キューバと言えば古いアメ車・・・コレは確かなのですが、別にコレが全てという訳でもありません。
ネットでキューバの写真を検索しても、大抵アメ車が写っていますが、ソレは単に目に付くからであって、それ以外の車に関しては、詳しい人が色々と細かく観察している訳ではないので、その手の情報は、極めて限られている様です。
アメ車以外で最も目につくのは、やはりロシアのラーダでしょう。コレは旧ソビエト時代に入ってきたものだと思います。
このラーダとは、ソ連が60年代にイタリアのフィアット124のライセンスを購入して生産を始めたものなのですが、80年代、カナダやニュージーランドにも輸出され、最悪の車という名声を得たものでした。
基本構造は旧態依然としているものの、70年代より、驚くことにロータリーエンジンを搭載していた車が存在したということで、鉄のカーテンの向こうで、マツダやNSUに一切の特許料も支払わずに生産していたことが、最近知られる様になりました。
美女と赤いスポーツカー…と言いたいところが、ラーダでした…!
2012年まで、このシリーズを生産していたということですが、正直、この車をこんなに大切に使っている国というのは、他に余り無いのではないでしょうか?
不思議と、こういう景色にマッチしますね…因みにラーダというのは、VAZ=ヴォルガ自動車工場の生産した車の輸出名です。
ソ連の自動車メーカーには、AZと付く例が多いのですが、コレはAvtomobilny Zavod=自動車工場という意味で、Vはヴォルガの頭文字です。
– モスクヴィッチ2140 似て非なる車です。
当時、ライバルとしてモスクヴィッチというのもありました。コチラはAZLKという別の会社で、第二次大戦後、ドイツから接収したオペル・カデットの生産設備を移設したものでしたが、後に独自技術で開発する様になったものの、やはりフィアットベースのラーダには一歩劣った様です。
比較的新しいクルマでは、ヒュンダイ、キアが多い様ですし、夢を壊すような話で申し訳ないのですが、キューバのアメ車の多くが、ヒュンダイのディーゼルエンジンを搭載しています。
やはり物資の限られた国で、アメ車のガソリン代は無理なのです。
ブレーキのマスターシリンダも、明らかにアメ車のソレでは無いですし、こうやって使える部品なら何でも使うのが、キューバのやり方なのです。
プジョー、シトロエン、ルノーといったフランス車は、80年代から現行モデルまで、多数見かけました。
市庁舎の裏には、ズラリとプジョーの車が並んでいたのが印象的でした。数台、 Peugeot Polskaという表記があったので、同じく共産圏のポーランドから輸入しているのかも知れません。
その他にも、フィアットも多いのですが、フィアットも同様に東欧の工場から来ている可能性もあります。
この辺りの写真を撮った時は、VINで製造国に確認まではしませんでしたし、残念ながら、私もその様な事を確かめるだけの語学力が有りませんでした。
クラシックのヨーロッパ車でよく目にしたモノといえば、オペルです。
写真は、50年代半ば頃のカピテーンでしょうか?
昔のオペルは、アメ車よりコンパクトで、ドイツ車としてはシンプルな構造であることから、日本でもそれなりに人気があったものですが、やはり、そのシンブルな構造故に生き残ったのかも知れません。
アメリカ車に比べると、かなりコンパクトなものの、全長4.71m、全幅1.76m
、重量1240キロというのは、当時としては、かなり立派な体格です。
当然、VWビートルも、ソコソコ走っていますが、もう一つ忘れられないのが、フィアット126でしょう。
フィアット500の後継車と言えるモデルですが、空冷エンジンのOHV2気筒のりあエンジンというシンプルなメカが、物資の限られた国では愛されるのでしょう。
コレは本当にラーダの次くらい?という印象でした。
因みにコチラはラーダ・・・ではなく、ラーダの原型となったフィアット124の兄貴分、フィアット125です。
しかし、こういう車が実用車として残っているのは、奇跡としか言えませんね。
この頃のフィアットというと、本当に無残なくらいに錆びるんです。
…というのは、ソ連がフィアットからラーダのライセンスを購入する際、現金だけでなく、鋼板での支払いも行っているのです。
その鋼板というのが、ソ連が自分たちでは使わない粗悪なもので、ソレを自社の車に使った同時代のフィアット車は、途轍もなく錆び易いことで知られていました。
同じヨーロッパ車でも、メルセデスやBMWといった車は、全く見かけませんでした。
私の滞在中に見かけたメルセデスのクラシックといえば、コレ一台だけでした。やはり物資の乏しい国で、消耗部品の多さ、複雑なメカニズムが嫌われたのでしょう。
あとは最近の中国車が結構入ってきている様ですね。
Geely EC7という車ですが、コレは吉利汽車が製造する車で、現在、ボルボのオーナーとなっている企業です。
コレは結構頻繁に見かけました。エンブレムが遠目に、何となくキャデラックのソレから月桂樹を取り去ったように見えたのが印象的でした。
しかし、この手が物資の限られた国で長く使えるとは思えませんね・・・。
コチラはMGブランドのMG3というモデルで、ローバー200シリーズの後継車ということになりますが、MGローバーの倒産後、中国資本になってからのモデルで、中国車という事になります。
ローバーですら凄まじい品質だっただけに、現在どうなのか、興味あるところです。
さて、ローバーと言えば、一台こんなのを見ました!
ローバー200ですが、一体どういうルートで入ってきたのでしょうか? VINを確認したところ、中国製ではなく、イギリス製になっていました。
この手は、とにかく信頼性に欠けるモデルで、既に先進国からは殆ど姿を消していますが、もしかしたら、中国から部品が入ってくるのでしょうか?
この景色に無難に溶け込む辺り、流石はローバーです。
さて、最後は日本車ですが、コレに関しては驚くほど少なく、何故か一番見かけたのは、このタイプのニッサン・セントラでした。
あとは、発展途上国の友?こと三菱を何台か見かけました。
写真には、トヨタも写っていますが、一台ランクルを見た以外、殆ど見ませんでした。
かつてはアメリカ車、そして次がロシア車、現在はフランスと韓国が主流となっている様です。
プジョーの車というと、特に電気系統を弄る場合、全てに於いてダイアグが無いと何も出来ない仕組みになっていますが、その様なシステムに対応出来ているのでしょうか?
その辺りを疑問に感じたのですが、あれだけ多いということは、まあ、それなりに対応は出来ているのだと思いますが・・・。
しかし、こういう混沌とした状況を目の当たりにして、今後一体この国はどうなって行くのだろう?と考えずにはいられませんでした。
アメリカとの国交を回復することで、今後、様々なチェーン店や量販店なんかも進出してくるでしょうし、新しいアメリカ車なんかも輸入再開されるかも知れません。
そうなったら、古くて手間の掛かる車は見向きもされなくなる…と、こうなると、観光資源を自らの手で廃棄するのと同然なのですから。
皆、より豊かになりたい、そして良い車が欲しい…しかし、そうなると、この国の観光地としての魅力をスポイルしてしまうのですから。
現在、アチコチで工事をしており、より魅力ある観光地化を進めようとしていますが、仮にそうやって街並みを整えて観光地化が進み、経済が成長し、街に新しい車が増え、物価が上がった時、果たして先進国の観光地と比べて、明確なメリットが生み出せるのでしょうか?
成長してもダメ、成長しなくてもダメ・・・ある意味大変なジレンマに陥った国だという印象を受けました。
そして、この手の車は、その混沌とした状況の象徴にも見えてしまうのです。