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ホンダCB360 70年代のバイク版カローラ

ホンダ
08 /29 2013
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ココ、カナダでは、バイクというと、圧倒的に新型車ばかりで、70~80年代のバイクを街で見かけることは、多くありません。

日本で凄まじいプレミア付きで取引されているCB750Kシリーズや、カワサキZ1といった車種も、程度が良いものは、殆どが日本の里帰りしてしまったのか、たまに見かけた場合、凄まじいカスタム車だったりします。

ハーレーですら、日本の方が遥かに旧型を見かける位です。

そんな中で、最近、比較的頻繁に目にする様に思うのが、このCB360なのです。

日本では、CB360Tと呼ばれたモデルですが、その中途半端な排気量は、日本で中型免許制度が始まる前に発売されたことも、関係していることと思いますが、先代までが、それまで一般的だった350ccだったのですが、10ccの排気量アップは、何となく不思議でもあります。

実際には350の排気量が325ccとかなり小さ目で、360の方が356ccと31cc程排気量アップしていますが、この程度なら、より一般的な350と呼んだ方が・・・とも思うのですが、そうなると排気量アップが伝わらない・・・こんな所だったのかも知れません。

元々、60年代に一世風靡したCB72、CB77の後継車として生まれたCB250、350でしたが、68年の発売当初は、先代を凌ぎ、最高レベルの性能を誇っていたものの、後に騒音対策、安全性の追求といった時代の流れと共にパワーダウンし、重量も170キロオーバーまで増しており、当初のスーパースポーツという雰囲気は消え失せましたが、70年代当時、定番中の定番として売れ続けたモデルです。

結局、77年にホークシリーズとバトンタッチする形で消えて行きましたが、既に生産から40年近く経とうというバイクを、結構アチコチで見かけるのは、一体何なのでしょう?

共通しているのは、当時のままの外装で、しかもレストアはされていないといった感じです。

やはり、シンプルで基本が丈夫な上に、ココ、バンクーバーでは、400cc以下のバイクの保険がかなり割安になっている事とも関係ありそうです。

あとは、カナダでは、夏の間しか乗らない人が殆どなため、年数の割りに痛みの少ない車種が多いこと、そして、日本の狂気的なプレミアム騒動に巻き込まれなかったことも、一因かも知れません。

因みに、このエンジンは、先代のCB77よりも馬力アップしているものの、同時にコストダウンも進んでおり、チューニングの素材としては、先代より劣る・・・というのが、あのポップ吉村のコメントでしたが、一般的な乗り方をする分には、十分以上の耐久性を持っている様です。

地味で古臭いバイクという印象しか無かったものの、今日改めて目にすると、結構良い音を響かして颯爽と?走っているのが印象的です。

ホンダのミドルクラスというと、2輪版カローラとよく言われますが、コレも例外ではありませんでした。

あと、この他に、ヨンフォアなんかも結構見かけるのですが、コチラも同じ様な感じで、当時のままの姿で、特にレストアされていない・・・といった感じです。

日本では、408ccのヨンフォアに大型免許が必要かどうか?と当時、議論になり、398cc版もラインナップされましたが、コチラの法律では、400ccまで保険が安いのです。
そうなると、408ccのヨンフォアはどうなんだ?という新たな疑問もあります・・・。
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【関西の議論】これが体罰か… ナイフで脅した小6の頭叩いた校長に「戒告」 退職に抗議殺到

ニュース
08 /26 2013
大阪市立桜宮高校の体罰問題で批判にさらされた市教委が再び「体罰」で揺れた-。小学校内にシューティングナイフを持ち込んで同級生を脅した男子児童ら7人の頭をたたいたとして、市立小学校の校長(62)が戒告の懲戒処分を受け、その後依願退職した。教員の体罰をめぐっては厳しい目が注がれるようになったが、この処分をめぐっては市教委に「指導に問題はない」「なぜ処分したのか」と100件を超す批判の電話やメールが押し寄せた...

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最近、カナダに来る若者を見ていると、明らかに昔の日本人とは異なります。

適当な嘘をつくし、何か狡猾なところがあるのです。
他人を敬う事も無く、自分さえ良ければ・・・というのが非常に強くなっている様です。
以前は、バカでも最低限正直で真面目というのが日本人だったんですが、どうも最近は違う様です。

こんな当たり前以前の指導が体罰と言われ、教職を追われる現在、教育なんか出来る訳がありません。

体罰禁止、子供の人権・・・・中途半端はアメリカ文化を中途半端に採用したために、全てが
崩壊しているのです。
日本には、長年の歴史の上に成り立った教育があり、文化があります。それを中途半端にアメリカの
文化を取り入れたところで、上手く行く訳が無いのです。

これじゃ、全く教師も仕事になんかなりゃしませんね・・・。

かつて大ヒットした、山口良治氏を描いたドラマ「スクールウォーズ」も、現在なら暴力教師=禁止になるんでしょうか?

