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ローバーP6 3500

イギリス車
08 /29 2016
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自宅からそう遠くない住宅街の中で、こんなのを見かけました。
ローバーP6...かつてローバーといえば、労働者階級の為の高級車であり、60年代当時、ジャガーよりも格上のブランドだったのです。

P6が発売されたのは63年、当時、ローバーは「ガスタービンエンジン」の搭載を予定しており、それにも対応出来る様に、ボンネットのスペースには余裕があり、当時としては珍しい4輪ディスクブレーキ、リアサスペンションは、ド・ディオン式となっていました。

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そのガスタービンエンジンは、結局実用化されませんでしたが、その代わり?として登場したのが写真の3500で、68年のことでした。

前年、ローバーはレイランドに買収され、そして翌68年には、レイランドもブリティッシュモータースと合併し、ブリティッシュ・レイランドが発足するという、正に激動の時代に誕生したのです。

当初は2000ccのみであったとこに、ビュイックから権利を購入したオールアルミの3500ccV8エンジンを搭載したのが目に付きます。このエンジンは、ランド・ローバーやTGVといった英国車に使われ続け、2006年まで現役でした。

ローバーP6は、ブリティッシュ・レイランドの中でも、トライアンフ2000系との差別化に苦しんでおり、ハイパワー化により、対米輸出にも力を入れる予定でしたが・・・。

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ご存知の様に、ブリティッシュ・レイランド時代には、経営の混乱から、労使関係が極度に悪化し、工場労働者の殆どが、工場内よりもストライキに時間を費やされていたと言われる程でした。

そんな中で、折角のこの車も品質が低下して行き、最終的には、トライアンフ2000シリーズと共に、あのローバーSD1に置き換えられ、生産中止になりました。

この車は、日本の自動車メディアの黎明期を支えた小林彰太郎氏の愛車として知られ、メディアで絶賛したことから、販売台数の割りに、その知名度は高かったと言われています。

ニュージーランドでは結構頻繁に見かけたこの手の車も、北米では本当に珍しいですね。それは、ブリティッシュ・レイランドが70年代に北米から撤退したのと大いに関係がありますが、やはりカナダで走るには、サビが問題であったのでしょう。この車もアチコチにパテ盛の跡が見て取れ、コレクタープレートには、程遠い感じでした。

ニュージーランド時代には、結構立派な車に見えたものでしたが、やはりコチラで見ると、何となく小じんまりとして見えてしまいます。大きさ的には、全長4,530mm、全幅1,680mmと、5ナンバーサイズに収まっていますが、同時代のオースティンやモーリスなんかに比べると、立派な体格でした。

現在北米で見かけるブリティッシュ・レイランドの車というと、MGばかりです。2シーターコンバーチブルというその特徴故に、「夏専用車」としてファンから支持され続けた訳ですが、反面、四季を通して使用される4ドアセダン系は、非常に珍しい存在だと言えるでしょう。

ニュージーランド程度の気候でも、錆びに悩まされていただけに、融雪剤を使うカナダでは、ほぼ絶望的なのです。

更に、アメリカ車や日本車に比べ、当時にイギリス車は、何かとメンテナンスに手間も掛かった事も、その残存数の少なさの理由です。






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2代目「NSX」は国産車最高額の2370万円 ホンダ、10年ぶりに復活

日本車
08 /25 2016
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 ホンダは25日、約10年ぶりの復活となる高級スポーツカー「NSX」を国内投入した。注目された希望小売価格は2370万円で、初代モデル(マニュアル車で800万円)の約3倍に設定。現行の国内自動車メーカーのモデルとしては最高価格となる。後継はハイブリッド車(HV)で、最高出力を初代の280馬力から2倍超の573馬力にパワーアップさたことなどを価格に反映させた。

 後継モデルは、初代の特徴であった軽量なボディーに、新開発の直噴V型6気筒ツインターボエンジンと3つのモーターハイブリッドシステムを併用。「エンジンだけでもモーターだけでも得られない圧倒的な加速感を実現した」(同社)という。空気抵抗を最小限に抑える設計としたほか、運転しやすいよう視界の良さにもこだわった。カラーは全8色を用意。内装は黒基調で高級感を演出した。

 日本での希望小売価格は米国での15万6千~20万5700ドルより割高になる。米国からの逆輸入になるため。競合車種になるのは、同価格帯のポルシェの「911ターボ」やアウディの「R8」というスーパースポーツカーだという。

 1990年9月に発売された初代NSXは、斬新なデザインや走行性能の高さなどが受け、2005年12月の生産終了までに世界で累計約1万9千台を販売した。初代は今も日本の中古車市場で500万円以上の高値で取引されるなど根強い人気で、後継の売れ行きにも注目が集まっている。


旧型が800万位だったので、精々1千万位か…と思っていたら、物凄く高くなりましたね…。

しかも、ハイブリッドで相変わらずV6ですか・・・。

これは、フェラーリクラスと言って良い価格ですが、V6エンジンで、果たしてフェラーリの12気筒に対抗できるのでしょうか?

