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フォード・カントリースクエア  アメリカ製フルサイズワゴン

フォード
03 /31 2009

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写真上は、70年代のダウンサイジングを受ける前のフォード・カントリースクエアです。
ボディー側面に張られた木目パネルが目を引きますが、コレは昔、ステーションワゴンのボディーが木製だった頃の名残です。

元々トラックの延長として発展したステーションワゴンは、側面に木材が張られただけのシンプルなものでした。
車のボディーが当初のオープン型から、クローズド型に変わる過程で、一般の乗用車は鉄製なのに対し、ステーションワゴンは木製という関係が長く続きました。

生産性、メンテナンス性の関係で53年型のGM車を最後に、木製ボディーは姿を消しましたが、60年代後半以降、写真の様な木目パネルが、高級グレードに採用される様になりました。

考えてみると、50年代のアメリカは、とにかく目新しさを第一としていた時代で、60年代後半以降は、リンカーン・コンチネンタル・マークⅢの様な、少し古風でシックなデザインが持てはやされ始めた時代でした。その流れは、木製のステーションワゴンを消滅させ、そしてレトロ風の木目処理を生み出すというソレとも合致しています。

そして80年代後半から90年代前半は、アメリカ車がビニールトップ等、従来のデザインモチーフを放棄し、より日本車的なデザインを採用し始めた時期に当たりますが、その頃、同様に木目処理も姿を消していきました。

日本では、かつてワゴンというと、所謂ライトバンと混同され、何処と無く商用車のイメージが抜けず、実際に個人ユーザーが「乗用車」としてのワゴンを認知したのは、90年代に入ってからと言えます。

それに比べると、アメリカでは、30年代位から高級車としてのワゴンの地位が確立しており、フルサイズワゴンにタップリ荷物を積んで、家族で休暇に出かけるスタイルは、豊かなアメリカの象徴でもありました。

ただ、高級車とは言っても、あくまでも「労働階級」の高級車で、キャデラックやリンカーンにワゴンの設定はありませんでした。

現在アメリカでは、ステーションワゴンの人気は全く無く、フォードは92年モデルでフルサイズカー、フォードLTDクラウンビクトリア、マーキュリー・グランドマーキスをモデルチェンジした時、そのワゴン版であるフォード・カントリースクエア、マーキュリー・コロニーパークはモデルチェンジされる事無く、中型車では、最後まで残ったトーラスも2000年モデルにて、セダンは大幅なマイナーチェンジを受けたものの、ワゴンは殆ど手付かずの状態で継続販売され、2007年に生産中止となっています。

GMも、96年モデルを最後にフルサイズから撤退、97年、中型車ビュイック・センチュリーのモデルチェンジでワゴンの設定が無くなりました。

現在、北米では、セキュリティーの関係で、独立したトランクのあるセダンの方が好まれ、そして、より多くの荷物や人を運びたい人は、ミニバンを選ぶため、ある意味中途半端な存在になってしまったのでしょう。

ただ、昨今の景気の悪化から、ミニバンの様な大きな車が敬遠され、よりコンパクトなワゴンが見直される時代が来る可能性も、またゼロとは言えないと思います。



写真下:ビュイック・ロードマスター

GMのラインナップでは、伝統的にキャデラックにワゴンの設定は無く、最高級のワゴンはビュイックということになります。写真は90年代前半のもので、GMフルサイズカーの最終モデルに当たります。
このタイプは、とかくデザインが批判されたものですが、セダンに比べ、ワゴンの方が遥かに良く見えるせいか、ロードマスターの他にも、兄弟車のシボレー・カプリスも、比較的よく日本で見かけました。

この手のアメリカ製ワゴンの多くは、テールゲートだけでなく、写真の様にガラス部分だけを開閉出来る様になっていました。

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クライスラーKカー 同社を救った救世主

クライスラー
03 /28 2009

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3月26日の記事で、30年前、経営危機にあったクライスラーが画期的なモデルを発売したという話しをしましたが、ソレか今回紹介するKカーです。

