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アメリカ2017 グレースランド

アメリカ旅行
04 /29 2017
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 - グレースランドの入り口は、プレスリーの家の反対側にあります。

テネシー州メンフィスといえば、あのエルビス・プレスリーの生誕地として有名ですが、かつて、彼が住んでいた家は、グレースランドとして、観光地化されています。

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このグレースランドに行く方法を宿で確認すると、タクシーか、プレスリーが最初にレコーディングをしたサンスタジオのツアーに参加すると、グレースランド行きのシャトルに乗れる…という事でした。

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私がGoogle mapで調べたところ、そんな回り道をしなくても、普通にバスが出ているのですが・・・どうもソレを聞くと、スタッフもイマイチ歯切れが悪いのです。

私は天性の音楽センスの無さから、敢えてサンスタジオまで行く程の熱意もありません。

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普通にバスに乗って、行くことに決めました。
途中で一度乗り換えがあるのですが、そこで、スタッフの歯切れの悪い理由がわかりました!

どう見ても其処は、貧困地帯なのです!低い、魅力の無い建物が軒を連ね、店といえば安さを売りにした様な店や、大きな質屋!コレは決定的なのです。

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バスの中も外も、白人の姿は皆無、私以外は全員黒人です。何処まで行っても続く殺伐とした光景の中を30分程走ったでしょうか?ようやくグレースランドに到着しました。

近くの交差点付近にも、店といえば、スタンド、ファーストフード点、自動車部品の店…こんな程度です。

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グレースランドの入り口は、プレスリーの家ではなく、その反対側の敷地にあるミュージアムなんかが軒を連ねる所にあります。

そこで入場料を払い、簡単な説明を受け、映画を見てから園内を走るシャトルバスで、プレスリーの家に行きます。

それにしても、随分と高い入場料ですね…一番安いのが、家を見るだけのツアーで38.75ドル、家と各展示を見るツアーが57.50ドル、更にVIPツアー93.75ドル、個人ガイドが付くUltimate VIPツアー159ドル等がありますが、私は家と各展示を見る57.5ドルのツアーにしました。

エルビス・プレスリーと言えば、当時の世界トップクラスの富豪です。さぞかし豪勢な家というのを予想していたのですが、確かに上質な物を揃えているのですが、例えば金や大理石で飾り立てる様な感じではなく、寧ろ私に言わせれば、あの収入を考えたら、かなり質素なのではないか?というのが正直なところでした。

時代は違うにしても、例えばあのアグネス・チャンなんかの下品な豪華さもまた、その人柄を表していると言えるでしょう。

確かに彼は、車や自家用飛行機といった贅沢はしていますが、寧ろどちらかと言えば奥ゆかしい方だったのではないか?というのが、ココに来て初めて感じた印象でした。

ミュージアムには、様々な車が展示されていますが、成金趣味の下品さは皆無でした。

その上、既に私が述べた通り、延々と貧しい地域を走ってきた…という事実です。
アレ程の人が、ビバリーヒルズやベルエアといった高級住宅地ではなく、当時は何もなかったであろう場所という事を考えても・・・。

正直あの大きさの家、敷地は、アメリカの田舎に行けば、そんなに珍しいものとは言えません。

当時は、さぞかし静かな場所であったに違いありません。

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家の見学が終わると、再び道路を挟んだ向かい側に行き、そちらではプレスリーの愛車、衣装等が展示されています。

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コチラは車のコーナーです。

車好きで知られたプレスリーですが、この中でも、彼の最もお気に入りは、この55年型キャデラック・フリートウッドであったといいます。

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やはりコレが、プレスリーのシンボルでもあるのです。

コレは彼が有名になった後も手放さずにいた数少ない車で、後に母が乗っています。

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この希少なコンチネンタル・マーク2も、彼が所有していたことで有名です。

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そして、何と言っても圧巻なのがコレ・・・Stutz Blackhawk... コレはStutz Motorsという少量生産の高級車メーカーの製品で、$22500ドルという、当時としては極めて高価な車でした。キャデラックですら5000ドル程度で買えた時代です。