ホンダは昔から、他社のV8よりもパワーがあると言って、高級車でもV6までしか有りません。そして、ホンダの高級車の売り上げがイマイチなのは周知の事実です。

それは、高級車に求められる要素というのが、単に馬力だけでなく、例えばフェラーリの12気筒ならではの音、加速フィーリングといった、メンタル面の部分が多分にあるからなのです。

ライバル並みのパワーがあるから…と言ったところで、少し何かが違う気がするのですが…まあ、私には一生関係ない車なので、これ以上語るのは止めておきましょう。

旧型が、頑張れば何とか手に届く…かも…という価格だったものですが、コレじゃ頑張って買う車じゃないですね。

オールズモビル・トロナード

オールズモビル
08 /23 2016
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珍しい車を見かけました。
オールズモビル・トロナード・・・。

初代トロナードが発売されたのは66年、非常にスタイリッシュなボディーと、GM初のFFということで、大いに注目された車でしたが、このオリジナルを維持したのは、僅か4年と短く、71年モデルからは、アメリカの常で一回り大きくなり、よりフォーマルなクーペへと変貌していきました。

そして、写真のモデルは、79年に登場した3代目です。
この世代の特徴は、全長で実に40センチという大幅なダウンサイズを受けたことで、エンジンも6.6リッター、7.5リッターという巨大なものから、5.7リッターへと大幅に縮小しています。

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馬力も170と、悲しくなる位にパワーダウンしていました。

まあ、先代で既に「グリル以外に何が違うの?」という、いわゆる金太郎飴化は始まっていましたが、それが更に顕著になったのが、この世代でした。かつてはハッとする位にエレガントなプロポーションを誇ったトロナードですが、この頃には、少しフロントマスクが奇抜なだけで、正直、私も遠目には、兄貴分のビュイック・リビエラ(コレだって珍しいですが)だと思った位でした。

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ダウンサイズされたとは言え、相変わらず長大なボンネットですが、この世代まではFFながらエンジンは縦置きになっています。

しかし、何故か同世代の兄貴分、キャデラック・エルドラードよりも幅が広いんですよね・・・。

この世代では、今日、キャデラックに限って言えば、時々見かけるのですが、ビュイックとオールズモビルは、完全絶滅状態にあります。

通常のナンバーが付いていることから、コレクタープレートを取得するには、程度が悪いのでしょう。

実際、かなり荒っぽく扱われている様で、中はゴミで一杯でした。裕福な方が乗っている様にも見えませんでしたが、こんな車でも、保険代やガソリン代を考えると、少なくとも貧乏人にはムリです。

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この世代の車というと、とにかくアメ車の衰退期に該当し、デザインの劣化、排ガス規制によるパワーダウン、そして品質的にも最悪の時代であったことから、魅力あると思った事が無いのですが、今日の車に見慣れた目には、むしろ新鮮にすら見えました。しかも、この手のトロナードを見たのは何年ぶりだか…?

この手のEボディーは、比較的見かけるキャデラック・エルドラードにしても、今日見かけるのは、むしろ手入れの行き届いた個体が多く、こういうラフな車は、本当に見なくなりました。

シビアノッチバックにランドウトップ…嫌いじゃないんですが、少なくともトロナードやリビエラには、似合わない気がします。

車のイメージは、Cピラーによって決まりますが、ソレが他と同じなら、当然同じにしか見えませんね。

ホンダCBR750

ホンダ
08 /20 2016

CB750Fで80年代初頭、ナナハン市場を制覇したホンダでしたが、その後、長い低迷にが続く事になりました。

目玉のV4エンジンを搭載したVF750シリーズは不振を極め、次世代の直4CBX750系も、その中途半端な立ち居地から不振を極め、その間、カワサキGPZ750Rや、スズキGSX-R750といったライバルに市場を奪われていました。

そんな中でホンダが87年に投入したのが、CBR750でした。

前年、新世代のV4、VFR750Fを発売したものの、サッパリ人気が出なかったことから、完全新設計のエンジンは、水冷DOHCの並列4気筒で、カムギアトレインを採用しており、技術的にも最高レベルのものでした。

外装は、既にCBR400Fで採用していたフルエアロスタイルが目に付きましたが、正直、400よりも更に不恰好なこのスタイル…そんな事もあり、またしても売り上げはサッパリでした。

レーサーレプリカ全盛の80年代後半、スズキGSX-R750や、ヤマハFZR750といった本格的なレーサーレプリカ、そして独自路線を行くカワサキGPZ750Rといったライバルに比べ、ホンダはこのクラスで驚くほどに不振を極めました。

同時期、輸出仕様としてはCBR1000Fが用意されていましたが、コチラは通常のかむチェーンを使用していました。こんなに作り分ける辺りからして、相当に金の掛かったモデルでもありました。

どんなに技術面で頑張っても、デザインで外すと支持されない…というパターンの典型と言えるのかも知れません。

ホンダCBR750

ホンダ
08 /20 2016
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CB750Fで80年代初頭、ナナハン市場を制覇したホンダでしたが、その後、長い低迷にが続く事になりました。

