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オールズモビル98 GM Cボディー

オールズモビル
01 /26 2009

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先代モデル:http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/3964619.html

1991年、FF版フルサイズカーのCボディーがモデルチェンジされました。
ビュイック・パークアベニューとオールズモビル98が、それぞれ発売され、先代と比較すると、幅5センチ、全長20センチ以上という大幅なサイズアップにより、かなりユッタリとした外見になりました。同時に80年代の反省から、それぞれのアイデンティティーを、より明確にしたデザインが施されていました。

大きくなったにも関わらず、相変わらずV8エンジンは採用されず、3.8リッターのV6のみで、後にスーパーチャージャー付が追加されました。

車というものは、ダウンサイズするのは非常に困難が伴うものの、逆にサイズアップは容易で、その事からも、非常に広大なインテリアが魅力的でした。そして、アメリカ的なベンチシート、コラムシフトが標準となっていました。

乗り味は、あくまでもユッタリとソフトに快適に・・・ハンドリング云々よりも、広いフリーウェイを100キロ前後でユッタリ流すのを最優先した、所謂古きよきアメリカ的な乗り味でした。

デザイン的には、ビュイックが少しジャガーの様なイギリス風のシックな佇まいなのに対し、オールズモビルは、どことなくドイツ車的な、質実剛健な雰囲気でした。

この頃のGM車は、どれもオルタネーターの「泣き」を起こし、新車でも半年くらいでピ~という音を立て、街中でGM車が近づくと、直ぐにわかったものでした。

人気の面では、ビュイックに大きく遅れを取り、当時ですら街で見かける回数は、決して多くはありませんでしたが、今こうやって改めて見ると、古典的なビュイックに比べると、何処か無機質な現代的な雰囲気が漂っている様にも見えなくありません。

かつて、オールズモビルは「走る実験室」と言われ、GMの先進技術を最初に搭載するブランドであったので、ある意味オールズらしいデザインとも言えるでしょう。

94年に、V8エンジンを搭載した、オーロラフラッグシップの座を譲った後、98はレージェンシーと名前を変えて併売されたものの、96年モデルを最後に生産中止となり、レージェンシーの名前は、一クラス下の88が引き継ぐことになりました。

尚、先代のCボディーでは、キャデラックもラインナップされていたものの、キャデラックは89年モデルで大規模なマイナーチェンジが施された関係か、旧世代のソレが、そのまま継続販売され、94年に、Cボディーでは無く、セビル http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/3445273.html と共用のkボディーで登場しました。



写真;オールズモビル98

現在改めて見ると、意外と先進的デザインだったのかも知れません。全く古さを感じないどころか、何処か未来志向の様にも見えます。
リアのタイヤを半分隠したソレは、かつて、キャデラックが多様したものでした。この辺りが大きくデザインにアクセントを与えているのでしょう。

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ハーれー・ダビッドソン エレクトラグライド

海外メーカー
01 /25 2009

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1903年創業以来、106年の歴史を持つアメリカのハーレー・ダビッドソンは、1953年のインディアン社倒産以降、唯一のアメリカ製オートバイとして君臨してきました。
写真は70年代のものと思われますが、ショベルヘッドと呼ばれる、現在から2世代前のエンジンを搭載しています。30年前で僅か2世代・・・これ程ハーレーの進化はユックリとしているのです。

かつて、世界最大のオートバイとして、そして世界で最も品質の良いバイクとして君臨したハーレーですが、70年年代初頭、ボーリング場の設備で有名なAMF社に買収されると、現場を理解していない新たな経営者により、無理な量産化が行われました。その結果、恐ろしいほどに品質が低下し、ハーレー=壊れるというイメージが定着してしまいました。

特に酷かったのが79年~81年モデルで、排気量アップ、トランジスター式点火システム、新設計のバルブガイド等がトラブルを多発し、新車で木枠を外した直後にエンジントラブルを起こすことも決して珍しい話ではありませんでした。

82年に創業一家に経営権が戻ると、徐々に品質が向上し、83年に登場した、次世代のエヴォリューションエンジンでは、遥かに品質の良いものになりました・・・・が、同時にショベルヘッド時代と比べると、走りの面でも、排気音も重厚さが薄れたというのも、また事実でした。