そして、プレスリーが最後に運転した車も、コレだったと言われています。

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こんなのも有りました…プレスリーは、バイクファンでもあり、数多くのバイクに乗っていたものの、コレがほぼ唯一のホンダ車であったそうです。

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プレスリーは、人気絶頂期に徴兵さえているのも有名な話しですが、コレがその当時の制服です。

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 軍服姿のプレスリー・・・。

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 あの有名なコスチューム、そしてソレに見入る女性ファン・・・。

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自家用ジェット機「リサ・マリー号」…コレも内部を見ることが出来ますが、別料金になります。

家の向かい側に、これだけの広大な敷地を用意できたこと、更には、こんな観光客向けホテルを建てるスペースが有ったこと…そのことからも、当時はこの辺り、何もなかったことが容易に想像つきます。

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現在ですら、洒落た待ちというには程遠い殺風景な場所で、店と言ってもこんな感じです。

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正直、グレースランド以外に何も無い地域でした。

まだ観光シーズンではないこと、平日で天気もいまいちだったこともあり、館内は非常に空いていました。

また、同時に感じたのが、ファンの高齢化です。まあ当然と言えば当然なんですが、平均年齢はやはり60代という感じだったのではないでしょうか?

若い人といえば、両親と一緒に来た子供たち…という感じでした。

日本でも、石原裕次郎記念館が、ファンの高齢化と共に客足が遠のき、閉館が決定されたのと同じことです。


しかし、今までプレスリーというと、金満家というイメージを持っていたのですが、当然そうではあるものの、家はその人を表すと言いますが、その家からは、同時に何処か奥ゆかしさを感じたのが、今回の大きな収穫でした。

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こんなのを買ってしまう私は、やはり日本人ですね…。

昼食は、館内にカフェテリアが有ったのですが、当然有るものといえばハンバーガーの類ばかりで、しかも値段も観光地価格です。

そこで、外に出てファーストフードで済ませました…。

しかし、これだけ観光客が来るであろう場所に、その程度の店しか無いのも、なんか不思議なものですね。

帰りは、再び来る時に乗ったバスを使いました。時間が有ったので、途中下車して道沿いにある店なんかを見て回ったのですが、何処も入り口で荷物を預ける様に言われます。

コレも、治安の悪い地域で一般的なことなのですが、正直高価な撮影機材を預ける気にもなれず、大して見ることは出来ませんでした。
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アメリカ2017 テネシー州メンフィス

アメリカ旅行
04 /27 2017
kニューオーリンズの次は、Amtrakでテネシー州メンフィスに行きました。
昼過ぎにニューオーリンズを発ち、メンフィスに着いたのは、10時近くでした。駅の周りは真っ暗、駅でもWiFiすら使えません。Amtrakの駅は、こうやって場所によって設備が著しく異なるのも問題の一つです。
仕方なく駅からはタクシーで宿に向かいました。この程度の時間でも、街は真っ暗で、人っ子一人見かけません。宿の近くは、ショッピング街だと聞いていたものの、何一つとして開いていません。余程治安が悪いのか?なんて一瞬思いましたが・・・まあ、窓に鉄格子がないので、この辺りは夜が早いのでしょう。
その宿というのは、教会の一部として運営されている所で、それ故か、非常にスタッフの感じが良かったのが印象的でした。
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翌朝、バスを待ちながら、宿の周りを歩いていると、ファーマーズマーケットが開催されていました。3月初めに・・・ニューオーリンズに比べて随分と気温が下がった気がしたのですが、やはりバンクーバーに比べ、かなり暖かいのでしょう。

