GM、自動車労組と労務費減で合意…破産申請秒読み
ニュースかつて、世界の半分はアメリカ車、そして、その半分がGMと言われた、あのGMが・・・です。
90年代後半以降、アメリカの経済は非常に順調で、GMも大型SUVの売り上げで大いに懐を潤していました。ところが、あれだけ潤沢な資金が有りながら、それが良い車を作ることには全く反映されませんでした。
景気が良く、手元に潤沢な資金がある時ですらソレなのですから、経営破たんして、債務処理をしたからといって、簡単に再生が出来る様には思えません。
2008年のアメリカ滞在時、以前関わりのあったアメリカ車が軒並み姿を消していることに驚き、その姿を記録に止めようとブログを開設し、今年で12年目になります
スナップオンの1/4ビットを使用するラチェットドライバーです。
分解が可能で、メンテナンス、改造が比較的簡単にできます。
グリップの中にビットを何種類も収納出来るので、旅行などに便利ですが、余りに大きく重い為、仕事では殆ど使うことはありません。もう少し小さい奴も作って欲しかったのですが、コレより小さいものとなると、スタッビ型になってしまいます。
そして、現行モデルは、軸を簡単に交換出来るなど、新しい工夫が見られますが、更に大型化してしまいました。力が入る様に・・・というのなら、軸にボルスターを設けるなどした方が、より効果的だと思いますし、その分コンパクトになれば、私としては嬉しいところです。
もう一本、更に一世代前のタイプの、ラチェット式でないマグネット式ビットドライバーも持っているので、磁力を必要とする場合は、通常のドライバーと殆ど変わらない大きさの、コチラになってしまいます。
車社会アメリカでは、1953年にインディアンが倒産して以来、ハーレーが唯一のバイクメーカーとして君臨しています。
ところが意外なことに、アメリカでも、かつて多数のバイクメーカーが競い合っていた時代があったのです。
かつて世界一のバイク産業を誇ったイギリスでも、現在操業中なのは、トライアンフ一社に過ぎません。しかも本来のトライアンフは、1983年に倒産しており、同じ会社ではありません。
日本では、奇跡的に4社もバイクメーカーが残っていますが、かつて存在したバイクメーカーの数は、200は下らないと言われています。そして、肝心の4社も、82年をピークに、右肩下がりに販売量を減らしており、現在はピーク時の1/6に過ぎません。
そして、長いこと世界一のバイクの生産量を誇ってきた日本も、気が付けば、お隣中国に、その座を明け渡していました。
この流れは、何を物語っているのでしょうか?
アメリカのバイク業界の淘汰は、1908年のT型フォードの発売と共に起こっています。一般人に手が届く価格帯の車が発売されることで、それまでの車の代用品としての需要が急激に減り、趣味性の高い一部の物が細々と残る以外に無くなってしまったのです。
イギリスのソレは60年代に起こりました。1958年にミニが発売された辺りから始まったと言えるでしょう。かつてはトライアンフ、BSA、アリエル、マチレス、ロイヤル・エンフィールド、ヴェロセット、ノートン・・・実に多くのブランドがひしめき合っていました。尤も、イギリスの場合、企業同士の合併の繰り返しで経営が混乱したという、別の要因もありましたが・・・。
日本では、1955年に第一回浅間火山レースが開催されたのをきっかけに、国内メーカー間での淘汰が始まったこと、58年に庶民の車としてスバル・360が発売、59年にホンダが日本のメーカーとして初の「マン島TTレース」出場・・・と言った辺りが境目と言えるでしょう。
以降、実用車としてのバイクの需要は下火となり、ホンダ、ヤマハ、スズキ等、海外のレースで鍛えられたメーカーの、より趣味性の高いスポーツバイクが主流となっていきました。
こう見てくると、バイクの隆盛は、その国の経済発展に伴って起き、庶民が車を持つことによって下火になるという法則が見て取れます。それを考えると、60年代前半、強引に車業界に参入したホンダの先見性には、改めて驚きます。
現在、中国では飛躍的に車の保有台数が増えているといいますが、それでも、とても一般庶民に手の出る価格とは言えません。かつて、自転車に乗っていた人々がバイクに乗り、そして、その人々が車に乗り換える時、現在世界最大の生産台数を誇る中国のバイク産業が下火になるのでしょう。
その時に、中国のバイク産業が、より趣味性の高い物を世間に問い掛けられるか否か?その答えは、当分先になりそうですが・・・。
