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スズキGR650 スズキの良心?

スズキ
08 /28 2009

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1983年は、バイク業界にとって、正に盆と正月が同時に来た様に忙しい年でした。

中型クラスに於いては、前年登場したホンダ・CBX400Fがクラス最高のパフォーマンスで驚異的な人気を誇っているところに、更にそれを上回るバイクが各メーカーから発売さたのと同時に、前年CBX400Fインテグラによってカウルが正式に認可されたのを機に、各メーカーともそれに追従し、デザイン面でも大きな変化を促し、正にニューモデルラッシュの時代へと突入して行きました。

その中でも特に目を引いたのが、スズキ・RG250ガンマでしょう。国内初の本格的なフルカウルとアルミフレームという、正にGPレーサー直系とも思えるスタイルで登場して、爆発的な人気を呼び、以降レーサーレプリカブームの火付け役として知られる様になりました。

前置きが長くなりましたが、そんな時代背景の中、突然登場したのが、今回紹介するGR650でした。

空冷2気筒、最高出力53馬力という古典的なメカは元より、650ccという、当時の国内市場では絶対に成功が見込めない排気量であったこと、そして、何ともドン臭いデザイン・・・誰もが「何だコレ???」と首をかしげたものでした。

当時のスズキは、例えばGSX400を例にとると、スポーツのE、アメリカンのL、トラディショナルのTと外観を変えた3車種を用意していました(LとTは中途半端で不人気でした)。
このGR650のデザインは、丁度LとTの中間を取った様な、何とも中途半端な物で、それだけでも購入意欲を削ぐのに十分でした。

ところが、スペックをよく見ると、400cc並みの軽量コンパクトな車体に、750ccを越えるトルクと、見る人が見れば、その素晴らしい走りを予感させるに十分なものでした。
オマケに可変マス式フライホイールという、エンジンの回転速度に応じてフライホイールの重量が切り替わるという(未だにその詳しいメカを見たことがありません)、実に合理的な、何かと効率が求められる現在登場してもおかしくない様なシステムも搭載していました。

それ故に、このデザイン処理が何とも残念な一台でした。

まあ、仮に当時美しいデザインで登場していたとしても・・・人気車になることは無かったと思います。

当時はバイク乗りの平均年齢が非常に若く、限定解除試験が非常に難しかった上に、何が何でもDOHC4気筒という風潮が強かった為、大型免許の必要な中間排気量の2気筒車のマーケットなど、殆ど無いに等しかったと思います。その証拠に、後に大ヒットするSRですら、一時期生産中止になった程でした。

それでも、そんな小さなマーケットにも意欲的な新型を投入しようとしたスズキの熱意には頭が下がる思いがします・・・が、世間一般的にはそんな事はどうでも良く、世の中は正にレーサーレプリカ一色となるのですが、その旗持ちを務めたのが、他ならぬスズキ本人でした。

何年か前に、ココ、ニュージーランドでバイクに乗っていると、後ろから聞きなれない独特な排気音が聞こえてきたので振り返ると・・・GR650でした!!実際に走っているのを見たのは、あれが最初で最後だったと思います。パッと見、GSX550Lか?と思ったら2気筒で、しかも独特のカラーリングからGRだと判明しました。サイドカバーにはテンプターと書かれていました。

因みにテンプターという名前は後に同社の400ccシングルにて復活しています。



写真上:GR650

アメリカンを狙ったのか、古典的な英国車風を狙ったのか、はっきりしないデザインでした。スズキの横内氏のコメントでは、何れ理解されるでしょう・・・ということでしたが・・・。


写真中:GSX550L

コレが当時のスズキの典型的なアメリカンスタイルでした。DOHC4気筒でアメリカン・・・今では余り考えられないレイアウトですが、当時はスポーツバイクをベースにアメリカンも作るのが一般的な手法でした。


写真下:RG250ガンマ

今から見ると、何とも貧弱なデザインですが、当時としては驚異的なものでした。特にアルミフレームは職人による手作業で溶接されたもので、非常にコストが掛かっています。
GR650と比べると、この両者が同じ時期に発売されたというのが、何とも不思議な気がします。

