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C4 シボレー・コルベット・コンバーチブル

シボレー
08 /28 2014
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写真は、84年に登場した4代目のコルベットです。

コルベットというと、良くも悪くもアメリカを代表するスポーツカーとして、その名を知られていますが、先代までが、正にアメリカ車そのもので、「ハンドリング…何ソレ?」という車であったのに対して、この車は、ハンドリングにも大いに手を加えられ、コルベットが、より国際的水準のスポーツカー的に路線変更したものでした。

考えてみると、初代のコルベットは、第二次大戦時、そして戦後、ヨーロッパに駐留したアメリカ兵の間で人気を博し、アメリカに持ち込まれたヨーロッパ製のスポーツカーを意識した車だったのですが、何時の間にかアメリカ製ドラッグレーサーの様な車に変貌し、そして、再びこの世代でヨーロッパ嗜好を目指した…という事になります。

ただ、初代の頃は、MGやアルファロメオといった車のアメリカ版だった事を考えると、随分とクラスアップしたものです。

この世代の登場した84年というと、まだ世界的に排ガス規制等に苦労していた時代で、馬力も当初は5.7リッターで205馬力と、大した事の無いものでしたが、その後、毎年の様にパワーが向上し、最終的には300馬力の大台に達し、更にZR-1の様な高性能バージョンも追加されました。

写真はコンバーチブルですが、86年に登場しました。
コルベットとしては、久々のコンバーチブルですが、この車、何を隠そう、荷物を入れるスペースが、ほぼ皆無なのです!

通常のコルベットは、ハッチバックで、リアハッチの部分が荷物室になっていますが、コンバーチブルでは、その部分に折り畳んだルーフを収納する様になっているのです。

トランクも無く、シートの後ろも然り…折角お洒落なデートカーに使おうにも、日帰りのドライブが精一杯なのです。

フェラーリだって、もう少しマシです。

結局、男一人で…という使い方になるんでしょうか?
そんな意味からも、大変に贅沢な大人のオモチャ・・・と言える車です。

今や完全に絶滅してしまったリトラクタブルライトも、実に良い味を出しています。

元々、全高の低いヨーロッパ製スーパーカーが、アメリカの法規制に合わせて苦肉の策として採用したと言われるリトラクタブルライトですが、北米でヘッドライト常時点灯の州が増えたこと、対歩行者の安全性に劣る事、コストダウン…といった理由から、現在は完全に絶滅してしまいましたが、やはりスポーツカーには欲しいデザインですね・・・。

80年代は、アメリカ車が大きく変わった時代ですが、全体的にコンパクトになったものの、走り自体は、旧来のフワフワと真っ直ぐ走る車だった中、コルベットは一足速くソレから脱却し、一定の評価を得ました。

それ以降も世代交代する毎に、走りもハンドリングも向上し、名実と共にアメリカ製スーパーカーの地位を独占していますが、あのGMが、こんな販売台数の限られたスポーツカーを作り続けているのは、ある意味奇跡に近いことです。

あのダッジ・ヴァイパーですら、経営破たん時に一度は生産中止になったことを考えると…。

かつては比較的よく見かけるスポーツカーでしたが、今や本当に貴重な存在という気がします。
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夏の終わりのハーモニー

映画・音楽
08 /27 2014

安全地帯がメジャーデビューしたのは1982年、元々、井上陽水のバックバンドとして、本格的な活動を開始しました。

83年に発売された「ワインレッドの心」の大ヒット後、実力派バンドとしてヒット曲を連発することになります。

大麻事件で逮捕されて以来、低迷の続いていた井上陽水も、安全地帯への曲の提供を足がかりに、久々に自らも「いっそセレナーデ」をヒットさせ、見事な復活を遂げました。

その両者が1986年夏、神宮球場にてジョイントコンサートを開催しました。茹だる様な夏の夜、突如として観客の前で発表されたのが、この曲でした。

この模様は、FMラジオでも流れ、ライブアルバム、そして、当時普及し始めたビデオとしても発売され、この時代を知っている多くの人が、何らかの形で耳にしたことでしょう。

当時、玉置浩二は若干28歳、そして井上陽水も38歳・・・現在、こんな素敵な曲、そして演出の出来る若手アーティストがどの程度居るでしょうか?

