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Honda Accord wagon

日本車
10 /28 2008

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1980年代初頭、第二次オイルショックの煽りで、深刻な経営不振に陥ったアメリカ自動車産業は、矛先を日本に向けてきました。政府の力を借りて、「対米輸出自主規制」なるものを付き付けてきました。要するに規定以上の台数は輸出しない様に!という事です。

そこで、ホンダは1982年、他社に先駆けて、アメリカ・オハイオ工場にて、アコードの生産を開始しました。後にトヨタを始め、多くの日本企業がアメリカに工場を設立しましたが、大きな違いは、ホンダの場合、現地での部品調達率が非常に高いことでした。

他社が日本から鋼鈑等を輸入している中で、ホンダは質の悪いアメリカの鋼鈑を如何に上手く使うかを研究し、塗装や表面処理で、不均一な表面を見栄え良くしていました。
事実、当時のアメリカ車の外板を見ると、どれも面が均一で無く、ヨレヨレしています。それでもアメリカでは問題無かったのですが、日本のメーカーとしては、とても納得の行くものでは無かったのです。

日本でアメリカホンダの存在が知られる様になったのは、88年、アコードクーペが限定販売されてからでした。バブル景気の真っ只中、左ハンドルで、何処と無く異国情緒の漂うソレは、結構人気を呼んだものでした。

そして、その次のモデルでは、クーペの他に、ワゴンが「カタログモデル」として、アメリカから輸入、販売されました。写真は、その頃のワゴンです。
その頃になると、バブルは崩壊し、初代レガシーを始め、日本でワゴンの人気が出てきた頃で、270万円と、相当割高であったに関わらず、人気を呼び、セダンよりもワゴンの方が売れる様になりました。
当時、レガシーGTとほぼ同価格で、アチラは4WDにターボ付き・・・絶対にレガシーの方がお買い得と思ったものでしたが、発売から10年後に見たところ、レガシーがガタガタで高価な故障が頻発したのに対し、ハッキリと耐久性の差を見せ付けました。

ただ、北米では、当時でも余りこの手のワゴンを目にした記憶はありません。彼の地では、圧倒的にセダンかクーペであったと思います。
そして現在、北米では、ワゴンという形式が、ほぼ絶滅状態で、アメリカ製でスタートしたアコードワゴンも、現在は日本製になっています。

ワゴンは、車体の形状のせいで、どうしてもセダンに比べて、荷物室周辺からの軋み音が発生し易いのですが、この車は、ホンダ初のワゴンであったせいか、荷物室の内装が物凄く頑丈に作られており、パネルの着脱も難しく、整備士泣かせでもありました。そして、最初から上手く組み付けられていないものも少なからず存在し、その辺からも、同じ車種でも、当時のアメリカ製は、日本製よりも組み付け精度が劣るという印象を持たれていました。



写真:アコード・ワゴン(初代)、2008年8月、バンクーバーにて撮影。

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GMとクライスラーの合併について

無題
10 /27 2008

巷では、世界最大の自動車メーカーのGMと、クライスラーの合併が大詰めに入ったと言われています。

これを見て、かつてのイギリスを思い浮かべずには居られません。

大小様々な自動車メーカーの存在したイギリスでは、戦後、最大規模を誇ったオースチンと、ナッフィールドグループ(モーリス・MG・ウーズレー等)の合併を皮切りに様々な企業が参加し、BMCという大企業になりましたが、結局体力の無い者同士の合併は、経営の混乱をもたらしただけでなく、強引なラインナップの整理は、それぞれのブランドのキャラクターを破壊し、単に名前を変えただけのモデルが蔓延し、技術開発も停滞し、結局ユーザーからも見放される結果となりました。

その後は国営化~独立~ホンダとの提携~BMWによる買収~フェニックス(MGローバー)・・・と色々と試行錯誤を繰り返しましたが、一向に経営は安定せず、数年前に再び経営が破綻し、中国の企業に買収されてしまいました。

GMは80年代以降、トヨタとの合弁の他にも、スズキ、いすゞ等、様々なメーカーとの提携を行っていながら、一向に品質を向上する気配がありません。

クライスラーも、独ダイムラー社との合併も解消し、投資会社サーベラスの傘下に入りましたが、それでも上手く行っていないということなのでしょう。

過去30年のアメリカビッグ3を見ていると、景気が悪くなると、政府に泣き付き、景気が良くなると、野放図なサイズアップを繰り返し、いい加減な車作りを始める・・・正にこの繰り返しでした。

