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Whittaker's ニュージーランドのチョコレート

カナダ情勢
10 /31 2016
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 - 個人的には、この真ん中が気に入っています。

皆さんは、チョコレートで何か好きなブランドは有るでしょうか?

私は今の所、トップに挙げたいと思うのが、ニュージーランドのWhittaker'sというブランドのものです。

確かにカナダには、ニュージーランドよりも遥かに色々なものが揃っています。

スイスやベルギー製の高級チョコレートも、比較的リーズナブルな価格で売られていますし、手作りチョコレートの店も色々ありますが、正直それ等も、名前ほどの事は無い・・・と思うのです。

日本のは…やはり日本は、少ない原料で出来る限り安く美味しく作る…という事は得意なものの、その素材そのものの味…となると、実はそれ程でも無いのかも知れません。

それは、車に関しても同じ事が言えます。

世界最高の品質で、価格に対するトータルバランスは高いものの、本当の意味での走り、乗り心地という面では、まだまだヨーロッパには劣る…というアレです。

そのWhittaker'sですが、最近、カナダでも手に入る様になりました!

数年前に欲しいと思って探した時は、全く無く、オーストラリアのアマゾンや、ニュージーランドの通販サイトを通すと、たかがチョコレート一枚の為に50ドルもの送料を払う事になるので、諦めましたが、現在は、ロンドンドラッグスというドラッグストアーが取り扱いを始めたのです!

只残念なのが、そのセレクションで、私が一番好きだった奴を取り扱っていないのです・・・。あとは、ニュージーランドでは一枚250グラムであったのに対して、コチラでは200グラムと少し小さくなっています。

この一枚250グラムの物が、当時3.8ドル程度で買え、工具箱の隅に置いておいて、一週間は持ったものでした。

現在は現地でも値上がりしているとは思いますが、カナダのソレが4.99ドルでした。
大体、他のブランドが100グラムで2.5ドル位しているので、価格的にはまあまあです。

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そして、検索していて気が付いたのが、ニュージーランドに住んでいた当時、帰国時に土産物として買ってきた、同社の「キウィーフルーツチョコレート」が、事もあろうに生産中止になっていることです!

正直、コレには驚きました。

コレこそ、ニュージーランドの土産物の定番だと思っていたのですが・・・。

1枚250グラムということで、重量計算が容易な事、1枚3.8ドル程度とリーズナブルな価格であったこと、更に受け取った人からも評判良く、かなりの高級品だと思われる上に、実際にニュージーランド製と、正に非の打ち所の無い土産物だったのですが…。

現地では、復活を願うサイトが開設されている様です!

まあ、Whittaker'sがカナダでも手に入る様になった事…それだけでも嬉しい事ですね。ロンドンドラッグスでは、私の好きな奴は無いのですが、現地の通販サイトでは、取り扱っています。今年の私からのクリスマスプレゼントは、コレになりそうです・・・。

因みに日本では、赤坂にあるニュージーランドの物産店で取り扱っているのを、前回の帰国時、発見しました。
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MVアグスタ

Motorcycle
10 /29 2016
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MVアグスタ750s MVは、ホンダCB750以前、唯一の4気筒として知られていました。こんな高性能なバイクでも、他者がレースに使用しない様に、シャフトドライブになっていました。


一頃復活して話題に上ったMVアグスタ…その後、幾度にもわたる経営の変遷を経て、現在サッパリその消息を聞かないと思って検索してみたところ、倒産処理手続き中…との事で…。

MVアグスタといえば、元々イタリアの航空機メーカーとして知られていましたが、戦後、イタリアの敗戦と共に航空機の生産を禁止されたことから、本格的にバイク産業に乗り出し、かつてはレース界のキングと呼ばれ、ジャコモ・アゴスチーニ、マイク・ヘイルウッド、ジョン・サーティース、フィル・リード、ルイジ・タベリ、タルキニオ・プロヴィー二といった世界に冠たる名レーサーの活躍と共に、圧倒的な強さで知られ、特に最高峰の500ccクラスに於いて74年まで16年連続チャンピオンに輝いた、正しく伝説的なブランドだったのです。

ところが、オートバイレースに力を入れていたドメニコ社長が亡くなると、弟のコラード氏が後を継いだものの、彼はオートバイ事業に興味が無く、1976年に本業の航空業に一本化し、オートバイ部門の閉鎖を発表します。