1979年、フォードを解雇されたリー・アイアコッカ元社長が、当時経営危機にあったクライスラーの社長に就任し、世間を驚かせました。
氏のリストラは凄まじいもので、イギリス、フランス、オーストラリア、ブラジル等、海外拠点の全売却と共に、従来の大型車を軒並み切り捨てて行きました。当時、第二次オイルショックの真っ只中で、それ等の車の人気は急激に衰えていましたが、かといってアメリカ人にとって慣れ親しんだものを急激に無くすというのは、やはり相当に大胆な行動でした。

そしてもう一つが、同社の救世主となったKカーの発売です。これは、元々アイアコッカ氏がフォード時代に温存していたプロジェクトで、時の会長、ヘンリー・フォード2世が首を縦に振らなかった為にお蔵入りになっていたものでした。

1981年、ダッジ・アリエスとプリマス・リライアントの2車種が発売されました。サイズ的にも日本の5ナンバー車よりも少し幅が広い程度のコンパクトなFF車で、充分な室内空間を持った車でした。
この辺の車は、私がカナダに滞在していた当時、何度も整備しましたが、間違っても高品質、高性能という訳では無いものの、シンプルなメカは、整備性に優れ、部品も安く(日本車は故障は少ないものの、故障した時は、非常に高く付きます)、少なくとも複雑怪奇で整備性の劣悪な、同時代のGMのFF車よりは、遥かに良い印象がありました。そして、日本車と同程度の大きさながら、乗り味に関しては、明らかに日本車のソレとは異なり、小さくてもアメリカ車ならではのユッタリしたものでした。

この車のもう一つの功績は、後に大ヒットとなる、ミニバンのベースになったことでしょう。それまでの巨大なバンよりも遥かにコンパクトなソレは、後にフルサイズカーの存在意義のかなりの部分を奪う結果にもなり、アメリカ人の車に対する考え方を変えた功績は、無視できません。

Kカー、ミニバンの成功は、経営危機のクライスラーの懐を大い潤し、予定より5年も早く、政府から受けた15億ドルの融資を完済し、アイアコッカ氏は一躍アメリカビジネス界の英雄と称えられました。

ところがその後、クライスラーはKカーのシャシーを、高級車のインペリアル、ニューヨーカー、ル・バロン・コンバーチブル、スポーツカーのダッジ・デイトナまでと徹底的に使いまわした為、顧客を欺く詐欺行為だという批判に晒される様になってしまいました。

正に成功と失敗は、実に表裏一体だと、改めて考えさせられる出来事でもあります。
その後、元祖Kカーのアリエス/リライアントが生産中止になった後も、色々と姿を変えながらも、このシャシーは使われ続け、95年にミニバンがモデルチェンジするまで生き続けました。

80年代の初頭、クライスラーの救世主となったこの車でしたが、そのシャシーを使い回し過ぎた結果、90年代の初頭、クライスラーの不振の最大の原因になってしまいました・・・。全く皮肉なものです。



写真:

プリマス・リライアントのワゴンです。4ドアセダン、2ドアセダン、ワゴンがそれそれ用意されていました。素っ気無い外観ですが、当時のアメリカ人が車に求める条件を、実に上手くコンパクトに収めているのは確かです。

初代ホンダ・シビック

日本車
03 /28 2009

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北米では、トヨタと並び、トップクラスの人気を誇るホンダですが、車の歴史は1963年からと、国産自動車メーカーの中では最も短く、当初は、レーシングバイクのエンジンを積んだ様なSシリーズ等、熱烈な一部のファンには支持された反面、とても一般受けするものではありませんでした。
軽自動車のN360の大ヒットで、ある程度車メーカーとして認知されましたが、これも、ホンダCB450のエンジンと共通点が多いという、ある意味凄まじい車でした。

そのホンダが、一般的に受け入れられる車として開発したのが、軽自動車のライフ、そして、その兄貴分といった出で立ちのシビックでした。

常識的とは言え、FRレイアウトが当たり前の当時、エンジン横置きのFFレイアウトというのは、極めて珍しいものでした。この辺は当時、イギリス車が好きだった、本田宗一郎氏の影響もあったのかも知れません。

当時の他の日本車というと、縦置きエンジン、OHVといったレイアウトが多い中で、横置きFF、OHCエンジンはタイミングベルトを使用していました。現在では当たり前のレイアウトも、当時の整備現場では、頻繁に交換が必要なドライブシャフトのブーツ類、タイミングベルトの交換作業、FF故のミッション降ろし作業の煩雑さ(FR車と比べて)から、ホンダの車は維持費が高く、整備性が悪いという定評が出来上がってしまいました。