危機というものは、その時急に訪れるものではありません。第二次オイルショック時の危機は、即ち50年代後半以降の絶頂期に、技術開発を怠り続け、形だけのモデルチェンジを繰り返してきた結果であり、その打開策が、政府の力を利用した日本バッシングでした。

そして80年代後半になると、原油価格の下落から、再び大型化に走り、湾岸危機が到来すると、再び日本叩きに走る。正にその繰り返しで、肝心な技術開発には全く無関心で、旧態依然としたエンジンを、更に無理なコストダウンを行うことで、品質低下を招いてきました。

流石に90年代の日本での事業展開が失敗に終わった事に懲りてか、今現在、日本を叩く動きは出てきませんが、今までの歴史から、弱者同士が合併して強者になった例は殆ど無いと言っていいだけに、今回の合併には、余りポジティブな見方は出来ません。

結局資金調達の話ばかりで時間を稼ぎ、良い車を作る事には繋がりそうも無いからです。
GMは、現在でも世界の最先端の技術を保有しています。そして、ソレが製品に反映されないのは、官僚主義的な経営によるものです。

車の製造販売というものは、例えばトヨタとニッサンでも、全く違った戦略が必要になります。ニッサンがトヨタのやり方を真似して上手く行く・・・そんな生易しいものではありません。
それをビジネススクール出身者が、様々な関係の無い会社を「経営者」として渡り歩き、技術開発も生産現場も、車の事など何も知らないし、知ろうともしないで、金勘定だけに終始していれば、そんなモノが上手く行く訳が無いのです。

アメリカ自動車産業の経営危機・・・コレは何もビッグ3のみに限った話では無く、アメリカ型経営方針故の当たり前の結論であり、その破綻は、即ちアメリカ時代の終わりの象徴なのかも知れません。

Lincoln MarkⅧ

リンカーン
10 /26 2008

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MarkⅦの記事:http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/2183129.html

1992年、マークシリーズがフルモデルチェンジでマークⅧになりました。従来、兄弟のサンダーバードとほぼ同時期に登場していたのが、今回は3年ほど遅れての登場になりました。

前もってアメリカの雑誌でスクープ記事を目にしていたので、大体の雰囲気は予想できたのですが、実車を目にすると、写真で見るのと全く印象が同じなのが、正直意外なところでした。それまでの車は、写真で見るのと、実物の印象が結構異なり、実物の方が良く見える事が多かったのですが、同時期に発売されたクライスラーLHカーもそうでしたが
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/760241.html)、不思議な位印象が同じでした。
恐らくこの頃から、コンピューターによるデザイン行程が大幅に増えたのではないでしょうか?小さいサイズでデザインされた物が、そのまま拡大された様な印象があるのです。

トランクには、取り合えず伝統のアーチが残っていますが、正直余りマークシリーズといった雰囲気を感じません。リアガラスの形状のせいかも知れませんが、良くも悪くも余り印象に残らないデザインでした。当時のフォードは、まん丸デザインにひた走り始めた時代で、後に、楕円の悪夢と言われた新型トーラスにて結実します。

何処と無く当時のU13型ブルーバードと共通した印象があり、やはりもう少しメリハリが有った方が良かったと思いました。

何はともあれ、当時、既に北米でもクーペ全体の市場が冷え込んでおり、DOHC4バルブエンジン、4輪独立サスペンションと、技術面ではそれなりに頑張ったものの、人気は芳しいものでは無く、同時代のキャデラック・エルドラードも、新型ノーススターエンジンを搭載しながら、全く振るわない状態でした。

途中マイナーチェンジを経て、更なるデザインの改悪を行った後、98年に生産中止となり、このシリーズも終焉を迎えました。2001年に50年代のデザインを纏った新型サンダーバードが発売された時、何れコレを4シーターにした、旧マークⅡの様なデザインのマークⅨが登場すると予想しましたが、結局果たされる事も無く、そしてサンダーバードも販売が振るわず、生産中止になってしまいました。


写真上:リンカーン・マークⅧ、この頃からフォードのデザインに破綻が目に付く様になりました。Cピラー、リアフェンダーのラインをもう少し丁寧に追い込めば、随分と印象は違ったことでしょう。

写真中:リンカーン・マークⅦ、大幅に小さくなったとは言え、マークシリーズならではの雰囲気が少なからず漂っています。

Lincoln Continental Part2

リンカーン
10 /25 2008

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前回の記事http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/2163457.html

