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米GMが追加リストラ策発表、ポンティアック廃止へ

ニュース
04 /28 2009

[デトロイト 27日 ロイター] 米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)<GM.N>は27日、工場の閉鎖、時間給労働者の削減、ディーラー網の縮小、「ポンティアック」ブランドの廃止を柱とする追加リストラ策を発表した。
 GMはまた、債務削減に向けて272億ドルの債券と普通株の交換を債券保有者に提案した。
 証券取引委員会(SEC)に提出した報告書によると、保有債券1000ドルにつき普通株式225株を発行し、未払利息については現金で支払う。交換が成立すれば債券保有者の同社への出資比率は10%程度となる。
 6月1日までに同提案に対する十分な申し出がなければ、破産に向けた方策を検討するとしている。
 株式への交換および労組との医療費負担調整を通じて、GMは440億ドルの債務削減を目指している。
 GMは2月半ばに政府に再建計画を提出したが、オバマ政権は規模が小さすぎ、スピードも遅すぎるとして認めなかった。新たなリストラ計画では、2010年に追加で18億ドルのコスト削減を目指す。
 工場数を現在の47から34に削減し、時間給労働者を2万1000人減らし4万人にするとともに、ディーラー数も6246店から3605店に縮小する。
 2月半ばに提出した計画に加え、新たに6工場を休止・閉鎖するほか、時間給労働者をさらに7000―8000人削減する。またディーラー500人の追加削減を前回の計画から4年前倒しで実施する。
 「シボレー」「キャデラック」「ビュイック」「GMC」の4ブランドに絞り、10年末までに「ポンティアック」ブランドを廃止する。
 新たな事業再編計画などを好感し、GM株価は一時29%高と急伸し、2.18ドルをつけた。
最終更新:4月28日2時27分




ポンティアックは、元々オークランドと呼ばれ、1908年のGM創業の少し前に設立され、当初よりGMに参加していました。ポンティアックの名前が登場したのは1926年のことですが、50年代までは、比較的地味なブランドでした。60年代には、後に映画、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場する「デ・ロリアン」を製作した、ジョン・デ・ロリアンの指揮の元、ポンティアックGTO、ファアーバード等をラインナップし、スポーティーなイメージに路線変更をして、現在に至りました。

ところが90年代以降、ポンティアックの車というと、正直スポーティーと言うよりも、むしろオドロオドロしく、下品と言った方が正解で、車の内容も特に目新しい独自のモデルも無く、段々とシェアを落としていきました。

現在、車のデザインというと、空力、安全性、生産性、居住性等、様々な要素が加わる為、以前と比べると、デザインの余地が少なくなっています。そんな中で下位のシボレーとの差別化を図るというのは、結局お互いのシェアを奪い合う結果にしかなりませんでした。同じ車をブランド別に二つ仕立てるとなると、どうしても下位のシボレーを平凡なデザインにせざるを得ないからです。

現在のポンティアックのラインナップを見ても、特に目を引くモデルも無く、殆どがオペルをベースにしたモデルで、他のブランドと全く代わり映えのしないものばかりです。そうなると、販売規模の小さいポンティアックを廃止するというのは、真っ当な決断だと言えるでしょう。
同時に、シボレーもポンティアックに遠慮する事無く、より魅力的なデザインになってくれるとしたら、正に一石二鳥というものです。

これでキャデラック=高級、ビュイック=中級、シボレー=大衆車として、より明確なマーケティングが可能になります。

長年親しんできたブランドが消えるというのは、寂しいものですが、今回の決断は、個人的に支持したいと思います。

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クライスラー瀬戸際、再建計画期限迫る 「清算を」強硬論浮上

ニュース
04 /22 2009

 米クライスラーは経営再建計画の再提出期限が今月30日に迫ったが、経営破綻(はたん)回避に向けた交渉が難航している。

 しびれを切らした米財務省は20日、クライスラーと、提携交渉中の伊フィアット、全米自動車労働組合(UAW)のそれぞれのトップをワシントンに呼び、協議を急ぐよう求めた。一方で、米政府内や債権者からは、クライスラーを清算して優良資産の売却を進めるべきだとの強硬論も浮上している。(ニューヨーク 池松洋)