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マーキュリー・クーガー Mercury Couger

マーキュリー
08 /27 2009

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クーガーという名前は、元々マスタングの開発時のコードネームに端を発しています。諸事情からその車はマスタングという名前で発売されましたが、少し遅れて、兄貴分の車種にその名前が復活する事になったのです。

当初はマスタングより3インチ程ホイールベース延長されており、マスタングをよりスポーティーに、そしてクーガーは若干ユッタリとした車という性格付けがなされており、非常に上手い棲み分けにより人気を得ました。

74年モデルにて、マスタングがよりコンパクトなマスタングⅡ http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/15220620.html に移行したのを機に、、一クラス上のサンダーバードの兄弟へと移行し、より豪華に大きく、そして重い車へと変貌してしまいました。

かつて、サンダーバードが辿った道を、再び踏んでしまった訳です。

それ以降は、特に目立つモデルも無く、サンダーバードと同様、97年モデルを最後に生産中止となりました。写真のモデルは89年に登場した最終型に当たります。

このタイプはシャシーを一新したにも関わらず、特にクーガーは先代モデルとイメージが似通っていて、随分損した様にも思います。

サンダーバードとは、知らなければ全く別のモデルに思える程、ある意味差別化に成功していると言えるでしょう。これはCピラーの形状の差によるもので、この事からも、Cピラー周辺の処理がデザインに与える影響が極めて大きい事がお判り頂けると思います。

ただ、折角差別化に成功している・・・とは言え、やはりバランスの良いデザインとは一度も思ったことが有りません。極端なシビアノッチバック(リアガラスを垂直に切り落とすデザイン)がどうもアンバランスで、本来ならもう少し傾斜を付けたいところです。そして、正方形の様なクウォーターガラスの形も余りに色気が有りません。

もしかしたら、ビニールトップを取り付けたら似合うかも知れませんが・・・そうしたらキャデラック・エルドラードの様になったしまいそうです。

当初はV8エンジンも設定されず、イマイチ魅力に欠けるものでしたが、アメリカではそれなりに人気があった様で、一頃非常によく見かけましたが、日本でその姿を見ることは殆どありませんでした。

2008年8月当時、かつてはあれだけ頻繁に見かけたものが、殆ど姿を消していました。
折角立ち上げた新型シャシーも、結局この兄弟のみで終わってしまったのは、何とも勿体無い話しです。何故マスタング辺りに利用出来なかったのでしょうか?
そして、同じ様な事を10年後に再びやるのですが、その事は、回を改めて紹介させて頂きます。

97年の生産中止から2年後に、再びクーガーの名前が復活していますが、コチラはフォード・モンディオ http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/19918143.html がベースのFFクーペ版に過ぎず、それまでの物とは全く共通点は有りません。

カナダに於ける自動車品質情報の権威「Lemon Ade誌」の中古車情報を見ると、97年までが`Recommanded"
、それ以降が"Not Recommanded"と評価されています。

中古車で、しかも古い年式の方がお勧めというのは、一瞬???と思うのですが、その様な事情故のことです。


写真上、中:マーキュリー・クーガー

かつてはハイパワー版のXR-7を擁し、スポーティーなイメージで売っていたクーガーも、年とともに丸くなり、スポーティーなイメージが微塵も感じられなくなってしまいました。


写真下:フォード・サンダーバード

弟分のサンダーバードは、何処と無くBMWの様な雰囲気です。Cピラー周辺の形状の違いで、全く印象が異なります。

マーキュリー 

マーキュリー
08 /22 2009

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マーキュリーは、フォードの中級ブランドとして1939年に、ヘンリー・フォードの息子、エドセルによって設立されました。

GMが上からキャデラック、ビュイック、オールズモビル、ポンティアック、シボレーと、収入に合わせて様々な車種を販売していたのに対し、単一モデルの大量生産に固執していたフォードは、市場の多様化への対応が遅れており、高級車メーカーのリンカーンを買収したものの、大衆車のフォードとの価格差が大きく、その中間に位置するブランドの必要性から設立されました。