87年に登場したリンカーン・コンチネンタルは、フォード・トーラスの兄弟車となり、エンジンも3.8リッターV6一本で、V8エンジンすら用意されていませんでした。それなのに価格は、リンカーンの中でも最高という不思議な存在で、余りに地味なスタイルも手伝い、人気を得ることはありませんでした。

そして95年、トーラスのモデルチェンジに伴い、コンチネンタルもモデルチェンジが施されました。デザインは、先立ってデトロイトショーに展示されたショーモデル「リンカーン・コンテンプラ」そのもので、先代には無かったV8エンジンが搭載されるのと共に、若干大型化されています。

先代と比べると、寸法の差以上にユッタリして見えます・・・が、同世代のキャデラック・セビル辺りと比べると、イマイチ個性に欠けるというのが正直なところでした。コンチネンタル所以の何かが、デザインにもメカニズムにも欠けていたのです。おまけに兄弟のトーラス/セーブルと同様、品質的にも全く褒められるものでは無く、V6エンジンを搭載したトーラスでさえ、整備に必要なスペースが全く確保されていないのに、ソレとほぼ同じスペースにV8エンジンを押し込んだとあっては、整備性の悪さは当然です。
この車は2002年まで生産されていたのですが、それでも殆ど見かけなくなっているのは、燃費の他にも、リセールバリューの低さ、整備性の悪さ故の維持費の高さが挙げられます。

現在、コンチネンタルと同等の車として、リンカーンMKSが販売されています。コレも現行トーラス/セーブルの兄弟車に当たります。因みにトーラスは、本来フォード500という名前で発売されたものが、当時新しい名前を乱発して顧客を混乱させた反省から、使い古されたトーラスの名前が復活した訳ですが、もしかしたら数年後、コンチネンタルの名前が復活するのかも知れません・・・。

それにしても、キャデラックが、オーストラリア製ホールデンのシャシーを引っ張ってきたとはいえ、FRに回帰しているのに対し、リンカーンは、LSでFRを持ってきたかと思ったら、直ぐに引っ込めて、マツダ6ベースのゼファーを発売したり、イマイチ一貫性を感じません。タウンカーの生産中止も時間の問題と言われており、それに変わる何かを用意できるかどうか?今、リンカーンというブランドは正念場に立たされていると言えるでしょう。

写真;リンカーン・コンチネンタル、2008年8月、サンタモニカにて撮影。

ビュイック・ロードマスター Buick Roadmaster/ GM full size cars

ビュイック
10 /24 2008

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1990年、Bボディーのフルサイズ車、シボレー・カプリスが、10数年ぶりにフルモデルチェンジを果たしました。直線基調の所謂当時の一般的なアメリカ車的なスタイルから一変して、曲線を多用したスタイルになりました。
ところが、この手の車のオーナーというと、当時でも平均年齢が60歳を越えていたと言われていただけに、この新しい奇抜なスタイルは、市場に受け入れられたとは言えませんでした。

そして1年後、ビュイックから久々のフルサイズ車として、ココで紹介するロードマスターが発売されました。当時ですらフルサイズ車の消滅は時間の問題という風潮があっただけに、私個人的にも、非常に嬉しいニュースだったのですが、この特徴あるAピラーの廻りが、カプリスそのままで、ビュイックというブランドを思うと、何か複雑な思いがしたものでした。そして、更に後に発売されたキャデラック・フリートウッドまで、このラインを継承しており、GMは元より、アメリカ自動車産業の車作りに対するスタンスというものを、自ら種明かししてしまった様にも見えました。

仮に各ブランドでシャシーを共用するにしても、キャデラックを最初に出していれば、受け取る方としても、随分と印象は違ったはずです。

それが理由と言う訳では無いでしょうが、とにかく、このシリーズは全く不人気で、96年のバンクーバー滞在時、大手シボレーのディーラーに行っても、展示車も試乗車も無いという有様でした。

そして、その年を最後に、GMはこのシリーズを生産中止にし、所謂フルサイズ車の市場から撤退しました。
かつては、特にシボレーがタクシーとして大量に採用されていましたが、流石に生産中止から10年以上も経った今、タクシーとして生き残っている物は皆無で、おまけに、元々不人気であった故に、一般車両も非常に少なくなっています。

