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リンカーン・タウンカー  フルサイズカー・フォード編

リンカーン
12 /31 2008

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1990年モデルとして、フォードのフルサイズカー、リンカーン・タウンカーがモデルチェンジを果たしました。当時でさえ、従来型のフルサイズカーの消滅は時間の問題といった空気が流れていただけに、それを否定したという意味で、それなりにインパクトのある出来事でした。

外観上の大きな特徴は、80年代後半以降のフォード車と同様、従来のゴシック調スタイルを捨て、シンプルなヨーロッパ調のラインを採用したことです。現在の目から見ると、それでも十分古き良きアメリカを感じさせるものですが、発売当時の印象は、角が取れたせいか、随分と軟弱に見えたもので、ニューモデルに対する嬉しさの反面、複雑な思いを抱いたものでした。

反面、エンジンは古いOHV5リッターV8と決別し、新たなOHC4.6リッターV8が装備されるなど、同時期に登場したGM製のフルサイズカーが、古いエンジンをそのまま引き継いでいたのとは対照的で、その辺りのスタンスが、GMのソレを短命に終わらせ、後にこの市場をフォードが独占するに至った要因と言えるでしょう。

ただ、この車も、アメリカの常で、サイズの割りには、間違っても居住性のいい車とは言えません。特に後部座席では、つま先が前席の下に上手く収まらないので、広大なレッグスペースの割りには、イマイチいい感じがしないのです。この辺りは、後部座席の居住性を考える上で非常に重要なポイントであるにも関わらず、特にアメリカではいい加減な車が目立ちます。
パワーシートが装備された車の場合、その傾向がより顕著になります。

逆に言えば、つま先さえ上手く収まれば、それ程広大なレッグルームは必要無いだけに、この辺りを解決できれば、かなりのダウンサイズが可能になるとも言えます。

そして96年モデルを最後に、GMがこのセグメントから撤退すると、フォードが市場を独占する様になりました。特にリムジンに於いては、タウンカー一色といった感がありました。

ところが、98年モデルとして登場した次期ニューモデルは・・・というと、その余りに醜悪なデザイン、そして代わり映えのしないメカには正直呆れたものでした。

現在、タウンカーといえば、リムジン専用と言っても差支えない位、街で見かけるのはリムジンばかりで、一般のドライバーが運転しているのは、きわめて稀と言えます。
これは、この手の車を好む世代(戦前生まれ)が高齢化して、市場として先細りしている事も大きな理由ですが、同時にこの醜悪なデザインも、少なからず影響していると思います。

競争に勝って市場を独占したものの、それを維持することが出来なかった・・・これは何時の世にも起こる、栄枯盛衰の一例なのかも知れません。




写真上:右がリンカーン・タウンカー、左が弟分のマーキュリー・グランドマーキスです。

かつては素っ気無く見えたデザインも、今こうやって見ると、上品で、意外と悪くない様です。
2008年8月、サンタモニカにて。


写真下;コチラは98年に登場した次のモデルです。鈍重を絵に描いた様なスタイルには、呆れたものでした。あれから10年経ちますが、印象は全く変わりません。
2005年9月、ビバリーヒルズにて。

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アメリカ車のデザイン。ポンティアック・サンファイアー

カーデザイン スタジオ
12 /25 2008

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ポンティアック・サンファイアーは先に紹介した、シボレー・キャバリエの兄弟車に当たります。

 シボレー・キャバリエ: http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/4304930.html

60年代以降、ポンティアックというブランドは、ファミリーカーのシボレーと比較して、よりスポーティーなデザインを採用して来ました。

1994年、デトロイトショーにて、ポンティアック・サンファイアー・スピードスター(写真上)というショーモデルが発表されました。
当時の記憶がイマイチ曖昧なのですが、この頃、既に次期キャバリエの大まかなスタイル、発売時期は判っており、初代キャバリエの兄弟車ポンティアック・サンバードがサンファイアーに改名されることも、耳に入っていたと思います。