この車のもう一つの功績は、CVCCという希薄燃焼システムで、世界で始めて、マスキー法をクリアしたことでした。同時代のアメリカ・ビッグ3が、オイルショック、マスキー法に苦しんでいる時、良いタイミングで海を渡り、非常に高い評価を受けたのです。

トヨタの場合、対米輸出の開始が57年と早く、北米の道路事情を充分に知らずに輸出を開始してしまった為、最初に悪評を作ってしまいました。

当時の日本の道路事情は、98パーセントが未舗装であったため、低速を重視したギヤ比、悪路を重視したサスペンションになっていた為、アメリカに持っていった途端、高速に合流出来ない、ガチガチの足回り、凄まじい騒音と振動、冬季の始動性の悪さと錆びの問題に悩まされました。

その悪評を払拭するのに大変な時間がかかり、80年代位までは、北米では、ホンダ、ダットサンに水をあけられている状態でした。

ただ、このシビックも、後に発売された初代アコードも、錆びの問題には苦しみました。
私がバンクーバーに滞在していた96年当時、一度仕事場に、ブレーキ点検に初代アコードが来たのですが、余りの錆びの酷さに、リフトアップは不可能との判断から、作業を断ったことがありました。

まあ、当時でも、既に15年以上経った車だったので、まあ、カナダで15年持ったのなら・・・という気がしないでもありませんが・・・。
それにしても、ホンダ車が他に比べて錆び易かったのは事実で、その定評を覆したのは89年に発売された4代目アコードが亜鉛鋼板と静電塗装を採用して以降のことでした。

何にしても、バイクメーカーのホンダが、本格的な自動車メーカーに脱皮する切っ掛けになった車であったことに疑いの余地は無く、そして、昨今の巨大化したシビックやアコードを見ると、初期の車を知る私としては、ある意味複雑な気持ちがするというのも、また事実です。




写真:

初代シビックの最終型、79年式です。久々にこんな車を見ると、現行シビックの成長ぶりには改めて驚かされます。

かつて、アメリカで家庭の2台目、3台目の車として、値段が安く、燃費の良く、故障の少ない日本車が選ばれたのですが、それが現在は、同価格でV6エンジンを搭載したアメリカ製中型ファミリーカーが買えるというのに、敢えてシビックをファーストカーとして選ぶ人が多い・・・本当に時代は変わったものです。

ポンティアック・ファイアーバード

ポンティアック
03 /26 2009

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初代カマロ:http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/972500.html

ファイアーバードは、67年の登場時より、一貫してカマロの兄弟車でした。元々フォード・マスタングの対抗馬として登場したシリーズでしたが、ライバルが登場することで、マスタングは大型化、高出力化の方向に進み、そして、それに歩調を合わせるかの如く、70年に登場した次期カマロ、ファイアーバードも大型化されました。

元々、安価でコンパクトでスポーティーな車として登場した、所謂ポニーカーたちも、気が付けばメーカー同士の泥仕合を繰り返しているうちに初心を忘れ、当初とは似ても似つかない車になってしまいまい、それに合わせて売り上げも低迷し始めました。ユーザーを見捨て車が、ユーザーに見捨てられた訳です。

その過ちに気が付いたフォードは、74年型マスタングで大幅なダウンサイズを行い、本来の姿に戻すべく行動に出ました。

それに対して、カマロ、ファイアーバード兄弟は、巨大なボディーを変更すること無く、途中2度のオイルショック、マスキー法(排ガス規制)という逆境に遭いながら、82年モデルまでと、実に10年以上も継続販売されました。この事は、カジュアルなマスタングに比べ、より特殊な車というニュアンスで取られる様になり、売り上げの面で大きく遅れを取る様になりました。

しかし反面、これだけ長期に渡り販売されたということは、良くも悪しくもカマロ、ファイアーバードという強烈なアイデンティティーを世間に示すことには成功したと言えるかも知れません。これは、後のマスタング http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/1020183.html がデザイン的アイデンティティーを失い、曖昧なデザインになっていったのとは対照的です。