そして、その品質の向上から、かつては一部の好き者の為のバイクであったのが、極一般的な人にも選ばれる様になり、ヘルズ・エンジェルスならぬ、ウィークエンド・エンジャルスと呼ばれる新たなユーザー層が生まれました。

そうやって新しいユーザー層が生まれた反面、かつてのショベルヘッド、そして更に前のパンヘッドという、旧式のハーレーは本当に見かけなくなりました。ある意味、東京の方が、その手を見かける程です。
社外部品も極めて充実しており、一度しっかり組みなおしてやれば、充分に良いエンジンなのですが・・・。まあ、現存している機体て、一度もエンジンに手が加わっていないのは、極めて稀だと思います。

写真のこの手の車体は、58年にハーレーがリアにサスペンションを採用して以来(それ以前はリアサスがありませんでした!!)、85年モデルまで使われていました。

そして、85年型ローライダー、ワイドグライドは、この型の車体にエヴォリューションエンジが搭載された、唯一のモデルでもありました。



写真;ハーレー・エレクトラグライド、2005年8月、シアトルにて。

ハーレーは様々な改造を施す人が多いので、一見で年式を言い当てることは、非常に困難です。この型でも70年から84年までと、非常に長期間製造されていました。
因みに写真は、50年代風に改造が施されています。

元々のハーレーは、写真の様に、前後16インチの太いタイヤ、深い前後のフェンダー、太くて短いフォークが特徴でした。

それを改造して、フロントタイヤを細くて大径のもにに、小さなフェンダー、細くて長いフォークに改良したのが、所謂チョッパーと呼ばれるもので、元々ユーザーの改造から始まったものが、映画「イージーライダー」にて、その人気に火が着き、ハーレー自身も取り入れ、スーパーグライド、ローラーダー、ワイドグライド、ソフテイルといった車種を製造しています。
日本製の所謂「アメリカン」は、この手の物真似から始まりました。


ハーレーのもう一つの姿が、所謂フル装備と呼ばれる奴ですが、その原型は、写真の様な物でした。
皮製のサイドバッグがプラスチック製になり、風防が、より空力的???になり・・・と言う具合に、段々と巨大化していきました。
当初は、全てがオプション扱いであったものが、74年頃から、フル装備バージョンが正式ラインナップに登場し、現在に至っています。

サターン Part.2

GM
01 /22 2009

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先代のサターンSシリーズはコチラ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/4960094.html

天文学的なプロジェクトとして話題を呼んだサターンは、初代Sシリーズの発売から5年後、96年モデルにて一新されました。
先代がエンジンからシャシーまで専用設計という贅沢な設計であった為に、メカ部分には余り手が加えられず、外観、居住性の向上がメインとなりました。

サターンは当初より日本での展開を発表していましたが、このタイプから日本にも投入され、「礼を尽くす会社」という、少し大人びたイメージのテレビCMのキャッチフレーズを覚えている方も多いことでしょう。それまでのGM特有のヤナセに丸投げした殿様商法と異なり、アメリカで一応の成功を見た、ワンプライス販売、上質な顧客サービスを売りにしての展開でしたが、残念ながら日本では全く通用せず、当初は20年は続けると発表したものの、リチャード・ワゴナー氏のCEO就任直後、撤退の決断が下されました。参入から僅か4年目のことで、「礼を尽くす」どころか、アメリカ的なドライな経営方針を見せつける出来事でもありました。

敗因を挙げてみると

1.日本のディーラーは、アメリカのソレと比較して、平均的な顧客サービスのレベルが上で、それ故に、「礼を尽くす・・・」というソレは、アメリカ程付加価値を生まなかった。

2.何といっても車自体に魅力が無かった。これだけ手頃な車が溢れている日本で、輸入車を欲しがる人といえば、ソレ相応のキャラクターを求めるもので、カローラやシビックで無く、敢えてサターンを買うメリットが、残念ながら日本では全く無かった。

以上が主な所だと言えるでしょう。


そして、肝心のアメリカでは、折角一応の成功を収めたにも関わらず、相変わらず販売車種は一種類(ボディー形式は3種類)のみで、既存のオーナーが、その次に買うべき車を用意出来ず、みすみす他のブランドに奪われることになってしまったのです。
そして、一クラス上のLシリーズが登場したのは、初代Sシリーズの発売から、実に10年近くも経ってからのことで、しかも、オペル・ベクトラの兄弟車であり、当初のサターンのコンセプトからは大きく外れることになりました。

