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スズキ、鈴木修氏が会長専任に 社長には長男の俊宏氏が昇格

ニュース
06 /30 2015
 スズキは30日、鈴木修会長兼社長(85)が社長を退任し、長男の鈴木俊宏副社長(56)が昇格する人事を固めた。修氏は会長兼最高経営責任者(CEO)に就任する。30日午後に修氏らが出席し、東京都内で記者会見する。

 修氏は他社に先駆けてインド市場を開拓するなど、スズキを世界的な自動車メーカーに育てあげた。俊宏氏はこれまで経営企画や海外部門を歴任。俊宏氏への交代で経営陣の若返りを進めるとももに、インドや東アジアなど新興国市場でのシェア拡大を目指す。


鈴木修社長というと、日本の経営者としては珍しく、世界を相手に一歩も引かずに上手く舵取りをしてきた、近年稀に見る名経営者でした。

いすゞがGMにダメにされたのとは違い、GMを徹底的に利用してアメリカ市場を開拓し、車を売りまくりました。

「ゼネラル・モーターズが鯨で、うちがメダカ?いやうちはメダカじゃなくて蚊ですよ。だってメダカは鯨にのみ込まれてしまうが、蚊であれば空高く舞い上がることができるのでのみ込まれない。」

というのが修氏の名言ですが、事実、いすゞの他にもサーブ、ハマー等、GMと関わったメーカーが軒並み飲み込まれたのに比べると、スズキの立ち回りは見事としか言えませんでした。

反面、85歳まで現役=後継者の育成と言う面では、成功だったとは言えない様です。本田宗一郎氏が僅か65歳で引退し、45歳の河島氏に交代したのは、実に見事な世代交代でした。
反面、晩節を汚したのは、ヤマハの川上源一氏でしょう。
結局、この世代交代までが経営者の仕事であることを考えると、鈴木修氏は、少し長く居過ぎた様です。

何となくヤマハの川上ファミリーの様になりそうな気がして仕方ないのですが…。
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ホンダCBR600F

ホンダ
06 /30 2015
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80年代半ば頃のホンダは、結構ラインナップが混乱していた様です。
北米市場を見ると、CB1100F以降、リッターバイクから直四が消えて、VF1000辺りがフラッグシップの様な扱いになっていました。

中型クラスは、設計の古いCBX550Fが継続販売され、日本国内で発売されたCBR400Fの輸出仕様は設定されませんでした。
そして、VF500Fの二本立てでしたが、感覚的に、VFの方が売れたんでしょうか?当時から、コチラの方が目に付いた様な気がします。

ところが86年になると、VFとCBXが共に生産中止になり、その後を継いだのが、このCBR600Fでした。

アメリカでは結構人気だったVFですが、何故か同時期、国内で人気を得たVFR400の輸出仕様は有りませんでした。

日本ではCBR400Rとして売られたモデルですが、輸出仕様の600は、パワーに余裕があるせいか、又は単にコストダウンの為か、フレームが鉄製になっていたり、当時のホンダが力を入れていた、カムシャフトをギヤで駆動する「カムギアトレイン」も省略され、通常のチェーン駆動になっていました。

この辺りは、とにかく高度なメカ程受けた日本の中型市場に比べ、よりリーズナブルで実用性が求められるアメリカの中型市場との違いとも言えるでしょう。
それでも、400ccとほぼ同等の車体ながら、実に85馬力と、数年前のナナハンをも凌駕する、驚異的なパワーを発揮しました。

それにしても久々に目にしたこのバイク…400と余り大きさは変わらない筈なんですが、随分と薄らデカく見えました。
まあ、デザインも当時から不評でしたが、相変わらず良い印象は無いですね…。

しかし、水冷エンジンにフルカウルとなると、夏の渋滞で経験するのが、火傷する位の凄まじい熱風ですが、その対策としては、このエアロスタイルは一定の効果はありました。

海外では、少しづつデザインを買えながら、98年までこのスタイルを維持しましたが、日本では、不人気ゆえに、僅か2年で廃れ、次期モデルでは、よりレーサーに近いスタイルに変更されています。
それでも、オプションとして、タンクとカウルの隙間を埋めるパネルが設定されており、やはりホンダの本音としては、このエアロスタイルの方を買っていたのが分かります。

発売から既に30年近く経っており、コレも既にコレクタープレートの対象車種になりました。こうやって見ると、バイクってこの30年、余り変化が無い様にも見えますし、逆に80年代半ば頃の数年の変化の激しさには、改めて驚かされます。

何と言っても、あの私のCX650ユーロとコレが、数年の差しか無いんですから!

