fc2ブログ

フォード、次期大型FR車凍結?

フォード
10 /30 2009

イメージ 1

イメージ 2

そんな記事を、オーストラリアの雑誌で目にしました。
現在、アメリカ市場でフォードの大型FR車といえば、業販専用のクラウン・ビクトリアと、マーキュリー・グランドマーキス、リンカーン・タウンカーの兄弟がありますが、それらは、殆どがタクシーやリムジンベースといったところで、正直一般市民に影響のある車とは言えません。

ところがオーストラリアでは、オーストラリアフォード製のファルコンが、タクシーのみならず、一般ユーザーからも結構人気が有る存在なのですが、それも含め、次世代のFR車の開発を凍結した・・・というのです。

そして今後の主力車種が、今年発売された新型トーラスのバリエーションになると言う話です。

これが事実だとすると、非常に複雑な思いがします。

先ず、FFが効率良いというのは、小型車に限っての話だということです。
FRはエンジン縦置きなので、ボンネットが長くなるものの、ボンネットの下までドライバーの足を突っ込む事が可能な為、特に大型車では、意外とスペースユーティリティーでのデメリットは少ないのです。

そして、車体が大きくなる程、FRの方が操縦性の面で有利になるのは当然で、敢えてFFに拘るとしたら、
コストダウンでしょうか?

アメリカ製のものはともかく、今回紹介するオーストラリア製のフォード・ファルコンは、サイズ的にも、全長5m弱と、アメリカ製中型車程度の大きさですが、車の出来としては、アメリカ製の二廻りも巨大なソレよりも、遥かにレベルが高いと言えます。

むしろ、トーラスでこのクラスを統一する位なら、このファルコンをアメリカにも持って行った方が、遥かに良い様な気がするのですが・・・。
GMは、キャデラックをFRに戻しましたが、フォードはリンカーンLSで折角FRを出しておきながら、アッサリと引っ込めて、FFのゼファーにモデルチェンジしたり、迷走が続いている様です。

因みにファルコンとは、元々60年代初頭にアメリカで発売されたコンパクトカーで、マスタングのベースにもなった車です。それがオーストラリアでも生産される様になったのですが、アメリカでの生産中止後は、オーストラリアでの独自の車種として発展を続け、今日まで続いています。

写真上の現行ファルコンは、4リッターの直6と、5.4リッターのV8が用意されています。

同様に、GMオーストラリアのホールデンも、かつてはシボレーの廉価版としてスタートしたのが、現在は技術力でも本国を凌ぐ様になり、キャデラックのベースにまでなっています。


写真下:ホールデン・コモドア

キャデラック・STSのベースになったモデルです。決してカッコイイという訳では無いものの、嫌味の無いデザインです。そして、ファルコンと同様、同サイズのアメリカ車よりも、風格が感じられます。

スポンサーサイト



乗用車 平均使用年数過去最長の11.7年

ニュース
10 /25 2009

自検協が発表した今年3月末現在の日本の自動車保有動向調査によると、乗用車の平均使用年数は4年連続で延び11.68年となった。貨物車は13.50年だった。
数字はいずれも過去最長を記録した。

http://www.airia.or.jp/number/index2.html

また、乗用車の平均車齢も17年連続で延び、7.48年となっている。

http://www.airia.or.jp/number/pdf/03_32.pdf

CyberXより転載




表を見ると、1975年の小型車の平均使用年数は6.72年、そして2009年は11.68年と、豊かになったはずの日本に於いて、実は車の使用年数が実に倍に伸びているのです。

コレは先の見えない長引く不況によって、買い控えが起きているのは当然として、もう一つ忘れてはいけないのが、車の耐久性が飛躍的に向上していることでしょう。

今の車は、普通に油脂類の交換をしていれば、10年位なら殆ど問題も無く乗ることが出来ます。

私が整備業界に入った頃、車検というと、2年ごとにブレーキ関係の全オーバーホールは当たり前、ベルト類の調整、交換、点火プラグの清掃、交換、キャブや点火時期等の調整は当たり前に行うもので、車検整備に2~3日掛かるのが普通でした。

