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1980年型 ホンダCB250RS

ホンダ
11 /30 2014
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私がニュージーランドに行って、最初に購入したバイクが、この80年型ホンダCB250RSでした。

当初、CB750Fか900F辺りを探していたのですが、正直、余り良いものが見付かりませんでした。そして、もう少し小排気量クラスにも目を向け、CBX550F、ホーク3といった辺りも探したものの、やはり思う様なものが見付からす、結局購入したのが、コレでした・・・。

CB250RS…当時のホンダは、250というと、ホークのスケールダウン版しか無く、その重量は170キロを超え、まともに走るものではありませんでした。そんな中で、オフローダーのエンジンを流用して、徹底的な軽量化を施して登場したのが、このCB250RSだったのです。

25馬力と、ホークよりも劣るものの、50キロ近く軽い車体は、非常に軽快なもので、老若男女問わず愛されたものでした。

CB750Fを思わせるスタイル、そして、写真の耐久レーサーを思わせるトリコロールカラーも好評でした。

始動はキックのみ、ホイールもスポークと、当時のレベルで可能な限りシンプルかつ軽量に仕上げたもので、特に日本の免許制度の関係で、中型クラスというと、豪華な仕様が求められる中でも、かなりの売り上げを記録しました。

当時、既に19年物でしたが、それでも大したトラブルは無く、ニュージーランドの田舎道を駆け抜けるには、最高のバイクでした。
流石に100キロを超えると、振動も増え、加速も鈍くなりますが、100キロまでの高速巡航も十分に快適なもので、特にマフラーを交換した後、目に見えて鼓動感が出たこともあり、小まめにアクセルのオンオフを繰り返す、所謂「トラ乗り」を繰り返していました。

ニュージーランドの田舎というと、やはり少々のオフロードには気軽に入れる方が良い…その意味でも、正に打って付けのバイクだったのです。

純正キャリアのお陰で、GIVIのトップボックスを取り付けるのも容易で、週末の旅行のパートナーとして、街乗りの足として、最高でした。

写真は、オークランドから30分の所にある、ワイヘキ島に向かうフェリーの上ですが、当時はバイクはスペースを取らないということで、片道20ドルで載せてもらえました。後に一気に20ドルも値上され、それ以降、バイクを持っていくことも無くなりましたが・・・。

この手は、北米では販売されなかった様ですが、今でも手元に欲しい一台ですね…。
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メルセデスベンツ、車種倍増を計画…2020年までに30車種以上へ

ニュース
11 /26 2014
ドイツの高級車ブランド、メルセデスベンツ。同ブランドが、車種ラインナップの大幅な拡大を計画していることが判明した。

これは11月11日、メルセデスベンツが明らかにしたもの。「2020年までに、30車種以上を世界市場に投入する」と発表している。メルセデスの現行ラインナップは、14車種。ほぼ倍増の計画となる。

この計画の基礎となるのが11月11日、メルセデスベンツが2015年から、順次導入すると発表した新たなネーミング手法。『Sクラス』、『Eクラス』、『Cクラス』、『Bクラス』、『Aクラス』の5車種を、中核モデルに位置付け、現行の呼称を継続。

その一方、SUVの車名に、全て「GL」を冠した新ネーミングを採用。また、『SLK』は2016年から、『SLC』に車名変更される。

メルセデスベンツが公表した新呼称のラインナップ図を見ると、例えば、『Bクラス』車格のSUVや、Cクラス車格の4ドアクーペ、Aクラス車格のロードスターが空白。「2020年までに、30車種以上」とは、これらの空白を埋めるモデルが登場する可能性がある。


この20年間でドイツ車というものが、大きく様変わりしましたが、特にメルセデスの品質低下は、この業界に居れば、誰もが体験するものです。

正直バッジを付けただけのブランド物に成り下がった感がありますが、そんな状態で新たなラインナップを粗製乱造するとなると・・・今にも増して恐ろしい事になりそうです。

現在のCEOは、大学でエンジニアを専攻していたものの、メルセデスに入社以降は、むしろマーケティングリサーチを主にしてた様です。

要するにマーケティング故の決断なのでしょうが、今の状態でソレを行えば、更なる混乱が起こるのは、目に見えています。

米留学の3割、中国から…日本のピーク時の6倍

ニュース
11 /24 2014
【ワシントン=中島達雄】昨年から今年にかけて米国の大学や大学院に留学した国・地域別の留学生数では中国が昨年比16・5%増の27万4439人と、首位を保った。