ヒュンダイ・ステラー

輸入車、他・・・
08 /24 2013
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韓国初の国産車は、三菱との提携から生まれたヒュンダイ・ポニーですが、それ以前のヒュンダイは、フォード・コルティナのノックダウン生産を行っていました。

このステラーは、三菱のエンジンと駆動系を用いながら、シャシーは、旧来のフォード・コルティナのものを流用していました。

そのせいか、比較的堂々としたスタイルをしており、日本車が軒並み5ナンバーであった80年代初頭に登場していながら、3ナンバーボディーになっています。

そして驚く事に、このデザインは、あのジウジアーロの手によるものなのです。

そんな堂々としたスタイルとは裏腹に、エンジンは1.4、1.6リッターという小さ目のものが主流で、輸出用には流石に力不足ということで、2リッターが設定されていました。

カナダでは、80年代の半ば頃、ポニーと一緒に販売されたものの・・・余りの品質の酷さから、ヒュンダイショック、ステラーショックとも言われ、売れたのは最初の二年で、その後、長くマイナスのイメージに悩まされることになりました。

正直デザインよりも、もう少し品質に金を掛ける方が先だったと思うのですが・・・。

この車・・・よくこのブログにコメントをくれる某氏が以前、知人から譲り受け、暫く乗っていたのですが、10年近く前の当時ですら、既にボロボロで、とても車検を通せる代物ではなく、車検切れと共に廃車になりました。
あの当時ですら、走っている姿を見ると、「まだあんなのが・・・」という存在だったものが、今実際に走っている・・・驚くべきことです・・・。

カナダのBC州は、政府の独占により、非常に高額な自動車保険に加入する必要があるのですが、最高の割引で、しかも最低限のものでも、年間900ドル位にはなります。

このヒュンダイ・ステラーを仮にタダで貰ったとしても、運転するに当たり、保険だけで900ドルも掛かるのです。

私の感覚では、この車に保険料900ドル払えるというのは、ある意味贅沢だと思うんですが・・・。

因みに現在、ヒュンダイのエンブレムというと、Hの傾いた様な、「ホンダのパクリ」と言われるセンスの無いモノですが、この頃はHDというロゴになっており、正直、コチラの方が良かったと思います。

59 オールズモビル・スーパー88 ステーションワゴン

オールズモビル
08 /23 2013
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オールズモビル88は、フルサイズながら、兄貴分の98より若干小さいBボディーを採用しており、ビュイック・ル・セイバー、ポンティアック・ボンネビル、シボレー・インパラといった車の兄弟車に当たります。

写真は59年型に当たりますが、各メーカー共、この59年型というのが、最も派手なデザインになっています。
58年型シボレーが、従来とは違い、垂直ではなく水平のテールフィンを採用しましたが、この車にも、その影響が見て取れます。

この年のGMは、キャデラックは言うに及ばず、ビュイックも凄い形をしていましたが、コチラも、それに負けず劣らず・・・という感じですね・・・。

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特にリア周りの造詣が、何ともユニークです。
写真では判り難いですが、リアのクウォーターグラスが大きなカーブを描いているのは、当時のオールズモビルが好んで使ったデザインで、とにかくグラスエリアを可能な限り大きく取ろうとした時代ならではのものでしょう。

それにしても、全幅に比べ、物凄くグリーンハウスの幅が狭いのが判ります。実際にこの手のワゴンは、荷物室の床も高く、幅も狭く、積載性は決して良いとは言えません。

しかし、この形状の車が、長いこと業務用ライトバンであった日本と比べ、先に取り上げたウッディーワゴンの時代から、ワゴン=高級車という図式が成立していたアメリカのソレは、何とも大らかで、豊かさが全身に満ち溢れています。

