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キューバ2017 キューバのオーパーツ

キューバ 旅行
03 /31 2017
かつて、アメリカ経済と深いつながりがあり、アメリカ車が溢れていたキューバですが、1959年のキューバ革命が起き、社会主義体制に移行する中、アメリカとの関係が悪化し、61年に断交となっています。

その関係から、キューバに入ってきたアメリカ車は、一般的に61年モデル辺りが最終ということになります。

因みにオーパーツとは、Out of Place Artifacts... つまり、その場所に有るべきでないモノ…という意味の言葉です。

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写真は、67年型のフォード・ギャラクシーですが、この年式の車が、どういう経路を経てこの国に来たのか、実に興味深いところです。

もしかしたら、カナダ経由だったのでしょうか?

しかし、この頃の車は、既に50年代のソレに比べ、大幅なコストダウンも始まっており、正直どうなのかな・・・?という気がしますが・・・。

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テールランプは、モスクヴィッチ辺りから流用したのでしょうか?何かテキトーな物が付いています。

しかし、周りが50年代のアメ車ばかりなので、やはり結構新鮮に見えるものですね・・・。

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コチラは、クライスラー・ネオンです。
新しいとは言っても、既に20年近く前の車です。当時はアメリカからモノが入ってくる事は有り得なかったでしょうし、一体何時、何処から入ってきたのか、大変に気になりますね…。

しかし、どうせ持って来るのなら、もっと良いモノ持ってきた方が良かったのでは?とも思いますが…。

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既に取り上げたローバー200にしてもそうですが、こういうイレギュラーな車も結構存在しているのが、この国の面白いところです。



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キューバ2017 キューバのトラック事情

キューバ 旅行
03 /30 2017
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一般的な車では驚きの連続のキューバ…トラックはどうなのでしょうか?

実はコレだって、負けてはいません。

恐らく50年頃のオールズモビルだと思いますが…こんなのが、ビンテージカーショーではなく、実用車として使用されているんですから…。

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ピックアップクラスなら、北米でも個人レベルで所有している人は沢山いますが、この手の現存率というのは、非常に低いと思います。

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コレはダッジと書かれていますが…恐らく50年代初頭の4WDトラック、パワーワゴンでしょうか?

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アメリカ人はトラックが好き…とは言ったところで、一般人がソレに乗り始めたのは90年代からと新しく、それまでは単純に実用車という扱いであったため、所謂ピックアップですら、クラシックの現存数は多いとは言えません。

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更に大きなクラスとなると、先ずは法人需要が殆どであるため、一定年数が来たら廃車になるのが普通で、クラシックカーショーなんかでも、その姿を見ることはありません。

精々、博物館といったところでしょうか?

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ソレがキューバでは、実用車として、毎日重い荷物を積んで酷使されているという現実…やはりコレには驚かざるを得ません。

同時に、その頃のアメリカ車が如何に丈夫であったか?の証明でもあると言えるでしょう。

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アメリカ車は、60年代から本格的なコストダウンが始まり、その影響が決定的となったのは70年代でした。

その頃のアメ車だと、恐らくこんなに長くは使えなかったのではないでしょうか?

1959年にキューバ革命が起こり、61年頃を最後にアメリカからの車の輸入が止まっています。

ソレ以降は、以前に紹介した通り、ソ連の影響が大きくなっていくのですが、それはトラックも同じことでした。

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今でも非常に良く見かけるのが、コレです!
ZIL-130トラック… ZILと聞いて、何か思い出すものはありませんか?

そう、1992年に当時のゴルバチョフ大統領が来日した時、ソ連より持ち込んだリムジンが話題になりましたが、ソレがZILだったのです!

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ZIL-41052リムジン…防弾仕様で5500キロにもなったそうです。 

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ZILとは、リハチェフ記念工場(Zavod imeni Likhacheva)の略ですが、このリハチョフというのは、工場長の名前から来ており、スターリン時代は、最後の部分がスターリンで、ZISと呼ばれていました。

とにかくコレはアチコチで見かけました。前板が鉄板プレス一枚というのが、物凄く合理的?かつ印象的です。

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写真はヒノのエンブレムが付いていますが、キューバでは、こうやってエンブレムチューンは当たり前に行われています。

コチラは、より新しいZIL131ですが、驚くことに、2012年に工場が閉鎖されるまで生産されていたということです。

この辺りは、民間、軍用問わず、共産圏では多用されたトラックです。

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因みにコチラは、同じくソ連のUAZ-452というバンです。
ロシアの自動車メーカーの多くにAZと付きますが、これは自動車工場を示し、Uは生産地のウリヤノフスクを意味します。
1965年から現在まであまり変化なく生産されているというオソロシイロングセラーモデルです。

この写真…UAZ-452にバイクは東ドイツのMZ、車はラーダと、恐ろしいほどに共産圏の光景ですね…。バイクがソ連製のウラルかドニエプルだったら完璧だったのですが…。

しかし、乗用車と同様、別にこの国に新しいトラックが皆無な訳ではありません。

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こんな狭いところに、よくこんな大きなトラックが入ってくるものだと感心させられます。

KAMAZというのは、同じくロシアのトラックです。
コレも先例と同じくAZ=自動車工場、Kamはカム川の畔にあることから、その名称が付いています。

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その荷台では・・・こんな光景が・・・牧歌的ですね・・・。
コレは田舎町の光景ではなく、首都ハバナの光景です!

