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「東モ」明日の会見前にヒュンダイ辞退

ニュース
09 /28 2009

自工会にも、ヒュンダイの出展ドタキャンについて話しを聞いた。
「日本法人から連絡は受けたが、韓国の本社から(辞退の)書面は届いていない」(広報部)としている。
http://www.tokyo-motorshow.com/booth/index.html


東京モーターショーは、10月21日(水)のプレス向けのお披露目会から実質的に幕を開ける。すでに開催まで1カ月を切っているのだが、そんな折も折り、3社しかない海外のメーカーのうち、最大の現代自動車が、先週末突如、「出展辞退」を自工会に連絡してきた。
これで海外の完成車メーカーはアルピナとロータスだけになってしまった。最早「インターナショナル」の文字がかすんで見える。
ヒュンダイのドタキャンは、主催者である自工会も寝耳に水だったようで、「当初のスペースが狭いと言うので、わざわざブースの面積を広げたのに」(同)と、グチとも不満とも言えない言葉が口をついて出てくる。
「東モ」の記者会見をいよいよ明日に控えて、配布資料などは「ヒュンダイを削ってなんとか間に合わせたい」(同)としている。
トヨタの正面500平方メートルの空きスペース発生については「いまさら新規のイベントなどは考えられないし、出展各社の協力を得て、何か考えなければならないだろう」(同)と苦渋の様子。最悪の場合はお客様の休憩所になってしまうかも知れない。
キャンセル料金そのものは、「4月の時点で出展の意思表示があった場合には返金されない」(同)し、ヒュンダイほどの規模の会社にとっては、小間のしつらえ代や会期中の運営費の削減などは、象徴的な意味しかないはず。中国で開催予定の広州ショーを12月に控えて、日本市場を見限ったと見られても仕方ないだろう。
以前にも指摘したが、日本市場で売る気がないなら、負け犬として、さっさと日本法人を解散すれば良い。こうなったら何が何でも「東モ」を皆の手で盛り上げたいものだ。(Cyber Xより転載)





これは、事実上日本市場撤退の前段階と見て良いのでしょう。

韓国メーカーが日本で販売しようとしたのは、ヒュンダイが最初ではありません。90年代半ばにロータス・エランのライセンスを買い取って生産された「キア・ビガード」が販売されたことがあります。エランをべースに、キアのエンジンを載せた車でしたが、スポーツカーが全く売れなくなっていた当時の日本で、何故にこんな車を持ってくるのかと呆れたものでした。当時の東京モーターショーで、係員に「フィアット・バルケッタやマツダ・ロードスターと比較して何が売りなのか?」と訪ねたところ、全く返答らしい返答が帰ってきませんでした。

この様な軽量級スポーツの老舗フィアットに対し、ほぼ同価格で、しかも元ロータスという以外、全くアピールできるものが無く、取り敢えずお隣の金持ちの国に持ってきた・・・という以外、何もマーケティングらしきものが見えませんでした。

その後、デーウ・マティスを販売するに際し、敢えてデーウというブランドを隠し、マティスとして販売したことがありましたが、トヨタ・ヴィッツ等とモロに競合するクラスに、軽自動車(韓国は800cc)で、しかも全く無名とあっては、当然売れる訳も無く、同社の経営破たんと共に、立ち消えとなりました。

そして、3度目の正直として、韓国最大のヒュンダイが出てきた訳ですが、国産車でさえセダンの全く売れない日本で、ソナタやグレンジャーという大型セダンを中心としたラインナップを展開してきました。
それらが全て失敗した後、i30という小型車を持ってきましたが、200万と価格も高く、大型車の廉価販売が失敗したから、小型車を高価で販売する…と路線変更をしたのでしょうか?

日本という市場は、極めて特殊だということを知らなければなりません。これだけ多数の良質な自動車メーカーがひしめき合っている国は世界に例が無く、しかも良質な中古車が恐ろしく安い為、安いから...というのが全く通用しない市場なのです。ここがアメリカやヨーロッパと大きく違うところなのです。

日本で成功している輸入車といえば、メルセデス、BMW、VW、プジョーなど、日本車には無いデザイン、技術、乗り心地等、個性を持った車に限られています。そして、全国的にサービス網がそれなりに展開されている事も重要なところです。

そうやって見ると、残念ながらヒュンダイには、そのどれもが見当たりません。オマケに私の経験上、品質的にも日本車の足元にも及ばない程度とあっては、トヨタやホンダの品質、サービス網を「当たり前」に思っている日本人に売るのは、無理なのではないでしょうか?