そして、その頃から、サターン全体の販売も顕著に落ち始めた様で、当初、あれだけ意欲的に立ち上げたブランドも、現在は、単にドイツのオペルの北米版を販売する部門に成り下がってしまいました。

日本製小型車に対抗するために、巨額な投資をして、100%子会社を立ち上げ、専用工場を建設してまで始まった大規模なプロジェクトも、結局何ら利益をもたらすことも無く、新たに無駄なブランドを増やしただけで、GM本体が深刻な経営不振に喘いでいる今日、その将来は、極めて懐疑的な目で見られています。



写真:2008年8月、サンタモニカにて撮影

オールズモビルとポンティアックを足して2で割った様なフロントマスクは継承されています。

全体的に、オペル・オメガの縮小版といった感じのデザインです。プラスチックボディーは健在で、日本でサターンのリテーラー(ディーラー)に行くと、そのプラスチック製のドアパネルをハンマーで叩いても傷が付かないことを実演していたといいます。

ビュイック・センチュリー  Buick Century

GM
01 /17 2009

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かつてはV8エンジン搭載のフルサイズカーであったセンチュリーも、80年代に入ると大幅なダウンサイズが施行され、高級車というよりは、むしろコンパクトなファミリーカーという存在になりました。
キャデラックを頂点に、ビュイック、オールズモビル・・・という、いわゆる階級は、80年代になると急速に色褪せ、キャデラックか、それ以外・・・という感じになったと言えるでしょう。

82年に発売された当初、他のGM車の例に漏れず、オールズモビル、ポンティアック、シボレー各ブランドの兄弟車を有していましたが、外観上、テールランプ、グリル以外の差別化は殆ど無く、"Look a like" 日本風に言えば「金太郎飴」と批判されたものでした。

当時、余りに無個性と言われたデザインですが、私個人的には、比較的無難で、上品でバランスの良いスタイルだと思っていました。特にビュイックの横一列テールランプは、独特の存在感がありました。

私がバンクーバーに滞在していた96年当時、とにかく最も一般的、最もありふれた車といった存在で、仕事場でも、ビュイックに限らず、オールズモビル・カトラス・シエラ等、よく見かけたものでした。少なくとも、整備性、品質面に於いて、絶対に当時のベストセラーであった、フォード・トーラスより上だったと思います。

内装も、当時廃れつつあった、6座のベンチシートとコラムシフト、印刷のニセモノ木目で、古き良きアメリカ的なソレを残した最後期の車でもありました。
特に個性的なところも無く、技術面で突出したところも無く、ごく平凡なアメリカのファミリーカーとして、全ての面でそれれなり・・・といった感じの車でした。

あれから10数年、流石に今や街中で見かけるのは、非常に稀になってしまいました。
私個人的には、学生時代、通学路にいつも停まっていたのが印象的であった故、何処と無く、この車に不思議な愛着があったりしました。

当時、日本でアメリカ車というと、本国では2万ドルを大きく下回るこのクラスでも、平気で400万以上のプライスが付いており、コレに400万を払える人は、BMWに400万を払う人よりも凄い!と思ったものでした。

そして97年モデルとして、写真下のニューモデルが登場しました。先代は、同クラスには、このAボディーの他、Wボディー http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/1526451.htmlを用意していましたが、より設計の新しいWボディー一本に統一されての発売でした。
ボディーも若干大型化したものの、室内は特に拡大された印象も無く、傾斜の急になったフロントガラスの影響で、少し違和感のある運転席になってしまいました。
少なくとも、同時期に発売されたアメリカ版アコードの出来の良さとは、全く比べるべくもありませんでした。
ただ、独特なユッタリとした乗り心地は、良くも悪しくもアメリカ的なソレで、数値には表れない「心地よさ」があったのも、また事実でした。この辺りは、測定機械相手に車作りをしている日本のソレとは、また一味違うものと言えるでしょう。

98年の訪問時は、発売直後とあって、一般車両としてかなり街中で見かけたものでしたが、2005年の時点では、既にタクシー専用車となった感があり、そして今回、2008年では、そのタクシーですら街中から姿を消し、余り街中で見かけなくなってしまいました。
いえ、それどころか、次期モデルのラ・クロスさえも、街中で見かけるのは非常に稀に思えてしまいます。

