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49年型フォード フラッシュサイドボディー

カーデザイン スタジオ
06 /30 2009

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戦後暫く戦前と同じ車を作り続けていたビッグ3ですが、48年型キャデラック辺りから、いわゆる戦後型が始まり、その中でも、特に目立ったのが、戦後型49年型のフォードでした。

前年のモデルと比較して頂ければ一目瞭然ですが、それまで一般的であった、前後のフェンダーが出っ張ったデザインから決別し、現在まで続く、サイドが面一の、フラッシュサイドボディーを採用していたのです。

車は元々馬車にエンジンを積んだものから発展し、それぞれの車輪に泥除けを付ける・・・という古典的なスタイルからの完全な脱却と言えるものでした。
そのデザインが、大衆車のフォードばかりでなく、高級車のリンカーンまで採用されている辺りに、相当な自身を見て取ることができます。

そして、同年式のライバルであるシボレーを見てみると、フロントフェンダーの出っ張りを無くし、リアフェンダーのみが出っ張っているという過渡期的なスタイルを見せており、この状態が54年型まで続きます。
因みに、ヨーロッパでこのスタイルが採用されるのは、10年近く経ってからのことでした。

○積極的にテールフィンを採用したGMに対し、控えめであったフォード。

○開閉式ヘッドライトを長く採用したフォードに対し、比較的早い時期に止めたGM。

○80年代にヨーロッパ風のラインを採用したフォードに対し、比較的遅くまでクロームを多様したアメリカ的なスタイルを維持したGM・・・。

結局最後には両者とも同じ系統のデザインを採用する事になるものの、いつも、その過程に意識的にか、正反対の動きが見えるのが、興味深いところです。

そして、現在のビッグ3の不振は、デザイン面で何ら優れた提案が無いことも、大いに影響しているのは間違いありません。


写真1:49年型フォード…下の48年型と比較すると、実にシンプルである意味素っ気無くも見えるものの、当時はさぞかし斬新に見えたことでしょう。

写真2:49年型リンカーン…高級車故に、よりユッタリとした優雅なデザインです。中央分割式の平面ガラスでは無く、一枚の曲面ガラスを使用しているのが目に付きます。

写真3:48年型フォード…戦前と同じ型で、出っ張ったフェンダーが古典的です。

写真4:49年型シボレー…過渡期的とも言えますが、優雅で、上手くまとまったデザインです。

写真5:54年型シボレー…リアフェンダーの出っ張りの残った最後の年でした。翌年の型が余りにも有名な為、陰に隠れた存在になり勝ちです。

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ヤマハTX750 二兎を追う者は・・・。

ヤマハ
06 /30 2009

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ホンダのCB750に遅れること3年、72年にヤマハ初のナナハン、TX750が発売されました。
70年に登場したXS1から2代目の4スト車になりますが、敢えて冒険を避け、OHCの2気筒というシンプルなメカでの登場でした。

当時は正にナナハンの全盛期、大柄でパワフルなマシンが求められている時代で、それ故にXS1はマイナー路線に終始することになりました。

その反省からか、TX750は、排気量で100ccの差とは言え、それ以上に大柄なバイクに仕上がっていました。そしてXS1では振動で苦労した反省から、バランサーを装備していたのが新しいところでした。

ナナハンのボリュームを持ち、ツインの振動を消し去った・・・考え様によっては正しいのかも知れませんが、逆にツインの「味」を求めるには、スリムなXS1の方に分がある・・・・というのも、また事実と言えました。
この辺りは、実に難しい問題で、設計が古く、余りの振動の多さで、技術者からは厄介者扱いされていたカワサキのW系が、根強い支持を得ていたことからも窺い知ることが出来ます。

おまけに、過剰デザインと言われたエンジンは、冷却効果が十分で無かった様で、オーバーヒートを多発し、シリンダヘッドから吹き出す様なオイル漏れ、チェーン駆動のバランサーのタイミングズレによる振動の発生等、トラブルをも頻発しました。