同年、玉置浩二は、初の主演映画「プルシアンブルーの肖像」でもヒットを飛ばし、バンドとしても、正に絶頂期でした。

井上陽水も、その後も着実にヒットを飛ばし、その中に、あの名曲「少年時代」も入っています。

暑さの中にも秋の気配が漂い始める今日、過ぎ行く夏を惜しみながら、グラスを傾けつつ、こんな曲に耳を傾けるのも、乙なものです。

フジXA-1の作例

写真・カメラ
08 /24 2014
色が素晴らしい、流石はフィルムメーカー!と絶賛されるフジXA-1、そして、センサーが小さく、画質が悪いと酷評され続けるμフォーサーズのパナソニックGX1…発売時期に2年の差が有りますが、今の所、決定的な画質の差は見て取れません。

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此方が、パナソニックGX1+標準ズームで撮ったものです。決して派手さは無いものの、堅実な描写をしています。

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コチラはフジXA-1+標準ズームで撮ったものですが…最近の人は、コチラの方が良いのでしょうか?一見鮮やかなだけで、まるで重みの無い、軽薄な描写です。

長年写真をやっていれば、空がこんなに鮮やかな青でない事位分かります。

むしろ地味な色のパナソニックの方が、遥かにその場の雰囲気を写し出しています。
因みに露出は、共にオートで、同じ場所でピントを合わせているので、カメラの特性の差だと言えます。

フジの写真は、正直フォトショップでどう弄っても、軽薄な印象は消えませんでした。逆にパナソニックをもう少し鮮やかにしたい…というのは、簡単に出来ます。

デジタル写真が一般的になってから、色調や色彩を誰もが簡単に弄れる様になりました。そして、同時に、実際の色というのが葬り去られてしまっている様な気がしてなりません。

近年、ネットでも物凄く鮮やかな写真を沢山見ますが、正直、フィルム時代のリアリティーさには適わない気がします。
私は、見た目のきれいさよりも、その場の雰囲気の方を重視するので、どうも最近の風潮は嬉しくないですね・・・。

日本人留学生の車横転、3人死亡…サンディエゴ

ニュース
08 /23 2014
【ロサンゼルス=加藤賢治】米カリフォルニア州サンディエゴ北郊の高速道路で21日夜、日本人留学生8人が乗った乗用車が道路脇に飛び出して横転し、3人が死亡、5人が負傷した。州警察当局によると、死亡したのは運転していた男性(19)と、別の男女2人の計3人。残る男性3人と女性2人も重軽傷を負い、地元の病院に搬送された。

 車は4人乗りで、警察当局は、このうちの何人かはシートベルトを装着していなかったとみている。現場は緩やかな左カーブで、車はのり面下にある電柱に激突、大破した。速度超過の可能性もあるとみて事故原因を調べている。事故後の手順として、地元郡当局が死亡した3人の血中のアルコール濃度などを検査するという。車は運転していた男性が所有していた。


 警察当局によると、8人は18~22歳といい、サンディエゴ北郊サンマルコスにある2年制州立大学「パロマー・カレッジ」の新入生。同大などは8人の名前を明らかにしていない。同大によると、留学生は約250人で、このうち約130人が日本人という。今月18日に新学期が始まっていた。




日本人留学生8人が乗った乗用車…この下りでミニバン?と思ったら、車は4人乗り…。
そんな中に8人なんて、一体どうやって乗ったんでしょう?
昔のフルサイズカーならともかく、情報によると、2000年式ホンダ・プレリュードだった様ですが、一体あの車の何処にそんなスペースが有ったんだか・・・。

