。

現在ベルリンで見かけるトラバントというと、殆どが観光用で、実際に運転を体験できるツアーもあります。

あれから30年近くも経つというのに、相変わらずこういうのがアトラクションになっているのが面白いですね。

しかし、こうやって見て行くと、結構合理的な作りをしていて、面白いですね。東ドイツとはいえ、改めて当時のドイツの技術水準の高さを垣間見た思いがしました。

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現在、Youtubeなんかでも、この車のインプレッションを観る事ができますが、その多くが、現在の車と比べてバカにしています。

残念ながら多くの人が、「当時の技術レベルでは」という思考回路を持たずに、単純に現在の価値観で蔑んでいるのには、呆れるとともに、非常に腹立たしくも思います。

50年代後半のこのクラスというと、VWビートルやミニではなく、シトロエン2CV、フィアット500といった辺りになるのですが、その辺りを理解していない人が多すぎます。

尚、ココの写真は、ベルリンにあったトラバントの博物館で撮影したものです。小さな博物館がら、結構長居してしまいました。

そして、訪問者の殆どがドイツ語を喋っていた様です。
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ベルリン 2017 ベルリンの壁

ヨーロッパ 2017
08 /26 2017
宿についてチェックインを済ませると、先ずは食料の調達に行きました。同じ建物の裏側にスーパーが有ったのですが、先ずはそこの値段に驚かされることになります。

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これだけ購入して、5.58ユーロでした!

このサラダミックスは、日本のコンビニで売っているサラダの倍以上はありますし、バンクーバーでも、同じモノを買えば、5ドルでは済みません。チーズも10ドルはします。その上、巨大なヨーグルトに1リッターのジュースなんかも入れて、この値段です…。

因みにこのジュース、後に購入したイタリアのスピリッツ「グラッパ」と非常に相性が良かったですね…。

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このグラッパというのは、かつて某大企業で世界中を飛び回った私の親戚から教えて貰ったものだったのですが、ブドウをベースにしたスピリッツで、アメリカでもカナダでも見たことがありませんでした。

コレも6ユーロ程度と安く、旅先で出会った人と一緒に飲む時、有りふれたウォッカやラムなんかと違い、より会話のネタになったものです。

後にミュンヘンにも行きましたが、ドイツは、兎に角食料品が安いという印象がありました。

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さて、ドイツの首都ベルリンですが、かつて東西に分断されていた事でも有名で、その半分が東ドイツに属していました。

第二次大戦末期、連合軍に攻め込まれたベルリンは、激しい市街戦に晒され、徹底的に破壊されました。その上、ベルリンの壁の周辺が開発から取り残されたこともあり、89年のベルリンの壁崩壊以降、急速な開発が進んだことから、写真のような近代的なビルが多く見られるのが、パリとの大きな違いです。

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ベルリンの象徴とも言えるブランデンブルグ門…この時は作業中で閉鎖されていました。予想していたより、かなり小柄な印象を受けました。

東西に分断されていた当時は、ブランデンブルグ門は東側に属し、丁度私の立っている辺りに壁が有ったことになります。

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ベルリンの名物といえばトラバント…東ドイツの旧アウトウニオン(現アウディ)のホルヒの工場で製造されたこの車は、ベルリンの崩壊で初めて西側に紹介されました。50年代から殆ど変わっていないその姿は、東西格差の象徴として話題になったものです。

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しかし、当時の人は、この車の歴史的価値を理解せず、単純に同時代の西ドイツの車と比較した上でバカにして、その多くが無意味な破壊に晒される運命を辿りました。

本来この車は、シトロエン2CVやルノー4CV辺りと比較するべきなので、その辺りとの比較では、決して劣っていない車なのですが、コレに関しては、回を改めて紹介しましょう。

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ベルリンと言えば、やはりベルリンの壁…という事になるのでしょう。

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こんな所にも、ベルリンの壁が残っています。

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こうやって市内の所々に残っているのですが、大体観光バス位の高さであることを考えると、頑張れば超えられそうで超えられない…という微妙な高さですね…。

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チェックポイント・チャーリー…かつてこの場所には、アメリカ軍によって東西への検問所がありました。手前が西側、向こう側が東側になります。

この建物は1990年6月、ドイツ統一の少し前に撤去されましたが、2000年に再建され、観光名所となっています。

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コチラは、東側から西側を見たものです。トラバントが…!!!