仮にそのトラブルが無かったとしたら・・・それでも、あの時代にメジャー路線を走る事は難しかったことでしょう。

後に登場したTX500は、DOHCヘッドを搭載していましたが、低速トルクに欠ける走りは、これまたツインを好む層の求める物とは微妙なズレがあり、余り人気を得ずに終わりました。

これらのバイクを見ていると、如何にツインというものが難しいか、改めて考えさせられる思いがします。長所にも短所にもなり得る振動の扱い、低速トルク・・・より人間臭く、そして拘りの多いベテランライダーが相手となるからでしょうか? 結局最初に登場し、ツインらしさが最もストレートに表現されていたXS1~TX650が一番支持を得たというのは、何とも皮肉な結果と言えます。

当時、ヤマハの2輪部門で設計を担当していた方と話をしたことがありますが、当時のヤマハは4スト車を、スポーツ路線の2ストに対して、どのような位置付けにするかで、色々と迷いがあったということで、それ故に地味な車になってしまったということでした。



写真:TX750

カラーリング、スタイル共に当時のヤマハの一般的なものでした。下の写真が後期型で、より落ち着いた雰囲気になりました。

独特なエンジンのデザインに注目!冷却フィンが短いため、冷却効果が十分でなく、オーバーヒートを多発しました。

スズキGT380 大型車の風格

スズキ
06 /28 2009

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75年10月に突如行われた免許制度改正で、400ccを超えるバイクに乗るのは、正に夢物語に等しいことになってしまいました。初年度の限定解除合格者は約1200人、その大半が警察関係の人だと言われています。練習所も教習所も何も用意されず、実質大型バイクを禁止したに等しい行為でもありました。

そんな中で、教習所で取得可能な中型免許で乗れる400cc以下のクラスに於いて、大型車の持つ特徴を有した車に注目が集まる様になりました。既にこのブログでも紹介したCB400Fが、中型免許で乗れる唯一の4気筒車として人気を集めたのと同時に、このGT380は、クラス一の重厚なスタイルで人気を集めました。

2スト3気等380cc、通称「サンパチ」は、馬力もトルクも定価も「サンパチ」で統一されていたのは偶然なのでしょうか?
中途半端な排気量も、発売が免許制度改正以前であったこと、そして元の設計がT250系の2気筒250ccに、もう一つシリンダを追加したことに端を発しています。

750とは異なり、空冷ながら、シリンダヘッドの冷却フィンがエアダクトの様な形状になっているのが特徴で、ラムエアシステムと呼ばれていました。

750と同じく、元々ハイパワーを優先したバイクでは無く、始動も2ストながらスターターが装備されており、マフラーも3気筒ながら4本マフラーになっていました。これは、中型免許で乗れる唯一の4本マフラー車でもあり、ナナハンが手に届かなくなった当時、大いに人気を博したものでした。

そして当時、ヨシムラの集合管が市場に出回り始めた時期でもあり、GTサンパチにも・・・という要望も当然あり、2ストのチャンバーの製造で有名なスガヤなどから、集合管が発売され、人気を呼びました。
当時は排気系のチューンに対するノウハウも未熟であった故か(製造主は意味の無い事は知っていたと思いますが・・・)、市場の要望から、こういった現在では考えられない物が販売されていたのです。

1978年、新世代の2スト250としてRG250が発売されると、125等、他のモデルもそれに伴いRGに改名されましたが、GTサンパチは改名されること無く、それから程なくして、静かに市場から消えていきました。



写真:GT380
フロント19インチの大柄なスタイルが、大いに受け、以降現在に至るまで、400ccクラスに於いて、大柄な車格は、重要な項目になっています。
この角度からは、よく見えませんが、テールランプが、天才バカボンに出てくるお巡りさん「本官さん」の目の様な形をしています。

ヤマハXS1

ヤマハ
06 /26 2009

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ヤマハは昔から上品で洗練されたデザインをすることで知られていました。
XS1が発売されたのは1970年、前年に発売されたCB750が爆発的なブームを起こしている最中のことでした。