カレッジの新入生…来たばかりでいきなり車を買って、しかも仲間内で暴走…。
日本の方には少し理解し難いことですが、現在北米では、保険料が物凄く高騰しています。特に国際免許で10代、免許取り立てなんていう条件だと、年間40万位してもおかしくないでしょう。

半数以上が日本人というカレッジ、しかも来て直ぐに車購入なんて、恐らく金持ちの遊学だと思いますが、それにしても、余りに無謀で痛ましい事故です。

ダッジ・チャージャー ポリスカー

リムジン、特殊車両
08 /23 2014
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この半年位、急に見かける様になったダッジ・チャージャーのポリス仕様です。

それまで、ポリスカーというと、白ベースが多かったのが、今回は、通常のポリスカーが黒ベース、そして写真の様な覆面は、写真の様なシルバーか、あとは黒かダークグレー系が多い様です。

97年にGMがフルサイズから撤退してから、フォードの独占状態で、それ故に価格も高騰していたポリスカーですが、今回のダッジは、半額程度になっているということです。

かつては、GM、フォードと共に、ダッジもポリスカーの市場を持っていたものの、80年代初頭、クライスラーのフルサイズ市場撤退以降、ご無沙汰になっていました。今回、その市場に何とか返り咲こうと、相当価格面でも頑張った様ですが・・・。

この車は、正にダイムラー・クライスラー時代の負の遺産とも言えるもので、間違っても品質的にも褒められたものではありません。フォードのシンプルかつ丈夫さに比べて、旧メルセデスのシャシーをベースにしたこの車が、どの程度の耐久性があるか、正直かなり疑問でもあります。

大体、バンクーバーでのポリスカーの寿命は7年位ということですが、その時にどんな評価を受けるか…。まあ、既にフォードと比べて、メンテナンスも金がかかり、整備性も良く無いと言われている様ですが・・・。

この手のポリスカー自体、既に何年も前からあり、バンクーバーでも、交通警察(バスや電車関係)に限っては使われていたものの、ポリスカーとしては、本当に最近になってからです。

この半年間、結構頻繁に街で見かける様になったものの、今回、初めてカメラに収める事に成功しました。

因みにDodgeというのは、Drips Oil Drops Grease Everywhereという意味だったりします・・・。


フジX A-1 レビュー

写真・カメラ
08 /19 2014
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一月前に購入した、フジX A-1ですが、取り敢えずブログ用の写真は無難に撮れているものの、作品とすべきものが全く撮れていません。

フジというと、誰もが異口同音に画質の素晴らしさを絶賛しますが、一体どうなのでしょう?

私は、デジタルになってから、コンタックス、ライカといった描写に定評のあるカメラを使って来ており、それ等は、使い始めて直ぐにでも、他とは違う何かを感じたものでした。

しかし、このフジでは、それが全く無いのです。
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例えばこの写真…一見鮮やかで綺麗な写真に見えますが、私に言わせると、これ程偽者臭い、まるで空気感を感じない写真は、論外です。

最近の人は、こんなのを良い描写だと言うのでしょうか?

デジタルになってからは、PCの画面で誰もが簡単に拡大して画像を鑑賞する事が可能になりました。それ故に、メーカーは解像力ばかりを追及する様になったのでしょう。解像力を追求すれば、立体描写が二の次になるというのは、昔から知られていることです。

猫も杓子も画像を等倍鑑賞し、解像力の優劣=カメラやレンズの性能と勘違いしています。

そしてメーカーも、売る為には、それに追従せざるを得ない…。

パッと見を綺麗にするために、強烈なノイズリダクションをかけ、コントラストをガビガビに高くし、彩度を強烈に…このカメラの「素晴らしい画像」の正体とは、正にソレです。

