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1949年 キャデラック

キャデラック
10 /31 2014
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オレゴン州のニューポートに行く途中に見かけた49年型キャデラックです。

1941年、アメリカが第二次大戦に参戦すると、自動車メーカーも軒並み兵器の生産に借り出され、42~45年モデルは欠番となっています。

戦後、46年モデルから生産が再開しますが、その時のものは、戦前の41年モデルと殆ど同じ物でした。

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キャデラックの実質的な戦後モデルは、48年から始まり、ソレまでのものに比べ、前後のフェンダーの出っ張りが小さくなり、後のフラッシュサイドボディーに近いものになったこと、そして、高い位置に取り付けられたテールランプは、後のテールフィンの原型ともいえるものでした。

この年から、エンジンも、新型のOHVヘッドを搭載したV8が追加され、キャデラックの高性能さを存分にアピールしています。

この世代では、既にオートマも用意されており、既にアメリカ車としてほぼ完成の域にあったと言えます。

写真は通常のセダンですが、この49年には、後にアメリカで大流行するハードトップも設定されています。

こんな具合に、来るべく50年代を予感させる仕上がりになっていますが、同時に前後のガラスが分割式であったりと、40年代の雰囲気も色濃く残っていました。

49年式フォードは、一足先にフラッシュサイドボディーに移行していますが、GMは、リアフェンダーの出っ張りを残す等、少し後ろ向きなデザインでもありました。

特にレストアされている様にも見えませんが、かといってクロームの状態も非常に良く、それなりに手入れはされている様でした。
ピカピカにレストアされたものも良いですが、コレ位の感じでさり気なく街に停まっていたら、別の意味でお洒落だと思います。
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アメリカ旅行 ニューポート

アメリカ旅行
10 /31 2014
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カリフォルニア~オレゴンのかけての海岸線は、その雄大な景色で知られていますが、ポートランドの様な都市部からも近いとは言えず、また、宿も多く無いので、観光し易い場所とはいえません。

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この橋が、ニューポートのランドマークとなっています。


そして、端から端まで…となると、それも膨大な距離にになり、これも大変な事になります。

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そんな理由から、前回の記事で述べた通り、オレゴンコースト最大の町、ニューポートに宿泊することにしました。

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大きな町とは言っても、人口1万人程度で、古い漁港といった風情が漂います。
現在の主要産業は、数年前にシアトルから移転してきたアメリカ海洋大気庁となっています。

写真のキャデラック・セビル・・・やっぱり今のクルマよりも雰囲気があります。

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港町の朝は早く、日の出の頃には、漁業関係は一斉に操業を始めています。

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静かな入り江の中にある港とは対照的に、海岸線は、非常にダイナミックな表情を見せます。

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これだけ広大な海岸にしては、全く貝殻が落ちていないのは何なのでしょうか?

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こんなモノが時々・・・

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ポートランドから最短で183キロ…間違っても交通の便が良いとは言えませんが、この海岸線のドライブも併せて、レンタカー等を使った旅行は、お勧めです。

尚、かつてのドラマ「オレゴンから愛」で海水浴に行くエピソードがありますが、アレは、このニューポート周辺で撮影されています。

アメリカ旅行 ユージーン~ニューポート

アメリカ旅行
10 /29 2014
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一応晴れ空が見えるものの、相変わらず雲も多く風も強い…こんな具合だと、また何時雨が降ってきてもおかしくありません。

ユージーンの街を出発すると、前半は、ほぼ来る時に通ったI5と平行に北に進みます。

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見渡す限りまっ平ら、その中をひたすら直線に次ぐ直線を疾走することになります。
ただ、ココの道は、所々に信号があり、走りっ放しという訳ではありません。

遥か西の彼方には、山々が見えます。

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そして、その山々が雨雲に被われており、コチラに来るのも時間の問題です。山に入れば降られるのは、ほぼ間違い無い状況です。

オレゴン州の海岸線は、「オレゴンコースト」と呼ばれ、風光明媚なことで知られていますが、同時に非常に遠く、交通の便が悪いのです。折角オレゴンまで来たのだから、是非行ってみたいとは思ったものの、前日の雨の事を考えると、リスキーな決断でもありました。

