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ホンダCL350

ホンダ
04 /27 2014
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オフロードバイクが一般的になる前、スポーツバイクをベースに、サスペンションのストロークを延長し、アップマフラーとブリッジ付きハンドルを装備して、オフロードでの走行性を向上させたモデルを「スクランブラー」と呼んでいました。

現在、スポーツバイクでラフロードを走るなんて、全く考えられないことですが、60年代の日本では、道路の殆どが砂利道であった関係で、スポーツバイクでも、ある程度のラフロードを走るのは、当たり前の事だったのです。

70年代に入ると、道路の殆どが舗装される様になり、そうなると、スポーツバイクは、より舗装路での性能を求める様になり、オフロードバイクは、よりオフロードに特化する様にねり、結果、両者全く別系統のバイクとして成長し、そんな中で、中間的な存在のスクランブラーは、消えて行く運命を辿りました。

ホンダの場合、CBはスポーツバイクで、CLがスクランブラーとしてラインナップされており、写真のCL350は、CB350ベースのスクランブラーでした。

コレも後に、より本格的なオフローダーとして登場したSL250/350にバトンタッチする形で、暫く併売された後に、生産中止になっています。

私がニュージーランドに居た当時、CB250RSと、カワサキZ550GPを持っていましたが、CB250RSの方が気に入っていました。それは、軽量である程度のオフロードにも入っていける上に、オフローダーでは無く、スポーツバイクである為、田舎のワインディングロードも、軽快に走れたからでした。

そう考えると、この手のスクランブラーも、結構あの環境には良いかも知れません。

以前、バンクーバーでCB350系を結構見かけるという話をしましたが、70年代のバイクで一番見かけるのといえば、間違いなく、このシリーズでしょう。

日本で70年代のバイクといえば、圧倒的に大型車になりますが、その多くは、80年代後半以降に北米から逆輸入されたもので、その手は現地に余り残っておらず、反面、保険料が安く、日本人に見向きもされず、現在殆ど市販されていない400ccクラスの旧車が残っていたりするのです。


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マーキュリー・クーガー

マーキュリー
04 /24 2014
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写真は、77-79年に販売されたマーキュリー・クーガーです。

元々、マスタングの上級車種として登場し、人気を博したクーガーですが、74年にマスタングがマスタング2になると、その兄弟関係を解消し、一回り大きいサンダーバードの兄弟となりました。

今から見ると、十分に素敵に見えるものの、正直初代を知っている目には、コレの一体何処がマーキュリー・クーガーなんだか・・・というのも、また正直な意見でしょう。

シャシーは、旧フォード・トリノをベースにしており、先代モデルと比べて、ダウンサイズを受けています。

この辺りは、同時に発売されたサンダーバードと同じなのですが、やはり驚くのは、サンダーバードと同様、歴代クーガーの中で、この世代が最も販売台数が多いことでしょう。

先代の76年モデルが83,765台に対して、194,823台と、倍以上になっています。
因みに先代で最も売れたのが74年で91,670台…これ程までに販売が激増した理由というのは、一体何なのでしょうか?

そして時期の80年モデルでは58,028台と激減するのです。

正直、70年代後半に発売されたアメ車というと、粗製乱造という印象が強く、特にこのモデルの様に、ダインサイズ後のものは、イマイチデザイン的にも面白みが無くなっていますが、それにしても、サンダーバードも含め、この世代の販売激増は、不思議な現象です。

もしかしたら、同じくダウンサイズを受けたGMフルサイズカーの顧客が流れてきたのかも知れません。

あとは、それまで2ドアクーペのみだったところに、4ドアセダンとステーションワゴンが用意されたからでしょうか?

正直、個人的に魅力のある車だとは思わないのですが、こんな巨大な2ドアクーペが年間20万台近くも売れていたという事実…昨今の事情を考えると、夢の様な時代にも感じられます。

テスラのショールームin バンクーバー

カナダ情勢
04 /21 2014
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先日、バンクーバーのダウンタウンを歩いていたら、こんなのを見つけました。

あの電気自動車のテスラですが、どうやら、バンクーバーのダウンタウンにショールームを開設する様です。

しかも、ダウンタウンで一番人出の多い、ブティックなんかが軒を連ねるロブソンストリートなのです。

近年のバンクーバーは、再開発が進み、高層マンションがアチコチに立ち並ぶ様になりました。
そして、かつてはダウンタウンを敬遠していた裕福層が、ダウンタウンに戻ってきたのも特徴でしょう。

現在、ダウンタウンの住民といえば、二通りに分けられると思います。
一つは単純に裕福な上に、ダウンタウンで仕事をしている人、そして、若者で、車を持たない生活を選んだ層…。

