FC2ブログ

1963 ビュイック・ルセーバー

ビュイック
11 /28 2016
イメージ 1

写真は1963年のビュイック・ルセーバーです。

ルセーバーが登場したのは59年、あの凄まじい顔の年ですが、上級車のエレクトラに比べ、少し小さいBボディーを採用しています。

どのメーカーもそうですが、アメ車は皆59年を最後に、テールフィンは縮小し、以降、年々シンプルなデザインになって行きました。

シボレーでは、61年を最後にテールフィンが完全に無くなったのに対して、高級なビュイックは、写真緒モデルもそうですが、翌64年モデルでも、若干のテールフィンの痕跡が見て取れます。

当時のGMでは、テールフィン=高級という図式が残っていたのかも知れません。

それにしても、この車・・・本当に当時のままという感じで、ボロイです。

イメージ 2

この家の前は結構通るのですが、以前はボロボロのBMWやメルセデスが停まっていたり、そういうボロボロな車が好きな人が居るのでしょう。

しかも、路上駐車出来るということは、あの高額な保険にも加入しているという事ですから。

見たところ、ナンバープレートも当時の物の様です。

こうやって見ると、やはりビュイックのアイデンティティーであったフロントフェンダーのエアスクープ…目に付きますね。

そして、よく見かける同時代のシボレーより、やはり良く見えます。

この頃は、50年代のテールフィンから脱却し、60年代のコークボトルラインになるまでの、丁度過渡期だと言えるでしょう。

イメージ 3

前年までは、50年代の雰囲気を多分に残しているのに対して、この年からは、より直線的なラインになっています。

64年には、あのリビエラが登場していますが、やはりアレが、アメ車のデザインの大きなターニングポイントだったのではないでしょうか?
ルセーバーも、よりシャープなスタイルへと変貌しています。

65年からは、よりグラマラスな如何にも60年代・・・というスタイルに変化すると共に、完全にテールフィンからは決別することになりました。






スポンサーサイト



「残念だったな」電車マナー優先席めぐりお年寄りと男性口論 動画投稿で議論沸騰

無題
11 /27 2016
 電車内で、お年寄りの男性と優先席に座った男性が口論している動画が「You Tube」(ユーチューブ)に投稿され、話題になっている。 動画は35秒。電車の優先席の前に立ったお年寄りの男性が指をさしながら、座った男性に文句を言っている。

「日本語通じないのか」(お年寄り) 
「もう1回言ってみろよ」(男性) 
「日本語通じないのか」(お年寄り) 
「もう1回言えよ!」(男性) 
「日本語通じない?」(お年寄り) 
「もう1回言えっつってんだよ!」(男性) 
「だから、日本語通じないのか」(お年寄り) 
「だから、もう1回言えよ。コラッ」(男性) 
「なんでだよ」(お年寄り) 
「だから、もう1回言ってみろよ」(男性) 
「だから、代わってくれって言ってるんだよ。席を」(お年寄り) 
「なんでだよ」(男性) 
「優先席だから」(お年寄り) 
「なんでだよ」(男性) 
「『なんで』ってよ」(お年寄り) 
「悪ぃけど、そういう人に…、譲りたくないわ(笑いながら)」(男性) 
「あなた日本人か」(お年寄り) 
「悪いけどそういう人に譲りたくないわ…残念だったな」(男性) 
「で、なに。そこ優先席だって分かんないんだ」(お年寄り) 
「わかんないですね」(男性) 
「ああ、そっか」(お年寄り) 

ここで終わっている。 

さらに投稿主はツイッターに「AMBITIOUS JAPAN」という名前で「私は優先席を譲りません!!なぜなら先日、今にも死にそうな老人に席を譲ろうとしてどうぞと言ったら『私はまだ若い』などと言われ、親切な行為をした私がバカを見たからです。今後とも老人には絶対に譲りません」と投稿した。 