翌年からは、各メーカー共、申し合わせた様に、抑揚を抑え始め、62年頃には、殆どテールフィンも消え去ってしまいました。

夏の終わりに  アリス

映画・音楽
08 /19 2013

四季折々の歌に富んだ日本の歌謡界ですが、夏の歌といえば、大きく分けて二つに分類することが出来ます。

一つはゴールデンウィーク頃に発売される、これから始まる夏を存分に予感させる、明るい歌で、前回取り上げた、「ふたりの愛ランド」は、コチラに分類されます。

そしてもう一つは、夏全開という時期に発売される歌で、コチラは、去り行く夏を惜しむ、そして、ひと夏の恋の終わりを歌ったモノが多くなっています。

日本では、夏を「刹那の季節」と表現します。
昨今は、梅雨明けが遅いこともあり、7月の終わりから8月のお盆の時期、僅か一月にも満たない、強烈に暑い季節・・・そしてお盆を境に、海辺からは人の姿が減ります。

そんな一瞬の短い、そして猛烈に暑い季節だからこそ、この様な文化が生まれるのでしょう。

ダラダラと数ヶ月も夏が続く北米では、やはりこんな文化は生まれてこないと思います。

さて、アリスの「夏の終わりに」は、珍しく、矢沢透の作詞、作曲となっており、谷村新司、堀内孝雄の曲とは、趣を異にしています。
どこまでも続く緑、暑い夏の日差し、時折吹き込む爽やかな風にゆれる風鈴の音、時折目の前を飛び交うトンボが秋の気配運びます。

この歌を聴くと、そんな、かつての日本に有った当たり前の光景が、目の前に浮かぶ気がします。

アリスというグループが後に大ヒットする前のアルバムにひっそりと収められた曲にも、こんな素晴らしいものがあったのです。

この時期、聴きたくなる一曲です。

iPhoneに敗れ…ブラックベリー身売り検討

ニュース
08 /18 2013

iPhoneに敗れ…ブラックベリー身売り検討

カナダのスマートフォン(高機能携帯電話)メーカー・ブラックベリーは12日、身売りや他社との合弁企業設立、提携などを検討すると発表した。

 トーステン・ハインズ最高経営責任者(CEO)ら取締役で構成する特別委員会を設置し、具体策の検討を進める。

 同社はキーボード付きのスマートフォンを開発し、メール送受信の機会が多いビジネスマンらの支持を得て2000年代前半に販売を伸ばした。だが、米アップルが07年にiPhone(アイフォーン)を発売すると次第にシェア(市場占有率)を奪われ、近年は業績が低迷していた。

(2013年8月13日20時15分  読売新聞)


私は海外生活が長いのですが、かつて携帯というと、ノキア、モトローラ、ソニーエリクソンの3社が圧倒的に強く、北米では、スマートフォンの走りとして、ブラックベリーが大きなシェアを持っていました。

今や、その4社のどれもが大した話題になることも無く、アップル、サムソン、LG辺りが非常に大きなシェアを握る様になりました。

私は、スマートフォンなんか全く興味も無いですし、あんなモノに更に自分の時間を使われるのが嫌なのですが、年数契約も無く、タダで入手出来た、サムソンのスマートフォンを使っています。
他にも、ウェブデザインで、スマートフォンへの対応が必要になってきているので、ソレに対応したいという理由もありましたが・・・。

正直、アップルに比べると、反応も良くないし、何となく使い方がイチイチ煩わしくて、単純に電話としての機能を考えると、全然良くありません。多機能=無機能の典型の様な設計です。

今やサムソンが、携帯で大きなシェアを握る様になりましたが、その背景には、こんな滅茶苦茶な安売り、そして私の様な無関心な者が、必然的にサムソンのオーナーになる・・・こんな所でしょう。

話しをブラックベリーに戻しますが、何でもかんでもタッチスクリーンという今日でも、キーボードに拘っているのが特徴で、やはり、ボタンを押した「感触」というのは、何にも替え難く、良いものです。

猫も杓子もタッチスクリーン・・・確かにアップルのソレは悪くないのですが、だからと言って他も皆・・・・やっぱりデジタルの世界って、少数の勝者による独占なんですね・・・。


ビュイック・ル・セイバー・コンバーチブル

ビュイック
08 /13 2013
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ビュイック・ル・セイバーは、ビュイックのフルサイズカーの中では、エントリーモデルに属します。

兄貴分に当たるエレクトラに比べると、若干小さくなっており、シボレー・ベルエア/インパラ、ポンティアック・ボンネビル、オールズモビル88の兄弟車に当たります。

写真は75年モデルだと思いますが、キャデラックと同様、75年モデルより、ハードトップが消滅し、クーペには、太いBピラーが付く様になりました。

やはり他のGMフルサイズと同じく、この当たりから、GMのデザインが、直線一辺倒になっていき、後の金太郎飴の症状が始まりつつあります。

ビュイックというと、フロントドアの前方にある、エアダクト風の飾りが、デザイン上のアイデンティティーの一つでしたが、この頃は、角型になりながら、辛うじてソレが付いています。

