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カナダの外食2

カナダ情勢
08 /29 2015
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所要でダウンタウンに行ったので、少し散歩してみました。
写真は、バンクーバーのウォーターフロントで、海の向こうはノースバンクーバー、左側にある建物は、2010年のオリンピックの時に建設され、無駄の極致と批判されるコンベンションセンターで、以前紹介したオートショーも、ココで開催されます。

さて、前回、カナダの外食を少し紹介しましたが、丁度、ココの地階部分がレストランになっています。メニューも大きく表示してあったので、写真に収めてみました。

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まあ、呆れる位に高いですね…。

朝食が12.95ドルから…しかも当然、卵、ベーコン、トースト…という、よくあるアレです!

メニューも結局はハンバーガーとピザとパスタ…それが15.95ドル…。

極め付けは、フィッシュ&チップスが19.95ドル!

フィッシュ&チップスなんて、あんなのはジャンクフードです。山盛りのポテトに巨大な魚のフライ…コレを新聞紙で包んで5ドル弱…コレがニュージーランドの相場でした。

凄まじい値段ですね…。
コレは単にメニューの値段であって、ソレに税金5%、チップ15%が加算される事を忘れてはいけません。

まあ、こんな一等地にありながら、評判は大した事無い様ですが…。
コチラの高級レストランというのは、最高のおもてなしをする…というよりは、「金が有るんなら来てもいいよ!」というニュアンスが有る様です。

その際、行く事に価値があるのであって、味なんかどうでも良いのでしょう。
まあ、コレが高級だとも思いませんけど…。

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帰りに、あるバーが改装している現場を見かけました。
コレ…ですが、コチラでよくある木製の重厚なカウンターテーブルも、中を見れば合板を張り合わせただけで、縁取りのみ、それらしい木を使うのです。
まあ、今時こんなのは当たり前なんでしょうが、何か安っぽいというか、興醒めですね…。

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カナダの外食

カナダ情勢
08 /26 2015
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かつて北米に行った時、外食というと、その圧倒的なボリューム、そして値段の安さで、多くの日本人観光客を驚かせたものでした。

ところが今日は…過去30年間、日本は余り物価が変わっていないのに対して、コチラでは、数倍に跳ね上がっています。

先日、一寸洒落た…とは言っても、特別高級な訳ではありません。ごく一般的な小奇麗なレストランに行きました。

コチラのレストランで思うのは、とにかくメニューの種類が少ないことです。そして、有る物といえば、法律で決まっているのか?と思う位、皆似たようなものです。

写真のコレ…コレが15ドルもするって、信じられますか?
更に税金にチップを足すと、驚く事に18ドルです!

日本の感覚では、まるで詐欺のように思えるのではないでしょうか?

コチラの食事というのは、本当にこんなモノです。
過去20年間、日本では様々な安い選択が出来ましたし、安くなくても、より上質な食べ物が色々と生まれています。

そんな中で北米というと、正に200年一日の様な食べ物しか無いのです。
まあ、それなりに美味しいとは言え、満腹には程遠いですし、同じ料金払えば、巨大な中華のテイクアウトを二人分買えます。

先日、本当に20年ぶり位で、コチラのデニーズに行きましたが、ソコも同じ様なものでした。ハンバーガーが13㌦…ホットケーキを頼んだら、幼児が遊びで作った様な不恰好で焦げてて、しかも極小な奴が出てきました。

それ故に、あんないい加減な中華系テイクアウトや、偽者の日本食レストランが乱立出来るのです。

それでもカナダは、中華系、日本系等が有るだけマシといった感じで、アメリカになると、その手の選択は一気に減ります。

牛肉が安くて、毎日ステーキを食べた…なんてのは、最早昔話…ステーキすら日本で外食した方が安いですね。


スチュードベーカー・グランツーリスモ・ホーク

独立系メーカー
08 /23 2015
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インディアナ州サウスベンドに拠点を置いたスチュードベーカー社が、最後に発売したモデルが、このグランツーリスモ・ホークでした。