10年程前、デーウ・マティスの国内販売が発表された時、某自動車雑誌に送った投稿が掲載されたことがありますが、今日、10年前に書いた事と非常に似たような事を書いている様な気がします。

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スナップオン プライバー Snap-on

工具
09 /27 2009

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私以外でコレを持っている人を見たことがありません。
極一般的なプライバー…の様に見えますが、一緒に写っているのが、ポケットタイプのドライバーなので、如何に小さいかがお判り頂けるでしょう。

元々カナダのジャンク屋で50セントで何となく拾ったものだったのですが、狭い所でのベルト張り、スバルの場合、タイミングベルト関係の作業で、特にクランクプーリー(タイベル用)や、オイルポンプを剥がしたりするのに、非常に重宝しています。

元々その用途を考えて購入した訳では無く、ただ安いから適当に入手したものが、意外なほど使えたという一例で、現在の物は2代目です。

抉るという作業は、エンジン周りの修理で非常に多いのですが、その多くにマイナスドライバーを使用するのが普通です。が、やはりコレは抉る作業専用に作られた工具。それだけに小さいながら、非常に使い易いものです。

番外編 スバル

日本車
09 /26 2009

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私事ですが、先週3日間、スバルNZにて、新型レガシーの研修を受けてきました。
私を含めて8人が受講しましたが、一番遠い人は、南の果てのクイーンズタウンから・・・と、皆国内のアチコチから派遣されてきた、各ディーラーのベテラン勢ぞろい・・・といった中での受講でした。英語が母国語でない私に声かけて貰った事には感謝!!

主に新型CVTトランスミッション、同じく新型6速マニュアルミッションの分解組み立て、その他新機構の説明、3車種(GTターボ、ディーゼル、2.5リッターCVT)の比較試乗といった内容でしたた。
CVTの構造のシンプルさには改めて驚きました。あんなに簡単に分解組み立てが出来るとは・・・しかし、交換部品が物凄く高いので、結局CVTの修理は高く付く・・・という事には変わり有りません。

試乗で一番印象に残ったのが、意外にもディーゼルで、低速ではディーゼル特有の音が少し出るものの、少しスピードが出ると、ディーゼルであることを全く忘れてしまう程静かで、しかもニュージーランドの起伏の激しいワインディんグロードでも、全くギアチェンジを必要としない粘りの強さは特筆すべきでしょう。日本では販売していないので、イギリス仕様が導入されているのですが、ウィンカースイッチが逆になっていたりします。

それにしても、スバル360を知る身からすると、本当にスバルも成長したものです。

第二次大戦中、国内最大の航空機メーカーとして、ゼロ戦を初め、数多く戦闘機を生産してきた中島飛行機は、戦後、GHQによって解体され、その一部が富士重工として再スタートを切ることになりました。
スクーターのラビットに始まり、1958年に発売されたスバル360は、国内のモータリゼーションの発展に大いに貢献した銘車と言えるでしょう。

1966年に水平対向エンジン、FFという極めて変わったレイアウトでスバル1000が登場しました。そして、この車の潜在能力を見出したのは、驚く事に東北電力だったのです。積雪地帯での電線の手入れ用に、特注で4WDに改造したものを使用していたのです。これは、縦置きエンジンでFFという独特なレイアウト故に可能になったことで、これが後に、レオーネに正式に採用されることになりました。

80年代になると、流石のレオーネも古さは隠せず、ニューモデルのアルシオーネもパッとせず、一体何を売っているのか?と首を傾げたくなる程不振を極めていましたが、そんな中で、敢えてスバルに拘って乗る変わり者(失礼)をスバリストなどと呼んだものでした。

89年、バブル華やかなりし頃、全く新しいモデルとして、初期型レガシーが発売されました。
10万キロ世界速度記録。。。とか何とかいうキャッチフレーズが、新しい時代の走りを予感させるに十分で、そして同時に起きたステーションワゴンブームによって、大いに人気を博しました。
続いたインプレッサは、ラリーでの活躍で、走りのイメージをより一層際立てることに成功しました。