この動画をめぐってネット上では議論が沸騰。「お年寄りの男性が高圧的でひどい」「年上ってだけでえらそうすぎる」という意見が当初は多数だったが、時間が経つにつれて「混んでるのに優先席に座ってる若者もどうかと思うし、譲ってもらって当たり前って態度の老人もどうかと思う」とどっちもどっちといった意見や「都合のいいように切り取ったかも知れない映像でお年寄りが悪いなんて…」

「(若者が)かなりいきがった言い方をしていて気持ちが悪い。顔さらされて年配の方がかわいそう」といった若者を非難する意見が増えてきた。 

動画をよく見ると、お年寄りの男性のそばにはもう一人の手が映っており、若者に注意するお年寄りの男性を何度か止めているように見える。 この若者が投稿した動画はお年寄りの男性の顔にモザイクなどの処理は施されておらず、「そもそも勝手に動画に上げていいの?」といった意見も多かった。 「AMBITIOUS JAPAN」氏のツイートにも「優先席にあなたが座らなければいいんじゃないでしょうか」と、読者からのコメントが書き込まれていた。(WEB編集チーム)


北米では、30年前でも当たり前に、年配の方が居れば席を譲るということをやっていました。

翻って30年前の日本では、ソレは皆無で、北米から帰った私は、文化レベルの差に愕然とした思い出があります。

ところがそれは、私が海外に長く居なかったから、実際のところが分かっていなかったところも多分にあるのです。

確かに席を譲るのは当たり前・・・しかし、譲られる方も当たり前に取っており、有難うの一言も言わ無い人が殆どです。

仮に席を譲るのが当たり前だとしても、その人の好意を当然のように取るの方には、問題はないでしょうか?

正直私も、この投稿者と似たような考えを持ったことは、何回もあります。まあ、その時私は優先席に座っていた訳では無いのですが・・・。

日本も過去30年で、人々の公共マナーが劇的に向上しました。ゴミのポイ捨ては無くなり、電車に乗り込む時は並ぶようになり、席を譲る様になりました。

しかし、同時にその席を譲るという行為を当たり前に取り、横柄な対応を取る年配者が多いのも、また然りなのです。

この動画では、最初にどんな会話から始まったのか分からないので、何とも言いようが無いのですが、席を譲る方も、譲られる方も、どちらもマナーが大切だということは再認識する必要があるのではないでしょうか?

あと、最後に付け加えますが、北米の方が席を譲る・・・これは確かかも知れませんが、杓子定規に日本人は…というのは如何なものでしょうか?

ココも少し考えて見る必要があります。

例えばバンクーバーのスカイトレインなんかにしても、端から端まで行っても、精々40分です。しかも、その中で混んでいる時間なんて、精々20分です。

それに対して、例えば東京から千葉までの通勤電車なんていうと、混雑具合からして違いますし、当たり前に最初から最後まで1時間立ちっ放しになります。朝や仕事帰りには、流石にコレは若いとは言っても辛いのではないでしょうか?

この差を考えると、日本で席を譲りたく無い…というのも、止むを得ない部分はあると思います。

ニュージーランドの自動車産業 Cooper Henderson Motors

ニュージーランドの話
11 /24 2016
イメージ 1
- Cooper Henderson Motorsの跡地…一体何店舗に分割されている事やら…。

私が最初にニュージーランドで勤務したのが、既に取り上げたMacdonald Halligan Motorsでしたが、実は同じ時、もう一つの内定を受けていたのでした。

仕事を探すに当たり、自動車関係の人材派遣会社に登録しており、そこからの紹介だったのです。

Cooper Henderson Motors...初めて面接に行った時、その店舗の大きさに圧倒されたものでした。
敷地一杯に整然と並べられた展示車の数には、圧倒される思いがしたものでした。

しかし…ココはヒュンダイのディーラーで、ヒュンダイなど全く興味の無い私には、その規模の大きさとは裏腹に、イマイチ興味が湧かなかったのです。

通勤に高速を使って20キロ以上のマヌカウ市という立地条件も、躊躇した理由の一つでした。
時給では、Macdonald Halliganよりも1ドル上だったのですが、そんなのはガソリン代でチャラです。