現在の車は、プラグの点検も必要無く、エンジン系統の調整もありません。ベルト類も10年近く持ちますし(現行のスバル各車は、エアコンベルトの調整すら出来ません)、費用の嵩むタイミングベルトも無くなりつつありますし、ゴムのブーツ類の耐久性も飛躍的に伸びました。そんな理由から、本当に10年位なら大したトラブルも無く乗ることが出来るので、その事も買い控えの大きな理由であると思います。

そして、日本人が全体的に車に対して興味を失っていることもあるでしょう。壊れない、特に欲しい車種が無い・・・となれば、買い換えないのは当然のことです。

ただ、欧米を見ると、日本では走っていない古い車を、当たり前の様に目にします。それは日本の様に、6年以上経った車の査定がゼロという法律が無いため、古い車にもそれなりの値段が付くからです。

このデータは、ある意味日本の自動車文化が欧米的な実用主義になりつつあることを表しているのかも知れません。少々燃費が悪いにしても、ハイブリッド車に高い金を払うよりは、壊れるまで乗った方が、遥かに環境に優しい=エコだと私は思います。

かくいう私も、92年式のアコード(キャブレーター仕様)を今でも乗っています。

日本車の真似?

カーデザイン スタジオ
10 /23 2009

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

日本の自動車産業は、元々欧米の模倣から入り、特にデザインに関しては、それが顕著なものでした。
10年前にニュージーランドに来た頃、まだ60~70年代のイギリス車が多く走っていたのですが、その中に昔の日本車のベースになったと思える物を数多く見つけたものでした。

ところが90年代に入った辺りからでしょうか?アメリカ車の中に、明らかにヨーロッパ車的なものに続き、日本車を手本にしたと思えるデザインが増えてきたのは・・・。確かに日本車のデザインが飛躍的に向上した時期に当たりますが、余りにも近い時期に似た様なデザインが登場する事も珍しくありませんでした。当時のデザイン工程は、今よりも遥かに時間が掛かっていたはずで、それを考えると不自然なくらいに思える例も少なくありませんでした。

今回取り上げるのは、ニッサン・レパード・Jフェリー、輸出名インフィニティーJ30です。
90年代の初頭、ニッサンのデザインは明らかに迷走を始めました。80年代の末に成功を見た様々な車が、軒並みモデルチェンジで不人気車に転落したのですが、その中でも印象的なのがブルーバードでした。所謂「垂れケツ」といわれる奴で、スロープさせた後部のデザインが余りに不評で、スポイラーを取り付けて、ラインを隠して販売したのは有名な話です。

そして、ほぼそのままのデザインで登場したのが、上級車のレパードJフェリーでした。先代までのレパードが、ソアラの様な2ドアクーペだったのから一転し、4ドアセダンとして登場したのですが、特に日本では、そのデザインが不評で、短命に終わっています。

そして数年後、ビュイック・リビエラが数年のブランクの後に発売されました。シャシーはオールズモビル・オーロラと共用ながら、エンジンはV8が用意されず、ビュイックお得意のV6スーパーチャージャー仕様となりました。

このデザイン、当時のスクープフォトで偽装が施されて細部のディテールが分からない頃には、非常に伸び伸びとした大らかなスタイルだと思ったのですが、段々細部が分かる様になると、何だコレ?となってきました。特にフロントマスクは、Jフェリーの印象が非常に強く、リア周りも、その面影が残っている様な気がします。

当時のニッサンは、「このデザインが理解されないのは、日本人のレベルが低いから」という意味の発言をしましたが、アメリカでは理解されたのでしょうか?その割には、大して見かけなかった気がするのですが・・・。少なくとも、このデザインのお陰で売れた・・・という事ではなかったと思います。

90年代になると、アメリカでもクーペ市場は急速に縮小した関係で、リビエラも不人気に終わってしまいました。ただ、私としては、折角出したにしては、先代の面影を全く感じないソレには違和感を覚えただけで、それ故の不人気だと理解しています。