写真のモデルは、その2代目のファイアーバードに当たりますが、かつて私がアメリカの知らない街を歩く時、この手のカマロ、ファイアーバードが爆音を立てて走っているのを見たら、治安が悪くなってきた・・・と判断したものでした。同様に、古いクライスラー車が多くなったら・・・というのもありましたが・・・。

現在、初代のカマロ、ファイアーバードは綺麗にレストアを施している例が殆どですが、この手は、まだ写真の様な乗りっぱなしという感じのものを時々見かけます。

人気車とは言えず、不人気車というには余りに数が多過ぎる・・・それは、長く販売された故のことですが、同時に、それ程強烈な存在感を周囲に示している事に他ならないのかも知れません。

尚、日本では「トランザム」という名前で呼ばれますが、コレはファイアーバードの最上級車を指すもので、ポンティアック・ファイアーバードというのが正式な名称になります。

米GM、早期退職に6000人応じる 条件は従業員1人につき「現金2万ドル」と「新車」

ニュース
03 /26 2009

金融情報サービス会社の米ブルームバーグなど米メディアは25日、米ゼネラル・モーターズ(GM)の米工場従業員の1割に相当する6000人以上が早期退職制度に応じたと報じた。

 公的資金による追加支援を求めるGMはリストラを加速させており、全米自動車労組(UAW)の組合員約6万人のうち、早期退職制度を受ける資格があるのは、約2万2000人だったが、申し込み期限の24日までにGM社内の目標値を上回る6000人以上が早期退職に応じたとみられている。

 この制度を利用して早期退職する労働者は現金2万ドル(196万円)と2万5000ドル(245万円)相当の新車引換券を受け取る資格を得る。

 オバマ政権は今月末をめどに、最大166億ドル(約1兆6000億円)の追加支援の是非を決める方針で、リストラによるコスト削減の進捗も支援を決める重要な判断材料になる。政府はGMの人件費を米国に進出する日本の自動車メーカー並みに引き下げることを条件としていることから、同社は世界規模で年内に4万7000人の削減を表明している。その計画には労働者だけでなく、一部事務系職員も含まれ、年内に米国内の同社サラリーマン3,400人を解雇する予定だ。

 また米大手クライスラーも、27日を期限に早期退職者を募っており、米大手自動車メーカーの生き残りをかけた事業再編が進んでいる。







結局従業員のクビを切ればリストラ・・・という、コレはビッグ3が過去30年以上に渡って行ってきた愚行です。GMのコスト高な体質は、何も従業員のせいでは無いのにも関わらず・・・。余りにも非効率極まりない経営を温存して、ツケは一番弱い従業員に押し付ける・・・何処かの政府と同じです。

非効率な設計の悪い車、非効率な経営陣、非効率な工場設備・・・コレらは従業員に何とかできる物ではありません。
因みに4万7000人の削減と簡単にいいますが、コレがホンダの従業員数の倍だということを考えると、如何に凄まじい人数か、お判り頂けるでしょう。

そして、これだけ経営危機だと騒いでいるにも関わらず、市場に対して、もう少し何か説明があってもいいのでは?というのが正直な気持ちです。倒産しそうなメーカーの車なんか、仮に良い車だとしても、誰も欲しくは無いのですから。

30年前、当時経営危機に直面していたクライスラーのリー・アイアコッカ社長は、自らがテレビや新聞の広告に登場して、自分たちの過去の過ちを謝罪して、現状の理解を求めました。

今回のGMが、その様なことをしているという話は聞きませんし、クライスラーの時の様に、画期的な車を出すという動きもありません。GMの経営危機は、何も今回のリーマンショックに端を発している訳ではありません。5年前にも、既に相当ヤバイと語られていたことなのです。

これでは、「振り込め詐欺」ならぬ、「潰れる詐欺」と言われても仕方ありません。

まあ、100歩譲って良心的な見方をするのなら、退職者に対する手当てでしょう。私の住んでいるニュージーランドでは、かつて、勤続年数と給料に応じて、退職金が支払われたものですが、前政権によって、その制度が廃止され、労働組合も無いので、レイオフされた者は、2週間以内に、何一つ貰わずに退職していくことになるので、GMのソレは、ある意味良心的と言えなくもありません。