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いすゞ・エルフに見えるコレ…JMCと書いてあります。
コレは、中国の江鈴汽車という会社の製品で、ココは90年代にいすゞから技術提供を受けていたそうです。

新しい観光バスなんかは、中国製が多い様です。

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コレは、Yutongというブランドの様です。

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街を走っている路線バスも、同じエンブレムが付いていました。
まあ、この手がどれだけ持つかは、あと数年すれば結果は出ることでしょう。

その他には、メルセデスやプジョーのバンなんかも走っていました。

この分野でも、日本は完全に遅れていると言えますが、寧ろあの醜悪極まりない、周囲と全く調和しない環境破壊レベルのデザインが来ていないというのは、良いことなのかも知れません。

トラック好きにも、十分に楽しめる国でした。

キューバ2017 キューバのショッピング

キューバ 旅行
03 /29 2017
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キューバに来て最も違いを実感するのが、やはり買い物をする時だと思います。

例えば旅行の荷物を小さくするために、現地で買えばいい…という考え方は、捨てたほうが良いでしょう。

良質な商品が無い上に、何処で入手出来るかが分からないからです。

コレは社会主義ならではの事なのですが、何でも揃っているスーパーマーケットの様な店が無く、◯◯専門、☓☓専門、△△専門…といった店が点在しているだけで、しかも、その展示の仕方といい、資本主義に慣れている我々には、とても買う気がする類のものではないのです。

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例えばパン屋さん…こういう店は、食料配給の拠点でもあるのですが、ココなんかは一種類しか有りません!精々良くて2~3種類、しかも、その種類とは、大きさの違いだけだったりします。

味自体は、日本の不自然にフワフワのパンに慣れていると、イマイチに思うかも知れませんが、寧ろシッカリと小麦の味がして、私は好感を持ちました。

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町の中に、比較的規模の大きい店舗もありますが、皆敷地面積の割に、売り場面積は少ない感じです。

着いてから最初に手配すべきなのは、飲料水ですが、これが結構値段がマチマチなのです。観光客の多い地域では、当然手に入りやすいものの、かなり割高です。

その手の店は、大体他のファーストフードなんかと一緒に売っていますが、1リッターで2~3CUC辺りで売ろうとします。

幸い私は、ミネラルウォーターの大きなボトルをカナダから一本持って来たので、急は要しませんでしたが...。

地元の人が行く店というと、私の行った所だと、扱っている品物が飲料水、ソフトドリンク、ビール、ラム類、そしてアイスクリームだけ…といった感じでした。
そこで買ったのが、5リッターの大きな飲料水でしたが、コレは45CUP、25CUP=1CUCなので、5リッターで2CUC(2USドル)弱だったことになります。

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 - レジ待ちの人々…皆、買い物点数は多く無いものの…。

しかし、それだけ品物が少ない割に、レジは物凄く時間掛かるのです。よく見てみると、物凄い桁数の数字を手動で入力しています。そう、バーコードをイチイチ手動で入力しているのです!

この辺りは、効率非効率以前に、物資の不足が根本的な問題なのでしょう。

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因みに、キューバにはコカコーラは来ておらず、コレが、ソレに近い飲み物です。
これに限らず、味は普通に悪くなかったですね。

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店舗のショーケースの一例。西側では考えられない様なディスプレイの仕方ですし、しかも品物が、物凄くショボいです。

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比較的大きな店のショーウィンドー…まるで脈らいのない商品が、一箇所に並べられています。

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店の中・・・ガランとした広い空間の中に、ポツンポツンとカウンターが点在し、モノを売っています。ココは石鹸や洗剤なんかを売っている様です。

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コチラは生地を売っている様です。

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そして、とにかくアチコとで売っているのが、この手の電気や配管の修理部品です。

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大通りに面したショーウィンドーの中…。

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生地、女性用服、ビール、ロープ…まるで脈来の無いディスプレイの仕方・・・。

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写真屋さんのショーケース…80年代そのままですね…。
当然デジカメなんかを売っている訳でもありません。

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見事なまでに並んだラム…実はココ、ガソリンスタンドなんです!
ガソリンスタンドで売るのは、運転中に欲しいモノ…という発想が無い様です。

手前では冷凍ケースでは、アイスクリームを売っていますが、ココの特徴は、一種類しか売っていない事なんです。

例えばココでチョコレートアイスしか売っていないといたら、大抵他の店に行っても、同じ物しか売っていないのです。
それが、日によってバニラになったりする様です。
この辺りは、やはり計画経済ならではなのでしょう。

反面、観光客の行くような場所には、バリエーションがありますが、やはり現地の人には相当割高なのです。

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この光景は何だと思いますか?

この男性は、クラッカーの移動販売をしています。大抵笛を吹きながら歩き回っているのですが、この辺りでは、2階建て、3階建ての住居が当たり前です。

特に年配の方等、階段の昇り降りが億劫な方々が、こうやって上から金の入った買い物袋を降ろし、買い物するのです。

この手は、結構頻繁に見かけるので、一度買ってみたんですが、素朴な味が悪くなかったですね。旅行中、非常食として重宝しました。

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私は小さい袋を買ったので、割高でしたが、写真のような大きな奴は、かなり割安です。

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かつては自由な商売を禁止されていた国ですが、今は様々な形態の商売がおこなわれている様です。コレが許可を得たものなのかどうかは知りませんが・・・。

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コチラは、観光地オビスポ街にある土産物の店…正直欲しいと思う様なモノは無かったですね…。

やはり物資に関しては、絶望的といえる国でした。

あの商品のディスプレイも、他に種類がない、そして供給量も限られている辺りから、仕方ないのかも知れません。

特に限られているとは言え、インターネットで海外の情報に触れることが出来る今日、そして、増えつつ有る観光客たちとの経済的格差は、如何ともし難いものがあります。

しかし、安易にアメリカの資本を受け入れてしまうと、それまでの商売が壊滅するのは、誰の目にも明らかです。

コレは、かつてロシアで起こったことですが、この小さな国が、ソレに耐えられるかどうか…?

数年後には、この国も大きくその姿を変えているかも知れません。

キューバ2017 キューバの独楽

キューバ 旅行
03 /27 2017
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 - 独楽で遊んでいた3人

ある日、ハバナの宿舎の近くを歩いていると、非常に懐かしい遊びをしている子どもたちを見かけました。

その遊びというのが、日本でもおなじみの独楽回しなのです!

