FC2ブログ

MGB カナダに於けるイギリス車

イギリス車
05 /26 2015
イメージ 1

以前住んでいたニュージーランドと比べて、一番大きく感じるのが、イギリス車が非常に少ないことです。

現在、イギリス資本の車メーカーは既に皆無ですが、ジャガーやランドローバーの様な車は、インド資本になりながらも、生産は続いていますが、それ等にしても、物凄く数が少ないですし、更に古い旧BMC系となると、ほぼ絶滅状態だと言えます。

例えば日本では、2000年頃まで販売されていた旧ミニも、60年代に北米から撤退しており、現在、僅かながら残っている旧ミニは、その時代のものばかりです。

そんな中、現在でも比較的目にするのが、このMGBです。
MGというブランドは、手頃なスポーツカーを得意としたブランドで、かつては北米でも大変に人気があったのですが、後に出てきた、より品質の良いニッサン・フェアレディ(SP311)辺りの影響で、徐々に市場を失って行きました。

そして、68年にBMCがレイランドと合併し、ブリティッシュ・レイランドが発足した辺りから、同社の経営は混乱をきたし、粗悪な車を乱発した後に経営は破綻し、北米からも完全に撤退してしまいました。

日本車が本格的に北米で売られる様になる以前、輸入車といえば、フォルクスワーゲンと並び、BMCの車も人気が有ったのですが、現在、それ等を目にすることは、皆無です。
同時代のヨーロッパ車として、現在でも比較的目にするのが、ボルボ120系ですが、やはり、メーカーが撤退した事、そして、元からの信頼性が、現存率の差になっているのでしょう。

それでも、このMGB辺りが比較的残っているというのは、やはり、個性のある趣味性の強い車は、苦労しながらも、オーナーから支持される…ということなのでしょう。

反面、実用性が第一のファミリーカー等は、メーカーが撤退した時点で価値が暴落し、しかも維持に苦労する様になった時点で廃車にされてしまいます。

因みに、後のオースチン・ローバーグループは、1980年代にローバー800で北米に再上陸しています。しかし、かつてのローバーSD1での失敗から、ローバーというブランドのイメージは極めて悪く、スターリングというブランドで販売しましたが、メディアからも兄弟車のアキュラ・レジェンドに比べ、極めて品質が悪いということを叩かれ、4年後には再び撤退しています。

それ故に、この車の末裔ともいえる、ローバーMGFは、北米で販売されることはありませんでした。
スポンサーサイト



ホンダGL1000 ゴールドウィング

ホンダ
05 /25 2015
イメージ 1

ありとあらゆる装備が満載で、正に車からタイヤを二つ外した様な感じのゴールドウィングも、74年に登場した当時は、極普通のバイクの形をしていました。

CB750の登場から5年目、全てを超えるバイクとして開発された新規の水平対向4気筒エンジンは、当時としては珍しい水冷になっており、低重心化によって取り回し性の向上、そして、シャフトドライブの採用により、メンテナンスフリー化も実現しています。

CB750の時代、ドライブチェーンのメンテナンスは、大きな問題の一つだったのです。シールドチェーンが発売される前で、特に一日の走行距離が日本に比べて遥かに長いアメリカでは、より切実な問題だったのです。

水冷、シャフトドライブ、そしてタイミングベルトの採用によって、当時としては異例な程静かなバイクに仕上がっていました。

同時に、初の完全な輸出専用車でもあり、カワサキの様に、国内向けに750cc仕様を発売することも無く、販売店単位ではあるものの、初めて本格的に「逆輸入車」として国内で販売された車種でもあります。

静かで上質な走りで、独自のシェアを獲得したバイクですが、同時にフェアリングやケースを取り付けるユーザーが多く、それ故に、後にフル装備のバージョンが追加され、現在は、そのフル装備のみが販売されています。

私にとって、このフル装備のゴールドウィングは、「それなら車を買う」という存在です。
80年代の後半辺りから、エンジンも水平対向6気筒になり、更に装備も豪華になっていきましたが、同時に、コレのネイキッド(この言葉自体、好きではありませんが)は出来ないものなのか?と常々思っていました。