 7年連続の2桁増で、米国への留学生全体の31%に達した。2位はインド(10万2673人)で、韓国、サウジアラビア、カナダ、台湾と続き、日本(1万9334人)は昨年と同じ7位だった。

 調査は米国のNPO法人・国際教育研究所が行った。日本は1994~95年から97~98年にかけて国・地域別でトップだったが、少子化や日本の景気の悪化、帰国後の就職活動への影響懸念などから、97~98年の4万7073人をピークに減少傾向に転じた。

 中国人留学生は日本のピーク時の6倍近く、インドは2倍以上に達した。世界1、2位の人口大国の経済成長が留学生数に反映された形だ。


この手の記事を見ると、いつも日本が内向的…という論調になります。

少子化、景気の悪化…確かにソレも有るでしょう。

しかし、果たしてアメリカという国に今日、魅力が有るのでしょうか?

私が若い頃、確かにアメリカといえば、物価が安く、大衆文化も華やかで、大学の授業料も、むしろ日本よりも安い位でした。

それが今や、物価は日本より高い、文化も大した事無い、授業料はベラボウに高い、しかも就職に不利…正直留学する価値が無いのです。

アメリカで就職すれば良い…と言いますが、現在のアメリカに、そこまでして住む価値が有るのでしょうか?

この20年間で、アメリカという国は大きく様変わりしました。カナダですら、4年制大学を卒業するのに1千万程の借金をするのも珍しくありません。

その結果、大学はぼろ儲けで増築に次ぐ増築を繰り返しています。

教育というものを金儲けの道具にする様な国に、正直魅力は無いですし、それ故に日本人が行かなくなっているという面も、忘れてはいけません。

この辺りに一切触れない日本の新聞というのも、全く節穴ですね。

SS-100-X アメリカ大統領専用車

リムジン、特殊車両
11 /22 2014

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11月22日は、第35代アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディーが暗殺された日です。

63年11月22日、テキサス州ダラスでのパレード中、61年リンカーン・コンチネンタルをベースとしたSS-100-Xの上で起こりました。

11月22日、晴天のダラスでルーフを取り外されたSS-100-Xの上で、パレード中のケネディー大統領が射殺されたのですが、この事件は、当日になって急にルートを変更されたり、容疑者が警察署の中で暗殺されたり、有力な目撃者が全員、数年以内に不審な死を遂げる等、非常に大きな力を持つ者が背景に居るのは確かです。

さて、このSS-100-Xですが、実は、ケネディー暗殺後も、長いこと現役で活躍していたことは、意外と知られていないのではないでしょうか?

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暗殺事件後、チタンを使用して防弾処理が強化され、ガラスも防弾ガラスに変更され、屋根も防弾処理を施したものが固定式となり、オープンカーとして使用される事は無くなりました。

リンドン・ジョンソン次期大統領もコレを使用し、67年には主力の座は譲ったものの、78年まで現役として使用され、その後はヘンリー・フォード博物館に寄贈され、現在に至っています。

ケネディー大統領は、最初の20世紀生まれのアメリカ大統領で、正にテレビ時代を象徴する大統領でしたが、その暗殺がテレビで中継された・・・というのは、正に衝撃的な事件でした。

ケネディー暗殺の機密が解除されるのは、2039年と言われており、これはアメリカの常識としては、桁外れに遅い上に、既に多くの重要機密が紛失されているという事で、真実の追究は、絶望的と言われています。

大統領専用車・・・アイゼンハワー大統領

リムジン、特殊車両
11 /11 2014
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アメリカ大統領は、歴代キャデラックやリンカーンといった高級車をベースとした大統領専用車を使用しています。

写真は第34代アイゼンハワー大統領が就任式で使用した53年型キャデラック・エルドラードです。

アイゼンハワー大統領は、大変な車好きであった様で、リムジンではなく、発売されたばかりの2ドアコンバーチブルの初代エルドラードを使用するというのも、何ともカッコイイですね・・・。

