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シボレー/トヨタ・キャバリエ Chevrolet/Toyota Cavalier 日米貿易摩擦編

シボレー
11 /27 2008

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先代モデルはコチラ:http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/968641.html

1992年春、時のアメリカ大統領、ブッシュ父が来日しました。しかも、民間人であるアメリカビッグ3のCEO3人を連れ立って、自動車の押し売りに来るというのは、正に前代未聞といえる出来事でした。
湾岸戦争に勝利して、一時的に驚異的な支持率を得たブッシュ氏でしたが、景気の冷え込みに対しては何ら打つ手が無く、GMが120億ドルという天文学的な赤字を計上する等、自動車業界は苦境に喘いでいました。

そこで同年11月の選挙を睨んで、日本叩きを政治パフォーマンスとして利用したのです。

それから暫く経った頃、GMが、トヨタと共同で新型の小型車を開発するというニュースを目にしました。曰く、アメリカでは、次期シボレー・キャバリエとして、そして日本でも、同型の車がトヨタから販売されるということでした。

1.トヨタの品質を持ったアメリカ車。

2.アメリカ車の乗り味とデザインを持ったトヨタ車。

どちらにしても、コレは面白い!と胸をはずませたものでした。トヨタ車は幾ら品質が良くても、決定的にデザインと乗り味の面で面白みに欠けているからです。

そして94年、日本に先立ってアメリカで次期キャバリエ、そして兄弟車のポンティアック・サンファイアーが登場しました。写真で見たところ、極平凡で特に魅力を感じませんでしたが、翌年、日本で発表されると、各メディアは、「ハッとする程美しいスタイル」と書き立てました。恐らく実物は・・・と期待したのですが、実物の印象も、写真と全く同じ、極平凡な車でした。

しかも、日本に用意されたのは、DOHCエンジンのみで、コレは整備性の悪さ、信頼性の無さで、北米では敬遠されているエンジンでした。そして部品代も高く、内外装の質等、車の出来と言う意味でも、全く日本車の足元にも及ばない車でした。

結局「トヨタの品質を持ったアメリカ車」では無く、「アメリカ車の品質を持ったトヨタ車」でしかありませんでした。

一つ弁護するとしたら、シボレー・キャバリエに比べると、トヨタの方が、パネルの隙間が揃っていました。

そのトヨタの販売力を以ってすら、全く販売は振るわず、殆どの車が警察等、政府機関に安く卸されましたが、リースの終了すると、全く下取り価格が付かず、その殆どがニュージーランドに輸出されてしまいました。

当時、アメリカの言い分は、日本の市場は閉鎖的で独自のディーラー網を築き難く、それがアメリカ車の販売の障壁になっているというものでした。

そこで、日本一の販売網を持つトヨタが、日本車とほぼ同じクラスのキャバリエを、日本車よりも割安な価格で販売したところ、ソレが全くダメということで、図らずしも、アメリカの言い分が、単なる言いがかりに過ぎないということを証明してしまったのです。

余りに筋書きが良く出来過ぎているので、裏で日本政府が噛んでいるのでは?と疑いたくもなる出来事でした。本当に販売を第一に考えるのなら、普通なら、サイズや価格云々以前に、もう少し、日本車に無い魅力を持った車種を選ぶと思うからです。

その後、鳴り物入りで登場したサターンも全く振るわず、直ぐに撤退となりました。

フォードは、旧オートラマをマツダから買い取り、積極的にディーラー網を拡大したものの、日本で売る車が無く、尻つぼみになりました。

クライスラーも、ホンダが販売し、一応の成功を収めたジープの販売を一手に受け持ったものの、販売力の無さから、人気を維持する事は出来ませんでした。

現在、アメリカビッグ3の経営状況は、正に壊滅状態ですが、既に日本市場に関しては諦めている様で、日米貿易摩擦が再燃する気配は見られません。

写真:シボレー・キャバリエ。2005年10月、インディアナ州グリフィスにて。シカゴにてレンタルしました。10万マイルは越えていましたが、ソレを差し引いて考えても、シートも足回りもエンジンも全くダメな車でした。