エンジンは、最大7.5リッターと、8.2リッターまでラインナップされたキャデラックに少し遠慮した形になっています。

尚、この75年型というのは、ビュイック最後のコンバーチブルになり、翌76年は、キャデラック・エルドラードが、アメリカで唯一のコンバーチブルを用意するのみとなり、そこで一先ず、アメリカのコンバーチブルが絶滅することになりました。

82年に、クライスラー・ル・バロン・コンバーチブルで、アメリカ製コンバーチブルが復活する事になりますが、その開発者、リー・アイアコッカ会長曰く、「安全基準の強化でアメリカからコンバーチブルが消えたと思われているが、実際に禁止された事は一度も無い」ということで、70年代初頭の時点で、大気汚染、エアコン、カーオーディオの普及で、コンバーチブルの需要が殆ど無くなっていたというのが事実のようです。

「エアコンやオーディオなんて、アメ車なら、50年代から有るじゃないか!」と言われそうですが、それは、日本に入ってくるアメ車が軒並み上級モデルのフル装備であるのに対して、現地のソレは、かなりシンプルなものであるのが普通で、15年前にカナダに来た時、エアコンの装着率の低さに、驚いた程でした。

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このタイプも、前年の74年から、5マイルバンパーが付いていますが、やはり5マイルバンパー以降、バンパー周辺のデザインの自由度が無くなりました。

かつてビュイックのテールランプは、バンパーに内蔵されているモノが多かったのですが、5マイルバンパー以降、ソレは無くなりました。

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そして、やはり極めつけは、この内装・・・やはり理屈抜きにアメリカ的で良いですね・・・今やベンコラの需要も全く無いということで、先代インパラには用意されていたものの、殆ど売れなかった様です。

アメリカの内装は、その時代のオーディオのデザインと雰囲気が似ていると思うのですが、この時代、テレビやラジオにも、何かと木目が張ってあったものでした。
因みに50年代のソレは、やはり当時の派手な色のラジオやジュークボックスなんかと類似点が見られます。

アメリカの冬の時代に入る前の(既に入っている?)ダインサイズ前の最後のビュイック製フルサイズコンバーチブル・・・やはり理屈抜きに良いものですね・・・。

ふたりの愛ランド

映画・音楽
08 /10 2013

日本には、遠く俳句の時代から、移り変わる季節を尊び、それを歌う文化がありました。

日本の歌に関して思うのは、やはりそれぞれの季節を歌ったモノが多いことでしょう。

84年夏に大ヒットしたこの曲は、チャゲ&飛鳥のチャゲと、石川優子のデュエットでした。
それまで様々なデュエット曲は有りましたが、皆大人の恋を歌った様な、大人がシミジミと歌う感じのものが多かったのに対して、大変に若々しいポップ調に仕上がっているのが、目新しいところでした。

チャゲ&飛鳥は、70年代後半にヒットしたニューミュージックの一つでしたが、より演歌寄りの曲が特徴でした。当時、グループとしては低迷期に当たり、作詞作曲をこなした飛鳥に対して、チャゲは活動が限られていました。

そして石川優子は、アイドルにも勝る容姿ながら、実力派シンガーソングライターとして知られていましたが、実力とは裏腹に、売り上げはイマイチ・・・こんな印象がありました。

そんな実力派の二人が一緒になり、しかもチャゲが作曲までこなしています。

それにしても、何とも楽しそうに歌っているじゃないですか・・・・。そして、今日、サングラスに帽子で素顔を見ることができないチャゲの珍しい素顔の映像でもあります。

この曲こそ、84年の夏の決定版という印象がありました。
そして翌年、チャゲ&飛鳥は、所属事務所を変わり、モーニング・ムーンを発売しますが、そこには従来の演歌調は無く、モダンで都会的な仕上がりとなっており、見事なイメージチェンジを果たし、現在まで到っています。

クライスラー タウン&カントリー

クライスラー
08 /07 2013
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クライスラー・タウン&カントリーは、40年代に販売された「ウッディーワゴン」の一種でした。

ステーションワゴンの源流は、トラックをベースに、リア周りを木で囲ったもので、それ以降、伝統的にステーションワゴンのボディーは、木造の、所謂「ウッディーワゴン」というのが、50年代初頭まで、一般的な存在でした。

このタウン&カントリーの場合、41~42年の戦前モデルは、ワゴンのみで、46年の戦後モデルからは、ワゴンでは無くなり、セダンとコンバーチブルがラインアップされる様になりましたが、ウッディーのセダンやコンバーチブルというのは、結構珍しいのではないでしょうか?