しかも大統領専用車にオープンカーを使うというのも、古き良き時代ならではです。

後にケネディー大統領がパレード中に暗殺されて以降、アメリカ大統領がオープンカーを使用する事は無くなり、現在の大統領専用車は、トラックをベースにした特装車で、まるで装甲車の様な防弾仕様になっている事を考えると、隔世の感があります。

第二次大戦を指揮したアイゼンハワーですが、同時に最後の19世紀生まれの大統領でもありました。

ケネディー時代が、新しい時代の始まりであるとしたら、この初代エルドラードと共に、アイゼンハワー時代は、古き良きアメリカの最後の時代と言えるのかも知れません。

レクサス史上初のセクシーなクーペ「RC」 開発者が明かす“情緒的な走り”

ニュース
11 /10 2014
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トヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」が10月23日に発売したスポーツクーペ「RC」。「エモーショナル(情緒的)な走り」を掲げるレクサスブランドを牽引(けんいん)するニューモデルで、独メルセデス・ベンツや独BMWなど海外高級車メーカーに真っ向勝負を挑む。2ドアで積める荷物も少ないが、自動車ファンなら一度は憧れるクーペ。565万円からという価格設定にも関わらず、事前受注は900台に上る。開発を指揮した草間栄一主査は、レクサスで初となる「セクシーなデザイン」を目指したと語る。

--開発はいつから始まったのか

「平成23年5月。22年にクーペタイプの『SC』の生産が終了し、レクサスの“エモーショナルな価値”を上げる車がなくなっていた。(ドイツ勢など)競合のプレミアムブランドと比べても、早く出してほしいというニーズがあった。クーペを作り、レクサスのブランドイメージを変えるというのが私のミッションだった」

--3年半という短期間で発売できたのは

「通常は新型車の開発は4~5年かかる。開発初期でいろんな車を組み合わせて試作車を作るが、今回それをやめた。社内的には抵抗があったが、ある程度デザインができたところで試作車を作り、図面や品質の作り込みに時間をかけた。『RC株式会社』の社長になったつもりでやった」

--なぜクーペなのか

「レクサスはマーケティングすると、競合より信頼性や安心感は高いが、エモーショナルな部分が全体的に弱かった。この部分を強化しようとしており、『RC』はその牽引役の位置づけだ。もう1つは若い人にアピールできる車がほしかった。購入者の年齢層が上がっている中で、『かっこいい』『ほしい』と思える車を作りたかった」

--コンセプトは

「俊敏な走りとセクシーなデザイン。実は、セクシーという言葉はレクサスで初めて使った。全く新しい車として開発した」

--セクシーなデザインが表れている部分は

「個人的には後輪を囲むアーチモールの張り出しだ。社内のプレスの要件を60ミリも逸脱している。型を作り、生産技術の担当もトライしてくれた。価格がひと桁上の車なら問題なくやるが、この価格帯でここまでの造形を取り入れたものはないと思う。テールランプなど随所にこだわりがある」

--ハイブリッドモデルの「300h」と3.5リットルのV6エンジンを搭載した「350」を用意した

「走りはFR(後輪駆動車)の理想に近付けようと取り組んだ。公道で安心してラグジュアリーにゆったり乗れる車であり、ワインディングロード(曲がりくねった坂道)では俊敏な走りもできる」



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高級大型の2ドアクーペ・・・ある意味、最もデザイナーの力量が問われると同時に、遣り甲斐のあるモデルで、やっぱりこの程度ですか・・・。

このスピンドルグリルは、やはり全体のデザインを格下げする効果が有る様です。

何と言うか、子供っぽいというか、「正直デカイ86」にしか見えないデザインですね。

クーペというのは、後席の居住性や積載性を有る程度犠牲に出来る分、かなりデザインの幅が広がります。大型となれば、更にそれは拡大しますし、高級車となれば、コストの制約も少なく、これ以上やり甲斐のあるものも無いでしょう。

それでも、やはりこの程度なんですね・・・。

このショボイ形のヘッドライトが、高級車としてベストの形だったんでしょうか?