時代的には、75年にヤマハに移籍したジャコモ・アゴスチーニが初めて2ストロークで500ccクラスを征し、翌76年には、バリー・シーンがスズキに栄冠をもたらす等、2ストロークの台頭が著しく、4ストロークのMVにとって、かつての様な活躍が難しくなっていた…という背景もありました。

また、MVのオートバイは、あくまでもレースが本業といった印象があり、市販車は高価な限定車のような存在で、一般的に馴染みがあったとは言えませんでした。
さらに、ドメニコ社長は、自分たち以外がレースでMVを使用するのを酷く嫌い、それ故に、MVの市販車が、余りレースに向かない様に作られていたのも、有名な話しです。

その後、ワールドGPは、日本車の独壇場へと変わりましたが、こうして忘却の彼方へと追い遣られたMVが復活したのは、97年にカジバがブランドを取得したことに端を発しています。

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99年にF4を発売しますが、そのデザイナーは、あのビモータから引き抜いています。

ところが…同社の経営は常に不安定で、何度も売却が繰り返され、現在は破産手続き中とのことです。

何がいけなかったのでしょうか?

私に言わせれば、やはり復活の時期が遅すぎたのではないでしょうか?
99年の時点で現役のライダーだった人の、一体どの程度がMVアグスタというブランドに馴染みがあったでしょうか?

恐らく殆どの人にとって、全く新しい、聞いた事も無い、若しくは、何処かで聞いたこと有る…程度のブランドと写ったのではないでしょうか?

同じく90年代に復活して成功したトライアンフとは対照的でした。

トライアンフの場合、先ずは大量に市販車があった為に、その時代を知らない人でも、目にする機会は多かったことでしょう。

その上、倒産は83年、85年に再生産が始まり、ソレが終了したのが88年。そして現在のトライアンフが生産を開始したのが91年…そんな具合に、人々が忘れる前に復活したと言えるでしょう。

更に、最初からクラシックモデルを生産することなく、新たなスタイルで存在感を示した後にクラシックモデルを復活させた…というのも、結果的に上手いやり方だったと思います。

それがMVの場合、市販車の数は非常に少なく、一般に目にする機会はほぼ皆無でした。その上20年以上も完全なブランクがあった・・・となると、高価な車両価格もあり、幾ら伝説的なブランドとはいえ、難しかったのかも知れません。

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マーニ・アウトゥーロ1000…MVを思わせるスタイリングが話題になりました。


80年代後半、イタリアのマーニが、モトグッチをベースにしたアウトゥーロ1000を発売していますが、そのスタイルは、かつてのMVを髣髴させると話題になったものですが、事実、社長のアルトゥーロ・マーニは、MVの技術者だって人で、そのスタイルには、MVの雰囲気に溢れていました。この事からしても、やはり登場が10年遅かったと言わざるを得ないでしょう。

21世紀初頭といえば、かつてのジレラもスクーター専業となり、ビモータも倒産したり、正にイタリアのバイク業界にとって散々な時代でしたが、そんな中で、カジバの力を持ってしても、MVの業績が軌道に乗ることが無かったのは残念なところですが、正直私としても…幾ら金が有ったところで、特に欲しいとも思わないので…。

4輪業界でも、例えばマイバッハなんかを復活させても、思う様に成功しなかった例からも、例え伝説とも言える高級ブランドでも、ブランクが大きいと、復活も容易には行かないのでしょう。

ホンダGL500

ホンダ
10 /28 2016
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77年の暮れに登場したホンダGL500は、その奇妙なメカニズムとスタイルで、多くの人から失笑と共に迎えられました。

鈍重に見えるスタイルは、古臭いのか、新しいのか分からない不思議なものでしたが、ボディーと同色のヘッドライトカバーは、そう遠くない将来、カウルが付くことを予感させるデザインでもあったのです。

OHVのVツイン・・・今まで高回転に拘ってきたホンダが何故に…しかし、当時、国内では唯一のVツインであり、しかも当時は珍しかった水冷で、そのボア×ストロークが、かつてのF1マシンと同じというのも話題になったものです。

OHVはバルブ駆動にプッシュロッドを介する為、高回転でのバルブの追従性に劣り、高回転が苦手とされていますが、反面、OHCに比べてプラグを中央に置き、燃焼室を理想的なドーム型に出来るというメリットがあります。

しかも、OHVでは例のない4バルブを採用していることから、4気筒のCB550Fと同等のパワーを発揮していたのです。

そして何よりも…一度走り出すと、見た目の印象が嘘の様に軽快な走りをするのです。しかも、当時のヨーロッパで初めて高速で「操縦」出来る日本車という評価を得ているのです。ソレまでの日本車は、ナナハンでも高速での操縦性は、まだまだだったのです。

それにしては、随分と鈍重なデザインなのですが・・・。

このバイク、当時のデザイナーは、本当にこんな風に仕上げたかったのでしょうか?