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この辺りは、こうやって今日でも理由に落書きして良い様です。

しかし、ベルリンの壁崩壊から、既に30年近くが経つというのに、今だにこういうのが観光名所というのも、何か不思議な気がしますね…。

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今でもこんな具合に、ベルリンの壁は売られています。

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こんなのも、ベルリンならではですね・・・。

因みに、このトラバントのミニカーは、小さいの2台、大きいの一台買ってきました。

ベルリン 2017

ヨーロッパ 2017
08 /16 2017
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パリの滞在後は、ドイツの首都ベルリンに向かいます。

ヨーロッパ内で移動するには、一番手頃なのが長距離バスになります。そのバスも、国によって色々あるので、特にこうやって国境を超えたバスを使う場合、便利なのが、GOEUROというサイトです。

コレだと、日にちと行き先を入力すれば、適切なバスを選んでくれますので、各国のバス会社を検索して・・・という手間が省けます。

今回は、 Eurolinesという会社を使うことになります。

バスターミナルは、宿から地下鉄で一本で、駅と直結しているものの、どうもガランとしていて、イマイチです。

夕方7:30にパリを出発しました。

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大都市パリとは言え、30分も走ると、本当に何もない所に出ます。

しかし、パリの郊外で驚いたのが、兎に角広大な農地が何処までも続くことです。まるでアメリカの様に…。いえ、寧ろアメリカよりも何もない様に見える位でした。

アメリカだと、窓際に張り付いて、結構写真を撮ったりするのですが、正直そんな魅力は感じませんでした。

日没は9:40頃…随分と日が長いものです。

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後はひたすら薄暗い中を走るばかりです。丁度眠気も襲ってきます。

11:30頃、ブリュッセルに到着しました。辺りは一面の暗闇…知らぬ間に、国境を超え、隣のベルギーに入っていたのです。そこで乗客の入れ替わりがありました。

更に北上し、ベルギー北部のアントワープで再び乗客が入れ替わり、その後、オランダ南部を横切り、午前2時、ドイツ国境に到達します。

ここで、バスの中に警察官が乗り込んできました。「入管」ではなく、Polizei…つまり「警官」なのが不思議なところでした。

そこで初めてパスポートの提示を求められるのです。今までベルギー、オランダと国境を超えてきたにも関わらず、初めて…。

警官が一人ひとりパスポートを確認して行きます。そして、人によっては、色々質問されたり、パスポートを車外に持っていって確認作業を行う等していました。

そして私の所に来たのでパスポートを出した所、ソレを手に取ることもなく、完全に素通りされました!!

そんなに信用出来そうに見えたんでしょうか?

やはり見ていると、アフリカ系、中東系に対して厳しいのは、明らかでした。

ユーロ圏内ではかなり厳しい…というか唯一?のドイツですらコレです・・・。

しかし、特に誰一人として引っかかる者もおらず、無事国境を通過します。アメリカのソレを知っていると、本当に拍子抜けでした。

そして、再びバスがベルリンに向かって走り出します。

4:30には、辺りが明るくなり始めました。初夏のヨーロッパは、カナダよりも日が長いのです。

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6時前にハノーバー、10時半にポツダム、そして、10時50分、約1時間遅れでベルリンに到着しました。

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ベルリンに到着して最初に驚いたのが、バスターミナルにあるホットドッグスタンド?が非常に安いことでした。

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普通、こういう所は、観光地価格で割高なんですが…非常に良心的な価格です!
バンクーバーなら、間違いなく5ドルはします。

そして、バス停で道を聞いた職員が全く英語を理解しなかったこと…かつてはフランス人は…なんて言われたものでしたが、今回の旅を通して、寧ろドイツの方が英語が通じない?という印象を持ちました。

駅までは何とかなったものの、コレ以降も苦しめられ続けたのが、ドイツの駅の表示の分かり難さでした。

駅で地図を見せながら質問した所、この方達も、一切英語は分からず、ドイツ語で丁寧に教えてくれました・・・。

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一回乗り換えが有ったものの、何とか無事に宿にたどり着く事ができました。

トータル1000キロ、15時間のバス旅行となりました。料金は60ユーロと、1000キロの距離を考えると、十分にリーズナブルだと思いました。

あの蒸し暑かったパリよりは幾分涼しい様です。

街並みは、新旧入り交じっているという印象で、パリ程統制の取れた街では無い様です。

パリ2017 モンパルナスタワー

ヨーロッパ 2017
08 /05 2017
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モンパルナスタワーは、1972年に完成したパリ市内唯一の高層ビルです。

旧モンパルナス駅の跡地に建てられたものですが、余りにも周囲の景観にマッチしないと、非常に悪評の高い建物なのですが、同時に、ココの最上階は、「パリの景色が最も美しく見える場所」でもあるのです。

パリで最も評判の悪いビルが、パリの景色が最も美しく見える…何とも皮肉なものです。

翌日の予報が余り良く無かったので、雲が多いものの、夕方、出かけることにしました。

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Google Mapでルートを検索して行ったのですが…どちらかというと、ビルよりも、その周辺の街の雰囲気を楽しみたかったので、検索をモンパルナスタワーではなく、単にモンパルナスで行ったのです。