ココで気がついたのが、ひっきりなしに飛行機が飛んで行くことでした。何でもFedexの本拠地がメンフィスにあるということで、メンフィス国際空港が、その拠点となっているのでした。
前日のタクシーの運転手も、その話をしていましたし、ココの人も然り…地元の人にとって、非常に誇らし事という印象を受けました。
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バスに乗ってメンフィスのダウンタウンへ・・・。
やはりアメリカはバスの本数が少なく、しかも土曜日ということもあり、終わるのも早いので、注意が必要でした。料金は1回1.75ドル、デイパスが3.5ドルというのはリーズナブルでしたが、一回に乗る距離が長いので、そんなに何回も乗り降り出来ないでしょう。
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さて、メンフィスのダウンタウンですが、正直ココで観光客が行く所というと、Beale Streetと相場が決まっています。
ココは、元々黒人コミュニティーの中心地として栄えた場所でした。
この辺りは、ニューオーリンズのバーボンストリートのような感じで、ブルースのメッカとして知られています。
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しかし…この見るからに観光地然としたソレは、正直、ニューオーリンズのソレと何ら変わりなく、粗末な喧しい音楽がアチコチから聞こえてくるだけでした。
テネシー州と言えば誰もが思い浮かべるのがテネシーワルツ... と言いたいところですが、そんなの既に現地の人は全く知らないのです!
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まあ、アメリカが初めての人なら、こういうのも新鮮に聞こえるのかも知れませんが、正直私は、いささか食傷気味ですね・・・。
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ダウンタウンのメインストリートは、このような路面電車?が走っていますが、正直 景色もイマイチ、店も大したものが無く、コレっといった印象は有りませんでした。
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メンフィスも、ニューオーリンズと同様、ミシシッピ川に面して発展した街です。
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こんなのも有りますが、運休中だった様です。
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ミシシッピ川沿いでひと際目を引く建物が、コレ…メンフィス・ピラミッドです。
1991年に開業、元々はメンフィス大学のバスケットボールのコート、そしてNBAのMemphis Grizzliesのホームグラウンドとして使用された後、現在は釣り用品の専門店になっています。
今までの経験上、こういう突拍子もないデザインの建物というと、コンベンションセンターの類が多いと思うのですが、以外なものでした。
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凄まじく広い室内・・・中にはボートなんかの展示もあり、池では、子供が魚釣りを体験できるコーナーもあります。
残念ながらこの建物、シッカリと東西南北を向いていない様で…もし方角がシッカリしていたら、ピラミッド・パワーの影響で、中にいる人が健康に…なんてことになったかも知れません…。
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ココでは、有名なバス釣りのプロとして有名なKevin Van Damが来ており、彼のアドバイスの元、数点買い求めました。ミシガン州出身の彼は、ミシガン湖を本拠地としているそうです。
その時は、彼のことを知らなかったのですが、確かに物凄く存在感のある人でした!
しかし…こんな所まで来て、釣り用具買って来るとは思いませんでした…。
店を出ると、いい具合に日が暮れて来ました。
Beale Streetに戻ると、ネオンサインが点灯し始めています。
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まあ、こんな感じです。
土曜日ということもあり、バスの本数は少なく、しかも、あまり遅くまでバスが運行されていないこともあり、この日は宿に戻ることにしました。
ブルースの都として、エルビス・プレスリーの出生地として有名なメンフィス…やはりココもニューオーリンズと同じで、観光地化が著しく、粗末な食べ物を高く売っている上に、ツマラナイ店に、流れてくる音楽は粗末なもの…まあ、もう一度来る程の魅力のある街では無いな…というのが正直な感想でした。

60万ヒット達成!

無題
04 /25 2017
本日4月24日午後9時50分(アメリカ西海岸時間)、60万ヒットを達成しました。

当初とは随分とブログの趣旨も変わってきましたし、先程書いたカマロの記事も、以前のソレとは随分と雰囲気が違っている様に思いますた。

コレは、私の車に対する、そして文化に対するスタンスの変化でもあるのですが、既にブログ開設から9年…随分と永続付いていることに、我ながら驚きます。

今後共、宜しくお願い致します。

シボレー・カマロ IROC-Z

シボレー
04 /25 2017
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少し前に、ある人から指摘されたのですが、当ブログで3代目シボレー・カマロを取り扱っていないと・・・。

一応アメ車のブログとして始まって今年で9年目…正直驚きました!

考えてみれば、このタイプは、ファイアーバード・トランザムを取り上げただけで、カマロはまだだったのです。

そこれ、丁度良い被写体が有ったこともあり、改めて取り上げたいと思います。

3代目のカマロが登場したのは81年、翌82年モデルとしてでした。
2代目が12シーズンと極めて長寿命であったことから、良くも悪くもカマロというイメージが固定されてしまい、ある意味このモデルチェンジは、かなり難しかったんではないでしょうか?