こうして、このクラスはフォードの独壇場となった訳ですが、あれから10数年経った現在、フォードも何時撤退してもおかしくない状況になっています。
これは原油高ばかりでなく、独占故に車としての成長が止まり、新たな顧客を掴めなかった企業側の責任が大きいと言えるでしょう。

かつて、バンクーバーの街を凄まじいゴトゴト音と共に疾走していたGMのフルサイズ車たち。街の景色の一部でもありました。アメリカの文化そのものが消えていく様で、忍びないものです。

写真:ビュイック・ロードマスター・エステート・ワゴン。2008年8月、サンタモニカにて撮影。Aピラーと前席のドアガラスが不思議な形をしています。正直このシリーズは、セダンよりも、ワゴンの方がバランス良く、日本に輸入されたのも、殆どがワゴンでした。

ビュイック・ロードマスター(セダン・ワゴン)の他にも、オールズモビル・カトラス・クルーザー(ワゴンのみ)、ポンティアック・パリジェンヌ(ワゴンのみ)、シボレー・カプリス(セダン・ワゴン)と用意されていました。

オールズとポンティアックがワゴンのみというのが不思議なところです。

因みにキャデラック・フリートウッドは、通称Gボディーと呼ばれ、別扱いされていますが実質はBボディーのストレッチ版に過ぎません。

アメリカ車のブランド フォード編

フォード
10 /18 2008

1903年、ヘンリー・フォードによって創業されたフォード社は、当時一般的であった、技術者主導による会社でした。1908年発売のT型に於いて、部品の標準化、大量生産を取り入れ、一躍業界トップに登り詰めました。

ヘンリー・フォードの拘りは、一般人に買える車を作ることで、自社の従業員にも業界標準の倍以上の給料を払い、彼らをも客として取り込むことで、アメリカ産業の発展と共に、中産階級を生み、アメリカ経済の拡大に大いに貢献しました。

T型も、元が取れると値下げを繰り返し、単一モデルを長期間、大量に生産することによって、更なるコストダウンを行いましたが、ライバルのシボレーが、より豪華に、快適に、カッコ良くという路線で、段々とフォードのシェアを奪うようになりました。

ヘンリー・フォードは、T型こそ究極の車であり、現在のオーナーは次も必ずT型を選ぶと信じて疑いませんでした。
ところが、時代はシボレーを始めとした路線に進み、1931年にはGMにトップの座を奪われ、現在に至っています。

GMの場合、比較的早い時期に創業者が経営から退いたのに比べ、フォードの場合、一度息子のエドセルに経営を譲ったものの、彼の死語、ヘンリー・フォードが再び社長に返り咲きました。ところが、時代は確実に変化しており、産業は巨大化し、彼の手に負えるものではありませんでした。その旧世代の彼の長居こそが、フォードの凋落の原因であったとも言われています。

マーキュリー
ヘンリー・フォードの息子、エドセルによって設立され、フォードの一ランク上のブランドとして知られています。市場に於けるデザインの重要性を熟知していたエドセルが、フォードを元に、より上級指向のデザインを施したものです。
昨今は、フォードとの差別化に苦しみ、カナダでは既に販売を中止し、アメリカでもブランド存続は懐疑的に見られています。

リンカーン
キャデラックの創業者、ヘンリー・リーランドがGM退社後、創業したブランドで、後にフォードに買収されています。
ヘンリー・リーランドとヘンリー・フォードは、キャデラックの前身となったデトロイト・モーターカンパニーで共に技術者をしていたことがあり、後に、片や最高級車、そして片や大衆車に情熱を燃やしましたが、取った方法が同じであったのが、非常に興味深いところです。
そして、デザインに無頓着であったのも、両者、似たもの同士と言えるのかも知れません。
後にエドセルによって企画されたリンカーン・コンチネンタルは、その卓越した品質、デザインで、一躍有名になりました。

Lincoln MarkⅦ

リンカーン
10 /18 2008

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一足先にマークⅥでダウンサイズを実施したマークシリーズも、83年に登場した、このタイプではより一層ダウンサイズが施され、名前からもコンチネンタルが外され、単にマークⅦとなりました。

先に紹介した、コンチネンタルの2ドアクーペ版という関係になりますが、サンダーバード、マーキュリー・クーガーとシャシーを共有するこの車も、同様に従来のアメリカで一般的であったゴシック調スタイルを捨て、ヨーロッパ的なラインに変身しました。