以前、このサイトでも取り扱いましたが、独楽というのは地方によって色々な形状があるのですが、ソレが九州のソレに非常によく似ていたのです。

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 - 大分の北川木工所製の独楽

コチラが、私の以前住んでいた大分の独楽なのですが、芯が上下貫通しておらず、高さが有り、独特な丸っこい形をしているのですが、キューバのソレも、正にその格好をしていたのです。

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 - 紐の巻き方も、九州のソレに、非常によく似てます。ボトルの蓋が滑り止め。

その子どもたちに話し掛けて見せて貰ったんですが、ヒモの巻き方、投げ方まで九州のソレに非常によく似ているのです。
コレは一体どうしたことなのか・・・?

キューバには、かつて日系移民が沢山いたといいます。そして、その移民というのは、やはり九州や沖縄といった地方からの人が多かったと言います。

その辺りの影響だったのか?

帰国後、その独楽について少し調べてみました。
キューバでは、Trompoと呼んでいるのですが、ソレを検索すると、どうやらラテン系の国に古くから伝わる独楽の様な玩具なのです。

その起源は古く、4000年前のユーフラテス川流域で、その痕跡が発見されたということで、それがシルクロードを通って日本に入ってきた可能性も考えられます。

そして、日本中に独楽というものが有りながら、九州だけはスタイルが違うのは、寧ろ南蛮貿易で栄えた九州に、その影響が強く現れた…という可能性も十分にあります。

さて、その紐ですが、タコ糸の様なものを数本組み合わせたもので、私たちは昔、5円玉をすべり止めに使ったものでしたが、彼らは、ペットボトルの蓋を使っていました。穴あきコインというものが無いのです・・・。

片言のスペイン語で、日本と似ている事を伝えました。

見せてくれたお礼に、アメリカの飴Life Saverを少しづつあげたら、コレに大喜び!
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やはり物資に貧困な国で、この程度のものでも、大変に珍しいのでした!もしかしたら、色々な味が有る・・・というのが珍しいのでしょうか?

旅行で体力を消耗する時は、この手のモノが有り難いのですが、本来なら現地で調達するところ、物資が貧困だと聞いていたので、わざわざカナダから持ってきていたのです。

翌日、再会した写真の右側の子が、「日本に持っていって!」と、独楽を一つ私にくれたのです!この物資の乏しい国で…感激して、私の持っていた飴を全部あげました。

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コレが、その時のモノです。日本とは違い、プラスチックの塊であるところは、やはり社会主義的な合理化なのでしょうか?

キューバの社会では、観光客と一般人では、如何ともし難い経済格差があり、少しでも観光客から金をせしめよう…という人が沢山います。

そんな中で、心温まる出来事でもありました。

同時に、やたらとその周辺で、コマ回しをしている子供を見かける様になったのは、恐らく偶然ではないと思います。彼らの話が、子どもたちの間に広まったのでしょう・・・。

同時に、それだけアメリカ製の飴が貴重だという事なのでしょうか?
 




キューバ2017 キューバのオートバイ事情

キューバ 旅行
03 /26 2017
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 - 手前の2台がMZです。3台目の赤いのが、スズキGN125です。

キューバに着いて最初にバイクを目にしたのが、空港のバイク置き場でしたが、先ずは東ドイツのMZの姿が大変に新鮮なところでした。

MZというのは旧東ドイツのメーカーで、かつてオートユニオン(アウディ)の一部となったDKWの血を引いたブランドで、60年代までワールドGPで2ストロークの雄として大活躍していました。

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かつてスズキで大活躍したGPレーサー、エルンスト・デグナーは、このMZのチームに所属していたのですが、ホンダに一年遅れて1960年、スズキが初めてマン島TTレースに出場した時、宿舎がMZと同じであったのが縁となり、後の氏の亡命、スズキとの関係に繋がっていったのです。

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後に日本人初のマン島TTレースで優勝者となる伊藤光夫は、その年、デグナーの転倒に巻き込まれて転倒し、同室に入院、そこでデグナーは日本の話を聞き、社会主義体制に疑問を持ち、やがて脱出することを決意するのです。

社会主義体制下の東ドイツは、当然情報統制を敷いており、他チームとの接触を厳しく制限していたにも関わらず、地理的にも遠く、全く無名のスズキに関してはライバルとも思っていなかったのか、友好的であったといいます。

2ストロークの排気系といえばチャンバーですが、コレを初めて実用化したのがMZであり、そして、ソレを日本に伝えたのがデグナーだったと言われています。

1962年、完成直後の鈴鹿サーキットで行われたレースでデグナーが転倒したカーブを「デグナーカーブ」と呼び、日本でも長く親しまれていますが、それ故か、MZというのは、何処か他人のような気がしないのです。

このMZは、単体も多かったですが、サイドカーの姿が物凄く多かったのが印象的でした。

サイドカーというのは、一般的に車が普及する以前の段階で重用される乗り物と言えます。
かつての日本でも、側車免許が存在した様に、車が普及する以前の日本でも、バイクよりも荷物や人を多く運べるということで、利用されていたのです。

そして、経済発展とともに車が普及すると、サイドカーは廃れ、高価な一部の裕福層のオモチャになるのです。

MZの他に、チェコ・スロバキアのJAWA(ヤワ)も時々見かけました。コチラもサイドカーが多かったですね。

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チェコ・スロバキアという国は、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国の一部で、ドイツ系住民が多い地域でもあり、古くから工業の盛んな地域で、共産圏に組み込まれながらも、1960年代までは、東ドイツと並び、オートバイの製造でも有名だったのです。

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改めて写真を見ると、どうもJawaは、サイドカー率が高い様ですね・・・。

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共産圏では、同じモデルを延々と作り続けたのですが、外装は、時代に応じて結構バリエーションがあるのが面白いところです。