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 - このトランク、狭い上に、荷物の出し入れが大変なんですよね…。

先代と比べ、大幅にダウンサイズが施され、3ドアハッチバックになっているのがデザイン上の大きな特徴で、正直、先代とは何の関連性も無いスタイルなのですが、それでも不思議とカマロという雰囲気に満ち溢れたものでした。

一足先に登場したマスタングが、正直何処か無国籍でかなり微妙なものであったのに対して、コチラは紛うことなきアメリカのソレであり、何処からどう見ても、カマロそのものでした。

当時は、まだ排ガス規制の対応に苦しんでいた時代で、5リッターV8ですら、キャブ仕様で145馬力、初期のクロスファイアーインジェクションで165馬力という非力なものでした。

これは、マスタングも同じ様なモノでしたが、アチラの方がコンパクトで軽量なことから、走りには分がありました。

その他にも、2.5リッター4気筒や、あの悪名高い2.8リッターV6なんかも設定されていました。

写真は、85~89年に発売されたハイパワーバージョンのIROC-Zですが、主に足回りを強化して、エンジンをより高出力化したモデルでした。

スロットルポートインジェクションのモデルは、大分向上したとは言え、それでも215馬力程度のものでした。

この世代のカマロは、間違っても速いとかスポーティーとか言う類の車ではありません。

しかし、雰囲気という面では、非常に良いものを持っていました。

低いシートに腰掛け、目の前に絶壁のように広がるダッシュボード…アメリカならではの雰囲気に満ち溢れたものです。

次期モデルでは、無理にフロントガラスを寝かせたせいで、かなりポジション的に無理が出来たことを考えると、ある意味コレは、絶妙のバランスだったと言えるのでしょう。

そして意外にも、私位の体型なら、十分に座れるだけのリアシートが確保されています。この辺りは、現行モデルよりも良いですね。

丁度バブルの頃、この車も350万円という大安売り???が行われ、一頃日本でも結構見かけたものでした。

ソレに対して、ファイアーバード・トランザムが500万というのは、少し納得がいきませんでしたが…。

それでも当時のアメリカでは、この手の車が2000ドル程度で買えたので、若者から幅広い支持を得たものでした。

このモデルも11シーズンという長期間販売された後、新型にバトンタッチしますが、新型のデザインは、妙な楔形に無理があり、ソレが居住性に著しい悪影響を与えたこと、そして、プラスチッキーなスタイルがイマイチ評価されたとは言えず、余り人気が盛り上がることもなく、2,002年に生産中止になっています。

4代目のデザインが、どうも弄り様がなくて、ノーマル然としたモノ以外余り見かけないのに対して、コチラは様々なカスタムを受けたものが、アウトローも含め、様々な層から支持されたものでした。

ただ、マスタングが上品なお婆さんから高校生まで、実に幅広く支持されたのに比べると、やはりカマロはアウトローな雰囲気が強く、誰にでも似合うクラスレスという訳には行きませんでした。


コピー機が売れない! 名門「リコー」の袋小路

無題
04 /24 2017
「会社としての存在意義さえ疑問視される」

 コピー機をはじめとした事務機器大手のリコーに対して、機関投資家や証券アナリストから出た言葉だ。4月に就任した山下良則新社長が、同社の課題について意見を募った際のことだった。

 名門リコーが深刻な苦境に陥っている。2016年度は年間の業績予想を4回も下方修正。現在は売上高2兆円に対して営業利益300億円を見込む。利益率はわずか1.5%だ。

■複合機の台数拡大も限界に

 4月12日には、今後3年間の中期経営計画を発表した。強調したのは、「過去のマネジメントとの決別」だった。

 決別すべきは、量を追う経営だ。複合機のデジタル化やカラー化の波に乗り、1990年代から2008年のリーマンショックまでは「野武士のリコー」と呼ばれた営業力で事務機器を拡販。販売代理店の買収で世界中に営業網を広げ、成長を続けた。