当然生産コストも高く、メンテナンスも手間がかかり、当初はトラックベースに、シンプルに木材を貼り付けただけのものだったのが、時代と共に、高価な物になっており、この車も、クライスラーの中で一番高価であった様です。フォードなんかは、ウッディーワゴンの為に、自前の森と製材所も所有していたということです。

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50年代になると、各メーカーとも新しいデザインへのチャレンジが始まり、そんな中で、ウッディーワゴンは消えて行きましたが、60年代になると、今度は、金属製のワゴンの側面に、木目パネルを張るのが、特に上級グレードを中心に流行し、80年代半ば頃まで、一般的な存在でした。

写真のこの車・・・特にレストアされてい訳でも無く、特にこの雨の多いバンクーバーで、この様に生き残っているのは、正に奇跡的とも言えます。

雨が多く、融雪剤の影響もあり、クラシックカーには過酷な条件の中で、一応は姿を留めている・・・手入れしている様には見えないものの、決して放置され続けている訳でも無いと思うのですが・・・。

コッソリと木の部分を触ってみたところ、かなり湿気を含んでおり、何箇所かは穴も開いており、正直何時崩れ落ちてもおかしくない様な状態でしたが・・・。

北米では、この時代の車が、特にレストアされていない様な状態で走っているのは、時々目にしますが、ウッディーとなると、大変に珍しいのではないでしょうか?

特に、この手の現存車は、ガレージで大切に保管され、キッチリとメンテナンス、レストアを施されているものが殆どだと思います。

キャデラック・フリートウッド・ブロアム・クーペ

キャデラック
08 /04 2013
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昨日のクーペ・ド・ヴィルの記事に続き、その次の世代のフリートウッド・ブロアム・クーペをカメラに収めました。

77年に発売された写真のモデルは、前回の記事でも紹介した通り、他のGMフルサイズカーと同じく、ダウンサイズされて登場しました。
今日の目からすると、何とも大らかで、如何にもアメリカ・・・というこのデザインですが、先代より20センチ短く、幅も10センチ近く狭く、そして400キロ程の軽量化が施されています。
その反面、全高は拡大されたり、リアガラスを垂直にした「シビアノッチバック」によって、ダウンサイズによる居住性の低下を補っています。

オイルショックという前代未聞の出来事から、ガソリンにも限りがあるということを知ったアメリカ人でしたが、それでも、フルサイズカーがダウンサイジングされるというのは、大きな話題にもなりました。

ところが、77年になると、オイルショックによる景気低迷も一段落し、人々の嗜好は、再び大型車に向かった時期でもあり、フォードやクライスラーの従来のままのフルサイズカーに比べると、随分と寸詰まりに見えたのも、また事実でした。

当時は、TVでも、あからさまな比較広告が行われていた時代で、他社は、自分たちの車こそが真のフルサイズカーだと言ってGMを蔑み、そしてGMは、小さくなっても乗り心地や居住性は今まで以上・・・と応戦しました。

後の第二次オイルショックで、フォード、クライスラーが深刻な打撃を受けたことを見ても、この時点でのGMの選択は正しかったと言えるでしょう。

ただ、流石に80年代にもなると、この手のフルサイズカーは主流から外れ、85年にFF化されたCボディーが登場すると、FRのコチラは、クーペは生産中止、4ドアセダンのみが生き残ることになりました。

その新型は、更にダウンサイズされ、全長も5mを切るまでになりましたが、流石に急激過ぎて、イマイチ人気を得るには至らず、数年後に再びサイズアップされています。

因みに、ド・ヴィルとフリートウッドは兄弟関係にあり、ベーシックなド・ヴィルに対して、フォーマルなフリードウッドということになっていますが、基本的なボディーは同じものです。

自動車の生産が始まった当時、ボディーを生産していたのは、コーチビルダー・・・つまり馬車製造業者でした。
それを自動車メーカーが買収し、ボディーも自社生産する様になっていったのですが、高級車に関しては、1930年代まで、ボディーは外注のオーダーメードという方式が多く取られてきました。

フリートウッド社も、その高級車のボディー製造で定評のあったコーチビルダーで、後にキャデラックに買収され、その名をモデル名として残す事になりました。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。