 米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)によると、米財務省の当局者は、クライスラーのロバート・ナルデリ最高経営責任者(CEO)とフィアットのセルジオ・マルキオンネCEO、UAWのロン・ゲテルフィンガー委員長に対し、それぞれ協議の加速を求めた。事業を継続できる米連邦破産法11章(日本の民事再生法に相当)ではなく、事業を清算する破産法7章の申請に追い込む可能性もちらつかせ、歩み寄りを求めたとみられる。

 また、財務省は、大手金融機関などの債権者に対し、債権の85%を放棄することを求めた模様だ。

 人件費削減 労組応じず

 クライスラーは20日、カナダの労働組合(CAW)とも人件費削減に向けた交渉を再開したが、CAWは「一方的な要求には応じない」と強硬姿勢を表明しており、期限内の合意は困難との見方も出ている。経営再建の道筋が見えないため、フィアットとの提携交渉も進んでいない。

 当事者間の交渉が難航する中、米政府内の一部では、クライスラーの製品開発力が弱く、海外事業の規模が小さいため、救済する価値がないとの見方も出ているという。債権者の一部からも債権放棄に応じるよりも、事業を清算させ、回収した方が有利との声が出ている。清算に追い込まれた場合、ジープなどの有力ブランドがフィアットやGMに売却される可能性もある。

役員報酬制限に反発、金融関連会社「融資いらない」…米紙
 【ニューヨーク=池松洋】米ワシントン・ポスト紙は20日、米クライスラーの自動車金融関連会社クライスラー・ファイナンシャルが役員報酬の制限に反発し、米政府の追加融資を断っていたと報じた。

 米財務省は今月上旬に同社に対して7億5000万ドル(約735億円)の追加融資の用意があることを伝えた。その条件として、上位25人の役員が報酬制限に同意する書面に署名することを求めた。

 これに対し、同社の役員が反発し、役員全員の署名を集めることができなかったことから、融資を断ったという。ただ、同社は「役員報酬制限が理由ではない」と反論している。

(2009年4月22日 読売新聞)





本当にクライスラーは不景気の度に経営危機に陥っています。過去の教訓が、今回、如何に生かされているのでしょうか?

70年代末の経営破たん時は、政府に援助を受けた上で、Kカー http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/13487431.html を発売。

90年代初頭には、ブッシュ父を使ったジャパンバッシングとLHカー http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/760241.html の発売・・・。

過去と現在の違いは、同社に対して、非常に批判的な意見が大きいことでしょう。そしてアメリカ政府も、出来れば関わりたくないというスタンスが見え隠れしています。

その違いは何なのでしょう?思うに、昔はアメリカ車、そしてクライスラーの良い時代を知っている世代が現役であったこと。
そして今は、その世代が既に現役を退いて久しく、特に戦後生まれのベビーブーマー以降は、アメリカ車の最悪の時代をリアルタイムに、フルに体験した世代であり、アメリカ車に対して批判的なのは無理も無いことです。事実、私も多くの人と北米で話しをしましたが、一部の特殊な車を除き、アメリカ車が好きという人に出会った記憶はありません。特に若い世代ほど、それが顕著な気がします。

その上、ダイムラー・ベンツとの提携も上手く行かず、投資会社サーベラスの下でも上手く行かなかっただけに、今回のフィアットとの提携といわれても、余り期待感が持てる話とは思えません。特にフィアットの技術力の低さを考えると余計に・・・。

オマケに今回は、未だ画期的な車が登場する様な情報もありません。

正直なところ、クライスラーの作る車は、アメリカ・ビッグ3の中では、決して悪い方jでは無く、特に過去10年でかなり品質が向上しています。
それを考えると、残念な気もしますが、やはりトータルの技術力、経営力を考えると、この時代に存続できる可能性は、低いと言わざるを得ません。

