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ボイジャー1号、数か月後にも太陽圏を脱出

ニュース
06 /29 2013
 36年前に打ち上げられた米探査機「ボイジャー1号」が数か月から数年後に、太陽から吹き出す太陽風が届く範囲(太陽圏)を脱出する見通しになった。
 米航空宇宙局(NASA)が発表した。太陽圏を出れば、恒星間の空間に到達する初めての人工物になる。
 ボイジャー1号は打ち上げ後、惑星の重力を利用しながら進み、現在は太陽から180億キロ・メートル(太陽と地球の距離の約120倍)離れた地点を飛行中。長寿命の特殊な電池を搭載し、地球と定期的に通信している。知的生命体との遭遇に備え、地球の音楽や言語を録音したレコードも積み込んでいる。
 NASAは「ボイジャー1号は人類が最も遠くまで送り込んだ偵察隊。太陽風は劇的に減少しており、恒星間の空間が視野に入りつつある」としている。
(2013年6月29日11時21分  読売新聞)

ボイジャー1号が打ち上げられたのは1977年、2年後に木星に接近し、それまでの常識では考えられない程、素晴らしく鮮明な画像を送って来て、世界中を驚かせたものでした。木星に輪が存在していたこと、そして、衛星イオには、極めて活発な活火山が存在しているのを確認したのも、この時でした。

更に80年には、土製と、その衛星タイタンに接近し、数多くの鮮明な画像を送って来たのは、記憶に新しいところです。

土星を最後に、ボイジャー1号の役目は終わり、兄弟機のボイジャー2号が、土星、天王星、海王星を探索し、共に現在、役目を終えています。

それにしても、あれから36年にもなるのに、まだ太陽系内に居るということから、如何に太陽系が大きいかが判るというものです。

今でも交信可能ということですが、どの程度のデータを受け取ることが可能なのでしょうか?何れ、例のゴールドディスクを使う機会が有ったら、面白いですね。
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ティレル・P34

無題
06 /26 2013

70年代のF-1というと、今と比べると、安全面で特に未熟で、毎年の様に、有名ドライバーが事故で亡くなっており(因みに80年代は二人!!)、事故と同時に凄まじい炎を吹くマシンといい、大変に血生臭いスポーツという印象がありました。

その70年代に於いて、強烈に印象に残るのが、このティレル・P34(当時はタイレルと表記されていました)でしょう。

後ろ半分はごく普通ながら、前輪が4輪で、トータル6輪という化け物でした。

F-1のマシンというのは、実は意外な程、空力特性に優れていないのですが、その大きな理由が、左右に大きく張り出した、巨大なタイヤによるものです。

それを何とかしようとしたのが、このP34で、フロントタイヤを小径化し、フロントカウルに納めることで、空気抵抗を低減させたのですが、同時に、小径タイヤによって生じる「接地面積の不足」を補う為に、フロントを4輪にしたのです。

大変に面白い試みながら、空力特性に関しては、思った程効果が無かったこと、他にも小径タイヤの開発等、問題もあり、結局76、77年の2シーズンのみで、姿を消すことになりました。

他にも、ウィリアムズやフェラーリも、コチラは後輪を4輪にしたものを開発したものの、実戦投入されることはありませんでした。

そして、1983年には、正式に6輪車は禁止となりました。

このティレル・P34が何故6輪になったか・・・?という話しですが、現在は、ネットで調べれば、誰でも見つけることの出来るものです。
私がコレを最初に聞いたのは、私が自動車整備の学生だった頃でした。
シャシーの授業で、トラックが車軸の数を増やす理由=重量の分散を、数式を交えて習っていた時、もしかしたら、ティレル・P34も・・・・と、ふと思い付き、授業の後で、先生に質問した時に教えて貰ったのです。

当時は、当然インターネットなど有る訳も無く、昔の事を知りたければ、環八沿いにあった書店「リンドバーグ」や、神保町辺りで古いカーグラでも探して・・・そんな時代だったからこそ、この話は、強烈に印象に残っていました。