オールズモビル・オーロラ ブランド存続を賭けて・・・

オールズモビル
03 /22 2009

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80年代のGMは、徹底的な合理化の影響で、どれも似たような車ばかりになり、各ブランドの差別化に苦しんでいました。その中でも中間に位置するオールズモビルは、その存在意義が薄れ、販売台数も大幅に落ちていました。

アメリカ最古のブランドで、かつて、GMの先進技術を最初に搭載し、「走る実験室」といわれていたオールズモビルも、80年代には、V8エンジンは落とされ、単純にビュイックのグリルとテールランプを変更しただけのモデルになり下がっており、存続が懐疑的な目で見られる様になりました。

そして、その噂を否定する為に95年モデルとして登場したのが、ココで紹介するオーロラです。

従来の最上級車種、98が、ビュイック・パークアベニューと基本を共用しているのに対し、オーロラは、キャデラック・セビルと兄弟関係にあり、エンジンも、セビルの4.6リッターV8(ノーススターエンジン)を縮小した4リッターV8が搭載され、その辺りからしても一ランク上の車であることが伺えます。

そして、デザインも従来のオールズモビルのソレとは全く異なるもので、発表時のアナウンスでも、「従来のマーケットは完全に無視した」と明言されていました。曰く「オールズモビルでなく、ニューモビルだと・・・」。エンブレムの変更(後に従来の物に戻されましたが)にも、その心意気が現れていました。
既に老齢化して久しいブランドに対する、ある意味賭けに出た訳です。

久々に意欲的に思えたこの車も、結局、従来の顧客からは支持されたとは言えず、また、新たな顧客を充分に掴むことも無く、2000年に一度モデルチェンジを経た後、2003年モデルを最後に生産中止となってしまいました。

登場するのが遅過ぎたのか、従来のアイデンティティーを無視したデザインのせいか、品質のせいか(兄貴分のセビルも、間違っても品質の良い車ではありませんでした)、それとも価格のせいか、OLDと付く名前に問題があったのか・・・(オールズモビルとは、古い車では無く、創業者のランサム・E・オールズに由来します)理由はともかく、オーロラの不振が、オールズモビルのこれ以上の延命は不可能という決断に大きく左右した事は、否定できません。

そして翌年、既に発表されていた通り、オールズモビルは、その107年にも及ぶ長い歴史に幕を下ろしました。




写真:オールズモビル・オーロラ

従来の98 http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/8810591.html 辺りと比べても、全く異質なデザインでした。最初、写真で見たときは、比較的ダイナミックで好印象だったのですが、実車を見たところ、関連性の無い無駄なラインがうねり回っている印象が強く、真ん中から「へ」の字状に折れそうに見えるのです。

2009 キャデラック CTS アメリカ車のデザイン

カーデザイン スタジオ
03 /16 2009

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写真は、2008年に登場した、新型キャデラック・CTSです。
写真を見て、どの様な印象を持たれるでしょうか?
結果から言うと、これ程褒める所の無いデザインも珍しい・・・というのが、私の率直な印象です。

フロント周りの写真が無いのは、率直に撮るに値しなかったからです。

ヨーロッパ車の見よう見まねで、ポコッと浮かび上がった下品な後部、取って付けた様な縦型テールランプ、短いボンネットとトランクは、寸詰まり感を存分に演出しています。

実車を見た印象でも、とても全長4.87mもある車には見えません。

横から見ると、フロントガラスが物凄い角度で傾斜しているのがお判り頂けますが、アレで居住性が上手く組み立てられる訳がありません。まだ室内に入ったことはありませんが、ガラス上端が額の間近に迫り、ガラス下端は遥か彼方、そして目の前には巨大なダッシュボードが広がって・・・というのは容易に想像か付きます。

この車のデザインの問題は、フロントマスクやテール部以前に、前後ガラスの角度の設定を失敗しているところにあると思っています。

フロントガラスをもう少し立てることで、運転席の圧迫感を取り除く他にも、ボンネットを長く見せる効果もあり、同時によりドッシリとした風格を与えることができます。

リアガラスも同様で、もう少し立てることで、トランクを長く取れ、外観的にも、そして内装面でもユッタリ感を演出する事が可能になります。

そして、前後のガラスを立てるということは、ガラスの面積も小さく出来る為、若干とはいえコストダウンの効果もあることでしょう。

数年前、カナダの権威「Lemon-Ade誌」によるキャデラックのデザイン評ですが

「最近のキャデラックのデザインは、変化の為の変化を求めているだけで、自分たちのアイデンティティーを無下に扱っている。トランスフォーマーの様な角々したデザインには美的センスを感じない」