4ストローク並列2気筒650ccと、かつて一斉風靡した英国車に倣ったシンプルなメカで、同時にヤマハ初の4ストローク車でもありました。

それまで2ストローク専業メーカーであったヤマハに4ストの技術をもたらしたのは、60年代に併合した昌和製作所で、その昌和も、HOSKという、かつて上質なイギリス車の様なバイクを製造することで知られたメーカーを買収しています。XS1に何処と無くイギリス的な雰囲気が漂うのは、決して偶然という訳では無いのです。

プロジェクトが立ち上がったのは、発売の5年前と言われ、CB750よりも遥か前ということになります。当初2ストロークと並行して開発が行われ、最終的に4ストローク版が発売に漕ぎ着けましたが、世間の話題をさらった「ホンダのナナハン」の前にあっては、地味な印象は免れませんでした。

上品で流麗なスタイルは、重いキックペダルを踏み降ろすと、印象がガラリと変わります。

ドドドドドーという乾いた爆音と共に、かなり硬質な振動を伴うのです。馬力はトライアンフ・ボンネビルよりも1馬力上の53馬力、最高速度185キロと発表されていましたが、間違ってもソレを試してみようという気にはなりません。
そして、当時の日本車全般に言えることですが、馬力では上回っても、快適な操縦性という面では、英国車に劣っていました。

翌年にはスターター、ディスクブレーキの採用でXS650となり、74年には、エンジンの搭載方法を変更し、車体関係も見直し、TX650と名称を変えました。これによって操縦性も振動特性も向上したものの、同時に重量も大幅に増えてしまいました。

それでも余りにメジャーになり過ぎたナナハンを避ける、ベテランライダーを中心に、地味ながらも一定のシェアを保ち続けました。

そして、このバイクが再び脚光を浴びるのは、77年に発売されたアメリカン版、XS650スペシャルの登場によってでした。国産初の本格的なアメリカンバイクとして非常に注目され、80年代初頭辺りになると、各社、各モデルにアメリカン版を用意する様になりましたが、正にその先駆けとなったのでした。

TX650は81年、XS650スペシャルは83年頃まで生産されていた様ですが、80年代終わりに旧車ブームが起こると、比較的現存数の多かったXS650スペシャルをTX650風に改造する人が出てきました。
アメリカンの先駆けも、80年代末には、古臭い以外の何者でも無く、逆に現役時代に古臭く思われていたTX650のスタイルの方が良く思われたのです。

このシリーズの生産中止になった80年代初頭というと、正にバイクブームの真っ只中。矢継ぎ早のモデルチェンジによって、飛躍的に性能の向上した時代でしたが、そんな中で、後に大ブームを起こすSRでさえ一時生産中止に追い遣られた程でした。

90年代に起こった不思議なSRブーム・・・。街中に溢れるSRを目の前に、もう少しTX650が生き延びられなかったものだろうか?なんて思ったりしたものでした。

ナナハンブームの中で登場し、バイクブームの中で静かに消えて行きました。正に不遇ともいえる時代を、一度もメジャーになる事こそ無かったものの、その普遍性によって精一杯生き抜いた・・・そんな健気な印象を受けるのは、私だけでしょうか?



写真:ヤマハXS1

上品でスリムなスタイルは、当時の流行と一線を画すものです。
エンジンを始動すると、印象が変わるのは、ヤマハの伝統の様な気がします。
実はこのバイク、かつてレース界のキングと呼ばれたケニー・ロバーツが若かりし頃、ダートトラックレースに使用していたことでも知られています。

尚、ヤマハはコレ以前にも、トヨタ2000GTのエンジンを担当しており、その事が当時のカタログにも表記されています。それを考えると、ヤマハブランド初の4ストと言った方が正確でしょう。

オールズモビル・トロナード Oldsmobile Tronado

オールズモビル
06 /24 2009

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かつてオールズモビルは、GMの先進技術を最初に取り入れるブランドとして知られ、「走る実験室」と言われていました。
トロナードの発売は1966年。あくまでもユッタリとしたラグジュアリークーペに見えるこの車、実はFFだったりします。
80年代以降、乗用車の主流がFFになりましたが、それは、特に小型車において、エンジン、ミッション、デフを一体化することによるコンパクト化=スペースユーティリティーの向上が目的でした。