ランブラー・クラシック

独立系メーカー
06 /26 2015
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ランブラーというブランドは、1950年よりナッシュモーターが採用し、後にAMCに受け継がれましたが、その元となるトマス・B・ジェフリー・カンパニーの歴史は古く、ランブラー銘の自転車の生産は1878年まで遡り、1902年より、車の販売を行っていました。

1916年、GM創業者ウィリアム・デュラントの片腕で、後にGMの社長となったチャールズ・W・ナッシュによってトマス・B・ジェフリー・カンパニーは買収され、ナッシュモーターズが発足しました。

以降、ランブラーのブランドは消滅しましたが、1950年に再び登場し、人気を博しました。

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後にナッシュは、同じく独立系のハドソンと合併し、AMCになり、その後ナッシュやハドソンのブランドは消滅したものも、ランブラーは行き続けることになりました。

写真のクラシックが発売されたのは60年代初頭、同時期、ビッグ3からもコンパクト、インターミディエートクラスが出始めますが、正にその先駆けともいえるモデルでした。

AMCは、後にジープを買収し、それを主力にしていきますが、60年代には、こんなアメリカ的な車を作っていたのです。
手頃な値段で品質も良く、コンパクトで燃費も良い事から、大変な人気を得たモデルで、海外でもアチコチで生産が行われた辺り、同時代のフォード・ファルコンやクライスラー・ヴァリアントなんかと似ているかも知れません。

この定評のあったブランドも、逆にAMC=コンパクトというワンパターンのイメージを作ってしまったのは事実で、それから脱却する為に、段階的にランブラーのブランドを廃止し、69年に生産を中止しています。

その後のAMCの迷走を見ると、この決断が正しかったのかは、極めて疑問が残るところです。

かつて、コンパクト、インターミディエートとして登場したビッグ3の車は、モデルチェンジ毎に巨大化して、似ての似つかない車に変貌していった事を考えると、ランブラーのワンパターンも、十分に価値があったと思うのですが…。

70年にはジープを買収しますが、やがて日本車の影響を受ける様になり、経営不振が続く様になり、79年にはフランスのルノーの傘下になった後、87年、リー・アイアコッカ率いるクライスラーに買収され、その歴史に終止符を打ちました。

ランブラーの成功=ブランドイメージの固定、それを脱却する為の迷走、そして衰退…この車を見ると、後のAMCの迷走が、まるで嘘の様に見えてしまいます。

日産自動車、ゴーン社長の報酬が10億円超え

ニュース
06 /23 2015
 日産自動車は23日、横浜市内で開いた株主総会で、カルロス・ゴーン社長の2015年3月期の役員報酬が10億3500万円だったと明らかにした。前期を4000万円上回り、開示を始めた10年3月期以降、初めて10億円を超えた。

 同社の15年3月期の連結業績は主力の北米市場が好調で、増収増益を確保した。

 15年3月期の役員報酬では、ソフトバンクのロナルド・フィッシャー取締役が、同社傘下の米スプリントなどの分も含め、17億9100万円を受け取っている。


全くニッサンは、この御仁に食い物にされていますね。
毎年書いていますが、この10数年、カルロス・ゴーンがニッサンでやった仕事など、殆どありません。

一極集中で新たな腐敗を生んだだけです。

10億円もあれば、優秀なエンジニアを何人雇えることか・・・?

トヨタの社長ですら2億円だというのに、あの糞みたいなニッサンが10億円って、冗談にも程が有ります。
減額ならともかく、一体何を理由に昇給してるんでしょう?

