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GMフルサイズカー 80年代のダウンサイジング オールズモビル98

GM
07 /25 2010
1979年の暮れ、イラン危機に端を発した第二次オイルショックによって、アメリカの自動車産業は、壊滅的な打撃を受けることになりました。クライスラーは実質的に経営が破たんし、フォードも深刻な経営不振に陥った中、比較的順調だったのがGMでした。
 
GMは、第一次オイルショック後、段階的に全車種にダウンサイジングを実施し、そればかりか、当時やっと北米での販売が安定しつつあった日本車にターゲットを合わせた小型車をぶつけてくるなど、「オイルショックはGMが裏で噛んでいる」と噂される程、上手く立ち回っていたのでした。
 
そして80年代初頭、長期化の様相を見せるイラン情勢から、今後当分の間原油価格は高値安定するという見方が支配的で、次世代の車は、一様に更なるダウンサイジングが実施されることになったのです。
 
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コチラが70年代後半に登場したFRのオールズモビル98・・・実質的にシボレー・カプリス、ビュイック・エレクトラ等の兄弟車に当たりますが、フルサイズとはいえ、これでも先代より全長で30センチ、幅10センチと、随分とコンパクトになっています。
 
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そして、コチラが80年代半ばに登場した、次世代フルサイズカーの、同じくオールズモビル98です。
従来の伸び伸びとしたスタイルからすると、かなり寸詰まりな印象は拭えません。ヘッドクリアランスを可能な限り取る為に、リアガラスをほぼ垂直にした「シビアノッチバック」は、80年代のアメリカで一般的なスタイルでした。
 
そして機械的にも、V6エンジンを横置きに配置しており、キャデラック以外にはV8が設定されていませんでした。
 
全長5m弱と、先代より60センチも縮小され、幅も10センチ縮小されています。
 
ただ、残念ながら発売された85年当時といえば、原油高も収まり、人々の嗜好が再び大型車に向き始めた時期でもあり、おまけに極端なダウンサイジングが、従来のユーザーにも戸惑いを与えたこともあり、余り高い評価を得ることは無く、90年に登場した次期モデルでは、再び大型化したものの、ソチラも湾岸危機~戦争による原油高、そして景気低迷の影響で、十分に評価されたとは言えません。
 
この事からも、先の「オイルショックはGMが噛んでいる」というのは、ガセであったと言わざるを得ません。
 
この車は、私が以前カナダにいた96年当時、結構修理に入ってきていたのですが、丁度良い大きさで、しかもフルサイズカー的な乗り味を維持していながらも、遥かに取り回しが楽で、無駄が無いとうもので、とてもスポーティーとは言えないものの、先代の「家を運転している」感覚からすると、随分と小気味良く感じたものでした・・・が、やはり、ユーザーに余り違和感を与えない様、もう少し時間をかけてダウンサイジングを施した方が賢明だったのではないか?というのが正直なところです。
 
 
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アメ車の内装 木目+ベンチシート+コラムシフト オールズモビル98

カーデザイン スタジオ
07 /22 2010
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かつてアメリカ車の内装といえば、ベンチシートとコラムシフトでした。センターコンソールを持たず、フロントシートが平坦でつながっている為、前に3人乗車することができました。
 
そしてダッシュボードには、ふんだんに貼り付けられたプラスチック製の木目、クロームで縁取られた計器類、タコメーターの無い、横長のスピードメーター・・・この辺りは、若干の違いこそあれ、60年代後半頃からの殆どのアメリカ車に共通したデザインでした。
 
かつてのアメリカ車は、「応接間が動いている様だ」と言われたものですが、確かにこのダッシュボードのデザイン、同時代のテレビ、ステレオにもある意味通づるデザインでした。
 
80年代にフォードがいち早くヨーロッパ的なデザインを採用し、GMやクライスラーは、90年代初頭まで、このデザインを採用していましたが、シビアノッチバック、ビニールトップ等と共に、「古き悪きアメリカの象徴」として、急速に廃れていきました。
 
確かにヨーロッパ車のソレの方が、より人間工学的で、ドライバビリティーに富んだデザインだと言えるでしょう。そして日本車、ヨーロッパ車の台頭と共に、アメリカ的なソレが古臭く思える様になったこと、アメリカ車自体がコンパクト化した関係で、ベンチシート+コラムシフトを採用しても、3人に十分なスペースが取れなくなったこと。
 