ゴールドウィングは、アメリカのオハイオ工場で生産される、超大型ツアラーバイクです。ステレオからナビゲーションまでの、ありとあらゆる装備が盛り込まれていますが、驚く無かれ、元々はスポーツバイクとして登場したのでした。
CB750Fourの爆発的なヒットにより、一躍世界のトップに躍り出たホンダでしたが、72年にカワサキから900ccのZ1が発売されるに至り、次第に劣勢に立たされることになりました。
CB750の発売から6年目の75年、あらゆる面でCBを超えることを目指し、今までとは全く違うスポーツバイクとして登場したのが、GL1000ゴールドウィングでした。
CB750に寄せられた意見で多かったのが、
1.並列4気筒のレイアウト故の重心の高さから来る、取り回しの重さ。
2.ドライブチェーン、リアタイヤといった駆動系の磨耗の早さ。
主に、CBの高性能故のものが圧倒的でした。
1の解決法として、幅は広くなるものの、重心を低く抑えることの出来る、水平対向4気筒エンジンの採用、燃料タンクをシート下に配置するといった、変則的なレイアウトが取られました。
2の解決法としては、シャフトドライブの採用、小径幅広タイヤの採用が上げられます。
クランクシャフトを縦置きにする水平対向エンジンは、シャフトドライブとの相性が非常に良く、カムの駆動も、当時は珍しかったタイミングベルトを使用しています。
そして、縦置きクランク、シャフトドライブのレイアウトは、どうしてもアクセル開閉時のトルクリアクション(いわゆるシャフトドライブの癖)が発生しますが、ソレを抑えるために、ジェネレーターをクランクの反対方向に、倍の速度で回転させています。
水平対向4気筒というレイアウトは、どうしても後ろの2気筒の冷却効果に問題が出る為、当時は珍しかった水冷になっていました。
重心が低い上に、タイミングベルト、水冷化、シャフトドライブによって大幅なメカノイズの低減を実現し、今までに無い、静粛な車に仕上がっていました。
当時の日本では、アメリカン、ヨーロピアンといった性格付けは出来ておらず、ゴールドウィングも、所謂スポーツバイクとして登場した訳ですが、主要マーケットであるアメリカでは、大型フェアリング、ツーリングバッグを装備するのが流行り、後にメーカーがそれに追従する形で、現在の様な形になっていったのです。
70年代初頭の日本では、免許制度の不備な中、急速に普及した大型バイクによる事故、暴走行為が社会問題化しており、750ccを超える排気量の販売が事実上不可能となってしまい、カワサキもZ1も国内販売を見送り、750ccにスケールダウンしたZ2を国内販売していました。
そんな中で、GL1000は、初の完全な輸出専用車であり、国内での750cc版の販売予定もありませんでした。そうなると当然、それを欲しがる人が出てくるもので、国内初の逆輸入車として、1ドル250円の時代故に、100万を超える高価格(当時の750ccの3倍ほど)でありながら、それなりの人気を得ました。
それ以後、輸出専用車を逆輸入するというのは段々と珍しいことでは無くなり、特に85年のプラザ合意以降の円高で、急激に値段が下がった関係で、馬力規制のある国内仕様の750ccと余り価格差が無くなり、750ccオーバーの販売自主規制も、有名無実化しつつありました。
そんな中で、1988年、ゴールドウィングは750ccを超えるモデルでは、初めて型式認定を得て、正規モデルとして販売される様になり、自主規制に終止符を打つことになりました。
その当時、ゴールドウィングの解禁に対し、某大手全国紙が「暴走族を刺激する」という見当違いの記事を書いたのは、有名な話です。
写真上
GL1000・ゴールドウィング・・・最初は、極普通の格好をしたバイクでした。燃料タンクはシートの下にあり、シートの前にあるのは、ダミータンクで、内部にエアクリーナー、工具、電装計が収納されている上に、小物入れも設置されています。珍しいところでは、取り外し式の、キックアームも装備されていました。
大きさ、重量の割りに、低重心のお陰で、取り回しは楽です。
写真下
現行のGL1800ゴールドウィング・・・水平対向6気筒1800cc・・・ここまで来ると、何故車にしないの?と言いたくなってしまいます。
トランザムは、ポンティアック・ファイアーバードの最上級グレードに当たります。
3代目のカマロ/ファイアーバード兄弟は、2代目の登場から実に12年後の82年に登場しました。先代の余りにも強面なスタイルと比較すると、随分と穏やかになったものの、それでもカマロと比較すると、よりワイルドな雰囲気が漂っていました。