写真上、中:ニッサン・レパードJフェリー

日本人のレベルは・・・などと言う以前にデザインとして破綻しています。スロープドバックというデザイン自体は、ジャガーなどで古くからある手法ですが、それを生かし切れていないのは、何処にもメリハリが無いからです。特に平坦なサイドとリアに全く関連性が無いこと、稚拙な形のCピラー、ボンネットの傾斜との連携が取れていない辺りが致命的で、デザイナーの不慣れさが見て取れます。


写真下:ビュイック・リビエラ

この顔つき・・・漫画か何かにこんなの居ませんでしたっけ?この辺りからGMデザインは贅肉が増えました・・・が、リア周りの処理は、ニッサンよりも良かったと思います。

アキュラ・レジェンド

日本車
10 /19 2009

イメージ 1

イメージ 2

80年代、値段の割りに丈夫で性能が良いということで、アメリカ市場に於いて、シボレーやフォードといった大衆車を相手に勝利を収めつつあった日本車ですが、高級車に関しては、全く歯が立たない状況にありました。

かつて、クラウンやセドリックを少量ながら輸出したものの、欧米の感覚からは、とても受け入れられるものでは無く、早々と撤退を余儀なくされたのです。現在に例えるなら、韓国で最も人気のある高級車、ヒュンダイ・グレンジャーが、国外では、高級車として認知されないのと似ているかも知れません。

ロールス・ロイス、メルセデス、キャデラック等の高級ブランドは、自動車史の創世記から常に注目を集めていおり、その歴史と伝統によって培われた佇まいを前に、例え日本では定評のあるクラウンとはいえ、安物の紛い物以外の何者でも無かったのです。

この極めて難しい、未知の世界に最初に飛び込んだのは、国内の自動車業界に於いて、最も歴史の新しいホンダでした。
ただ、ホンダというブランドは、どうしてもアコードやシビックといった安い車(当時は)を連想させてしまう為、敢えてホンダ製ということを表に出す事無く、アキュラという新しいブランドを立ち上げることになりました。

大型車の経験の無いホンダは、当時提携関係にあったブリティッシュ・レイランド(ローバー)との共同開発という手法を取りました。当時のホンダのエンジンは、皆クランクプーリーが左側に有りましたが、レジェンドのエンジンは、通常の横置きFF車と同様右側にありました。コレはBL側の要望ということで、そして、同じ車がローバー800シリーズとしても販売されました。

元々輸出をメインに作られた車であり、5ナンバー域を超えるのを気にせずに設計された車でしたが、国内投入に当たり、当時の日本の税制では、3ナンバーになると一気に税金が2.5倍になるという、正に禁止税的な法律に合わせて、無理やり前後左右を削って小さくした物が発売されました。
国内仕様のソレは、ドアを開けると、その辺が非常に不自然な格好をしていたものです。

デザイナーを欧米の高級ホテルに滞在させ、高級というものを体験させたという話は有名なところです。
塗装の工程、木目のデザインにも拘ったものの、デザイン的には、内外装共に、正直アコードと遠目に何処が違うの?というレベルに留まってしまいました。

流石に同じコンポーネンツを使いながら、ローバーの方が遥かに上品で高級「感」のあるデザインをしてきました・・・が、レジェンドがアメリカ市場で一応の評価を得たのとは裏腹に、ローバーの評価は散々で、アメリカ市場から撤退することになってしまいました。

トヨタやニッサンが尻込みしていた市場に、最初に挑戦したのが、歴史も伝統も持たないホンダでした。逆に、歴史の無さ故の割り切りこそが、従来の高級車に対する潜在的な不満要因を吸収するのに成功した一因と言えるのかも知れません。

後にトヨタが同様の手法でレクサスを成功させるのは、誰もが知っていることです。

85年のプラザ合意以降、急激な円高により、それまでの「値段の割りに良い」というのが通用しなくなってしまったため、各社、より上級志向にシフトする様になり、「少々割高でも、本当に良い車」として選ばれるものを投入する様になりました。事実、プラザ合意以降に設計開始された車種は、品質面でも、走りの面でも大きく向上しています。その様な目で見ると、レジェンドは旧世代に属してしまう為、現在の目から見ると、余り魅力がある様には思えませんが、従来、日本車が全く太刀打ち出来なかった市場に、大きな風穴を開けたという事実は、忘れてはいけない歴史の1ページだと思います。