目玉のV4エンジンを搭載したVF750シリーズは不振を極め、次世代の直4CBX750系も、その中途半端な立ち居地から不振を極め、その間、カワサキGPZ750Rや、スズキGSX-R750といったライバルに市場を奪われていました。

そんな中でホンダが87年に投入したのが、CBR750でした。

前年、新世代のV4、VFR750Fを発売したものの、サッパリ人気が出なかったことから、完全新設計のエンジンは、水冷DOHCの並列4気筒で、カムギアトレインを採用しており、技術的にも最高レベルのものでした。

外装は、既にCBR400Fで採用していたフルエアロスタイルが目に付きましたが、正直、400よりも更に不恰好なこのスタイル…そんな事もあり、またしても売り上げはサッパリでした。

レーサーレプリカ全盛の80年代後半、スズキGSX-R750や、ヤマハFZR750といった本格的なレーサーレプリカ、そして独自路線を行くカワサキGPZ750Rといったライバルに比べ、ホンダはこのクラスで驚くほどに不振を極めました。

同時期、輸出仕様としてはCBR1000Fが用意されていましたが、コチラは通常のかむチェーンを使用していました。こんなに作り分ける辺りからして、相当に金の掛かったモデルでもありました。

どんなに技術面で頑張っても、デザインで外すと支持されない…というパターンの典型と言えるのかも知れません。

カワサキGPZ750R

カワサキ
08 /18 2016
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70年代、Z1系のエンジンで一世風靡したカワサキですが、80年代に入ると、国内ではZ1系のエンジンは姿を消し、Z650系のエンジンをベースにしたZ750FXⅡ、FXⅢ、フューエルインジェクションのZ750GP、GPZ750Fと矢継ぎ早にモデルチェンジを繰り返しましたが、そのコンパクトさが災いしてか、イマイチ評価を得るに至らず、ホンダがCB750Fで圧倒的な人気を博したのは、実に対照的でした。

そんな中で、1984年、久々に完全な新設計として登場したのが、カワサキGPZ900R、そして、国内モデルのGPZ750Rでした。

サイドカムチェーン式の水冷4気筒は、908ccで115馬力を叩き出しました。
これは、先代の、より大きな排気量のZ1系のエンジンを持つGPZ1100と比べても、同等のものであり、軽量かつ高剛性な車体廻り、優れた空力と併せて、最高速度は250キロにも達しました。

国内では、当時の750cc以上の自主規制にあわせ、ボア、ストロークを縮小したGPZ750Rが発売され、カワサキのナナハンとしては、久々の大ヒットとなりました。

80年代、日本のバイクは急速な性能向上を果たしますが、このバイクこそが、現在の大型スーパースポーツの直接の先祖と言えるのではないでしょうか?正直あの時代、コレに比べたら、従来の空冷4気筒車が急速に陳腐化して見えたものでした。

このバイクで強烈に印象に残っているのは、精悍なスタイルもそうですが、やはり、その排気音でした。70年代後半以降、バイクの排気音は静かになる一方であったのに対して、このバイクのソレは、恐らく規制値ギリギリだったのではないでしょうか?図太く力強い音は、瞬時にソレと判別できたものでした。

アメリカではニンジャというペットネームで呼ばれ、その呼び名は日本でも一般的になり、円高によって身近になった逆輸入車の900、国内の750共に、大いに人気を呼んだものでした。

後に、GPZ1000RX、ZX10といったニューモデルが発売されたにも関わらず、特に日本では、そのスタイルからか、人気を保ち続けました。

反面、85年のプラザ合意以降の急激な円高の中、国内モデルのナナハンと、逆輸入車の900との価格差は縮まり、その事から、750は比較的短命に終わっており、後に900も国内で正式モデルとして発売されましたが、コチラは100馬力に抑えられており、この事からも、引き続き逆輸入も行われました。

ただ、正直私としては、特別乗って印象に残るバイクではありませんでした。あの強烈な排気音とは裏腹に、トルク感も薄く、あくまでも普通にスムーズに乗り易い…という印象しか無かったのです。

そのせいでしょうか?とにかくオーナーが改造に金をかけるバイクであったと思います。

週末の第三京浜の保土ヶ谷パーキングに行けば、一体何台のニンジャが居たことやら・・・?

レーサーレプリカばかりになっていく市場の中で、独自路線を保ち続け、そして支持され続けたと言う意味でも、名車と言えるでしょう。

しかし、かつてあれだけ沢山見かけたのに、現在日本でも全く見かけないのは、寂しいものですね…。コチラでも、正直一度も見たことがありません。

まさか、日本のバイヤーの餌食になったんでしょうか?