カナダでも、バンクーバー島の太平洋側は、反対側よりも遥かに降水確率が高いことを考えると余計に・・・。

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Corvallisの街で左折する事になりますが、ココが何とも訳がわからず、行ったり来たりしてしまいました、

そして、西に向かい始めると…意外と雨が降ってきません。
Philomathの町で若干パラパラ来た程度で、それ以降、何も無い山の中に入っていきましたが、天気は良好。

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カリフォルニアとは違う潤いのある緑が心地よく、また、余り制限速度が高くないこともあり、私の旧型バイクにも、非常に快適なコースでした。

結局、山を越えて海岸線に出ると、今まで以上に天気が良いのが意外なところでした。

ココの海は、正に太平洋ならではの荒々しい景色が魅力です。

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この凄まじい波しぶきが、この辺りの海岸の特徴です。

海岸で、こんな物が落ちていました。
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コレは日本から流れ着いた物なのではないでしょうか?コチラでは、街中でこんな物見たこと無いですね・・・。

アメリカ旅行 メドフォード~ユージーン(オレゴン)

アメリカ旅行
10 /28 2014
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メドフォードでは、前回とは違う場所ですが、モーテルに滞在しました。
午前3時頃、身体が痒くて目が覚めました。アチコチに何か虫に噛まれた痕が…何気に枕をひっくり返してみると…凄まじい大きさのノミが這い回っていました。

信じられない様な大きさでしたが、即座に潰すと、やはり血を吸っていました。

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早速文句を言いに行くと、部屋を替えた上に、支払った宿泊料も払い戻して貰いました。アメリカでは、この辺りに物凄く神経質なのです。
何だかんだとゴタゴタして、気が付けば、朝4時を過ぎていました。

昼過ぎにメドフォードを出ると、前回の反省から、オレゴン州最北端のポートランドではなく、中央のユージーンを目指しました。

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やはり、北に行く程、山々が緑に被われます。

オレゴン州南部は山がちで、メドフォードでは晴れていたのが、少し北に行くに従い、段々と雲に被われてきました。

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やはり、こんな物も大きいですね・・・。

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休憩所で見かけた自販機…アメリカでは、一般的に屋外には自販機を置きませんが、置く場合は、こんな具合に…如何に日本が安全かを実感します。

更に北に向かうと、一段と雲が厚くなり、ついに雨が降ってきました。

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雨が降り始める前に雨具を着たものの、やはり100キロのスピードが出ていると、段々と体温が奪われてきます。
ただ、山岳部の雨なので、変化の激しさから、少し休憩を取れば、止んでくれたりしましたが、結局降ったり止んだりの繰り返しで、この日は殆どが雨の中の走行となりました。

しかし、30年前のバイクで、こんな長時間の高速雨天走行で何も起こらないなんて、やはり日本車だけのことはあります。

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ユージーンの手前辺りで、雨雲の隙間から、日が差し始めました。
その後は段々と晴れてきて、夕焼けがきれいで、バイクを止め、写真を撮っていると、2台のバイクが私の少し先で停車し、コチラに歩いてきました。

私のバイクが故障したのかと思って、助けに来てくれたのです。アメリカという土地は、一度立ち往生すると、命に関わるだけに、こんな文化があるのです。

ユージーンに到着する頃には、夕闇が辺りを覆い、薄暗い見知らぬダウンタウンを通り過ぎました。

アムトラックの停まる駅ということもあり、予想していたよりも良い感じの街です。
街の中に緑があるのが、カリフォルニアとの違いでしょうか?