これによって、一部の好き者の為の車から、メジャー路線へと躍り出ることになりましたが、同時にその事がスバル=水平対向、ターボといったイメージを固定してしまったことも、また否定できない事実で、スバルも、それに従わざるを得ない状況に陥ってしまっています。

水平対向エンジンに関して言えば、先代モデルは、まだ大丈夫ですが、初代のレガシーと3代目のレガシーと全く同じ部分でオイル漏れを起こし、全く同じエンジントラブルを起こします。この辺りは構造上止むを得ない事なのかもしれませんが、それ故に維持費が高いという風潮が立ってしまっているのです。

今の時代、ターボで速く走らせるなんていうのは時代遅れです。

残念ながら、今回のモデルチェンジを見ると、車体廻りには相当頑張った形跡が見えるものの、相変わらず従来の路線のままで、敢えて言えば、昨年登場した水平対向ディーゼルのみです。どうやらポルシェと同じで、水平対向以外は、何をやっても成功しない・・・というアレと同じなのでしょうか?

評論家の徳大寺氏は、前からスバルはプレミアムブランドになる以外に生きる道は無いと仰っていました。それは、もう少し値上げして、その分品質を向上させる必要があるということなのですが、今回の新型は、アメリカでも非常に安い価格設定がされており、その辺りからしても何を目指しているのか、イマイチハッキリとしない気がします。




写真上:スバル・アウトバック

アウトバックは、レガシーの車高を高くして、よりオフロードっぽい雰囲気に仕立てた車ですが、北米ではセダンも用意されていました。


写真下:新型レガシー

このデザイン・・・全てに於いて間延びし切っています。特にサイド部に全くアクセントになるものが無いのが致命的です。

ヒュンダイ ジェネシス が1位 米新車評価…JDパワーの読み方

ニュース
09 /25 2009

少し古い話しですが、紹介させて頂きます。


米国の民間調査会社、JDパワー&アソシエイツ社は22日、「2009年新型車評価」の結果を公表した。ヒュンダイの高級サルーン、『ジェネシス』が第1位に輝いている。

この調査は、米国で2008年1 ‐ 10月の間に発売された新型車とマイナーチェンジ車を対象に実施。発売から8か月間に5000台以上が販売されたことを条件に、価格、性能、ローンプログラム、インセンティブなどを総合的に考慮して、新型車のコストパフォーマンスを探る。もちろん、これだけではスペック比較に終始するので、顧客の評価として、「初期品質調査」「魅力度調査」の2つの調査のデータベースも活用している。

調査は1000点満点で、ポイントの多い順にランキング。結果は以下の通り。

1. ヒュンダイ・ジェネシス(689点)
2. フォードF-150(673点)
3. フォルクスワーゲン・ティグアン(663点)
4. 日産マキシマ(636点)
5. スバル・フォレスター(631点)
6. ホンダ・パイロット(629点)
7. フォード・フレックス(620点)
8. ホンダ・フィット(619点)
9. ダッジ・チャレンジャー(618点)
10. フォルクスワーゲン・パサートCC(601点)
11. 日産ムラーノ(593点)
12. マツダ6(日本名:アテンザ)(592点)
13. リンカーンMKS(580点)
14. フォルクスワーゲン・ルータン(579点)
15. アキュラTSX(576点)
16. インフィニティFX(575点)
17. BMW1シリーズ(568点)
18. ジャガーXF(567点)
19. シボレー・トラバース(565点)
20. アウディA4/ポンテアックG8(563点)
21. トヨタ・カローラ(561点)
22. アキュラTL(523点)
23. ダッジ・ジャーニー(513点)
24. ポンテアック・バイブ(504点)
25. ダッジ・ラム・ピックアップLT(459点)
26. トヨタ・マトリックス(439点)

ヒュンダイ・ジェネシスが第1位を獲得。同車は米国市場におけるヒュンダイ初の高級サルーンとして、2008年1月のデトロイトモーターショーで発表。同年6月から米国での販売がスタートした。

ジェネシスは、メルセデスベンツ『Eクラス』、BMW『5シリーズ』、レクサス『GS』、インフィニティ『M』(日本名:『フーガ』)をライバルに想定。全長4975×全幅1890×全高1480mmの堂々としたボディに4.6リットルV8(375ps)を搭載。3万2250ドル(約320万円)からというコストフォーマンスの高さが要因となり、堂々の1位に輝いた。