明朗お布施、仏教界に波紋 進む寺離れ、重い課題

ニュース
08 /17 2016

 葬儀などで僧侶に払うお布施の金額を明確にする動きが広がっている。仏教界は「宗教のビジネス化」と反発するが、薄れつつある社会との関係の再構築も迫られている。

 「なんでも商売にしてもうけるのは安易な世俗主義だ。節度がなさ過ぎる」。全日本仏教会(全日仏)理事長を務める浄土真宗・本願寺派の石上智康総長は、こう憤る。

 問題の発端は昨年12月、インターネット通販のアマゾンジャパン(東京・目黒)が「お坊さん便」の取り扱いを始めたことだ。法事や法要に僧侶を定額3万5000円で紹介する。お布施は宗教行為というのが仏教界の立場で、僧侶の側からは「お気持ちで結構」などと金額を明確には示さないのが一般的だ。全日仏は3月にアマゾンに取り扱い中止を求めた。

 アマゾンは「コメントは控えたい」としているが今も出品は続く。お坊さん便の運営会社、みんれび(東京・新宿)によるとサービス自体は2013年から始め、問い合わせ件数は年々増加している。利用者からは「料金体系が明確で信頼できる」との声が寄せられているという。


「檀家」36%止まり

 利用が広がる背景には、菩提寺と檀家の関係が薄れていることがある。寺院経営サイト運営のオックスブラッド(東京・港)が15年に40~80歳代の男女500人に実施したネット調査で、自身が「檀家である」と答えた人は36%どまりだった。都市への人口移動も影響しているとみられるが「寄付金が頻繁」などと菩提寺への不満も目立った。

 お坊さん便を通じて法要を請け負う僧侶に話を聞いてみた。都内に住む渡辺海智さん(40)は福島県にある実家の寺を兄が継ぎ、自分の寺はない。約1年前にお坊さん便に登録した。「お寺と付き合いたくはないがお経くらいは上げてほしいという人は多い。お経を上げれば感謝され、役に立っている実感はある」と話す。料金の定額表示にも「いくら出せば良いのか分からなければ利用者は不安になるだろう」と理解を示す。

 みんれびの秋田将志副社長は「葬儀にお坊さんを呼べず困っている人がいて、お坊さんも檀家の減少などで困っている。われわれは両者をつないでいるだけ」と一歩も引かない構えだ。一連の対立はメディアでも報じられ反響を呼んだ。全日仏には「高額なお布施を請求された」「お布施が少ないから戒名を付けられないと言われた」と不透明さを批判する声も寄せられた。


消費者の目厳しく

 僧侶の紹介サービスを巡る仏教界と企業のいざこざは今回が初めてではない。おぼうさんどっとこむ(東京都稲城市)は04年、価格を明示し僧侶を紹介する事業を始めた。林数馬代表は寺の出身で僧侶の資格を持つ。友人が父親の葬儀で法外なお布施を要求された話を聞き「このままでは日本の仏教がすたれる」と実家を継がずに起業した。すでに会員は約3万人に達する。

 イオンは09年に葬儀事業に参入し、10年からは料金表を示して僧侶を紹介するサービスも始めた。14年に分社化してイオンライフ(千葉市)が発足し、会員数は12万人を超える。広原章隆社長は「自分の父親の葬儀で価格の不明瞭さに違和感を持った。きちんと契約書を交わす一般のビジネスにしたかった」と話す。

 全日仏はこうしたサービスが登場するたび抗議を繰り返してきた。ただ、利用者の広がりを抑えきれていないのが実情だ。

 全日仏も、風当たりの強さは自覚している。石上理事長は「寺院の側にも仏教の精神をないがしろにする行為がある。平素の僧侶や寺の宗教活動が十分ではなく、一般の方々との信頼関係も薄れている」と認める。9月上旬をメドに外部有識者も交えた協議会を立ち上げ、内部改革に向けた議論を始める予定だ。


変革の動きも

 寺院にも変革の動きはある。曹洞宗見性院(埼玉県熊谷市)は10年ごろお布施の定額化に踏み切り、金額を境内に掲示する。住職の橋本英樹さんは「仏教界は金額を分かりにくくすることで高額なお布施を受け取ってきた。透明化が必要だ」と話す。

 日本消費者協会によると、日本人が葬儀にかける平均費用は13年時点で188万9000円とピーク時(03年)から2割減った。葬儀業界の競争激化に加え、核家族化で簡素な葬儀が広がったことも影響しているとみられる。

 国民生活センターに寄せられた葬儀サービス関連の相談は15年度に763件と、過去10年で2.4倍になった。同センターは「介護費用の負担増などで経済的な余裕がなくなり、消費者の視線がシビアになっているのではないか」とみる。お布施の定額サービスが支持を広げている理由の一つかもしれない。

 第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員は「人々が檀家であることにメリットを感じられなくなっている。僧侶が命や死の問題でプロとなり、日ごろから頼りにされる存在にならなければ寺離れは止まらない」と指摘する。仏教界は重い課題を突きつけられている。