だったらワルキューレが有るじゃないか…と言われそうですが、個人的にあのド派手なアメリカンスタイルは嫌なので・・・。

CB750や、カワサキZ辺りは、既にコレクターズアイテムと化し、多くが日本に里帰りしたためか、普段見かけることは、殆どありません。
そんな中、この手のゴールドウィングは比較的見かける気がするのですが、やはり良いものですね。

写真のモデルは、サイドケースに大型のキャリアが装備されている以外、オリジナルを保っていますが、コレにシンプルな風防をつければ、それで十分…というか、逆にこれ以上何が要るのか?という気さえします。

車並みの装備を持つようになって久しいゴールドウィングですが、一度原点を見直してみて欲しい気がします。

<スタバ>“おおとり”鳥取オープン 開店前に1000人超

ニュース
05 /23 2015
全国で約1100店舗を展開する「スターバックスコーヒージャパン」(東京)は23日、47都道府県で唯一店舗がなかった鳥取県に1号店をオープンさせた。鳥取市のJR鳥取駅南側の店舗周辺には、地域限定のタンブラーなども目当てに前日午後1時から行列ができ、午前7時前の開店時には県内外から1000人以上が集まった。

【写真特集】開店を待つ人々 スターバックス鳥取1号店

 行列が多かったため、5分早めて同6時55分に開店した。1番に並んだのは鳥取市の鳥取環境大2年、宮川惇さん(19)ら5人。スタバ初体験で開店の約18時間前から待った宮川さんは、「1番目に飲みたかった。めっちゃおいしいです。ノートパソコンを持ち込んだので、都会人のようにスタバで勉強したい」と話していた。

 北九州市から家族と親戚計7人で訪れ、前日午後8時から限定タンブラーなどの列に並んだ主婦の平尾ひとみさん(30)は、タンブラー15個とマグカップ5個を購入。「家族全員で使いたい」と喜んでいた。

 「スタバはないけど日本一のスナバはある」とのだじゃれで注目を集めてきた平井伸治知事は、「サッキュー(砂丘)に遊びにおいで下さい」とのコメントを発表した。

 平井知事の「スナバ発言」を受け、地元企業は昨年4月、JR鳥取駅北側に「すなば珈琲」を開店させており、23日はスタバに対抗してマグカップを先着30人にプレゼントし、こちらも開店時は100人以上の列ができた。【高嶋将之】


私は昔、大分県に住んでいたことがありますが、その時、マクドナルドの大分第一号店が開店し、大いに話題になったものでした。

中にはマクドナルドに行った事を自慢げに言って回る連中までいました。

ところが私は、それ以前に東京に住んでいたので、マクドナルドなんか珍しくもなんとも無い存在で、何とも滑稽に感じたものでした。

スターバックスが鳥取にオープン…。
確かに今まで無かった分、話題になるのも分かりますが、それにしてもアレですね・・・。正直日本には、スターバックスなんかよりも美味しいコーヒーショップは幾らでもあるのに、何であそこまで成功しているのか、正直判りません。

カナダでも人気ですが、正直コーヒーは不味いですし、値段も割高で前回何時行ったかも思い出さない位です。

確かに日本では、スターバックス=お洒落な雰囲気で成功した様ですが、限りなく疑問符が付きます。

日本には、アメリカに勝るコーヒーの文化が有ったものですが、それがスターバックスの様な店が幅を利かせることで、廃れるとしたら、残念な話しです。

アメリカ文化は、一度入ったら最後、がん細胞の様に広がって、悪幣が良幣を駆逐することになります。

米英たばこ大手、英政府提訴=箱のロゴ表示禁止に反発

ニュース
05 /23 2015
【ロンドン時事】英国でたばこの箱のブランドロゴ表示などを禁じる規制の導入が決まったことを受け、たばこ世界首位の米フィリップ・モリス・インターナショナルと同2位の英ブリティッシュ・アメリカン・タバコは22日、英政府を相手取り、規制の違法性を問う訴訟をロンドンの高等法院に起こした。
 この規制は箱のデザインの魅力をそぐことで若者などの喫煙を抑制するのが狙いで、来年5月から施行される予定。メーカー側はたばこの箱を共通の地味な包装にすることを強いられるため、この規制が商標権などを保障した「英国や欧州連合(EU)の法律に違反する」(フィリップ・モリス)と主張している。 