ボディー形式はハッチバックになったのが目新しく、カマロとの差別化として、リトラクタブルライトの採用が目に付くところです。
この車の現役であった80年代というと、アメリカの自動車産業が、ダウンサイズ、排ガス規制、燃費規制に四苦八苦していた時代でした。ファイアーバードも、その例外に漏れず、大らかで力強いスタイルとは裏腹に、5リッターのV8エンジンですら、200馬力に届かないといった感じでした。走りに関して言えば、同時代の、よりコンパクトなマスタングに、一日の長がありました。
カマロ/ファイアーバード兄弟は当初、初代マスタングと同じく、それまでのアメリカ車とは一線を画する、コンパクトさ、スポーティーさを売りにする車でした。ところが、この時代になると、他のアメリカ車が軒並み小型化された上に、V8エンジンの設定が無くなった関係で、逆に「アメリカらしい車」と言われる様になったのは、皮肉な事です。
バブル当時、カマロが350万円と、国産スポーツカーと然程変わらない値段で販売された為、それなりの売り上げを見せたものの、ファイアーバードは、従来のままの、500万近くもする価格であった為、当然販売は振るいませんでしたが、アメリカの人気ドラマ「ナイトライダー」に登場していたこともあり、当時、アメリカ車が全く人気の無かった日本でも、それなりの知名度はありました、
最初の訪米の88年当時、街中を当たり前の様に走っているカマロやファイアーバードを見て、驚いたものです。70年代のスーパーカーブームの頃、これらの車も、その末席に座っていたこと、そして日本での販売価格故のことですが、彼の地では、セリカと同クラスだと知ったのは、後になってからのことでした。
2010年モデルとして登場する次期カマロは、ポンティアック部門の閉鎖決定に伴い、単独で登場する事になります。
写真上
ヘッドライトの下に少し目を覗かせた辺りに、独特な迫力が漂っています。同じシャシーを使いながら、カマロとは、上手い差別化をしていると言えるでしょう。
写真下
この角度から見ると、2シーターの様に見えますが、2+2です。ただ、流石にこれだけ車体が大きいと、後席も、座面は低いものの、大人が座れるだけのスペースは確保されています。
ブラックアウトしたテールランプが独特な凄味を生んでいます。
それにしても頂けないのが、トランクのスペース・・・これだけ巨大で、しかもハッチバックでありながら、スーツケース一つ積めない有様です。この辺りは、スポーツカーとして割り切っているのでしょう。
プロトはアメリカで主に産業用工具として知られ、ビッグ3の組み立て工場でも使用されています。
スナップオンと同様、フルラインナップを構成していますが、コンビネーションレンチの発案者として知られています。
写真は、インチサイズの物です。現在プロトもスナップオンと同様の鏡面仕上げを採用している様ですが、元々は、この様な素地仕上げでした。
鏡面仕上げと素地仕上げ、コレに関しては常に賛否両論が付きまといますが、長年使った後、素地仕上げの方が綺麗に見えるのも、また事実です。
北米で最も一般的な工具が、シアーズの販売するクラフツマンで、プロトは、クラフツマンの倍の価格、そしてスナップオンは、プロトの倍の価格になっています。
昨今、ホームセンター等で売られている廉価版工具の品質向上に伴い、最も影響を受けているのが、プロトを始め、中堅クラスだと言われています。以前、バンクーバーのディーラーで聞いた話では、かつて、彼の地で盛んだった造船所に大量に卸していたものの、造船所の閉鎖後、殆ど売れていないということで、「他にもっと安くて良い物がある」と言われてしまいました。
写真下の1/2インチ(大きい方)は、保障で新品交換になったものですが、以前の物と比べて、明らかに仕上げが雑になっています。刻印も、かつてのMFD USAから、単にUSAに・・・コレは現在、必ずしもアメリカで生産している訳では無いということを示しているのかも知れません。
現在、プロトもマックと同じく、スタンレーグループの一員となっています。そして、オーストラリアのシドクロームも、プロトの同様品としてオセアニア地区で販売されています。
シドクロームに関しては、ずいぶん前からオーストラリアでの生産を中止し、台湾に移ったそうですが、プロトも同じ工場で製造されている可能性も、十分に考えられます。
工具の出来としては、飛びぬけて良いという印象も無く、かといって悪い印象も無く、あらゆる面で中堅といった印象です。そして無骨な中にも、何処か上品な機能美を感じる・・・こんなところでしょうか?