ところがこの車、何処をどう見ても、何故FFレイアウトが取られたのか、サッパリ分かりません。
デザイン優先のラグジュアリークーペにFF・・・本来なら最も相応しく無い組み合わせにも思えます。
敢えて言うなら、後席の居住性が犠牲になりがちのクーペにおいて、FRよりもスペース面で有利なのかも知れませんが・・・・。

アメリカ車というと大型FRというステレオタイプの中、FFの老舗と言われるホンダよりも1年早くFFを発売していたというのは意外な事実です。

私個人の思い出としては、96年のバンクーバー滞在時の話になります。
BC州の排ガステストは厳しく、検査場でローラーに駆動輪を載せ、加減速時、指定クルージング速度時のエミッションレベルのチェックが行われます。

ある日、私の隣のレーンに、このトロナードがいました。試験官が当たり前の様に後輪をローラーに載せてテストしようとして・・・直ぐに気が付いたので、何も起こりませんでしたが・・・。
尚、このシャシーは、ビュイック・リビエラ、キャデラック・エルドラードにも採用されていました。エルドラードに至っては、8.2リッターV8といいう凄まじいエンジンを前輪駆動で受け止める、現在では絶対に成り立ち得ない、凄い車でした。

GMのデザインの中でも指折りと言えるこの車も、モデルチェンジ毎に毒が薄れ、極普通の2ドアクーペになってゆき、段々と存在感も薄れていきました。
92年モデルとして新型セビル/エルドラードが登場したのを期に、トロネード、リビエラはモデルチェンジされること無く、リビエラは数年後に復活したものの、トロナードの名は復活することはありませんでした。



写真上:66年型トロナード

何処をどう見ても、FFには見えないプロポーションです。
歴史の長さ故か、GMのFF車は、比較的素直なハンドリングを実現していました。


写真下:

90年代初頭のモデルで、最終モデルに当たります。特に個性的なプロポーションでは無いものの、メッキパーツが殆ど無く、ボディーカラー一色のソレは、何処と無くカスタムカーの様な雰囲気が漂って見えたものでした。
逆に、コレにメッキパーツを満載したら・・・何の変哲も無いアメリカ製クーペになりそうです。

77年型ホンダ・CB750 多様化への挑戦2

ホンダ
06 /24 2009

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1977年は、ホンダにとって動きのある年でした。
前述したヨンフォアの生産中止、ホーク2の発売も大きなニュースでしたが、国内のフラッグシップである、ナナハンにも大きな動きがありました。

一つは、いわゆる従来からのKシリーズに、大きな変更が付け加えられました。K0以降初めての大きな変更で、リアタイヤをゴールドウィングと同じく17インチに小径化すると共に、ワイド化されたのと同時に、より大柄なボディーを採用し、重量も増加しました。

FⅡは、ホークⅡに続き、コムスターホイールの採用と、エキゾーストのデザインが変更され、よりスポーティーなデザインになった反面、カラーリングは地味な実用車的なものになりました。

そしてもう一つが、オートマチックを採用した「エアラ」の追加でした。

K7は、よりユッタリとしたツアラー風に、FⅡは、よりスポーティーに、そして、オートマ車の追加と、実に3種類が、それぞれ、より明確な性格分けをして設定されたのでした。

ただ、この頃になると、免許制度の影響で、ナナハンの市場は極めて小さいものになっていました。
おまけに4メーカー中唯一DOHCでない上に、海外仕様は70PSにパワーアップされていたのに対し、国内仕様は65PSまでパワーダウンされていたのでした。

現在の感覚では、取るに足りない数字ですが、1キロでも最高速度の速いバイクを求める風潮が、今より遥かに強かった当時、ホンダの劣勢は決定的なものでした。

正直なところ、CB750に関して言えば、K0以降、マイナーチェンジ毎にキャブのメインジェットも小さくなっており、実際乗った印象でも、後期の物の方が明らかにマイルドになっています。その辺りから、K0からK6まで、カタログに表記された最高出力が全く同じであったというのに、少なからず疑問を感じずにはいられないのですが・・・。

おまけに3車種とも、実に地味なカラーリングとデザインとあり、多くのファンとしては、むしろ改悪に近い印象を受けたのでは無いでしょうか?