ラッキーストライクのCM…日本に輸入タバコが入り始めた頃のもので、非常にカッコよく見えたものです。当時、ヤマハのスポンサーだった関係で、バイクもヤマハが使用されています。


マルボロのCM


カナダでは、既にタバコというと、味気の無いパッケージになっていますし、ニュージーランドでも、タバコによる害を現した写真がパッケージに掲載されています。

それだけタバコが悪いというのなら、規制しても良いようなものですが、そうなると、巨大なタバコ産業の既得権の問題、そして喫煙者からの反対と、色々問題があるのでしょう。

パッケージを変えたところで、大した抑制にはならないと思いますが、取り敢えず何かやっている…というポーズだけですね。

特に日本では、タバコ関係のCMは、非常にセンスの良いモノが多かったのですが、ソレも随分前に禁止になっています。

まあ、それらのCMを見ると、間違いなく喫煙=カッコイイという風に見えてしまうので、問題なのは確かですが・・・。

健康に害があるので仕方ないとはいえ、何か味気ない時代ですね・・・。

First of May... The Bee Gees

映画・音楽
05 /21 2015

ビージーズは、イギリスのマン島出身の兄弟で、オーストラリアでデビューし、後にアメリカという国際的に活躍したグループです。

欧米では、サタデーナイトフィーバーの様なディスコ風のイメージが非常に強く持たれているグループですが、日本では、初期の音楽に人気が集中している様です。

イギリス映画「小さな恋のメロディー」といえば、日本では誰もが知る名作ですが、欧米では、全く無名のカルト映画という扱いに過ぎません。

その小さな恋のメロディーの主題歌メロディーフェアー,そして、このFirst of Mayも、日本では非常に知名度が高いものになっています。

無邪気な初恋、そして訪れる変化、儚い別れ、そして現在・・・誰もが成長と共に体験したことだけに、このシンプルな歌詞ゆえに、多くの人の心の中に入ってくるのでしょう。

この曲からは、タイトルの通り、イギリスの初夏を思わせる清々しい空気が辺り一面に漂ってきます。やはり、イギリス人ならではの感性が、存分に表現されています。

5月といえば、初夏の清々しい季節、学年の終わりが近付き、やがて多くの別れが待っています。
季節が移ろい、そして人も…そんな季節だからこそ絶好の歌にタイトル…と思ったら、First of Mayというのは、単に彼らの飼い犬の誕生日から取った…という話を聞いて、ガッカリしたものでした。

5月も後半を過ぎました。初夏どころか、真夏の様なバンクーバーですが、こんな曲を思い出してみるのも悪くないでしょう。

ヒット曲の歌詞は小学校3年生レベル?  研究で明らかに

映画・音楽
05 /21 2015
AFP=時事】子どもが聞いている音楽をくだらないと思っている親の意見が正しい可能性が出てきた。最近行われたある研究によると、平均的なヒット曲の歌詞の読解レベルは小学校3年生程度であることが判明した。

半世紀で最高の「音楽革命」、ヒップホップをデータ検証

 チケット販売シートスマート(SeatSmart)が実施した調査の対象は、2005年以降、米ビルボード(Billboard)のシングルチャートのポップ、ロック、R&B・ヒップホップ、カントリー部門に少なくとも3週間ランク入りしていた225曲の歌詞。

 分析には、1文の長さ(1文当たりの平均単語数)と単語の長さ(1単語当たりの平均音節数)から文の易しさを数字で表す評価指標フレッシュ・キンケイド(Flesch-Kincaid)などが用いられた。