翌日は、朝から小雨が降ったり止んだりの生憎な空模様で、余り観光という感じではありません。


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ユージーンで私が来たかったのはココ…以前、アムトラックで大陸横断をした時、ココの駅で休憩時間があり、丁度日没を迎えたのです。

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2005年当時の景色。

チェックアウトを済ませると、ダウンタウンの道路をグルグルと走り回りました。

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ダウンタウンの真ん中で、ファーマーズマーケットが開催されていました。

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アメリカの秋ならではの彩りです。

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やはり緑が多いのは、いいものです。反面雨も多いのですが・・・。

今は取り敢えず天気は良いものの、何時また雨が降ってくるか判りません。オマケに当日のコースは、前回通っていない山岳地を含み、海岸に出るコースなので、天気が再び崩れないうちに出発しました。

因みにユージーンの隣町、スプリングフィールドは、あのシンプゾンズの住んでいるスプリングフィールド…と言われています。作者のマット・グレイニングの出身地もオレゴン州なので…。

ワゴンのない「レガシィ」、5年ぶりに全面改良

日本車
10 /26 2014
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富士重工業は24日、旗艦車種「レガシィ」を5年ぶりに全面改良して発売した。
 
室内空間を広げ、運転支援システム「アイサイト」の最新版を標準装備している。セダン「B4」とSUV(スポーツ用多目的車)「アウトバック」の2タイプのみで、ワゴンタイプはない。

 価格は消費税込みで、B4が286万2000円~307万8000円、アウトバックが313万2000円~340万2000円。


前から噂はありましたが、予定通り、レガシー・ワゴンが無くなりました。

しかし、レガシーという車、日本では9割がたワゴンだったと思うのですが、ソレを落とすというのは如何なものなのでしょうか?

アウトバックに統合…という事なのでしょうが、そうなると、只でさえ売れていなかったレガシー・セダン…それを考えると、今回が最後のレガシーになるのかも知れません。

既に、よりコンパクトなレヴォーグがあるので、ソレと、よりSUV的なアウトバックの2本立てで、中間のレガシーを落とすということなのでしょう。

レガシーというのは、登場以来25年間、「指名買い」され続けたブランドです。それが先代の不恰好かつ不気味に膨れ上がったことから人気が落ちましたが、だからと言って…少し安易な気がします。

先代よりマシとは言え、相変わらず大した事無いデザインですね…肥大し切って、初代、2代目辺りの引き締まった良さが全く感じられません。

賛否両論も「地獄先生ぬ~べ~」の実写ドラマ化は成功!?

映画・音楽
10 /26 2014

今月11日にスタートした日本テレビ系ドラマ「地獄先生ぬ~べ~」が、原作ファンから賛否両論が飛び交い話題を集めている。

佐々木希 女優に逃げ道作った

■90年代に「週刊少年ジャンプ」に連載された同名人気漫画が原作

同ドラマは90年代に「週刊少年ジャンプ」に連載された同名人気漫画が原作で、「関ジャニ∞」の丸山隆平扮する、鬼の力を封じ込めた“鬼の手”を持つ高校教師“ぬ~べ~”こと鵺野鳴介が、霊能力を駆使して妖怪や悪霊を退治していくというストーリー。
今年4月に韓国の女性グループ「KARA」を脱退し、女優として日本を中心に活動することになったジヨンこと知英が、主人公の鵺野の婚約者を自称する雪女(ゆきめ)を演じて、日本の連続ドラマデビューを果たすことでも注目された。

■設定変更や過剰な“パロディー演出”に対して原作ファンから批判も

11日に放送された初回は平均視聴率13.3%、瞬間最高視聴率16.4%(ともに関東地区、ビデオリサーチ調べ)と、まずまずの視聴率を記録。

その一方で、物語の舞台を小学校から高校に移すなどの大胆な設定変更、さらには今年ブームを巻き起こしていたディズニー映画「アナと雪の女王」の主題歌「Let It Go~ありのままで~」を合唱するシーンや子供たちに大人気のゲーム&アニメ「妖怪ウォッチ」に触れるシーンが出てくるなど、初回から流行りを意識した過剰な“パロディー演出”に対して、原作ファンの間からは「こんなの“ぬ~べ~”じゃない」や「見ていられない」といった批判的な声も噴出している。

これを受けて、別の民放テレビ局の編成担当は語る。

「最近は人気漫画を原作にした映画やドラマが花盛りですが、原作に対して思い入れの強いファンから厳しい声が出るのは、制作サイドもある程度予想しています。それでも、今回のドラマはかなり“冒険”していますよね。設定変更しかり、パロディーといえば聞こえはいいですが、『アナ雪』や『妖怪ウォッチ』など単に流行りモノにすがっているだけで、パロディーにもなっていない。奇をてらっているつもりなのかもしれませんが、単にブレているようにしか思えません。正直言って、あれでは原作漫画のファンの方に『自信がないのに実写化するな!』と怒られても仕方がないでしょう」