どうせ、あんな高い建物、何処からでも見えるだろう…ってな具合で…。

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コレが大きな失敗でした!写真でも分かる様に、パリには高層ビルこそ無いものの、平均的な建物は結構な高さがあり、しかも隙間なくビッシリと建っているので、59階建てのモンパルナスタワーでも、本当に近くまで行かないと、分からないのです。

WiFiを使えるような店も周りには無く、結局何となく人が居そうな、より栄えていそうな方向に向かうことで、何とか辿り着くことが出来ました。

この日も殺人的なくらいに蒸し暑い日でした。

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そしてモンパルナスタワーへ・・・入場料は17ユーロでした。セキュリティーチェックを受けてから、エレベーターで最上階まで行きます。

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やはりパリの景色は、例えばニューヨークやシカゴなんかと比べても、全く趣が異なります。

背の低い建物がビッシリと、しかも碁盤目ではなく複雑な格好で並んでいます。何となくパリの区画は、三角がベースになっているのでしょうか?

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重い雲に覆われた蒸し暑い夕暮れ…こういう日こそ、夕日には最適です。パリの幻想的なパノラマを押さえることができました。

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幻想的な日没です。少しフォトショップを強めに掛けてみました。

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10時頃から5分間、エッフェル塔はイルミネーションの点滅で包まれます。

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街全体に灯りが灯りました。パリの最も美しいパノラマを堪能頂けたでしょうか?

かつてエッフェル塔は、パリで最も醜い構造物として批判されたのは有名な話しですが、今日となっては、やはりコレが良いアクセントになっています。

反面モンパルナスタワーは・・・やはり外から見るよりも、この中からパリ市街を拝むには最高の場所だと言えるでしょう。エッフェル塔込みの景色が観られるという意味で…。

こうやって夜景を撮っていて思いましたが、やはりオリンパスE-M10の様なマイクロフォーサーズは、手軽で良いですね。

当然この様な場所では、三脚使用は禁止されています。より大きな一眼レフを持っている人達は、この場合、ISOをガンガン上げて手振れを防ぐ以外に方法が有りませんが、大きいフォーマット程、手振れにはデリケートになるのです。

マイクフォローサーズでは、コンパクトで上質な単焦点レンズが揃っている上に、テーブル三脚で十分に役に立つんですから、ある意味、夜景には非常に手頃なシステムだと言えるでしょう。

パリ2017 凱旋門~シャンゼリゼ

ヨーロッパ 2017
07 /31 2017
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日本でも有名なシャンゼリゼ通りは、パリで最も有名な建築物の一つである凱旋門から、あのマリー・アントワネット等、多くの人々が断頭台へと散ったコンコルド広場までの約3キロを指します。


この通りは、更に延長すると、ルーブル美術館、チュイルリー庭園(旧王宮)、コンコルド広場、凱旋門、そして更には、パリ市外になりますが、ラ・デファンスの高層ビル群が一直線上に並び、コレをパリの歴史軸(axe historique)と呼びます。

この辺りは、古くから王宮が有った関係で、明らかに街並みが立派で、サントノーレ通り周辺には、ルイヴィトンの様なブランド品の店が軒を連ねます。

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更に先に進むと、あの凱旋門が見えてきます。

そして、通りの両脇には、様々な店が軒を連ねています。最初に足を止めたのがココ!

プジョーは、こんな一等地に立派なショールームを持っているのです!

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中には、新車とともに、ダカールラリーPEUGEOT 3008 DKRが展示されています。

店員も皆英語が堪能で、フランスとは思えない位(失礼!)に気持ちの良い対応をして貰いました。

私自身、かつてプジョーの整備もやっており、北米にプジョーが無いのが残念だということを話すと、GMとの関係が深まり、その路線で再参入を画策中という話しでした。それが実現すると、面白いですね。

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この辺りは、凱旋門に向かって緩やかな上り勾配になっています。歩道もゆったりしていて、清潔で歩いていて気持ちがいいですね・・・と言いたいところなのですが、この日も優に30度を超えて、大変に蒸し暑い日でした。

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凱旋門は、ラウンドアバウトの真ん中にあり、ココに行くには、地下道から入場料を払うことになります。因みに日本では、凱旋門と言えばコレを指しますが、正式名称は、エトワール凱旋門と言います。

コレは、1805年にナポレオンがアウステルリッツの戦いに勝利した記念に建設されたものですが、完成したのは、ナポレオンの死去後のことでした。

私は特別、この手の物には興味がないので、地下道を直進し、凱旋門の反対側に出ました。

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この辺りは、ドカッティーやロイヤルエンフィールドの様なバイク屋や、スクーター専門店、バイク用品店が数軒、車屋が何店舗かありました。写真を撮ったと思ったのですが、何故か見付かりませんでした。