 研究を行った専門家によれば、比喩や内省的な表現ではなく、文章の複雑さのみを基に分析したという。

 その結果、ヒット曲の歌詞の標準的な読解レベルは小学校3年生――アメリカの教育制度ではおよそ8歳――で、この10年で低下したことが分かった。

 音楽のジャンルの中で読解レベルが最も高いのはカントリーミュージックで小学校3.3年生、R&Bとヒップホップは最低の2.6年生レベルだった。

 代表例を挙げれば、最も高い小学校5.8年生レベルの歌詞という判定結果だったのは、米カントリーシンガー、ブレイク・シェルトン(Blake Shelton)の「オール・アバウト・トゥナイト(All About Tonight)」。

 2番目に高かった歌は、米オルタナ・ロックバンドのレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)の「ダニー・カリフォルニア(Dani California)」だった。

 一方、 小学校1年生レベルを下回ったのは、カナダ出身のヘビーメタルバンド、スリー・デイズ・グレイス(Three Days Grace)の「ザ・グッド・ライフ(The Good Life)」だった。最下位レベルにはほかに、ヘビーメタル界の帝王オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)の「レット・ミー・ヒア・ユー・スクリーム(Let Me Hear You Scream)」も入っている。

 汚名を被ったスリー・デイズ・グレイスだが、彼らの曲「アニマル・アイ・ハブ・ビカム(Animal I Have Become)」は上位に入っている。

 ジャンルごとに見ると、ポップアーティストの中で読解レベルが最も高かったのは、米歌手のマライア・キャリー(Mariah Carey)の歌で、ヒップホップ・チャートではエミネム(Eminem)だった。【翻訳編集】 AFPBB News



こんな意味が深く、かつメッセージ性の強い歌詞は、もう現れないのでしょうか?


仕事場で若い連中が聞いている音楽というと、間違いなくラップの類ですが、正直、英語が母国語でない私ですら判るほど、低俗かつ下品な表現に溢れています。Fの付く言葉など、当たり前に連呼されます。

歌詞もひどいですが、メロディーは当然皆無で、ただ歌詞を叫んでいるだけ、しかも皆同じ声にしか聞こえません。

あれで、それぞれ違うアーティストが違う曲を歌っているというのが、正直信じられない位です。8時間同じ曲を聴いている感じです。

これは、日本でも同じ事です。

日本の音楽が急速に低俗化したのは、80年代後半辺りではないでしょうか?大勢でウジャウジャ、歌唱力皆無、脳みそ皆無のアイドルが幅を利かせ始め、更に89年にベストテンの様な音楽番組が軒並み終了すると、ミュージシャンの活躍の場が大きく減ったのです。

丁度その頃、大きく世代交代が起こったと思うのですが、以降、自分で作詞作曲をこなすアーティストが増えたものの、同時に、歌詞の低俗化が起こったと思っています。

それまで多くの歌詞というものは、専門家の手によって大いに練られたものであったのに対して、普通の会話言葉程度で、詩ではなく、「説明文」の様な歌詞が増えていきました。

ファンの方には申し訳ありませんが、槇原敬之氏が最初に出てきた時、正直、驚いたのです。言わんとしている事は悪くないのですが、何とも言葉遣いが幼稚で説明文調、よく言えば理解し易いのですが、この人は国語力が無いんだな…と思い、同時に、それが売れる世の中に一抹の不安を覚えたものでした。

判り易く言えば、この辺りから、ソレまでの常識だった「文語調」から「口語調」に変わって行ったのです。

それ以前は、なるべく5音、7音という日本語が美しく聞こえる言い回しを使い、韻を踏むといった技術も多用され、例えば同じ意味の言葉でも、その絶妙なニュアンスの違い、音の良し悪し等、正に推敲に推敲を重ねたものだったのです。