ホンダの77年モデルといえば、前回紹介したホーク2もそうですが、とにかくデザイン面で不作の年でした。他にもカフェレーサー風に仕上げた先代CB550F-Ⅱに、無理やり4本マフラーを取って付ける様なこともしました。

色々な動きはあったものの、一部を除き、旧態依然としたモデルの焼き直しばかりで、この頃でしょうか?ヤマハから「ホンダの手口は大体見えた」「ホンダを追い越すのは時間の問題」という発言が飛び出したのは・・・。

ホンダファンにとっては、何ともやるせない年であったのは確かですが、翌年、ファンを狂喜させる年になろうとは、この時は誰も気付きませんでした・・・。



写真上:CB750FⅡ

黒塗りのエンジンは、輸出仕様の70PS版で、国内仕様はシルバーでした。マフラーの変更で、より躍動感のあるデザインにはなりましたが、いかんせん、この実用車の様なカラーリング・・・。せめてRCBをイメージさせる様なカラーリングは出来なかったのでしょうか?


写真中:CB750K7

より重厚に、より鈍重にモデルチェンジされました。

写真下:CB750K0

コチラは、重厚な中にも躍動感に溢れるデザインでした。

ホンダ・CB400T ホーク2

ホンダ
06 /22 2009

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1977年、ホンダより、全く新しい400ccのモデルが登場しました。
従来のCB400Fourの4気筒に対し、シンプルな2気筒ながら、1気筒辺り3バルブを持つエンジンは、最高出力で40馬力と、ヨンフォアの36馬力を上回っていました。

点火系も、メンテナンスフリーのトランジスター点火が採用され、ホイールも、メンテナンスフリーとスポークホイールの弾力性を兼ね揃えた、コムスターホイールが奢られていました。
当時、現在の様なキャストホイールは、衝突時に破損する恐れがあるということから認可されていませんでしたが、このコムスターホイールは、その弾力性のお陰か、一足先に認可を取得出来たのです。

こうやって高性能を売りにしたホークⅡでしたが、最大の問題が、そのスタイルでした。

1.妙に長いフロントフォークに19インチホイール(ヨンフォアは18インチ)
2.やたらと位置の高いステアリングポスト
3.やかんタンクに座布団シートと揶揄された外装
4.各部の安っぽい仕上げ
5.質感の低い上に、掃除の大変なコムスターホイール

こんな具合で、何とも不細工なバイクで、これがヨンフォアの代わりとあっては、批判が集中するのは致し方無いというものでした。

2気筒で4気筒を超える性能を実現していたことは、即ちホンダ自身が400cc4気筒の存在を自己否定したに等しく、そしてホークⅡの醜悪なスタイルから、生産中止となったヨンフォアに人気が集中し、中古車が新車価格を遥かに超えるプレミア価格で取引される様になりました。

ただ、実際に乗ってみると、ホークⅡも決して悪いバイクでは無く、スタイルとは裏腹に、実に軽快な走りをするバイクでした。同時に、その走りの質は、どちらかと言うと重厚で上質感のあるヨンフォアとは明らかに異質なものであったのも、また事実です。

そして、コストアップが生産中止の原因となったヨンフォアの反省からか、徹底したコストダウンが施され、フレームは鉄板プレスの張り合わせ、トップブリッジまでも鉄板プレス製、プラスチック製のメーターケース、先に述べた、質感に乏しいコムスターホイール、CB125を思わせるエンジンと、とにかく質感の低いデザインであったのは否定できません。おまけに塗装やメッキの仕上げも良くなく、軽薄な排気音と相まって、ある意味「感覚性能」の低いバイクであったと言えるのかも知れません。