写真下:ローバー800

兄弟車でありながら、何とも上品な雰囲気が漂っています。
同時に、兄弟車とは言いながら、品質的にはホンダの足元にも及びませんでした。

亀井静香金融担当相の「家族間の殺人増加」発言が波紋を広げている。

ニュース
10 /18 2009

●御手洗会長こそ元凶

 亀井静香金融担当相の「家族間の殺人増加」発言が波紋を広げている。

 亀井が日本経団連の御手洗冨士夫会長に向かって、「日本で家族間の殺人事件が増えているのは(大企業が)日本型経営を捨てて、人間を人間として扱わなくなったからだ」と述べ、その責任を感じるべきだと詰め寄ったことだ。

 殺人増加の責任を問われた御手洗会長は憮然とし、財界からは亀井批判が噴出しているが、当の亀井は「取り消す気は全然ない」と平然としている。亀井流のパフォーマンスという見方もあるが、この発言は正鵠を得ている。「もっとやれ」といいたいくらいだ。

 作家の江上剛氏もこう言う。

「小泉政権以降、大企業は大きな利益をあげているのに、社員の収入は抑えられてきた。そこに大不況が襲いかかっているわけです。医療費を払えずヤミ金からカネを借りたり、保険料未納で病院に行けない子どもがいる。やむを得ず、ケガをしても学校の医務室で治してもらっているというのです。その一方で、違法な偽装請負までして金儲けしてきたのが御手洗会長のキヤノンです。庶民が反感を持っていて不思議ではありません。庶民が亀井大臣にエールを送るのは当然です」

 実は、家族間の殺人はデータの上では目立って増えていない。

 この点は亀井の勘違いだが、殺人の背景に労働環境の悪化があるのは紛れもない事実だ。08年に起きた秋葉原無差別殺人を見ればいい。

「『カプセル家族』の危機―続発する家庭内殺人」の著者で、教育評論家の尾木直樹氏はこう言う。

「最近増えているのは、派遣労働や派遣切りが原因の無差別殺人で、08年の秋葉原事件がその象徴です。昔の経営者は未曽有の不況に際し、内部留保を取り崩してでも社員の雇用を守ろうとしたが、日本型経営のトヨタの系列でさえ派遣切りをして悲劇を招いた。亀井発言からは、国民を守るという強いメッセージが伝わってきます」

 次はどんな亀井節が出てくるか。

(日刊ゲンダイ2009年10月8日掲載)




バブル崩壊後、各自動車メーカーとも減産に追い遣られ、人余りが深刻でした。
当時、私は某国産車のディーラーに勤務していましたが、生産現場での余剰人員をディーラーに暫く派遣する・・・ということが一般的に行われていました。

先ず当時の生産現場といえば、殆どが正社員で、組合もありました。そして、減産によって頭数が不要になったからと言って、簡単にクビを切ることも無く、何とか働き口を斡旋するよう、企業自体も努力し、そして子会社(ディーラー)も迷惑半分(失礼!!)ながらも、それを受け入れ、お互いに痛みを分け合ってでも、従業員の雇用を守っていたのです。

それが今はどうでしょう?日本を代表すべきキヤノンやトヨタといった超大企業が、平然として派遣社員をゴミ同然の発言をした上で貧困層と呼べる程度の給料しか払わない上に、要らなくなれば即クビを切る・・・。
皆に手本になるべき者が、進んで悪事に手を染めているのです。

こうやってかつて、アメリカの製造業が崩壊したというのに、それと同じ事を30年遅れて実施している訳です。

御手洗氏といえば、その当時、23年間もアメリカに居た人物であり、アメリカ的経営が染み付いた人物ですが、わが国は、そろそろアメリカが進んでいるという幻想を捨てる時期にあるのでは無いのでしょうか?製造業の無い国のシステムを真似する意味は、全く無いのですから。

サンフランシスコ 2005年9月

Youtube動画
10 /17 2009
バンクーバーからバスにて国境を越えシアトルへ、以降アムトラックにてロスを経由し、サンフランシスコに到達しました。真夏のロスから一転、秋の気配を感じることになりました。