消え行くこれらの車を目の前に、アメリカ自動車産業の現状を憂えずにはいられませんでした。




写真上;ビュイック・センチュリー

このデザインは80年代後半から、96年モデルまで続きました。特に個性的なものは何も無いものの、同世代のシビアノッチバックと比較すると、ある意味バランスの良いデザインでもありました。
横一列のテールランプに、赤いウィンカー、中央いある横長のバックランプは、独特な雰囲気がありました。



写真下;ビュイック・センチュリー

新型ですが、デザイン面では、旧型の方が私の好みです。空気を入れて膨らませた様なスタイルは、90年代以降のGM共通で、特に全幅の拡大分は、殆どが、この膨らみ分であったりします。
因みにセンチュリーが、ビュイックの最廉価モデルとなったのも、この世代の特徴でした。

フォード・トーラス 楕円の悪夢

フォード
01 /13 2009

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初代トーラス;http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/1652707.html

1995年、初代トーラス登場から10年目に、新型トーラスが発売されました。
初代トーラスが、当時としては非常に奇抜なデザインであったこともあり、新型もかなり大胆なデザインになると言う噂は、ネットの普及していない当時でも、耳に入っていました。そして、正式な発表以前より、アメリカの車雑誌のスクープ記事等で大まかなラインは知っていたのですが、所謂スクープ記事に映し出されたソレは、出来る限りボディーラインや細かいディテールが判らない様に「偽装」が施されています。

その時点での印象は、比較的大らかなスタイル・・・と、どちらかと言えば好印象だったのですが、正式発表時の印象は、やはり・・???というのが正直な所でした。実車を初めて目にしたのは、東京モーターショーの会場で、写真よりは幾分良く見えるものの、やはり、何処か疑問符の付くデザインでした。

フォードの発表では、同社のエンブレムの「楕円」をモチーフにしたデザインということでした。
デザインというものは、楕円だの三角だのといったものが先走るべきで無く、良いデザインを追及した結果、楕円になった、若しくは三角になった・・・というのなら分かりますが、フォードのアプローチの仕方は、明らかに逆であったと言えるでしょう。

そうやって無理に楕円に拘った結果、アチコチで消化不良を起こし、デザインの基本の基本さえも踏み外した車になってしまいました。抑揚を付けようとしたのか、無駄な凹凸が余りに多すぎ、セダンのCピラーの部分には、意味不明の連続性の無いラインが絡み合っています。

そして、折角大柄なボディーを持ちながら、ボディーの前後を大きく絞り込んでいる為、1850mmと幅が広
いにも関わらず、ゆったり感が演出できていないだけでなく、運転席に座ると、非常に車両感覚の掴み難い車でもあります。

ワゴンにしても、セダンに無理やり後方を取って付けた様な印象で、明らかに関連性の無いラインがアチコチでうねり回っているます。

先代のトーラスは、車としてはお世辞にも褒められる出来ではありませんでしたが、初代レガシーから始まった、日本でのワゴンブームに乗って、国産車とは一味違う大らかさが受け、それなりの売り上げを記録しました。当時の日本フォードは、マツダから旧オートラマ系ディーラーを買い取り、積極的に販売網を拡大している時期でしたが、このモデルで、その人気は完全に失速してしまいました。そして、拡大路線にあったフォードジャパンも失速し、前年モデルの過剰在庫が発生し、翌年のモデルが発表できないという失態まで犯してしまいました。

アメリカ本国でも、トップ争いからは完全に脱落し、かつて、アメリカ車の独壇場でもあった、中型ファミリーセダン市場までをも、アコードやカムリに奪われる様になりました。。

流石にフォードも楕円デザインの過ちに気づき、2000年モデルにて、大幅なデザインチェンジを行い、遥かに洗練されたデザインに生まれ変わったものの、品質面での散々な評価も手伝って、トップ争いに加わることはありませんでした。

同じ頃、アコードやカムリは、北米モデルを、日本や欧州モデルと別に仕立てることで、大きさに対する呪縛から開放され、よりアメリカ人好みの車となることで、更なる支持を得ていくことになりました。

フォード・サンダーバード レトロスタイルを考える

フォード
01 /09 2009

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1955年、お洒落でコンパクトな2ドア・コンバーチブルとして登場したサンダーバードですが、オリジナルのデザインを維持したのは、僅か3年と短く、その後は4シーター化を始め、野放図なサイズアップを繰り返したり、ヨーロッパ的な2ドアクーペに変貌したり、時代によって大きく姿を変え続けた車といえるでしょう。