その前者の方に、所謂ハイブリッドの様な「エコカー」を有り難がる傾向が、北米にはあります。
その手の層を狙っているのは明らかですが、あの場所となると、テナント料は相当なものだと思います。まあ、完全に裕福層のファッションとしての車ですね・・・。

バンクーバーにダウンタウンに住む人の多くは、車を持たない生活をしています。
そして、地価の高騰もあり、ダウンタウンの中にある車のディーラーというと、トヨタ、ミニ、そしてテスラ…こんな感じで、あとは中心から少し外れて、ギリギリダウンタウンに、フィアットが有るのみです。

トヨタは昔からやっているのですが、あの古びた建物から、何時閉鎖しても不思議ではない位です。

ダウンタウンの車ディーラー=ファッション性のある車ですね・・・。

東大生から見放された朝日新聞 今春「入社ゼロ」に幹部ら衝撃

ニュース
04 /21 2014
大学生の就職先として人気が高いマスコミ。なかでも朝日新聞といえば、東大を始め「銘柄大学卒」ばかりが入社する、と思われていた。

ところが、2014年春に同社に入社した東大生はなんと「ゼロ」。東大生から、朝日新聞は見放されたのだろうか――。

■多いときは3分の1が「東大」だったことも

2014年4月1日、朝日新聞の木村伊量社長は入社式で新入社員に向けて、「朝日新聞に携わる誇りと覚悟をもって、失敗を恐れずに挑戦してほしい」と気構えを説き、「広い視野をもったプロフェッショナルの新聞人を目指してほしい」などと激励した。

2月以降に同社に入社した新入社員は、男性50人、女性28人の計78人。ここから編集部門に53人、ビジネス部門18人、技術部門7人が配属された。

京都大、大阪大、一橋大、早稲田大、慶応大… どの新人もいわゆる有名大学の出身者。そこから競争の激しい採用試験を突破してきた。しかし、そこに「東大卒」はいない。

朝日新聞の編集部門には、「20、30年前は、多いと配属された記者の3分の1が東大生だったこともある」と元幹部は明かす。

昨年の採用試験が進んでいる頃、朝日新聞の幹部は、面接に東大生が一人もいないことがわかり、愕然としたそうだ。人気の凋落ぶりに、「ここまで…」と唇を噛んだとか。
「新御三家」はDeNAとグリー、サイバーエージェント

 東大卒の新入社員が減っているのは、なにも朝日新聞だけではないかもしれない。週刊東洋経済(4月5日号)は、「激変、東大生の就活!新御三家はこの3社! 商社、金融を押しのける 人気のメガベンチャー」の特集で、東大生がここ数年で業績を拡大してきた、伸び盛りのネット系のベンチャー企業に目を向けるようになってきたと、指摘している。

いまや、ディー・エヌ・エー(DeNA)とグリー、サイバーエージェントを、「新御三家」と呼ぶらしい。

東大卒の就職状況をまとめた東京大学新聞によると、DeNAは2013年春(12年度卒)に16人の大学院卒を採用。就職ランキング(院卒)で、前年の20位以下から一気にベスト10入り、5位に順位を上げた。

就活に詳しい、大学ジャーナリストの石渡嶺司氏は、「東大生に限らず、最近の就活は『安定』と『反ブラック企業』がキーワードと言えます。民間企業で金融機関や大手商社が人気なのもそのためです」と話す。

たしかに、13年春の東大生の就職ランキング(学部卒)をみると、1位が2年連続で三菱東京UFJ銀行(29人)。2位が三菱商事(22人)、3位みずほフィナンシャルグループ(18人)。以下、三井住友銀行(16人)、住友商事(13人)、三井物産(13人)と、「お堅い」企業が並んでいる。


優秀な人材、他社にとられた?

 インターネットの普及などで、出版や新聞・テレビ、広告は厳しい経営環境にさらされている。マスコミ業界について、前出の石渡嶺司氏は「全体的には採用人数を大きく減らしているのは事実ですし、そのために門戸が狭くなり、以前に比べれば人気が落ちていることはあります」と話す。

ただ、「それでもマスコミは人気がないわけではない」という。「斜陽産業」などと言われても、あすにもどうにかなるようなことはない。職業を聞かれて、「新聞社です」「新聞記者です」といえば世間体も悪くないし、給料も高い。「新聞社なら、文句を言う親はいません」。

「東大生のエントリーが減っているのかもしれませんが、(朝日新聞で)ゼロというのは考えられません。おそらく眼鏡に適わなかったのか、(志望者は)複数のマスコミを受けているはずですから、他社との競争に敗れたのではないでしょうか」と、石渡氏は推測する。

それにしても就職戦線での朝日新聞の「凋落」は隠せないようだ。




何とも煮え切らない記事ですね・・・。

要するに、反日で韓国、北朝鮮、中国の出先機関である朝日新聞が、若者から見捨てられた・・・こんなシンプルな現実を、何故素直に書けないのでしょうか?