ノイズを消したら味も無くなったCDと似ている気がします。

正直、2年前に買ったパナソニックGX1の方が、遥かに空気感に溢れる、リアリティの有る画像になります。

フジのもう一つ絶賛されるのは、高感度の画質ですが、コレも強烈なノイズリダクションによる所が大きく、GX1と同時にISO6400で撮影し、共にRAW現像したところ、正直明確な差は確認出来ませんでした。

逆にパナソニックに高感度がイマイチというイメージがあるのは、ノイズを残しているからなのだと思います。それだと、ノイズが嫌という場合、後で消してやればいいだけです。

近年は、インターネットで様々な情報が流れていますが、やはり玉石混合だと思った方が良いでしょう。パナソニックはセンサーのサイズが小さいから画質が悪いと常に言われますが、主にノイズに対する考え方の違いでしかないと思います。

現在、日本で買い物するというと、価格・COMというサイトが定番となっていますが、あそこの口コミでも、少し気味悪い経験をしたことがあります。

パナソニックGX1の口コミで、フジX A-1と高感度の比較をして、殆ど差がないということを投稿したところ、何故かフジXA-1の口コミの常連が、押し寄せてきたのです。既に絶版機種で、しかも、普段は全く見かけない連中が急に… あの辺はフジの工作員なんでしょうか?

鮮やかな色というと、コンタックスを思い出しますが、アレは鮮やかな中にも非常に重厚で力強い何かがあり、しかもリアリティーに溢れており、フジのソレとは雲泥の差でした。

ダッジ・アスペン

ダッジ
08 /19 2014
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ダッジアスペンが登場したのは1976年、プリマス・ヴォラーレと共に、旧来のダッジ・ダート、プリマス・ヴァリアントの後継モデルとして登場しました。

旧ダート、ヴァリアント兄弟は、実用的なサイズにシンプルかつ丈夫なメカニズムで定評のあった車ですが、アスペン、ヴォラーレ兄弟は、一転して大いに品質問題を抱えた車でした。
「ショールームで既に錆びている」と言われる程錆が酷く、特に初期モデルは、一年足らずでボロボロに錆びる有様で、全数リコールでパネル交換や再塗装が施される程でした。
エンジンも何時エンストするか分からず、とにかく乗っていて危険極まりない車として有名になった車です。

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当時のクライスラーは、技術は有っても、製品のテストを十分に行わないまま市場に出す傾向があり、特に初期モデルの顧客は、車を購入した上で、更にボランティアテストドライバーをやらされた様なものでした。

更に、当時のクライスラーは、セールスバンクと言う独自のシステムを採用しており、作った車は全数、セールスバンク販売したという形を取り、建前上は在庫も無く、フル生産を行っているのですが、当然現実は、セールスバンクは在庫の山と化し、ミシガン州の空き地と言う空き地は、クライスラーの在庫車で埋まったと言われる程でした。

そんな長期間風雨に晒された在庫車を定価で買う者は皆無で、結果、定期的に大バーゲンを行う訳ですが、そうなると、ディーラーもバーゲンの時しか車を仕入れないという風になり、更に収益が悪化して行ったのです。

主力モデルのアスペン、ヴォラーレが深刻な品質問題を抱え、そのリコールに掛かった金額、そして、セールスバンクによる過剰生産、大量在庫が、クライスラーの経営
を傾け、事実上、倒産に陥りました。

後に、品質は向上したものの、元々極めて評判の悪い車であったため、当然中古市場での価値も低く、今日、その姿をみることは、極めて稀です。

1979年、リー・アイアコッカ氏が社長に就任すると、社内の腐敗に徹底的にメスを入れ、諸悪の根源のセールスバンクも廃止し、そして翌年には、悪しきクライスラーの象徴として、このアスペン、ヴォラーレ兄弟もリストラに遭い、アイアコッカ氏肝煎りのKカーにバトンタッチしています。