その辺りが、この手のデザインの衰退の理由だと考えられます。
 
しかし別の考え方をすれば、サポート性に欠けるといわれるベンチシートも、ある意味自由度が高く、別の意味での快適があります。コラムシフトも、頻繁なシフト操作には向かないものの、一旦Dに入れたら、後はアクセルとブレーキのみ・・・というイージーライディングを考えると、コレも決して悪いものでは無く、その証拠に、日本でも一部のミニバンにて復活していたりします。
 
50年代のアメ車は、どちらかというと未来志向で、開放的な内装デザインを採用していましたが、60年代後半以降、どちらかというと、包まれ感のある、悪く言えば「閉塞感のある」デザインを始めました。
何処と無く高級ホテルのラウンジを思わせるソレも、今や完全に絶滅状態なのは、残念な事です。
そして、こんな強烈な色使いをしておきながら、決して下品でないのも、何とも不思議なものです。

英語公用語化「ばかな話」=ホンダ社長

ニュース
07 /21 2010
2010年07月20日20時29分 / 提供:時事通信社
 
 「日本人が集まるここ日本で英語を使おうなんて、ばかな話」―。ホンダの伊東孝紳社長は20日の記者会見で、「グローバル企業として英語を社内の公用語にすべきでは」との質問に対し、その可能性を一蹴(いっしゅう)した。
 衣料品店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングや楽天が、英語を社内公用語にする方針を表明。こうした動きに対し、伊東社長は「英語が必要なやりとりは英語でやる。時と場合によって使い分ければいい」と強調した。 
 
 
公用語が英語のニッサンと、日本語のホンダ.....率直にどちがが国際的でしょうか?
英語を使えば国際化、英語さえ出来れば国際人、外国人の社長・・・こんな事に無駄なエネルギーを使うヒマがあったら、国際的に認められる製品を作ればいいのです。それこそが国際化であり、英語など必要な部門で使えば十分な話しで、公用語を英語・・・なんてのは机上の空論そのものです。
 
流石は技術屋出身の社長だけあり、本質を分かっています。

クライスラー・ル・バロン・コンバーチブル

クライスラー
07 /17 2010
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既に紹介したル・バロン・コンバーチブルですが、圧倒的に人気があるのが、既に紹介した88年に登場した後期型です。コチラはクライスラーが買収したマセラッティーの影響が強い(両社の共同開発車TCと、ほぼ同じデザイン)ながらも、クライスラー的なアイデンティティーも併せ持った絶妙なデザインでしたが、初期のものは、こんな素朴な格好をしていました。
 
80年代初頭、クライスラーを経営危機から救ったのが、Kカーと言われるFFのコンパクトカーでしたが、その
クライスラー版がル・バロンで、4ドア、2ドア、ステーションワゴンが用意されており、その2ドア版がベースになっています。
 
当時、試作モデルをリー・アイアコッカ会長が試乗テストしていると、何処からとも無く大勢の人が後ろから付いて来て、駐車すると、質問攻めにあったと言われています。当時、世界的に見てもコンバーチブルというものがほぼ絶滅していた時代で、それはアメリカも同じ事でした。
 
このシリーズの特徴は、コンバーチブルという、ある意味特殊な車を、手の届き易い価格で提供したことで、後に登場する他のコンバーチブルが、軒並みスポーツカーがベースであったりして、意外なほどライバルの居ない状態でもありました。
 
私がカナダに居た96年当時ですら、このタイプは殆ど見かけなかっただけに、こんなきれいな状態で残っているのは、決して多く無いと思います。
 
そして改めて思うのが、この当時のクライスラーは、小型車のデザインを把握していたということです。地味ながらもクリーンで破綻の無い、上品なデザインでありながら、居住空間も十分以上に確保されている上に、アメリカ的な乗り味も残っています。少なくとも、現在のアメリカ車の
 
迷走を見ると、如何にリー・アイアコッカ氏が偉大であったかを、改めて思い知らされる様です。

フォード・クラウン・ビクトリア・タクシーin バンクーバー

フォード
07 /15 2010
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昨日街を歩いていて!!!と思いました。
フォード・クラウン・ビクトリアのタクシー仕様が並んでいるではありませんか!!!
既にバンクーバーでは絶滅したと思われていたフルサイズカーのタクシーが残っていた!!!
 