また、調査対象車の平均ポイントは582点。12位のマツダ『6』(日本名:『アテンザ』)から上が、この平均値をクリアしたことになる。

上位12モデルを見ると、米国では価格の割に充実した装備や、ボディサイズの大きなモデルが多い。2位のフォード『F-150』は全米ベストセラーピックアップトラック。2万0815ドル(約196万円)からという圧倒的なコストパフォーマンスが、高評価につながったといえる。






JDパワーの評価と言えば、アメリカの自動車販売に対して大きな力を持つことで知られています。
それでヒュンダイが選ばれたのですが、コレを鵜呑みにして良いものなのか、少し考えてみましょう。

>>価格、性能、ローンプログラム、インセンティブなどを総合的に考慮して、新型車のコストパフォーマンスを探る。もちろん、これだけではスペック比較に終始するので、顧客の評価として、「初期品質調査」「魅力度調査」の2つの調査のデータベースも活用している。


ココの部分を、よく読んでみて下さい。
JDパワーといえば、顧客評価によるランク付けで有名なのですが、コレを見る限り、顧客の評価として取り入れられているのは「初期品質調査」「魅力度調査」の2点だけなのです。
この辺りは、購入後3ヶ月以内のトラブル・・・等といったことが調査対象となる訳ですが、一体3ヶ月程度で何が分かるというのでしょうか?

本当に良い車かどうかが3ヶ月で分かるでしょうか?

仮にコレが購入後3年目のオーナーに評価を集計したとしたら、結果は全く違うものになるのは間違いありません。

世の中、様々な車の評論がありますが、どの様なオーナーが評価を下しているか?、誰が、どの様なテストで評価を下しているのか?によって、全く違った結果が出てくるものなのです。その辺りを認識した上で、この手の情報に接して頂きたいものです。そして、新型車ほど、新車効果及び情報の少なさから、甘い評価になりがちな傾向もあると思います。

所詮は統計は統計であって、事実とはまた異なるものなのです。統計=事実として捕らえ続けたアメリカ的経営が、アメリカ自動車産業を崩壊に導いたのですから。

シボレー・コルシカ / ベレッタ

シボレー
09 /22 2009

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80年代のシボレーでは、最廉価版として、Jカーのキャバリエがあり、その上の車種は、ポンティアックグランダム(ポンティアックの最廉価版)を始めとしたNカーでは無く、若干サイズの大きいLカーのコルシカ、そして2ドアのベレッタが用意されていました。

これはJカーとNカーの差が小さいことによるものかと思いますが、元々儲け幅の少ないこのクラスに、これ程金を掛けるのも、何か不思議な気がします。

当時のアメリカでは、一つの車種で4ドアと2ドアを用意するのは一般的なことでした。例えば同じくシボレーのキャバリエの場合、セダンもクーペも同名でしたが、何故かこのLカーに関しては、別名を名乗っています。同様な例では、4ドアのシボレー・ルミナと2ドアのモンテカルロという例もありますが・・・。

車としては、メカ的にもNカー、Jカーと全く変化はありません。デザイン的にも当時の平均的なシボレーそのもので、キャバリエと何ら変わるところはありません。
サイズ的には、5ナンバーより若干幅が広いものの、当時の日本車のファミリーセダンと同じ様なサイズでした。V6エンジンも用意されていましたが、流石にこのボディーでは、一杯一杯で、全く整備性を考えていない、とんでもない設計でした。

実はこの車、日本でも少しの間だけ、スズキから販売されたことがあるのです。恐らく日本車と同等のサイズからの決断だと思いますが、当然ながら全く売れずに終わってしまいました。

キャバリエで無く、敢えてこの車を買うメリット・・・というと、正直全く思い浮かびません。
GMの伝統で、メカはそのままに、少しずつサイズを変えて、取り敢えず売れば何とかなるだろう・・・といった場当たり的な態度が前面に出ている様な気がしてなりません。それ故に市場からも受け入れられなかったのでしょう。

カナダ・バンクーバー 2005年6月  タケカワ・ユキヒデ あの頃

Youtube動画
09 /22 2009
2005年6月、最初の訪問から9年ぶりにカナダ、バンクーバーの土を踏みました。
苦楽の思い出の詰まった土地・・・そして、来る2010年の冬季オリンピックを控え、見違える様に発展した街を、スライドショーでお楽しみ下さい。