結局外人社長に何もいえない労働組合といい、イエスマンばかりの経営陣、石原体制、塩路天皇のあの頃と一体何が違うというのでしょうか?

ホンダ・ドリームCB450

ホンダ
06 /23 2015
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街で見かけた70年頃のホンダCB450です。

65年に発売された当時、日本では「クジラタンク」、海外では「ラクダのこぶ」と言われたタンクは、CB750の雰囲気のものに変更されています。

このバイクは、60年代当時、650ccのイギリス車に対向するには、ホンダの技術なら450ccで十分だとして開発されたのは有名な話しですが、小排気量故の余裕の無さ、振動、操縦性に対するノウハウの不足等から、イマイチ評価を得るには至りませんでした。

ところがCB750の発売後、日本ではすっかり存在が薄れたのに対して、アメリカ市場では、手頃なバイクとして、コンスタントに売れ続けた様で、実際に日本で販売中止になった後も、販売され続けました。

イギリスのOHVに対してDOHC、高回転化に問題となるのが、通常のバルブスプリングに起こる共振(サージング)ですが、それを解決する為に、コイルスプリングではなく、トーションバーを使用する等、正に本田宗一郎社長のスピリッツの凝縮されたエンジンで、当時としては高出力のリッター当たり100馬力を実現していました。

そして驚くことに、このエンジンは、あの軽自動車N360のベースにもなっているのです。当然排気量も小さく、CB450に比べてデチューンされているので、CB450の部品を使ってN360をチューンするというのも当たり前に行われていました。

この辺りも、日本の中古車市場では人気が無いせいか、比較的カナダには残っている様です。
450ccという排気量は、400以下の保険が安いというココの法律では、極めて微妙な存在ですが、コレクタープレートをつけることで問題は解決。

写真は、社外のマフラーが付いていますが、コレクタープレート取得時は、ノーマルだったとのことです。

トライアンフやノートンといったイギリス車のソレとは違う排気音は、ある意味モダンな感じがしました。

大排気量で「程々の」パワーに抑えたCB750に対して、可能な限り高回転で高出力を狙うという考えは、当時のワールドGPでの考え方と直結しており、本田宗一郎社長の下で開発された、ホンダスピリッツに溢れるバイクだと言えるでしょう。

CB450の生産中止から数年後、400ccツインのホーク2が発売されましたが、同じくリッター当り100馬力を実現しながら、コチラは一般的なOHCエンジンでした。
60年代半ば当時、最高レベルの技術を惜しみなくつぎ込んで、ようやく実現したパワーも、77年には、一般的なOHCで実現出来、しかも、遥かに扱い易いエンジンだったのです。

ホンダ・ドリームCB450は、正に本田宗一郎社長の「夢」であったのに対して、ホーク2の名前からは「ドリーム」が外され、「現実」になったのでしょう。

ホーク2も良いバイクなのですが、どこかシラケた印象を受けるのは、私だけではないでしょう・・・。同時に77年当時、DOHCを採用していたら、どの程度の馬力が出たのか、興味のあるところでもあります。

ホンダPC800 パシフィックコースト A+B=Cの失敗例

ホンダ
06 /21 2015
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パシフィックコーストは1990年、アメリカ市場のてこ入れを目的に発売され、後に日本でも販売されました。
1980年代後半、当時のホンダの営業がアメリカを訪れたところ、彼の地では、ホンダの2輪営業部を含め、バイクに実際に乗っている人が殆ど居ないことに驚きました。

現在北米での中古車市場を見ても判りますが、80年代初頭のバイクは結構見かけるものの、80年代後半の物は、非常に少なく、有っても一部の大型車に限られるといった印象です。

かつて、ホンダにとってドル箱であったアメリカ市場の変化・・・それは、ヘルメット規制、保険の高騰、車両価格の高騰といった理由から、日本製バイクが最早手頃な
存在ではなくなったからでした。