当時、クライスラーは、オーストラリアにも子会社がありましたが、コチラはアスペン、ヴォラーレを売らず、一貫してヴァリアントを販売していた為、最後まで悪評が立つ事は無かったものの、親会社の経営破たんを理由に閉鎖され、惜しまれながら姿を消しました。

特にニュージーランドでは、ヴァリアントというと、ほんの数年前でも、当たり前に見かける車で、その多くがレストアを受けていない乗りっ放しの様な車で、オークランドの治安の悪い地域で見かけるボロボロのヴァリアント…そんな辺りからも、その耐久性をうかがい知ることが出来ます。

73キャデラック・フリートウッド・ブロアム

キャデラック
08 /17 2014
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写真は、ダウンサイズ前のキャデラック・フリートウッド・ブロアムです。

次期モデルよりも全長20センチも大きく、ホイールベースに至っては3.3mという途轍もなく長いもので、やはり次期のダウンサイズされたモデルよりも優雅に見えます。
エンジンも7.7、8.2リッターという凄まじく大きいもので、やはりこの辺りがキャデラックのピークだと言えるでしょう。

写真をよく見ると、アチコチに錆が浮いており、放置車の様にも見えますが、路上放置は、即違反切符を切られるので、走行可能な状態です。

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リッター2~3キロが精々という凄まじい燃費も、リッター10セント程度ならまだしも、今日のリッター1.4ドルでは、全く話しになりません。

デザイン的には、やはり独特なクロームで縁取りされたサイドガラスが目に付きますが、この頃は、後にトヨタがマーク2やクラウンで拘って採用した「ピラードハードトップ」になっています。

そして、このクロームの縁取りは、1940年代のキャデラックにも見られるもので、大変に優雅な雰囲気を醸し出していますが、この辺りは、次期モデルで失われています。

近年の車は、とにかく太くなったピラーの演出が下手な車が多いですが、この辺りにヒントが隠れていそうです。

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77年に登場した次期モデルが、実に15年間も販売された関係から、キャデラックというと、そのイメージが強いのですが、やはり、コチラの方が、デザイン的にも、全体の作りといった面でも、より雰囲気があると思います。特に明るい派手な色が似合うという意味では、より若々しくスタイリッシュだと言えるのかも知れません。

このタイプも、翌74年から、よりシンプルな顔つきになり、75年からは、次期モデルと殆ど同じ様な顔つきになっています。

以前、同世代のクーペ・ド・ヴィルを取り上げた時、このデザインの59年型との類似性に言及しましたが、その意味からしても、キャデラックとしての正常進化の最終到達点と言ってもいいのかも知れません。

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コチラは次期モデルですが、こうやって比べてみると、やはり、この時点で急にフォーマルなスタイルになったという気がします。この手は、正直、あまり明るい色が似合わない印象があります。

1926 フリント Jr.  $6,500

独立系メーカー
08 /14 2014
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郊外の田舎町で、こんなのを見つけました。フリントJr...フリントという名前は、ミシガン州フリント、GMの創業者、ウィリアム・デュラントの出身地で、長くGMの城下町として栄えた街の名前です。

そして、このフリントというブランドは、デュラントがGMを去った後、自ら創業したデュラントモータースの一ブランドです。

ヘンリー・フォード、ウォルター・クライスラーといった自動車産業創世記の他の著名人に比べ、ウィリアム・デュラントの知名度は著しく低いというのが正直な所ですが、それは、GMにデュラントの名前を冠したブランドが無かったこと、そして、実質GMに関わった期間が余り長くなかった事も関係していることでしょう。

1910年、一度はGMの経営権を失ったデュラントは、後に始めたシボレーを元に、当時銀行管理下にあったGMの株を買い漁り、過半数を取得し、1915年、再びGMのトップに返り咲きますが、時代は既に変わっており、5年後には、再びGMを追われることになりました。

