ビュイック・センチュリー Wカー第二世代
ビュイック 正直、余りに無難すぎて、個性を感じないスタイルです。
先日のホンダ・アコードの記事でも触れましたし、事ある毎に言及している割には、扱っていなかった、ビュイック・センチュリーを取り上げます。
先代のWカー(GM10計画)が、アメリカ産業市場最悪の失敗と呼ばれた事は、かつての記事で書きましたが、その70億ドル(湾岸戦争の日本の負担額が90億ドルでした!!)という天文学的な開発費、単一車種専用に設計された融通の利かない生産ラインから、モデルチェンジも思う様に行かず、1997年、先代モデルの登場から9年後、ようやくニューモデルを投入することが出来ました。
先代のセンチュリーは、Aボディーの別系統でしたが、この世代からは、このクラスは全て、Wボディーに統一されることになり、そして、センチュリーというブランドが、ビュイックの中で最廉価版のモデルとなったのも、この世代の特徴でした。
エンジンは3.1リッターのV6エンジンのみで、何故か下位のはずのオールズモビルよりも小さいエンジンとなっていました。
ボディー形式も4ドアセダンのみで、ワゴンもクーペも有りませんでした。
何故この車を今まで取り上げなかったか?というと・・・正直書く事が無いんです。
少なくとも兄弟車のオールズモビル・イントリーグは、かつての、よりスポーティーな雰囲気を取り戻そうとして叶わなかったという一面が有りましたが、センチュリーは、全てに於いて平凡過ぎて、本当に話題に欠けるのです。
今日見かけるオーナーも、97年に発売された当時60代であったと思われる世代ばかりです。
全長5m弱、全幅1.85m弱と、アコードよりも大きいボディながら、室内は閉塞感に溢れ、辛うじて残るアメ車的なユッタリとした乗り味が、年配の方に受けた…という程度で、正直車の出来として見れば、アコードに完敗でした。
やはり、アメリカ製のコンパクトカー(往年のフルサイズと比べて)は作りがイマイチで、かつては日本車が小さかった故に、取り敢えず維持していたマーケットを、日本車の大型化と共に完全に失うことになったのです。
バンクーバーでは、このクラスはタクシーとして使われていましたが、タクシーの引退と共に、カプリスの時と同様に、見かけなくなってしまいました。
2005年には、ラ・クロスと名前を変え、センチュリーと上級版のリーガルを統合したモデルになり、2009年まで販売されました。
そして、Wプラットフォームは、現在、シボレー・インパラとして、業販専用モデルとして生産が続いており、タクシーや警察等で使用されています。
因みに、市販用のインパラは、今年からイプシロン2(キャデラックXTSと共通)ボディーを採用した新型になっています。
今回、何故この車を取り上げたか…というと、先日、アコードの記事で触れた時、まだ取り上げていなかったことに気付いたこと、そして、手元に手ブレしたセンチュリーの写真があり、最新のフォトショップCCに搭載された「手ブレ補正」が、どの程度効果あるのか試していた序に…という感じでした。
先日のホンダ・アコードの記事でも触れましたし、事ある毎に言及している割には、扱っていなかった、ビュイック・センチュリーを取り上げます。
先代のWカー(GM10計画)が、アメリカ産業市場最悪の失敗と呼ばれた事は、かつての記事で書きましたが、その70億ドル(湾岸戦争の日本の負担額が90億ドルでした!!)という天文学的な開発費、単一車種専用に設計された融通の利かない生産ラインから、モデルチェンジも思う様に行かず、1997年、先代モデルの登場から9年後、ようやくニューモデルを投入することが出来ました。
先代のセンチュリーは、Aボディーの別系統でしたが、この世代からは、このクラスは全て、Wボディーに統一されることになり、そして、センチュリーというブランドが、ビュイックの中で最廉価版のモデルとなったのも、この世代の特徴でした。
エンジンは3.1リッターのV6エンジンのみで、何故か下位のはずのオールズモビルよりも小さいエンジンとなっていました。
ボディー形式も4ドアセダンのみで、ワゴンもクーペも有りませんでした。
何故この車を今まで取り上げなかったか?というと・・・正直書く事が無いんです。
少なくとも兄弟車のオールズモビル・イントリーグは、かつての、よりスポーティーな雰囲気を取り戻そうとして叶わなかったという一面が有りましたが、センチュリーは、全てに於いて平凡過ぎて、本当に話題に欠けるのです。
今日見かけるオーナーも、97年に発売された当時60代であったと思われる世代ばかりです。
全長5m弱、全幅1.85m弱と、アコードよりも大きいボディながら、室内は閉塞感に溢れ、辛うじて残るアメ車的なユッタリとした乗り味が、年配の方に受けた…という程度で、正直車の出来として見れば、アコードに完敗でした。
やはり、アメリカ製のコンパクトカー(往年のフルサイズと比べて)は作りがイマイチで、かつては日本車が小さかった故に、取り敢えず維持していたマーケットを、日本車の大型化と共に完全に失うことになったのです。
バンクーバーでは、このクラスはタクシーとして使われていましたが、タクシーの引退と共に、カプリスの時と同様に、見かけなくなってしまいました。
2005年には、ラ・クロスと名前を変え、センチュリーと上級版のリーガルを統合したモデルになり、2009年まで販売されました。
そして、Wプラットフォームは、現在、シボレー・インパラとして、業販専用モデルとして生産が続いており、タクシーや警察等で使用されています。
因みに、市販用のインパラは、今年からイプシロン2(キャデラックXTSと共通)ボディーを採用した新型になっています。
今回、何故この車を取り上げたか…というと、先日、アコードの記事で触れた時、まだ取り上げていなかったことに気付いたこと、そして、手元に手ブレしたセンチュリーの写真があり、最新のフォトショップCCに搭載された「手ブレ補正」が、どの程度効果あるのか試していた序に…という感じでした。
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