49年型フォードが、フラッシュサイドボディー(VWビートルの様なフェンダーの出っ張りの無い、側面がツライチのデザイン)等、エアロダイナミクスにトライする傾向にあり、85年に登場した次期キャデラック・エルドラードがクロームを多用したゴシック調スタイルだったのとは対照的でした。

トランクには、伝統のアーチがのこっていますが、最早Continentalのロゴは無く、随分と控えめな物になったしまいました。それでも、テールランプの配置、特徴的な扇形のリアガラスは、紛れも無くマークシリーズの雰囲気は漂っていますが・・・。
エンジンも5リッターのV8エンジンとは言え、特に日本仕様は、200馬力を遥かに下回る出力といい、排ガス規制、燃費対策に苦しんでいるアメリカ自動車業界の苦悩を表している一台と言えるでしょう。

写真:リンカーン・マークⅦ、2005年、ロングビーチにて撮影。デザイン的に、バンパーやサイドモールの位置が低過ぎるのが、全体的に間延びしたスタイルを生んでいます。

Lincoln Continental

リンカーン
10 /17 2008

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1982年、先立ってタウンカーが独立モデルとなってフルサイズボディーを維持したのに対して、コンチネンタルは、インターミディエイト(中型)クラスに移行しました。
それに先立って、キャデラックが、セビルで「小さい高級車」として、それなりの実績を残していたのも影響があったのかも知れません。

そして、もう一つ大きな特徴が、先に紹介した2代目セビルに採用された、リア廻りを大きく斜めに切り落とした「スロープドバック」と呼ばれる処理を採用したことでしょう。もっとも、セビルで大いに賛否両論を呼んだだけに、リンカーンのソレは、写真でもお判り頂ける様に、かなり控えめなものになっています。

そして、このスタイルは、同時期のクライスラー・インペリアルにも採用されていました。比較的保守的になりがちな高級車に於いて、3社が、しかも同時期に賛否両論の激しいデザインを採用したというのが、非常に興味深いところです。

当時は、どれも随分不細工な車に見えたものですが、今こうやって見てみると、意外と上品に見えなくもありません。

この型では、コンチネンタルのトレードマークであった、トランクにスペアタイヤ状のアーチが残っているのと同時に、同シリーズ最後のFRボディーでもありました。
87年に登場した次期モデルは、フォード・トーラスのシャシーを利用したFF車になってしまいましたが、V8エンジンの設定が無くなったのに加え、トーラスに続くエアロスタイルの影響か、トランクのアーチも無くなってしまいました。オマケにトーラス譲りの品質は、全く褒められたものでは無く、劣悪極まりない整備性のお陰で、今や完全に絶滅状態になっています。
V6の中型FF車のコンチネンタルが、V8フルサイズFR車のタウンカーよりも高いというのも、非常に不思議な価格設定でした。

そうやって見ると、この車は、ある意味コンチネンタルと言う名前の似合う最後の車であったと言えるのかも知れません。まあ、この時代のアメリカ車は、どれも品質的に決して褒められたものではありませんが、やはりFRのアメリカ車の方が、シンプルな基本ゆえに、古くなった場合、維持が楽なのは確かです。
エンジンもフォードの5リッターV8は定評のあるもので、次期モデルの3.8リッターV6よりも遥かに耐久性の面で優れていました。

写真上:リンカーン・コンチネンタル。斜めに切り落とされたリア廻りが特徴ですが、同時にコンチネンタルならではのアイデンティティーも持ち合わせています。

写真下:キャデラック・セビル。2代目のモデルで、スロープドバックデザインの先駆けとなりました。リンカーンよりも、より大胆な処理が見て取れます。

アメリカ車のブランド AMC編

独立系メーカー
10 /11 2008

AMCとは、アメリカンモータースの頭文字です。
かつてアメリカでは、GM、フォード、クライスラーのビッグ3に対して、インディペンド(独立系)と呼ばれる小規模メーカーも幾つかあり、AMCは、その最後の生き残りということになります。

1954年、独立系のナッシュモーターと、ハドソンモーターが合併して、AMCが誕生しました。当時のアメリカ自動車産業は、より大きく、より豪華にという路線をひた走っていた時代で、そんな中で、AMCは、コンパクトなランブラーを発売し、人気を博しました。