■全日本仏教会の石上智康理事長の話

 お布施とは僧侶の宗教行為への対価ではない。布施は自分の物を人様に提供することで執着心をなくして悟りに近づいていく仏教の重要な修行の一つだ。「これだけのことをしてあげたのだ」という具合に「与える行為」にとらわれの心があってはならない。そして一般の人がお布施をすることで僧侶の生活を支え、宗教活動が営まれていく。このような宗教行為を定額の商品として販売することに大いに疑問を感じる。私自身は事情がある人にはお布施なしで葬儀をすることもある。決してこちらから要求するような性質のものではない。

 「お坊さん便」のようなサービスが出てきたことには複雑な社会的背景がある。寺側の要因として法外なお布施を請求するなど、仏教の精神をないがしろにするような行為があったのは事実だろう。地方の過疎化で寺の経営が苦しくなっているという事情もある。平素の寺や僧侶の宗教活動が十分ではなく、地域や一般の人々との信頼関係も薄れている。

 一般の人々もお布施をいくら包んだら良いのか分からないという悩みを抱えている。檀家として寺の行事への参加や寄付などを求められることを好まない人々も増えてきた。しかし「親の法事くらいはしないとまずい」という純粋な宗教感情は脈々として残っているので、こうした人々が僧侶紹介サービスを利用しているのだろう。

 ただ大局的に考えれば、なんでも商売になる物なら商品化してもうけてやろうという時代相がある。安易な世俗主義で、日本の現代社会の弱点の一つだ。商行為に対して節度がなさすぎる。いずれ国全体にツケが回ってくる。日本国民は自覚しなければならない。

 その素地をつくったわれわれも厳しく反省する必要がある。アマゾンとの一件を巡っては全日本仏教会にも「葬儀で高額なお布施を要求された」「お布施が少ないから戒名を付けることができないと言われた」などの批判が来ている。全日本仏教会ではアマゾン問題への対応を考えるために加盟団体の代表者10人と学識経験者5人で構成する協議会をつくり、9月上旬から議論を始める予定だ。情報共有や原因究明を進め、各宗派の実践事例も持ち寄って報告してもらう。たとえば私が総長を務める浄土真宗・本願寺派では教えを伝える法話のスキルや儀礼を向上させるための研修制度の見直しなどに取り組んでいる。

 今回の件では「菩提寺との信頼関係を築いているからアマゾンは利用しない」という声も寄せられた。これが本来の姿だ。寺や僧侶が本来の活動をするようになればアマゾンなどが入り込んでくる余地はなくなる。寺や僧侶の活動を本来の姿にしていくことが、この問題を解決するための本筋だろう。


第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員の話

 現在、首都圏では死んでいく人たちの7~8割程度は菩提寺を持たないといわれる。高度成長期に地方から出てきた次男、3男が多いからだ。こうした人たちが多く亡くなるようになった20年くらい前から葬儀会社が僧侶を紹介するようになり、僧侶紹介業というビジネスが生まれた。「お坊さん便」はアマゾンに載ったことで注目を集めたが、ビジネス自体は20年来存在していたものだ。

 全日本仏教会はアマゾンに抗議をしているが、アマゾンが運営しているサービスではないので筋違いだ。怒るポイントもずれている。にせ物の僧侶を紹介しているなら怒ってもよいが、実際に紹介しているのは本物の僧侶。彼らは檀家の減少で仕事がなくなり困っている。紹介業は需要と供給をマッチングしているだけだ。

 お布施はサービスの対価ではないから金額を明示してはいけないという主張もおかしい。それなら車の交通安全の祈祷(きとう)などで金額を明示していることをどう説明するのか。お布施はお寺の重要な収入源。20万円などと価格を明示されることで相場になってしまえば、お寺は100万円もらえたかもしれないのに20万円しかもらえなくなってしまう。アマゾンや他の僧侶紹介業を経由した収入は課税対象であるため、お布施が非課税であることと整合性がなくなり、課税論議につながる可能性があるのも嫌なのだろう。

 現在は菩提寺と「縁を切りたい」と考える人々も増えている。人々は檀家であることにメリットを感じられず、金銭的負担を求められる「負の遺産」ととらえるようになった。それが「墓の引っ越し」などの形で現れている。

 宗教法人が宗教活動で得た収入が非課税になっているのは、教えを広めたり人の生死の問題で安心感を与えたりすることへの公益性が認められているからだ。しかし現状はただ葬式に行ってお経をあげるだけ。遺族や参列者が「教えを得た」という実感も得られず、葬式仏教にすらなっていない。まして生きている間は困ったときに占いに頼ろうとする人はいても、僧侶に頼ろうとは誰も思わない。

 人々が宗教に頼ろうとするのは貧困や病気、争いなどの問題を抱えて苦しいときだ。お寺は自らのネットワークも活用しつつ、困っている人に解決策を与えられるようにならなければならない。たとえばがんで余命宣告を受けた患者の家族のやり場のない悲しみを発散できる場所を寺院が提供すればよいだろう。僧侶が命や死の問題に関するプロにならなければならない。寺の檀家になることは経済学的に考えればスポーツクラブの会員になることと同じ。メリットを享受できると感じるなら、会員は増えていくはずだ。



どこぞの偉い坊主の言い草、突っ込みどころ満載ですね。

>>なんでも商売にしてもうけるのは安易な世俗主義だ。節度がなさ過ぎる

だったら、戒名とやらに100万也もの大金を請求するのが、商売で安易な世俗主義じゃないとでも言うのでしょうか?