しかし、この手のバイクって、2ストロークの割には煙も少なく、音は大きいものの、日本の2ストのギャンギャンいうのとは違い、決して不快な音ではないのが興味深いところでした。

後に極度の品質低下の指摘された共産圏の製品ですが、技術レベルは悪くなかったのかも知れません。

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もう一つ、チェコ・スロバキアで有名なブランドとして、CZがありました。コレは、57~64年に作られたCezetaというスクーターのサイドカーです。
この年式からして、アメリカとの国交断交直後に輸入されたのでしょう。

このCZというメーカーは、元々銃器の製造でも有名で、高い精度と完璧な部品の互換性は、同時代の日本など、足元にも及ばない高精度な物として知られ、また、そのオートバイも、その高品質で知られたのでした。

バイクへの参入は1932年のエンジン付き自転車と、思っていたより遅いのですが、その技術には定評のあるところで、ワールドGPでも大活躍していました。

1969年、既に西側との技術差が決定的と思われていた時代に、350ccDOHC
4バルブのV4エンジンというGPレーサーを開発している辺りからして、決して侮れない実力を秘めたメーカーだったのです。

ただ、東ドイツのMZもそうなのですが、ワールドGPの活躍とは裏腹に、製造販売する車種は、実用車かシンプルな小型車に限られていたのは、計画経済故のことなのです。

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コチラは、オーストリアのPuch(プフ)です。

このメーカーのルーツは、イギリスのハンバーを代理店だったというのですから驚きます。
後にルーツ・グループに組み込まれるハンバーですが、当初は自転車のメーカーで、この頃のプフが扱っていたのは、その自転車だったのです。

オーストリア・ダイムラーと合併したり、フィアットと提携したり、オートバイばかりでなく、車の製造にも色々と関わっている企業で、現在は軍用車両をメインとしている様です。

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やはりバイクでも、ソ連とは縁がある様です。コレはミンスクというバイクですが、現在のベラルーシで製造されたものです。

驚くことに、この会社は、現在も操業しているということですが、このソ連時代の車種に関しては、本当に情報も少ないですし、キューバでも、多くはありません。

やはり、東ドイツや、チェコ製に比べ、耐久性に劣ったのでしょう。

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コチラもソ連製のサイドカーです。かつて、第二次大戦中のBMW R75サイドカーをコピーしたもので、ウラル、ドニエプルと、生産地によって違う名前で呼ばれていました。

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コチラは、到着早々、空港で見かけたものですが、コレ、一体何と読むのでしょう?

加筆:コレはIZh Planet5というバイクだそうです。350ccの2ストロークエンジンで、メーカーのイズマッシュ社は、驚くことに、あのカラシニコフ銃のメーカーなのです!

現在、同社のウェブサイトを閲覧すると、いきなり銃の写真が出てくるのに驚かされます。

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日本車では、やはり発展途上国=スズキなんでしょうね・・・。
特にGN125の姿を見かけました。

このGN125というのは、80年代初頭に発売されたもので、日本では中途半端なアメリカンとして見向きもされなかったのですが、それから20年近く経った1999年にニュージーランドに行った時、その姿を多く見かけて驚いたものでした。

80年代当時からの中古車もありますが、後にタイで生産され、新車でも安価に手に入ったことから、人気だったのです。

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コチラは、スズキAX100というモデルで、2ストローク単気筒の100cc、インドや中国でも製造しているということで、結構頻繁に見かけました。

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あとは、最近の中国車が結構ありますね。
コレなんかは、見るからにスズキGN125をパクった様に見えます。
エンジンは違う様ですが、見た目はそのままですね・・・。

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そして意外なのが、ハーレーの姿が無いことです。
アレだけアメ車があるのに、バイクの世界では、アメ車が無いのです!

やはり、よりコンパクトで経済的なものが好まれたのでしょう。

唯一見かけたハーレーが、この旧サイドバルブのトライクでした。

ある日、珍しく2ストロークの勇ましい音ではない、重厚で力強い音を聞いたと思ったら、ノートン・コマンドでした。

大体125~350辺りが殆どの中、750のコマンドは非常に大きく、立派に見えたものでした。残念ながら、写真には収められませんでしたが・・・。

ヘルメットは着用義務がある様ですね。皆、半キャップを被っていますね。

こうやって見ていくと、キューバでは、サイドカーの割合が非常に高く、その辺りからして、やはりバイクは趣味の乗り物というより、むしろ車に手の届かない人の為の交通機関というニュアンスが強い様です。

車と比べ、アメリカ車が無く、主流は東ドイツとチェコ、そして日本車が結構ある・・・という面で、大きく異なりますが、同時に日本車が有りながら、スーパーカブが無い等、アレ?っと思う面もあります。

何れにしても、日本では決して目にすることのない車種のオンパレードという意味で、車と同様、大変に興味深いものがありました。

<米オバマケア>代替法案を取り下げ 可決見通せず

アメリカ情勢
03 /26 2017
◇共和党の下院指導部、トランプ氏と合意

 【ワシントン西田進一郎】米与党・共和党の下院指導部は24日、トランプ政権が最重要政策の一つと位置付ける医療保険制度改革(オバマケア)を廃止して新たな制度に置き換える法案を取り下げることを決めた。下院本会議での採決を予定していたが、野党・民主党に加え、共和党内の保守強硬派などの反対が強いため可決の見通しが立たず、取り下げることでトランプ氏と合意した。政権発足後最初に取り組んだ重要法案でのつまずきは、トランプ政権にとって大きな打撃となりそうだ。

 トランプ氏と共和党議員らは、昨秋の大統領選と議会選で、オバマ前政権の看板政策だったオバマケアの「廃止、置き換え」を公約として訴えた。同党指導部は今月、オバマケアのうち保険加入の義務づけや罰則規定を廃止し、低所得者にも加入を促すための保険料補助をやめて年齢に応じた税額控除に変えることなどを柱とする法案を議会に提出。法案は、トランプ氏が議会の支持を得て政策を実現する能力を占う試金石とみられていた。