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GM C body.....full size car

GM
11 /22 2008

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1985年モデルにて、GMはフルサイズカーのモデルチェンジを行いました。当時のGMの例に漏れず、FF化による大幅なダウンサイジングが施行されました。

全長5m弱、全幅1.8m少々と、従来のモデルと比較すると、全長で60センチ、幅で10センチという大幅なコンパクト化でした。
プロジェクトが開始した当初、オイルショックの影響で高止まっていたガソリンの価格も、発売当時には既に落ち着いており、先に紹介した3代目キャデラック・セビル 
http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/1755174.htmlと同様、市場は戸惑いの視線を送ったものでした。

キャデラック、ビュイック、オールズモビルと、所謂高級ブランドのみの発売でしたが、アメリカの象徴とまで言われたV8エンジンが用意されたのはキャデラックのみで、他はV6のみでした。ガソリン価格が下がったとはいえ、オイルショックによってアメリカ人の意識は変化し、そしてメーカーも然り・・・といったところでしょうか。

スタイル的にも、当時のGM共通の、リアガラスを垂直に落とした、所謂シビアノッチバックで、当時のGMの例に漏れず、どれも似通ったデザインでした。その反省から、次期モデルでは各ブランド毎のアイデンティティーを明確にしたものの、同時に、大幅なサイズアップにもなりました。

良かれ悪しかれ、従来のフルサイズカーの存在感が余りに大きかったため、このタイプはどうも存在自体が地味なもので、そのせいか、キャデラックに於いては、従来のFR車、フリートウッド・ブロアムも併売され、ビュイック、オールズモビルは、ステーションワゴンのみ、従来のFRモデルが併売されました。

私個人的には、この手の車は、従来のフルサイズ車から無駄を取り去った大きさと言う印象で、広い室内で一人ポツンと座っている様な従来のソレよりは、遥かに好感が持てました。そして、乗り味も、古き良きアメリカ車のソレを、より洗練させたものでした。

この頃のアメリカ車は、先代モデルに比べ、急激に小型化された為、イマイチ過小評価され勝ちなのですが、公平な目で見て、ある意味一番丁度良いサイズといえ、もう少しこのサイズで頑張っていれば、現在のビッグ3の状況も、また違っていのたかも知れません。




写真1:キャデラック・セダン・ド・ヴィル。ロス、ダウンタウンにて。社外のビニールトップが装備されています。
現在、こうやって見ると、極普通のプロポーションに見えますが、やはり当時は、随分と寸詰まりに見えたものでした。

写真2:キャデラック・クーペ・ド・ヴィル。先代のモデルで、1の写真と比較していただければ、そのプロポーションの変化がお判り頂けます。ロングノーズ、ショートキャビンの典型の様なスタイルです。

写真3:キャデラック・セダン・ド・ヴィル(右)。左側のフォード・トーラスと比べると、非常に古典的なデザインで、小さくなったとは言え、独特な風格があります。

写真4:ビュイック・エレクトラ・パークアベニュー(右側)。インディアナ州グリフィスにて。
20年近く前、この近所に滞在していたことがありますが、その当時にタイムスリップした様な光景です。

写真5:ビュイック・エレクトラ・パークアベニュー
この角度から見ると、リアガラスが直立に近いことが判ります。ビュイックのトレードマークは、横長のレールランプで、オールズモビルは縦型の長方形でした。

救済求めるビッグ3の首脳、自家用機で議会に乗りつけ非難の嵐

ニュース
11 /20 2008

救済求めるビッグ3の首脳、自家用機で議会に乗りつけ非難の嵐
11月20日14時46分配信 産経新聞


 【ワシントン=渡辺浩生】経営危機に陥り、公的資金による救済を米議会の公聴会で訴えたビッグスリー(米自動車3大メーカー)のトップ3人が、プライベート・ジェット機で首都ワシントンに乗り付けていたことが19日分かり、議会でやり玉にあがった。