50年代には、既にビッグ3の優位性は不動のものとなり、スチュードベーカーも、パッカードとの合併で、何とか生き延びている状態でした。

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そんな中で62年に登場したグランツーリスモ・ホークですが、既にブランド末期ということもあり、デザイナーも、かつてのレイモンド・ローウィーではなくなっており、同時期のアヴァンティーなんかに比べると、何処か退廃的な香りが漂っている気がします。

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後ろにもグリルが…スチュードベーカーの伝統、「前か後ろか判らない」の名残…


かつてのスチュードベーカーは、アメリカの戦闘機P-38をイメージした様な面構えが特徴的でした。

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40年代のスチュードベーカー・チャンピオン…双胴機P-38を思わせる面構え…。以前、ライカで撮影したものですが、やはりライカって、この暑っ苦しいロスの空気まで写るんですね…。


この頃になると、ソレもなくなりましたが、まあ、この彫りの深いフロントマスクに、若干の面影を残しているとも言えるのかも知れません。

トータルの生産台数は、2年間で僅か1万4000台程度で、同クラスのサンダーバードなんかとは、比較にならない販売実績でした。

64年には、サウスベンドの工場を閉鎖し、カナダに移転しますが、その時点で、アヴァンティーも、このホークも生産中止となり、そちらも2年後には閉鎖になり、スチュードベーカーは、完全に自動車からは撤退しました。

この車、正直余りカッコいいとは思わないのですが、それでも同時代のビッグ3の製品に比べると、ヨーロッパ的な上質感と共に、非常に手の込んだ作りに見える様な気がします。

まだまだ2ドアセダンの様なクーペが大半であった60年代初頭、こんな本格的なクーペのプロポーションを採用していた辺り、アヴァンティーと並び、残念な一台だと思います。

1957 フォード・サンダーバード

フォード
08 /21 2015
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初代のサンダーバードは、既に取り上げましたが、元々ヨーロッパで人気のあったMGの様なライトスポーツカーを、アメリカ的に解釈したのが、初代コルベット、そして、このサンダーバードでした。

コルベットが姿を変えながらも、今日まで一貫して2シーターを通していますが、サンダーバードは、58年モデルで早くも4シーターになり、この57年モデルは、2シーターの最終型ということになります。

前年と比べると、テールフィンが鋭角に、かつ垂直から角度の付いたものになったこと、そして、フロントバンパーから、前年までの「砲弾」が消え、グリルを包み込む様な形になったのが特徴です。

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前日取り上げたマーク2と雰囲気は似ているものの、ライトの出っ張りは別体式だったり、よりシンプルな造形なのが判ります。

この砲弾型バンパーというのは、テールフィン、ラップラウンドウィンドウと共に、50年代のアメ車に多く見られたものですが、50年代末には、一足先に姿を消しています。

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56年には、砲弾型バンパーが付いています。


今から見ると、非常に小粋で魅力的なデザインですが、やはりこのシリーズは、前年の56年が一番バランスが良いというのが正直な所かも知れません。
ただ、販売台数的には、この57年が、3シーズン中最も多かったというのも、面白いところです。まあ、その結果が出る前に、4シーターへの変更は決まっていたのでしょうけど…。

因みに敢えてこの車を取り上げた理由が、実は、この写真なのです。
何年も前に、たかが500万画素のコンパクトカメラ、コンタックスTvsデジタルで撮ったものなのですが、実に生々しく、質感描写が素晴らしいと思ったのです。

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コンタックスTvsデジタル…未だにコレよりも良い色の出るデジカメを知りません。


先日、パナソニックGX1で子供を撮影したところ、ガチガチで、まるでマネキンの様に写ったのには、正に殺意を覚える程の怒りを感じ、乱暴ですが、GX1は以降、強制的に引退させました。