そして、このショーモデルの発表に際して、「何れ登場する同名のモデルには、驚くほどの共通点が見て取れるであろう。」とのコメントが発表されました。

既に紹介した通り、次期キャバリエにかなりの期待を寄せていた私としては、それなりにインパクトのあるニュースでした。

そして、翌年発売されたのがコレ(写真下)・・・。

確かにバンパー上のエアダクト、ヘッドライト周りの形は似てますが・・・。

1.平べったくなってダイナミックさを失ったフェンダー廻り。
2.小さくなったタイヤ。車体と比較すると、随分と小柄に見えます。
3.ホイールアーチとタイヤの間の大きな隙間。ボディーが浮かび上がった様で、不安定に見えます。
4.取り合えず取って付けた様なルーフライン。

これだけの要素が揃えば、大抵かっこ悪く見えます。
車のデザインに於ける重要なポイントを軒並み外していると言えるでしょう。

特に90年代以降のアメ車は、GMのみならず、フォード、クライスラーに於いても、同様の傾向が見られます。

肝心のショーモデルも、正直下品で、当時も余りカッコイイとは思いませんでしたが、少なくともデザインの要となる1-3を押さえているため、安定感があります。

そして、市販モデルとなると、生産性等、実用性との兼ね合いで、当初の案が歪んで行くのでしょうか?

それか、単に、既に大まかなラインが決まっていたキャバリエに、ショーモデルのモチーフを散りばめただけの安易なモデルなのか・・・?

どちらにしても、当時のアメリカ製デザインに関する疑問は、現在も全く変わっていません。そして、特に印象に残った一例として、ここに紹介させて頂きました。

何故アメリカ車の品質が低下したのか?

無題
12 /12 2008

かつて、アメリカ車といえば、世界の最先端の技術を誇り、デザイン面でも世界中に影響を及ぼす程の力がありました。
同じ頃、ヨーロッパ車というと、メルセデスやBMWにしても、小さくて極めて質素な割りに割高な車でしか無く、キャデラックやリンカーン等と比べるべくもありませんでした。

かつて、ヘンリー・フォードは、自社の工場労働者に対して業界水準の倍以上を支払う事で、彼らにも車を買わせることで、自社の発展のみならず、アメリカ社会の発展に大いに貢献しました。

GM(ジェネラルモータース)は、かつて「ジェネラス(気前良い)モータース」と呼ばれる程、従業員の待遇が良いことで知られていました。

第二次大戦後、あれだけ繁栄を謳歌したビッグ3ですが、その繁栄の中でこそ、徐々に会社内が蝕まれて行ったのです。


1.経理畑出身者による経営

車という商品を全く理解しない、しようともしない者が車会社の経営に携わると、どうしても技術開発を軽視し勝ちになります。技術開発とは、直ぐに利益に直結し難い物が多い為、メスを入れる対象になり易いのです。


2.サプライヤーとの関係悪化

車という商品は、様々なサプライヤーから部品を調達する事で、初めて完成します。
無理なコストダウンは、サプライヤーとの関係の悪化をもたらし、それが部品の品質低下にも直結しました。

3.労使関係の悪化

経営が目先の利益の追求ばかりに終始する結果、景気が悪くなる度に大量のレイオフを行う様になりました。それによって、工場内での技術力が低下すると同時に、会社に対する忠誠心が無くなり、中には勤務中に飲酒をしたり、破壊行為を行う者まで出てくる様になりました。
特に70年代後半頃には、ドアの中から空き缶が出ていたとか、カーペットの下から腐ったフライドチキンが出てきた等という話は、珍しくありませんでした。



結局、金勘定屋たちが目先の短期的な利益確保に終始しているウチに、「悪い技術」「悪い部品」「悪い労働力」によって製品が作られる様になってしまったのです。

特に70年代後半~80年代前半のアメリカ車の品質は、目を覆わんばかりで、日本車の7~8倍は故障すると言われた程でした。80年代後半辺りから少しづつ改善したものの、やはり現在でも日本車の倍は故障するという印象があります。