 だがリーマンショック後に企業が事務機器のコストを見直すと状況は一変。売上高は頭打ちとなり、営業網の拡大で増えた人件費がのしかかった。

 結局、販売力への依存が強すぎた。販社の営業員がシェア拡大のために過度な値下げを行うなど、本社は営業現場を掌握しきれず、他社に比べ収益性が低下しがちだった。事務機器本体だけでなく、利益率の高いトナーなど消耗品でも単価下落が続く。
打開策はあるのか
 事務機器依存からの脱却に向け、海外でITサービスなど複数の企業を、国内では2011年に数百億円でデジタルカメラのペンタックスを買収。だがペンタックス事業は4月に100億円の減損を強いられた。2011年に国内外で1万人を削減したが、もろもろの買収で社員数は元に戻ってしまった。

■このままでは赤字になる

 会社側は今のままでは2019年度に赤字になると試算しており、改革は待ったなしだ。

 今回の中計では、不採算案件を削減するほか、事務機器の機種の絞り込み、一部生産の外部委託、北米での過剰人員の削減などを掲げる。

 コストの削減策ばかりでもジリ貧になる。リコーは二つの分野を「成長領域」に据えた。一つは自社の事務機器と、電子黒板など顧客のオフィス内の他の機器とを連携させる仕組み作りだ。単品ではなくサービスで稼ぐことを狙う。もう一つが事務用ではなく食品パッケージや布など商用・産業印刷機への進出だ。

 キヤノンや富士ゼロックスといった競合も当然同様の分野に目をつけている。野村証券の和田木哲哉アナリストは、「他社に先行し差別化できる成長戦略は示されていない」と指摘。あるリコー社員は、「4月の異動では成長領域への配置転換もなく、具体的な戦略を社内で聞いたことがない」と話す。

 新たな成長の種を見つけられなければ、リコーの生き残りはおぼつかない。


リコーは2011年に、ペンタックスを数百億円という大枚叩いて買収していますが、ペンタックスは、その少し前に光学ガラスのHOYAに買収されたものの、その不採算部門のカメラ部門だけを買収したものでした。

既に不採算部音であることをあの時点で買収したことも驚異的ですが、例えばリコーと一緒になって、当初は売上を倍にするという計画であった様ですが、リコーの何処にそんな力があると思ったのでしょうか?

ペンタックスのカメラと言えば、一にも二にも一眼レフです。

しかし、その一眼レフも高級機から大衆機までキヤノンに押さえられている今日、ソレは絵空事でしか無かったのでしょう。

例えばリコーには、カール・ツァイスの様な魔力がある訳でもありません。

一眼レフはキヤノン・ニコンに押さえられ、ミラーレスはオリンパス・パナソニックのマイクロフォーサーズ陣営、ソニーに押さえられています。

そんな中、ペンタックスの売りとなると…良心的なラインナップ…。

しかし、そのラインナップが良心的だと分かる人は、カメラに詳しい人で、その人達は既にキヤノンやニコンを使っていたりします。

カメラに詳しくない人は…知名度の高いキヤノンかニコン、若しくはコンパクトで持ち運びに便利なミラーレスに…。

そんな具合に考えると、結局何処にも大したマーケットは残っていないのです。

そんな中で社運を掛けて投入したのが、フルサイズの一眼レフなんですから…それこそキヤノントニコンが圧倒的に強い市場で、一体何処に入り込む予定だったのでしょうか?

90年代、リコーはGRというコンパクトカメラで独自のポジションを築きましたが、コンデジ自体、スマホの影響で壊滅しています。

東芝の件もそうですが、やはり脳味噌昭和のままで、バブルの頃の成功体験が忘れられない年配者には、この時代、経営は無理なのかも知れませんね。

アメリカ2017 ニューオーリンズの景色

アメリカ旅行
04 /22 2017
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ニューオーリンズと言えば路面電車…南部の鬱蒼とした木々と、実によく似合います。

私の滞在した宿からダウンタウンまでは、歩けない距離ではないものの、コレを使うと便利でした。

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現在でも路線沿いには、こんなかつての地主の家の様な大きな家が並んでいます。

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ダウンタウンの景色…路面電車も、路線によって色が異なります。

この辺りでダウンタウンというと、この路面電車の走るCanal St.になりますが、栄えている部分は短いですし、正直、大した物は何もありません。

この通りを超えて北東に進むと、バーボン・ストリートに代表されるフレンチクォーターになり、そこが観光の中心となっています。

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既に紹介した通り、古い町並みが残っているのですが…直前までキューバに居た私には、全く魅力を感じることは有りませんでした。

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確かに他のアメリカの都市に比べたら、旧市街が上手く残っているものの…やはり食べ物といい、音楽といい、かなり残念な印象が強かっただけに、どうも、この街並みから特別な印象を受けることはありませんでした。

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その辺りは、まあ写真を見れば感じ取って頂けるのではないでしょうか?