そして、何気なく新聞で見かけた求人に応募したのですが、ソレがMacdonald Halliganだったのです。

家からも5キロ程度の距離で、通勤に楽なこと、シトロエンのディーラーで、かつスバルやミツビシを取り扱っている…といことで、ヒュンダイよりは魅力的に思えたこと、そして面接を受けたサービスマネージャーの感じが良かったこと、全体的な雰囲気が何となく…という具合に、同社の内定を受けることにしたのです。

ところが、私が入社して1年ほどで、シトロエンのフランチャイズを失い、中古車専門店になってしまいました。

同じ頃、久々にCooper Hendersonの前を通ったところ、ヒュンダイの他にも、スズキの販売を始めており、「こりゃ失敗だったか?」と真剣に思ったものでした。

それから更に1年ほど経った頃、中古車を探しにマヌカウ市に行った時、ふと思い出してCooper Hendersonに行ってみると…あの巨大な敷地が空っぽになっているじゃないですか!

移転の看板が立っており、地図に書かれた新しい場所は、そう遠く無い所でした。

より静かな場所なので、移転して規模を拡大したのか…と思いながら、その場所に行くと、ソコには衝撃的な光景が広がっていました。

イメージ 2
 - 移転後のクーパーヘンダーソンの有った場所…。

そこには、かつて小さな工場であったであろう粗末な建物があり、そこで僅か10数台の中古車を並べただけの小さな中古車屋になっていたのです!
そして、少し離れた所に、小さな整備工場が有ったらしいのですが…。

その少し前まで、あれだけ大きな拠点を構えていた店が…正に衝撃的なことでした。

Macdonald Halliganにしておいて良かった…と、心底思ったものでした。

当時の私の会社の部品部門の一人が、以前ソコで働いていたことがあり、有名で規模が大きい割りに、経営が不安定で、評判もイマイチであった…という事でした。

話しによると、Macdonald Halliganと同様、長年ミツビシの販売をしていた会社だそうで、Cooper Hendersonのあの巨大な敷地はリースで、月に100台の中古車を売ってトントン…という状態であったそうです。

ところが、更に1年後、我がMacdonald Halliganも、大リストラを行い、似たような状況に成ったのですが…しかし、コチラは土地を所有していたことから、経営上は安定していたのが、大きな違いでした。

それから更に1年後には、Cooper Henderson社は完全に閉鎖となり、あの裏通りの新しい敷地も、他者の手に渡っていました。

かつての広い敷地には、大量の展示車が並び、しかも現在は埋められてしまっていますが、写真の入り口から入ると、裏の整備工場まで続く地下トンネルまで有ったのです!

当然、写真のピザハットの建物も無く、皆車で埋め尽くされてたものでした。

ココも、地元の人なら、誰でもその名を知っている名門でした。
そんな豪華な車のディーラーの建物が、今や、どうでも良い様な店の集合体になっています。

そして、この会社に関しても、ネットで検索しても、情報は皆無です。唯一、日本語の当サイト以外では…。

NZネタを書いているうちに、ふと思い出したネタでした・・・。

ニュージーランドの自動車産業 ホンダ・ニュージーランド

ニュージーランドの話
11 /23 2016
イメージ 1
 - ホンダ・ニューマーケット…かつてBMC系のディーラーでした。

西暦2000年…既に16年も前の話しになるんですね…。

ホンダニュージーランドは、大規模なリストラを発表し、当時オークランドに6社あったディーラーの内、4社からフランチャイズを引き上げることを発表しました。

そのウチの2社は、私も鮮明に覚えています。

イメージ 3
 - Pacy Motors...中古車屋として営業していますが、ショールームは細かく分割されています。

Percy Honda・・・オークランドのダウンタウン近郊のGrey lynnにあり、この地で最初に目にしたホンダのディーラーでした。

オークランドのダウンタウンの南端にあるKロードを東に向かって少し歩いた辺りで、この辺りにも、多数の自動車ディーラーが点在しています。

イメージ 2
 -Paul Fahey Hondaの跡地…反対側にショールームが有りました。

そして、もう一社がPaul Fahey Honda・・・コチラはオークランドから車で20分ほどの海沿いの町、St. Heliersにありました。

周囲を高級住宅地に囲まれていることもあり、ユッタリとっした風光明媚な小さな町で、オークランドに来て直ぐの私は、「こんな所で仕事できたら良いな…」なんて思ったものでした。