現在、日本では、所謂「派遣切り」が深刻な社会問題になっています。労働者を使い捨てるというのは、アメリカの常套手段であり、それによってアメリカの製造業か壊滅したといっても過言では無いのに、ソレと同じ事を、今度は日本で同じ事をやろうとしているのです。

日本人には、アメリカの様な詐欺師同様な金融みたいなビジネスが出来るとは思いません。日本人が出来ることは、やはり上質な製品を作ること・・・これ以外にはありません。

不況になればクビを切る・・・コレでは企業の義務の一つである、「儲けを出す代わりに雇用を創出し、地元を活性化させる義務」を完全に放棄していることになります。

派遣の拡大は、元々アメリカが求めてきたものですが、日本の終身雇用を破壊することで、日本の産業を破壊するのが目的だとしたら・・・その先見性には脱帽せざるを得ません。
是非、その先見性の欠片でも、ビッグ3の経営に導入して頂きたいものです。

米ビッグ3支援法案、廃案…上院の協議物別れ

ニュース
12 /12 2008

 【ワシントン=矢田俊彦】米上院の民主党と共和党は11日、米自動車大手3社(ビッグスリー)に対して最大140億ドルの資金繰りを支援する法案の修正協議が物別れに終わった。

 法案は事実上、廃案となり、民主党のリード院内総務は、「我々は来年1月の新議会まで動かないだろう」として、審議を打ち切る意向を示した。政府からの早期支援の見通しが立たなくなったことで、ゼネラル・モーターズ(GM)とクライスラーは資金繰りが枯渇する恐れが強まり、経営は重大局面を迎えている。

 ビッグスリー支援法案は、下院が10日に、賛成237、反対170の賛成多数で可決し、上院の審議に移っていた。しかし、上院では、共和党のマコネル院内総務が11日の本会議で、「失敗がわかっていて納税者のお金は使えない」と述べるなど反対論が根強かった。このため、両党は修正協議を続けたが、民主党のリード院内総務は11日深夜、「結論に至らなかったことはとても残念だ」と述べ、交渉が決裂したことを明らかにした。

 また、リード院内総務は、「明日のウォール街(株式市場)が恐ろしい。とても悲しいクリスマスとなるだろう」と述べ、ブッシュ大統領に対して、すでに成立している7000億ドルの公的資金枠を持つ金融機関向けの金融安定化法から、資金支援を行うよう求めた。

 修正協議は、共和党のコーカー上院議員が提出した修正案を軸に行われ、ビッグスリーの債務の一層の削減と、賃金など労働コストの引き下げの2点を中心に調整していたが、合意に達しなかった。

 ビッグスリー支援法案は、当面の運転資金として、140億ドルを融資するというもので、GMに100億ドル、クライスラーに40億ドルを配分する予定だった。

 上院の勢力は、民主が50、共和49と拮抗(きっこう)しているうえ、上院共和党には、強硬な反対論者が多かった。

 オバマ次期大統領は11日の記者会見で、「破綻(はたん)を避けるための短期的な支援をすべきだ。週内の最終合意を望む」と述べていた。

(2008年12月12日14時01分 読売新聞)
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Honda CB750four ホンダ、世界の頂点へ・・・

ホンダ
12 /10 2008

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車と比べ、日本のバイクが世界で認められる様になったのは随分早く、1960年代には、350ccクラス以下の小型車に限って言えば、トップクラスの性能を誇っていました。

これは、実質的政府の保護下にあった車業界に比べ、数多くのメーカーがひしめいた故、比較的早い時期に競争、技術革新が起き、ワールドGPに於いて世界を相手に戦っていたためです。

60年代当時、世界のトップに君臨していたのは、イギリスのトライアンフでした。そのチーフエンジニア、エドワード・ターナー氏が63年に訪日した際、ホンダ、ヤマハ、スズキの工場を視察し、その一糸乱れぬ仕事ぶりに、「もし、彼らが大型車を作る様になったら、コレは大変なことになる・・・」と戦慄を覚えたと言います。

