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51年型マーキュリー

マーキュリー
05 /22 2012
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先に紹介した通り、チョップドルーフの元祖として、49年型マーキュリーが挙げられている関係か、その周辺のマーキュリーというと、どうもチョップドルーフに改造されている物が多いのでしょうか?

Googleで画像検索しても、チョップドルーフばかりが出てきます。

写真は、オリジナルの雰囲気を良く残した51年型マーキュリーです。

因みにフォードは、49年型にて、大胆なフラッシュサイドボディーを採用しましたが、マーキュリーでは、比較的無難な、フロントフェンダーの出っ張りの有るデザインを採用していました。
そして、同世代のリンカーンよりも、ある意味保守的なデザインであったことも、注目に値します。

この51年型の特徴は、前年と比べ、リアのデザインが変更されたことで、テールフィンの原型の様なものが、より大きく突き出しています。

そして、翌52年からは、フロントガラスが一枚のカーブドガラスになり、フォードと同様、完全なフラッシュサイドボディーを採用し、40年代風のデザインから決別することになります。

アメリカ自動車産業は、戦後数年は、戦前と同様のモデルを作っていましたが、フォードの実質的戦後モデルというと49年型ということになり、この49年~51年モデルは、戦後第一世代ということになり、他社に先駆けてフェンダーの出っ張りを無くしたフラッシュサイドボディーで新鮮さをアピールしていました。

そして後のテールフィン全盛時には、その流行から一歩引いていたのも、フォードでした。
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クライスラー300のデザイン

カーデザイン スタジオ
05 /19 2012
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クライスラー300......日本ではアメ車らしいデザインと言われますが、如何でしょう、コレ?

一頃ココ、バンクーバーでも大変に良く見かける車で、リムジンのベースにもなっていたものの、今やその姿は殆ど見かけなくなってしまいました。

このデザインの特徴は、まるでロールス・ロイスの様に上下に厚いボディー、そして、それとバランスを取ろうとしたのか、20インチという常識外れに巨大なホイールでしょう。

非常に分厚いボディーに対して、低いルーフライン・・・ある意味、チョップドルーフの様なバランスです。
そして実際に乗り込むと・・・・当然ですが、高いダッシュボードに、やたら高い位置にある窓が、非常に不自然な感じです。

これだけ室内高を高くするメリットは一体何なのでしょう? 室内高というものは、特にセダンの場合、ある程度以上有っても、特にメリットのあるものではありません。

白人は背が高い・・・・とは言っても、比較的座高が低いので、あれだけの室内高が必要な人は、極めて稀だと思います。 実際、他の多くのアメリカ製セダンは、173センチの私でさえ窮屈に感じる位の室内高しか有りません。

1.先ずは、このボディーの無駄な高さを切り落としたいものです。これだけで随分スリムになります。

2.そして、最近の車の常で、巨大なホイールに、更に輪を掛けて巨大なホイールアーチは、明らかにバランスを欠いています。

この2点を例の如く、フォトショップで加工してみました。
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結果がコチラですが、かなりスリムになってのではないでしょうか?

ホイールアーチを加工して、タイヤに近付けたので、全体的に安定感も向上したと思います。

車のデザインを語る上で、「風格」は大切なものです。特にダウンサイズされたアメ車て決定的に掛けているのが、この風格でした。

その面では、300シリーズは成功していたと思うのですが、やはり無駄な重ったるさを伴っているというのが偽らざる感想でした。

高級車という訳でも無く、中級車のクライスラーが20インチという高価なタイヤを採用しているのも、疑問です。
何度も言いますが、巨大なホイールは、ばね下重量を増やすだけで、車にとって、決して良いことでは無いのです。

それにしても、この車、5mそこそこながら、1910KGもあるんですね・・・・・最近の車の重量増加には、驚くばかりです。





10万ヒット達成御礼

無題
05 /14 2012
本日(日本時間5月14日、カナダ5月13日)、当ブログは10万ヒットを達成しました。2008年8月30日の開設以来、3年8ヶ月、通算1354日目のことです。

2008年8月当時、久々にバンクーバー、ロサンゼルスを訪問した際、以前関わりのあったアメ車たちが軒並み姿を消しているのに驚き、その姿を少しでも記録に留めて置きたいと思い、旅行中にこのブログの計画を立て、撮影に入り、帰国したその日に、冬の寒く、雨が降って薄暗いニュージーランドにて、ブログを開設しました。