まあ、同じ事を過去2度の経営危機の時も言われながら、現在まで生き残ってはいますが・・・。

フォード・マスタングⅡ イギリスでの評価

フォード
04 /21 2009

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前回と同じく、イギリスの本「世界の最悪の車」からの抜粋です。


”マスタングⅡが最初に登場したとき、誰もが「フォードは一体何を考えているんだ?」と首をかしげ、そうしている間にも、過去10年間の栄光に貶め続けました。

64年に登場した初代マスタングは、発売と同時に銘車の仲間入りをしたのに対し、73年に登場したマスタングⅡは全くの駄作でした。
貧相なスタイル、不恰好な衝撃吸収バンパー、飾り立てたグリルも何ら良い印象を与えることは無かった。

まるで、チーム一丸となって、顧客にアピールする要素を全て取り去った様なデザインの上に、小気味良いシャシーも失われ、グニャグニャで締りの無いものになってしまった。

同時に排ガス規制の影響で大幅なパワーダウンに加え、初年度はV8エンジンすら用意されていませんでした。何という駄作・・・。”





マスタングⅡというと、現在は失敗作という烙印が押されていますが、実際そうなのでしょうか?
1971年、あるユーザーの指摘にフォードは頭を抱えることになりました。

「何故あなた方は、良い車を良い車のままにしておけないのか?サンダーバードにしても、マスタングにしても、モデルチェンジの度に巨大化して、気が付いたら似ても似つかない車になってしまった。」

その指摘の通り、当初あれだけ人気のあったマスタングも、71年当時、販売はジリ貧に陥っていました。
他社との競争に明け暮れ、より大型に、高性能に舵取りをした結果、顧客に見捨てられたという訳です。
そして、その打開策が、初期型への回帰を目指したマスタングⅡでした。

よくオイルショックによって小型化されたという表記を見かけますが、プロジェクトの立ち上げはオイルショックの遥か前であり、間違いです。
そして発売とほぼ同時に起こった第一次オイルショックの影響もあり、初年度でも30万台を超える販売台数を記録し、モータートレンド誌のカー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれています。

確かに先代のパワフルなイメージと比較されるために、今日の目では、批判的に見られるのは、ある意味仕方が無いのかも知れませんが、同時にマスタング本来の魅力であるカジュアルさは、コチラの方が上です。

私がカナダに居た96年当時、一番目にしたマスタングが80年代のもので http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/1020183.html 、その次が初代マスタングでしたが、殆どがレストアを施されたものでした。そして、その次が、このマスタングⅡで、コチラはレストアを施されていない、当時のままの物が殆どでした。そして、ほぼ皆無だったのが、やたら日本で印象が強かった、マッハ1の用意されていた2代目でした。

言っている事は間違っていないものの、その時代という要素を考えるか否かで大いに評価の変わる車であるだけに、せめて時代背景に関して、一言でも注意書きがあれば良かったのですが・・・。

シボレー・カプリス イギリスでの評価

シボレー
04 /19 2009

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手元に、イギリスで発行された「世界の最悪の車」という本があります。
世の中、世界の銘車を取り扱った本は数多くあれど、逆というのは比較的珍しいのではないでしょうか?

その中にアメリカ車も幾つか取り上げられているので、比較的日本でも有名なものを取り上げてみましょう。

シボレー・カプリス・・・76年~90年まで生産されていた、所謂「角型」のカプリスです。

”貴方が70年代半ば頃の車に刺激を求めるとしたら、カプリスには近寄らない方が良いでしょう。

ステアリングの感覚は曖昧で、柔らか過ぎる上に減衰力の乏しいサスペンション、鈍重な身のこなしで、歩くスピード以上でコーナーを通過すると、途端に激しくタイヤを鳴かせることになります。

走りの他にも、作りも非常に悪いものでした。アチコチに使われた、見るからに安っぽいプラスチックに、酷い錆び。ステーションワゴンは悪趣味な偽物の木目がボディーサイドに張られている。