イメージ 4

Paul Fahey氏は元々自動車レースで名を上げた人物で、長年マツダのディーラーを同地で展開しており、後にホンダに転向したのです。

ビジネス的にも上手く行っており、閉鎖する理由は何も無かったものの、ホンダとしては、拠点を集約することでコストを抑え、そして独占販売する方向に向かったのです。

6社のうちの4社が閉鎖・・・それだけ聞いただけでも、ユーザーの事などまるで頭に無いことが分かるというものです。

皆さんもご存知の様に、車というものは、サービスに出すには、車を置いてこないといけません。

特に公共交通機関の貧弱なニュージーランドでは、車を整備工場に置いてきた後、仕事に行くなり、家に帰るなりが切実な問題なのです。

それ故に近くにディーラーが有るというのは、日本以上に重要な事だったのですが…。

Paul Fahey Hondaの件は、裁判にまで発展し、高等裁判所まで行きましたが、結局フランチャイズは失い、暫く中古車販売を行っていたものの、程なくして閉鎖となりました。

そして後に、Paul Fahey氏がニューマーケット・ホンダに入社した…という噂を聞きました。

仮に氏がマツダのままだったら…と考えたら、実は同じ頃、マツダの販売をフォードが受け持つことになり、少数がフォードに鞍替えしたものの、大部分のマツダのディーラーも閉鎖されたので、恐らく同じ運命であったことでしょう。

先に挙げたPercy Hondaも、同時期にフランチャイズを失い、中古車販売業者になりましたが、同社の場合、ダウンタウンに近い地の利も有ってか、ショールームを他社に貸し出したりしながら、今日まで営業しています。

しかし、同社のホームページを見ると、社史の部分でも、ホンダに関する記述が一切無いのに、逆に驚かされます。それだけ強引で後味の悪い幕切れだったことは、容易に想像が付きます。

ニュージーランドでは堅調にビジネスを展開するホンダですが、その陰で、こんな形でディーラーと顧客に犠牲を強いていたのです。

同じくニュージーランドの常で、こんな僅か16年前の話しですら、現在、完全に忘れ去られており、ネットで検索しても、殆ど情報は出てきません。それを記述するのが、当時ニュージーランドに来たばかりであった日本人の私…残念な事です。

ニュージーランドの自動車産業 Macdonald Halligan Motors

ニュージーランドの話
11 /22 2016
イメージ 1
 -オークランドのアルバートストリートにあった建物は現存しています。

私がニュージーランドに行って最初に就職したのが、Macdonald Halligan Motorsでした。

同社の創業は1938年、第二次大戦開戦の前年のことでした。
現在の経営者の父が創業し、今日まで営業を続けています。

それだけ古い会社で、かつてはTVやラジオでCMを流していたこともあり、ある程度の年代の人なら、誰でも知っていたものでした。

イメージ 3
 - 上の写真の建物の現在…ショールームは空で、駐車場として使われています。

元々はイギリスのルーツグループ、及びクライスラーの販売を行っており、特にオーストラリア製のヴァリアント、チャージャー、ヒルマン・ミンクス等は、私の在籍していた当時ですら入庫していました。
後にクライスラー繋がりでミツビシの販売も始めました。

イメージ 2
 - 裏に整備工場への入り口があります。私の知っている限りでは、駐車場として使用されていました。

元々オークランドのダウンタウンで創業しましたが、70年代には東オークランドのパンミュアに移転し、80年代に自動車ディーラー街のグリーンレーンに移転し、現在もその土地は所有しています。

他にも兄弟会社としてLe Marque Europeanを展開し、プジョー、シトロエン、アルファロメオ、ボルボといったブランドも販売していましたが、この会社を大きく変えたのが、96年にミツビシのフランチャイズを失ったことでした。

