Imperial インペリアル
クライスラーインペリアルは、1976年モデルまでクライスラーの再高級車を扱う部門として存在していましたが、1981年、リー・アイアコッカ氏の指揮の下、経営危機からの復活を目指していた同社にとって、話題性のある車の必然性が叫ばれており、小型車のKカー、ル・バロン・コンバーチブルによる、当時アメリカで絶滅していたコンバーチブルの復活、そして、高級車市場への復活と目指して発売されたのが、今回紹介するインペリアルです。
この車はクライスラー部門の車では無く、「インペリアル部門」の車とされているのが大きな特徴です。
ボディーは2ドアクーペのみで、コレは、リンカーン・コンチネンタル・マークⅢで大成功を収めたリー・アイアコッカ氏ならではの決断なのかも知れません。
同時期、ライバルとなるキャデラック・エルドラード、リンカーン・コンチネンタル・マークⅥといった車もダウンサイジングを実施しており、サイズ的にもライバルと同程度でした。
そして興味深いのが、リア周りの独特なデザインで、2代目キャデラック・セビルで見せたスロープドバックと通ずる独特な造形を見せていましが、ライバルよりもユッタリとしたスタイルは、マスタング、マークⅢで見せたアイアコッカ氏のソレなのでしょう。
当時は何処か不恰好に見えたこのデザインも、今日見ると、非常に個性的に見えます。少なくとも、会社が傾いている中、堅実な路線を選ばす、敢て冒険をおかしたという面では、注目に値しますが、80年代初頭、品質面、経営面でアメリカでのクライスラーに対する不信感は強く、キャデラックやリンカーンと競合するには至らず、83年を最後に、再び部門が閉鎖されてしまいました。
インペリアルの名前は、90年モデルで再び復活しますが、こちらはクライスラー部門の再高級車という扱いで、販売方法も、メカ的にもデザイン的にも、全てに於いて堅実路線を狙ったものでした。
クライスラーの再建を一応軌道に乗せたアイアコッカ氏でしたが、高級車市場への復帰は、残念ながら叶う事無く、92年に会社を去ることになりました。
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