全てがコンピューターで徹底的にシュミレーションされる現在、こんな手づくり感溢れる車、絶対に出ないでしょうね・・・。

因みに、何故急にこんな記事を書いたか・・?というと、実は、コイツを見てからでした。

イギリスの人形劇「サンダーバード」に出てきたものですが、フロント4輪・・・乗用車でどんなメリットが有ったのか、知りたいところです・・・。

クライスラー・ル・バロン

クライスラー
06 /26 2013
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写真は、80年代半ば頃のクライスラー・ル・バロンです。
80年代のクライスラーは、81年に登場したダッジ・アリエスとプリマス・リライアント(通称Kカー)をベースにした開発に終始しましたが、この車も、同様、初代Kカーのクライスラー版ということになります。

同じく、一クラス上のニューヨーカーも、このKカーをベースにしましたが、コチラは一回りサイズが大きいもので、ル・バロンは、ダッジ/プリマスのソレを、そのままバッジエンジニアリングしたモノだと言えます。

しかし、改めて見てみると、クライスラー=上級嗜好というのが、比較的上手く表現されている様です。

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コチラが、より廉価版のプリマス・リライアントですが、ル・バロンの4灯ヘッドライト、クロームの使用方法、ビニールトップといった、所謂旧来のアメリカ的デザインが、上手い差別化を生んでいる様です。

逆に言えば、それだけの違いで、高級車が成立してしまったのが、当時のアメリカなのですが・・・。

このKカーという車、後にミニバンのベースになったことでも知られており、従来のバンが、トラックベース、そして80年代に登場したミニバンは、乗用車ベースという図式のパイオニアでもありました。

間違っても高級感とか、カッコイイとか言う類の車ではありませんでしたが、昔仕事で結構乗ったのですが、コンパクトな車体の中に、大変に上手くアメリカ的な味を織り込んだという印象があります。

同世代のキャバリエに感じた閉塞感も無く、小さいながらもユッタリと、フワフワと快適に走ってくれる車でした。

昔からアメリカは小型車が下手だと言われています。確かに粗雑な車も沢山ありましたが、この車の様に、結構上手く纏めたものも有ったのです。
クライスラーが、GMやフォードに比べ、こうやって比較的上手く小型車を纏めた理由として、やはり、かつて傘下に治めていたイギリスのルーツグループと、フランスのシムカによる影響も大きいことでしょう。

リー・アイアコッカ氏がクライスラー社長に就任したのは79年、既にルーツやシムカを手放した後でしたが、それでも上手く手に入れる所は手に入れたのでしょうか?

惜しむらくは、やはりクライスラーの常で、品質的に貧弱だったことなのですが、それでも、シンプルで誰でも修理出来る構造にも好印象が有りました。

結局、アメリカという国は、仮に良い車が出来ても、それを熟成して正常進化させてやるのが下手なのです。

EXILE 銀河鉄道999 仏作って魂入れず・・・

映画・音楽
06 /23 2013

1979年の忘れ得ぬ出来事の一つとして、銀河鉄道999の上映が挙げられます。
それまでの原作、テレビアニメのストーリーを、より壮大なスケールに格上げする為、主人公の年齢が10歳~15歳に上げられたのも、面白い試みでした。

後に「ドラえもん」で、のび太がアニメ、映画で1年年上に設定される様になったのも、同様の理由だそうです。

当時は、松本零士の正に絶頂期。彼の壮大な宇宙観溢れるストーリーは、アポロ計画、パイオニア計画、ヴァイキング計画、ボイジャー計画、来たるべく81年のスペースシャトル計画・・・と、壮大な宇宙プロジェクトが大いに注目されたあの時代で、宇宙旅行ももう目の前・・・そんな風潮があったからこそ、余計に支持されたのかも知れません。
壮大な未来、宇宙世界、そしてその原点にある松本零士の原点「大四畳半物語」の様な古典的かつ素朴な世界が、実は表裏一体であること・・・この辺りも、松本作品の真骨頂と言えるでしょう。。

そして、もう一つ忘れることが出来ないのが、ゴダイゴによる主題歌でした。
従来、アニメの主題歌というのは、専門の歌手が歌うのが定番で、当時多数有ったアニメの大部分が、似たような顔ぶれで歌われていたのです。そんな中で、当時人気絶頂のロックバンド、ゴダイゴが主題歌を・・・コレも大いに話題になったものでした。