しかし・・・よく見ると、全てサンフランシスコの文字が書かれています。
 
そして、背後には、ビクトリア調の古風な建物が・・・・。
 
バンクーバーは、意外と知られていないものの、映画産業が比較的盛んで、アメリカの映画会社が撮影に使う事が少なく無いのです。有名なところではXファイルなども、かなりがバンクーバーで撮影されていました。そして、おバカなコメディー、マテリアル・ウーマンも、アメリカ映画ながら、全部バンクーバーで撮影されています。
 
以前、ニュージーランドでも、クラウン・ビクトリアのタクシーが持ち込まれ、古い建物を前に撮影していたことがあることからも、今回も撮影のセットである可能性が極めて大きいと思います。
 
そして、先日紹介したマーキュリー・グランドマーキスのタクシーの運転手に路上で遭遇したのですが、彼曰く、コレが最後で、今後も導入の予定は無いということで、以前からそうなのですが、タクシーの運転手は皆口を揃えて「大き過ぎて運転し難い」「燃費が悪過ぎる」「トヨタの方が遥かに言い」と言います。
考えてみれば、タクシーって郊外のユッタリした道を走るより、圧倒的に市街の細かい道を走る事の方が多いんですね・・・そして、バンクーバーは比較的エリアが狭いこともあり、それ故にプリウスが順調に実績を上げているのでしょう。
 
あとはポリスカーを残すのみ・・・。

キャデラックCTS vs ホンダ・アコード 日米デザイン対決

カーデザイン スタジオ
07 /10 2010
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前の車は、今から10年ほど前のホンダ・アコード、後ろは先代のキャデラックCTSです。偶然上手い具合に並んでいたので写真に収めましたが、どちらの方が大きい車に見えるでしょうか?
 
前(撮影者から近く)にあるアコードの方が有る程度大きく見えるのは致し方無いとしても、それを差し引いて考えて、如何でしょうか?
 
アコードの寸法は     全長4,795mm、  全幅1,786mm、  全高1,445mm、
キャデラックの寸法は  全長4,829mm、  全幅1,793mm、  全高1,440mm
 
  と、アコードの方が若干背が高いものの、キャデラックの方が大きい車であることが分かります。
 
それが何故、こうやって比べると、キャデラックの方が小じんまりして見えるのでしょうか?
 
先ず気が付くのは、アコードの方がボンネット~ウェストラインが低く、それが安定感を演出しているのと同時に、グラスエリアが非常に大きく取られています。
ソレに対して、キャデラックの方はウェストラインの高さが、全体的に重心が高い印象を与えているだけでなく、狭いグラスエリアが、更に狭っ苦しい印象を与えています。
 
フロントガラスの傾斜を適度に設定したアコードに対し、キャデラックは無意味に急傾斜にして、その影響でボンネットの面積が小さくなり、それも小じんまりした印象に一役買っています。
 
限られたサイズで最大限にデザインをする場合、出来る限り表面積を大きく、無駄を出さない様にするべきなのを、キャデラックの場合、前後端の強烈な絞込み、妙な縦長のヘッドライトのお陰で、全幅の割りに、非常に幅が狭い印象を与えています。
 
写真では確認できませんが、キャデラック伝統の縦型テールランプは、幅が広くて初めて成立するデザインで、この程度の幅の車に使った場合、かえって幅が狭い印象を与えてしまっています。
 
そして、車のデザインの要である、ホイールアーチとタイヤの位置関係ですが、アコードが手堅くまとめているのに対し、キャデラックはピョコンと後ろが飛び上がった感じで、その辺りも「ユッタリ感」を大いにスポイルしています。
 
本来、キャデラックとアコードなど、同時に比べるべく車種では無いのですが、同時に見かけた序に、色々と感想を並べてみました。
 
やはりアメリカは、小型車デザインの基本の基本も理解していない・・・コレに尽きます。
 
 

ベスーン被告に有罪 シー・シェパード調査捕鯨妨害事件

ニュース
07 /07 2010
 環境保護を標榜(ひょうぼう)する米団体「シーシェパード(SS)」のメンバーによる日本の調査捕鯨妨害事件で、傷害や艦船侵入など5つの罪に問われたSS抗議船「アディ・ギル号」元船長でニュージーランド国籍、ピーター・ジェームズ・ベスーン被告(45)の判決公判が7日午後、東京地裁で開かれた。多和田隆史裁判長は懲役2年、執行猶予5年(求刑懲役2年)の有罪判決を言い渡した。

 SSの妨害行為が裁かれた初めての裁判では、ベスーン被告が「いかなる人にも傷害を負わせる意図はなかった」として調査捕鯨船団乗組員に対する傷害罪を否認、その成否が争点だった。ベスーン被告は他の4つの罪については認めていた。