この春入社する新卒というと、小学生の時代から、インターネットに親しんでいる世代です。それだけ情報が溢れる中に育った世代が、朝日新聞に魅力を感じるとしたら、むしろ、そちらの方が異常でしょう。

私たちは、戦後、戦前の日本は全て悪で、欧米こそが正義と言う教育を受けてきており、実際今の教育もそうなのですが、インターネットのお陰で、様々な史実が知られる様になり、以前のような日教組の教育が立ち行かなくなった…ある意味、時代を象徴する出来事だと思います。

それにしても、これだけネットが普及している今日、朝日新聞なんかを読む人がまだ居ることに、正直驚きます。

カメラ太陽堂・・・街のカメラ店の終焉

写真・カメラ
04 /19 2014
海外生活を続けていると、時々、「あそこのあの店、どうなったかな・・・?」なんて思い、ネットで検索する事があります。

カメラ太陽堂…神田の神保町にあったカメラ店ですが、創業1920年と古く、決して派手さは無いものの、特に中古カメラなどは、少数ながらも非常に趣味の良い物を、良心的な価格で揃えている印象がありました。

そして、この店のもう一つ特筆すべき事というと、かつて太陽堂光機という社名で、カメラを製造販売していたことで、店舗の裏手に、かつての工場があったということです。

昭和20年代の末頃から、、ビューティーという2眼レフをメインとしたカメラを生産していましたが、リコーフレックスと並び、かなり有名であった様です。

戦後の日本では、4畳半メーカーと呼ばれる様々な零細企業が、2眼レフを始めとしたカメラを製造しており、その数は200は下らないと言われています。そして、ビューティーの様に、名の通ったメーカーですら、町工場程度の規模で生産されていたのです。

どうしても住所に書かれたメーカーが見つからない…と思ったら、ソレは長屋の一角だった…そんな時代があったのです。

昭和30年代も半ば頃になると、2眼レフの人気も下火となり、殆どのメーカーは消え去りましたが、太陽堂は、カメラ店として営業を続けてきました。

この手の街のカメラ店に転機が訪れたのは、80年代半ば頃だと思います。販売で量販店に太刀打ち出来なくなり、当時出始めた自動プリンターを導入し、1時間プリントの様な、所謂DPEに主力を置く様になっていったのです。

90年代に入ると、クラシックカメラのブームが起き、そして、女子高生が「使い捨てカメラ」を持ち歩く様になり、一時期、それなりに業界も潤ったものの、やがてデジカメに押され、DPE自体の需要も激減、街のカメラ屋自体が、どんどん消えて行きました。

かつて街のカメラ店というと、カメラの使い方から現像焼付け、電池やカセットテープの購入…色々と教えて貰う場所でもあったのですが、そういうコミュニケーションというものも失われてしまいました。

それどころか、量販店すら既に時代遅れになりつつあり、ネットで購入するのが当たり前の時代にすらなっています。

最後まで、ウェブサイトを持たなかった太陽堂、穏やかで誠実な商売には定評のあるところでしたが、既に閉店してしまっている様で、残念な話しです。

本の街神保町も、過去10年で随分と様変わりしましたが、一つランドマークが消えた様で、寂しいものです。

バイスグリップ

工具
04 /16 2014
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バイスグリップは、一般のプライヤーの機能に、万力の様に固定する機能を付け加えたもので、アメリカ、ネブラスカ州のウィリアム・ピーターセンによって発明されました。

既に特許は消滅しており、現在、世界中から様々な紛い物が販売されていますが、やはり、本家ピーターセン製の物こそが本物というのが、一般的な見解でした。

写真は、10数年前にニュージーランドで購入したものですが、相当酷使したにも関わらず、磨耗も無く、今でも完璧に作動します。エンブレムは、本家ピーターセン製であることを示しています。

一般的には、7~8インチ辺りのもう少し大きいサイズの物が好まれる様ですが、私は、この6インチのロングノーズ型の方が使用頻度が高い様です。

長年、発祥地であるネブラスカ州デウィットで製造されてきましたが、2002年にIrwin社に買収され、2008年には、ネブラスカ州の工場を閉鎖し、全品中国製になっています。