そして1969年、ホンダがCB750fourを発売することで、それが現実となりました。
量産車としては初の4気筒エンジンを搭載し、2気筒のトライアンフ・ボンネビルよりも少し高い程度の価格で登場したのでした。

オマケに当時のイギリス製バイクといえば、高性能とは言え、オイル漏れを始めエンジントラブルは当たり前、始動にも技術を要し、凄まじい騒音と振動による、ネジの脱落や電気系の破損は日常茶飯事のことでした。

そしてホンダは・・・というと、それまで誰もが初めて体験した、滑らかかつ強力なパフォーマンスを引っさげ、最高速度200キロにも届かんとする高性能を誇ったばかりでなく、全てに於いてメンテナンスフリーと言える程の信頼性は、業界に於ける新たなベンチマークと呼ぶに相応しいものでした。

当時、トライアンフを始めとしたイギリスのバイク業界は、既に日本のメーカーに伍して戦うだけの技術力は無く、合併の繰り返しによる経営の混乱も手伝って、静かに消えていく運命を辿りました。

一つ、イギリス車の弁護をしておくとするならば、カタログスペックでは劣っていながら、軽量な車体は非常にバランスが良く、操縦性に優れていたことでしょう。逆に当時の日本車は、カタログスペックは優れているものの、操縦性では明らかに劣っていました。特にこのCB750を始め、後に雨後のタケノコの様に出てきた日本製4気筒車は、どれも重心が高く、間違っても快適な操縦性といえるものではありませんでした。

そして、日本のメーカーが、エンジン出力に見合った操縦性を習得するのは、80年代後半まで待たねばなりませんでした。




写真上:CB750four、2008年8月、ビバリーヒルズにて。

70年代前半のモデルです。このタイプは、多くの人がノーマルこそ最も美しいスタイルということで一致しており、現存している車種は、出来る限りノーマルに保とうとする人が多いのですが、コレは非常に上手く改造を施した一例と言えるかもしれません。

写真下:CB750Four K0

発売当初のモデルで、翌年発売された改良型がK1と呼ばれたのに伴って、初期型をK0と呼ぶ様になりました。鮮やかなカラーリングと、力強いスタイリングで世の中を魅了しました。
70年代のバイクは、どれも初期型が鮮やかな色で登場しておきながら、何故か段々と地味な色に変わって行きました。

9年間の間販売されましたが、やはり、初期型のこの色が、最も格好良いと思います。そして、K0といえば、独特の排気音でしょう。4本マフラーの奏でる排気音は、集合管のソレとは明らかに異なります。排気音を「デザイン」する余裕のあった時代ならではです。

Chrysler 300c Limousine

リムジン、特殊車両
12 /10 2008

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クライスラー300シリーズは、ダイムラー・クライスラー時代に登場した、旧メルセデスEクラスのシャシーを流用した、クライスラーとしては20年前に生産中止となった5thアベニュー以来、久々のFRレイアウトの大型車です。

2005年の訪問時、アメリカ製高級車の減少、そして日欧製高級車の増加に驚いたものでしたが、そんな中で、比較的目に付いたのが、キャデラックCTSと、ココで紹介するクライスラー300シリーズでした。

そして、人気が有るという事は、当然リムジンのベースとしての需要も出てくるのが当然で、モノコック構造のボディーでありながら、写真の様な超ロング型を時々目にしました。

ただ、この肝心な300シリーズ自体が、品質的に余り評判が良く無い様で、今回の訪問では、ガソリン価格の高騰も祟ってか、随分と数が減った様な印象を受けました。特にリムジンに関しては、一度も見かけませんでした。

やはり、写真の様な超ロング型となると、リンカーン・タウンカーの様なフレームボディーには敵わないのでしょう。
そして、ヨーロッパからシャシーを引っ張ってきたアメリカ車の常で、部品代が異常に高いことも、容易に想像が付きます。