余りに小難しく偏った内容ということもあり、当初は大して訪問者も居なかったのですが、段々と増えて行き、コメントも頂ける様になりました。単純計算しても一日平均73.85人来て頂いたことになります。

4年近く経った今も続いているのは、単に皆さんのお力添え有ってのことです。

今後共、宜しくお願い致します。

1954 シボレー チョップドルーフ

カーデザイン スタジオ
05 /13 2012
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写真は1954年型シボレーのチョップドルーフです。

チョップドルーフとは、アメリカ発祥のカスタムの方法で、その名の通り、屋根をぶった切って低くするカスタム法です。

そして、この方法は、主に50年代前半以前の車に施される事の多いのが特徴で、屋根を低くすることで、空気抵抗を減らす・・・・という考えから、ドラッグレース等で流行たのですが、最初に認知されているのは、Sam Barrisという人物が、49年型マーキュリーの新車のルーフをぶった切ったものと言われています。

そして、単に屋根を切るだけでなく、写真の様に、同時にサッシュレスのハードトップに改造する例もあります。

今日突発的に発生したカスタムでは無く、現在カスタムが行われる車たちが現役時代に行われていたカスタムと言う意味で、大変に歴史の長いものでもあります。

後にこの手が廃れる理由として、50年代後半になると、アメ車が全体的に低く幅広くなったことと無関係では無いと思います。

実際この手のカスタムというと、殆どが30年代からテールフィンが付く以前の車・・・・という感じだと思います。

間違ってもスポーティーには見えないオリジナルの54年型シボレーが、これだけで結構カッコ良く見えるものです。
やはりルーフラインというものは、車のデザインを大変に大きく左右するものです。

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因みに、コチラがオリジナルの54年型シボレーです。随分と雰囲気が違うのがお判り頂けると思います。

中台と組めばサムスンに勝てる? ソニー反転攻勢、中国家電と提携交渉

ニュース
05 /13 2012

 ソニーがテレビ事業をめぐって、中国ハイセンス(海信集団)や台湾・友達光電(AUO)との連携を探っていることが相次いで明らかになった。背景には、世界のテレビ市場で独走態勢を築いているサムスン電子やLG電子など韓国勢の存在がある。ソニー以外にも、コスト競争力に優れた中国・台湾勢との連携を図る日本メーカーは急増しており、さまざまな分野で電機業界の韓国勢への対抗軸が形成されつつある。

 「テレビ事業の再生は喫緊の課題だ。黒字化して事業を継続していく」

 ソニーの平井一夫社長は今月12日の経営方針説明会でこう述べ、テレビ事業を2014年3月期に黒字化させるため、他社との提携もいとわない考えを強調していた。その選択肢として浮上したのが、ハイセンスとのテレビ事業の生産・販売面での提携交渉や、AUOとの有機EL(エレクトロルミネッセンス)テレビの共同開発だった。

 今回の提携交渉について、関係者は「中国国内での販路開拓もソニーの狙いだ」と語る。中国のテレビ市場は日本の3倍にも上る。しかも、シェアは首位のハイセンスを含めた中国勢が上位を独占。日本勢はおろか韓国勢も下位に甘んじており、ソニーはハイセンスの販路を活用することで大幅な販売増を図る構えだ。




やはりソニーには、もう人材が居ない様です。
サムソンとの提携がどういう結果をもたらしたか?技術の流出によって自らの首を絞めただけだったのではないですか?

韓国がダメなら中国や韓国・・・・・安易な発想ですが、結局同じ事にしかなりません。今のソニーなら、技術を根こそぎ持っていかれて、上手いように利用されて捨てられるのがオチです。

安易な提携がどういう結果をもたらすか・・・・?やはり技術畑でない人には、その辺が分からないのでしょう。

ローバーSD1 ローバー最後の純イギリス設計

イギリス車
05 /12 2012
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昨日、バンクーバー市内で見慣れない車を見かけました。結構な大きさで後ろがファーストバック・・・・・アレは・・・・間違いなくローバーSD1でした。

1976年にブリティッシュ・レイランド(後のローバーグループ)から発売されたこの車は、それまでのローバーP6とトライアンフ2000シリーズを統合するモデルでもありました。

1952年にイギリス最大のメーカー「オースチン」と「ナッフィールドグループ(モーリス、MG、ウーズレー、ライレー)」が合併したのに端を発したイギリス自動車産業統合の流れは、結局この一社で12ものブランドを所有するに至りましたが、その内情は、経営不振企業の寄り合い所帯であり、経営が安定する事も無く、経営破たんから、政府の管理下に置かれることになりました。