最近は、廉価版工具の台頭によって、かつての名門が苦境の立たされているのか、この様な名門も、既に中国製・・・しかもピーターセンのロゴが消え、Irwinのロゴが何とも…。

中国製でも…とは言われますが、実際に中国製になって品質の落ちたブランドも少なくないので、何れ同じ事が起きる可能性もあります。

近年、若い人が車に興味を持たなくなっていますが、そうなると、メカニックになる人も当然減り、年配のメカニックは、既に持っている…コレは、何も車業界ばかりでなく、建築等全ての業界で、似た様な事が起きています。

そんな具合に、工具のマーケット自体も、小さくなっているのかも知れません。昨今の吸収合併の活発さが、ソレを物語っている様です。

初代フォルクスワーゲン・ゴルフ

ヨーロッパ車
04 /16 2014
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写真は、初代フォルクスワーゲン・ゴルフです。
何時も同じ場所に停まっていて、不動車の様に見えますが、時々移動している上に、タイヤに空気が入っているので、一応は実働車なのでしょう(ココでは、路上に不動車を放置したら、切符を切られます)。

戦前、アドルフ・ヒトラーの命令で開発された国民車、フォルクスワーゲン・ビートルは、戦後、長いこと世界中で愛されましたが、60年代になると、流石にその設計の古さは隠せず、VW社も何とか世代交代を試みたものの、新型車はことごとく失敗し、モデルチェンジが上手く行きませんでした。

そんな中で、74年に登場した初代ゴルフは、従来とのデザイン的、技術的なしがらみを完全に断ち切り、完全な新設計で生まれたのです。

横置きエンジンのFFハッチバックというレイアウトは、限られたスペースを有効利用する上で、最適のレイアウトなのですが、当初は顧客も、その余りの激変ぶりに戸惑い、売り上げも低調だったといいますが、やがて、その実用性、走行性能が認められ、ヨーロッパのスタンダードとして成長し、今日に至っています。

この車を語る上で忘れる訳に行かないのは、あの徳大寺先生の愛車であったことです。
当時、日本車もアメリカに輸出され、一応人気を得る様になったものの・・・このゴルフの走行性能、実用性に比べると、日本車のレベルは全く話にならないもので、その経験こそが、あのベストセラー「間違いだらけの車選び」を刊行するきっかけになったのです。

当時の日本車は、アメリカで「安くて燃費が良くて、故障が少ない」という事で、売れ始めましたが、走行性能も何も全く粗末なものでした。
この「間違いだらけの車選び」のお陰で、日本車のデザイン、操縦性、走行性能、内装のデザイン等、あらゆる面でレベルアップしました。

外装デザインばかりに凝る風潮に対して、「一度車に乗り込んだら、目に入るのは内装だ」と、内装デザインの重要性を説いたのは、実に画期的なことでした。

それまでの日本のメディアというと、広告主の機嫌を損ねない様な提灯記事ばかりで、欠点はモデルチェンジ後にしか指摘されませんでした。
広告主の機嫌を損ねた記者は、たちどころに干される・・・そんな業界だっただけに、この本は、大変に画期的なことだったのです。

ゴルフから少し話が逸れましたが、徳大寺有恒という自動車ジャーナリストを生み、一冊のベストセラーを生み出したこと・・・そして、それがメーカーは勿論、国民の自動車に対する目を大きく育てたという意味で、間接的にも、この車が日本の自動車業界に与えた影響は、非常に大きいものだったと言えるでしょう。

日本のメーカーは、今日でもメルセデスやBMWといった外国車の模倣が無くなったとは言えません。様々な車から多かれ少なかれ影響を受けながら今日ここまで来た日本車ですが、やはり、「間違いだらけの自動車選び」を書かせたこの車程のの影響は、他に見当たらないのではないでしょうか?

30万ヒット達成!

無題
04 /14 2014
昨日、このブログも30万ヒットを達成しました。
2008年8月30日から約6年、随分と長いこと続いてきました。

そして、扱う車も、アメ車一辺倒から、段々と扱う範囲が広がってきており、段々とタイトルが…と思う様にもなってきましたが、取り敢えず、このまま行こうかと思っています。

今後とも、宜しくお願いします。

シボレー・カマロ VS ホンダ・シビック

無題
04 /12 2014
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カマロとシビック…年代もクラスも全く共通点の無い2台ですが…。

駐車場に並んでいた70年代のカマロと最新型のシビック…この2台を同時に見比べて思ったのが、「カマロってこんなに小さかったっけ?」でした。

当然カマロの方が幅も全長も大きい車なのですが、やはり比べてみると、背の低さが目立ちます。
背が低い=表面積が小さい=小さく見える…こんな所でしょうか?

