戦前、エドセル・フォードの手でデザインされたリンカーン・コンチネンタルMark1は、手作りによる少量生産で、非常に高価かつ優雅で美しい2ドアクーペとして知られていました。
当時のモダンなデザインの中にも、トランクの後部にスペアタイヤを配置する辺り、古典的な要素も、実に上手く組み込んだ美しいものでした。
この出っ張りには、スペアタイヤが入っています。こんなモチーフを平気で捨て去るリンカーンは、やはり病んでいます。
当時、学生であったリー・アイアコッカ氏が、フォードの会社訪問の時に乗せて貰った、このリンカーン・コンチネンタルに感激し、それが、後にリンカーン・コンチネンタル・マーク3を作る切っ掛けとなったのです。
ロングノーズにショートデッキ…このプロポーションは、マーク3のみでなく、マスタングの時ですら、参考にされているのです。
さて、話をマーク2に戻しますが、戦後、新たにコンチネンタルを復活させる事になったのですが、リンカーンではなく、更にその上ということで、「コンチネンタル部門」を創設し、販売されたのが、この「コンチネンタル・マーク2」であり、リンカーン・コンチネンタル・マーク2ではありません。
彫りの深いライト周りの造形…サンダーバードのソレは、別体式で、安上がりに出来ています。
キャデラックやリンカーンといったアメリカのブランドも、戦前までは、ロールス・ロイスの様な、手作りの車種を持っていたものの、戦後のソレは、一貫して大量生産を前提としたもので、この車は、キャデラックのライバルではなく、ロールス・ロイスのライバルとして、手作りで生産されたものです。
価格も、10000ドルと、当時のロールス・ロイスと同等のもので、キャデラックの倍以上の価格でした。
当時のアメ車としては、クロームは控え目になっており、一見地味にも見えるものの、その非常に堀の深い造形は、熟練工による手作業故のものなのでしょう。
一見、同時代の
サンダーバードとも似て見えますが、やはり造りのレベルは全く違うのが一目で判ります。
非常に高価格故に、販売台数も限られていますが、そのオーナーには、フランク・シナトラ、エルビス・プレスリー、エリザベス・テーラー、イランのパーレビ国王等といった有名人が名を連ねます。
結局、コンチネンタル部門は、この一台のみで終わり、それ以降のマーク3(リー・アイアコッカのソレとは別物)は、通常のリンカーン部門から販売されていますし、後に、この車の雰囲気を再現した、リー・アイアコッカ氏の手によるマーク3も、リンカーンから販売されていました。
販売台数は、僅か3000台程度(あの
デロリアンですら8,583台です)と言われ、流石に少量生産の高級車というだけあり、現在でも、その半数が現存していると言われ、コレも、その一台です。
多くの部品を、同時代のリンカーンやフォードと共用している事も、少量生産の割りに、その維持を楽にしてるといわれています。
バンクーバーにこんなのが残っているとは、正直、驚きました。まあ、アチコチに錆が浮いており、塗装のコンディションも良いモノではありませんが、正に現存しているだけでも価値のある車です。
前回見かけたのは、2005年にロスに行った時で、実に10年ぶり…ということになります。
道端に駐車してあったのを撮影したものですが、私以外、誰一人として足を止める者も無く、シボレーなんかに比べ、知名度の低さ故なのでしょうか?
只、写真を撮っている時、お婆さんと一緒に散歩していた3歳位の女の子が "Hi, Is it your car?" と話しかけてきたのが唯一でした…。
後にリンカーン部門のトップになったリー・アイアコッカ氏は、ブランドの目玉になる車が必要ということで、マーク3を発売しましたが、コチラは、サンダーバードをベースに、徹底的に豪華装備を与えただけの車で、それ故に、大いに懐を潤すことになります。一台売る毎に1000ドルの損失が出たというマーク2とは、大いに異なりました。
かつて、
レトロデザインのサンダーバードが発売された時、どうせなら、ストレッチして、コレの現代版を出して欲しい…なんて思ったものですが、肝心なサンダーバードも、完成度、人気共にイマイチで、ソレは叶いませんでした。