時代的に日本の中古車の影響を受け始めた頃で、ミツビシは、その地域の販売トップの企業以外からフランチャイズを取り上げたのです。
その時、ダイアグ端末等、実費で購入した機材まで返却を求められ、大いにもめたそうです。

その後、スバルの販売を始めますが、コレも2000年にはフランチャイズを失っています。

私が入社したのは、道路を挟んで向かいに別のスバルのディーラーが出来、丁度スバルのディーラー権を失った時で、唯一シトロエンの新車販売は続いていました。

正規ディーラーではなくなったものの、日本から輸入したスバル、ミツビシの中古車販売は好調で、長い歴史故に顧客の数は多く、しかもサービスの評判も良かった為に、独自でサービス部門を維持する為に、日本語の情報を取り寄せる必要があったのです。

ソレが私を採用した理由だったのですが、同社はベテランばかりで、サービスも部品も、向かいのスバルの正規ディーラーよりも評判は高かったのです。

ところがその頃、急激にオークランドの地価が高騰し始めたのです。中国人の土地爆買いが始まったからなのですが、そんな中で同社が選んだ道は、敷地を貸し出して、家賃収入を得ることだったのです…。
私が入社して3年程経った頃でした。

オークランドの自動車ディーラーの集まる地域で最も良い敷地を所有していたのですが、ソレをクライスラーのディーラーに貸し出し、サービス部門は閉鎖、中古車部門だけが裏通りに移転…という話しになったのです。

同社も元々クライスラーであったことを考えると、非常に良く出来た偶然でした。

サービスは皆優秀な人たちばかりで、部門閉鎖の話しは業界内を駆け巡り、アチコチから声が掛かったのですが…私は長期休暇が欲しかったので、先の無い会社で仕事をする気も無くなり、数日間行方不明になったところ…移転先に小さなサービス工場を設けるから一緒に来る様に…という話しになり、私ともう一人がソコに行くことになったのです。

その移転先というのは、かつて、同社の大きなサービス工場及び部品部門が有った所なのですが、私の入社した時には既に閉鎖されており、既に細かく分割して貸し出されており、私たちに残ったのは、リフト二基、洗車スペース2台分という小さなスペースだったのです。

移転に当たり、社長は出来る限りモノを廃棄したい考えで、出来る限り残したい私とは相反するものでした。そこで毎日退社後、出来る限りの物を車に積んで、密かに移転していました…一度社長に見つかりましたが、それでも止めませんでした。

結局そこで2年間働いた後、予定通り長期休暇の為に退社しましたが、既にもう一人も退社しており、私の退社でスバル、ミツビシ、シトロエン他の技術は、同社から完全に失われ、そして後に、サービス部門は完全に閉鎖となりました。

現在も同社の営業は続いているものの、創業者の息子兄弟、営業、経理と僅か四人で全てをこなしています。

輸入中古車の解禁は、ニュージーランドの新車ディーラーに大きな影響を与えました。

かつてはオークランドの中にも同メーカーのディーラーが何社も有ったものが、各メーカー一社になってしまいました。小さいマーケットの中で、下手に競争するよりも、独占販売することで、利益を確保しようとしているのです。

そんな中で、多くのディーラーがフランチャイズを失った後、暫く中古車業者として営業した後に廃業したり、または他社に併合されたりして、その姿を消していきました。

Macdonald Halligan Motorsの場合、不動産を所有していたことから、経営が安定しており、しかも新車販売から手を引いたことで経費を節約し、更に不動産を貸し出す事で利益を出し、その上、自動車ビジネスを小規模ながらも続けることで、本業は不動産業でありながら、自動車販売業として体裁を整えており、税制上も優位に働いている様です。

従業員の目からすると、全く発展性の無い会社ですし、かつてを知る顧客からしても、凋落し、正に倒産寸前の様に見えながらも、実は大きく店を構えて新車を販売していた時よりも利益を出している・・・という珍しい一例です。

以前紹介した自動車生産まで行っていた大手ですら、殆ど情報が残っていないのがニュージーランドの現状です。Macdonald Halliganに関しても、自社サイト以外、情報はほぼ皆無です。