妙なラインを描くテールランプは、折角前から流れてきたラインを力強く受け止めずに、変な方向に流れを変えてしまっています。

>>もう1つは若い人にアピールできる車がほしかった・・・

要するに、高級車に徹するんじゃなくて、中途半端な若者への迎合が、この車のスタイルをスポイルしているのでしょう。

かつて、大橋巨泉が言っていましたが、子供向け、若者向けの番組は絶対作らない。
良い物ならば子供も若者もついて来る・・・と・・・。

やはりレクサスは、正直ターゲットに迷いが有る様です。大体今の時代、こんな高価な車を買う若者の数なんて、たかが知れているんですから、もう少し上品な大人向けのデザインに徹しても良かったのではないでしょうか?

色一つ取っても、もう少し深く落ち着いた色の方が良かった気がします。

初代、2代目のソアラがあれだけ人気有った理由は、若者向けのデザインだったからでは無く、当時としては、高性能さと同時に、上品さが際立っており、それが裕福層から若者まで、幅広く支持されたのです。

まあ、レクサスというブランドは、歴史も浅い上に、レースの実績も無く、実際の実力とは裏腹に、走りのイメージが皆無な辺りが、一番辛いところですね・・・。

日本人はなぜ「日本車」を好むのか=中国メディア

ニュース
11 /10 2014
中国メディアの北京商報は14日、日本を訪れた記者の手記を掲載し、日本で見かけた自動車はほとんどが日本車だったと指摘、「日本人はなぜ日本車を好むのだろうか」と論じる記事を掲載した。 

記事は、日本の2014年上半期における乗用車車名別販売ランキングで、1位がアクア(トヨタ)、2位がフィット(ホンダ)、3位がプリウス(トヨタ)、4位がカローラ(トヨタ)、5位がノート(日産)であったことを紹介し、日本車がランキングの上位を独占していると伝えた。 

さらに「日本では駐車場に停まっている自動車は大半が小型車だった」と指摘し、日本滞在中はドイツメーカーの自動車は散見したが、米国車や韓国車、フランス車はほとんど見かけなかったと振り返り、「日本の道路は日本車が支配していた」と指摘した。 

続けて、日本人が日本車を支持する理由として、「日本政府が国産品に対する補助政策を実施しているから」と主張し、エコカー減税などの存在を挙げたうえで、エコカー減税の対象となるのは大半が日本車であり、輸入車は国土交通省が定める基準値の条件を満たせず減税対象になりにくいと主張。 

米自動車メーカーのGMやフォード、クライスラーからの抗議によって、日本政府はエコカー減税の対象車とするうえでの条件を変更したとし、43車種の輸入車がエコカー減税の対象車の対象車となったと紹介する一方、「日本政府は間接的な保護政策によって日本車に対する需要を喚起している」と論じた。 

また記事は、日本では日本車のランニングコストのほうが、輸入車よりも遥かに安上がりであることも消費者が国産車を選ぶ理由だと指摘。「東京では輸入車を見かけることもあったが、それでも日本車のほうが圧倒的に多かった」と伝えた。


全く的外れな記事ですね。

先ず最初に来るのは、記事の最後に有る日本車のランニングコストが圧倒的に安上がりだから・・・そして、圧倒的に品質が良くて安心できるからです。

エコカー減税云々言いますが、エコカー対象になったアメ車の販売台数が少しでも上向いたでしょうか?
仮にアメリカに、エコカー減税の対象になる車が無かったとしたら、それはメーカー側の怠慢なのです。

維持費だって同じ事。北米での日本車は、例えばエンジンやトランスミッション交換の様な大仕事になると、割高になりますが、普通のメンテナンスは、アメ車よりも遥かに頻度が少なく、同等以下の値段に抑えられているので、維持費を理由に日本車を避ける人は少ないでしょう。

信頼性・・・やはり保障期間後にボロボロになる輸入車と比べたら、20年くらい平気で乗れる日本車・・・やはりレベルが違うのです。

所詮は中国メディアの戯言ですが、こんな糞な記事がヤフージャパンに出て来るのも、何かアレですね・・・。

自動車評論家、徳大寺有恒さん死去 辛口の新車批評

ニュース
11 /08 2014
「間違いだらけのクルマ選び」などの著書で知られる自動車評論家の徳大寺有恒(とくだいじ・ありつね、本名杉江博愛〈すぎえ・ひろよし〉)さんが7日、急性硬膜下血腫で死去した。74歳だった。葬儀は親族だけで行う。喪主は妻悠子さん。後日、しのぶ会を開く予定。