どうも私には、そうは思えないのです。

特に当時の日本や北米では、大きなアップハンドルが取り付けられ、ユッタリと走るバイクとして売り出されたのですが・・・。

私なら、もっとスポーティーな色に塗り替えて、シートも、もう少しスポーティーな形状にして、更にライトカバーにスクリーンを取り付けて乗ってみたいものです。

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コチラは、ネットで見つけたものですが、実に良い雰囲気に仕上がっています。
私は余り改造車を好まないですし、実際に、改造車というと、下品な仕上がりのものが少なくないのですが、コレは正直、純正よりもキレイに仕上がっている様に思います。

もしかしたら、当時のホンダのデザイナーも、こんな風に仕上げたかったのではないでしょうか?

シングルシートでないにしても、こういう雰囲気で発売出来ていれば、もう少し評価も違ったのかも知れません。

ただ、私としては、ヘッドライト周りは純正のままにして置きたいところですが…純正の大型ウィンカーと、ヨーロッパ仕様の低いハンドルは、正直余り似合わないので、小型のウィンカーにするのが良いでしょう。

インターネット・エクスプローラを捨てよう!

IT関係
10 /26 2016
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当サイトをご覧の方で、どの程度の方が、インターネット・エクスプローラをご利用でしょうか?

日本では多くの方、特に年配者は、インターネットを閲覧する為の「ブラウザ」という概念がありません。

ただ、パソコンでインターネットを始める時は、このアイコンをクリックする…という風に教えられているのですが、そのせいでしょうか?日本では、このインターネット・エクスプローラのシェアが他国に比べ、ベラボウに高い様です。

現在、某サイトを構築しているのですが、久々に接したインターネット・エクスプローラ…少しはマシになったか…と思ったら…。

何と言っても重過ぎますし、不安定も甚だしいです。私のPCも、購入当時はエクスプローラ9が入っていたのですが、知らない間に11にアップデートされていました。

それでも…Googleクロームや、Firefox、Operaといった他の無料ブラウザに比べ、著しく動きが悪いですし、現在可能なcss3による様々な画像効果を華麗なまでにシカトして、つまらないサイトに見えてしまいます。

インターネット・エクスプローラをご利用の方は、本来のサイトの表現を十分に見れていないのです。それなのに重くて不安定で…純正だからと言って、何故、こんなモノを使う必要があるのでしょうか?

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ウェブ関係者も、このエクスプローラに対応する為だけに、遥かに多くの手間を取られているのです。数年前にそうだったけど、今は大丈夫…って訳でも無いのです。最終の11でもダメなんです。コレは即ち、マイクロソフトに技術が無いということなのでしょう。

この写真、何だと思いますか?
コレ、Googleクロームやfirefoxで完璧に表示出来るサイトを、インターネット・エクスプローラ11で表示した物なんです!

コレ、クロームやfirefoxで見る分には、ほぼ完成の域に有るモノなんですけど…。

全ての物が完璧に横一杯に伸び切ってしまっています。この矢印の様なモノは…最近よくある、ボタンを押したら一番上まで戻るスクロールボタンなんです!

昔のモノならともかく、相当改良され、他と遜色ない筈の11ですらコレなんですから…。まあ、コレは比較的簡単に何とかなるんですが、それにしても…。

まあ、コレを直したとしても、他に細々と修正するところが沢山あるので、本当に煩わしいのです。

因みにコレを修正する為に、イチイチ専用のJava Scriptを読み込まなければいけないんですから、他のブラウザよりも、遅くて重いのです。

私がコチラで管理しているサイトでも、当初、インターネット・エクスプローラ向けに様々な対策を取りました。当初は30%程度のシェアがあったものの、現在、5%程度まで落ちてきています。

日本を相手にしているサイトではないので、これなら無視しても良いか…とは言ったものの、今でもウィンドウズXPでエクスプローラ8なんかを使っている人も居るので、やはり対応は必要でしょう。

日本だと、特に企業でエクスプローラを使っている所が多いんですよね…。
スバルのソフトウェアも、驚く事に、エクスプローラで「しか」動かないんですから!