今のカメラというと、画像の等倍鑑賞による解像力のテストが何よりも大切…ということで、ギラギラでガビガビの画像が普通で、それを皆美しいと言います。
確かに暗所や悪条件に強くなったのは確かですが、普通の条件で普通に撮った時、果たして本当に画質が向上しているのか?極めて疑問です。

幾ら解像力が高くても、子供がマネキンみたいに写る様じゃ、そんなカメラはゴミです。触るのも汚らわしい…と思う位に…。

解像力ばかり上げれば、立体描写が出来なくなるなんて事は、大昔から知られている事です。世の中に溢れるテストといえば、画像の一部分を拡大して、比較する様なモノばかり。どんな綺麗な写りをするか?なんていうテスト、見たことありません。

結局世の中、数値ばかりを追うと、こんな事になるんでしょう…。既にコンタックスも無く、敢えて言えば、馬鹿みたいに高いライカ…仕方なく、消去法で、今持っているレンズの共用出来るオリンパスを買いましたが、何かツマラナイ時代になったものだな…と思いますね…。


コンチネンタル・マーク2

リンカーン
08 /20 2015
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戦前、エドセル・フォードの手でデザインされたリンカーン・コンチネンタルMark1は、手作りによる少量生産で、非常に高価かつ優雅で美しい2ドアクーペとして知られていました。
当時のモダンなデザインの中にも、トランクの後部にスペアタイヤを配置する辺り、古典的な要素も、実に上手く組み込んだ美しいものでした。

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この出っ張りには、スペアタイヤが入っています。こんなモチーフを平気で捨て去るリンカーンは、やはり病んでいます。


当時、学生であったリー・アイアコッカ氏が、フォードの会社訪問の時に乗せて貰った、このリンカーン・コンチネンタルに感激し、それが、後にリンカーン・コンチネンタル・マーク3を作る切っ掛けとなったのです。

ロングノーズにショートデッキ…このプロポーションは、マーク3のみでなく、マスタングの時ですら、参考にされているのです。

さて、話をマーク2に戻しますが、戦後、新たにコンチネンタルを復活させる事になったのですが、リンカーンではなく、更にその上ということで、「コンチネンタル部門」を創設し、販売されたのが、この「コンチネンタル・マーク2」であり、リンカーン・コンチネンタル・マーク2ではありません。

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彫りの深いライト周りの造形…サンダーバードのソレは、別体式で、安上がりに出来ています。


キャデラックやリンカーンといったアメリカのブランドも、戦前までは、ロールス・ロイスの様な、手作りの車種を持っていたものの、戦後のソレは、一貫して大量生産を前提としたもので、この車は、キャデラックのライバルではなく、ロールス・ロイスのライバルとして、手作りで生産されたものです。

価格も、10000ドルと、当時のロールス・ロイスと同等のもので、キャデラックの倍以上の価格でした。

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当時のアメ車としては、クロームは控え目になっており、一見地味にも見えるものの、その非常に堀の深い造形は、熟練工による手作業故のものなのでしょう。

一見、同時代のサンダーバードとも似て見えますが、やはり造りのレベルは全く違うのが一目で判ります。

非常に高価格故に、販売台数も限られていますが、そのオーナーには、フランク・シナトラ、エルビス・プレスリー、エリザベス・テーラー、イランのパーレビ国王等といった有名人が名を連ねます。

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結局、コンチネンタル部門は、この一台のみで終わり、それ以降のマーク3(リー・アイアコッカのソレとは別物)は、通常のリンカーン部門から販売されていますし、後に、この車の雰囲気を再現した、リー・アイアコッカ氏の手によるマーク3も、リンカーンから販売されていました。

販売台数は、僅か3000台程度(あのデロリアンですら8,583台です)と言われ、流石に少量生産の高級車というだけあり、現在でも、その半数が現存していると言われ、コレも、その一台です。
多くの部品を、同時代のリンカーンやフォードと共用している事も、少量生産の割りに、その維持を楽にしてるといわれています。

バンクーバーにこんなのが残っているとは、正直、驚きました。まあ、アチコチに錆が浮いており、塗装のコンディションも良いモノではありませんが、正に現存しているだけでも価値のある車です。

前回見かけたのは、2005年にロスに行った時で、実に10年ぶり…ということになります。

道端に駐車してあったのを撮影したものですが、私以外、誰一人として足を止める者も無く、シボレーなんかに比べ、知名度の低さ故なのでしょうか?