東京都生まれ。日本のモータースポーツ黎明(れいめい)期にレーサーとしてデビュー。トヨタ自動車の契約ドライバーになった。引退後は、自動車評論家に転身。辛口の新車批評で知られ、1976年に出版した「間違いだらけのクルマ選び」(草思社)は70万部を超えるベストセラーに。以後は毎年書き下ろしが出る人気シリーズになった。近著に「駆け抜けてきた 我が人生と14台のクルマたち」「新・女性のための運転術」。


昨年亡くなった小林章太郎氏が自動車メディアの創生期を支えた人物であることに異論は有りませんが、徳大寺有恒氏は、その次世代に当たり、自動車メディアの成熟期、そして転換期を牽引したと言えます。

従来、広告主の顔色を伺った提灯記事ばかりであった日本の自動車メディアの中で、「間違いだらけの車選び」の歯に衣着せぬ論調は、あらゆる面で画期的なものでした。

カタログスペックばかりで、操縦性が全く疎かな事、外装ばかりで内装デザインが無きに等しい事、シートの作りの悪さ、タイヤサイズの重要性等・・・日本の自動車メーカーに与えた影響は、とてつもなく大きなものでした。

そして、もう一つの特徴が、欧米文化、ファッションといった分野にも大変に精通しており、読む人を見知らぬ世界に誘う・・・氏の著書には、車という無機質な物体のみならず、その生まれた背景、生活文化、乗り方といった辺りまで掘り下げている辺りが、読む人を惹きつけたのでしょう。

私自身が車業界に身を置く様になってからは、氏のヨーロッパ車に対するスタンスから、暫く距離を置いたこともありますが、年齢と共に、再び共感が得られる様になり、このブログでも、何度と無く言及させて頂いています

現在の自動車メディアを見て、果たして次世代の人材が育っているでしょうか?
同じく辛口で知られた三本和彦氏も、新車情報を離れて久しく、その辺りからでしょうか?日本車が目に見えて魅力を失ったのは・・・。

また一つの時代が終わった・・・と思うと、残念で仕方有りません。

客足が戻らないマクドナルド 戦略が次々と裏目に

ニュース
11 /07 2014
日本マクドナルドホールディングス の2014年12月期の連結営業損益は94億円の赤字、連結最終損益は170億円の赤字に膨らむ見通しであることが分かった。ファストフードの代名詞とも言えるマクドナルドだが、最近では客離れが止まらず、低迷状態からなかなか脱することができない。

今年7月に発覚した中国の食品加工会社による「期限切れ鶏肉使用問題」は大きな要因のひとつだろう。青く変色した期限切れ鶏肉を食肉処理する工場の様子に、驚愕を覚えた人は多いだろう。期限切れ鶏肉は「チキンマックナゲット」に使用されていたことが分かり、大きな問題に発展した。

マクドナルドでは全顧客の35%がファミリー層となる。おもちゃをプレゼントする「ハッピーセット」などで親子連れを取り込んでいたが、安全性の不信感から「子どもに食べさせたくない」と客足は一気に遠のいた。食肉問題発覚後、既存店売上高は激しく落ち込み、7月の売上は前年同月比17.4%減、8月25.1%減、9月16.6%減となり、未だ回復の兆しは見えない。

信頼を取り戻すために行った方策は、皮肉なことに次々と裏目に出てしまっている。チキンマックナゲットに使用する鶏肉を中国製からタイ製に切り替え、さらに代替品として新商品「豆腐しんじょナゲット」を打ち出したものの、設定価格より多く代金をとってしまうというトラブルが発生。

また、8月からは全店舗の店内完全禁煙に踏み切り、ファミリー層への取り組みアピールと、クリーンなイメージへ転換を図ったが、結果的には愛煙家の多いサラリーマン層を手放すこととなってしまった。数百円でランチを済ませることができるマクドナルドは会社員にも人気だが、禁煙をきっかけに寄り付かなくなってしまったというケースが多いようだ。ついには苦肉の策として「チキンマックナゲット無料券」なるものまで配布されたが、話題性とともに「無料でも食べたくない」という声も目立ってしまう結果となった。一度生じた不信感を拭うのは並大抵のことではないようだ。