それ以降、どうでしょう?音楽は量産される様になり、ミリオンヒットが続出する中でも、その流れはより顕著なものになっていきました。

私の小学時代の恩師、I先生が仰った「詩は説明文じゃない」という言葉が思い出されます。

「なごり雪」の3分少々の短い中に秘められた無限の世界、ソレに比べ、6分にもならんとする今の曲の何とも味気の無いこと…。

私も随分昔から音楽を聴かなくなっていますし、オーディオも携帯で十分なんていう位ですが、要するに、大金叩いてまで聴きたいと思う様な音楽が無いからなのです。

食わず嫌いという面もあるかも知れませんが、私が若い頃に聞いた音楽に比べ、明らかに劣化している様にしか思えない物に、敢えて時間や金を投資したいという気にもなれないのです。

洋楽もそうなら邦楽も同じです。その傾向は、ますます強くなっていくと思いますが、どうせ私には関係ないことなので、コレ位にしておきましょう…。

マーキュリー・グランドマーキス

マーキュリー
05 /18 2015
イメージ 1

写真は、最終型のマーキュリー・グランドマーキスです。

92年にエアロスタイルで登場したグランドマーキスも、90年代末頃には生産中止にする予定であった様ですが、97年、一足先にGMがフルサイズのマーケットから撤退すると、フォードが市場を独占する形となり、マイナーチェンジを行いながら、2010年まで生き延びることになりました。

イメージ 2
正直デザインは、マイナーチェンジ毎に劣化していると思います。


最終型が登場したのは2003年、北米の経済は、比較的好調だった時代ですが、ガソリン代がジワジワと高騰し始めた時代でもあり、オーナーの更なる高齢化も重なり、年々販売台数を落していた時代です。

この世代に関しては、正直タクシー以外見たこと無いといった印象で、こんな普通仕様の車を見るのは、本当に久しぶりでした。

因みにカナダでは、2001年にマーキュリーの販売を終了しており、グランドマーキスが唯一、カナダで購入できるマーキュリーでした。

イメージ 3
裕福な地域で見かけたものですが、この家には、こういう趣味の方が居るのでしょうか?


結局、GMが撤退したかということで、タナボタ的に市場を独占した訳ですが、そんな消極的な理由で継続販売されただけに、製品的に殆ど進化も無く、ただ惰性で売り続けたというのが正直な所です。

内装は、流石に大きさだけあり、ユッタリとしたものですが、かといって、同世代のアコードと比べ、特別に広いという印象もありません。

トランクに至っては絶望的で、トランク内にスペアタイヤが積まれ、床の位置も高く、絶対的に容積が不足しているのです。
最大のサイズのスーツケースを積むと、トランクが閉まらないのは当たり前で、タクシーの運転手は、皆、バンジーコードを常備していたものでした。

同世代のアコードなら、スーツケースに更にセカンドバッグまで、余裕を持って収納できたものですが・・・。

インターネットも一般的とは言えなかった90年代半ば当時ですら、GMが97年にフルサイズから撤退することは、既に知られていました。

96年に初めてバンクーバーに来た時、それ故に、カプリスのカタログを入手しようとGMディーラーに行ったものの、販売台数は年間3台程度で、カタログも実車も無い有様でした。

本当にこの手の車を売り続けたいのなら、ソレに合わせてフルモデルチェンジをすべきだったのですが、やはりフォードも本気ではなかったのでしょう。

そして、その辺りのスタンスが、ユーザーからも見放された原因なのでしょう。

生産中止から既に5年、タクシーが一斉に姿を消すのも時間の問題になりました。



シボレー・キャバリエ

シボレー
05 /11 2015
イメージ 1

写真は、90年代初頭のシボレー・キャバリエです。
82年に登場した当時、アコードやカムリといった日本車のライバルに比較して、割高な上に品質、性能共に極めて粗末な車として批判を浴びたJカー兄弟の末っ子ですが、85年のプラザ合意以降、急激な円高から、日本車に対して割安感が生まれ、その結果、ソコソコの人気を得る様になりました。