釈迦は、「死んだ者は皆平等」と説き、自分が亡くなった時に、葬儀をしない様、弟子達に言っていたというのに、戒名で死者に階級付けするのが、釈迦の教えに矛盾していないのでしょうか?

しかも、葬儀で下手糞なお経を読むだけで凄まじい大金をせしめるのは、果たして釈迦の教えに叶っているのでしょうか?

昔は、寺を中心とした地域社会というものがあり、そこに人が集った訳ですが、果たして今の仏教に、それだけの力が有るのでしょうか?
仮に無いとしたら、それは、地域住民だけのせいなのでしょうか?

仏教に、地域住民のを惹き付けるだけの魅力が無いという事なのではないでしょうか?

正直、キリスト教の日曜礼拝の方が、遥かにためになる話しを耳にすることは出来ますし、イベント等で地域社会への貢献も怠っていません。

知人のチベット仏教僧に、この事を話したところ、アッサリと「そんなのは仏教じゃない」と仰いました。そんな大金が動く時点で、そんなのは商売でしか無い・・・と。
そして、現在の仏教の商売化、観光地化している事を嘆いていらっしゃいました。

>>「これだけのことをしてあげたのだ」という具合に「与える行為」にとらわれの心があってはならない...

ならば、アナタ方も、「戒名付けてあげたんだからお布施をよこせ」「お経を上げてやったんだからお布施をよこせ」という行為も間違いってことになりますね。是非、タダでやって下さい。

百歩譲って、今の日本の仏教の有り方が正しいとしても、例えば住職が平気でレクサスやメルセデスなんていう高級車を乗り回しているのは、如何なモノでしょうか?

人々の善意による「お布施」で、世俗を断ち切り、つつましく生活するのが、仏僧の本来の姿なんじゃないですか?
だからこそ、非課税なんじゃないんですか?

仮にメルセデスなんかを購入し、維持できる収入があるとしたら、何処かおかしいんじゃないですか?

世俗を忘れ、悟りを開いた者がメルセデスですか?俗物の権化ですね。

前述のチベット僧は、車も持っていませんし、実に質素な生活をしていますし、それでも集まりとなれば、進んで自分から金を出す…こんな方です。

私の知っている牧師にしても、皆安い中古車ですよ。

>>ただ大局的に考えれば、なんでも商売になる物なら商品化してもうけてやろうという時代相がある。安易な世俗主義で、日本の現代社会の弱点の一つだ。商行為に対して節度がなさすぎる。いずれ国全体にツケが回ってくる。日本国民は自覚しなければならない。

コレだと、アマゾンが不当にぼろ儲けしている様に聞こえますが、本当にぼろ儲けしているのは、アンタ達なんじゃないですか?
そこに対する根本的な不満があるからこそ、アマゾンのような「改革者」が出てくる訳です。

言ってみれば、中世ヨーロッパの腐敗し尽くしたカトリックに対して、宗教改革が起きたのと同じ事なんです。

全日本仏教会とやらの偉い坊さんが何を言ったところで、既得権を手放したくないだけにしか聞こえませんね。

正直今の日本の仏教は、釈迦の教えとは随分と違うのだけは確かです。

メルセデスを乗り回す金を、少しでも地域に役立てる様な気持ちがあれば、また状況も異なるんじゃないでしょうか?

結局は、金銭負担だけで、何のメリットも無いんですから、信者が減るのは当然です。しかし、この坊主の偉いさん、バカですね。

<追記>
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昔、「おじゃまんが山田くん」というテレビアニメがありました。
4コマ漫画で有名な「いしいひさいち」の作品ですが、辛らつな社会風刺でも有名でした。
そこで、仏教のビジネス化、多角経営化、お経はテープで…という内容がありましたが、30数年も前に、この事を「子供向けアニメ」で取り上げた事に、改めて頭が下がる思いです。

ポンティアックG8

ポンティアック
08 /14 2016
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ポンティアックG8は、GMオーストラリアのホールデン・コモドアの移植種でした。

以前にも述べたとおり、ホールデンをアメリカで売るのは初めてでなく、この前に、コモドアの2ドアクーペ「モナロ」をポンティアックGTOとして売りましたが、全くの不振で、直ぐに撤退しています。

このG8も、コモドアの移植種というだけあり、実際、従来のポンティアック・ボンネビルなんかよりも遥かに良い車なんですが、これまた驚く位に不振を極めました。

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当初は、こんなのも予定されていたそうなので、全くやる気が無かった訳では無かったと思いますが…2008年当時、既にポンティアックを閉鎖する予定があったのでしょうか?