私が10代の頃、アメリカというと、やはり特別な国という印象がありました。
車も音楽もファッションも、アメリカのモノが輝いて見えたものです

そして、アメリカのマクドナルドも、高級とかでは無くても、それなりに感じの良い店で、決して安くは無いものの、人気が有ったものでした。

私が日本に対して思うことは、特にバブルの崩壊後、日本的なものがより見直されたことです。
かつて、高級料理というとフランス料理やステーキだったところが、寿司、懐石料理・・・という風になった様に感じます。

より多くの人が海外旅行に行く様になると、より日本食の良さというものが再認識されることになりました。

同時に、アメリカの食事が如何に粗末かということが知れ渡ってしまいました。

現在のマクドナルドは、例えば高校生位からしても、決して安くない、大人から見ても栄養が・・・と、正直何処に顧客が居るのか判りません。

現在、アメリカ人でも、ある程度知性のある人なら、マクドナルドというと、顔をしかめる位です。カナダは、よりその傾向が強いでしょうか?

現在、色々と新しいメニューをやろうとしていますが、私に言わせれば、そんなのポンコツ車に色々なアクセサリーを満載して、新型車として売ろうとしているのと同じです。

基本のパン一つ取ってもロクな味じゃないもの、如何に弄ってもたかが知れています。

先ずは複雑怪奇になり過ぎたラインナップを整理して、その分、品質を向上させること。

そして24時間営業なら、喫茶店的なメニューを充実させる事で、スターバックスや喫茶店、コンビニの客層も取り込めます。

残念ですが、カナダ人の社長は、日本というカナダと比べて遥かに高品質で、食に多様性の有る国を理解しているとは思えません。

豆腐しんじょナゲット?こんなの、味覚の無いアメリカならともかく、日本じゃ無理でしょう。

今のマクドナルドは、日本に於けるヒュンダイと同じですね。

「期限切れ鶏肉使用問題」は、あくまでも問題を悪化させただけで、コレが全てじゃないのです。

反面、日本で大成功しているセブンイレブンですが、これは、日本独自のマーケットを徹底的に追求したからに他ありません。

マクドナルド日本の場合、アメリカの直轄となっている面が、セブンイレブンとは異なりますが、日本でやる以上、日本のマーケットの追求は不可欠です。

何時までも40年一日の「ヒュンダイ・ポニー・スーパーターボDXリミテッド」みたいなメニューでは、飽きられて当然です。

アメリカ旅行 ポートランド~シアトル~バンクーバー

アメリカ旅行
11 /03 2014
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ポートランドという街は、特別何があるという感じでは無いのですが、ダウンタウンのエリアを見ても、結構な大きさです。賑やかな辺りだけバイクで走ってみましたが、それでも30数キロになってしまいました。あくまでもダウンタウン全部でなく、賑やかな辺りだけです。

ポートランドを去りシアトルに向かうと・・・時間的にも3時を過ぎていたこともあり、高速度道路は凄まじい渋滞です。サンフランシスコに入る前に渋滞を経験しましたが、ソレよりも遥かに酷いもので、結局ワシントン州との州境まで、渋滞していました。

ただ、バイクはHOVライン(北米でよくある、二人以上乗車した車のみ走行できるレーン)を走る事が出来るので、少しはマシでしたが・・・。

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この区間は、正直カナダ辺りと景色が特別変わることも無く、道路も単調で、余り面白みがあるとは言えません。本当に、もう帰ってきた気分でいるのですが、それでもシアトルまでは200マイルもあります。

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この辺りとしては、この時期珍しく晴れ上がっており、ポートランドでも暑いくらいでした。しかし、この天気が長くは続かないのは、この地域に居れば知っています。

やはり、明らかに緑が多いですね・・・。

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雪に覆われたマウント・レーニア・・・。

結局いつもの通り、シアトルに着いたのは、暗くなってからでしたが、最初の渋滞による時間ロスはあったものの、トータル4時間程の工程でした。

正直、Googleマップに表示される時間は、全く渋滞無しに、常に法定速度で休憩無しに走り続けた場合の時間なので、余り参考にはならないと思った方がいいです。

やっと戻ってきたシアトル・・・正直、何度も来たことのある街なので、特別な感情は無いのですが・・・。

しかしココも、例外ではなく、バイクも駐車料金を払い、レシートを表示しておかないといけないのですが、パーキングメーターが軒並み壊れていて、クレジットカードを使うのですが、最後にプリントアウトされないのです。料金を取られたのかどうかも判らないですし、書いてある電話番号に電話しても埒が明かないし、やはり、こんな所がアメリカという国の正体だと思います。