そんな中で、誰もが気軽に乗れる、快適で実用的なバイクとして企画されたのが、このパシフィックコーストです。

フルカバーボディーに巨大な風防・・・まるで現在のビッグスクーターを思わせる様なプロポーションですが、ホンダの狙いは、正にソコだったのでしょう。

スクーターの様に手軽に乗れること、メンテナンスフリーであること、そして、リアシート下にトランクスペースを標準装備する等、スクーター並みの実用性と、800ccVツインエンジンから来る大型バイクの魅力、そして外観からはメカ的な要素を廃し、バイク=一部の特殊な人のもの…といったイメージを払拭するデザインをを併せ持った…と言いたいところが、実際、どうでしょうか?

私に言わせれば、「AとBを合わせてCを作りました」というソレが成功した例が無いということです。
結局Aの良さもBの良さも相殺された中途半端な製品になるのが通例だからです。

アメリカでもバイクを乗るには、当然ですが、バイク免許を取得する必要があります。
そんなモノを敢えて取得して、しかも高額な車両価格、高額な保険を払うだけの意欲のある人は、もっと普通のバイクを選ぶからなのです。

ホンダの800ccのVツインエンジンは、非常に素直で耐久性に優れ、そして実際に乗れば、良いバイクなのですが、果たして今までバイクに乗っていなかった人が乗りたがるか?というと、極めて疑問です。

逆に、今までバイクを乗っていた人が魅力を感じるか?というと、コレも同じ事です。

では、バイクが好きで、メカが好きで…という人は…あのフルカバーには嫌悪感すら覚えることでしょう。

敢えて私が思いつくのは、今までゴールドウィングのフル装備に乗っていたけど、年取って流石に体力が・・・という辺りでしょうか?

手軽で、今までバイクに乗っていなかった人に…というには、割高な価格もマイナスでした。

何れにしても、パシフィックコーストは、A+B=C型マーケットの失敗例として、記憶しておくべく存在だと思います。

Boss 302 マスタング

フォード
06 /20 2015
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1964年に登場したマスタングは、お洒落かつスポーティーなスタイルとパフォーマンスで一躍ベストセラーになりましたが、67年モデルでGMがカマロ/ ファイアーバード兄弟を投入すると、更に市場が活性化しましたが、同時に、GMに比べ、パフォーマンスの面でマスタングは劣勢に立たされることになりました。

そこで69年モデルのマスタングは、デザインを大きく変更し、より大柄な車体が与えられましたが、その中でも、ハイパフォーマンスを売りにしたのが、このBoss 302マスタングでした。

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4.9リッターのV8エンジンの290馬力は、同時期のカマロZ28と同等のものでした。

ボンネットに巨大なエアスクープがあるものの、ターボではない・・・こんな辺りがアメリカ的だったりします。

トランスミッションも、4速マニュアルが標準と、この辺りもアメリカとしては異例な事です。

生産されたのは69~70年の2シーズンで、写真は69年モデルです。
非常に程度も良く、コレクタープレートが付いていました。

北米でマスタングというと、初代が一番人気が有ったのに対して、日本では、この世代が一番印象が強かった様で、私を含めて多くの人が、マスタングといえば、先ずこの世代を想像したものでした。

事実、初代トヨタ・セリカを初め、70年代初頭に発売された日本製クーペの多くに、その影響を見て取ることが出来ます。

只、当のアメリカでは、手軽でスポーティーな車として人気を博したマスタング故に、より大きく、高性能、そして高価格のモデルチェンジは商業的に失敗し、後のマスタング2で、初代への回帰を目指しています。

マスタングの父こと、リー・アイアコッカ氏も、自伝でこの件に関して「成功することよりも、成功を維持することの難しさ」を語られています。

それ故に、この世代のマスタング、しかもBoss302となると、実際に目にする機会は非常に少なく、この車などは、北米で最も風紀が悪いといわれる地域に停まっていたものですが(こんな所に停めておいて平気なのか?)、それでも足を止めて写真を撮った位です。