生産されたのは、2008、2009年の僅か2シーズンで、2010年には、ポンディアック自身が閉鎖になっています。

そんな訳で、この車を見かけることは、極めて稀なのですが、実に久々に見たG8…何か物凄く小じんまりとしているというか、ニュージーランド時代には、立派な車に見えたのが、まるで嘘の様に小さい車に見えてしまいました。

常にこのブログで述べている通り、現在、街中でアメ車のセダンを見かけることは殆ど無く、このクラスは、既に日本車に圧倒されています。アコードやカムリを見て、特に小さい…という印象は無いのですが、それより一回り大きい全長4981 mm、全幅1900mmのG8が小さく見えたのは、正直意外でした。

やはり此方に居て、サイズの感覚がおかしくなっているのでしょうか?

そして、現在、シボレーSSという車が、コモドアの移植種(コモドアとしては、G8の時代の次の世代に当たります)としてアメリカで販売されていますが、これまた箸にも棒にもかからない位の超不人気ぶりです。

2013年の発売開始から現在までの合計で8000台にも満たないというのですから…あのデロリアンですら、3シーズンで8,583台生産していますので…。

決定的な欠陥がある訳でも無く、むしろ下手なアメリカ製のセダンよりも、余程出来の良い車なのに、このアメリカでのホールデンの不人気は、不思議なものです。

ウィンドウズ10更新後、元に戻しました!

IT関係
08 /08 2016
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 - ウィンドウズ7…当分コレを越えることは無さそうです。

先月末、丁度ウィンドウズ10 への無料アップデート期間が終了する最終日、試しにアップデートしてみました。

ウィンドウズ10に関しては、正直あまり良い話を聞いた事が無かったのですが、それまで使っていたウィンドウズ7のサポート期間がそう長くないこともあり、30日以内なら、元に戻せるという事だったので、思い切ってやってみました。

結果は、前回にも述べた通り、欠陥品以外の何物でもありませんでした。

1. スリープ状態から再稼働させる時、パサワードが間違っていると出るのです。

何回注意して打ち込んでもダメで、これが起こると、強制終了させる以外に方法はありません。それも毎回起こる訳ではないのが、また鬱陶しいところなんですが、大体5割位の高い確率で起こります。

2. DVDがデフォルトで再生できないという嫌がらせの様な仕様.

3. 写真を表示するためのフォトという新しいソフトが、非常に重い上に、操作性が劣悪な事。

4. トラックパッドのスクロールの向きが逆になった上に、向きを変更出来ない。

新しくなったスタートメニューも、ウィンドウズ8系よりはマシだとは言え、ウィンドウズ7に比べて判りやすくなったどころか、かえって煩わしくなっただけにしか思えません。

OSというのは、所詮は裏方の仕事なのです。それを、こんな自己顕示欲の塊みたいに出しゃばって、ユーザーを混乱せている様では、本末転倒も甚だしいところです。

ウィンドウズ7を購入した時は、少なくとも混乱する事はありませんでしたし、その日から、普通に使えたものですが、10は全くダメですね~。

結局はマニア仕様って事でしょうか?私は、パソコンマニアでも無いですし、こんな下らない事に時間を費やす気は無いので、8日間の使用で見切りました。

今までの歴史から考えてみれば、新ウィンドウズを発売1年後に導入するという事自体が賢い選択じゃないですね。大体2年間は人柱になるのがオチです。

まあ、期間中に一度アップデートした人は、また後で無料でアップデート出来るという事なので、もう少しマシになるまでは、もう暫く7を使う事になりそうです。

米市場から2017年に姿を消す14モデル、「犠牲者」のひとつはトヨタ・ブランドに

ニュース
08 /08 2016
有為転変は世のならい──ことわざのとおり、この世は常に移り変わり、とどまることなく変化する。それは、車にとっても同じことだろう。短い命、あるいは遅すぎた別れを見込んで(どちらと取るかはその人次第だ)、フォーブスはこのほど、2017年モデルイヤーから販売が中止される14モデルをまとめた。

少なくともその精神は受け継がれていくという車もある。ブランド再構築によって、改名された上で販売が続けられる。だが、現在の名称での販売が終了するモデルの一部は、売れ残っていつまでも屋外で売りに出され続けることになるだろう。

そうした中には、そもそも時代に合わなかったというモデルもある。そして、トレンドや消費者の好みの急激な変化の犠牲になったものもある。

「サイオン」は“犠牲者”

最近の自動車業界における劇的な変化の不運な犠牲者といえるのが、「サイオン」だ。この秋には、ブランド名を「トヨタ」に変更する。

奇抜なデザインのサイオンは発売当初、ターゲットとしていた若年層にも受け入れられ、売り上げも順調だった。特に、ワゴン型の「xB」は人気だった。だが、その第二世代のモデルや後に続いたその他のモデルは個性的な特徴が消え、主流に近づいていった。同じショールームに並ぶ、「トヨタ」のバッジを掲げたその他のモデルと似たような車になっていったのだ。

さらに、クロスオーバー車の人気が高まる中でもサイオンは小型SUVを提供しなかった。これもまた、売り上げの低迷を招いた原因といえる。クーペの「サイオンtC」も、生産中止となる。