 しかし、党内の保守強硬派は政府の関与をより少なくするよう強く主張し、一方の穏健派は中高年の無保険者が出ることを懸念して反対。このため、指導部はホワイトハウスと連携し、法案を修正するなどして反対議員の切り崩しを続けてきた。

 下院(定数435、欠員5)で可決するためには過半数の216票が必要だ。ところが、米メディアによると24日時点で、237議席を占める共和党で35人以上が反対する意向を示し、採決すれば否決される見通しとなっていた。

 共和党のライアン下院議長は記者会見し、「可決に極めて近づいたが、(賛成票が)足りなかった。大統領に法案取り下げが最善の策だと伝え、合意した」と説明。そのうえで「我々にとって失望の日となった。これはつまずきだが、終わりではない」と強調した。

 トランプ氏はホワイトハウスで記者団に「非常に僅差だ」と悔しさをにじませた。そのうえで「オバマケアは破綻している。(民主党上下両院トップの)ペロシとシューマーこそが敗者だ」などと民主党に批判の矛先を向けた。また、トランプ氏は、次に取り組む最重要課題として税制改革を挙げ、「大規模な減税を含む税制改革に非常に力強く取り組むだろう」と語った。

 ◇オバマケア

 米国史上初めて公的補助を通じ国民に医療保険加入を原則、義務付けた医療保険制度改革を指す。当初、国民皆保険を目指した。加入者は推計2000万人増えたが、約3000万人が未加入。改革を進めたオバマ前大統領の名前に医療保険(ヘルスケア)を加えた造語。2014年に本格施行された。


日本の論調を見ていると、オバマケアを修正しようとするトランプがまるで悪者の様な書き方ですが、実際の所、オバマケアというのは、どういう事なのでしょうか?

皆さんオバマケアというのは、アメリカ政府が運営する健康保険だと思っていませんか?

当初オバマが目指したのは、ソレだったのですが、既得権の大きい保険会社がソレに大反対、結果、オバマケアを運営するのは民間の保険会社であり、ソレに罰則付きで加入を義務付けたのがオバマケアだったのです。

反面保険会社も、加入拒否を出来なくなったため、リスクが大きい商品な訳です。

そしてどうなったか?というと、ソレ以外の従来から保険に加入していた人たちの大幅値上げを行ったわけです。

コレの一体何処が国民皆保険なんでしょうか?

しかもオバマケアでかかれる医療機関というものは限られており、常に満員、待ち時間も長く、予約も取れず、しかも扱えるものが極めて限られているという劣悪なものです。

正直、コレで保険会社は更に潤い、民間人は更に貧困になり、このオバマケアで得をしたのは、結局保険会社だけなのです。

コレを是正する・・・ソレが果たして悪いことなのでしょうか?正直、オバマケア以前の方がマシだったのですから。

そして、共和党も保険会社から多額の献金を受けており、保険会社よりなのは一切報道されません。

メディアもオバマケアの内容には殆ど触れず、修正案が否決されたことばかりを声高に騒ぐ・・・何か胡散臭さを感じますね。

ホンダ、モンキーを8月末で生産終了…排ガス規制強化で50年の歴史に幕

ホンダ
03 /24 2017
ホンダは原付50CCバイク『モンキー』の生産を2017年8月末に終了することを決めた。

ホンダモーターサイクルジャパンの加藤千明社長が3月24日に東京モーターサイクルショー2017のブース内で開いたプレスカンファレンスで明らかにした。

泣く泣く終了…『モンキー』最後のモデルはコレだ!加藤社長は「モンキーは初代『モンキー Z50M』を1967年に発売して以来、今年で50周年を迎える。愛らしいデザインや定評あるエンジンなどで半世紀にわたり皆様からご支持を頂いたモンキーも、『モンキー・50周年アニバーサリー』と『モンキー・50周年スペシャル』をもって、残念ながら生産を終了する予定」と述べた。

プレスカンファレンス後に報道陣の囲み取材に応じた加藤社長は「既生産車については今年から排気ガス規制が強化される。小排気量車でユーロ4相当の国内のエミッション3次規制をクリアするのは技術的にも、コスト的にも非常にものすごく困難」と、モンキーの生産を終了する背景を説明した。

加藤社長はモンキーについて「50年間という大変長い間、ご愛顧頂き、お客様から愛して頂いて、ある意味、ホンダの顔に近い部分がある」としながらも、「各社もだいぶファイナルエディションということで国内モデルについてはかなり生産の打ち切りを進めているが、ホンダもそれほど事情が大きく変らない。50年という節目ということもあり、泣く泣く生産販売を終了する」と話した。

さらに加藤社長は「2021年には、さらに厳しい規制がまたくる。やはり50CCというものの限界がある」と指摘した上で、「2030年になった時に原付1種が内燃機関を主体としたもので存続できるかというと、私は非常に厳しいと思う。日本の国内でいえば原付1種はすべからく電動化の先頭バッター、ランナーとして移行していくのではないか」との見通しを示した。

東京モーターサイクルショー2017のホンダブースでは、生産終了が決まったモンキーの50周年記念車2モデルを始め、『CB1100 RS カスタマイズコンセプト』、『レブル250 スタイルコンセプト』を参考出品しているほか、『CB1100RR SP』、『CBR250RR』、『X-ADV』、『レブル500』などの市販予定車も展示公開している。

このうちCBR250RRについて加藤社長はプレスカンファレンスで「直感、体感、新世代RRを開発キーワードにクラス初となるスロットルバイワイヤーを搭載するとともに力強く速さを直感するスタイリングなど新世代のCBRとして開発している」と紹介。またCB1000RRに関しては「ネクストステージ トータルコントロールを開発キ―コンセプトに初代の『CBR900RR』」から連綿と受け継がれた扱いやすさこそが操る楽しみを体感できるという理念を継承し、大きな変革をとげフルモデルチェンジした」と述べた。



昨日、郵便カブを電動に移行するというニュースを耳にしましたが、同じエンジンを使ったモンキーを生産中止にする・・・ということは、カブも遅かれ早かれ生産中止になるという事なのでしょうか?