通常モデルのコンバーチブル化

カーデザイン スタジオ
06 /17 2015
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車のデザインの要は、ルーフラインからCピラーに掛けてだという事は、何度も述べています。

他が幾ら素晴らしくても、ココで手を抜けば、デザインは台無しになります。

その反面、比較的平凡なデザインの車でも、ルーフラインを取り払う、つまりコンバーチブル化すると、印象が一変することがあります

そこで一つ実験をしてみましょう。

今回ターゲットになるのは、以前酷評した、先代キャデラックCTSのクーペです。
デザインのポイントを尽く踏み外した正に論外のデザインですが、コレをコンバーチブルにすることで、どうなるか?と思いついたのです。

フォトショップで適当に作ってみました・・・。

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手軽に作ったので、ソフトトップなんかは付いていませんが…やっぱり大した事無いデザインですね・・・。

ルーフラインの酷さはカバー出来ても、基本的なプロポーションの悪さはカバーできません。
特にリアタイヤとフェンダーの位置関係の拙さが、より強調されてしまっている様な気がします。

当然ですが、ルーフラインはカバー出来ても、逆にそれ以外のアラが強調される…そんな気がしました。
基本がダメなものは、何をやってもダメという典型ですね。

バンクーバー・イタリアンフェスティバル

カナダ情勢
06 /15 2015
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バンクーバーでは、毎年リトルイタリーでイタリアンフェスティバルが開催されます。

リトルイタリーは、私の住んでいる地域からも近いのですが、メインストリートを閉鎖して行われる為、周辺の混雑も酷く、正直余り有り難いものではないのですが、昨日は何か昼食でも・・・と思い、買い物の序に足を伸ばしてみました。

しかし…凄い混雑です。

○○フェスティバルというものは、色々と有りますが、ココの特徴は、露店の類が非常に少なく、有っても量が非常に少ない上に、物凄く高価で、しかも凄まじい行列です。

しかも売っている物といえば、ピザやイタリア風ホットドッグ、ジェラート…本当にそんな感じです。

北米という地域は、正に食の空白地帯ですが、イタリアンフェスティバルと言って、こんな程度のモノしか無いのは、日本の常識、いえ、他の地域の同様のフェスティバルからしても、信じられない低レベルでした。

バンクーバーにも色々な祭事はありますが、皆共通しているのが、とにかく文化の香りがしない事でしょう。只人がウジャウジャしているだけで、余程何か有るのか?と思うと、必ず肩透かしを食らいます。

まあ、ココも露店がメインというよりは、通り沿いにある店のプロモーションといった色合いが強いのかも知れませんが、だったら、もう少し空いた時に行った方がいいでしょう。

暑い上に余りに混雑が酷く、しかも体調もイマイチとあって、昼食は何も食べずに帰ってきました。

結局カナダ人は、ホットドックとハンバーガーとピザとジェラートしか知らないのか?なんて思いながら帰ってきました。

ライカが28ミリレンズ一体型のライカQを発売!

写真・カメラ
06 /14 2015
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ライカが、また素晴らしい「価格」のカメラを発表しました。

35mmフルサイズセンサーを搭載するレンズ非交換式の高級コンパクトカメラだそうですが…。

レンズは28mmF1.7を固定…コレでは特に北米では苦しいですね…。よく日本の方は、広角しか使わないという方が多い様ですが、ヨーロッパも同様、ある程度狭い空間で使うことが前提になりそうです。

電子ビューファインダーや手振れ補正を内蔵している辺りは、同クラスのソニーRX-1シリーズよりも進んでいますが…価格は驚く事に、60万円位になる様です。

近年ライカも、従来のMシリーズのみでなく、新しいシリーズに力を入れている辺りは、評価すべきですが、それにしても値段が余りにも高過ぎます。

日本の同クラスに比べて3倍というのは、やはり高過ぎます。
この価格設定が、結局自らの首を絞めていることを自覚すべきでしょう。

結局ドイツ人ならではの完ぺき主義なんでしょうか?
仮にこの金額が払えるにしても、私には使い道の無いレンズですね…。


americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。