fc2ブログ

イーグル・ヴィジョン

イーグル
12 /31 2012
イメージ 1

イメージ 2

イーグル・ヴィジョンは、92年に発売された、当時(も)経営危機にあったクライスラーの最終兵器として登場したLHカーの一台でした。

クライスラー・コンコルド、ダッジ・イントレピッド、そして、このイーグル・ヴィジョンの3種類が用意されていました。

イーグルというブランドは、元々AMCの乗用車?の名前だったのですが、クライスラーがAMCを買収した後、AMCイーグル自体は直ぐに生産中止になったものの、名前だけが新たなブランド名として生き残ることになりました。

ところがその実態は、三菱や、AMC時代の親会社であったルノーの車のOEM販売が主で、この車が、同ブランド唯一の「アメリカ車」ということになります。

まあ、厳密に言えば、LHカー自体、ルノーベースのイーグル・プレミアの影響を大いに受けているので、純アメリカデザインとも言い難いのですが・・・。

クライスラーは高級志向、ダッジは若者向け、イーグルは・・・ヨーロッパ志向・・・という事であった様ですが・・・。

因みに日本で販売されたのは、このイーグル・ビジョンだったのですが、名前はクライスラー・ビジョンと呼ばれ、内装もクライスラーに準じた木目パネルを使用したものになっていました。

LHカーは98年にモデルチェンジを受けましたが、ニューモデルにはイーグルの名前が無く、近々イーグルのブランドが消滅するであろうことは、誰の目にも明らかでした。

結局98年一杯でイーグルブランドは廃止されています。

このLHカー自体、ホンダ・アコードよりも遥かに大きい車体、大きいエンジンが同程度の価格で買えるということで、大変に人気が有ったのですが、同時に耐久性には大いに疑問の有る車で、北米の整備業界では、故障の多さ、整備性の悪さで大変に嫌われたものですが、流石に近年、その姿を見かけるのは、少なくなりました。オマケにイーグルとなると、ほぼ絶滅状態とも思える位です。

写真は薄暗い所を携帯で撮ったので、画質が悪いですが、殆ど携帯のカメラを使わない私でさえ、撮ろうと思う位、珍しい存在なのです。

フロント周りが同時代のホンダ・プレリュード、リア周りも、オレンジ色のウィンカーレンズのせいか、何処と無く日本車的に見えなくもありません。
スポンサーサイト



市職員500m引きずり死、28歳男出頭し逮捕

ニュース
12 /30 2012
29日午前2時頃、京都府向日市寺戸町二枚田の市道で、近くに住む京都市交通局職員林土師将さん(51)が車に引きずられているのを、すれ違ったタクシー運転手が見つけた。

その後、林さんは振り落とされ、病院に運ばれたが、全身を強く打って間もなく死亡した。

府警向日町署はひき逃げ事件として捜査。同日午前10時頃、近くの建設業池上康介容疑者(28)が出頭し、「自分がはねた」と認めたため、同署は自動車運転過失致死と道交法違反(ひき逃げ)の容疑で逮捕した。

捜査関係者によると、池上容疑者は軽ワゴン車を運転し、林さんをはねた後、約500メートルにわたって引きずりながら走行したという。

池上容疑者は逃走後、仕事先の資材置き場で車についた血痕を洗い流したり、壊れた部品を取り換えたりしていたという。調べに対し、「ブレーキを踏んだが間に合わなかった。パニックになって逃げてしまった」と供述している。

どうも最近、こういう事故が多い様な気がします。
加害者は若者・・・・しかも車を修理して証拠隠滅まで図っているのが悪質です。

どうも最近、車を運転するに十分な「精神年齢」と「反射神経」を持っていない若者が多い様な気がするのです。
子供の頃から友達と喧嘩する事もなく、ナイフも持ったこと無い、危ない事は全て禁止され、まるで促成栽培のような状態で世の中に出て来た様な・・・。

車を運転するということを安易に考え、しかも、危険に対応できない、そして証拠隠滅を図る・・・かなり悪質だと思います。

私の友人の、日本人に部屋を貸している者が言う様に、「最近の日本人の若者は、明らかに以前と違う」というのと関係ありそうです。

「レクサス LFA」生産完了も“職人の魂”継承へ

日本車
12 /28 2012
イメージ 1

レクサスは2012年12月14日にLFAの世界限定500台の最後の1台の生産を完了した。品質検査、走行テストを経て、500番目の顧客へ納車される予定だ。2010年12月15日に最初の1台を生産して以来、ちょうど2年間で予定生産台数の500台をつくりきった。