よって、マーキュリー単独での歴史はありません。

中級車という扱いですが、実質フォードの車と何らかわるところは無く、フォードをよりフォーマルに化粧直しした程度と考えた方が良いでしょう。

そんな理由から、常に地味な存在でしたが、このブランドにてこ入れしたのが、あのリー・アイアコッカ氏で、マスタングの兄貴分、マーキュリー・クーガー、クラウン・ビクトリアの兄貴分、グランドマーキスで大いに人気を得る事に成功しました。

しかしそれ以降、特に目新しい事も無く、オーナーの高齢化も進み、現在に至っては、ブランドの存続が懐疑的な目で見られています。
カナダでは既にマーキュリーブランドの販売は終了しており、アメリカでも、既にマーキュリー専売店は無く、リンカーンとの併売になっています。

フォード・トーラス(500)が来年モデルチェンジを受けることが決定していますが、その兄弟車であるマーキュリー・セーブルは、既に生産中止が決定しており、新型の発売予定はありません。

となると、現在販売されているのは

1.ミラン: マツダ6の兄弟車
2.マリナー: フォード・エスケープ=マツダ。トリビュートの兄弟車
3.マウンテニア: フォード・エクスプローラーの兄弟車
4.グランド・マーキス:フルサイズカー

以上で、正直どれも何時生産中止になってもおかしくないモデルばかりです。
GMも各ブランドの差別化に苦しんできましたが、それはフォードも同様で、主力のはずのセーブルが生産中止となった以上、幾らメーカー側が否定したところで、ブランド廃止は時間の問題と思えます。


写真上:マーキュリー・クーガー

マスタングをストレッチしたモデルながら、随分と異なった雰囲気の演出に成功しています。マスタングも、そして、このクーガーも、リー・アイアコッカ氏の手による物です。
後にベースがサンダーバードに変更されることで、無意味な大型化が進み、人気に陰りが出ました。


写真下:マーキュリー・グランドマーキス

フォード・クラウンビクトリアと並び、アメリカのタクシーとして長年活躍してきました。この安定した市場に安住したことこそ、新たな市場開拓を怠り、顧客の高齢化、先細りを促した最大の原因と言えるでしょう。既にクラウンビクトリアは業販専用となっており、この車が市場から消えるのも時間の問題だと思います。

キャデラックDTS

キャデラック
08 /16 2009

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DTSとは、ド・ヴィル・ツーリング・セダンの頭文字で、先代モデルまでド・ヴィルと呼ばれていた車種のグレード名が、車種名として使われる様になりました。
これは、キャデラック・セビルがSTSと名前を変えたのと同様で、GMは旧来の歴史ある名前を次々と放棄しています。

DTSはキャデラックの中で最大のセダンに位置しますが、よりコンパクトなSTSやCTS http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/12461807.html がFRなのに対し、こちらは旧セビルと同様のFFを採用しているところが目に付きます。
普通なら大きい車の方がFRになるのですが、珍しい逆転現象が起きています。

というのも、この手の車種は、もはやリムジンとしての需要も無く、殆どがプライベート向けの販売であるため、その顧客層は非常に高齢化して、市場の先細りは誰の目にも明らかです。
それ故に、敢えて新しいシャシーに移行するのは止めて、旧来のものそのままを使っているというのが正直な所だと思います。

このシャシーは、実は高級車としてなかなか侮れない乗り心地と適度なハンドリングを持っているのですが、FFということで整備性に劣ること、そして高級車としての商品価値に劣ることで、STSやCTSに対して、完全にアメリカ本国専用車という風になっています。
そして、コレが最後のキャデラック製のシャシーでもあり、他のモデルは軒並みオーストラリア製のホールデンをベースにしたものになっています。

STSやCTSに比べると、十分に上品な佇まいと言えますが、例えば96年型の写真下のモデルと比べると、やはり粗末な顔つきと言わざるを得ません。

古臭いキャデラックのイメージを変えたい・・・それは分かるのですが、しかし、何を目指すのか、明確な目標が無い、ある意味、80年代にソ連で起きたペレストロイカに似ているのかも知れません。

声高に改革を叫び開放路線を取りながらも、その目指す目標が明確で無く、その下地が無いままに改革を行った結果、以前よりも酷い状況に陥り、結局ソ連自体を解体させてしまいました。