特にこの歌に関しては、作曲のタケカワユキヒデ氏も、「抑揚感」を徹底的に追求したとかたっていますし、作詞の奈良橋陽子女史も、明るく希望の溢れる世界・・・コレを追求したといいます。
そして、ミッキー吉野の神業的な編曲・・・・こういった、類稀なる天才が編み上げた、実に高度で繊細な曲だったのです。


あれから30年近く経ったある日、EXILEというバンドが、銀河鉄道999をカバーしているということを聞き、ネットで調べてみました。
私自身、現在、私生活でも全く音楽と無縁な生活を長く続けています。それは、新たに出てくる曲に、感心した試が無く、以前より良くなっている様には思えないからで、当然ながらEXILEという名前も初めて聞きました。

・・・何だコレは・・・・確かに今風のリズムにはなっていて、小奇麗に歌ってはいるものの・・・・。
正直コレじゃ、あの映画の主題歌には使えませんね。原曲に有った、「今から正に飛び立つ」という抑揚感が皆無なのです。
単調かつ無機質なリズム、ダラダラした歌い方・・・全てが惰性で適当に・・・・正直、そういう風に聞こえてしまうのです。

例えばあの歌は、歌の出来もそうですが、ゴダイゴの高度な演奏能力無しには語れないのです。

結局その辺りを曖昧に、ただ人気グループに歌わせたところで・・・所詮は「車のレトロスタイル」と同じで、「仏作って魂入れず」です。

原曲間奏部分は、ミッキー吉野の素晴らしい指使いが見せ物ですが、コチラは訳の分からないラップに置き換わっています。

まあ、売れりゃ良いんでしょうし、若い人には、コチラの方が親しみ易いんでしょうが・・・・当時を知る世代としては、大変に残念な仕上がりです。

裏話として、手違いで、カバーの話が、タケカワ氏の耳に入る前に、タケカワ氏がテレビで聴いてしまったという事だったようです。社交辞令で嬉しかったと仰って居ましたが、実際はどうなのでしょうか?

まあ、安易なカバーが原作より良かった試が無いのですが・・・。


三菱UFJ、タイの大手銀を4千億円で買収へ

ニュース
06 /22 2013
三菱UFJフィナンシャル・グループは、タイで資産規模5位のアユタヤ銀行を約4000億円で買収する方針を固めた。

 邦銀のアジアでのM&A(合併・買収)としてはこれまでで最大規模となる。国内での融資が伸び悩む中で、海外事業を強化する戦略の一環で、アユタヤ銀の買収で中小企業向け融資や住宅ローンなどの取引を強化し、タイでの業務拡大を図るとみられる。

 株式公開買い付け(TOB)により、アユタヤ銀の発行済み株式の51%以上の取得を目指す。株式の25%を持つ米ゼネラル・エレクトリック(GE)やオーナー家と調整を進めており、7月初旬にも合意する見通し。実現すれば、邦銀による海外金融機関の出資案件としては、08年に三菱UFJが実施した米モルガン・スタンレーへの出資(約9000億円)に次ぐ規模となる。

(2013年6月22日12時13分  読売新聞)

日本の銀行が、如何に大儲けしているか?を象徴する出来事です。

バブルの後遺症で大やけどを負った日本の銀行を救済する為に、金利ゼロ政策が実施されました。
あれから20年近く経つというのに、金利ゼロはそのままです。

そして、大儲けした金が海外企業へ流れる・・・・。

そんな事をやっているヒマがあったら、業務の国際化を進めるべきですし、預金者に対して、相応の利子を払うのが先でしょう。

護送船団方式から脱却したと言いながら、一体何が変わったというのか?正直海外の銀行を体験すると、日本の銀行は、挨拶の丁寧さ以外は何も良い所がありません。

結局何も変わらないんでしょうね・・・。

出会い系サイトで2千万円払った男性が逆転勝訴

ニュース
06 /20 2013
サクラを使った出会い系サイトで利用料をだまし取られたとして、福岡県の男性が横浜市のサイト運営会社「フロンティア21」に約2200万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁(滝沢泉裁判長)は19日、請求を棄却した1審・横浜地裁判決を取り消し、同社に全額の賠償を命じる判決を言い渡した。

 判決によると、男性は2009年に同社運営の4サイトに登録。女性会社役員を名乗る人物からメールで「経営の相談に乗ってくれれば3000万円払う」などともちかけられ、2000万円超の利用料を支払って2000通以上のメールをやり取りしたが、相手に会うことはできなかった。

 昨年6月の1審判決は「メール相手がサクラかどうか明らかではない」としたが、高裁は「被告が組織的に使っているサクラと見るほかなく、詐欺に当たる」と結論づけた。同社側は「コメントしない」としている。
(2013年6月19日21時31分  読売新聞)

確かにサイト側のやり方は酷いものですが、「出会い系サイト」で、そんな大金の絡んだ話しが出て来た時点で、何かおかしいと思うのが普通なのではないでしょうか?