究極の国産スーパーカーを目指して2000年から開発が進められてきたレクサスLFA。2005年に最初のコンセプトカーを発表し、2009年にようやく販売が決定。価格は3750万円~。2010年1月から予約が始まったが約2ヵ月ほどで予定の500台に到達。同年12月からトヨタ元町工場の「LFA工房」にて、職人の手で1日1台のペースで生産されてきた。

V104.8Lエンジン、560ps、最高速度は325km/h、0-100km/hはわずか3.7秒。そのエンジンサウンドはまさに芸術。「天使の咆哮」とも言わしめるほど美しい音色でオーナーを楽しませてくれる。“走る、曲がる、止まる”という車の性能を突き詰め、運転する楽しさがもたらす「感動・官能」を極限まで追求したレクサスLFAは、まさに匠の技の結晶であり、これぞ「日本のものづくり」の象徴と言える車だ。

レクサスLFAの生産は終了したが、その生産ノウハウとものづくりの精神は今後のレクサス車両に継承されていくという。

4000万円近い様な金を払える財力があるのなら、私なら文句無くフェラーリにします。
この手の車に、少々のカタログ上での性能差など、全く誤差でしかありませんし、経済性云々を語る事自体馬鹿げています。

それなら、単純にカッコいいフェラーリの方が・・・。

イギリスのトップギアでも、ジェレミー・クラークソンも「技術者の自慰行為」と切り捨てられました。

トヨタ2000GTの再来???というには、この如何にも「ガンダム世代」といった感じのデザインを何とかして欲しい所です。
正直、無駄なラインが多すぎです。
手作りも結構ですが、正直大量生産でも構わないので、もう少しマシなデザインにして欲しいですね・・・。

それにしても、これだけコスト度外視で、エンジニアも自由に出来る様な車でさえ、この程度ですか?

あと、名前も何とかして欲しいですね・・・・例えばキャデラックもそうですが、アルファベット3文字の名前って、正直覚え難いし、間違えて覚え易いんですよね・・・・。オマケに何とも無機質で愛着が沸きません。

例えばヨーロッパで一般的な、数字3桁・・・・この場合は、大抵クラス、排気量、シリンダー数といった意味があるので、まだ良いですね・・・。

まあ、どちらにしても、私レベルがどうこう言うべき車ではないので、この辺にしておきましょう。

ヤマハ発動機 川上源一社長の功罪

ヤマハ
12 /27 2012
イメージ 1
ヤマハのバイク第一号YA-1:同時期のホンダの質実剛健に比べ、極めて洗練されたデザインが特徴ですが、メカ的にはドイツのDKWを手本にしており、当初から独自設計に拘ったホンダとは違いました。

先日、ヤマハの記事を紹介したついでに、少しヤマハの事にも触れておきましょう。

ヤマハといえば、バイク業界のナンバー2、常にホンダに水をあけられた状態にありますが、両者の出だしは、全く異なっていました。

ホンダが本田宗一郎社長によるベンチャー企業であったのに対して、ヤマハは日本楽器を母体として、明治時代から既に長い歴史のある会社でした。
戦後、父嘉市氏を継いで若くして社長になった川上源一氏の元、楽器メーカーとしては元より、戦時中、飛行機のプロペラを作っていた時の工作機械を利用し、バイクの生産に参入したのです。

この川上源一なる人物、ヤマハのピアノを世界一にしたことでも知られていますが、同時に、一代でバイクを世界二位に育て上げたのも事実です。

ある時、ヤマハのピアノに、大変に厳しいクレームを付ける若者がいました。彼は東京芸大の学生で、名前を大賀典雄と言いました。そう、彼こそは後にソニーの社長となる人物なのです。
同じ頃、彼は東京通信工業(後のソニー)の発売されたばかりのテープレコーダーにも音が悪いとクレームを付けていました。

今なら、生意気な若造として、相手にもしないところなのでしょうが、彼の発言は、実に理路整然としており、機械にも詳しく、とても無視できない・・・・というのが、ソニー、ヤマハ双方の一致した意見で、両者とも熱心に入社を誘ったといいます。

ところが、彼の本業は音楽家であり、卒業後、ドイツに留学する事が決まっており、どちらの話しも受けませんでした。

そこでソニーがやったことは・・・・大賀氏に留学資金の一部を援助したのでした。結局その事が、帰国後のソニー入社に繋がり、事実、ソニーの拡大~最盛期の社長として活躍したことは知られています。
当時のソニーは一介の中小企業に過ぎず、それ故に、こんな決断が可能だったのでしょう。