GMが行っていた改革もソレと似ていて、結局会社が経営破たんしたという意味でも、似ているのかも知れません。


蛇足ですが、ソ連時代のアネクドート(小話)を一つ紹介しておきます。

ペレストロイカが始まってから、眼科に行く人が急増しました。
その理由は・・・色んな事が聞こえてくるのに、サッパリ目に見えないから・・・。

ゴルバチョフ時代、ペレストロイカ(建て直し)、グラスノスチ(情報公開)等、様々なスローガンが声高に叫ばれ、数々の改革を実施しようと試みたものの、それらが一向に効果を見せず、逆に状況が悪化したことを皮肉っているのです。

ホンダCB650

ホンダ
08 /14 2009

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1978年は、CB900F、CBXという新世代の大型車が登場した記念すべき年でした。その時代の最先端を行くメカニズムとスタイルに、多くの人が熱狂したものでした。そして、それから程なくして登場したのが、今回紹介するCB650です。

デザイン的には、CB750K http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/19183939.html に通ずるもので、一回りコンパクトな車体が特徴でしたが、メカニズム的には、71年に登場したCB500系のOHCエンジンを拡大したもので、目新しいものはありませんでした。

日本では、このクラスに乗るには限定解除が必要な為、折角難しい試験を通ったのだから・・・と、ナナハンに行くのが普通で、中間排気量は見向きもされない時代が長く続きました。

それでもこのバイク、当時の人気車CB750K/Fと比べると、大型車の風格がありながら一回り以上もコンパクトで、十分に高性能で、しかも遥かに扱い易いものでした。その証拠に、白バイにも採用されています。

CB750Fの人気に比べると、全ての面で地味で、それ故に国内では不人気に終わりましたが、海外では、それなりに売れていた様です。ただ、どうせならFの様なデザインのバリエーションが有っても良かった様な気がしますが・・・。

写真上の標準モデルの他に、アメリカンのカスタム、そしてナイトホーク(日本名:ラグジュアリーカスタム)が用意されていました。

大型車の余裕が味わえて、しかも思いっきり振り回せる素直なエンジンとハンドリング・・・コレもCX500と並んで、今でも所有してみたい一台だったりします。当然色は塗り替えますが・・・。


写真上:CB650

CB750Kを一回り小さくした様なデザインです。シングルディスクの上に、質感の低いコムスターホイールの関係で、全体的な質感がイマイチなのが残念な所です。


写真下:CB650ナイトホーク

日本では全く売れませんでしたが、アメリカで見かけて、非常にカッコよく見えたものでした。昔は良いデザイナーが居たんですね・・・。

ホンダCB650

Motorcycle
08 /14 2009

1978年は、CB900F、CBXという新世代の大型車が登場した記念すべき年でした。その時代の最先端を行くメカニズムとスタイルに、多くの人が熱狂したものでした。そして、それから程なくして登場したのが、今回紹介するCB650です。

デザイン的には、CB750K http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/19183939.html に通ずるもので、一回りコンパクトな車体が特徴でした。メカニズム的には、71年に登場したCB500系のOHCエンジンを拡大したもので、目新しいものはありませんでした。

日本では、このクラスに乗るには限定解除が必要な為、折角難しい試験を通ったのだから・・・と、ナナハンに行くのが普通で、中間排気量は見向きもされない時代が長く続きました。

それでもこのバイク、当時の人気車CB750K/Fと比べると、大型車の風格がありながら一回り以上もコンパクトで、十分に高性能で、しかも遥かに扱い易いものでした。その証拠に、白バイにも採用されています。

CB750Fの人気に比べると、全ての面で地味で、それ故に国内では不人気に終わりましたが、海外では、それなりに売れていた様です。ただ、どうせならFの様なデザインのバリエーションが有っても良かった様な気がしますが・・・。

写真上の標準モデルの他に、アメリカンのカスタム、そしてナイトホーク(日本名:ラグジュアリーカスタム)が用意されていました。

大型車の余裕が味わえて、しかも思いっきり振り回せる素直なエンジンとハンドリング・・・コレもCX500と並んで、今でも所有してみたい一台だったりします。当然色は塗り替えますが・・・。