 ゼネラル・モーターズ(GM)のワゴナー会長、フォード・モーターのムラーリ最高経営責任者(CEO)、クライスラーのナルデリ会長の3人は18日、会社の自家用ジェット機でワシントン入りし、上院公聴会に出席。破綻(はたん)は米国経済に「破壊的な影響」を及ぼすとして、250億ドルの緊急融資を求めた。

 しかし、翌19日の下院金融サービス委員会の公聴会で、アカマン下院議員(民主)は「タキシード姿の気取った人間が無料食堂に現れるようなもので、少しばかり釈然としない」と指摘、旅客機のファーストクラスに格下げしてはどうかと持ちかけたが、3トップは無言だった。

 また、シャーマン下院議員(同)は「自家用機は今売って、商業便で帰ろうという人は挙手を」と質問。無反応の3人に「記録によると、誰も手を挙げなかった」と皮肉った。

 ABCテレビによると、ワゴナー会長が乗った自家用機はGM所有の3600万ドル(約34億円)。ワシントンとデトロイト往復の費用は約2万ドルに上るが、民間航空便のファーストクラスを使えば約840ドルで済む。ムラーリCEOは、会社との雇用契約上の特典で、週末はデトロイトからシアトルの自宅に自家用機で帰っているという。

 3社は米メディアに、安全上の理由としているが、政府支出を監視する民間団体からは「納税者の顔を平手打ちするようなもの」と批判の声が上っている。



CBSニュースの画像:http://www.youtube.com/watch?v=1BKb8MI_tKU



80年代初頭、クライスラーの再建に成功したリー・アイアコッカ氏ですが、その後はビッグ3の例に漏れず、無駄な企業買収にうつつを抜かし、その間、肝心なモデルチェンジを怠った為、90年代初頭、湾岸危機に端を発した原油高騰で、再び経営不振に陥りました。そんな最中でも、ボーナス(日本の賞与とは違い、欧米のボーナスは、成果に対する報酬です)として20億円相当を受け取っていたとして、批判の矢面に立たされました。

正に歴史は繰り返すといいますか・・・CEOのベラボウな報酬・・・コレもアメリカ型経営の致命的欠陥の一つなのでしょう。

<米議会>ビッグ3支援…上院が法案採決断念 修正協議入り

ニュース
11 /20 2008

<米議会>ビッグ3支援…上院が法案採決断念 修正協議入り
11月20日13時30分配信 毎日新聞


 【ワシントン及川正也】米自動車大手3社(ビッグ3)への支援策を審議している米上院は19日、民主党が週内可決を目指していた金融安定化法から250億ドルを低利融資する支援法案の採決を断念し、妥協策に向けた修正協議に入った。民主党は一両日中の合意を目指すが、打開のメドは立っておらず、混迷の度を深めている。

 民主党のリード院内総務は同日夜、20日にも予定していた民主党案の採決を見送り、修正協議に入ったことを明らかにした。米メディアによると、融資規模の縮小や、ブッシュ政権が主張しているエネルギー法に基づき低公害車生産向けに予算措置されている250億ドル低利融資の使途制限緩和などが協議される見込み。

 上院の民主党内にはブッシュ提案で妥協する動きも出ているが、下院民主党内には環境対策向けの設備投資資金を転用することに難色を示す意見が強く、ビッグ3支援を強く求める民主党内の足並みもそろっていない。

 上院内では米連邦破産法11条の適用を容認する動きが民主党からも出始め、事態打開に向けた求心力は急速に低下しつつある。米議会は週末でいったん閉会し、来年1月まで休会に入るが、民主党の一部には12月上旬に臨時開催する案も浮上。しかし、これにも両党から異論が出ている。






1970年代の末、時のクライスラー社長、リー・アイアコッカ氏が、15億ドルを政府から借り入れ、再生したことがありました。当時、一度倒産させるべきだという意見も根強くあった中で、敢えて再生に拘った理由は、ホワイト・モーター・カンパニーというトラック会社の先例があったからです。経営危機の同社を一度倒産させた後に処理しようとしたところ、倒産した会社のトラックなど、買う人が居るはずも無く、計画が頓挫してしまったのです。