只、写真を撮っている時、お婆さんと一緒に散歩していた3歳位の女の子が "Hi, Is it your car?" と話しかけてきたのが唯一でした…。

後にリンカーン部門のトップになったリー・アイアコッカ氏は、ブランドの目玉になる車が必要ということで、マーク3を発売しましたが、コチラは、サンダーバードをベースに、徹底的に豪華装備を与えただけの車で、それ故に、大いに懐を潤すことになります。一台売る毎に1000ドルの損失が出たというマーク2とは、大いに異なりました。

かつて、レトロデザインのサンダーバードが発売された時、どうせなら、ストレッチして、コレの現代版を出して欲しい…なんて思ったものですが、肝心なサンダーバードも、完成度、人気共にイマイチで、ソレは叶いませんでした。

実際は性能高い韓国車 日本で売れなかった理由をマニア解説

無題
08 /19 2015
 女性モテ車を解説する「週刊ポスト」連載の「死ぬまで カーマニア宣言!」。今回は、欧米では多く見かけるものの、日本ではあまり見かけない韓国車についてだ。これまでにクルマを40台買ってきたフリーライター・清水草一氏(53)が、なぜ日本では韓国車があまり売れなかったのかについて解説する。

 * * *

 日本では韓国車についてネガティブな報道が多く、ヒュンダイ車は雨漏りするとか、アメリカで燃費を水増し表示してバッシングされているとか、悪い話ばかり耳にするが、実際に乗るとあまりの差のなさに愕然とする。

 「そうは言っても、ヒュンダイは日本でさっぱり売れなかったじゃないか!」

 確かにヒュンダイの乗用車は、2001年から2010年まで日本で販売されていたが、極度の販売不振が続いて撤退した。

 だが、当時売られていたソナタ、グレンジャー、i30も、デキは決して悪くなかった。なにしろヒュンダイは、グループとしてはいまや世界第5位。販売台数はホンダよりずっと上というほど巨大だ。傘下のキア(起亜)も含め、欧米でも売れまくっている。欧米で売れるクルマがそんなに粗悪なはずがなかろう。実力は相当なものだ。

 それほどのクルマが、なぜ日本で売れなかったのか?

 なによりも日本での価格設定が高すぎた。定価が日本車とほぼ同じ、値引きを加味すると少し高い。これでわざわざ韓国車を買う日本人などいない。スマホくらいなら韓国製品も買うが……。


 ヒュンダイ車は、海外では日本車より1割弱安いというのが定位置だ。品質もイメージもちょっと下だけどちょっと安い。昨今の円安でその価格競争力が怪しくなり、今はやや不振だが、あくまで「やや不振」程度なのである。

 近年の韓国車の武器は、デザインになっている。ヨーロッパ的な大胆かつ洗練されたスタイルは日本車より上。キアは元アウディのドイツ人凄腕デザイナー、ペーター・シュライアー氏をヘッドハンティングし、ついには社長に据えてしまった。氏はヒュンダイの最高デザイン責任者も兼任している。日本の会社では考えられない大胆な人事と言えよう。

 だが、韓国車には決定的な弱点がある。それは、自動車史に残る革新的な技術や超高性能車を何も生み出していないことである。たとえばトヨタのハイブリッドや燃料電池、日産のGT-RやEV、ホンダのF1での実績のような世界に誇れるNo.1は何もないので、その分ブランドイメージは低め。韓国車が美女に大人気という話は、世界中のどこでも聞かない。