それにしても、最近の車は背が高いですね・・・。
背が高い上に、限られたサイズの中で、可能な限り立派に見え、しかも居住性を良くする様になると、卵型に近くなり、表面積が大きくなります。

どちがが良いと言う気はありませんが、明らかに小さいはずのシビックの方が、パッと見大きく見えたのは、やはり新鮮な驚きでした。

10数年前に、70年代のアメ車を見ると、それは巨大に見えたものですが、今は、そう思わなくなってきました。やはり、背の高い表面積の巨大な車に目が慣らされてしまっているんですね・・・。


プロトのソケット新旧... スタンレーグループの今日

工具
04 /08 2014
プロトというブランドは、どちらかというと産業用工具というニュアンスが強く、アメリカビッグ3の生産ライン等でも使われています。

かつて日本では、高級工具といえば、スナップオンよりもプロトの方が有名だった位でした。

現在はスタンレーグループの一員となっており、最高級はマック、中級はプロト、廉価版をブラックホークという具合に販売されています。

プロトの印象は、とにかく質実剛健、一切の装飾の無い、無骨ながらも何処か手触りの良い…この「何処か手触りの良い」が、北米で最も普及しているクラフツマンとの違いだと思います。

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写真は、随分と古いプロトのソケットです。ご覧の様に、極めて肉厚で無骨で、実際に重いのですが、当然丈夫で、「本来の使用法以上の酷使」で簡単に音を上げるスナップオンよりも酷使に耐える存在です。

そんな無理をするのが悪い…と言われそうですが、カナダの修理は錆との戦いです。本来の使い方以上で音を上げていては、使えないのです。

右端の下にある穴は、ラチェットの差込にあるリテーナーボールの為のもので、ボールが穴の位置に来る様にすれば、強力に保持され、それ以外の場所にすれば、弱く保持され、手が油で汚れている時など、交換に手間取らない等、実に便利なもので、これはマックも同様でしたが、スタンレー加入後に廃止されてしまっています。

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此方は、最近のプロトのソケットですが、従来と違い、メッキがきれいになり、全体的に小奇麗になったものの…正直台湾製か何か?という印象しか受けないのです。

クラフツマンのソケットと何が違うの?といった印象なのです。
スタンレーグループに入って以降、カナダでの生産は止める等、様々なリストラが行われてきたことは確かです。

プロトに関しては、正直何処で作られているのか、ハッキリとした情報は有りませんが、オーストラリアのシドクロームも、同じくスタンレーグループ加入後、オーストラリアでの生産を中止し、現在は台湾か何処かで生産されているということで、恐らく、同じ工場で生産されているのだと思いますが・・・。

現在、メカニックの間でも、プロトの知名度は、決して高いとは言えません。特に若い世代は絶対に知らないといっても良い位です。

身近にディーラーが無いこと、工具の仕上げ自体も、正直、クラフツマンや、スタンレーグループの廉価版、ブラックホークと比べても特別魅力が無いこと、そして値段は倍…仮に品質が良くても、コレでは売れないのも無理無いでしょう。

産業用…というのは、つまり経費で落とされて、誰も拘ることもなく使用され、一定期間が過ぎたら入れ替えられる…そんな具合だからこそ成り立っているブランドなのかも知れません。

スタンレーグループというのは、数々のメーカーを買収して大きくなった会社ですが、私に言わせれば、工具界のGMです。
様々なブランドを買収し、生産拠点を集約、若しくは海外に移転、OEM製品が多くなり、魅力ある製品が無くなる・・・。

現在、スタンレーグループの高級ブランド、マックツールですら、バンクーバーで一人しかバンセールスをやっていないということで、完全にスナップオンに差を付けられていますし、店舗も無く、何時来てくれるか分からない様では、永久保証も大して意味ありません。

そんな理由から、むしろ最近は、クラフツマンや、カー洋品店「カナディアンタイヤ」のブランド、マスタークラフト辺りが重宝していたりします。

特にカナディアンタイヤは、店舗が多い上に、遅くまで営業しているので、仕事の後に寄ることが出来ますし、何と言っても保証が物凄く良いのです。
それは、店員に工具の知識が無い故に、保証判定がほぼ皆無で、何でも新品交換してくれるのです。

そんな訳で、現在は、高級工具に金を掛けず、安物買って、壊れたら交換してもらう…そんな風になっています。

現在、スナップオンですら、部品を中国で生産したりしています。20年前と比較すると、何ともつまらない時代になった気がします。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。