後に川上源一氏は、あの時、大賀氏をソニーに取られたのが一生の不覚だったと語っています。

川上氏は、77年に65歳で「足元が明るいうちにグッドバイ」という名文句を残して社長を辞任し、後任の川島博氏(ホンダ2代目社長、川島喜好氏の実弟)に経営を譲ったものの、本田宗一郎氏とは違い、何かと経営に口をだし続け、結局川島氏を解任、自らが社長に返り咲いてしまいました。
時代は、HY戦争と言われ、車に力を入れる反面、バイクが手薄になったホンダを、ヤマハが追い上げ、トップになろう・・・としていた時期でした。

ところが、車の開発が一段落したホンダは、再びバイクに力を入れ、ニューモデルを投入すると、アッサリと再びヤマハを引き離すのですが、バイクブームと呼ばれた当時、両者共ニューモデルを乱発しました。
そして、その戦いに敗れたヤマハは、大量の不人気車を在庫に抱え、経営赤字に陥ることになりました。
オマケに長男の浩氏を次期社長に据える等、独裁体制は益々強固になる反面、業績は伸び悩み、結局事実上、社内クーデターという形で川上親子は会社を追われることになりました。

現在、川上源一氏の事を良く言う人は、決して多くありません。
独裁者、HY戦争の戦犯・・・・確かにヤマハがホンダに適わなかった理由の多くは、彼のせいとも言えるのかも知れません。

長く社長に居座り続けたヘンリー・フォードが、結局業界2位に甘んじる切っ掛けを作ったのと同じ様に・・・。
そして、メディアとの付き合いが物凄く下手であった事も、それを後押ししているのかも知れません。

しかし、浜松の楽器メーカーを世界一の楽器メーカーにして、バイクを世界二位まで育て上げた経営は、決して間違ってはいなかったと思いますし、もっと評価されても良いと思います。

例えば住宅事情の悪い日本の為に開発されたエレクトーン、ピアノを販売するだけでなく、音楽教室を全国展開することでパイを広げ、毎月少々の積み立てでピアノの購入資金を貯める・・・・という大変に斬新な発想は、現在にも通用するものと思います。

トヨタ、5年ぶり新型クラウン 豊田社長「デザインと走りに徹底的にこだわった」

カーデザイン スタジオ
12 /26 2012
イメージ 1

トヨタ自動車は25日、高級セダン「クラウン」2シリーズを約5年ぶりに全面改良し、発売した。高い静粛性や乗り心地のよさを受け継ぎながら、新開発のハイブリッド(HV)システムを搭載し、燃費性能も高めた。価格は353万~543万円。シリーズ全体で月4000台の販売を目指す。

HVモデルは、排気量2500ccの直列4気筒エンジンと高トルクモーターを組み合わせたFR(後輪駆動)専用HVシステムを採用。走りを損なわずにガソリン1リットル当たり23.2キロまで燃費を向上させた。

豊田章男社長は「クラウンは日本の、日本人のプライドを乗せて走ってきたクルマ。新型クラウンはデザインと走りに徹底的にこだわった」と自信を見せた。

クラウンは1955年発売。日本を代表する高級車で、官公庁などの公用車や企業の社用車にも使われている。


凄まじい色です。レクサスLSの時も、そのデザインは酷評させていただきましたが、コレも負けず劣らず酷いですね。
安物のエアロの様なフロントバンパー、巨大で下品なグリル、極め付けは、このピンク・・・・若返りを狙いたいのは分かりますが、こんなの、若者だって乗らないでしょう。

百歩譲って、こんな色が選べるのは、まあ問題無いにしても、間違ってもイメージカラーとして、発表会に持ち出し、その前でトヨタ社長が笑顔を見せる辺りの神経は理解できません

日本のメーカーは、スポーティー、若々しさ・・・・という風に考えると、間違い無く下品で安っぽいデザインになりますが、コレも例外ではありません。

コレで徹底的に拘ったというのなら、トヨタの実力というのは、この程度なのでしょうし、逆にこの程度で「徹底的に拘った」なんて言えてしまう辺りが、恥知らずだという事に気付いていないのでしょうか?

現在のトヨタの社長は、自分はデザインが分かる、自分もデザインに口を出すと公言した人物です。その結果がコレでは・・・・。

こういう色の改造車に乗っているひとが、コレを買うとは、絶対に思えないのですが・・・・。

イメージ 2
それとも、こんなのを狙っている・・・・訳無いですよね・・・・。

メリークリスマス!