写真:クライスラー300Cリムジン、2005年10月、シカゴにて撮影。

3年前の新しいトレンドも、今や消え行く・・・になりつつあるのかも知れません。

Saturn SL

GM
12 /07 2008

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1985年、GMは次期小型車「サターン計画」を開始しました。第二次オイルショック後、  Xカー(http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/893235.html)、
 Jカー(http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/968641.html) にて、小型車市場に切り込んだGMでしたが、品質、性能、価格面で、全く日本車の敵にはなりませんでした。

このプロジェクトの最大の目玉は、35億ドルという巨額を投資し、テネシー州スプリングヒルに専用の工場を建設したことでしょう。340億ドルの融資などという話が当たり前に出てきて、感覚的に麻痺している今日では、余りピンと来ませんが、当時の感覚では、正に天文的な数字でした。

そして、敢えてGMの「100%子会社」としたのも、GMの官僚主義を持ち込まず、日本的なチームワーク、改善を積極的に取り入れたシステムを創出するためでした。

専用のシャシー、専用のエンジンと、多額を投資した上に、5年後の1990年、ようやく初代のモデル、SL(セダン)、SC(クーペ)、少し遅れてSW(ワゴン)がラインナップされました。

サターン計画に関しては、当初より懐疑的な見方が多く、プロジェクトの行く末を不安視する意見が多数見受けられました。
事実、専用工場を建て、専用のディーラー(リテーラー)網を設置して、専用エンジン、専用シャシー・・・と言う具合に、たかだか一台の車、しかも元から利幅の少ない小型車には考えられない程、凄まじい規模の投資が行われたにも拘らず、出てきた車は、大方の予想通り、同クラスのカローラやシビックの足元にも及ばない車でした。

何故この程度の車に、専用子会社まで設立して、あんな大規模な投資が必要だったのか?大方のメディアは呆れたものでした。

品質的、性能的にも、日本車と競争出来るレベルにはありませんでしたが、それでも、ディーラーのアフターサービスの良さ、値引き無しのワンプライス販売等が、徐々に受け入れられ、地味ではあるものの、販売を伸ばしていくことになりました。

アメリカでは、車というものは、日本以上に誰もが必要な日用品であり、アフターサービスの良さも商品になるのです。

そして、アメリカのディーラー同士、対客で常に繰り広げられる値引き合戦・・・アメリカ人にとって、ディーラーに行くというのは、騙すか騙されるかの瀬戸際の駆け引きと言っても大げさで無い程のニュアンスがあり、それ故にワンプライス販売は、ユーザーに安心感を与える新しい手法となったのでした。

その上、サターンの最大の特徴といえる、ボディー外板のプラスチック化は、少々ぶつけても傷が付かないことで、余分な神経を使わないで済むと、概ね好評でした。

技術的な面ではともかく、アメリカ人の大半の「車なんか何でも良い」というユーザーに「安心感」のある「交通機関」を提供したという意味で、それはそれで新しい試みといえ、この時点では、一応の成功を収めたと言えるのかも知れません。



写真1:サターンSL、2008年8月、ロス、メルローズにて。

フロントマスクは、オールズモビルとポンティアックを足して2で割った様な印象でした。


写真2,3:サターンSL

当時は、極平凡の、何の変哲も無い車に見えたものでしたが、現在改めて見ると、意外と古さを感じさせない様にも見えます。プロポーション的には、同時期に発売された、GM10計画(http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/1526451.html)の一つ、オールズモビル・カトラス・スプリーム・セダンに似ています。


写真4:サターンSL,2005年9月、デンバーにて。

好評のプラスチック外板も、規定以上の衝撃を加えると、この様に破損します。ただ、ここまで酷いのは初めて見たので、余り頻繁には起こらないと言えるでしょう。

フォード「11年に黒字」、再建計画を米議会に提出

ニュース
12 /03 2008

【ニューヨーク=山本正実】米自動車大手フォード・モーターは2日、公的資金による融資支援を受けるため、米議会に再建計画を提出した。

 低燃費車開発への集中投資などで2011年には税引き前利益で黒字転換を果たすとしている。当面の資金繰りのため、最大90億ドル(約8400億円)のつなぎ融資を要請した。