そして、北米でのクーペ市場の縮小を受けて、97年モデルを最後に生産中止となりましたが、3年後の2001年、デトロイトショーにて、初期のデザインを復活させる形で、再デビューとなりました。

写真の上2枚が56年式、そして下2枚が、所謂「レトロバード」とも呼ばれた復刻版です。
昔のデザインを現在の技術で復刻させる場合、安全性、エアロダイナミクス、生産性といった要因を考慮しなければいけない為、昔のままという訳には行きません。

比べてみると、確かにパッと見のイメージは似ているものの、昔のロングノーズ・ショートデッキの完璧とも言えるバランスと比較すると、現代のソレは、ショートノーズ・ロングデッキの様で、重心の位置が前のめりになっているせいか、全体的に、どこか不安定な印象が拭えません。
特に、リアのホイールアーチと、Cピラーの位置関係のせいで、全体的に屋根が前方にずり落ちた様な印象を与えています。
2シーターの場合、この辺りの処理が、デザインの大半を左右すると言っても過言でないだけに、非常に惜しいところです。NSXが何処か間延びした様に見えるのも、同様な理由だと思います。
ホイールアーチの位置を変更するのは大変ですが、例えば後方になだらかな線を描いて落ちているドアガラスの形状を変更したり、リアガラスを起し気味にすることで、若干の重心位置の移動は可能なのですが・・・。


初期型サンダーバードのイメージを復活・・・アイディア自体は悪くなかったのですが、如何せん、90年代以降のフォードには、デザイン力というものが決定的に欠けていましいた。鏡餅の様なリンカーン・タウンカー、「楕円の悪夢」と言われたトーラス、「うる星やつら」の面堂邸のタコの様な顔つきのモンディオ等など・・・車のデザインの初歩の初歩さえも把握していないデザインを乱発していた時期でもあり、それ故に、残念な結果に終わってしまいました。

コレが出た当時、どうせなら、4シーターにして、コンチネンタル・マークⅡも出して欲しいと思ったものでしたが、肝心のサンダーバードですら売れなかっただけに、単なる夢に終わってしまいました。



写真上2枚;56年式サンダーバード。

ロングノーズ、ショートデッキのプロポーションは、完璧なバランスを保っています。


写真下2枚;レトロバード

21世紀の技術で復刻したレトロデザインですが、幾らライト類やグリルの形を似せてみても、前述のプロポーションの悪さは決定的で、人気も、予想を大幅に下回るもので、2005年モデルを最後に生産中止となりました。
特に、後ろから見ると、あともう少しリアを延長すれば、トラックにもなりそうな程、間延びしています。

写真下;コンチネンタル・マークⅡ

レトロバードを見て、最初に思ったのが、どうせなら、このデザインも復刻して欲しい・・・でした。

トヨタ車の評価 カナダ、Lemon-Ade誌より。

無題
01 /07 2009

昨日、トヨタの品質低下という話を少ししましたが、カナダのLemon-Ade誌の記事を紹介します。

トヨタ・カムリ

97年~2006年=平均、85年~96年=平均より上。
新しいモデルよりも、古いモデルの方が、より品質が良いという結果が出た。
特に97年から2005年モデルに関しては、信じられないくらい、多数の安全性に関するトラブルが報告されており、そして、それらが改良されずに放置されてきた。エンジンの失火から急激な加速、エンジンルームの出火、酷いスラッジの堆積によるV6エンジンのトラブル、オートマチック・トランスミッションの故障、オートマのPレンジ故障で坂道を転がり落ちる、ひどい高速走行時のブレ、突然効かなくなるブレーキ、使い物にならないヘッドライト・・・これらは、ユーザーが予防することが出来ないことばかりで、結果としてユーザーが、トヨタを相手に裁判を起こして、損害賠償を請求する以外に方法が無い。


トヨタ・アバロン

2005年~2006年=平均 95~2004年=平均より上
トヨタには悪いが、残念ながらアバロンも、最早「お奨め」とは言えないだけでなく、段々と品質と評価を下げてきている。97年以降のアバロンは、トヨタの中でもトップクラスの出来だったが、モデルチェンジを期に、過去3年間、明らかに品質面で不利になっている。
そして、アバロンも、信じられないくらい多数の安全面でのトラブルを抱えている。