原作漫画の作画担当者からは好意的な意見も…

とはいえ、原作漫画の作画を担当した岡野剛氏からは好意的な意見も。
岡野氏はツイッターで、「ドラマ見ました~!面白かった!笑えた!泣けた!燃えた! ...まあ、補正がかかって贔屓目に見てしまってるところはあるかもしれないけど、私は大好きです!これからもう一度、録画した分を最初から見ます」などとドラマを称賛している。

こうした中、制作サイドは18日放送の第2話でドラマ冒頭のオープニングナレーションに、アニメ版で鵺野を演じた声優の置鮎龍太郎を起用する動きも見せており、何とか原作漫画ファンやアニメ版のファンを味方につけようとしているようにも思えるが…。
別の民放テレビ局のドラマ制作スタッフは分析する。

「漫画やアニメ作品をドラマ化するうえで、視聴者層を加味して多少の設定変更をするのは仕方がないと思いますが、“パロディー演出”に関してはどうなんでしょうね。ドラマや映画、アニメの世界では、昔から制作者が影響を受けた昔の作品のパロディーやオマージュを尊敬の念や思い入れの強さから、自身の作品に取り入れるケースは多々ありますが、今回の“パロディー演出”に関しては、作品の世界観と関係ないところで、単に流行りモノを無理やり取り入れているようにしか思えません。玉藻京介役の速水もこみちさんが、自局の朝の情報番組『ZIP!』の『MOCO'Sキッチン』よろしく、オリーブオイルを駆使して料理を作るシーンなども、手前味噌な内輪ウケ狙いの印象で、そうした部分も原作ファンの反感を買っているゆえんではないでしょうか。日テレさんは、実写化は難しいとされたアニメ『妖怪人間ベム』のドラマ化を成功させた実績もあるわけですし、もっと自信を持ってストレートなドラマ作りに力を入れた方がいいのかなと…」

また、25日にはフリーアナウンサーの高橋真麻を妖怪・トイレの花子さん役で登場。“妖怪メイク”をして臨む高橋アナにとっては今作が女優デビューとなるが、高橋アナの好感度も手伝ってか、こちらに関しては好意的な見方も多い。■話題性という点では実写ドラマ化は成功!?

「まあ、批判の声が多い反面、今回のドラマ化を機に原作漫画を初めて読んだり、読み直している人も多いようですし、話題性という点では結果的にドラマ化は成功したと言えるのかもしれませんけど。昨今流行りの“炎上商法”ではないですが、話題にすらならなければそもそも視聴率は取れませんからね」

賛否両論うずまく中でスタートした同ドラマの今後の視聴率に要注目だ。





「地獄先生ぬーべー」というのは、90年代に少年ジャンプに連載され、人気を得た漫画です。

かなり前から、昔の人気漫画をドラマ化するのが流行っていますが、共通しているのが、主役はジャニーズ系ということです。

そして、皆演技は学芸会レベルで、キャスティングも、誰でも良い、取り敢えず頭数だけ揃えました…みたいな感じです。

正直怖いシーンも、大昔の安物の特撮レベルですし、正直不気味さも出ていないし、安っぽさしか感じません。

原作では小学校が舞台になっていますが、ソレを高校に設定変更したのは如何な物でしょうか?正直妖怪が関わる様な話しの場合、むしろ原作どおり、小学生の方が良かったのではないでしょうか?