 とありました。

結局、デザイナーの勘違いで、平べったくすることがカッコイイというソレが、車から居住性も外見的な風格も奪っているのです。

2005年に北米を訪問した当時、CTSは比較的よく見かける車で、しかも従来のキャデラックのオーナーとは異なり、40代後半くらいと思われる若い世代が運転しているのを、よく見かけました。
キャデラックにとって、顧客の老齢化は深刻な問題であっただけに、一応の成功を見ていると思ったのですが、昨年の訪問時は、それさえも殆ど見かけなくなっていました。

やはり、GMの不振は、品質ばかりで無く、デザインから全てに問題があると言って間違い無いのかも知れません。
かくいう私も、昔はベンツに乗るならキャデラックの方が・・・と思ったのですが・・・。

スバル・インプレッサ GMに翻弄された?日本車

日本車
03 /11 2009

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先に紹介したサーブ9-2xの続編です。http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/11376640.html

2008年モデルとして登場した新型スバル・インプレッサですが、この形を見て、私も含め、多くの人が???と感じたものでした。

このフォルム・・・よく見ると、何処かで見たことある様な・・・。そう、紛れも無くサーブ900辺りのプロポーションです。

噂では、この車の開発が始まった当時、先代インプレッサに続き、引き続きサーブ版の販売が計画されており、そして、よりサーブ(GM)が主導権を握ってデザインされた様です。ところが、開発途中でスバルとGMの資本関係が消滅すると、次期サーブ9-2xの計画も中止されたものの、既にデザインは相当出来上がっていた関係で、大きな変更が出来ずに登場したというのが真相の様です。

確かにこのフォルムに、前後をサーブに付け替えれば、先代よりも遥かにそれらしい雰囲気になったことでしょう。

これ以前にも、90年代初頭、いすゞ・ジェミニがGMに主導権を握られてデザインした結果、不評で、同社の乗用車撤退の引き金になってしまったことがありました。
その一つ前のジェミニが、純いすゞデザインで、シンプルながら上品なものでした。元々GMがアメリカで売る次期小型車を、オペルといすゞに競作させた結果、いすゞが採用され、アメリカではGMから販売され、なかなか評判を得ました。そして、それに気を良くしたGMは、次期モデルでは、より前面に出て来たのですが、アメリカ人にとって小型車など、安ければ何でも良いといった感じで、先代ジェミニの良さを理解する事も無く、ただ単に安っぽいデザインに成り下がり、先代モデルのオーナー程避けたがる車になってしまいました。

自分たちが大した車を作れないのは仕方ないにしても、提携相手にまで悪影響を与えることが少なく無いGM、それどころか、経営破綻にまで追い込まれ兼ねないだけに、付き合いは慎重にした方が良さそうです。



写真上:スバル・インプレッサ

先代までと全く共通点の無いデザインは、非常に不可解なものでした。


写真中:いすゞ・ジェミニ

パリの街を2台のジェミニが踊る様に走るCMが話題になりました。
地味ながらクリーンでカッチリしたデザインで、何処と無くヨーロッパ車的な雰囲気が漂っています。走りも、当時の一般的な日本車とは明らかに異なり、ヨーロッパ的なカッチリした乗り心地でした。
一般的なファミリーカーでありながら、モデル末期まで、コンスタントに人気を維持していたのは、特筆すべきでしょう。


写真下:いすゞ・ジェミニ(最終型)

先代と比べると、全てに於いて間延びし切ったデザインで、GMの小型車に対するスタンスを垣間見た様な気がします。後のキャバリエに何処と無く似ている気がします。
デザインもそうですが、運転席に座ると、ハンドルが真ん中に無く、少し中心がズレているのが、運転席に乗り込むと、違和感があったものです。

更には、兄弟車として、クーペ版をピアッツァの名前で販売したことです。先代ピアッツァは、旧117クーペの流れを汲む、純いすゞ設計のシャシーに、ジゥジアーロデザインの流麗なボディーを乗せた、大人の為のクーペでしたが、それが180度変わってアメリカ人の若者が乗る、安物クーペに成り下がってしまったのは、大いに批判されたものでした。