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街を走っている車が、余りに醜悪で魅力のないことも、その感覚に拍車をかけた様です。

特に旧市街に、この様な背が高い醜悪なSUVは、本当に雰囲気を破壊しますね。

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やはり旧市街には、こんな車が無条件で似合いますね…。

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タバコをくゆらせながら新聞を広げる老人…時代は変わりました…。

ココもキューバも、同時代にスペインの植民地であった場所ですが、ハバナは当時、南米で最も豊かな都市であっただけあり、建物の出来もワンランク上ですし、やはりキューバの街が魅力的に見えたのは、車の影響も極めて大きかったと思います。

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キャデラックXTS... かつてキャデラックといえば、止まっているだけで、周りの景色に華を添えたものでしたが、今や環境破壊といって良いレベルです。

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かつてのフランス植民地というだけあり、カトリック文化が根付いており、この様な立派な教会があちこちに有ります。

コチラは、その中でも最大のセントルイス大聖堂です。

最初に建てられたのが1718年、当初は木造であったものの、2代目はレンガ造りになりましたが、1788年の大火で消失し、現在の建物は1794年に完成しています。

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ニューオーリンズとえばミシシッピ川…かつては河口の港街として栄えましたが、今でもこんなのが、観光客向けに用意されています。

このはるか上流のミズーリ-州で、かつてトム・ソーヤーが筏で大冒険をしたのです…と、そう思うと、何か感慨深いものがあります。

穏やかな昼下がり、ユッタリとした流れをしばし眺めていました。

全長5,971キロ…アメリカ最大の河川として有名なミシシッピ川ですが、その長さから想像した程大きな川という印象もありませんでした。

ココで言葉を交わしたホームレスの男性…私よりも随分と若い様に感じたのですが、アフガニスタンからの帰還兵で、怪我を追っていました。

世界中で戦争を起こし、そして、こういう負傷した人たちを見殺しにするのも、またアメリカの現実なのです。

カナダのホームレスと違い、金をせびるどころか、彼の持っていたウィスキーを一杯飲ませてくれたり、一瞬の温かい交流が、そこにありました。

それにしても、キューバよりも遥かに豊かな国にも関わらず、音楽、食べ物、景色…どれと取っても、正直かなり微妙な場所でした。

SEOお勧めのメール

IT関係
04 /18 2017
私が管理しているサイトに設置したメールフォームから、ある人からメールを受け取りました。

その内容が、サーチエンジン対策(SEO)のお勧めということでした。

曰く、私のサイトを点検した所、SEOがうまく出来ておらず上手く集客が出来ていない、彼らに任せれば、上位にランキングされるという事でした。

結構英語の長い文章だったのですが、読んでいて笑ってしまいました。

より良い結果を得るために、最新の言語「html5」を使うこと、そしてレスポンシブデザイン(スマートフォン対策)をやることを勧めているのです。

私のサイトは4年前から、当時は出たばかりであったhtml5で構築されていますし、レスポンシブデザイン(スマートフォン対策)も、同じく4年前から完璧に行っています。

それを「今後の課題」として勧められても…。

要するに、ウェブ管理者を相手にした詐欺なんですね・・・。

そのメールアドレスを検索してみたら、スパムとして扱われている様です。

最低限、サイトのコードくらい確認しないのか?と思ったところですが、恐らく皆に同じメールを送っているんでしょうね…。

大体、私のサイトがhtml5のレスポンシブデザインだという事が分からない様な人に、SEOなんか、とても任せられませんね…。

しかし、実際にウェブサイトを管理している人が、こんなメールに引っかかるものなのでしょうか?