一体、どんな作りなんでしょう?普通、ChromeやFifefoxに対応させる方が、遥かに楽なんですが…。

インターネットを快適に楽しむ上で大切なのは、先ずはインターネット・エクスプローラを捨てることだと断言します!

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コレを押したらインターネットが始まる・・・という古い、間違った発想は、捨てようじゃないですか!

因みに、インターネット・エクスプローラには、開発者モードといって、古いバージョンを使ったとき、どの様に表示されるか?をシュミレーションするモードが内蔵されています。

そんなモノ付ける位なら、もう少しマシに作った方が…。

カブス 71年ぶりのWシリーズ進出!「ヤギの呪い」のジンクス破る

アメリカ情勢
10 /23 2016
◇ナ・リーグ優勝決定シリーズ第6戦 カブス5―0ドジャース(2016年10月22日 シカゴ)

【写真】ヤギのぬいぐるみをユニホームにつけるドジャースファン

ナ・リーグ優勝決定シリーズ(7回戦制)の第6戦は22日(日本時間23日)にシカゴで行われ、3勝と王手を懸けていたカブスがドジャースに完封勝利を収め、1945年以来、71年ぶりのワールドシリーズ進出を決めた。ア・リーグの覇者、インディアンスとのワールドシリーズ(7回戦制)は25日(日本時間26日)に開幕する。

カブスは打線がドジャースの先発・カーショーを攻略。初回、先頭のファウラーがエンタイトル二塁打で出塁すると、続くブライアントが右前適時打で先制。さらに、リゾの飛球を左翼・トールズが落球する失策で、無死二、三塁となると、ゾブリストが中犠飛を放った。2回にもファウラーの適時打で追加点。4回にはコントレラス、5回にはリゾにそれぞれソロ本塁打が飛び出した。

先発のヘンドリックスは8回途中、7回1/3を投げて2安打無失点と好投。2回途中から打者17人連続でアウトに切って取るなど、第2戦と同様、ドジャース打線を相手に見事なパフォーマンスを披露した。その後のマウンドには守護神チャプマンが登場。5つのアウトを奪い、歓喜の瞬間を迎えた。カブスは1945年のワールドシリーズでヤギを連れたファンの入場を拒否してから同シリーズ出場がなく「ヤギの呪い」と伝えられてきたが、ジンクスを破ることに成功した。

ドジャースは今プレーオフで大活躍のカーショーが7安打5失点と崩れ、5回を投げ終えたところで降板。打線は初回に先頭打者のトールズが幸先良く右前打を放ったが、その後は凡打の山。最後まで本塁を踏むことができず、シーズンが終了した。



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71年ぶり・・・今まで何度も良いところまで行きながら、勝利に恵まれなかったシカゴ・カブス・・・。その話しは、1945年まで遡ります。

地元シカゴの飲食店経営者ビリーは大のカブスファンで、何時もヤギのマーフィーと一緒に観戦に行っていたのですが、この年のワールドシリーズの第4ゲームがシカゴのリグリーフィールドで行われ、何時もの様に観戦に行ったところ、ニオイを理由にヤギを追い出されたのです。二人分のチケットを持っていたにも関わらず、その対応に激怒した彼は、オーナーに、「今後、二度とワールドシリーズに進出することは無いだろう」と脅したということです。

すると、それまで好調であったチームは、途端に負けが続き、この年もワールドチャンピオンを逃してしまいました。

そして彼は、リグリーフィールドのオーナーに、"Who smells now?"と電報を送ったそうです。

以降、何度かワールドシリーズに手が届きそうになっても、もう少しの所で負ける・・・という状態が、実に71年間も続いたのです。

コレをシカゴでは、「ビリー・ゴートの呪い」と呼び、後にビリーとマーフィーの子孫を試合に招待したりしたものの、その呪い?が解けることはありませんでした。

リグリーフィールドは、シカゴのブルース文化の中心地に位置し、シカゴを代表する文化の発祥地として親しまれており、短期間ながらもシカゴに滞在した私には、感慨深いものがあります。