 しかし、それもうかうかしていられない。得意のヘッドハンティングで、今後デカいことをやらかさないという保証はない。

 ■清水草一:編集者を経て、フリーライターに。「自動車を明るく楽しく論じる」がモットーの53歳。現在、フェラーリ・458イタリア、BMW・335iカブリオレ、トヨタ・アクアを所有。日本文藝家協会会員。


典型的な提灯記事ですね・・・。

私は、この清水氏の評論は、特別印象に残らないのですが、やはりコレを読んでも、そう思います。

値段が高過ぎた…確かにそれも理由の一つでしょう。

それ以前に、日本人には、長い歴史から、韓国という国に対して、韓国製の製品に対して、ネガティブな印象が有るという事、ソレは隣国故の事でもあり、韓国という国に、特別歴史的に関わりの無かった欧米とは、大きく事情が違うのです。
実際、ヒュンダイを日本車だと思っている人、少なくないんですから。

何だかんだ言っても、車というのは、その人の趣味、生活レベルといったモノまで世間に公表してしまいます。だったら、得体の知れない車より、無難な日本車を選ぶのが当たり前です。

仮に一割安く買えても、そんなモノ、下取りで帳消しになります。

革新的な技術が無いから?そんなモノ無くても、堅実で良い車なら、人は買います。

その上に、品質に関しても疑問符が付く…この事は、清水氏は一切触れていませんが、実際日本車のレベルには及びません。

そして、一番大きいのは、「日本車に似ているから」なのではないでしょうか?
輸入車というものは、必ず国産車に比べて、割高な維持費、貧弱なサービス網を経験することになります。
そんなデメリットを経験してまで乗る…となると、日本車には無い魅力が無いとダメです。ドイツ車には、ソレが有っても、韓国車には、ソレが無い…結局そこなのです。
かつてのキャバリエやネオンだって同じ事です。

やはり日本の評論家って、数時間から、精々数日の試乗で記事を書いてしまう人種なんですね・・・。

カナダの国境・・・0アベニュー

カナダ情勢
08 /15 2015
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国境の通り0アベニュー…道路の左側は、アメリカです。


所要で、バンクーバーから東に1時間ほどの町、アボツフォードまで行ってきました。

ココはアメリカ国境に近い街で、当然、検問所があります。
そこで、用事が終わってから、以前取り上げた国境の通り、0アベニューまで行ってみることにしました。

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カナダのBC州南部では、東西の道をアベニューと呼び、数字が割り当てられており、その数字が小さいほど、アメリカ国境に近いことを意味します。

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カナダ側の家には、0アベニューへの出入り口があります。


さて、今回行った地点は、前回よりも更に東に行った辺りで、正直カナダ側も、前回の地点よりも拓けている印象があり、更にアメリカ側は、大規模な農地になっていました。

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アメリカ側・・・道路標識の35は、マイル表示です。


向こう側の速度標識は、当然ながらマイルになっています。

この辺りでは、0アベニューとほぼ平行に、アメリカ側にも道路があります。地図で調べたら、バウンダリー(境界線)ロードという様です。

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車を停めて、写真を撮っていると、向こうの方(一番上の写真の、左側に小さく写っている奴)から、国境パトロールの車が、コッチに向かってきました!
一寸ヤバかったかな・・・と思いましたが、特に何も言われず、今度は別の場所に、同じ様に停車していました。

考えてみたら、こんな所に来て、細かく写真を撮っているなんて、越境の下調べをしていると思われてもおかしくないですね・・・。

本当に見渡す限りの農地で、何も知らなければ、ココに国境があるなんて、想像すら出来ないことでしょう。

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精々、所々にこんなモノが建ってる位ですね・・・。

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国境の向こうの広大な農地。

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当然向こう側の車には、ワシントンナンバーが付いています。

向こう側で農作業している人とも、十分に会話が可能な距離です。

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西に向かって暫く行くと、急にコンクリートの囲いが目の前に現れ、そして、国境検問所になります。この車は、BC州のナンバーですが、アメリカから戻って来たのでしょうか?