サンフランシスコは、60年代のヒッピー文化発祥の地。ザ・フィフス・ディメンションのアクエリアスでお届けします。


シボレー・ボルト ハイブリッドカー  Chevrolet Volt

シボレー
10 /12 2009

イメージ 1

イメージ 2

先日の記事http://blogs.yahoo.co.jp/hiro_hosono15oct/21504623.htmlの最後の方にて、ハイブリッドカーに関して少し書かせて頂きました。

ハイブリッドカーというと、今やエコカーとして絶大な人気を誇る、正に時代の最先端を行くメカとして注目されています。

ところが、そのルーツは意外と古く、100年以上も遡るというと、意外に思われるのではないでしょうか?
当時は、むしろ電気自動車の方が将来有望視されていた時代でしたが、その最大の泣き所は、現在と同じく航続距離の短さでした。

逆にガソリンエンジンは、航続距離こそ長いものの、高度な技術の必要なエンジン、トランスミッションといった装置が必要となるだけで無く、危険を伴うエンジン始動、煩雑な運転操作、騒音、振動が凄まじく、むしろ劣勢と思われていたのです。

その電気自動車の欠点である航続距離を補う為に考えられたのが、ガソリンエンジンを電気自動車の発電用に搭載するという方法で、これがハイブリッドカーの原点と言われています。
その発案者がフェルデナンド・ポルシェ博士であり、驚く無かれ、当初彼は電気自動車派だったのです。

その後、技術の発展によりガソリンエンジンの欠点が克服されるにつれ、コストの高いハイブリッドカーは衰退していくことになりました。

今回紹介するシボレー・ボルトは、アメリカ車であることに加え、シリーズ方式…即ち前述したエンジンを発電のみに使用するという、言ってみれば一番原始的な方法なのですが、私個人的には、この方法が最も有望だと見ています。

事実、ディーゼル機関車等で、既に古くから実績のある方法なのです。エンジンは、加減速時により多くの燃料を使い、有害物質を排出するのですが、この方式の場合、エンジンはバッテリー充電専用なので、一定のスピードで回っているだで、エンジンの最も効率の良い回転域を使う事で、燃費、排ガスの面でも効率の良いものとなります。

まあ、プリウスやインサイトがガソリン自動車ベースとすると、この車の場合、ハイブリッドというよりも、むしろ実態は電気自動車そのものと言って良いのかも知れません。
実際の使用で、どの程度の効率を示すのか、それは来年のお楽しみ…ということになります。

4万ドルという価格からしても、タクシー等に採用されることになると思います。


写真上:シボレー・ボルト コンセプト

近頃のアメ車の中では、珍しくメリハリの利いたデザインだと思いましたが・・・。


写真下:シボレー・ボルト

何故にココまでグレードダウンするのでしょう・・・?シボレーの定番で、初期のスケッチはともかく市販版は???なのです。

ロータリーエンジン

Motorcycle
10 /10 2009

イメージ 1

イメージ 2

ロータリーエンジンは、60年代にマツダが小型車市場に参入するに当たり、ドイツのNSUより特許を購入して開発したエンジンで、通常のレシプロエンジンの様な上下運運動を回転に変換するという仕組みが無く、燃焼時点で既に回転運動であるため、非常にエネルギーの損失が少なく、コンパクトで高出力なエンジンとして、全自動車メーカーのみならず、2輪メーカーからも注目を集めることになりました。


車の場合、高出力である事に加え、来る排ガス規に有利(三元触媒以前)だということも注目されていましたが、バイクの場合、むしろ2ストロークに変わるエンジンというニュアンスで取られていた様です。

その証拠に、かつての2ストメーカーであるヤマハ、スズキ、カワサキが全て手がけていました。
結局発売に漕ぎ付けたのはスズキRE5のみで、他社はショーモデルのみに終わりました。

ところが70年代も半ばになると、ロータリーエンジンの欠点が色々と目立つ様になってきてしまいました。特にオイルショック以降、その燃費の悪さがクローズアップされたこと、そして、エンジン自体の耐久性が劣る事などが分かり、莫大な開発費、その後の販売不振、そして度重なるエンジントラブルにより、本家のマツダの経営までも傾けることになり、スズキRE5も、国内販売は見送られ、僅かな台数が輸出されただけで終わってしまいました。