翌年には、ヨーロピアンスタイルのホークⅢを追加し、1980年には、黄金の足回りと言われたスーパーホークⅢなどを追加しましたが、実際の性能の良さとは裏腹に、常に何処か色眼鏡で見られてしまったバイクでした。
かつて、ホンダは主力車種を「ドリーム」と呼んでいましたが、ホーク系以降、それが無くなりましたが、その辺りが、このバイクに対するホンダのスタンスの現れだったのかも知れません。

私個人的には、免許取得時から、その手軽さから、常に候補に挙がっていながら、未だに一度も所有したことの無い一台です。かつては解体屋で誰も見向きもしなかったものですが、現在はレストアを施された車が、プレミア価格で取引される様になっています。全く世の中、判らないものです・・・。



写真上:ホンダCB400T ホーク2

77年型は、通称やかんタンクに、座布団シート、ホーク2ならぬ「ポーク2」など、デザイン面で酷評されました。現在改めて見ると、アメリカンの原型の様な発想だったという気がしてなりません。前回紹介した、70年代後半に始まった「多様化への挑戦」の一つであったのかも知れません。

因みに、コレほど絞りハンドルと3段シートの似合うバイクは無いという理由から、現在に至るまで、一部の方々から根強い人気を誇っています。


写真下:ホンダCB400N ホーク3

翌年発売された、ヨーロピアンタイプのホーク3は、後に大ヒットモデルとなる、CB750Fの原型ともいえるスタイルで、外装の変更で随分と雰囲気が変わりました。写真のカラーは、当時無敵艦隊と呼ばれた耐久レーサー、RCBを彷彿させるものでした。

ホンダCB750FⅡ 多様化への挑戦

ホンダ
06 /19 2009

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現在のオートバイは、大きく分けて、ヨーロピアンタイプと、アメリカンタイプに分類することが出来ます。
1969年にCB750が発売された当時、世界的に見ても、その様な枝分かれはしておらず、アメリカ向けも、ヨーロッパ向けも、基本的に同じものが販売されていました。

そして、それ以前は、オフロードとロードバイクの区別も明確で無く、ロードバイクのサスを若干延長し、アップマフラーを装着したスクランブラーと言われる形式がありました。

アメリカ市場で爆発的なヒットを飛ばしたCB750でしたが、70年代当時、日本の各メーカーとも、アメリカ偏重が強く、ヨーロッパ市場は手薄の状態が続いていました。

そんな中で、ヨーロッパ市場を研究したホンダの技術者の目に留まったのが、ヨーロッパ(特に英国)で人気の「カフェレーサー」と呼ばれるスタイルでした。
カフェレーサーという言葉の語源には、諸説がありますが、各々の改造を施したバイクに乗ったライダーたちが夜、カフェに集まり、改造の話に花を咲かせ、時に行動レースを行ったり・・・といった辺りから来ている様です。

最初にCB400Fourに、そのスタイルが取り入れられ、1975年、CB750FⅡにて、ナナハンにもそのスタイルが取り入れられました。

鮮やかなロングタンク、シングルシートからヒントを得たであろうテールカウルが目に付くところです。
そして、より軽快感を演出しているのが、4-1の集合管でした。

デザイン的には、新しいチャレンジと言えましたが、弟分のヨンフォアと比べると、どうしてもデザイン的完成度が高かったとは言えず、集合管から発せられるサウンドも、従来の4本マフラーと比較すると、非常に静かで、迫力に欠けるものでした。

そんな理由から、従来の4本マフラーのK6も併売され、事実、こちらの方が人気の面では上でした。

77年には、両者がモデルチェンジを受け、FⅡはよりスポーティーな路線を行き、K7は、どちらかと言うと後のアメリカンの元祖?という様なスタイルに変更されました。

商売面では決して成功したとは言えないFⅡでしたが、後にこのデザインを発展させ、次世代のCB750Fにて、爆発的なヒットを飛ばすことになりました。

そして、当時より人気のあった、従来のKシリーズ系のデザインは、段々と淘汰されていく運命を辿り、替わりに?、アメリカンスタイルが一定の支持を得る様になっていきました。