例えば、そのサイトで出会ったにしても、本当に相手が助けを必要としているなら、「利用料金」が掛からない連絡方法に変えてから、連絡を取り合うのが普通でしょう。

そうでなく、ずっと利用料金の掛かる方法のみで連絡を取り合う・・・それだけで良心的な相手だとは思いませんし、十分に変だと思うのですが・・・。


ローバー400シリーズ

イギリス車
06 /17 2013
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ローバー400シリーズは、元々ホンダ・コンチェルトの兄弟車として登場しました。

コンチェルトという車は、イギリスのオースチン・ローバーグループとの共同開発によって生まれた車で、シビックをベースに、よりヨーロッパ的な雰囲気を持たせたもので、車格的にも、アコードとシビックの中間に位置します。

同じくシビックベースの車として、インテグラが有りましたが、コチラはアメリカメインで、コンチェルトはヨーロッパメインという風に販売されました。

ところが、コンチェルトという車、その質実剛健な作りとは裏腹に、人気はイマイチで、次世代では、ドマーニと名前を変え、これもシビックをベースにした車でした。

そして、写真の2代目ローバー400は、このドマーニをベースにした車でした。
ドマーニも、大変によく出来た車ではあったものの、内外装共に、何とも地味で貧相なデザインで、コンチェルトに有った何処と無くヨーロピアンな雰囲気も、完全に消え失せていました。

街でコレを見かけたら、ホンダの営業マン?と思う位だったと思います。

ところが、あの地味なドマーニでさえ、ローバーの手に掛かると、見事なヨーロピアンテイストになるのです!

2代目が登場したのは、1995年、前年にBMWによるローバー買収が決定されており、以後、ホンダとの関係が弱まり、搭載されるエンジンも、ローバー製のものが主になっていったものの、ホンダのエンジンを選択する事も可能でした。

あんな裏切り同然の強引な買収劇であった割には、随分とホンダも寛大な対応をしたものです。

この、何処と無くクラシカルで、かつ優雅なスタイルには、特にノイズ処理の面で、ローバーエンジンの方が雰囲気的に似合うのですが、何度も言う様に、耐久性に関しては、大いに問題が有りました。

後に、ローバー45と名前を変え、もう一度モデルチェンジを受けていますが、1999年というと、BMWがローバーを放棄する1年前のことでした。コチラのモデルは、マイナーチェンジに近いものでしたが、エンジンは、全てローバー製のものとなってしまい、その品質は押して知るべし・・・2005年の経営破たんと共に生産中止になっています。

現在、部品の供給も含めて、ローバーを維持するのは、大変に難しくなってきましたが、2代目400シリーズのホンダエンジンの搭載車が、ある意味、一番手頃なローバーかも知れません。

あのドマーニをベースに、これだけ上質なデザインを出来る会社だっただけに、当時のデザイナーは、今、何処で何をしているのか?気になるところです。
あの時、BMWでなく、ホンダに買収されていれば、ホンダのデザインも、飛躍的に向上したのかもしれません・・・。

因みに、ヨーロッパ仕様のコンチェルトは、オースチン・ローバーグループの工場で、ローバーと一緒に生産されていたものの、組み立て完了後、コンチェルトのみ、ホンダの工場に送られ、再検査を受けていたということで、当時のオースチン・ローバーグループの品質の稚拙さを裏付けるエピソードとなっています。

サザエさん一家の銅像、課税対象に…商店街困惑

ニュース
06 /13 2013
 東京都世田谷区の東急桜新町駅周辺の名物、「サザエさん」一家の銅像が課税対象となり、都から設置者の地元商店街に納税通知が届いていることが分かった。