その後のレシプロエンジンの性能向上は著しく、排ガス規制も楽にクリア出来る様になると、逆にロータリーエンジン自体の進化が止まってしまったこともあり、車業界でもロータリーは一部のスポーツカー専用のエンジンとなってしまい、バイク用としては、80年代にイギリスのノートンがポリス用バイクをメインに、一部市販車も併せ、少量生産していた位です。

現在なら、個性の強い輸出専用車が逆輸入されるのは、決して珍しい事ではありませんが、RE5が販売されていた70年代当時、その様な動きは殆ど無く、逆輸入車の第一弾という栄誉も、ホンダのゴールドウィングに奪われてしまいました。

新技術 vs 熟成されて既存の技術

この戦いは、何時の時代にも見られるものですが、最終的に既存の技術に軍配が上がることが少なくありません。

例えば今日、燃費の良さで人気のハイブリッドカーですが、製造過程で大量に消費されるレアアース、レアメタルの採掘現場に於ける深刻な環境破壊、廃棄時に生み出されるゴミの量、「同クラスの」ガソリン車に比べて非常に割高な車両価格を考えると、既存の技術のガソリン車に比べて、どの程度のアドバンテージがあるのか、実は極めて微妙な存在であるのも、その一例と言えるかも知れません。


写真上:ススキRE5

茶筒と呼ばれたメーターケースが独特で、キーを捻るとカバーが開く…というのが未来的?です。
全体的にGT750とイメージ的に似ており、もう少し個性が欲しかった気もします。


写真下:

既に経営破たんしたはずのメーカーが…何故にロータリーを???と実に謎の多いバイクでした。

スナップオン No.2 +ドライバー SHDP42IR

工具
10 /09 2009

イメージ 1

イメージ 2

現在も80年代の物をメインに愛用していますが、新型が少し気になったので、購入してみました。

外観の第一印象は、先代のソフトグリップよりもカラー部分の面積が増えたので、内装など暗い部分での作業時に失くす可能性は低くなったと思います。

手に持った感じは、流石に人間工学の粋といった感じで、非常に楽に力が入ります。

…が、この大きさ…。先代のソフトグリップですら、No.2とNo.3が共通のグリップだというのに大いに疑問を感じていたのですが、今回の物は、先代よりも更に太くなった感じがするのです。

先代のNo.3を所有していますが、それよりも太いというのは、やはり複雑な気分がします。

80年代のソレは、スリムながら実に手にフィットし、しかも力の入る極めて優秀なデザインでした。

それが90年代のパワーグリップになると、大型化し、力が入り易い反面、非常に回し難い形状でした。

先代のソフトグリップは、滑り難く、力も入り、回し易く、手にフィットする反面、更に巨大化したこと、そして使うほどに汚くなる外観がマイナスポイントで、人気もイマイチだった様です。

今回のモデルは、先代の反省からか、ソフトタイプとハードタイプの2種類が用意されており、私のものはハードタイプに当たりますが、やはりプラスチック部分の材質は、先代と同じ様な感じで、使う程に良い艶が出る…というのは期待できそうにありません。

カメラに例えるとしたら、現行モデルは、最新の一眼レフの人間工学に基づいた巨大なグリップ付きの物に対し、80年代のソレは、レンジファインダー式のライカといった感じでしょうか?

機械の側から人間に合わせるのでは無く、人間の側が機械に合わせながら使い、そして、それが心地よい…。

現在の最先端の人間工学も当然有って然りなのですが、後者の様な関係も、決して悪い物では無く、それ故に新型を購入しても、旧型がお蔵入りになることは当分無さそうです。


2009年10月28日加筆
暫く使ってみた感想ですが、やはり先代のNo.3よりも太いというのは、かなり違和感があります。確かに手にフィットして、力が入り易いのですが、所謂フィリップスで使う力など、たかが知れたものです。
余程手の大きな人がデザインしたのでしょうか?正直先代のソフトグリップの方がまだマシな気がしますし、80年代の物の方が、やはり使っていて気分が良いと思います。
No.1用のグリップに打ち替えるのも、良いかも知れません。