59キャデラック・セダン・ド・ヴィル 50年代のアメリカ車

キャデラック
03 /08 2009

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写真は59年式、キャデラック、セダン・ド・ヴィルです。
第二次大戦後、戦前と同様の車を暫く作っていたアメリカ自動車業界ですが、戦後モデルの登場は、48年式キャデラックにて幕を開けたと言えるでしょう。

翌49年式フォードのフラッシュサイドボディー(フェンダーの出っ張りが無く、サイドがツライチの、現在に通じるデザイン)と共に、後の世界中の自動車デザインに大きな影響を与えました。

そのキャデラックの特徴は、50年代後半に隆盛を極めた、所謂テールフィンの原型とも言えるデザインを採用していることでした。

50年代のアメリカは、先進技術の投入にも貪欲であり、パワーステアリング、オートマチック・トランスミッション、パワーブレーキ、エアサスペンション、パワーウィンドー、パワーシート、トランジスターラジオ等など、現在にも通用する最新技術が、惜しみなく投入されていきました。

豊富なガソリンを背景に、それらの車は、正に富める国アメリカの象徴でもあり、世界中で最も品質の優れた、先進的な車として羨望の眼差しを集めていました。同世代のロールス・ロイスやメルセデス・ベンツでさえ少なからず影響を受けていることからも、その威力が容易に想像できるというものです。

ところが、同時にこの繁栄の時代にこそ、現在に続く負の遺産が蓄積され始めたのでした。
「アメリカにとって良いことはGMにとっても良い事、その逆も然り」という発言からも察することが出来る通り、覇者の驕りが見え始めたのです。

毎年形ばかりのモデルチェンジを繰り返し、野放図なサイズアップを繰り返し、先に挙げた先進技術は、いわゆる快適装備ばかりで、基本性能面での向上を怠り続けた結果、後のオイルショック、排ガス規制に上手く対応出来ず、同時に著しい品質低下をももたらして行ったのです。

さて、話を写真の59年型キャデラックに戻しましょう。この年式の特徴は何と言ってもジェット機の排気口を思わせる様なテールランプ、そして巨大なテールフィンです。どのメーカーも、59年型でテールフィンの大きさがピークに達し、翌60年には、各社申し合わせた様に控えめになり、60年代前半に、ほぼ消滅しました。
特に、この59年式キャデラックは、まるで昔のSFに出てくる宇宙船の様にも見えなくありません。そして私が子供の頃目にした、「未来の世界」のイラストに出てくる、空中を「走る」自動車は、ほぼこの車そのままの形でした。

朝鮮戦争の停戦、そしてベトナム戦争の泥沼に入り込む前、後に世界中を揺るがすことになる環境問題、オイルショックといった人類の負の遺産が深刻化する以前、つまり人類が何の疑いも無く、科学万能の未来の世界に明るい夢と希望を描いていた、そんな束の間の幸せな時代の象徴であったのかも知れません。

サーブ9-2x

ヨーロッパ車
03 /02 2009

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サーブの話題が出たついでに、紹介しておきます。
かつて、スバルは日産との関係が強いメーカーでしたが、90年代の日産の経営不振~リストラの一環で、日産の保有していた富士重工株がGMに売却され、ここでGMとの資本関係が生まれました。

そして、その関係から誕生したのが、このサーブ9-2xです。
北米のみで販売されていた様ですが、ご覧の様に何処をどう見ても、先代スバル・インプレッサそのもので、グリルとテールランプを付け替えただけのものです。

スバルとサーブ・・・一見何の関係も無さそうなブランドですが、両者とも航空機産業から出発していること、自動車への参入は戦後で、FFとターボを得意とする等、意外な共通点があったりもします。

昨今、深刻な経営危機下にあるGMは、既にスバルとの資本提携を解消し、それに伴い、この車も生産中止になりました。

GMとスバルの資本提携・・・生まれてきた結果が、この車のみだとしたら、一体何だったのだろう?と考えずには居られません。



写真1、2:サーブ9-2x

何処をどう見てもインプレッサなのですが、心持ち上品に見える様な気がするのですが、如何でしょうか?
かつてのホンダをベースにしたローバーも、本家よりも上品なデザインをしていました。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。