高校生が妖怪なんて話していること自体が不自然です。

主人公のぬーべーに求められるのは、男前なのは勿論ですが、同時にミステリアスで、3枚目的な演技も求められますが、主役の丸山隆平も、正直その何れも表現出来ておらず、単に台詞を棒読みしているだけです。

要するに、ジャニーズ、そして高校生役の若手アイドル…その辺りを安価に使って安易に視聴率を稼ごうとしているだけにしか見えません。
そして、中高生~かつての原作ファンの世代を取り入れようとしているのでしょう。

かつての「こち亀」にしても、余りにいい加減な設定、原作レイプが目立ち、とても観るに耐えない出来でしたが、今回も酷いですね・・・。

例えば70年代の「夕陽丘の総理大臣」も「俺は男だ」も、原作は漫画ですが、実に良い仕上がりになっています。この時代、映画産業の斜陽化に伴い、多くの人材がテレビに流れ、それが良い作品につながったという背景があったといいます。

それに比べると今日の、企画、製作、演技…全てに於いて低レベルにしか見えません。
マギーとかいう脚本家…調べてみたら、こち亀のドラマも手がけてるんですね。道理であの安っぽい出来は・・・。

尚、私がこの作品を知っている理由は、連載当時も知っていましたが、数年前、バンクーバーにあった「ブックオフ」が閉店になる時、大安売りがあり、その時に数冊入手していたのです。

アメリカ旅行 レディング~メドフォード

アメリカ旅行
10 /25 2014
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先にも述べた通り、レディングは、本当に何も無い上に、カリフォルニアでも有数の犯罪多発地帯ということで、正直、こんな所に居る必要性はありません。

今後、この辺りを旅行する方にも言いたいのですが、幾らこの辺りで最大の街とは言っても、この街は絶対に避けるべきでしょう。

朝、曇り勝ちの空の下、何か朝食を…と思っても、碌な物がありません。仕方なくイチイチバイクに乗って、Safewayまで…。

天気も悪いので、速めにチェックアウトして、更に北上しました。

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マウント・シャスタ…標高4317m、この辺りで最も高い山です。


相変わらず道路は一直線・・・しかも曇りで景色もイマイチとあっては、眠気も倍増します。

途中で路肩でバイクを停め、写真を撮り、少し休憩していると、即効で警察が来て、一番近くの出口まで行く様に言われてしまいました。

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出口とは言っても…正直何がある訳でもなく、街もかなり遠いので、取り合えず車の少ない場所にバイクを停めて休憩。

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要するに、こんな景色なのですが…砂漠のような景色の中にも、確実に緑は増えつつあります。

昼は、オレゴンとの州境近くのYrekaという町で取りました。偶然ですが、来る時も、ネットを使う為にココのマクドナルドに寄っています。理由は、単純に高速から街のメインストリートが見えるからだったのですが・・・。

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それにしても、アメリカの食べ物は相変わらずです。こんな物に10ドル近くも払うなんて、日本の感覚では信じられませんね。どうせ塩コショウとケチャップの味しかしないんですから。

正直コレと、半額のマクドナルドの差は、残念ながら判りません。

因みに今後、アメリカ旅行をする人への一口アドバイスですが、どうせ高い金払っても、出て来るのはこの程度です。だったら、マクドナルドやバーガーキングでも結構なので、スーパーで売っている「サラダセット」を少量鞄に持っておいて、それを挟んで食べるのです。

それだけでも、随分と気分は違います。

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北に行く程、地形も山がちになってきます。

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出発が比較的早かったこと、そして距離も短めであった為、4時にはメドフォードに到着しました。

レディングからずっと愚図つき気味だった空も、ココでは嘘の様に晴れ上がっています。

しかし日曜日ということもあり、ダウンタウンは何も開いていません。

カッコイイ車???

カーデザイン スタジオ
10 /24 2014
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写真は、現行のシボレー・カマロですが、こうやって見ると、意外とカッコイイですね…。

私は、この車を今まで一度もカッコイイと思った事がないのですが、こうやって下半分が隠れていると、意外に…。

やはりこの車のデザインは、不必要に分厚い腰下、無意味に巨大なホイール、肥大したホイールアーチ…その辺りで完全にバランスを失っているのです。

まあ、その辺を弄るとなると、全てを弄らないとダメなので、このまま暫く行くしかないのでしょう。

アメリカ旅行 サクラメント~レディング(カリフォルニア)

アメリカ旅行
10 /24 2014
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州都サクラメントを出発すると、I5を北上して、北カリフォルニア最大の都市、レディングを目指します。

前回、レディングではなく、南に50キロ程離れた、遥かに小規模な街であるレッド・ブラフに宿泊しましたが、それは一日の走行距離を考えてのことでした。

キーの紛失もあり、出発は大幅に遅れ、最後にオールド・サクラメントを少し散策した後、出発しました。

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高速道路を走っていて思うのが、やはり行きと帰りでは、見える景色が結構違うということです。やはり反対車線側は余り見えませんし、自分の走っている側は良く見えます。

この道は、大部分、行きも通りましたが、今回の方が良く見えました。雲が多かったせいでしょうか?