一回の駐車料金を払うために、5~6個のメーターを使って、やっと一つまともに作動するんですから・・・。

こんなハイテクでも何でも無い、当たり前の機械が軒並み壊れていて、しかも放置されている・・・そんな国に、民間技術の集大成ともいえる車が、まともに作れる訳無いですね・・・。

シアトルのユースホステルは、チャイナタウンにあり、観光には悪くない場所なのですが、周りにホームレスがゴロゴロしています。受付の人が頻繁に警察に通報する等しているので、最近、ユースホステルの周辺に限っては居なくなったものの、角を曲がると、途端に景色が一変します。

初めてで、しかも女性だと、余り気持ちの良いものではないでしょう。

シアトルといえば、日本の食材店「宇和島屋」があります。既にバンクーバーには無い日本語の本屋もあり、食材も豊富なんですが、とにかく高いですね・・・。昔はバンクーバーより安かったんですが、今はバンクーバーの方が安い位です。

翌日のシアトルは、ドンヨリとした曇り空で、時々パラパラと小雨が降ってきます。

こんな時は長居せずに、天気が大きく崩れないうちに帰るに限ります。

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シアトルの旧市街地パイオニア・スクエアのパノラマです。
やはり真ん中のアレが惜しいですね・・・。

かつて、この旧市街を全て取り壊して新しい街を作る計画が有り、この中央の三角形の部分にあったホテルシアトルが1961年、最初に取り壊され、現在の立体駐車場に立て替えられましたが、それを切っ掛けに、この地域を保存する運動が始まり、それ以上の破壊は行われませんでした。

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在りし日のホテルシアトル。

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シアトルからバンクーバーに向かうと、途端に路面が悪くなるのに気が付きます。主要道路であるI5ですら、本当にガタガタで継ぎ接ぎだらけで、アチコチに穴が開いています。

アメリカにとってシアトル以北は、最早辺境の地ということなのでしょうか?この辺りは、バスを含め何度も通ったことのある道ですが、特にバイクだと、カナダの国境を越えた途端に路面が良くなるのを実感します。

天気はイマイチで、途中山間部で少し雨に降られましたが、特に寒いという事も無く、ひたすら退屈な道をカナダに向かいました。

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国境は、通常I5を真っ直ぐ行きますが、バスやトラック等大型車は、地図の様な別の場所に行く様になります。
あとはカナダに入国する際利用出来る免税店は、ココにしか無いので、免税店に行きたい場合、このコースを取ることになります。

何と言ってもバンクーバーではアルコールの類が物凄く高いので・・・。
国境は、例外なく大渋滞になりますが、私のバイクは、如何にも軽装で、何か持ち込んだ様にも見えなかったせいか、幾つか質問されただけで、"Welcome back to Canada!" とすんなりと通過出来ました。
来る時の煩わしさが嘘の様に・・・。

国境を越えると、スピードや距離の表示がキロに変わります。
私のバイクは、カナダ仕様なので、スピードに関しては、キロとマイルが併記されているのですが、オドメーターはキロ表示のみで、やはりマイルの距離表示は煩わしいものでした。

全てキロ表示というのは良いものです。そして国境通過後、格段に路面が良くなったのも・・・。

19日間の日程で、トータル4000キロの旅になりました。
出発する時は、まだ緑に被われていたバンクーバーも、すっかりと紅葉に変わり、秋一色に変わっていました。

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4000キロの距離をノートラブルで走り切った84ホンダ・CX650ユーロ


今から30年前のバイクで、それだけの距離を走って、一切のメンテナンスが必要なかったというのは、流石ホンダ車だけのことはあります。

水冷エンジンにシャフトドライブ・・・当時の日本では、重さも含めて嫌われたレイアウトですが、こんな長距離を走ってこそ、真価を発揮するのです。

既に11月に入り、連日雨・・・流石にバイクに乗る機会も殆ど無く、保険も切れています。

来年に備えて、色々と改善すべき所をどうするか・・・と思案中です。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。