カナダ時代に、錆付いた古いアメリカ車を相手に、随分と酷使したものですが、今日、殆ど出番も無くなってしまいました。それでも、工具箱のレンチ専用の引き出しの中で、主力のメトリック(スナップオン製)の隣に、何時でも使用可能な様に配置されています。
写真上:プロトのコンビネーションレンチ。日本ではメガネレンチとスパナという組み合わせが一般的ですが、欧米では、この手が一般的です。
写真下:新旧比較。
7/16(小さい方)の方が旧型で、刻印も明確な上に、素地仕上げも上質で、メッキも深みのある色合いです。
1/2の方が新型で、素地仕上げも安っぽく、メッキも妙に軽々しい印象があります。
かつて、アメリカのリムジンと言えば、キャデラックやリンカーンのフルサイズカーと相場が決まっていました。別体式フレームを持つ車体構造が、ホイールベースを延長するのに好都合であったからですが、96年にキャデラック・フリートウッドが生産中止になると、リンカーン・タウンカーが市場を独占してきました。
そして90年代、アメリカの高級車市場に、新しい流れが生まれました。それは、4輪駆動車(SUV)が高級車として認知され始めたことです。かつてダウンタウンのメインストリートに停めてあるSUVと言えば、農夫が買い物に来た・・・と相場が決まっていたところが、お洒落な高級車として、選ばれる様になったのです。そして、キャデラックやリンカーンまでもが、この市場に参入するに至りました。
こうして新しい高級車が市場に認知されるに従い、その流れは、リムジン市場にも影響を与える様になりました。その中でも先陣を切ったのが、ハマーのリムジンでしょう。
2005年にアメリカを訪問した際、初めてその姿を見かけましたが、今回の訪問では、更に車種が多様化している様に思いました。
そして、その極めつけが、写真のフォードF-550トラックでした。異様な程の長さもさる事ながら、ピックアップトラックをリムジンに・・・という必然性から考えたら、誰も作らないであろうソレが、現実に作られているという事実に、驚きました。
ソレが、お洒落に街中に溶け込んでいるのが、何とも不思議なものです。
昨今、安全性の問題で、衝突時、適度に車体を潰した方が、衝撃吸収に良いという理由から、頑丈な別体式フレームは、敬遠される様になりました。三菱パジェロがモノコックになった様に、SUVの中でも、その流れが加速しつつあります。
リンカーン・タウンカーの余命も長くは無いと思われる今日、リムジン市場は、その将来を模索している時代なのかも知れません。
発売に際して、どの程度売れるのか、全くの未知数であったCB750が予想を遥かに超える人気を博したのを受け、71年、その一クラス下のモデルであるCB500Fourが発売されました。
750はスタイルも性能も良いものの、如何せん重く、取り回しが大変でした。そして、この500は、どちらかというと日本市場を優先し、扱いやすさを優先した仕上げになりました。
「静かなる男のための・・・」という当時のキャッチフレーズからも、最先端で若者に大人気となった750と比較し、何台もバイクを乗り継いだベテランにターゲットを合わせている様にも聞こえます。
最高出力は48馬力と、従来高出力を売りにしていたCB450と比較しても、十分に高出力でありながら、遥かに扱い易い特性でした。
途中、550ccに拡大され、若干のパワーアップが施されましたが、同時に重量も増えてしまいました。そして79年には、650ccまで排気量が拡大され、83年頃まで生産されていた様です。
本家の750よりも長く生産されたという事実は、その扱い易さ、素性の良さを物語っており、70年代のレースシーンでも活躍していました。
そして、北米では、今でもこんな感じで丁寧に乗られているのを時々見かけます。これも扱い易さ故のことで、レストアを施されていない、当時のままのものも決して珍しくありません。それに比べると、750は、完全にコレクターズアイテムと化しており、街中で見かけることは遥かに少なく、一部のマニアがレストアを施している例が圧倒的です。
常に最高スペックを欲しがる日本人の間では、750の人気に隠れていたものの、750の主要ターゲットであったアメリカに於いて、550が日本以上に評価されていたというのは、非常に興味深いところです。
写真:CB550Four
70年代半ば頃のモデルです。メタリックのオレンジ色が時代を感じさせます。本来メッキの4本マフラーが装備されていましたが、集合官に変更されています。