ホンダ・モンキーの原型が登場したのは1961年、当初は多摩テックのアトラクションとして用意されたものが人気を博し、ソレが後に市販化されたものでした。

カブのエンジンを流用したソレは、整備性に優れ、弄りやすい事から、改造車のベースとしても、根強い人気のあるモデルでした。

しかし、こうやって何でもかんでも排ガス規制と共に消えていくのは、寂しいものですね・・・。

正直、あの程度の台数の、しかも50cc程度のモノに、ココまで目くじら立てる必要があるのでしょうか?

かつてはモンキーでバイクに入門し、免許を取り、ソレで改造を覚えて…なんていう人も沢山いましたが、コレで一層、若者からバイクが遠ざかりそう…と思ったら、最早この手のオーナーも、中高年なので、大勢に影響ないのでしょうか?

既に小型車は中国生産で、実質ホンダは小型車を捨てているのでしょう。

本田宗一郎社長も、草葉の影で嘆いていることでしょう。

キューバ2017 アメ車以外の車

キューバ 旅行
03 /24 2017
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キューバと言えば古いアメ車・・・コレは確かなのですが、別にコレが全てという訳でもありません。

ネットでキューバの写真を検索しても、大抵アメ車が写っていますが、ソレは単に目に付くからであって、それ以外の車に関しては、詳しい人が色々と細かく観察している訳ではないので、その手の情報は、極めて限られている様です。

アメ車以外で最も目につくのは、やはりロシアのラーダでしょう。コレは旧ソビエト時代に入ってきたものだと思います。

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このラーダとは、ソ連が60年代にイタリアのフィアット124のライセンスを購入して生産を始めたものなのですが、80年代、カナダやニュージーランドにも輸出され、最悪の車という名声を得たものでした。

基本構造は旧態依然としているものの、70年代より、驚くことにロータリーエンジンを搭載していた車が存在したということで、鉄のカーテンの向こうで、マツダやNSUに一切の特許料も支払わずに生産していたことが、最近知られる様になりました。

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    美女と赤いスポーツカー…と言いたいところが、ラーダでした…!

2012年まで、このシリーズを生産していたということですが、正直、この車をこんなに大切に使っている国というのは、他に余り無いのではないでしょうか?

不思議と、こういう景色にマッチしますね…因みにラーダというのは、VAZ=ヴォルガ自動車工場の生産した車の輸出名です。
ソ連の自動車メーカーには、AZと付く例が多いのですが、コレはAvtomobilny Zavod=自動車工場という意味で、Vはヴォルガの頭文字です。
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    – モスクヴィッチ2140 似て非なる車です。
当時、ライバルとしてモスクヴィッチというのもありました。コチラはAZLKという別の会社で、第二次大戦後、ドイツから接収したオペル・カデットの生産設備を移設したものでしたが、後に独自技術で開発する様になったものの、やはりフィアットベースのラーダには一歩劣った様です。
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空港のタクシー乗り場に並ぶヒュンダイ。

比較的新しいクルマでは、ヒュンダイ、キアが多い様ですし、夢を壊すような話で申し訳ないのですが、キューバのアメ車の多くが、ヒュンダイのディーゼルエンジンを搭載しています。

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アメ車の中身は…コレが現実です…。

やはり物資の限られた国で、アメ車のガソリン代は無理なのです。

ブレーキのマスターシリンダも、明らかにアメ車のソレでは無いですし、こうやって使える部品なら何でも使うのが、キューバのやり方なのです。

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プジョー、シトロエン、ルノーといったフランス車は、80年代から現行モデルまで、多数見かけました。

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市庁舎の裏には、ズラリとプジョーの車が並んでいたのが印象的でした。数台、  Peugeot Polskaという表記があったので、同じく共産圏のポーランドから輸入しているのかも知れません。

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その他にも、フィアットも多いのですが、フィアットも同様に東欧の工場から来ている可能性もあります。

この辺りの写真を撮った時は、VINで製造国に確認まではしませんでしたし、残念ながら、私もその様な事を確かめるだけの語学力が有りませんでした。

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クラシックのヨーロッパ車でよく目にしたモノといえば、オペルです。
写真は、50年代半ば頃のカピテーンでしょうか?

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昔のオペルは、アメ車よりコンパクトで、ドイツ車としてはシンプルな構造であることから、日本でもそれなりに人気があったものですが、やはり、そのシンブルな構造故に生き残ったのかも知れません。

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アメリカ車に比べると、かなりコンパクトなものの、全長4.71m、全幅1.76m
、重量1240キロというのは、当時としては、かなり立派な体格です。

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当然、VWビートルも、ソコソコ走っていますが、もう一つ忘れられないのが、フィアット126でしょう。

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フィアット500の後継車と言えるモデルですが、空冷エンジンのOHV2気筒のりあエンジンというシンプルなメカが、物資の限られた国では愛されるのでしょう。
コレは本当にラーダの次くらい?という印象でした。

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因みにコチラはラーダ・・・ではなく、ラーダの原型となったフィアット124の兄貴分、フィアット125です。

しかし、こういう車が実用車として残っているのは、奇跡としか言えませんね。
この頃のフィアットというと、本当に無残なくらいに錆びるんです。

…というのは、ソ連がフィアットからラーダのライセンスを購入する際、現金だけでなく、鋼板での支払いも行っているのです。

その鋼板というのが、ソ連が自分たちでは使わない粗悪なもので、ソレを自社の車に使った同時代のフィアット車は、途轍もなく錆び易いことで知られていました。

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同じヨーロッパ車でも、メルセデスやBMWといった車は、全く見かけませんでした。