尚、このビリーの経営していた飲食店”Billy Goat Tavern"は、現在でもシカゴで営業しており、チーズバーガーが名物となっています。

そして、現在のオーナーは、ビリーの甥だということです。




ハロウィーン、東京都内は全面禁止に! 水道橋博士「提言」が歓迎される理由

日本の話
10 /22 2016
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 ここ数年、渋谷駅前など東京都内の道路が仮装した人であふれる「ハロウィーン」について、タレントの水道橋博士(54)が、テレビ番組で「東京都は全面禁止すべき」と主張し、出演者の多くから賛同の声があがった。

【写真】パレード後にはゴミも残された

おむつを替えるための部屋が仮装の着替えに占拠されたり、奇抜な仮装で周りの人が困惑したり、ごみが散らかったりする、というのがその理由だ。ハロウィーンの経済効果はバレンタインデーを上回るという試算もあるが、警備や清掃にも莫大な経費がかかっているとも指摘され、年々派手になる一方の街頭でのハロウィーン騒ぎに、周囲からは厳しい目が注がれるようになっている。

■「地方でやるのは全然問題ない」

水道橋博士は、2016年10月13日放送の「バイキング」(フジテレビ)のコーナー「今日だけ言わせて!私の提言!! 」で、

「東京都はハロウィーンを全面禁止すべき!」

と提言した。ハロウィーンはケルト人が起源の農業を祝う祭りだとして、水道橋博士は「なんで都会でやってんだ」と指摘。

「地方でやるのは全然問題ない。東京でやることに様々な問題を含んでいる」

と訴えた。この提言に、出演者6人中4人が「賛成」の札をあげた。

「賛成」の札をあげたお笑いコンビ「フットボールアワー」の後藤輝基さん(42)は

「全面禁止かは分からないが、ちょっと訳の分からん方に盛り上がりすぎている。いろんな騒動になったりとか...」

と話し、2015年のハロウィーンシーズンに体験した出来事を紹介した。後藤さんは子どものおむつを替えようとショッピングモールのおむつ交換用の部屋に入った際、仮装のために着替えをしていた女性が「キャーッ!」と悲鳴をあげたという。後藤さんは

「ここまで盛り上がるか、っていう感じもする」

と過熱ぶりに困惑していた。
「仮装している女の子は下品な子しかいない」相方の岩尾望さん(40)は、

「自宅でハロウィーンパーティーとか、お店を借り切ってやるならいいんですけど...。街中に出る必要はあるのか」

と、屋外での活動を疑問視。所属事務所近くの歌舞伎町の路地で血まみれの人に遭遇して驚いたことがあるといい、

「いきなりだったらびっくりする」

と話していた。

一方、タレントの横澤夏子さん(26)は

「仮装している女の子は下品な子しかいない。渋谷で仮装している子は本当に下品な女しかいない。だって、お腹とか出して短いパンツでいるのに『痴漢された』って、いや、そんな格好しているから痴漢されるんだよって話で、痴漢を引き起こしてるのに被害者ぶっているのはなんでだろうな、って思う」

などと仮装に参加する女性を非難した。

「警備、清掃の費用を考えれば経済効果あるとはない」

水道橋博士に「反対」の札を掲げた薬丸裕英さん(50)でさえも、トイレを占拠したりゴミが散らかったりするといった問題を指摘し、

「別に『全面(禁止)』でなくてもいいが、マナーを守らない人とかには道路交通法を適用しても...」

などとして一定の規制はやむを得ないとの考えだ。

日本記念日協会による推計では、16年のハロウィーンの市場規模は前年比10.2%増の1345億円。バレンタインデー(1340億円)を上回り、クリスマスに次ぐ規模になった。通販大手のアマゾンが8月15日にオープンした「ハロウィンストア」では、15年より5割以上多い18万点のコスチュームを揃えた。仮装グッズの伸びが市場規模を支えていることがうかがえる。

ただ、こういった経済効果については、水道橋博士は懐疑的だ。水道橋博士は、整備、警備、清掃などに1200億円以上かかっているとして「経済効果があるとは言えない。特に東京に限ってはひどい」と持論を展開していた。


私が昨年帰国したのは、丁度ハロウィーンの日でした。東京が凄い事になる…という話しだったので、興味も有ったのですが、流石に10時間近いフライトで疲れていたので、東京まで足を伸ばすことはありませんでした。