写真上:CB650

CB750Kを一回り小さくした様なデザインです。シングルディスクの上に、質感の低いコムスターホイールの関係で、全体的な質感がイマイチなのが残念な所です。


写真下:CB650ナイトホーク

日本では全く売れませんでしたが、アメリカで見かけて、非常にカッコよく見えたものでした。昔は良いデザイナーが居たんですね・・・。

落ち込み続く二輪車販売=ピーク時の1割強

Motorcycle
08 /13 2009

落ち込み続く二輪車販売=ピーク時の1割強

8月12日15時0分配信 時事通信

二輪車の販売が下げ止まらない。日本自動車工業会によると、今年1~6月期の国内出荷台数は、前年同期比22.2%減の20万5678台。このペースが続くと、今年は40万台前後となり、ピーク時の1割強まで落ち込む。折からの不況に加え、駐車場不足などマイナス材料に事欠かず、しばらく厳しい状況は続きそうだ。
 
国内出荷は1982年の約329万台をピークにマイナスに転じた。若者の関心の薄れや軽自動車へのシフトなどが背景にある。減少率は、2000年以降は緩やかだったが、昨秋の金融危機で加速した。
 
全車種が新しい排ガス規制の対象となり、環境性能を高めるための部品コストが上乗せされて小売価格がここ数年、上昇。06年に二輪車が駐車違反の取り締まりの対象となったことも、バイク離れに拍車を掛けた。



ピーク時の一割強とは・・・正直言って驚きました。
私の住んでいるニュージーランドでは、ここ数年、小型バイクの台数が確実に増えており、それらを取り扱う店も増えています。原油高の中、ガソリン代が安く済み、市街地での駐車に困らないからです。

それなのに日本はというと、バイク用駐車場も整備しないでおいて、駐車禁止を徹底的に取り締まるというのは、75年に限定解除を始めた時と同じで、練習施設を全く提供しないでおいて、練習無しでは合格が極めて難しい試験を唐突に導入した時と、役人の思考レベルが全く変わっていないということです。

こんな法律があっては、バイク離れが加速するのは当然です。最早、一部の趣味の人しか乗れない物になりつつあるのかも知れません。

この余りに不条理な取り扱い・・・もしかしたら、与党に極めて大きな影響力を持つ、某大手自動車メーカーの策略ではないのか?なんて疑ったしまいたくもなります。原油高、不況ともあれば、本来ならバイクに行く人が確実に増えるはずなのですが・・・。

ホンダ VF750

ホンダ
08 /09 2009

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大ヒットしたCB750Fのお陰で大型車のトップシェアを誇っていたホンダでしたが、1982年、新たなモデルを追加することになりました。
水冷V型4気筒という全く新しいエンジンを搭載したVF750シリーズとして、先ずヨーロピアンツアラーのセイバー、アメリカンのマグナが発売され、それから少し遅れて本命のスポーツモデルVF750Fが発売されました。

ホンダがV4エンジンを手がけたのは、79年にワールドGPの500ccクラスに復帰する為に投入したNR500まで遡ります。NRは、当時のレギュレーションの関係で、圧倒的な強さを見せていた国内他社の2ストに挑む為に開発された4ストマシンでしたが、V4というレイアウトのみで無く、シリンダー毎に8バルブ、そして、それを納める為に楕円ピストンを採用していたことで、大いに注目を集めました。

ところが、その余りに複雑なメカによる耐久性の無さ(本来なら4ストの方が耐久性があるのですが)、始動性の悪さ(当時は押しがけスタートであったため、スタート時に決定的に出遅れました)等により、世界チャンピオンにも輝いた片山敬済ですら予選不通過もしくはリタイアという惨憺たる結果が続き、あの天才と言われたフレディー・スペンサーですら1ポイントをもたらす事無く終わってしまいました。

それが原因という訳では無いのでしょうが、セイバーもマグナも、新型エンジンを採用していながら、シャフトドライブを採用した上に、余りに地味なデザインという事もあり、パッとしませんでした。

そして、本命のVF750Fが発売されましたが、コチラはレーサーを思わせる角型パイプフレームを採用し、純正でフェアリングを装備するなど、CB750Fよりも一世代新しい事をアピールしているかの様でした。