世界中、何処でも「革命」というものが成功した例は極めて稀ですが、それは、革命を起こす能力と、ソレを維持する能力が全く別のもので、革命者に前者が備わっていても、後者が備わっていないことが殆どだからなのですが、デュラントも、間違いなく前者だったと言えるでしょう。

因みに、デュラントの跡を継いだアルフレッド・スローンは、GM傘下のベアリング会社出身という極めて地味なバックグラウンドで、地味ながらも堅実に経営を維持する能力に優れた人物で、デュラントとは対極の人物だったといいます。

その後に始めたのが、デュラントモータースで、フリント、デュラント、スターといったブランドを揃えており、後に高級ブランドのロコモービル社も買収しています。
この辺りの手法は、GMと同じだと言えるでしょう。

デュラントが当時の他の経営者と大きく異なったのは、彼は根っからの商人であり、技術に関しては全くの素人であったことです。車以前には、馬車の会社を経営していましたが、それも製造は他に任せて自分は売るだけというスタンスに徹していたのです。デュラントモータースも、エンジン、車体共に外注であった様です。

1929年に起きた世界恐慌の煽りで、多くの自動車メーカーが倒産に追い遣られましたが、デュラントモータースも1931年には倒産し、デュラントも一文無しになっています。

その後、デュラントは再び自動車産業に戻る事はなく、レストランやスーパーマーケット、ボーリング場等の経営を手がけたということです。

今や、そのGMも往年の面影すら有りませんし、フリント市も、GMの工場閉鎖と共に極度に治安が悪化し、同市出身の映画監督マイケル・ムーアのドキュメンタリー「ロジャー&ミー(ロジャー=ロジャー・スミス)」で、取り上げられています。

そんな大昔の、しかも、あのウィリアム・デュラントの関わった車が、カナダの田舎町に、若しくは田舎町だからこそ残っている…ある種、感慨深いものを感じずにはいられません。

キャデラック・フリートウッド・ブロアム

キャデラック
08 /13 2014
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このタイプは、77年モデルでダウンサイズを受けた後のキャデラックです。

フリートウッド・ブロアムは、85年の2回目のダウンサイズ後も生き残り、93年まで生産されました。

このダークブルーのツートン…このモデルのイメージカラーとも言えるものですが、やはり良い物ですね…。

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正直、このダウンサイズ後のモデルは、他のブランドとの差も少なくなり、金太郎飴化が顕著になり始めた時代のものです。そして、先代の持っていたグラマラスな雰囲気が無くなり、急速にイメージが高齢化したというのも事実だと思います。

しかし、逆にフォーマルな雰囲気という風に見ると、非常に良い所を突いている様にも見えます。

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シビアノッチバックのビニールトップ、長いトランクにクロームで縁取りされた縦型テールランプには、哀愁すら感じます。

それにしても、こんな綺麗で、しかもホイールまでノーマルのこの手を見るのは、本当に珍しいことです。

因みに写真の前席のドアをよく見ると、ドアにシートベルトがマウントされているのが判ります。
コレは、パッシブシートベルトと呼ばれるもので、本来、Bピラーに装着されているシートベルトのトップマウントが、ドアに装着されており、そのお陰で、シートベルトを外さずに、乗り降り出来る…というのが謳い文句で、中には電動で移動する物もありました。

アメリカでは、一頃、パッシブシートベルトか、エアバッグのどちかかの装着を義務付けられており、この手のシートベルトをよく目にしたものですが、正直、装着したまま乗り降りしている人は、少なかった様に思います。

内装はプラスチックだらけ、外板もヨレヨレでパネルの隙間も滅茶苦茶、考え様によっては、まるで品質を感じさせない作りなのですが、逆にその辺が完璧なレクサスよりも、遥かに雰囲気があるのが面白いものです。

まるでカタログ写真からそのまま出て来た様な車ですが、大切にして欲しいものです。それにしても、天気の良い夏のバンクーバーでは、急に古いアメ車を見かける様になる気がします。

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アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。