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ショッピング街の反対側が自動車街?というのも、少し面白いですね。

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コチラはラ・デファンスの高層ビル街です。パリ市内では、エッフェル塔建設に非常に反対意見が根強く、そして、72年に完成したモンパルナスタワーも、市民から非常に評判が悪く、以降、パリ市内では高層ビルの建設は行われず、この手の高層ビルは、隣接する地域にあり、伝統的な美しさを誇るパリの景観とは異なり、モダンアートの様な奇抜な景観が特徴です。

因みに、エッフェル塔建設の反対派であった文学者ギ・ド・モーパッサンは、塔が出来ると、そこのカフェに通うようになりました。

反対派仲間からその事を咎められると、「ココは唯一、あのエッフェル塔が見えない場所だ…」と言ったそうです。

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再び地下道を通り、シャンゼリゼ側に戻ります。先程と反対側に出ましたが、コチラの方が、より歩道が広く、ユッタリとしています。

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それにしても、蒸し暑そうな雰囲気が、写真からも伝わってきます。

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この辺りでは、フェラーリやランボルギーニのレンタルも行われています!

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90ユーロという値札が付いていますが、一体どの程度の時間借りられるのでしょうか?

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トヨタのショールームは、工事中でした。しかし、こんな所にショールームというのは、やはり凄いですね…。

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ルノーのショールームも有りました!

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プジョーもそうでしたが、一番目立つ場所にレーシングカーを置くのが、ココの文化なのでしょうか?

あとは、徳大寺先生の本で、シトロエンのショールームが有るという話を聞いていたのですが、残念ながらソレは見つける事ができませんでした。

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あとで確認したところ、ショッピング街の外れ付近に有りました!私の歩いている反対側であったこと、そして、この暑さから来る疲労も併せて、この辺りでは、そんな注意力は有りませんでした・・・。

まあ、ココは銀座やニューヨークの5番街みたいな所です。手頃なアットホームな店が少ないのは仕方ないのでしょうが、どうも所謂チェーン店の様な店が多く、私にとっては「一度来れば良いや・・・」という場所で、実は、帰国前の宿をこの近辺に予約しておいたのですが、ソレはキャンセルさせて頂きました。

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食事は、この辺りは当然安くない地域なのですが、このステーキと、パン、サラダ、デザートのセットで15ユーロでした。味もアメリカと比べて上品ですし、焼き具合も、何も聞かれなかったのに、絶妙な具合でした。

今のアメリカでは、この値段ではステーキではなく、ハンバーガーになります。

しかし、ココで閉口したのが、今時珍しい日本人の団体観光客でした!

ナイフ・フォークの使い方から何から、イチイチツアーガードが店中に聞こえる様な大声で食べ方のアナウンスを繰り返すのです。皆、かつての農協の団体旅行にも勝るとも劣らない下品な雰囲気で、この時代、一体どんな田舎から来た人たちなんでしょう?

余程店に文句を言いたかったですし、アレこそマナー違反も良いところです。

それにしても蒸し暑い日でした。並木も青々と茂っていますが、やはりパリといえば、葉っぱが色付く頃が、一番美しいのではないでしょうか?

更に進むと、コンコルド広場があり、そこでシャンゼリゼ通りも終わりです。このコンコルド広場は、フランス革命時、革命広場と言われ、ギロチン台が設置され、多くの処刑が行われた場所として有名ですが、現在は、ラウンドアバウトの真ん中に、党と噴水が有るだけで、ついでならともかく、敢えて見に行く程の価値は無いでしょう。

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この日は、最近アチコチで見かけるレンタル自転車を利用しました。

この手の自転車は、市内のアチコチに、写真の様な駐輪場があり、最初に1.7ユーロで24時間のチケットを購入し、それで一日何回でも自転車を借りられるのですが、最初の30分までが無料なので、上手くやれば、自転車を30分毎に乗り換えると、1.7ユーロで一日中使えるという事になるのです。

非常に便利なシステムで、しかも平坦なパリでは、使い易いのですが、問題は、有名観光地付近では、皆自転車を返却してから観光するので、返却スペースが無く、その場合、近くの自転車置き場で「空き」のある所を探さないといけないのです。ソレをやっているウチに30分過ぎてしまう…ということも有り、その場合は課金されてしまいます。

コレは市によって運営されているものですが、パリ交通の主流である地下鉄と違って、景色が見えるのが良いですね。

バンクーバーでも、同様のシステムが有りますが、最初に払う一日のチケットが10ドル近くもしているので、パリのソレは大変に良心的な値段だと言えるでしょう。

パリ観光には、オススメです!

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。