キャバリエは、95年にニューモデルが登場していますが、写真は、そのモデルチェンジ前の、初代の最終モデルに当たります。

初代キャバリエというと、本当に見かけなくなりましたし、80年代の印象が強いのですが、意外と最近まで販売されていたのです。

同世代の日本車に比べ、著しい現存率の低さは、その品質故のことです。

かつて、北米に行くと、日本と比べ、カラフルな車が多いという印象がありましたが、今日、日本と大差なく、シルバーやグレーといった色ばかりになっています。

そんな中で、今や懐かしさすら感じる色が、一際鮮やかに見えました。しかも、ビックリする位に程度が良く、恐らく、年配の方が新車で購入され、今まで大切に乗られているのでしょう。

しかし…改めて今日の目で見ると、コンパクトな割りに、やたらボンネットが長い上に巨大なフロントオーバーハング、その割りに短いリアが、何ともアンバランスです。
サイズ的には、5ナンバー枠に収まっており、幅の広い車の多い北米では、一際幅が狭く、この辺りも、どこか不安定感を感じさせるデザインです。

以前は見かけても、間違っても足を止める様なことは無かった車ですが、ソレが写真に収めて、記事にまでなる…やはり、今の車に余程魅力が無いということなのでしょうか?それとも、この車が、ノスタルジーの対象になったのか…?

96年にカナダに居た当時、お客さんで89年式のキャバリエを所有している方が居ましたが、一緒に来ていた小さい娘さんが、その車が自分と同じ年だと話してくれ、まるで兄弟の様に慈しんでいるのが印象的でした。

まさか今、そのキャバリエが現存しているとは思えませんし、あの小さい女の子も、既に20代後半…やはり、随分と古い話しですね…。

京セラにとってのヤシカ買収

写真・カメラ
05 /05 2015
前回の記事に続き、京セラについて、少し話してみましょう。

京セラの旧称は京都セラミックといい、碍子やファインセラミックを生産する、京都の一ローカル企業でした。私を含め、多くの人がその名前を初めて知ったのは、1983年、当時経営危機にあったカメラメーカー「ヤシカ」を買収した時だったと思います。

70年代後半辺りから、規模の小さいカメラメーカーの淘汰が始まり、更に80年をピークに、カメラ産業は販売減少が続きましたが、そんな中で、突然、この斜陽産業の中の、更に弱小メーカーを買収するというので、多くの人を驚かせました。

ところが、京セラが経営権を得ると、ヤシカは見事に息を吹き返し、特にコンタックスを中心に、ラインナップを充実していきました。

しかし、このコンタックス事業というのは、ドイツのカールツァイスとの共同作業でもあり、その事が足枷となり、オートフォーカスへの参入の遅れ、価格面での競争力を弱めていたのは、否定できない事実でした。

特にデジタルになってからは、フルサイズ一眼レフを始め、色々なモデルを発売したものの、結局どれも一度もモデルチェンジされる事無く、2005年、国内メーカーとしては初のデジカメ撤退となりました。

デジカメというものが、儲からない商品だという事から、早々と見切りを付けた訳ですが、翌年、コニカ・ミノルタも同様の理由からカメラ事業から撤退しています。

京セラにとって、ヤシカとは何だったのか?
正直、最初からカメラなど、余り興味が無かった様に思うのです。

現在既に淘汰された中小のカメラメーカーの中で、ヤシカというと、古くからエレクトロニクスを導入し、定評のあるメーカーでした。
そして、その子会社、富岡光学のレンズの性能も有名なところでした。

カールツァイスが、コンタックス事業のパートナーにヤシカを選んだのも、そのエレクトロニクス、富岡光学の技術を見込んでの事だったのです。

会社としては常に不安定で、人気ブランドとは言えないヤシカを敢えて購入した理由はその辺にあり、それ故に、儲けが出なければ、ドライにリストラということになったのでしょう。

かつては碍子やセラミック等、おおよそ一般人には縁の無いものの専業メーカーであり、知名度も皆無であった京セラが、今日、誰もが知る大企業になる切っ掛けになった事を考えると、やはり稲盛氏の決断は、目を見張るものがありました。