75年当時、既にホンダのナナハンも6年目とあり、旧態化は誰の目にも明らかでした。車の方に技術者を取られていた、大型バイクの事故頻発による風当たりの強さ等、ニューモデルの発売が遅れた理由に挙げられると思いますが、時間稼ぎの意味があったにせよ、この時のデザイン面での実験が、80年代初頭、同社のデザインに大きなアドバンテージを与えたのも、また事実と言えるでしょう。


写真上:CB750FⅡ(輸出名FⅠ)

鮮やかなカラーリングで、非常に写真写りの良いバイクでした。実物を見ると、平坦で、何処か抑揚の欠けるデザインで、その辺りもKシリーズに適わなかった理由だと思います。


写真下:Cb750K6

69年に発売されて以来の伝統的なスタイルは、このタイプが最終で、77年に発売されるK7では、大きくデザインが変わります。
K4以降グラフィックが変わりましたが、不思議とコチラの方がスリムに見える様です。

55年型シボレー・ノマド

シボレー
06 /18 2009

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シボレーは、かつてアメリカの最量販ブランドで、世界の自動車の半分がアメリカ製、その半分がGM、そして、その半分がシボレーと言われていたものです。

1949年モデルで、フォードが現在の車と同様な、フェンダーの出っ張りの無い「フラッシュサイドボディー」に移行し、注目を集めましたが、GMは、その新しいデザインに対して非常に慎重であり、毎年段階的にフェンダーの出っ張りを無くして行く方法を取り、それか完了したのが55年型でした。

そして、このモデルの最大の特徴は、V8エンジンが用意されたことでしょう。同じ頃、日本では、車の需要の殆どが法人向けであり、大卒の初任給が1万円という時代で、車など、正に夢のまた夢といった感じでしたが、海の向こうでは、V8エンジンを積んだ大衆車が人気を呼んでいたのです。

ボディー形状もセダン、ハードトップ、ステーションワゴン、コンバーチブルと、実に多彩でしたが、その中でも珍しいのが、3ドアワゴンのノマドでしょう。
いわゆる3ドアハッチバックとは異なり、5ドアワゴンと同じ全長で、リアドアが無いという、実用性、積載製が重要視されるワゴンに於いて、考えられない形式です。

敢えて言うのなら、当時一般的にあった2ドアセダンのワゴン版ということなのでしょうか?

実際売れ行きは芳しく無かったのか、3ドアはこの世代で終わり、後に販売された同名の車は、一般的な5ドアになっていた様です。

一台の車種で、コレだけのバリエーションが展開出来るのも、現在の様なモノコックボディーで無く、頑丈な別体式フレームを持っていることは大きな理由として挙げられますが、何と言っても、当時のアメリカが豊かで、人々が車に対して様々な夢を持っていた・・・そんな時代ならではの事であるのは、言うまでも無いでしょう。



写真上:55年型シボレー・ノマド

サイドまで廻り込んだフロントガラスは、50年代のアメリカで大流行しました。細いAピラーのお陰で視界は良好なのですが、同時にコーナー付近で歪みを生じます。
ボンネットのオーナメントが時代を感じさせます。対歩行者の安全性の関係で、現在では考えられない形状です。


写真中:

クウォーターガラスの形状も独特です。それにしても、見ているだけで、何か楽しくなってくる・・・そんなデザインです。


写真下:54年式シボレー

前年のモデルには、リアフェンダーの出っ張りが残っています。
比べると、如何に55年型が垢抜けたスタイルだったか、お判り頂けることでしょう。

750(ナナハン)ライダー

Motorcycle
06 /16 2009

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この時代のバイクの話をする上で、忘れる訳には行かない漫画があります。
石井いさみ著「750ライダー」です。