私の滞在中に見かけたメルセデスのクラシックといえば、コレ一台だけでした。やはり物資の乏しい国で、消耗部品の多さ、複雑なメカニズムが嫌われたのでしょう。

あとは最近の中国車が結構入ってきている様ですね。

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Geely EC7という車ですが、コレは吉利汽車が製造する車で、現在、ボルボのオーナーとなっている企業です。

コレは結構頻繁に見かけました。エンブレムが遠目に、何となくキャデラックのソレから月桂樹を取り去ったように見えたのが印象的でした。

しかし、この手が物資の限られた国で長く使えるとは思えませんね・・・。

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コチラはMGブランドのMG3というモデルで、ローバー200シリーズの後継車ということになりますが、MGローバーの倒産後、中国資本になってからのモデルで、中国車という事になります。

ローバーですら凄まじい品質だっただけに、現在どうなのか、興味あるところです。

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さて、ローバーと言えば、一台こんなのを見ました!
ローバー200ですが、一体どういうルートで入ってきたのでしょうか? VINを確認したところ、中国製ではなく、イギリス製になっていました。

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この手は、とにかく信頼性に欠けるモデルで、既に先進国からは殆ど姿を消していますが、もしかしたら、中国から部品が入ってくるのでしょうか?

この景色に無難に溶け込む辺り、流石はローバーです。

さて、最後は日本車ですが、コレに関しては驚くほど少なく、何故か一番見かけたのは、このタイプのニッサン・セントラでした。

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あとは、発展途上国の友?こと三菱を何台か見かけました。
写真には、トヨタも写っていますが、一台ランクルを見た以外、殆ど見ませんでした。

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かつてはアメリカ車、そして次がロシア車、現在はフランスと韓国が主流となっている様です。

プジョーの車というと、特に電気系統を弄る場合、全てに於いてダイアグが無いと何も出来ない仕組みになっていますが、その様なシステムに対応出来ているのでしょうか?

その辺りを疑問に感じたのですが、あれだけ多いということは、まあ、それなりに対応は出来ているのだと思いますが・・・。

しかし、こういう混沌とした状況を目の当たりにして、今後一体この国はどうなって行くのだろう?と考えずにはいられませんでした。

アメリカとの国交を回復することで、今後、様々なチェーン店や量販店なんかも進出してくるでしょうし、新しいアメリカ車なんかも輸入再開されるかも知れません。

そうなったら、古くて手間の掛かる車は見向きもされなくなる…と、こうなると、観光資源を自らの手で廃棄するのと同然なのですから。

皆、より豊かになりたい、そして良い車が欲しい…しかし、そうなると、この国の観光地としての魅力をスポイルしてしまうのですから。

現在、アチコチで工事をしており、より魅力ある観光地化を進めようとしていますが、仮にそうやって街並みを整えて観光地化が進み、経済が成長し、街に新しい車が増え、物価が上がった時、果たして先進国の観光地と比べて、明確なメリットが生み出せるのでしょうか?

成長してもダメ、成長しなくてもダメ・・・ある意味大変なジレンマに陥った国だという印象を受けました。

そして、この手の車は、その混沌とした状況の象徴にも見えてしまうのです。

キューバ2017 キューバのインターネット事情

キューバ 旅行
03 /23 2017
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一般的に社会主義国というのは、インターネットに何かと規制が付いて回ります。

例えば中国辺りでも、Googleが使えない、Yahooメールが使えない、検索にフィルターが掛かる等、日本では考えられない様な、様々な規制が行われています。

さて、キューバはどうなのでしょうか?

先ず宿を予約している時点で気がついたのですが、Free WiFiという記述が全く無い事です。

当たり前すぎて記述されていないか、本当に無いのか…?

まあ、出かける前にネットで検索しただけでも、一般の家にインターネットが来ていないことは知っていました。

インターネットは公園や高級ホテル等、定められた場所でしか利用出来ないのです。

ハバナの街を歩いていると、よく大勢の人が腰掛けて、必死でスマホの画面を見つめているシーンを目にします。

要するに、その場所がホットスポットなのです。

しかし、それも有料で、1時間で2CUC(2USドル程度)と、現地の平均収入が30CUC程度であることを考えると、非常に高価なものになっています。

その料金は、カードを買うことになるのですが、場所によっては、ソレを売っている場所が分からず、転売屋が本来2CUCのところを3CUCで売っていたりします。

現地の人の使っている機材というと、殆どが中国製のスマホがタブレットで、ラップトップを使っている人は、全く見かけません。

中国製のソレも150CUC程度と、収入比で物凄く高価なことになっています。

外でネットというのも、悪くないですね・・・。
屋内では非健全だという事なのでしょうか?

場所によっては非常に多くの人が集まっていて、やはり人数に比例して繋がりにくくなったりするのは当然です。

私もカードを買って使ってみましたが、中国の様に色々なページにアクセスできないといった事も無く、極普通に使えました。

ただ、最初の設定がよく分からず、向かい側に居た年配の男性に訊ねたところ、彼もカナダから来ているということで、英語で教えていただきました。

同じ社会主義でも、キューバの場合、ネットの接続場所を限定することで、ネットの弊害から逃れようとしているのでしょうか?

一つ理解できなかったのが、宿のオーナーは、そのWiFiを無料で利用出来ると言っていた事です。もしかしたら、現地の人は無料で利用出来るシステムになっているのでしょうか?