 都は「PR目的の看板と同じ」としているが、商店街側は「税金を取られるとは思わなかった」と困惑している。
 桜新町では原作者の長谷川町子さんが住んでいた縁で、地域活性化のシンボルに「サザエさん」を活用。桜新町商店街振興組合は昨年3月、漫画誕生から65周年(2011年)に合わせ、駅周辺に銅像計12体を設置した。費用は都と区の補助を含めて4200万円だった。

 同振興組合によると、今月3日付で、都税事務所から58万9200円の固定資産税(償却資産)納税通知書が届いたという。坂口賢一理事長(46)は「都に減免を求めているが、だめなら支払うしかない。なんとかならないものか……」と話している。
(2013年6月12日13時42分  読売新聞)

最近、この手の銅像が結構有る様ですが、結構高価な物ですね・・・。

正直この手の銅像って、漫画のソレに大して似ていませんし、悪戯の対象になり、「髪の毛が無くなった」なんて言って、ニュースで扱われる始末です。

正直、こんなモノが町に立っているのは、景観としても良いとは思えませんし、大体さっきも言った様に、似てない上に不気味なだけだと思います。

どうせなら、色つきのマネキンとか、せいぜい絵つきののぼり程度にしておいた方が良いと思うのですが・・・。
桜新町には、20年も前から、サザエさんの絵の描かれた看板等が有りましたが、それで十分だと思います。

モノレール軌道貫通、駅もあったビル解体へ

ニュース
06 /12 2013
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 大阪万博(1970年)の4年前に全国で初めて建設された公営モノレールの軌道が貫通する兵庫県姫路市内の集合住宅(10階建て)が解体されることになった。
 貫通部分の耐震性が弱いため大地震で倒壊する恐れがあるとして、所有する都市再生機構(UR)が決めた。建築当時は「画期的なデザイン」とされたが、高度経済成長期の斬新な造りがあだとなった。
 モノレールは66年に開かれた姫路大博覧会に合わせ、市が14億円を投じて整備。当時の国鉄姫路駅から、会場だった市内の手柄山中央公園間の約1・8キロを結び、同年5月から運行したが、利用客が伸びず、8年後に休止。79年に廃止された。
 ビルは建設時に市が1~4階を買い取り、3、4階を貫いて駅ホームに。1、2階に店舗が入った時期もあったが、現在は市が倉庫として利用し、5~10階のマンションには77戸のうち約3分の2が入居する。
 モノレール跡は「昭和遺産」として鉄道ファンらに知られ、「ビルの中を見たい」との問い合わせもあるという。しかし、阪神大震災後に行われた耐震診断で「震度6~7で倒壊・崩壊の危険性あり」とされ、URは補強を検討していたが、コスト面などから断念した。
(2013年6月11日18時00分  読売新聞)


この姫路モノレールというのは、1966年に開通、姫路から手柄山公園を繋ぐ新交通システムとして登場したものでした。
ところが、駅はたったの3つで総延長1.8キロ、しかも、行き先が公園・・・これでは、利用者が増えるはずも無く、8年後には、早々と廃止となってしまいました。

写真の「大将軍駅」は、丁度中間地点にあるもので、写真でもも判る様に、ビルの中を、モノレールが貫通しています。

姫路という町は、古くから車社会であり、60年代後半には、既に深刻な渋滞でも知られていました。そんな中、モノレールと居住空間を一体化・・・まるで小松崎茂氏のイラストにも出てきそうな先進的かつ合理的な発想だったのでしょう。

これも、例えば海沿いの播磨臨海工業地帯まで延長できていれば、また話は違ったのかも知れません。

私が姫路に住んでいた当時、既にモノレールは廃止された後で、そんなモノが有ったことすら知らなかったので、この建物は、何とも不思議にみえたものでした。

60年代の「未来の世界」は、現在の廃墟・・・廃墟ブームのお陰で、少しはこの建物も注目された様ですが、流石に耐震構造とあっては、仕方ないのかも知れません。

「モノレール軌道貫通、駅もあったビル解体へ」というこのタイトルを目にしただけで、「コレは姫路のことじゃ・・・?」と瞬時にひらめいたのは、やはり一時とは言え、この地に住んでいたからなのでしょう。