 国民の批判をかわすため、アラン・ムラリー最高経営責任者(CEO)の報酬を年間1ドルにするほか、全世界の役員と北米事業の従業員について09年のボーナスを全額カットする。専用ジェット機5機も売却する。また、1999年に買収したスウェーデンの乗用車メーカー、ボルボを売却することを検討する。

(2008年12月3日01時32分 読売新聞)



前回の記事:http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/3838022.html

流石に前回の議会で受けた批判に応えて、少しはマトモな再生計画が出てきた様にも見えますが、私に言わせれは、そんなのは常識以前の問題です。

90年代初頭、フォードはジャガーを買収しましたが、その理由が、より良い高級車を作るためでした。結果として、フォードの力でジャガーの品質は劇的に向上したものの、逆にフォードが受けた恩恵というと、皆目見当が付きません。ジャガーを持つことによって、フォードのイメージが向上したということもありませんでした。

他にも90年代にランドローバーやアストンマーティンといった高級ブランドを買い漁ったものの、結局何も恩恵を受ける事無く、経営危機と同時に手放すことになりました。

例えば同社のリンカーンと言えば、かつて、世界的な高級ブランドでした。それをダメにしたのは全て自分達の経営ミスによるもので、ブランド買収の金を、少しでも新車開発に回していたならば、遥かに良い車が出来たはずなのです。

業績が良い時には企業買収に奔走し、景気が悪くなると、それらを売却し、従業員のクビを切り、政府に泣き付く・・・過去30年間、アメリカでは、何度も同じ事が起こっている様な気がします。

Lincoln Towncar Limousine

リムジン、特殊車両
12 /02 2008

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アメリカのリムジンと言えば、やはりコレ。リンカーン・タウンカーが最も一般的です。
頑丈な別体式フレームを持つボディーが、リムジンを製作する上で最適とされている為、如何に世の中の車が小さくなろうと、キャデラックやリンカーンの主流が代わろうと、古いフルサイズ車が選ばれ続けているのです。

かつては、キャデラックとシェアを競い合っていたものですが、96年モデルを最後にGMがこのセグメントから撤退して以来、リンカーンが市場を独占してきました。

このタウンカーも、最早リムジン専用車と言った方が最適な程、街中で見かけるのはリムジンばかりの様な気がします。一般的な裕福層が、この手の車を選ぶ時代は、終わったのかも知れません。

そして、リムジンに関して言えば、写真の様な非常に長いタイプが主流で、以前よく見掛けた、ショートタイプは、殆ど見掛けない様な気がしました。
この辺りは、金持ちはより金持ちに・・・という、いわゆる格差社会の反映なのでしょうか?



写真上:リンカーン・タウンカー・リムジン。2008年8月、ハリウッドにて。

このタイプは、一世代前のモデルになりますが、それにしても、この顔付き・・・主な顧客がリムジンだとしても、余りにセンスが無いと思います。何処と無く、アニメ「うる星やつら」に出てきた、「面堂邸のタコ」を思わせるこのフロントマスクに、発売当時、呆れたものでした。


写真下:リンカーン・タウンカー。2005年9月、ビバリーヒルズにて。

コチラはリムジンと呼べるかどうかは微妙なところですが、Bピラー(全席と後席の間)が若干延長されています。
それにしても・・・前から見たスタイルも酷いですが、後ろから見たのも、また酷いもので、鈍重を絵に描いた様なスタイルです。

中途半端に後傾したルーフライン~Cピラーのラインは、正に素人の落書きレベルです。この辺りが車のスタイルを決める上で、非常に重要なポイントであるにも関わらず・・・。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。