トヨタ・カローラ

1985~2006年=平均
カローラは、最早品質面での優等生とは言えない。エアバッグの誤作動、急激な加速、、ミスファイアー、ブレーキ系のトラブル、シートベルトの劣化、フロントガラスの映り込み、計器類の故障、デザインに問題のあるヘッドライト等など・・・安全面での問題が余りに多すぎる。

97年モデル以降、明らかに品質の悪い材料を使い始め、遮音もいい加減になり、装備も貧弱いなった。これは、誰の目にも明らかなものであった。95~96年モデルが、品質的にも装備の面でも一番手頃だと言える。


ホンダ・アコード

2003~06、90~99=平均以上 2000~02=お奨め
多くの日本製=良いという、所謂一般的な自動車雑誌では、アコードとカムリは同等の評価を得ているが、我々は違う。過去10年間、トヨタは明らかに品質面で手を抜いてきた。それ故に、4気筒、6気筒共にアコードの方に高いポイントを与えるに至った次第である。
事実、アコードは、数あるコンパクトカーの中で、最も優秀なものの一つである。
言ってみれば、カムリをより高性能に、より高品質に、エンジントラブルを少なくした様なものだと思って頂ければ良いだろう。
ただ、03~06年モデルに関しては、最高点を与える訳にはいかない。モデルチェンジ後の初期トラブルの解決に手間取っていたからだ。



まだまだ書けば長くなりますが、トヨタの北米での主力車種が軒並み、前のモデルの方が良かったという評価を得ているのです。これは由々しき問題では無いでしょうか?
日本の車雑誌で、面と向かってトヨタを批判するのは、マガジンX以外には有りません。
これは、トヨタの販売力を以って、自分たちに不都合な記事に圧力をかけているからで、マガジンXの様な、自動車メーカーの広告が一切無い雑誌にて何とか可能になります。
事実、メディアが、リコール隠しをしていた三菱を徹底的に叩いたのに対して、トヨタのソレは、少しニュースで流れた程度で終わりました。

そして、カナダのLemon-Ade誌といえば、特にトラブルの技術系の解説に定評のあり、メーカーのリコール隠し、小額訴訟の起こし方等の記事は、あくまでもユーザー側の立場に立った雑誌として定評があります。そして、マガジンXの批判記事が、エンジニアの立場から見て・・・というニュアンスが強いのと比べ、コチラは、数多くのユーザーからの意見を元に、実際の現場で起きているトラブルを元にした、より等身大の品質情報といえるでしょう。

それだけに、この本でココまで書かれるというのは、トヨタの問題は、現在我々の耳にするリストラなどのニュースが、ほんの氷山の一角に過ぎず、水面下で遥かに大きな規模での腐敗が始まっている様に思えて仕方無いのです。

因みにLemon-Ade誌の名前ですが、北米では、俗語で欠陥車のことをレモンと言うところから来ています。

米の新車販売低迷、ビッグ3が初の50%割れ

ニュース
01 /06 2009

【ニューヨーク=池松洋】米調査会社オートデータが5日発表した2008年の米新車販売台数は、前年比18%減の1324万台と3年連続で前年実績を下回り、1992年以来、16年ぶりの低水準に落ち込んだ。

 米自動車市場は秋以降の金融危機で一段と低迷しており、米大手3社(ビッグスリー)のシェア(市場占有率)が史上初めて50%を割り込んだほか、日本勢の販売台数も大幅に減少した。一方、08年の世界生産台数では、トヨタ自動車がゼネラル・モーターズ(GM)を上回り、2年連続の世界一が確実になった。

 08年の米新車販売台数は前年比で、GMの米国での販売台数に匹敵する300万台近くが一気に減少した。

 米政府のつなぎ融資を受けたGMが22・6%減、クライスラーも30%減と大きく減少したほか、フォード・モーターも20・1%減だった。ビッグスリーの合計シェアは47・5%と、通年で初めて5割を下回った。

 日本勢も、トヨタ自動車が15・4%減、ホンダは7・9%減と軒並み落ち込んだ。トヨタの前年割れは95年以来、13年ぶりだ。日米大手6社の順位は前年と同じだったが、クライスラーとホンダの差は0・2ポイントまで縮まった。