ハロウィーン・・・日本では、結構新しい事の様に聞こえますが、既に80年代後半には、コンビニ(当時はそういう呼び名もありませんでした)でハロウィーンキャンディーなんてのを売っているのを目にしましたが、全く流行する兆しはありませんでした。

結局日本で流行る切っ掛けになったのは、コスプレというものが文化として定着し、ソレの延長線上として急速に広がった訳で、メディアの洗脳もあり、ここ数年、急速に拡大している様です。

元々のケルト人の一年の終わりの日のお祭りで、死者の霊が訪れる…要するに日本のお盆のニュアンスのある祭りなのです。

同時に悪霊や魔女といった有害なものも来るので、それから身を守る為に仮面を被り、火を炊いた…というのが、現在のハロウィーンの原型だと言われています。

それの「仮装」の部分だけをかいつまんで輸入したのが、現在の日本のハロウィーンです。

あの仮装は、小さい子供がやるからカワイイんであって、大の大人が集団でやっても不気味なだけです。
カナダにも、大人で仮装する人もいますが、あんな大勢では有り得ませんし、外での飲酒も禁止されていますし、ましてや街を占拠するなんて、考えられません。

街全体を占拠して…そんなの、暴徒以外の何者でも無いですし、一般の車や通行人にも迷惑以外の何者でもありません。

普通、下手するとスイスアーミーナイフ程度で銃刀法違反で捕まるのに、あんな巨大な鎌や剣を持ち歩いて、あれこそ銃刀法違反もいいところです。

一時的に熱狂的になって、やがて禁止が相次いで、廃れて行くのではないでしょうか?むしろ、そうなって欲しいと思います。

日本記念日協会・・・そんなのが有るんですね・・・!
こんな下らないものをどうこう言う暇があったら、もう少し、日本古来の記念日を何とかした方が良いと思いますが・・・まあ、どうせソレも、本来とは似ても似つかない物になりそうですけど・・・。

Todd Motors... ニュージーランドの自動車産業

ニュージーランドの話
10 /21 2016
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ニュージーランドの自動車産業の特徴は、完成車に非常に高い関税が掛けられていた関係で、長いこと輸入部品を組み立てる「ノックダウン生産」が主流となっていたことです。そして、その組み立てが、メーカーによるもので無く、現地のディーラーレベルによって行われていた事も、その大きな特徴だったと言えるでしょう。

そんな中でも、Todd Motorsの存在は、忘れる訳に行きません。

この会社は、元々南島のオタゴを拠点としており、同地域に始めて車を持ち込んだのも、このファミリーで、1908年には、ダニーデンでフォードのディーラーを始めています。

その後、イギリスのルーツグループのディーラーになり、ヒルマン、ハンバー、コマーといったブランドの販売を手がけましたが、後に車のノックダウン生産にも参入し、ディーラー業のと同時に、クライスラーとルーツグループの組み立てを行い、後にミツビシの組み立ても行う様になりました。

私が以前勤務していた会社も、1938年にルーツグループとクライスラーの取り扱いを始めており、後に三菱も取り扱っていたという意味でも、非常に関わりの深い会社で、私の在籍した当時でも、Todd Motorsのステッカーの付いた車を結構見かけたものでした。

1980年代半ば、その社会主義性的な経済は破綻し、ニュージーランド経済は瀕死の状態に陥ったことから、改革開放路線を突き進み、その頃から日本の中古車の輸入が始まりました。

大手のTodd Motorsでさえ、年間生産台数が1万台程度という規模でした。お陰で新車の供給量は非常に限られており、注文してから納車されるまで2年も掛かる様な状態だったのです。

色も装備も運次第…とにかく新車が手に入るだけ有りがたいという有様で、それ故に中古車価格も高止まり、新車価格も然り…。

ところが、日本からの中古車は、現地生産の車に比べ、非常に割安な上に、装備が大変に充実していたことから、急速に顧客を奪われて行ったのです。

雨後の筍の様に個人輸入業者が現れ、下手すると、日本に旅行する人にまで、車を何か買って来る様に頼む程、その市場は急速に拡大して行ったのです。

そんな中でこの会社は、非常に身替りが早かった様で、1987年、ディーラー網と組立工場を三菱に売却し、自動車業界からは撤退しています。

その後、多くの老舗ディーラーが苦境に陥り、その多くが廃業した事を考えると、非常に賢明な選択だったのかも知れません。

そして、その時点で現地生産に乗り出すミツビシも…やはりダメな会社ですね…。

現地生産も、その後は撤退が相次ぎ、1997年のホンダが最後となり、ニュージーランドの自動車産業は消滅しました。

Todd Motorsは、ニュージーランドの自動車産業の黎明期に誕生し、そして、改革開放による国内自動車産業の崩壊の前に撤退...正にニュージーランド自動車産業の「古き悪しき時代?」の象徴とも言える会社だったと言えるでしょう。