コレを見て、初めて国境であることを意識する位、それ以外は、正に長閑な農村地帯です。

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こんなのも、田舎ならではの光景です。

今年のバンクーバーは異常気象で、晴天続きから、水不足になっています。今日は久々に少し雨がパラパラと降ったモノの…、恵みの雨には程遠いものでしたし、お陰で、何とも薄暗い写真ばかりになってしまいました。

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因みに、こちらは、アメリカとメキシコの国境です。敢えて言いますが、拓けている方がメキシコです!

この事からも、メキシコにとって、アメリカとの国境は、重大な関心事であるのに対して、アメリカ人にとっては、どうでも良い…といった所でしょうか?
まあ、コチラの場合、メキシコの多くの土地がアメリカに奪われたという歴史的事実も関係してるとは思いますが…。

ソレに比べると、カナダとアメリカの国境は、両者どうでも良い…という感じにも見え、ある意味平和なのかも知れません。


オートフォーカスの歴史 タッチシャッター

写真・カメラ
08 /14 2015
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今や一眼レフも、オートフォーカスでない機種は有りません。
私の使っているパナソニックGX1には、タッチシャッターという機構があります。

モニター画面上でピントを合わせたい場所を軽く押すと、その場所にピントが合い、瞬間的にシャッターが切れる…というもので、最近、搭載する機種も多くなってきました。

私は余り、その手の新機構は使わないのですが、先日、望遠ズームを使い、道路を走っている車でテストしてみたところ、一部手振れしたのを除き、非常に良い結果でした。

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50キロ以上でこちらに向かってくる車に的確にピントが合い、しかもシャッターのタイムラグも十分に短いのでしょう。200ミリ相当の望遠レンズでこれなら、人物のスポーツ撮影なんかには十分…という確信が持てました。

この手の機構を初めて目にしたのは、実は随分と古いことで、1982年頃だったと思います。

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オリンパスOM30とインフォーカストリガーコードの図

当時、丁度AF一眼レフの第一世代が出揃いつつあった時代ですが、その中で、オリンパスOM30が搭載した、インフォーカストリガー撮影というのが、非常に印象的なものでした。

本体にモータードライブを取り付け、インフォーカス・トリガーコードにて、ボディーとモータードライブを接続します。コード上にある赤いトリガーボタンを押した後、ピントが合った瞬間にシャッターが切れる…というものでした。

当時のオートフォーカス用レンズは高価かつ巨大で、消費電力も大きく、まだまだ実用レベルとは言えませんでしたが、全自動に向けての夢を見させてくれた様な気がします。

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α7000…上の写真と比べ、ここまでコンパクトになった…衝撃的でした。


結局一眼レフのAF化が決定的となったのは、85年に登場した、ミノルタα7000以降のことですが、それから既に30年経ちました。

AFは当たり前になり、様々な機構が出ては消え…そうやって考えると、このタッチシャッターというのも、随分と歴史が長いことになります。

これには、AFの技術の他にも、デジカメの技術は無論、液晶のタッチスクリーンの技術も組み合わさっています。
オートフォーカスだって、60年代から様々な研究が重ねられた末に出来上がったものです。

ソレを考えると、やはり技術というものは一朝一夕には出来上がらないということが判ります。仮に技術者を数人ヘッドハントしたところで、「似た様なモノ」は出来ても、同じにはならないというのは当然です。

現在、私たちが当たり前に使っているオートフォーカスも、50年以上の研究の結果であり、更には第二次大戦中に戦闘機に取り付けられていた爆撃照準機にそのルーツがあるとすれば、更に長い歴史となります。