無題
12 /24 2012
ココ、カナダでは、明日がクリスマスイブになります。
どうも最近、バンクーバーの街から、クリスマスの雰囲気が消えたと思うのですが、既に白人の割合が5割を切っている現状とも無関係では無いのでしょう。




このエピソードは、個人的に好きなので、貼り付けておきます。
「おそ松くん」というのは、赤塚不二夫の有名な漫画ですが、正直私には微妙な存在でした。第一回目のアニメ化は、私の前の世代であり、第二回目は、私が大人になってからで、どちらも接点はありませんでした。

そんな中で、このエピソードは、何故か当時、テレビで観たのですが、あれから20数年経った現在の方が、より印象的でした。

おそ松くんというのは、6つ子が主役で、イヤミ、チビ太、旗坊・・・・といったキャラクターが居ますが、この第二回目の放送の時は、毎回、様々な異なった背景に、毎回同じ登場人物が、別の役で登場するという方法が取られています。

だれが主役という訳でも無いのが、ある意味、大変に珍しい作風だと言えるでしょう。赤塚作品故のハチャメチャの中にも、何か心温まるエピソードが点在しているのが、本作の特徴でしょう。

クリスマスイブだからこそ、紹介したい作品です・・・・。

「すべての学校に武装警官を」NRA、乱射事件受け訴え

ニュース
12 /22 2012

 【ニューヨーク=中井大助】米コネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件を受け、全米ライフル協会(NRA)は21日、記者会見し、「すべての学校に、武装した警察官を配置すべきだ」と訴えた。「銃犯罪を防ぐためには、銃規制は逆効果」はNRAの従来の主張だが、今回の提言については保守的な政治家からも疑問が上がっている。

NRAは事件が14日に発生して以来、沈黙を続けていたが、「意味のある貢献をする用意がある」として記者会見を開いた。「銃を持った悪いやつを止められるのは、銃を持ったいいやつしかいない」と警察官の配置を呼びかけたほか、暴力的なゲームや映画の多さが犯罪の根底にあると主張し、新たな銃規制には反対した。会見は途中で2回、「NRAが子どもを殺している」という抗議によって遮られた。

銃規制を求めてきたニューヨークのブルームバーグ市長は会見を受けてさっそく、「NRAは自分たちが生み出してきた問題に向き合わず、万人が武装し、どこも安全でない、より危険で暴力にあふれた米国のビジョンを示しただけ」と批判した。

朝日新聞社

NRA(全米ライフル協会)というものが、如何に信用に値しないカス集団かということを、正に体現したコメントです。

「意味のある貢献をする用意がある」・・・・・己の責任を棚に上げ、なんとも横柄かつ無責任な言い草です

銃の規制は無しで、更に全ての学校に武装警官・・・・これは即ち、更に銃器の需要が増えるという事に他ならず、このNRAという集団が、兵器産業の手先であることを如実に語っています。

正にアメリカの癌そのものです。

1985年型 ハーレー・ダビッドソン スーパーグライド

海外メーカー
12 /19 2012
イメージ 1
85年型スーパーグライド・・・かなり弄ってありますが、コンパクトなFL系フレームが、極めて良い味を出しています。

85年型ハーレーというのは、知る人ぞ知る、極めて特殊な存在なのです。

それまでハーレーのビッグツイン系というと、旧式のFL系エンジンリジットマウント、ツアーグライド系のラバーマウント、そしてFXR系のプレスフレーム・・・という風になっていました。

1984年モデルとして、そこにソフティルと呼ばれる、昔のノーサス風スタイルのフレームが登場していますが、これは、同時にエヴォリューションエンジンという新型エンジンを搭載していました。

84年モデルでは、ソフティル以外は、旧来のショベルヘッドエンジンが載っており、この年が最後のショベルヘッドとして、密かに人気があります。

そして85年には、全車エヴォリューションエンジンになるのですが、あの旧式のFL系フレームにエヴォリューションエンジンという組み合わせは、実はこの年にしか存在していないのです。

写真は。85年式スーパーグライドですが、他にもローラーダー、ワイドグライドといったモデルは、旧来のFL系フレームを使用していました。

翌年から、スーパーグライドとローライダーは、FXR系のラバーマウントに統合され、デザイン的にも大きく様変わりしてしまいました。

デザイン的にも、カスタムのし易さという面でも、FL系のフレームは大変に人気が有り、後に登場するダイナ系は、このFL系のデザインを手本にしていますが、同時に一回り大きくなっており、若干雰囲気をスポイルしています。