それでも随分と長い期間生産が続き、80年代後半にマイナーチェンジを受け、カプリス・クラシックとなり、性能も向上したものの、それでも、極度なアンダーステアと、路面のギャップを超える毎に起こる激しいピッチングはそのままでした。

そして、何よりも、最悪にツマラナイデザイン。。。”




当時、多くの日本人の目には、アメリカらしい車と見えたものでしがた、イギリスでは、また一味違った見方があるのでしょう。

特に昔のアメリカ車特有の柔らかいサスペンションに批判的なのは、やはりワインディングロードの多いイギリスならではと言えるかも知れません。

そして、日本人には、同じく「アメリカ」を感じる、プラスチック製のニセモノの木目も、イギリス人には、単に悪趣味な安物という風にしか写らない様です。

日本人がこの車を語る時、枕詞の様に使う「大らかさ」「ユッタリ感」といった表現が全く見られないのも、やはり受け取る側の文化の違いなのかも知れません。

ビュイック・スカイラーク 同名車種の変遷

ビュイック
04 /11 2009

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先日、サーブ9-2xの記事 http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/11376640.html/ に対して、FVAさんより、GMのモデルポリシーに対する意見を頂きました。

今回は、GMのモデルポリシーの無さの一例を紹介します。同名ながら全く異なったモデルになってしまった例です。

写真上のモデルは、初代の53年型ビュイック・スカイラークです。これはビュイックの創業50周年を記念して作られた限定モデルで、ボディー形式はコンバーチブルのみ、価格も5000ドルを超える、当時としては非常に高価な車でした。
基本的には、ビュイック・ロードマスターをベースにコンバーチブル化した物だというのも、ある意味アメリカ的と言えるかも知れませんが・・・。

初代モデルは、僅か一年の限定生産で終わりましたが、60年代初頭に登場した同名のモデルは、安価なコンパクトカーであり、その次はポンティアックGTO等の兄弟車でスポーティー路線に走ったり・・・と車種に対する一定のポリシーは見られず、単に既存の名前をリサイクル使用しているだけというのが正直なところなのかも知れません。

そして80年代になると、コンパクトカー、ポンティアック・グランダムの兄弟車となり、次の写真が、90年代初頭に発売された、同じくグランダムの兄弟車として発売されたものです。

この世代のグランダム http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/733404.html のデザインは、それは酷いもので(当時、評論家の徳大寺氏が『怪奇映画に出てくる巨大な昆虫の顔』と評しました)、当時、GM日本が一生懸命販売に力を入れようと、マークⅡとの比較広告を大々的に打ったりしていたものの、下品なデザインが嫌われ、人気を得ることはありませんでした。
当時の印象では、このスカイラークの方が遥かに上品に見えたので、どうせならコチラを日本向けにはポンティアック・グランダムとして売っても良かったのではないか?と思った位でした。

新しい名前を付けるというのは、簡単な様で非常に大変なものです。耳慣れない名前が浸透するのには時間がかかる上に、それが良く受け取られるという保証もありません。最近では、フォード・トーラスの後継車として登場したファイブハンドレッドが、途中でトーラスに改名された例がありますが、これは改名によって顧客を混乱させたという反省からでした。
そして、新しく命名するには、同業他社が既に登録していないか等、色々と調査をする必要があり、想像以上の労力がともないます。

それなら、既に所有している名前を使うというのは間違った判断では無いのでしょうが、最高級車の名前が、いきなり廉価版の名前になる・・・というのは、少なくとも日本の感覚では、考えられない事だと思います。例えば10年後に、セルシオという名のエントリークラスの車が発売されたとしたら、きっと妙な気分になることでしょう。

GMのみならず、例えばクライスラーでも、インペリアル・ル・バロンという車がありました。これはクライスラーの高級車部門、インペリアルの最高級車の名前であったものが、部門閉鎖後、クライスラー・ル・バロンという車が販売されましたが、コチラは何の変哲も無い安車でした。