…でなければ、一時間で二日分の賃金なんて、とても無理ですよね?
皆、結構延々とやっている感じだったので・・・。

彼らも英語力が非常に低く、その辺りを聞くことは出来ませんでした。

こんな辺りも、やはり別世界ですね・・・。

因みにキューバが他の観光地と大きく違うのは、観光客向けの無料のパンフレットや地図の類が皆無な事です。

私は旅行ガイドの類は殆ど持っておらず、何時も現地の無料のパンフレットとネットを元に行動するのですが、その両方が無く、しかも言葉も通じない…という意味で、珍しい経験だったと思います。

キューバ2017 キューバの食糧事情

キューバ 旅行
03 /22 2017

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こういう生鮮マーケットが宿の近くにありました。

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出かける前に、色々ネットで調べたものの、イマイチ良くわからなかったのが、この食糧事情でした。

余り美味しいモノはない…という情報程度は有ったので、余り期待はしていなかったのですが…。

先ずは先に紹介したオビスポ街ですが、この辺りには、観光客にも敷居の低いレストランの類が並んでいます。

値段的にも6~10ドル程度…今日のアメリカなんかの外食を考えると、まあ十分に安い…と考えることも出来ますが、現地の人の収入が月30ドル程度であることを考えると、非常に高価で、観光客専用であることが分かります。

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初日は何も分からないので、取り敢えずレストランで注文したのがコレ…魚にキューバ特有の甘みのある味付けをしたもので、コレにビールとアイスクリームが付いて、7.5CUC(大体7.5USドル)といった値段でした。

まあ、味自体悪く無いものの、やはり現地の人はどんな物を食べているのか?

コレが気になります。

キューバでは、水道水は飲めないので、ペットボトルを購入することになりますが、その水とビールは大体同じ値段で、ココのレストランでも、水とビールは同じ値段でした!

そんな具合で、暑い気候もあり、結構気軽に昼間からビールを飲むような感じになってしまいます。

では、自炊をしたい…となると、コレも結構困難がつきまとうでしょう。

それは、スーパーマーケットの様な、一箇所で何でも手に入る様な店が無いからなのです。

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食料配給に並ぶハバナ市民。

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社会主義国のキューバでは、基本的な食料品は、国から配給されているのですが、その量は、とても十分と言えるものではなく、ソレを補うために、市場で買う…というのが一般的になっています。

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こういう路上販売なんかも当たり前に行われています。

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肉屋の光景…常に20度を超える気候で大丈夫なんでしょうか…?

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ソーセージ等、加工肉は、別の店の扱いになっています。

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手前の黄色い巨大な物体は、パパイヤです。スイカが6CUP…現地の人乗収入が、月30CUC=750CUPであることを考えると、決して安いものではありません。

まあ、私のような観光客からすれば、25セント程度なので、物凄く安く感じるのですが…。

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ココで助かったのは、コレでした。コレ、キャベツの千切りなんです!
物凄く安かった上に、少しづつ持ち歩き、道端で購入したサンドイッチ等に入れて食べる…これだけで遥かにマシになります。

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こんな風に、簡単に食べられる様に…というのも売られています。

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購入したパパイヤ…このまな板、普通の大きさのものです!味は…もう少し置いた方が良かったでしょうね・・・。

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バナナは、日本で言うモンキーバナナです。見た目は良く無いものの、やはりこの手は温かい国の方が美味しいですね…。

大体最初、1本1CUPという風に言ってきますが、コレを5CUPで買ってきました。

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街角の野菜売り…こんな人が沢山居ます。
この手の大きいバナナ?は、料理用です。2番めの写真の右側のチップスも、コレですね。

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あとは、アチコチで売られているこの手のハンバーガー…大体10CUP程度で、ジュースが3CUP、両方で50セントにも満たない上に、少食とは言えない私なのですが、意外とコレで一食分になりました。この中に、例のキャベツなんかをコッソリと入れて食べます。

あと、これだけ海が近い割に、意外な程シーフードが売られていないのですが、キューバという国は、近海をアメリカ、メキシコ等、大国に囲まれている関係で、自由になる海域が狭く、漁業は盛んでないということです。

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 -3セント程で買えるこういう店が、有難かったですね…。

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家の前でコーヒーを売る女性、1CUPのコレが、物凄く美味しく感じられました。
小さなカップで飲む、エスプレッソの一種なのですが、本格的な味です。

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最後の夕食は、前日、オビスポ街で強烈な売り込みを掛けてきたレストランへ…ロブスターにカクテル、プリンの様なデザートにコーヒー付きで14CUCというのは、現地の人にとっては、とんでもない価格ながら、カナダの常識からすれば、非常にリーズナブルなものでした。

因みに左側の飲み物は、モヒートというキューバのカクテルで、ミントの葉っぱと、ハチミツ、ラムを混ぜたものです。やはりキューバといえば、ラムですよね…。

丸い皿の奴は、赤飯みたいな味なんですが、もち米ではなく、ロンググレインライスを使っています。個人的に結構悪くないと思いました。

こうやって見ていくと、物凄くシンプルな生活をしている様にも見えますが…しかし、私がキューバに滞在していた一週間、健康状態が最高レベルに良かったことを忘れる訳にはいきません。

私はどちらかというと、食べ物の影響を受けやすい方で、アメリカのジャンクフードなんか、余り耐えられない方なのです。

それがキューバだと、適当に道端で売られているジャンクフードを口にして、同じく道端で売られている自家製ジュースやコーヒーを口にし、適度にアルコールも…。こんな不健康そのものの様な一週間ながら、暑い気候にも関わらず、体調一つ崩さず、口内炎なんかもと無縁、毎日10キロ以上は平気で歩く…こんな感じでした。

やはり、変な化学調味料や化学肥料を使っていない自然な食品が良かったのではないでしょうか?

適度に果物を買っては食べていたのも、良かったのかも知れません。

食に関しては、貧困なキューバの方が、世界一裕福なアメリカよりも満足だった…まるで冗談のような話しですが、私の率直な感想です。

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因みに滞在中、蚊に刺されたことはあっても、熱帯地方の、しかも安宿に有り勝ちな変な虫に悩まされることは皆無で、しかも、あれだけ色々な所を歩き回ったのに、ネズミやゴキブリの類を一度として目にしませんでした。

実は、バンクーバーの街では、意外とその手を見かけるんですよね・・・。

こう見えても、意外と衛生状態は悪くないのかも知れません。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。