 米自動車市場は金融危機以降、自動車ローンの貸し渋りなどで、さらに冷え込んでおり、12月の新車販売台数は前年同月比35・5%減の89万6000台と、14か月連続で前年を割り込んだ。減少幅は3か月連続で30%を上回り、12月はトヨタが36・7%減、ホンダも34・7%減と、GM(31%減)、フォード(31・6%減)より悪化した。経営危機に陥っているクライスラーは53・1%とほぼ半減した。

 09年の米新車市場は1000万台を割り込む恐れも指摘されており、日米の自動車メーカーは一段と苦境に立たされそうだ。

 一方、GMが同日明らかにした08年の世界生産台数は前年比12・2%減の815万台と、トヨタ自動車(923万台見込み)を100万台以上も下回る見通しで、トヨタの2年連続世界一が確実になった。

(2009年1月6日13時37分 読売新聞)




70年代初頭には、世界の自動車の半分がアメリカ製、その半分がGM製、そしてその半分がシボレー・・・などと言われ、GM一社で、実に世界の自動車生産台数の1/4を占めていました。
アメリカ市場を見ても、80年代初頭頃までは、GM50%、フォード25%、クライスラー17%前後と、実に90%以上を占めており、GMに独占禁止法の適応が検討されたこともある程でした。
それが、今や往年の半分しかシェアが取れなくなっているのです。

そして、この10年、大きく変節した会社として、トヨタが挙げられます。世界一の快挙の裏には、徹底した派遣社員の使い捨て、下請け苛めがあることを見逃してはいけません。
既存の車種を、「レクサス」店に移行することで、大幅値上げをしてみたり、10年前、リストラの嵐が吹き荒れていた頃、何とか雇用を守っていたのが、今回は、他社に先駆けてリストラを開始しました。

どうも覇者の驕りが、アチコチに見え隠れしており、事実、カナダの権威 Lemon-Ade誌では、ハッキリと、過去10年の品質低下が指摘されており、日本でもリコールの数が倍増しています。
車のメンテナンスに携わる私としては、トヨタというメーカーに全く興味はありませんが、現在のGMの姿が、将来のトヨタの姿にならない事を願っています。
因みに、トヨタという会社は、元々、GMの様な車作りを目指した会社でした。

キャデラック・アランテ

GM
01 /03 2009

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ピニンファリーナの話題が出たついでに、キャデラック・アランテの話題を紹介しておきましょう。
80年代、ブランドの失墜に苦しんでいたキャデラックは、かつての栄光よ再び!と必死になっていました。そこで手がけたのが、1976年エルドラード以降途絶えていた、コンパーチブルの復活でした。

そして、そのボディーは、イタリアのピニンファリーナで生産され、ボーイング747によってデトロイトまで空輸され、エンジン、電装系の組み付けが行われるという、極めて規模の大きいプロジェクトで、「世界一長い組み立てライン」として話題になりました。

そうやっ87年に発売に漕ぎ着けた、2シーター・コンバーチブルのアランテは、5万4000ドルという、当時のキャデラックの売れ筋、セダン・ド・ヴィルの倍近い値段で世間を驚かせたものです。

ところが、車の内容を見ると、エンジンもトランスミッションも、同社のエルドラートと同じもので、しかも駆動方式がFFの為、ドライビングフィールという面で、同時期のメルセデスSL辺りの比較しても、決定的に劣っていました。

オマケに自慢のイタリア製のボディーも、他のキャデラックと何処が違うの?という位、余りに平凡な外観であった上に、内装もプラスチックを多用した安っぽいもので、雨漏り、ボディーの軋みが頻発し、他にも様々なトラブルが頻発した為に、オーナーからは、「如何に沢山の欠陥を詰め込むかを競い合った様な車」と言われる始末で、流石のGMも、24時間体制のホットラインを、アランテ専用に開設したものの、ソレすら常に話中で全く繋がらないといった有様でした。

5万4000ドルという価格も、車の価値相応に設定されたものでは無く、イタリアでボディーを製造、空輸するための費用が大半で、それを目標販売台数で割ってはじき出された数字に過ぎませんでした。

考えてみると、ブランドイメージの再生を狙ったにしては、他者に頼るという出発の時点で、既に後ろ向きなプロジェクトであった上に、「この手のオーナーは走りを追求しない」と言って、既存の走行系をソックリ持ち込んできたり、車の出で立ち自体に、何も新規性も無く、GMの都合ばかりが優先されていたのが判ります。
以前から、アメリカ製2シーターは成功しないというジンクスがありましたが、ココでもソレが現実になってしまいました。まあ、この車の場合、2シーターであったこと以外の問題が余りに多過ぎた訳ですが・・・。