 多和田裁判長は「被告は、発射した酪酸入りのガラス瓶が調査捕鯨船の船員に有害な影響を及ぼす危険性を認識していた」と指摘した。

 検察側は、「化学薬品を浴びた乗組員は失明の危険もあった」と批判。弁護側は「酪酸入りのガラス瓶は人のいないところを狙った」と反論していた。

 起訴状によると、ベスーン被告は2月11日、南極海で日本の調査捕鯨船団の監視船「第2昭南丸」に酪酸入りのガラス瓶を放ち、異臭を拡散させて業務を妨害、乗組員1人にけがをさせた。同月15日には、防護用ネットをナイフで切り、第2昭南丸船内に不法侵入するなどしたとされる。

 ベスーン被告はアディ・ギル号に弓矢を持ち込んだことが団体の「攻撃的だが非暴力的な行動」という方針に反するとして、公判の最中にSSから除名処分とされた。

 事件では、ベスーン被告に妨害を指示したとして、傷害や威力業務妨害容疑で東京海上保安部がSS代表のカナダ人、ポール・ワトソン容疑者(59)=カナダ国籍=の逮捕状を取り、国際刑事警察機構(ICPO)が国際手配している。

 
 
 
私は外国人と接する機会が少なくないので、捕鯨に関して批判されることも少なくありません。
同じ日本人として、知っておて頂きたいことがあります。
 
1.世界のメディアでは、反捕鯨国の数の多さばかりが宣伝されていますが、実は大差ない程、賛成国の数があるのですが、意図的にその事は触れられたいません。
 
2.批判する者に世界に何種類の鯨が居て、どの種類が絶滅に瀕していて、日本がどの種類の鯨を捕獲しているのか聞いて、まともな答えが返ってくるこては皆無です。
 
3.過去20年以上捕鯨を禁止した関係で、一部の種類の数が増えすぎ、漁業にも影響を与えていること。これも意図的に触れられない問題です。
 
4.一部の鯨を絶滅寸前に追いやったのは、米英のオイル採取を目的にした乱獲であること。
 
5.反捕鯨国であるはずのアメリカが、原住民の権利を理由に、実に大量の捕鯨をしていること。
 
以上のことからして、日本の調査捕鯨は「誤差」の範囲内でしか無いのです。それを声高に訴えるのは、活動家たちにとって、いい金儲けの種に他ならないからなのです。活動家という人種は、ターゲットなど何でも良いのです。ただ騒いで活動すれば、支援が得られる・・・・ただそれだけの話しなのです。
 
日本人は、白人に何か言われると、笑いながら相槌を打ってしまいますが、私は、この件を口にする奴に対しては、老若男女問わず、徹底的に論破するまで持論を展開しています。今のところ、まともな反論をしてきた者は皆無です。
 
日本の捕鯨には、なんら問題は無い。自信持ってそう言いましょう。

マーキュリー・クーガー Mercury Couger

マーキュリー
07 /05 2010
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1997年にマーキュリー・クーガーが生産中止になりましたが、翌年、再びその名前が復活することになりました。
サンダーバードの生産中止と共に、その兄弟車であるクーガーも生産中止になった訳ですが、その替わりに用意されたのが、事もあろうにフォード・モンディオのシャシーでした。
 
フォードには、昔から開発中のモデルを動物の名前で呼ぶ伝統があり、クーガー(北米でのピューマの呼称)という名前は、元々初代マスタングの開発時の名称でしたが、マスタングの命名と共にボツになったものが、後にその兄貴分として、マーキュリー・クーガーとして日の目を見ることになりました。
 
そして74年モデルでマスタングがダウンサイズされ、マスタングⅡに移行すると、今度はサンダーバードの兄弟車としての人生が始まり、97年に生産中止になるまで、その関係が続きました。
 
ただ、元々マスタングの兄弟で始まっただけに、その拡大路線に対して、少なからず批判が有ったのもまた事実でした。
 
別に、だから・・・という訳では無いのでしょうが、98年モデルにてやっとコンパクトな車に戻ったのですが・・・・ベースが北米では極めて評判の悪かったモンディオとあっては・・・・。当然従来のクーガーのユーザーからの買い替えがある訳でも無く、かといって2ドアクーペの市場そのものが冷え込んでいたこともあり、人気を得ることも無く、気が付いたら消えていました。
 
前述したマスタング命名の時点から、常に兄弟車に運命を翻弄され続けたクーガー・・・・マーキュリー部門の閉鎖と共に、名前も消え去ってしまうのでしょうか?
因みに、同形の車がヨーロッパでは、フォード・クーガーとして売られていました。

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アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。