現在同社は、原油の輸入、販売を主なビジネスにしている様です。

全てを国内生産で賄おうとした経済政策のお陰で、物資の供給が非常に限られていたニュージーランドですが、反面、農作物を季節が逆のイギリスに独占的に販売していた関係で、経済は非常に安定しており、日本人にとって、まだまだ海外旅行が夢のまた夢の話しであったプロペラ機の時代、既に一般人が当たり前に海外旅行に行く位に豊かであったのですが、反面、その貧困な物資から、海外に行った人は、皆持ちきれない位の電化製品等を買ってくる…というのも、その時代の定番だったのです。

後にイギリスがECに加入すると、農作物の独占的な独占的な買取は不可能になり、更にその辺りから、より鉱工業に主力を置こうとしたものの失敗し、ニュージーランド経済は破綻に向かったのです。

そして1984年に首相に就任したデビッド・ロンギの元、徹底的な改革開放が行われ、現在に至っています。

ラグビー元日本代表監督 平尾誠二氏死去 53歳

ニュース
10 /20 2016
 ラグビー日本代表などで不動の司令塔として活躍し、代表監督も務めた神戸製鋼ラグビー部の平尾誠二ゼネラルマネジャー(GM)が20日午前、死去した。闘病生活をしていた。53歳。京都市出身、自宅は神戸市東灘区。

 平尾氏は京都・伏見工高3年時に全国大会を制し、同志社大では史上初の全国大学選手権3連覇を達成。1986年に神戸製鋼所に入社した。

 神戸製鋼では、3年目からチームを日本選手権7連覇に導き、ラグビー人気を支えた。また、日本代表として87、91、95年のワールドカップ(W杯)に3大会連続出場。91年時は主将を務め、日本のW杯初勝利に貢献した。日本代表キャップは35。

 現役引退後は、97年から2000年まで日本代表監督を務め、1999年のW杯に出場。神戸製鋼では、総監督やGMとしてチーム強化に力を尽くした。

 また、2019年のW杯日本大会に向け、組織委員会の理事と事務総長特別補佐を務め、大会情報の発信や神戸市など開催都市への助言をしていた。


平尾といえば、あのスクールウォーズで有名な山口良治先生の下で、1981年の伏見工業初優勝時のキャプテンとしての活躍が有名です。

その後は同志社を経て、神戸製鋼、そして日本代表チームでの活躍が記憶に新しいところですが、ラグビー選手ならではの屈強な雰囲気・・・というのとは異なり、同じく伏見、神戸製鋼で活躍した大八木に対して、しなやかで繊細な雰囲気・・・という印象のある人だったと思います。

若い頃屈強で、酒も飲み放題…なんていう人が、40代にして既にボロボロ…なんていう話しを聞きます。

反面、若い頃に病弱だった故に、人一倍健康に気を付けた結果、同世代の誰よりも健康な人も居ます。

丁度50代前半というと、その差が顕著になってくる時期なのかも知れませんが、それにしても、あんなに活躍した名選手が…と思うと、ただただ、このニュースには驚きました。

まさか大病なさった山口先生よりも先に逝かれるとは・・・

改めて、ご冥福お祈りします!

ゴーン氏が三菱自会長兼務=日産、益子社長の留任要請

ニュース
10 /19 2016
 三菱自動車の次期会長をカルロス・ゴーン日産自動車社長が兼務することが19日、分かった。日産は今月中にも三菱自に34%を出資して事実上の傘下に収めた後、抜本的な経営改革を進める。

 出資完了後の12月に開く三菱自の臨時株主総会後に正式決定する。現在の益子修会長兼社長には社長としての留任を要請している。 


また何とも凄いニュースが飛び込んできました。

ニッサンの社長が三菱の会長を兼任・・・全くこんな話し、聞いた事もありません。

カルロス・ゴーンとしては、カスみたいな2社を手玉にとって、給料倍で良い話なんでしょうけど、コレが果たして三菱にとって、どんなメリットのある話しなのでしょうか?