最早この分野では、海外の追従者は皆無である事を考えると、やはり日本の技術は凄いですね・・・。

フォード・マスタング

フォード
08 /11 2015
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写真は、71年から73年まで販売されたフォード・マスタングです。

69年モデルで巨大化したマスタングは、ここでも更に巨大化し、初代と比べると、全長で実に20センチ、全幅で15センチも拡大していました。

反面、全高は低くなっており、最早初代マスタングとは、何ら関連性のないモデルというのが正直な印象です。

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この顔つきも、マスタングというよりは、むしろカマロを思い浮かべます。


この世代では、デザイン的にもハッチバックの方が主流であった様で、日本では、コレのマッハ1の人気が高く、マスタングというと、この世代のハッチバックのマッハ1を思い浮かべたものでした。

写真は、2ドアクーペで、一般的にはハードトップと呼ばれたものです。
大きくスロープしたCピラーの形状に対して、リアガラスは奥の方に置かれた、所謂トンネルバックと呼ばれた処理が目に付きます。コレは、後のジャガーXJSなんかにも、その影響を見ることが出来ます。

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中々凝ったデザインではありますが、やはりハッチバックの方がバランスが良いというのが正直な印象で、実際、この手のクーペは、現存数からして、決して多くはない様です。

全体的にこの世代のマスタングは、販売面でも低迷しており、その事が、後のマスタング2による回帰に繋がる訳ですが、同時に、その大幅なパワーダウンによって、この世代が見直されたという面もありました。

私が20年前、初めてカナダに来た頃、結構頻繁に見かけた、より古い初代に比べ、この世代は全く見かけなかったものですが、最近になって、むしろ以前よりは見かける様になった気がします。
ソレは、この手がコレクターズアイテムの仲間入りした…という事なのでしょうか?

2015年ヤマハのラインナップ

ヤマハ
08 /06 2015
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40年近く前に登場したSRが、400を代表する車種とは…。日本人にシングルをチンタラ走る古臭いバイクと勘違いさせたモデルだと思っています。


ホンダのラインナップを見て愕然としましたが、では、ヤマハはどうなっているのでしょうか?

先ず驚いたのが、VMAXが現役だということ。このバイク、昔からそうですが、日本の方が人気が有るんですね…コッチでは、正直見たことも有りません。
その値段が驚く事に237万6000円!!!
昔、国内販売が始まった当時、精々100万を越える程度だったと思ったんですが・・・。

ボルトとかいうスポーツスターをパクッた様なバイクも・・・。

MT-09とMT-07…最近、この手のオフ車との中間みたいなスタイルが結構有るみたいですね。私はどう考えても好きなデザインじゃないですが。

そして400は、驚く事にSRとドラッグスターだけ!!!

SRもあれだけ儲けたんだから、せめて私が常々言っている、クラシックスタイルというには、余りに中途半端なオフ車ベースのシャシー位、何とかすれば良かったと思うんですが、未だに70年代のままです。

SRがをどれだけ改造しても、イマイチ、イギリス車に比べて決まらないのが、このオフ車ベースのハンドルポストの高いフレーム故なのです。

ドラッグスター・・・何も言うことは有りません。

250もYZF・・・名前は立派ですが、如何にも東南アジア仕様といった感じです。
しかも車両重量が170キロ近く…最近のバイクって重いんですね…。

後はオフ車…ホンダも酷いけど、ヤマハも負けず劣らず酷いですね…。

正直コレなら、輸入車に行った方が遥かにマシです。

90年代の空前のネイキッドブーム、そしてSRブーム…その懐古趣味によって、デザイン的にも製品的にも袋小路に陥った…それが今のバイク業界の現状だと思います。

若者が乗らないから…というのは、卵が先か鶏が先か…の議論です。

若者が乗らないのなら、年寄りが喜んで乗るバイクを作ればいいだけなのですが、ソレが出来ていないんですから。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。