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Chrysler New Yorker

クライスラー
08 /31 2008

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1979年、第二次オイルショックの煽りで倒産の危機に立たされたクライスラーの社長に就任したのが、元フォード社長のリー・アイアコッカ氏でした。フォード時代から温めていたものの、ヘンリー・フォード2世によって潰された小型FF車の計画を、クライスラーで実現したのが、通称「Kカー」と呼ばれる、ダッジ・アリエス、プリマス・リライアントでした。シンプルで安価な車は、なかなかの人気を誇り、クライスラーの経営を大いに潤しました。

そこで、次に登場したのが、このKカーをベースにした高級車、クライスラー・ニューヨーカーでした。太いCピラー、木目調パネルを多様した内装は、同じKカーとはいえ、随分と雰囲気が異なりました。この辺りもアイアコッカ流車作りといえるでしょう。
この型では、音声ナビ付きのモデルも存在していました。車に乗ってキーを捻ると、「シートベルトを締めて下さい」等の音声が聞こえるのです。親切な様で、ありがた迷惑でもありました。おまけに、エンジンが停止している時に、「油圧が低い」という警告が出るのも、冗談の様な話でした。

このKカーは、他にもアメリカ製コンバーチブルの復活第一号となった、ル・バロン・コンバーチブル、そしてダッジ・キャラバン、プリマス・ボエジャー等のミニバンのベースにもなりました。
結局80年代のクライスラー車は、一部の三菱ベース以外は、殆どがこのKカーを元にしており、そのやり方が、顧客を欺くインチキ商売という批判を受ける結果にもなり、クライスラーを救ったKカーですが、それに頼りすぎた商法は、後に再び経営不振を招く結果となり、それ故にアイアコッカ氏もクライスラーを去ることになりました。

そして、完全な新型シャシーの登場は、92年のLHカーまで待たねばなりませんでした。

写真:クライスラー・ニューヨーカー
サンタモニカにて。

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バンクーバーのタクシー事情

タクシー
08 /31 2008
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アメリカ車の衰退を端的に表す一例です。
かつて、北米のタクシーといえば、GMとフォードのフルサイズ車と相場が決まっていました。シンプルな構造で部品が安く、丈夫でメンテナンスが楽だという理由からですが、96年モデルを以ってGMがこのセグメントから撤退すると、フォードの独占状態になりました。

ところが、昨今の原油高では、多少のメンテナンスコストよりも、燃料代の方が遥かに深刻な問題となった為、3年前の訪問時には、ビュイック・センチュリーを始めとしたGMの中型FF車が多数使われる様になっていました。

しかし、流石に距離を走るタクシー業界です。元々耐久性には疑問符の付く上に、整備性が非常に悪いアメリカ製FF車は、軒並み淘汰されてしまいました。その代わりに出てきたのがトヨタ・カムリとカローラ、そして3年前にも少し見掛けたプリウスが非常に多くなっているのが印象的でした。

構造がシンプルで、丈夫で、居住性、荷物の積載性・・・と言った項目を、とアメリカ製フルサイズ車よりも遥かに小さいボディーで実現しているのです。

因みにカムリは、98年の訪問時に少し使われているのを見ましたが、その後は全く使われなくなった様で、最近再び採用されたという事です。
未だにフォード・クラウン・ビクトリアを使用しているアメリカに比べると、カナダは以前から車種に関して比較的柔軟に対応している様です。
以前はダッジ・イントレピッドなんかも採用されていました。リーズナブルな価格と居住空間の大きさをからだと思いますが、流石に品質に問題のあった車だけあり、その後の採用はありませんでした。

写真:一番奥にあるシボレーのミニバン以外は、全部トヨタ車です。ミニバンタイプのタクシーは、車椅子用のリフトを装備しています。この手は、まだアメリカ車が主流でしたが、同時にトヨタ車もたまに見掛けたので、取って代わられるのも時間の問題かも知れません。

Pontiac Grand Am

ポンティアック
08 /31 2008
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85年に発売され、日本でも300万以下で買えるアメリカ車ということで、一頃ある程度の売れ行きを示したモデルです。実際のところ、カローラ辺りと同価格帯の車なので、280万というと、非常に高く感じますが、それでも当時の日本では、他のアメ車は普通に500万位していたので、随分と安く見えたものです。

そして、写真のモデルは2代目で、92年に登場しました。当時、アメリカ・ビッグ3は、何とか日本に車を売ろうと、必死になっていた時代で、時のブッシュ大統領が、ビッグ3のCEOを3人連れて来日するという、前代未聞の珍事が起きたほどでした。

当時のGMは、この車を対日本の戦略車種として位置づけており、日本国内で最初に型式認定を得たアメリカ車となりました。日本で車を売る場合、運輸省(当時)の型式認定を得るか、一台一台全て運輸省で検査を受けた上で販売するか、二通りの方法があり、量販を前提とした車は、前者を取るのが普通です。アメリカ車の場合、皆後者で、その手間もコストアップの一因となっていました。

こうして量販体勢は整ったものの・・・如何せんこのデザイン・・・当時、評論家の徳大寺氏が「ホラー映画に出て来る巨大な昆虫」と評した程、下品に見えたものでした。少なくとも先代の方が、個性的では無いモノの、無難なデザインでした。

他にも、マーケティングの失敗として、この車は、アメリカでは若者向けなのに、このクラスを買う日本の客層は、遥かに年齢層が高いために、余計にこのデザインが嫌われた様です。例えば兄弟車のビュイック・スカイラークの方が、遥かに上品なデザインだっただけに、コチラをグランダムの名前で売るという手もあったでしょう。

車としての出来は、やはり居住性、品質の面で日本車には遠く及ばない車でした。が、広々とはしていないものの、何かユッタリとした気分になる、長時間運転していても比較的疲れの少ない、不思議なインテリアでもありました。特に96年以降は、内外装のデザインが変更され、ドアの内張りの形状変更(前席シートベルトの変更)によって、居住性も改良されましたが、その頃には、日本市場はキャバリエとサターンに任せることになったため、割高感から全く販売は振るいませんでした。

写真:サンタモニカにて

フォード・マスタング Ford Mustang

フォード
08 /31 2008

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64年の登場以来、戦後最大のヒット作となったマスタングの比較的初期のモデルです。本来このページで扱うには、少し古いのですが、クラシックカーとして根強い人気を誇るマスタングでさえ、随分と目にする機会が減ったというのが正直なところでした。

発売当時のアメリカでは、2台目の車を所有する家庭が増えてきていました。そして、その多くが経済的な小型車を望んでおり、マスタングのリーズナブルな価格と、コンパクトな車体、内装からエンジン、トランスミッションに至るまでの幅広いオプション設定が、幅広いユーザーにアピールしたのです。

他にも第二次大戦時、ヨーロッパに駐留した多くのアメリカ人がスポーツカーに接して以来、アメリカでもスポーティーな車を求める声は高かったものの、既に市場に出ていたコルベットや、初代サンダーバードは、2シーターであったが故に、限られたマーケットしか得られませんでした。

実用車、フォード・ファルコンをベースに、このスタイリッシュな車を作り上げたのは、後にフォード社長、クライスラー会長となる、あのリー・アイアコッカ氏で、これ以降の氏の仕事を見ても、平凡なシャシーをベースに、魅力的な車を安価に作るという手法が共通しているのが分ります。

下の写真は、恐らくオリジナルのままのコンディションと見えます。この様な車は、むしろ珍しく、街中で見かける殆どが、何かしらのレストアを経ていると思って間違いないでしょう。共に2008年8月、ロスのダウンタウンにて撮影。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。