結果として、クライスラーは予定より早く利子込みで完済し、復活した訳ですが、それ以降、余り良い話も無く、30年近く経った現在でも、これと言った目ぼしい技術も無く、綱渡りの経営で凌いで来ています。

ココでビッグ3を破綻させれば、それこそアメリカの労働市場、アメリカ経済がパニックに陥るのは目に見えています。かといって、クライスラーの例を見ても、支援が一時的な時間稼ぎ程度の効果しか無いのも目に見えています。

資本主義のリーダーとしての立場、支援の効果、経済に与える悪影響・・・その他諸々の要素が絡んでいる問題で、単に車会社をどうするか?という単純な話ではありません。
ビッグ3の不振は、アメリカ式経営の縮図そのものだからです。

それにしても、30年前、クライスラー一社とはいえ、15億ドルというと、途方も無い金額だった訳ですが、現在協議されている金額は250億ドル・・・。時代は変わったものです。

キャデラック・セビル  Cadillac Seville Part3

キャデラック
11 /14 2008

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前回の記事:http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/1755174.html

1991年、4代目のセビルが登場しました。
先代モデルが、余りに急激なコンパクト化をした結果、イマイチ評価を得られずに終わった反省から、大幅にサイズアップしての登場でした。

この車の最大の特徴は、それまでの、所謂アメリカ車的な車作りと決別した事だと言えるでしょう。発売当初、この車を試乗した時、そのドッシリとした安定感に、どちらかというとヨーロッパ車的なものを感じたものです。

それまでのアメリカ車は、100km/h前後で直線をフワフワと、ユッタリ快適に走る事を最優先に設定されており、ソフトな足回りは、ハンドリングなどは二の次で、路面の大きなギャップを越えたり、コーナーを曲がる度に、前後左右に大きく車体が揺れ動いたものでした。このタイプのセビルでは、その様な事が全く無く、同時にドイツ車の様なガチガチな安定感とも違う、独特な乗り心地だったと言えます。

デザイン的にも、従来のゴシック調、シビアノッチバックから決別し、内装もアメリカ的なものでは無く、どちらかというとドイツ車的な雰囲気の漂うものでした。それ故に、発売された当時、それなりの賛否両論が存在したのは確かです。私個人的にも、先代はイマイチ・・・と思いながらも、この手も???と言うのが正直なところでした。
特に保守的な顧客の多いキャデラックとしては、この辺りは大きな冒険だったと言えるでしょう。

特に日本では、STSと呼ばれる、スポーティーなグレードしか導入されなかった為に、余計にそう感じられたのかも知れません。
このSTS(セビル・ツーリング・セダン)には、アメ車特有のクロームが全くと言って良い程見当たりません。アメリカ本国では、同時にSLS(セビル・ラグジュアリー・セダン)という、クロームを多用した外観に、よりソフト名乗り味に設定したバージョンが存在し、より多くの顧客のニーズに応えていました。

何れにしても、4代目のセビルは、なかなかの人気を得て、街中で最も良く見かける高級車の一つでした。そればかりでなく、90年代以降のアメリカ車のあり方を大きく変えた画期的な一台であったと言えるかも知れません。

発売当初のキャデラックは、オーナーの平均年齢が60歳を大きく越えており(50年代の派手なキャデラックに憧れた世代)、若返りが至上命令と言われており、このモデルの平均年齢は、従来より10年ほど若くなりました。

エンジンは、初年度には、従来の4.9リッターOHVのV8で登場し、翌年には新設計のノーススターエンジン(4.6リッターDOHC V8)が搭載されましたが、コレは、市場の反応を見てからの投資であったとも言えます。

そして、この新型エンジンは、大幅なパワーアップと同時に耐久性に劣る上に整備性が悪いことで知られ、シリンダヘッドボルトのネジ穴損傷によるオーバーヒート(若しくはオーバーヒート→ネジ穴損傷)、スターターモーターの交換(アメリカの様な使用方法では、大体4、5年でスターターは寿命を迎えます)に吸気系を全部取り外さないといけない等、劣悪な整備性、複雑な電子制御は、故障探求も難しく、ディーラーでも手に負えない事が多いことが多かったりと、その辺の理由からか、現在、街中で見かけることは、非常に少なくなってしまいました。