三菱がダメなのは、もっと問題が根深く、お金屋さんの理論で何とかなる様な話ではないのです。その上、この10年、大した実績の無いカルロス・ゴーンに大金を払うというのは、正にアホの極みにしか思えませんけど・・・

当のニッサンだって、相変わらずツマラナイ車を量産し、サッパリですけど…。

まあ、話題性だけはありますね。今の三菱、先ずは話題性が欲しいところですから、その程度の価値はあるでしょう・・・しかし、それが年収10億の価値があるかは極めて疑問ですが・・・。

こちら葛飾区亀有公園前派出所200巻

無題
10 /14 2016
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こちら葛飾区亀有公園前派出所200巻を入手しました。

正直この漫画に関しては、昨年帰国した時も、かなり微妙な印象しか無く、絵の変化、ストーリーの内容の薄さから、そろそろ限界か…という印象を強く受けていました。

最後は少し盛り返すか?と思ったら、正直、古いファンとしては、かなり微妙な所ですね…。

先ず、この表紙…両さん、中川、麗子は当然としても、もっと重要なキャラクター、他に居るでしょう。
個人的に…というか、多くの古くからのファンが「超神田寿司」関係を嫌っているのと同じく、私もこの手の女性キャラは好きになれません。

男みたいな口を利くガサツな江戸っ子弁丸出しの纏、時代劇の様な口調で話す幼稚園児の檸檬…正直私には全く可愛いと思えないですし、彼らと関わる、妙に所帯じみた両さんが、どうにも気に入らないのです。

破天荒な中年の両さん、厳しい元軍人の部長、今時の若者の中川と麗子…先ずはこの誰もを外す訳には行かないはずです。

更に、そんな寿司屋の連中よりも、本田の方が重要でしょう。
寺井が最後まで出てこなかったのも残念ですし、戸塚だって全く出番が無いというのは如何なものでしょう?

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何かやたらと女性キャラが、しかも皆現実離れしたスーパーウーマンというのが続出した辺りから、明らかに作例が変わりましたし、絵も然り。

コレは200巻の一部ですが、特に右側のページに見られる両さんの絵なんか、ここ数年出てきた画風ですが、明らかに手抜きですね。

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しかもこのエピソード、こうやって人のレコーディングにちょっかいだし、それが大ヒットするのですが、今回のストーリーは、コレで終わりです!

昔だったら、両さんがプロデュース任されて、大ヒットを続出して大もうけし、その後、ムリな拡大路線に走った頃には飽きられて大失敗して、大借金を抱える…となるところですが、今の時代、そういうのは流行らないのでしょうか?

昔のファンとしては、この終わり方にアレッと思うんじゃないでしょうか?

反面、顔認識やドローンといった新技術を扱ったエピソードは、両さんの不謹慎さも健在で、こち亀ならではの作品となっていました。

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コチラは手許にある59巻、バブルの頃の作風ですが、この躍動感溢れる絵といい、描き込みの細かさといい、今とは全く違うレベルです。

長期連載と共に、より大所帯になり、作者の手がける範囲が減って行ったのは、容易に想像できますが、この59巻辺りと比べたら、やはり最後の方は、全く別物であったというのが、正直な所です。

長年海外生活を続けており、たまに帰った時に新刊を買うのが楽しみ…こんな存在であった当作品ですが、昨年の帰国時は、一冊も購入しませんでした。
どうでも良いキャラばかりになっていて、絵も親しみを覚えず、分厚くなった割には内容が薄く感じられ、値上げ分の魅力を感じなかったからなのです。

終了のニュースを耳にした時、残念だ…と思いましたが、正直この最終巻を読んだ印象は、終了止む無し…というものでした。

懐かしいキャラが再登場する訳でもありませんでしたし…。

長年のファンとして、これだけ辛辣な乾燥を述べるのもアレなのですが、コレが率直な意見です。

色々と批判を書きましたが、何れにしても200巻というのは、凄い事です。連載開始から40年、当初の秋本氏のペンネームは「山止たつひこ」となっており、これは、当時大ヒットした「がきデカ」の作者「山上たつひこ」をもじったもので、ソレを考えただけでも、如何に古いかが分かります。

まあ、これで私がジャンプの作品に手を伸ばすことは、無くなるんでしょうね・・・。一つの時代の終わりである事は確かです。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。