ニュージーランドという国は、ビザなしでオーストラリアで合法的に働ける関係で、優秀な人程国外に出てしまいます。そして、その代わりに移民が流入するのですが、過去20年で、人種の分布が大幅に変わると共に、かつての古きよき時代に対する記憶が、急速に失われています。

今日アルバートストリートに残る同社の建物跡が、辛うじて、かつての栄光を今日に伝えているに過ぎません。

カナダのマフラー事情

カナダ情勢
11 /14 2016
車の修理で、日本とカナダで最も異なるのが、錆びに対する対応です。

特に錆びに弱い部分といえばマフラーなのですが、かつてカナダでは、本当に3年くらいでマフラーがダメになったものでした。

ソレに比べると、現在の純正マフラーは、随分長持ちする様になったのですが・・・それでも、日本に比べると遥かに寿命は短く、交換作業も少なくありません。

イメージ 1

先日、私の車のマフラーを交換しました。丁度リアマフラーとセンターパイプのジョイント部が、画像の赤線の様に「センターパイプ側」で折れてしまった為、まあ、最低限センターパイプの交換が必要でした。

あとは破損したジョイント部を外そうとしたら・・・マフラー側も弱っており、同じ様に破損してしまったので、結局マフラーとセンターパイプの両方が必要になりました。

金額的には両方で250ドルと、大変にリーズナブルな価格に収まったのですが、いざ交換してみたら・・・驚いたことに、マフラーも、センターパイプも、共に作りが悪く、溶接部から水を吹き出しているじゃないですか・・・!

部品屋に電話すると、その日のうちに!代わりの部品が入庫し、無事交換作業を終えました。

こんな部品が、数時間後に入庫する・・・というのは、ある意味ココの良い所ですが・・・片方ならともかく、同じ時に買ったマフラーとセンターパイプが共に不良品というのは何とも…。

カナダでは、純正のマフラーに交換するということは、余りありません。社外品に対して著しく高価だからなのですが、私の購入したものも、社外品でアメリカ製の良く知られたブランドだったのですが、それにしても酷い品質ですね・・・。

現在アメリカ製というのは、何を持ってアメリカ製というのでしょうか?恐らく大部分はメキシコ辺りで組み立てて、最終仕上げと箱詰めだけがアメリカなんじゃないでしょうか?

かつて、マフラーは現在と比べて遥かに寿命の短いものでした。

それ故にカナダでは、例えばマフラー一つ取っても、テールパイプ、マフラー本体、フランジ部と3分割されているのが一般的でした。

センターパイプにしても、何箇所かに分割されているのを、クランプでカシメるのが一般的な作業でした。

ですので、ダメになった部分だけを切り取って交換することが出来たんですが、現在は、そういう風な部品は無くなってしまい、丸ごと交換するのが一般的です。

ただ、その分割式のマフラーって、カシメ他部分から、多かれ少なかれ水漏れは起こすので、もしかしたらカナダ人は、ある意味水漏れには寛容なのかも知れませんが…。

因みにニュージーランドでは、このような場合、新しいマフラーを、古い破損したパイプに溶接して貰うのが一般的な修理方法ですが、私が居た当時でも、大体300ドル位はしましたし、同じ方法でバンクーバーで修理した場合も、大体250ドルは掛かります。

だったら、両方交換した方が簡単で確実・・・という事になったのです。

車の下敷きに 整備士の男性死亡

ニュース
11 /13 2016
11日夜、横浜市都筑区で、車の整備をしていた24歳の男性が倒れてきた車の下敷きになり死亡しました。

事故があったのは横浜市都筑区川和町にある自動車整備会社で、11日午後8時前、整備士の関笙さんが乗用車の下に入って部品の交換をしていたところ、持ち上げていた車の後部が落下し下敷きになりました。 関さんは病院に搬送されましたが胸を強く圧迫されていて、およそ2時間半後に死亡が確認されました。 県警によりますと事故当時関さんは同僚と2人で作業をしていて、車体を支えるため本来左右に設置すべきストッパーを片側にしか設置していなかったということです。 県警は業務上過失致死の疑いも視野に、事故の経緯を詳しく調べています。