FFとはいえ、乗り心地、ハンドリング等、非常にハイレベルにまとめてあり、とにかく「心地の良い」車でした。その辺りも、長年高級車を作り続けてきたキャデラックならではのもので、GMの持つ、技術力の高さを窺い知ることが出来ました。少なくともレクサスの静粛=無味乾燥とは違います。

そして昨今のキャデラックは、FRに回帰したとはいえ、GMオーストラリア、ホールデンのシャシーの焼き直しであることを思うと、残念な気がします。一世代開発にブランクが開くということが、どの様な結果を生むのか、GMの金勘定屋には予想だに付かない事なのかも知れません。



写真上:セビルSTS、2008年8月、サンタモニカにて撮影。グリルから何からボディーカラー一色で、所謂アメ車的なソレとは一線を画します。
発売から17年経った今日見ても、全く古さを感じません。その辺りからしても、画期的なデザインだったと言えるでしょう。

写真中、下:セビルSLS。クロームを多用した仕上げが目に付きます。それだけでも随分と印象が違うものです。2008年8月、ウェスト・ハリウッドにて撮影。

先代と比べると、全長30センチ以上も拡大された為、ユッタリした印象を受けますが、居住性の面では、前後のガラスの傾斜が大きくなった為、全長5.2mというサイズ程にユッタリとした印象は無く、どちらかと言うと、左右方向にユッタリしています。

米GM株が62年ぶり安値、一時3・02ドルまで下落

ニュース
11 /11 2008

米GM株が62年ぶり安値、一時3・02ドルまで下落
 【ニューヨーク=池松洋】10日のニューヨーク株式市場で、米ゼネラル・モーターズ(GM)の株価が一時、前週末終値比1・34ドル安の3・02ドルまで下落した。

 米メディアによると1946年以来、62年ぶりの安値といい、経営不安の深刻さを反映している。終値は1ドル安の3・36ドルだった。

 GMの株価は昨年11月上旬には30ドルを超える水準で推移しており、1年間で10分の1に下落した。

 前週末の2008年7~9月期決算で、「09年前半に」手持ち資金が枯渇する可能性を表明したことを受け、大手金融機関がGMの株価予想を大幅に引き下げた。ドイツ銀行は、「政府支援を受けたとしても実質的な破綻(はたん)に近い状態になる」として、GMの株価予想を4ドルから「0ドル」に下げた。

 米メディアによると、GMは決算発表時に打ち出した50億ドルのコスト削減策の一環として、09年の1~3月期に従業員を計5500人削減する方針を明らかにした。ただ、株価の反転材料にはなっていない模様だ。

 フォード・モーター株も0・09ドル安の1・93ドルと歴史的な安値水準で取引を終えた。一方、トヨタ自動車は0・63ドル高の69・15ドルで、米メーカーの苦境が際だつ格好となっている。

(2008年11月11日11時39分 読売新聞)





予想していたよりも、遥かに状況は深刻な様です。考えてみれば、8月のアメリカ訪問時、3年前と比較しても、明らかにアメリカ車が街から減ったという印象がありました。特に3年前に非常に目に付いた車、キャデラックCTS、クライスラー300c、ハマーH2といった車が、軒並み姿を消した様に思えました。アメリカのオートショーの記事を見ても、目新しい技術を持った車は無く、原油価格が下がるまで、時間稼ぎをしている様にしか見えません。

Cadillac Eldorado

キャデラック
11 /03 2008

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キャデラック・エルドラードは、GMの最高級ブランド、キャデラックの最高級モデルとして、1953年より生産されてきました。
57年式の一部を除いて、一貫して2ドアクーペとして知られていました。

この車のユニークなところが、非常に早い次期にFF(前輪駆動)化されたことでしょう。アメリカ車というと、FRという固定観念がいまだにありますが、GMが最初にFFを採用したのが、日本でFFのパイオニアと言われるホンダより1年早かったのです。