ホンダCB750K2に乗る高校生、早川光君とその周辺の人間関係を描いた青春物なのですが、当時、最も人気のあった週刊少年チャンピオンに連載されていました。

当時のチャンピオンといえば、ガキデカ、マカロニほうれん壮、らんぽう、ドカベン、ブラックジャック等、正に社会的人気を誇る漫画のオンパレードでした。

初期の頃は、暴走族とのバトル等、比較的血なまぐさいエピソードが多かったのですが、回を重ねる毎に毒々しさが薄れ、普通の青春ドラマへと変貌していきました。

個人的に好きなエピソードが、喫茶店「ピットイン」のマスターが、翌日の弟の結婚式のプレゼントに、自分の印象に残った文庫本を贈ろうとしたところ、翌日配達できる業者が見つからず(宅急便というものが無い時代です!)、諦めて光君にあげたところ、本にはさまっていた弟宛のメッセージを見てしまった光君が、内緒でナナハンに乗って名古屋まで届けに行ってしまった・・。というのがありました。不便な時代故の、どこか心温まる話でした。

現在改めて読み返してみると、ナナハンに乗っているだけで警察、周辺から暴走族扱いされたりするシーンが登場します。
そして、当初光君がヘルメットを被っていなかったことに対して、著者に対して警察から行政指導があったといいます。

そして、当時の子供たちは、この漫画のお陰で、バイクに特別興味が無くても、「ホンダのナナハン」は見分けが付いたものでした。

後にバイク漫画として大人気を得た「あいつとララバイ」「バリバリ伝説」辺りが、レースやバトルそのものに、より話しのウェイトを置いているのに大して、コチラはあくまでもバイクが脇役に徹しているところがあり、それ故に「バイク漫画」と呼ぶには何処か抵抗を感じるのです。

連載開始が75年、それから10年間もの長きに渡って連載されたにも関わらず、バイク関係者以外の間で、比較的影が薄い存在になっている様な気がするのですが、その理由を挙げてみると、

1.70年代終わり頃から、ジャンプに人気を奪われる様になり、チャンピオンが低迷期に入ったこと。
2.時を同じくして、ニューモデルのラッシュに入り、CB750が急速に古臭く見える様になったこと。

こんな感じだと思います。

79年にはホンダより、次世代のCB750Fが発売され、80年代に入ると前代未聞のバイクブームに突入し、各メーカー共ニューモデルを乱発し、信じ難いスピードで年々パフォーマンスが向上していきました。

70年代というと、ナナハンブームで幕を開けたものの、同時に数多くの社会問題が発生や時代で、ダラダラと旧態依然としたモデルが販売されていただけに、皆ニューモデルラッシュを歓迎し、70年代のバイクは誰からも省みられる事無く、静かに解体屋送りとなったのでした。

750ライダーの終了した85年というと、正にレーサーレプリカブームの真っ盛りで、新しい事こそ全てという風に誰もが信じていた時代でした。CB750といえば、免許制度の影響もあり、タダでも貰い手が付かない位の存在で、そんな中にあっては、さすがに70年代の青春ドラマ風のストーリーも時代遅れの感が否めませんでした。

やがて多くの人々が、年々高性能になると同時に、実用性が乏しくなるレプリカ達に疑問を抱く様になるのですが、そんな中で急激に人気が出たのが「あいつとララバイ」で、その人気と共に、主人公の乗るカワサキZ2が爆発的なブームを起こし、それまで解体屋に転がっていたバイクに、いきなり80万円ものプレミア価格が付くようになったのでした。

80年代を通して、日本のバイクは途轍もない進化を遂げ、80年代初頭のワークスレーサーよりも遥かに高性能な市販車が続々登場する事態になった訳ですが、同時にそれを否定する向きがいたのは当然で、レプリカブームと平行して、シングル、アメリカン、旧型車という、それまで余り目を向けられることの無かった方向へ、より多様化の時代に入って生きました。

ナナハンライダーも、あと数年連載が続いていれば、再び注目を浴びる機会に恵まれたのかも知れません・・・同時にCB750の価格暴騰も起こったことでしょう・・・。

因みに数年前、レンタルビデオで実写版を見ましたが、全く箸にも棒にもかからない出来であったことは、言うまでもありません。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。