先ずは、午後8時ですか・・・しかも、社長と二人だった様で、随分と長時間勤務なんでしょうね・・・。

私が海外で整備を経験するようになって驚いたのが、とにかく安全性に対する意識の高さでした。

グラインダーを使っての切削作業では、目と耳の保護は当たり前。
高圧エアでゴミを吹き飛ばす時は、目と耳の保護は当然、マスクも着用します。
ハンマーを使う時等、大きな音が出る時も、耳と目の保護は当たり前です。

コレをやらないと、確実に上司から注意されます。

ソレに対して日本はどうでしょうか?まあ、私が日本で仕事していたのは随分昔の話しなので、今は少しは違うかも知れませんが、グラインダーを使う様な作業でも、ゴーグルさえ使いませんでした。

ブレーキダストなんか、エアで吹いて工場一杯に充満させて平気な人も当たり前にいました。

ハンマーを使う時に耳を保護する・・・そんなの聞いた事すらありませんでした。

それどころか、安全装備を使おうとすると、素人臭い、みっともない事するな…といった感じで、臆病者とみなす風潮すら有ったのです!

脳ミソの硬直したバカな体育会系の様なノリで、安全装備も使わず、ガンガン作業するのがベテランの証・・・みたいな感じでした。

この会社が、どんな感じなのかは知りませんが、恐らく同じ様な感じだったんじゃないでしょうか?

日本は、車に対しても、安全性の取り組みは、欧米に比べて遅かったり、どうも変な精神論が先走る風潮がありますね・・・。

Campbell Motors ニュージーランドの自動車業界

ニュージーランドの話
11 /11 2016
イメージ 1
 - クイーンストリートに残っていた跡地は、既に取り壊されてしまいました。

Campbell Motorsは、かつてオークランドを拠点として、ウィリスやスチュードベーカーを販売していたディーラーですが、1939年にオークランドから115キロ程離れたテームズにマフラー等の部品工場を設立し、そして63年には新たな工場を設立し、AMCの組み立てを開始しました。

後に同社は、プジョー、日野・コンテッサ、いすゞ・べレットといった車種も加わり、最終的にはトヨタも加わり、ニュージーランド初のカローラは、同社で組み立てられました。

イメージ 3


















こんな具合に主にマイナー系の集合体といった感じだったのですが、AMCのランブラーは、68年に本国での生産が中止された後も、生産され続け、主にオセアニア地域で販売されていました。

70年代末に、筆頭株主が変わり、トヨタ・ニュージーランドとして再編され、今日に至っています。

現在でもテームズの工場では、日本から輸入した中古車のメンテナンスが行われており、それ等は「シグネチャークラス」と呼ばれ、トヨタのディーラーから保証付きで販売されています。

以前紹介した会社は、既に車業界から撤退しているのに対して、コチラは名前こそ残っていないものの、トヨタ・ニュージーランドとして生き残っており、かつての組立工場も健在・・・という一例です。

本家であるオークランドのディーラーは…というと、実は、メインストリートのクィーンストリートに有ったのです!

つい最近まで、Real GroovyというCDなんかを取り扱った雑多な店が有ったのですが、それがCampbell Motorsのショールームだったのです。

私が記憶しているのは、その下にCity Garageという整備工場が営業していたことです。見た感じ、大変に古臭いのですが、良く見ると結構なスペースの整備工場であったことから、もしかしたらココ、元は何処かのディーラーだったのでは…?なんて思ったら、実にその通りだったのです。

イメージ 2

残念ながら、この建物も相当老朽化しており、しかも、折からの地価高騰も手伝って、高層マンションに建て替えられてしまいました。

こうして、また一つ、オークランドのランドマークが消えていきました。

【米大統領選】トランプ氏勝利を「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が予言?