「xB」と「tC」以外は今後、トヨタのモデルとしてバッジを変えて販売される予定だ。スポーツカーの「FR-S」は、その他の世界各地と同様、トヨタの「86」と呼ばれることになる。

テスラ車など競合に負けたモデルも

電気自動車のラグジュアリー・クーペ、キャデラックELRも2016年モデルイヤーで生産を終了する。テスラの「モデル3」に対抗するモデルとして投入されたものだったが、スタイリッシュさと高級感ではほぼ同格、価格は大幅に安いという2ドアのシボレー「ボルト」とほとんど変わらないという評価に終わった。

今年1~6月のELRの販売台数は、わずか500台余り。2015年の年間販売台数も1,000台を少し上回る程度だった。

販売不振が原因で生産終了となるもう一つのモデルが、ダッジ「ダート」だ。2013年に販売を開始したダートは、これまでのダッジの小型車の中では最高のモデルといわれてきた。だが、そのダートの販売台数は伸び悩んだ。競合するモデルが多い一方で、小型SUVに市場を奪われている小型車部門で今年に入り、さらに大きく販売台数を減らしている。

フィアット・クライスラー(FCA)のセルジオ・マルシオーネCEOは今年2月、コンパクトセダン「ダート」の生産中止を2016年モデルイヤーで終了し、より人気の高いジープ「チェロキー」SUVの生産を強化すると発表した。同社はまた、中型セダン「クライスラー200」は存続させるものの、ダッジ「ラム1500」の生産台数を増やすため、生産規模を縮小する方針だ。

以下、2016年モデルイヤーで生産を終了する14モデルのリストを紹介する。

1. キャデラック ELR
2. キャデラックSRX
3. クライスラー タウン& カントリー
4. ダッジ ダート
5. ダッジ グランドキャラバン
6. ダッジ バイパー
7. ホンダ CR-Z
8. ヒュンダイエクウス
9. ヒュンダイ ジェネシス
10. リンカーンMKS
11. サイオンtC
12. サイオンFR-S
13. フォルクスワーゲン イオス
14. ボルボ S80



正直、サイオンというブランドは、此方でも知名度があったとは言えませんでした。
トヨタのディーラーの片隅でやっている…という程度だったので、消えるのは時間の問題だと思っていました。

まあ、若者向けとい性格付けがイマイチ曖昧になってきたこともありますが、同時に若者にとって車など、とても手の出るものではなく、「若者向けの新車」というマーケット自体、完全に無くなっているのも理由の一つだと言えるでしょう。

今や若者で新車を買える層は、裕福層であり、だったら、もっと上のクラスの車に行くことでしょう。

最近、テスラを結構見かける様になってきましたが、それ以外の電気自動車は、正直全くですね・・・。キャデラックELR…そんなの有りましたね。速攻で生産中止ですね。まあ、あんなカッコ悪い車に大金払うバカも多くは無いでしょう。
テスラは、一応アメリカ人の最も欲しい車だそうなので・・・。

ダッジ・ダート・・・発売当時、私も記事にしましたが、この車は、アルファロメオをベースにしたものです。クライスラーとフィアットの連携から生まれたモデルでしたが、残念ながら上手くいきませんでした。ココでもヨーロッパ製の移植種は大成しないというジンクスは繰り返されました。

まあ、ヨーロッパ云々以前に、決定的にカッコ悪かったのも、その原因でしょう。

クライスラー・タウン&カントリー、ダッジ・グランドキャラバン…意外かも知れませんが、現在、ミニバンで見かけるものといえば、トヨタ・シエナとホンダ・オデッセイばかりです。クライスラーといえば、10年以上前のモデルは今でも見かけますが、新しいほど見かけないという印象があります。

ミニバンというのは、80年代半ばにクライスラーが最初に作った形式で、後に日本でも大ブームになりましたが、この分野でも、アメリカは完全に負け組となりつつあります。

代わりに最近は、クロスオーバーと言われる、要するに乗用車をベースにでっち上げたSUVモドキが売れていますが、やはりミニバンというものが大きくなり過ぎたのかも知れません。

当初は5ナンバーより少し幅が広い程度だったのが、今やフルサイズバンと殆ど同じ大きさです。

クライスラー200…要するにクライスラーの中型セダンですが、このクラスも、もはやアコードとカムリの独壇場です。ライバルのシボレー・インパラも殆どレンタカーであり、クライスラーは街でも全く見かけません。今のところは縮小ということですが、生産中止も時間の問題でしょう。

こうやって見ていると、とにかくクライスラーのランナップが大幅に整理されているのが分かります。こんなに何も無くなって、大丈夫なんでしょうか?

リンカーン・MKS…このMK何とかって奴、未だに覚えられません。まあ、コレも新型コンチネンタルと入れ替えという事なのでしょう。今年のモデルでフロントマスクを一新していたので、もう少し併売するのかと思ったのですが、もう終わりですか…。

こうやって見ていると、改めてアメリカの凋落傾向が鮮明に見えてしまいます。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。