昨日見かけた、69年式のトヨタ・コロナです。
日本では、常にトップを走るトヨタですが、北米でトヨタがトップ争いに参加する様になったのは、この20年位ではないでしょうか?
その原因は、日本でのトップであった事と決して無縁では無いと思います。
トヨタが最初にアメリカに上陸したのは、1957年のことで、当然日本で最も早く、当時の最新鋭、トヨペット・クラウンが持ち込まれました。
ところが、いくら日本のトップクラスとは言え、高速道路網の発達したアメリカに持って来た途端、その性能が全く話にならないレベルであることを目の当たりにするのでした。
当時の日本の道路事情といえば、全体の90パーセント以上が未舗装の砂利道で、平均速度も30キロ前後といった感じだったのです。そんな所でデザインされた車を、いざアメリカに持って来たところ、オフロード車の様なガチガチな乗り心地、世界最遅と言われた加速、そして融雪剤による錆、冬季の始動不能等、ありとあらゆる問題が発生し、最初に悪評を作ってしまったことが、後に長い事トヨタを苦しめることになったのです。
因みに同じ頃、日本に持ち込まれた輸入車は、その悪路から、皆脚廻りのトラブルに悩まされたのです。
ただ、当時のトヨタ車がアメリカで通用しなかったのは、技術レベルが低かったというよりは、むしろアメリカの道路事情を全く知らなかった事が主原因でした。インターネットも無く、国際電話も無く、それどころか、外貨の持ち出しも規制され、海外旅行すら自由化されていない当時、日本人が外国に行くことは、極端に制限されていたのです。
オマケに国内では、高速走行をテストする場所さえ満足に無かった程で、数少ない舗装路に早朝に出かけて、見張りを立てて・・・なんてことをやっていた時代なのです。
低速走行の前提としてギヤ比による、凄まじい騒音、高速での加速不良。
未舗装路を前提とした硬い足回り
融雪剤に対する錆対策
これだけ対策するだけでも、見違える程の出来になったのですが・・・一度立ってしまった悪評を覆すのには大変な時間と労力を費やすことになるのです。
トヨタの失敗を教訓に、ニッサンの場合、いきなり北米に乗り込むことは無く、商社を通して車を持ち込み、徹底的にテスト走行をするという、堅実な方法を取りました。
当然最初の車は、凄まじい騒音や振動に悩まされ、同時に高速でのハンドリング性能を改善するのに随分と苦労した様ですが、その甲斐あって「ダットサン」は、トヨタよりも人気を得るに到ったのです。
そして同じく、早い時期から北米でバイクを売り始め、レースで活躍してきたホンダも、シビックやアコードで順調に北米市場を開拓していきました。
ニッサンは、80年代初頭にブランド名を「ダットサン」から「ニッサン」に変更した時点で失速してしまいました。時代的にニッサンの低迷期と重なったこともあるのですが、ニッサン=ダットサンということがイマイチ定着せず、しかも余り音が好まれなかった事も、影響していたようです。
私がカナダで整備の仕事をしていた96年当時、80年代の日本車の入庫は多かったのですが、やはり圧倒的に多かったのは、ホンダでした。そして、同じ世代のトヨタは、入庫も少なく、街で見かけるのも、ホンダに比べると遥かに少ないものでした。
あとは、クライスラーから販売されていた、三菱も結構多かったでしょうか?
70年代の車では、圧倒的にダットサンとホンダで、トヨタの入庫は、正直記憶に有りません。
今や北米でも高級車から小型車、フルサイズのピックアップと、ありとあらゆる車種を展開するトヨタですが、その北米での歴史は、国内のソレとは正反対に、正に苦難の歴史であったと言えます。
日本では、遠の昔に廃車になったであろうこんな車を目の前に、少しトヨタの北米史に目を向けてみました。