写真上:

80年代のSSDP42(黒)と比較すると、如何に巨大化したかが分かります。


写真下:

先代のソフトグリップと共に。
No.1(下)とNo.3(上)が先代モデルに当たりますが、No.1のグリップですら、80年代のNo.2のソレよりも大型なのです。

ススキGSX100S カタナ / GSX750S

スズキ
10 /08 2009

イメージ 1

イメージ 2

GS650Gに続き1980年、ケルンショーに参考出品されたカタナは、メカニズムこそGSX1100Eそのままでしたが、日本刀をモチーフにしたといわれるデザインは非常に斬新で、まさかコレがそのまま商品化されるとは誰も信じませんでした。

ところが、その予想を覆し、翌年、ほぼそのままのデザインで1100が登場し、海外で大いに人気を博しました。

当時の日本市場は…というと、カウルの認可が下りておらず、CB750Fでやっとセパハンの認可が下りた…といった具合で、ライディングポジションにも規制が強く、とても輸出仕様の1100と同じ形で出すことは不可能でした。

そして82年に登場したのが、写真下のGSX750Sです。
カウルの認可の関係で、スクリーンが取り外され(カウル本体はライトカバーということで認可を擦り抜けています)、ライディングポジションの規制に合わせる為に、アップハンドルになっています。

ステップの位置をそのままでハンドルの位置を変えるというのは、不自然なポジションを強いることになり、かえって危険なのですが、その様な常識論はお役所相手に通用しないのです。

その他にも、「ライトカバー」下部にある三角形の風切板?が無くなっていたり、「カタナ」という名前は凶器を連想させるという理由から外され、輸出仕様にあった「刀」のテッカーも無く、あくまでも「GSX750S」が正式名称になっています。

当然その様な状況になると、本来の姿に戻したくなるのが人情というもので、750のハンドルを交換して載るのが当たり前になったのですが、それが徹底的に取り締まられ、「刀狩り」という言葉が生まれるほど話題にもなりました。カタナの、その余りに目立つ姿故に、取締りの対象になってしまったのです。

当時は、現在の様な車検対応のパーツは全く無い状態で、純正以外のものは皆違法改造とみなされ、車検時に取り外す・・・というのが一般的な方法でした。

因みに国内仕様の750に、低い本来のセパハンが装備される様になったのは、84年に登場した通称3型カタナからになりますが、コレは本体のデザインが大きく変わってしまった為に、折角の低いセパハンを用意しながらも、大した人気を得る事も無く、消えてしまいました。

輸出仕様の1100は、87年頃まで当初のスタイルで生産されており、日本でも逆輸入車の値段が下がりつつあったことも手伝って、高価ながらも、かなりの台数が入ってきました。

そして、あのZ2ブームの後、ローソンレプリカと共に、ポストZ2として異常なプレミア騒動に駆り立てられることになり、90年代に入ると、そのままのスタイルで250、400が発売された上、1100は前代未聞の再生産されることになりました。

この再生産モデルこそが、日本人にとって初めて正規販売された、本来の姿のカタナだったのです。

その余りに目立ちすぎるデザインのお陰で、運輸省に苛め抜かれ、警察の目の仇にされ、それ故に余計に特殊な存在として、日本人の心の中に刻まれたのかも知れません。

因みにカタナといえば、東本昌平の「キリン」が有名ですが、80キロ以上で車体がヨレ始め、それ以上はどんどん酷くなり、激しい振動に襲われる・・・といった記述がありますが、アレは単に整備不良なだけで、80年代初頭のバイクがそんなに酷い訳がありません。


写真上:GSX1100Sカタナ

独特な形状のスクリーンは、ショーモデルには無かったものです。
ツートンのシートは、バックスキンの様な材質で、汚れ易く、掃除し難いのが不評でした。


写真下:GSX750S

コチラは正式にはカタナとは呼ばれていません。
1100のスクリーンは取り外され、不細工なアップハンドルは、「耕運機ハンドル」と酷評されました。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。