そして、エルドラードも67年モデルからFF化されました。現在、世の中の車の多くがFF化されていますが、その理由が、限られたサイズの中で、スペースを有効利用する為ですが、エルドラードの場合、スペースの有効利用など、まるで無縁と思える巨大なボディーにおいて、何故にFFを採用したのか、実に不思議な存在でもありました。
敢えて言うならば、後席のスペースが犠牲になりがちな2ドアクーペにおいて、若干居住性の向上には役立ったと思いますが・・・。

FFには前述のメリットの他に、ステアリング特性、静粛性に劣り、整備性の悪さから維持費も高くなります。それ故に高級車には不向きで、事実、ヨーロッパの高級車のの多くがFRを採用しています。

しかも最盛期には、8.2リッターもの巨大なエンジンを前輪で駆動していたのです。ステアリング特性の破綻は言うまでもありません。その様なレイアウトを採用したというのは、むしろ最新技術の見本市的な存在だったのかも知れません。

写真は、79年に登場したモデルで、先代よりも全長で50センチ、幅20センチも小さくなっています。そして、縮小されたサイズの中で、最大限に居住性よ得る為か、リアガラスをほぼ垂直にした、所謂シビア・ノッチバックになっています。80年代にアメリカで大流行?したソレの走りと言えるでしょう。

開閉式ヘッドライト

カーデザイン スタジオ
11 /01 2008

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かつてアメリカでは、開閉式ヘッドライトが人気でした。
発祥は1930年代と古く、アメリカでは60年代後半辺りから多く採用される様になりました。ヨーロッパのスポーツカーが、低い全高で、最大限にヘッドライトの高度を稼ぐという理由から、リトラクタブル(上下)式を採用しましたが、アメリカ車の場合、その殆どが、ヘッドライトの前に電動式のカバーが付いたもので、どちらかと言えば、デザイナーの遊びといった面が強かったと言えるのかも知れません。かつてはビッグ3、特にフォードとクライスラーが、大型車に盛んに採用していました。
そのデザインは、不思議とエキゾチックな雰囲気を醸し出していたものです。

80年代になると、ヨーロッパ的なデザインを採用し始めたフォードが止め、クライスラーが90年代初頭まで採用していました。

現在、開閉式ヘッドライト、若しくはリトラクタブル・ヘッドライトを採用した車は、全く有りません。
コスト面の他にも、信頼性の面で一歩劣ること、点灯時に空気抵抗が増大すること、点灯時の出っ張りが、事故の時に危険(対歩行者)という理由の他に、やはり最大の理由が、
アメリカでヘッドライトを常時点灯の州が増えたことにより、収納する意味が殆ど無くなったことが挙げられます。

私個人的な経験では、特にリトラクタブル式ライトは、開閉によって微妙に光軸の位置がずれるので、車検で陸運局に持ち込む際、開いた状態で固定した上で、調整してやる必要がありました。まあ、日本の車検制度が無駄に厳しいということだとも言えますが・・・。

今後、開閉式のヘッドライトが出てくる事は、もう無いと思われますが、昨今の余りに行き過ぎた異型ヘッドライトの下品なデザイン、破損時の余りに高価な交換作業を考えると、リトラクタブル式はともかく、アメリカ式のソレは、決して悪く無いと思えてきたりもします。



写真上:アメリカ式、開閉式ヘッドライトの一例。リンカーン・コンチネンタル・マークⅣ。カバーの奥には、丸型4灯ヘッドライトが隠れています。このエキゾチックな顔付きは、70年代のフォード共通のもので、日本でも人気がありました。

写真中1:シボレー・カマロSS。GMは比較的早い時期に採用を止めましたが、60年代後半には、高級車を中心に採用していました。SSはカマロの高級グレードに当たります。

写真中2:クライスラー・ル・バロン・コンバーチブル。アメリカ式開閉式ヘッドライトの最終期の一例で、92年まで、このスタイルで生産されました。

写真下:同・ル・バロン・コンバーチブル。93年モデルから、一般的なヘッドライトのなりました。やはりデザイン的には一歩劣るというのが正直な所です。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。