正にそんなイギリス自動車産業の冬の時代に生まれたこの車ですが、斬新なデザインから、イギリス自動車産業の期待の星とも言われ、事実発売された年には、ヨーロピアン・カー・オブ・ザ・イヤーにまで輝いたものの、直ぐに品質的にも凄まじい車であることが知れ渡り、従来、定評のあったローバーP6やトライアンフ2000シリーズの替わりというには、余りにお粗末な車であるという評価が定着しています。

このローバーSD1は、日本にも少数しか入っておらず、しかも、当時のカーグラフィック誌の長期レポートにて、酷評されてしまいました。北米でも、当時から販売は不振を極めたこともあり、現在は絶滅状態、事実、北米で見かけたのは、昨日が初めてでした。

そんな車がニュージーランドには比較的豊富に残っている・・・・やはり有る意味特殊なマーケットなのです。

品質に関して言えば、何もローバーばかりでなく、ジャガーにしても、当時にイギリス車は、凄まじく品質が悪い事で知られている時代でした。

その後、ブリティッシュ・レイランドは、所有するブランドの殆どを廃止し、ローバー一本に絞ることになりました。
81年にはホンダとの提携が始まり、トライアンフ・アクレイムの名前でホンダ・バラードの販売が始まりました。そして、その流れは、ローバー全車がホンダ車ベースになるまでに至り、このSD1は、ローバー最後の「自社設計」の車でもあるのです。

日本でローバーの名前が一般的に知られる様になったのは、90年代以降、ホンダ時代以降の話であり、それ故に、この車の知名度は非常に低いものになっています。

因みに、この車の後を継いだのが、ホンダ・レジェンドベースのローバー800シリーズですが、FFでエンジンもV6のみと、SD1のファンには、やはり物足りないものでもありました。そして800シリーズにも、SD1の様なハッチバック仕様も用意されていたのですが、日本に導入される事は無く、その存在は、日本では余り知られていません。

58フォード・サンダーバード

フォード
05 /05 2012
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1957年フォード・サンダーバード・・・・2シーター時代の最終モデル

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1958年フォード・サンダーバード・・・・全く似ても似つかないデザインになりました・・・。


55年モデルとして登場したフォード・サンダーバードは、お洒落でコンパクトな2シーターとして登場しました。第二次大戦中、そして戦後にヨーロッパに駐留したアメリカ兵にとって、彼の地の様々なスポーツカーは、アメリカには無い新鮮な驚きでもありました。

そんな車を・・・という訳で、それをアメリカ式に解釈して作られたのがサンダーバード、そして、その2年前に登場したコルベットでした。現在は生粋のスポーツカーであるコルベットも、当初はサンダーバードと同じ様な、あくまでも雰囲気を楽しむ車でした。

ところが、サンダーバードがオリジナルのスタイルを保ったのは、僅か3シーズンだけで、58年には早くもモデルチェンジを受けるのですが、大幅にサイズが拡大され、より販売の望める4シーターに変更されての登場でした。

この車・・・・オリジナルの美しいサンダーバードを、どう弄ったらこうなるんだか・・・・?

・・・・と思って、よく観察してみました。

1.2シーターから4シーターへ
2.2灯ヘッドライトが4灯へ
3.鋭角のテールフィンは、2シーター時代の最終、57年式に準じている
4.グリルの形状も然り

そうやって見ると、意外と似てなくもないか・・・・とも思えてきました。

ライトが4灯になったこと、そして、サイドがゴテゴテしたこと・・・・この辺りが、雰囲気を変えている大きな要因の様です。

因みに、販売台数に関して言えば、58年以降の4シーターモデルの方が遥かに多いので、モデルチェンジとしては、有る意味成功したのかも知れません。
後に代を重ねる毎にゴテゴテになり、高級クーペとして発展して行くのですが、その反省から、初代サンダーバードの様な車・・・という事でマスタングが登場しました。

まあ、コチラもモデルチェンジで巨大化して、代を重ねる毎にオリジナルの良さが失われたという意味でも、共通していました。

因みに当初のライバルであったコルベットは、2シーターのままで、よりスポーティーに舵取りをして、販売台数は限られているものの、アメリカを代表するスポーツカーとして、今日まで生き残っています。


americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。