ホンダ・インスパイア/ アキュラ・ビガー

日本車
06 /11 2013
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2、3代目アコードまでは、ビガーという名前は、アコードの兄弟車で、ベルノ店の販売車種でしたが、89年に4代目アコードが登場する時、インスパイア/ビガーは、アコードの上級車として独立して登場しました。

ホンダは、85年にレジェンドを投入しましたが、アコードとレジェンドの隙間を埋める車種で、トヨタのマーク2に相当するクラスでした。

この車の最大の特徴は、FFながら、直列5気筒という風変わりなエンジンを、縦置きにした「フロントミッドシップ」というレイアウトでしょう。

80年代にFFが一般化しましたが、それは、エンジンを横置きにすることで、ボンネットの長さを抑え、しかもトランスミッションやデフといった駆動系をボンネットの下に収めることが出来るので、トータルで居住空間を大きく取れるからでした。

ところが、この車の場合、直列5気筒の縦置きというレイアウトから、エンジンが長く、それは直接ボンネットの大きさに繋がっています。トランスミッションも、FR車の様に、センターコンソールの部分に張り出しているので、他のFF車の様な、足元が広々とした感じはありません。

ホイールベースは2,805mmと、全長4.7m少々の車としては、異例に長いものになっていますが、コレは、単に「前輪」が前に移動しただけなので、居住性には何ら好影響は無く、事実、一回りコンパクトなアコードの方が、前後席共、居住性に優れていました。

当時のホンダのアナウンスでは、このレイアウトのお陰で、前後の重量配分が50:50に出来、スポーティーなハンドリングが可能になったと言っていますが、実はFFの場合、前輪荷重を小さくするのは、危険なことでもあるのです。

車が加速する時は、必然的にフロントが浮き気味になりますが、FFの場合、下手に前輪荷重を軽くすると、その浮き上がりから、加速時にスリップを起こしてしまうのです。

事実、その軽い前輪荷重のお陰で、特に雨の日の発進時は、必ずスリップを起こしたもので、トラクションコントロールは不可欠な装備でした。

結局この車・・・正にFRの欠点と、FFの欠点を掛け合わせた様な車だったのですが、この特異なレイアウトを達成する為に、エンジン、トランスミッション、ボディーと、モデルチェンジに於いて大変に金の掛かる部分を、一度に全て新調しており、大変に大掛かりなニューモデルだったのです。

通常、モデルチェンジとは言っても、ボディーやエンジンは先代から流用・・・という例は一般的で、これだけ金の掛かったニューモデルは、珍しいと言えます。

流石に折からのバブル景気の影響もあり、当初はそれなりに売れたものの、景気の失速と共に売り上げも鈍り、ホンダの経営の足を大いに引っ張ったと言われています。

オマケに売り上げばかりでなく、全てが新しいモノづくしであった結果、初期モデルは様々なトラブルが発生し、その保障修理にも、莫大な金が掛かったのですが、流石はホンダというべきか、後期モデルでは、そのトラブルも完治しており、10年、15年後に修理で接した分には、トータルで十分に品質の良い車だった・・・という印象があります。

一つ、この車を弁護するとしたら、そのデザインでしょう。
何処かイギリス的な、大変に上品で落ち着いた中にも、スポーティーなものを感じさせるもので、翌年登場した、2代目レジェンドよりも、内外装ともシックな雰囲気があった位でした。

このスポーティーな雰囲気は、FF車としては異例に短いフロント・オーバーハングによる所もあるのですが、このレイアウトは、実はその為だった・・・という噂もあります。

ホンダというメーカーは、昔から、ある拘りの為に物凄く変わった技術を使うことがありました。例えばH1300の強制空冷、リアサス、S600のチェーンドライブ・・・このフロントミッドシップも、その仲間入りさせても良いかも知れません。

結局このレイアウトは、レジェンド2世代流用された他、下位のアスコット/ ラファーガに採用された他、インスパイアは、一度モデルチェンジを受けましたが、正直先代を間延びさせただけという印象で、コレも販売面で振るわず、次期モデルからは、北米型アコードをベースとしたモデルになってしまいました。

そのホンダの経営不振を救ったのが、アコードをベースにした初代オデッセイで、以降、ホンダは、ミニバンのメーカーへと変貌して行きました。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。