今回のコースは、両側を山で囲まれた様になっています。

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出発が既に4時近かったこと、そして、北上する程に雲が多くなってきました。この様な場所で雨にでも降られたら…非常に高い確率で雷雨になると思われるので、ひたすら真っ直ぐな道を急ぎました。

空一杯に覆う雲は、夕日に照らされて、その迫力も倍増します。一面を見渡すと、遥彼方で部分的に雨が降っている様にも見えます。

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レッド・ブラフ近郊…画面右端では、明らかに雨が降っています。

結局、高速を走っている間は、若干パラパラと降ったのみで、実際に降ってきたのは、高速を降りて、レディングのダウンタウンに向かう時でした。

しかし…この街は、確かに都市部の面積としては大きいものの、街の中心街は本当に小さく、景色も大した事無い上に、カリフォルニアでも有数の危険地帯だということでした。

ダウンタウンを少し走ると、直ぐ国道に入ってしまい、とんでもなく遠くに行ってしまいます。

そんな遅い時間ではないものの、街は暗く沈みこみ、人影も殆ど無く、一部のチェーン店以外は何も開いておらず、文化的な香りも皆無、今回の旅行で最もツマラナイ場所でした。
これなら、素朴な田舎町レッドブラフの方が遥かにマシでした。

サクラメントから260キロ…何も無い所での一泊です。

カイザー・ヘンリーJ

独立系メーカー
10 /23 2014
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アメリカ近代造船の父と呼ばれたヘンリー・J・カイザーが、戦後、遊休地と化していた設備を利用して、民間品の市場に参入するに当たり選んだのが、戦時中の供給不足の反動により、急激に需要が増した自動車でした。

当時、経営の再建に当たり、スポンサーを探していたグラハム・ペイジ社の社長、ジョセフ・W・フレーザーと、車のノウハウを持たないカイザーの利害の一致から、カイザー・フレーザーとして、共同作業が始まりました。

同社の自動車業界の参入は、戦後、既にビッグ3の独占が動かし難い事実となっていた時代で、最後発といえるものです。

そのカイザー・フレーザーが1950年に製造を始めたのが、このヘンリーJでした。

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この車が目指したのは、正にT型フォードの現代版(当時)で、ビッグ3が年々豪華に、巨大になっていくのとは正反対に、買い易い価格を第一にしたものでした。
その結果、初期のモデルは、トランクリッドすら無く、荷物はシートを倒して出し入れしていたといいます。

それでも同時代のシボレーとの価格差は小さく、安っぽいヘンリーJよりも、普通のシボレーの方が売れたのです。

この車のもう一つ大きな特徴は、あのシアーズからも販売されたことです。
シアーズといえば、かつて通販で有名であったアメリカのデパートですが、かつてはカメラや交換レンズの様なモノも、シアーズブランドで販売していました。

当然それ等は、OEM生産品なのですが、それを車でもやっていたのです!
しかし、今より遥かにメンテナンスに手間の掛かる当時の車をデパートで販売する…というのは、やはり無理があり、上手く行きませんでした。

結局シアーズは当然ですが、カイザー自身も、その販売は低迷を続け、53年を最後に乗用車からは撤退し、以降、買収したウィリス・オーバーランド社のジープの生産を主軸に置く様になりました。
あれだけ財力の有ったカイザーを持ってしても、ビッグ3にはまるで歯が立たなかったのです。

1970年には、AMCに買収され、そして87年には、AMCごとクライスラーに買収されています。

尚、ヘンリーJは、旧三菱系の東日本重工業の手によってノックダウン生産も行われていました。
同じ頃、同じく旧三菱系の中日本重工業によってジープの生産も始まっていますが、両者は後に三菱重工業として統合されています。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。