ところがこのシリーズ、確かに性能が良く乗り易いのですが、自慢のV4エンジンも、CBの空冷エンジンに比べると、ゴチャゴチャして機能美に欠けていたこと、確かに速いものの、何処と無く篭った様な、どこか爽快感に欠ける加速、迫力に欠ける篭った音は、マフラーを交換しても、そのまま音量が上がるだけでした。フロント16インチホイールの安定感に欠けるハンドリング、各部の塗装、溶接の雑な仕上げ等・・・カタログデータの割りに、カタログに出ない「感覚性能」の面で劣っており、その辺りが特に日本市場では嫌われた理由なのかも知れません。

後年アメリカに行ったとき、既に日本では殆ど見ることの無かったこの3兄弟を、非常によく見かけたものでした。そして、カラーリングのせいか、日本で見た時よりも、不思議とカッコ良く見えたものでした。

このエンジンは、耐久レーサーRVFのベースにもなり、サーキットで大活躍した後、後継のVFR750Fにモデルチェンジされましたが、コチラもカラーリングは白一色と、日本では全く売る気が無いとしか思えない様な設定で、輸出仕様のトリコロールカラーの方が遥かにカッコ良く見えたものでした。

海外では高性能バイクの定番として定着していながら、日本では全く評価されずに終わってしまいました。

これだから日本人は・・・と言いたいところですが、正直私も日本人の評価の方を支持します。
やはり日本人って、感性の鋭い国民なんですね・・・。


写真上:VF750F

スポーティーな外観・・・と言いたいところですが、何もココまでVTに似せる必要も無かったのでは・・・?価格で10万以上安かったCB750FCの方が高級に見える位でした。
角型フレームは、200キロ以上のスピードでの「操安性」を国産車で初めて実現したと言われています。それ以前の国産車は、200キロも「可能」というレベルでした。


写真下:VF750セイバー

最初に登場したのが、このセイバーと、アメリカンのマグナでした。高性能エンジンを登場させるなら、何故スポーティーなモデルを先に投入しなかったのでしょうか?
オフ車の様に、妙に長いフロントフォーク、CB125Tの様な外装、弁当箱の様なメーター・・・。

Hummer

GM
08 /08 2009

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ハマーは、かつてジープの製造元であったAMC(アメリカンモータース)の軍需部門が、ジープに続く次世代の陸軍用車両として開発したものを、民間に販売したものです。

70年代末に経営不振のAMCは、フランスのルノー傘下に入る事になりましたが、軍需部門を海外企業に渡したく無いという政府の立場から、AMジェネラル社として独立させ、軍用車の生産を続けてきました。

幅広く、平べったいボディーは、設計の古くなったジープのボディーを一新したもので、陸軍の需要に耐えるものとして設計されています。
当初は軍用のみの生産でしたが、日本でその存在を知られる様になったのは、92年の湾岸戦争辺りでしょうか?パジェロ、テラノといったSUVが人気を博し始めた時代でした。

そして、俳優アーノルド・シュワルツネッガーの要望により販売されたのが、最初の民間への販売と言われており、今日に至っています。

当初、軍用車をベースにしたH1は既に生産中止(軍用のみ生産)となり、H2、H3という、シボレーのトラックをベースにした車両の販売がメインとなっていますが、そうなると、ジープの時と同様、新しくなるほど走破性が軽視されるという結果は目に見えています。まあ、実際にこの手でオフロードを走る人の数など、たかが知れているので、問題無いのでしょう。

1999年にハマーのブランドをGMに売却し、AMジェネラル社は再び軍需専用となって現在に至っていますが、GMに売却されたハマーは、昨今の原油価格高騰の影響で、深刻な販売不振に陥り、GMの破綻に際して、中国の会社に売却されることになりました。

本来のAMジェネラル社が中国に売られる訳では無いので、まだ良いのですが、ハマーを通じてアメリカの軍需技術の幾らかが中国にもたらされるとしたら・・・。逆に言えば、そこまでGM、そしてアメリカが追い込まれている状態と言えるのかも知れません。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。