アメリカ情勢
11 /10 2016
イメージ 1

同映画では、未来(2015年10月21日)にタイムスリップした主人公マーティと敵対するビフ・タネンというキャラクターが登場するが、その姿はトランプそっくりだ。

ビフはカジノで成功し「アメリカ一の富豪」と呼ばれ、世の中を牛耳る存在。傲慢な性格で、作中ではマーティをたびたび苦しめる。
次期大統領の座が確実となったトランプ氏と重なる部分も多い。
実際、脚本家のボブ・ゲイル氏は昨年、ビフのモデルがトランプ氏であることを明かしている。

映画ではマーティが電光掲示板に表示された「ワールドシリーズ カブス勝利」を目撃し、驚くシーンがある。
当時はあり得ないこととして冗談のネタだったが、今年シカゴ・カブスは108年ぶりにワールドシリーズを制覇とこちらも”的中”している。

ビフが支配する世界はディストピアとして描かれるが、映画ではマーティがタイムスリップし、歴史を変えることで、より良き未来へと変わる。
ただ現実は一方通行。タイムスリップはなく、やり直しはできない。



イメージ 2
 - ビフが権力を握る1985年のヒルバレー

確かに言われてみれば、雰囲気が似ていますね。

ただ、一つ決定的な違いは、トランプは実際に自分の経営能力であそこまで登り詰めた人物であるのに対して、映画のビフは、2015年版のスポーツ年鑑を1955年に手に入れ、それで競馬に勝ち続けて頂点に立った…という意味で、自分の経営能力で登り詰めたとは言えません。

要するに、良かれ悪かれ、鋭いビジネスセンスを持ったトランプと、ギャンブルでのインチキだけで登り詰めたビフ…この差は大きいですね…。

映画のビフが権力を握るヒルバレーは、酷い荒れ様でしたが、その辺りの差が、今後、どの様に出てくるかは、今のところ何とも言えませんが…。

ドナルド・トランプ・・・アメリカ統領選当確!

アメリカ情勢
11 /09 2016
暴言王として何かと話題を振りまいてきたドナルド・トランプが、大統領選を征した模様です。

彼の暴言に関しては、様々な批判を呼びましたが、結果的にソレがアメリカ国民から支持を集めた・・・という形になったのです。

彼の発言に対しては、メディアも色めき立って批判を続けましたが、少し冷静になって考えて見ましょう。

クリントン、ブッシュ、オバマのトータル24年、間違ってもアメリカが良い方向に向かったとは言えません。

そしてヒラリー・クリントンは、やはり旧来の政治家像がついて回り、しかも、様々なスキャンダルを抱えていましたし、何と言っても新鮮味が有りませんでした。
オマケに最後の頃というと、トランプの女性問題を批判する位しか出来ませんでしたし…。

選挙って、何だかんだ言っても人気商売なんですよね…コレは古今東西何処に行っても同じです。

今のアメリカ人がトランプを選んだ・・・ソレは、旧来の政治家像に辟易しているという事なのです。

例えば「イスラム教徒のアメリカ入国禁止」を訴えましたが、実際にヨーロッパで何が起こっているのでしょうか?多くの移民が押し寄せ、政府は、その対応に予算を湯水のごとく使い、挙句テロが発生している…コレは、人種差別以前に、実際に起こっていることなのです。

メキシコとの国境に壁を作る…アメリカにメキシコ人が急増したのは、主に1965年の移民法改正以降だと言われています。

ベトナム戦争等、他の要因は多数有ったものの、当のアメリカ人としては、やはり移民急増と国の衰退はリンクして映るのでしょう。

要するに、アメリカ人の多くが心の底で思っていて、実際には表立って口に出来ない事…ソレを分かり易い言葉で騒ぎ立てたのがトランプだった…という側面もあるのです。

日本の政治家なら、即日謝罪して辞退に追い込まれる様な批判に晒されても、動揺すらしない面の皮の厚さ、長年のビジネスから培ったしたたかさが、今後どの様にアメリカの政治に生かされるかは未知数ですが…。

何れにしても、終盤の両陣営によるスキャンダル暴露合戦と言い、何ともレベルの低い大統領選挙であったことは確かです。

そして、それ故に今まで一切記事にもしなかったのです。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して11年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。