曲はタケカワ・ユキヒデ "Somewhere along the way"(あの頃)でお送りします。


プロト トルクレンチ Proto

工具
09 /18 2009

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プロトの工具は、どちらかというと産業用といったニュアンスが強く、古くからフォードを始めとしたビッグ3の組み立てラインでも使用されています。それ故に、かつては保守的なデザインの代名詞でもありました。

そのプロトの中でも、トルクレンチは定評のあるところです。

私の使用しているのは、かなり旧式のものになりますが、10~150ft/lb(1.4~20.7kg/m)という広いレンジが特徴です。10mmのボルトから、クランクプーリーまで優にカバーできる、正に乗用車には最適なもので、実際に会社では、同様のレンジをカバーする為に、2種類のトルクレンチを用意してあります。

先日、本当に久々に(5年以上ぶり)校正に出したのですが、殆ど狂いが無く、校正後も、各レンジ殆どバラツキが無いのには、正直驚いたところでした。同時に校正に出した会社のトルクレンチ(定期的に校正している)よりも精度を保っていた上に、バラツキも少ない位でした。

最近のトルクレンチは、この様なワイドレンジの物は無くなっていますが、その理由は精度を保ち難いからなのだと思いますが、既に30年以上はゆうに経っている上に、前回の公正から、これだけ長期間ラフな扱いを受けていたことを考えると、精度的には十分で、むしろコストダウンが目的だったのでは?などと思ってしまいます。

流石は組み立てラインで使用されるだけのことはある・・・ということなのでしょうか?

尚、このデザインは、日本でもほぼそのままで作られており、台湾や中国でも、全く同じ形の物を作っていますが、比べてみると、やはりカッチリとした動作、上質感は全く違います。

スズキGS650Gカタナ

スズキ
09 /18 2009

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カタナ・・・というと、先ず1100のあの特徴あるスタイルを思い浮かべるのが普通ですが、最初に登場したのは、79年、同じくハンス・ムートのデザインによるGSX650Gになります。

GSと言う名前からも分かる様に、DOHC2バルブエンジンエンジンの650ccで、何故かシャフトドライブになっています。

コレが後のカタナのベースとなる訳ですが、タンクからサイドカバーにかけての形状、独特なツートンのシートに、共通点を見て取ることが出来ます。

このバイク・・・650という割りには、当時のライバルと比較すると、意外なほど大柄に見えるのです。恐らく大型タンクのせいなのでしょう。そして、乗った感じも、素直に思いっ切り振り回せる感じのCB650と比較すると、かなり大型で、どこかクラス不相応に重く、乗せられてる・・・という印象がありました。

650という排気量、シャフトドライブなど、日本で不人気になる要素が揃っていただけに、人気が出ることは有りませんでしたが、後の1100の余りに戦闘的なスタイル、ポジションと比較すると、こういうやり方も十分アリだと思います。

Peter Paul & Mary マリー・トラバースさん死去

Youtube動画
09 /18 2009
昨日入ったのニュースですが、60年代に一世風靡した、アメリカのフォークグループ、ピーター・ポール&マリー(PPM)のマリーことマリー・トラバースさんが、16日、白血病のため72歳で死去しました。

1961年のグループ結成以来、「花は何処へ行ったWhere have all the flowers gone?」「パフ Puff」「風に吹かれて Blowin in the wind」「悲惨な戦争 Crual war」と言ったヒット曲を飛ばし、ベトナム戦争にアメリカ中が揺れた60年代、そのメッセージ性の高い歌詞が、反戦の象徴としても支持されました。

60年代のアメリカは、世代間の決裂が決定的となりました。権力によって引き起こされた悲惨なベトナム戦争、そして、それに否応無く巻き込まれた戦後生まれの若者たち。そんな時代背景の中で、権力との決別を誓い、古い価値観を捨て去ろうという、所謂ヒッピームーブメントがアメリカの若者の間で急速に広がりました。そして、その象徴とも言えるマリーさんの死を思うと、ベトナム戦争も歴史の渦に飲み込まれつつあるのか・・・と思わずに居られません。


カナダ・バンクーバー 2008年8月 Vancouver BC, Canada

Youtube動画
09 /17 2009
2008年8月に訪問した、カナダ・バンクーバーの景色です。
音楽は、フランク・ミルズ「愛のオルゴール」 Music box dancer です。


americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。