同時期、高級車を得意としたパッカードとスチュードベーカーの合併が上手く行かなかったとは対照的でした。

70年代に入ると、ジープの製造元、カイザージープ社を買収しましたが、同時に日本車、ヨーロッパ車の影響を受ける様になり、次第に経営が悪化していきました。
79年には、フランスのルノーが親会社になりましたが、第二次オイルショックの影響もあり、経営の建て直しは機動に乗らず、87年、クライスラーに買収されて現在に至っています。

因みに元となったナッシュモーターの創業者チャールズ・ナッシュは、GMの創業者、ウィリアム・デュラントの片腕として、デュラントの自動車業界参入以前から行動を共にしており、後にデュラントの経営方針に反対してGMを去りました。

同時期、GMからは、先にお話した、ウォルター・クライスラー、キャデラック創業者で、後にリンカーンを創業したヘンリー・リーランド等、非常に優秀な人材が流出した時代でした。

クライスラー・ネオン 日本車キラーの顛末 Chrysler Neon

クライスラー
10 /10 2008

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1993年、クライスラーから100万円以下という値段で2リッターのセダンが発表されました。当時、日本で2リッタークラスのセダンといえば、アコードやカムリが200万前後といった価格だっただけに、その驚異的な値段から、「日本車キラー」という愛称が生まれました。

その車は、クライスラー・ネオン。アメリカでは、ダッジ・ネオン、又はプリマス・ネオンの名前で売られました。

シビックよりも少し幅が広いものの、全体的に似たようなサイズで、一回り大きい2リッターエンジンが載っているとあって、比較的小気味良い走りが自慢でした。

早速日本の各社は、こぞってネオンを購入し、徹底的に分解して検証を行いました。その結果、エンジンからトランスミッション、内外装全て安物の粗悪品と判り、見習うべき物はありませんでした。

クライスラーは、その前にもダッジ・シャドー/プリマス・サンダンスという車を同じ様な価格で販売しており、何もネオンが驚異的に安かった訳ではありません。この辺も日本のマスコミの先走りと言えるでしょう。

そして90万円台という値段は、パワーウィンドー(日本仕様以外には設定無し)も、集中ドアロックも、エアコンもラジオも無いという仕様で、実際に人が買うであろう仕様だと、シビックと大して変わらない値段になってしまいました。

おまけに、大きいエンジンを載せているからと言って、事もあろうに、旧式の3速オートマチックを持ってきたのです。3速オートマは、市街地ではともかく、高速走行時の燃費に大きく差が出ます。事実ネオンは、軽量な車体に大きいエンジンを積んだ割に、間違っても燃費の良い車ではありませんでした。

品質も凄まじく、エンジンもシリンダーヘッドガスケットが逝かれるのは日常茶飯事、トランスミッションも、電気系も内外装もとにかく弱く、仮に大安売りで安く買ったところで、修理代、燃費、下取り価格の低さで、トータルで日本車より遥かに割高に付く有様でした。

96年にバンクーバーに滞在していた当時、非常によく目に付いた車でしたが、今やほぼ絶滅状態といえます。
かつて、アメリカやカナダでは、何回もオーナーを替わりながら、一台の車を長く使うのが一般的でした。そんな国でさえ、10年チョットで殆ど見かけなくなるというのは、即ちその耐久性の無さを物語っています。

敢えて言って、ネオンが日本にもたらした影響といえば・・・エアコン無しの格安車を客寄せパンダとして利用する手法でしょう。
90年代半ば頃、各社こぞって、その様な仕様の車を「秋以降」に発売し、それなりに売れたのですが、翌年の夏には、その手の車が中古車市場に溢れました。

結局安かろう悪かろうでは通用しないということを、身を持って示してくれただけでも、ネオンは無駄では無かったのかも知れません。そしれ、アメリカは未だに同じ様な車作りを続けている訳ですが・・・。
ネオンは、北米市場でも日本車キラーにはなり得ず、精々フォード・エスコート、シボレー・キャバリエ等と競う程度で、その間も年々日本車のシェアは上昇して行きました。

因みにプリマス最後の生産車が、プリマス・ネオンで、ラインオフ後、直ぐに博物館行きとなりました。

写真:ダッジ・ネオン・スポーツ、2008年8月、バンクーバーにて撮影。丸めの愛嬌ある顔付きが話題になりました。プリナス・ネオンとは全く同一で、販売ルートの違いのみでした。

スポーツは上級グレードで、アルミホイール、4輪ディスクブレーキ等が特徴でしたが、その上級グレードでも、パワーウィンドーすら設定されていませんでした。日本仕様は、前席のみ後付のパワーウィンドーが装着されています。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。