因みに日本では、ホンダが名前を使い廻すメーカーとして知られています。ビート、ホライゾン(いすゞ・ビッグホーンのOEM)、ジャズ(いすゞミューのOEM)等は、バイクから転用された例で、逆にトゥデイの様に車からバイクに転用されたものもあります。



写真上:

53年型初代ビュイック・スカイラーク。歯を剥き出した様なグリルが特徴的で、当時「ドルの笑い」というあだ名を付けられました。
フォードが49年型で一気にフェンダーの出っ張りの無い、フラッシュサイドボディーに移行したのに対し、GMは段階的に移行しており、その移行の最終段階が、この53年だと言えるでしょう。

写真中:

92年型として登場したモデルで、先代がグランダムと全く同一であったのに対し、フロント部の尖りが特徴的でした。グランダム http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/733404.html よりも遥かに洗練されたデザインで、日本でこの手のセダンを買う世代には、コチラの方が良かったと思います。


写真下:

96年以降のモデルで、グリル周りが極一般的なビュイックのものに変更され、ある意味個性が薄らぎました。反面、フロントシートベルトの変更に伴う、ドア内張りの形状変更により、前席の居住性が向上したことは、意外と触れられません。
当時、二日間レンタカーで使用したことがありますが、バンクーバー島の曲がりくねった道で、フワフワの脚廻りに閉口しながらも、意外なほど疲れない、不思議な車でした。

クライスラー・インペリアル Kカーの成れの果て

クライスラー
04 /03 2009

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先に紹介したKカーをベースにした車の最大、最高級???車が、今回紹介する、クライスラー・インペリアルです。

インペリアルとは、元々クライスラーの高級車を生産する部門で、76年に廃止されましたが、80年代初期にアイアコッカ氏の下で一時復活した後、再び廃止になっていたブランドの復活でした。
ただ、このタイプは、あくまでも「クライスラー部門」の一車種ということで、かつての「インペリアル部門」からの販売ではありませんでした。

外見的にも、同時代のニューヨーカーと似ており、非常に識別が困難ですが、ビニールトップの形状、テールランプや、より大型のグリルが判別基準になります。
全長は、初代のKカーの4.53mから5.15mにまで成長しましたが、全幅は1.75mと、このシリーズ全般、殆ど変化がありませんでした。

メカ的には、ニューヨーカーをベースに、より装備を充実し、ホイールベースの延長で室内が拡大した以外に特に見るべきものは無く、デザイン的にも、90年代初頭の感覚では、相当古臭い印象が強く、販売面でも振るいませんでした。

このインペリアル、そしてニューヨーカーとも、一般的に良い話を聞いたことの無い車で、当時、評論家の徳大寺氏も、「陰気で閉塞感のある室内」と酷評したものですが、私個人的には、この車独特な「包まれ感」に、好印象を持っていました。
信頼性の面でも大した事はありませんでしたが、GMやフォードの同クラスの車に比べると、遥かに構造がシンプルで、修理代も安く付きました。
そして、古臭いと批判され続けたデザインも、当時から悪い印象は無く、現在改めて目にすると、非常にフォーマルな、いいデザインだと思いました。

2万5千ドルを超える高級車までもがKカーベース・・・そう言って何かと批判された当時のクライスラーですが、逆に複雑怪奇にゴチャゴチャ作り込んだGMの車が良かったか?というと、必ずしもそうは言えませんでした。

これ以降のクライスラーは、新シャシーを採用していくことになりましたが、それらの車は、複雑怪奇な上に整備性も劣悪で、部品代も高い上に信頼性も無いという、以前にも増して酷い車ばかりで、逆にアイアコッカ時代のKカーベースの車が懐かしく思えたりもしました。

90年代初頭、ホンダはジープの販売に乗り出しましたが、当時、クライスラーとの提携に対して「アメリカで最も小型車の作り方を心得たメーカーである」との理由を挙げていましたが、あながち間違いでは無かったのかも知れません。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。