今日、様々な製品に応用される様になったセラミックというものが一般的に知られる様になったのも、このヤシカ買収以降だったと思います。

蛇足ですが、当時のカメラ総合カタログを見ると、ヤシカ時代は、50音順の最後の方にあったのに対して、京セラ時代は、前の方に掲載される様になった事・・・コレだけでも結構イメージの変化があったものです。

京セラがコンタックス製品のサービスを終了

写真・カメラ
05 /05 2015
イメージ 1
現在、唯一手元にあるフィルム機、コンタックスTvs2


京セラがコンタックスの生産を中止し、カメラ業界から撤退したのが2005年、既に10年前のことになります。
そして、丁度10年目の今年の4月末を持って、その全てのサービスも終了したそうです。

私にとって、初めてのデジカメがコンタックスTvsデジタルでした。

長年フィルムを当たり前に使ってきた私にとって、デジタルなど全く眼中に無かった中、唯一「少し」興味をそそったのが、このTvsデジタルでしたが、10数万という価格は、海の者とも山の者とも知れぬデジタルに払えるものではありませんでした。

それが、この撤退のニュース後、大安売りが始まり、ニュージーランドで購入したのでした。

フィルム時代、長年キヤノンを使って来て、その写りにも十分満足しており、コンタックスの名高いカールツァイスのレンズなど、都市伝説程度にしか思っていませんでした。

イメージ 2

ところが、購入したその日、僅か数枚の試し撮りの時点で、今まで見た事無い鮮やかかつダイナミックな色に驚き、移行、フィルムのコンタックスにも手を出しました。

イメージ 3

現在、フォトショップを使って、非常に様々な調節が出来る様になりましたが、未だにコンタックスの写りをソレで再現することは出来ないと感じています。

近年、原色に近い様な、不自然に鮮やかな描写のデジカメが増えましたが、正直、現実感に欠け、軽薄さが先走り、未だ、コンタックスには一歩及ばないという印象すらあります。

イメージ 4
コレよりも綺麗な写真を撮るカメラは多いけれども、これ程個性的な写りは、正直お目にかかれません。


そんな素晴らしい写りをするカメラが、何故マイナーに終始したか…というと、正直、ココの製品は、物凄く故障が多かったからなのです。
酷使して故障したとかいうのなら判りますが、私程度の使い方で、故障に次ぐ故障を繰り返すのですから。そして、同機種なら、大抵同じ様な壊れ方をしました。
それも、大抵、何の前触れも無く、ある日突然起こるので、たまったものではありません。

コレでは、幾ら写りが良くても、プロの仕事には使えません。
高価故に、初心者には手が届かず、ベテランには故障が多過ぎる…要するに、そういう事なのです。

コンタックスが終了してから、カール・ツァイスも複数のメーカー向けにレンズを供給する様になり、同時に、以前は京セラの子会社、富岡光学が製造していたところ、複数のメーカーによって製造される様になり、以前より手軽に選択できるとは思いますが、同時に、コンタックス時代程の個性ある写りはしない様です。

コンタックスとは、元々、ドイツ最大の光学メーカー、カールツァイスの子会社、ツァイス・イコンのブランドで、ライカと共に一世風靡したものですが、後に同社のカメラ撤退後、ヤシカ(現京セラ)が親会社のカール・ツァイスと共同作業で復活させたものでした。

再び休眠ブランドになって既に10年…今更高額なブランド使用料を払ってまで、この由緒ある名前を復活させる動きは、残念ながら無い様です。

コンタックスに付きまとった品質の問題は、この高額なブランド使用料故に、品質面で削らざるを得なかったのではないか?と疑っています。

私を始めとして、昔を描写を知る者としては、非常に魅力のあるブランドとは言え、ヤシカが始めた70年代と比べ、既に、かつてのライカvsコンタックスの時代を知る世代は少なく、ヤシカ(京セラ)コンタックスを知る世代も多くは無い…となると、仕方ないんでしょうね・・・。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。