最後の頃には、空輸を止め、エンジンも新型セビル/エルドラードと同様のノーススターエンジンが採用され、同じくセビル/エルドラードに準じた足回に改良され、遥かに性能の向上したモデルになりましたが、それでも販売が上向くことは無く、93年モデルを以って生産を終了しました。




写真上;この角度から見ると、何の変哲も無いキャデラックに見えます。


写真下:

決して悪いデザインでは無いものの、5万4000ドルも出して買う程の個性は感じないというのが正直なところでした。自慢のコンバーチブルも、アメリカでは珍しく手動式で、にわか雨の中、タキシードを着て、手を汚しながら・・・という具合でした。

イタリアからカロッツェリアが消える!…ピニンファリーナ、生産から撤退

ニュース
01 /02 2009

皆さん、明けましておめでとうございます。今年も、どうか当ブログにお付き合い頂ける様、お願いします。

さて、新年早々、イタリアからニュースが飛び込んできました!




イタリアからカロッツェリアが消える!…ピニンファリーナ、生産から撤退
1月2日1時10分配信 レスポンス


経営再建中の伊ピニンファリーナは12月31日、創業一族が株式を手放すことで銀行団と合意に達した。また2011年をもって現在の受託生産事業から撤退することも明らかにした。

従来ピニンファリーナ家は、一族の投資会社ピンカー社を通じピニンファリーナ全株式の50.6%を所有していたが、それらすべてを09年3月までに銀行団に担保として提供する。これによりピニンファリーナ家の持株比率は別企業を通じて保有する5%未満に低下することになり、1930年以来78年間続いた創業家支配に終止符が打たれることになった。

さらに現在トリノで行なっているフィアット車(アルファロメオ『スパイダー』、『ブレラ』)とフォード車(フォーカス『CC』)の生産も2011年の契約満了をもって打ち切り、受託生産事業から事実上撤退する。08年初めのベルトーネ倒産に次ぐ生産終了で、これによって大メーカーの受託生産を行なえる大規模カロッツェリアはイタリアから消滅することになる。

いっぽうで08年10月のパリモーターショーに参考出品された仏ボロレ社との共同開発による電気自動車『Bゼロ』については、11年発売を目標に開発を続ける。また比較的堅調なスタイリング / エンジニアリング部門は、09 - 11年の業績推移を見極めたうえで今後の経営戦略を練り直す。

ピニンファリーナは約6億ユーロの負債を抱え、サンパオロ銀行をはじめとする銀行団によって再建が急がれていた。今後は銀行団および仏ボロレ社、インドのタタ社など主要株主によって、経営の舵取りが行なわれると思われる。

なおこれらが正式発表されると、ミラノ証券取引所ではピニンファリーナの倒産が回避されるとの見通しから、同社株は一時前日比13.6%の急騰を見せた。

《レスポンス 大矢アキオ》





イタリアと言えば、ファッショナブル、ファッショナブルといえばイタリア・・・これはファッションの世界のみでなく、車業界でも同じでした。

自動車が誕生した当時、従来の馬車メーカー(コーチビルダー)がボディーの生産を行う、所謂分業が行われていましたが、やがて、自動車メーカーがボディー生産に進出すると共に、その伝統は廃れていきました、

イタリアでは、少量生産メーカーが幾つもあった関係で、それらの車体メーカーの生き残る余地があり、そして、独自のデザインを競い合う風土が生まれたと言えるでしょう。

既にライバルであったベルトーネが倒産し、今回のピニンファリーナ・・・イタリアの古き良き伝統が消えていく様で、寂しいものです。
尤も、同属経営に終止符を打ち、生産からは撤退しても、スタイリング部門が維持されるだけに、市場に於ける影響は大きくないと思われます。

ただ、一つ気になるのが、今後、インドのタタ社が経営に関わってくることです。同社は、独自の技術は殆ど無いに等しく、先のジャガー、ランドローバーの買収など、企業買収によって拡大している会社です。
今まで、「金勘定屋」が車会社を経営して、上手く行った例は非常に少ないので、その辺りが気がかりです。
同社は、製鉄業界における「ミタル」と同じ臭いが漂っているのです。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。