旧式のFL系フレームには、5速ミッションが載らないという欠点が有ったのも、生産が打ち切られた理由なのですが、1958年にハーレーにリアサスが装備されてから、生産中止になるまで、殆どその姿を変えていなかっただけあり、オリジナルのハーレーならではの風格が漂っています。

85年型とはいっても、今や完全に忘れ去られた存在ですが、個人的には、一番気になる年式だったりします。

ヤマハ発動機、超小型の車を生産・販売へ

ニュース
12 /18 2012
二輪大手のヤマハ発動機は18日、超小型の車の生産を2013年後半から始めると発表した。

 同社は他のメーカーから小型車生産を受託したことはあるが、独自に生産、販売するのは初めてだ。
 複数の車種を開発中で、具体的な仕様は来夏発表する。柳弘之社長は記者会見で「二輪よりも安全で快適な乗り物を求める利用者に応える」と説明した。
 ヤマハ発動機が同日発表した13~15年の中期経営計画では、15年12月期の連結売上高を1兆6000億円と、12年12月期予想と比べて33%増とした。インドで二輪工場を新設するなど生産能力を拡充し、主にアジアで販売を増やす計画だ。
(2012年12月18日20時30分  読売新聞)

同じくバイクメーカーのホンダが自動車に進出したのは、60年代前半のことでした。

当時の日本の自動車メーカーというと、まだまだ欧米に大きく水をあけられており、65年の輸入車解禁を目前に、殆どのメーカーが生き残れないというのが、大方の予想でした。

そんな中で、自動車に進出しようとしたホンダに待ったをかけたのが、運輸省でした。
曰く、「これ以上日本に自動車メーカーは必要無い、貴方達はバイクを作っていれば十分」ということだったのです。

そして、その役人に対して「俺の会社が何作ろうと、俺の勝手だ」と啖呵を切ったのが、あの本田宗一郎社長で、その後の歴史を見ると、結局ホンダの決断は正しかったということになります。

同時期、スバルは早くも高級車市場に打って出ようとしたものの、運輸省のトヨタ、ニッサンを優先する政策から待ったがかかり、計画を中止したことが、同社の運命を大きく変えたのも、また有名な話しです。

ヤマハは、古くはトヨタ2000GT(実質ヤマハ2000GTとも言われています)、トヨタのDOHCエンジン等、車に大きく関わりながら、何処か無難を良しとする社風からか、一歩踏み出せずにいました。

今の所国内最後発のホンダから、遅れること半世紀・・・・技術も経験もあるメーカーだけに、一体どんな車になるのか、実に興味深い話しです。

クリームとエンジ…国鉄カラーの特急が引退へ

無題
12 /18 2012
イメージ 1

JR西日本は、特急電車「こうのとり」(新大阪―城崎温泉間)などに使われている旧国鉄型車両「183系」を、来春のダイヤ改正を機に廃車とすることを決めた。
 車体をクリームとエンジで塗り分けた国鉄特急カラーで長年親しまれてきたが、老朽化に伴い、全28両が姿を消す。
 183系は国鉄時代の1972年に関東の内房、外房両線に登場。西日本では86年に山陰、福知山両線で電化が完了したのに伴い、別の車両を改造した183系を、特急「北近畿」(こうのとりの前身)として運用を始めた。
 87年の分割民営化後、京都発の「きのさき」「はしだて」とともに、日本海へのカニツアー列車としても人気を集めたが、JR西は2011年に新型の287系を投入し、順次、車両の入れ替えを進めていた。
 JR東日本は臨時運行で存続させている。
(2012年12月18日16時02分  読売新聞)


かつて日本で特急というと、正にこの色でした。この色は、スピード、そして旅情の象徴として、長年日本で親しまれてきたのです。

ところが最近のデザインはどうでしょう?私は常々色も含めて、車のデザインを批判していますが、これは鉄道も同じ事です。これが最新の車両ですが、何とも無味乾燥に見えるのです。

この形に関しては、敢えて文句は言いませんが、せめて色位、かつてのあの色に出来ないものでしょうか?

私は、車を景色の一部だと考えていますが、鉄道も景色の一部です。
イメージ 2

古臭い云々は抜きにして、無条件にあの色は、日本の景色に似合っていると思いますし、アレが一緒に写っているだけで、景色がより魅力的に見えます。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。