仮にそうだとしたら、些かお粗末ですね…。

バイクの販売不振 「原付」が半減、駐車場不足も課題

ニュース
04 /17 2017
 バイクの国内での販売不振から抜け出す挑戦も見られました「第44回東京モーターサイクルショー」。しかし、不振の背景は複雑で決め手となる対策もいまだに不明で、消費者の動向とは別にさまざまな規制やバイク環境への無関心なども指摘されています。現状を見てみました。

【写真】バイクの“バブル時代”は終わった 人気復活へ多様性に活路
原付一種がここ10年で半減
 国内のバイク構成は排気量の小さめな車種が中心。国交省や日本自動車工業会などによると、2014年時点の全国の二輪車の保有台数は1182万台。道路運送車両法の区分の場合、いわゆる「原付」である原付一種(50cc未満)が666万台で半数以上の56%を占め、軽二輪(125~250cc)は197万台で17%、原付二種(50~125cc)162万台14%、小型二輪(250cc~)156万台13%と続きます。

 二輪車の使用用途は「通勤・通学」38%、「買い物や用足し」30%と日常生活の移動手段が中心で、「ツーリング」は11%。排気量が大きくなるとツーリングなどの趣味の利用が多くなるとしています。

 二輪車の販売台数の動きを見ると2005年の約74万台が、リーマンショックがあった2008年に56万台に急減、2009年にさらに40万台に減った後は若干の増減を繰り返しながら2014年は約45万台でした。

 原付一種が2005年の47万台から2014年には22万台へと半分以下に大きく減っているのが特徴。その半面、排気量が大きくなる小型二輪は同7万6000台から同7万台へと微減で、2011年以降は5万~7万台の増減を繰り返してほぼ横ばいを維持しています。

 軽二輪は2005年の10万台が2014年には5万4000台に半減。一方、原付二種は同8万8000台が2013年には10万台、2014年には消費税増税があったのにもかかわらず9万6000台と堅調なのが特徴です。
駐車場は増えたがまだまだ少ない
 経産省は今後の二輪戦略として「国内市場の活性化で海外市場での地位を高め、次世代への進化を実現しなければならない」と危機感もうかがわせ、「二輪車関係者が二輪車の新しい価値を提案し、さらに海外市場の獲得に向けて取り組みを」と二輪車が消費者の興味を引く魅力づくりが重要だと指摘しています。

 具体的な目標として同省は官民一体によるバイクキャンペーンの実施などを通じ、(1)2020年に国内販売100万台市場を実現、(2)世界シェア50%の達成、などを掲げているほか、二輪車の駐車場整備、二輪車の高速道料金、免許制度などについても早急に取り組む方針を示しています。業界のみならず国も「二輪低迷」の対策に乗り出したと言えます。

 都市部を中心に二輪の駐車場が不足していることもかねて指摘されてきました。法改正で2007年以降に自動二輪の駐車場の整備がしやすくなりましたが、業界団体による調査(2014年)で自治体の70%以上が「設置を検討したことがない」と回答。受け皿づくりがほとんど進んでいないことも二輪車利用の環境整備の障害になっています。 

 日本二輪車普及安全協会によると、二輪車の駐車場の整備は、2008年に全国でわずか536か所(収容台数約1万4000台)だったのが2013年には3131か所(約7万1500台)へと増えました。しかし、バイクの利用者から見るとどこの街角にもある自動車の駐車場に比べ絶対数は極端に少なく、利便性には程遠いのが現状です。バイク駐車場への自治体や地域の取り組みが期待されています。
都市部で集中的に行われた取り締まり
 一方で二輪車の駐車違反の取り締まりは2007年の52万件(全国)をピークにその後も20万件台が続き、二輪利用者は駐車場不足との板挟み状態に不満を強めてきました。特に取り締まりは東京で5万3000件、神奈川5万6000件、大阪3万件など(2013年警察庁調べ)大都市圏で集中的に行われたため、二輪車利用へのマイナスイメージが強まったと見られています。

 バイクの利用動向には、使いやすい「排気量の大きめの車種」への移行、50ccバイクの後退、駐車場などバイク環境の問題が複雑に反映しています。それがどのような意味を持つのか、行政や地域、利用者による検証を通じてバイク文化の創生にかかわっていくことが問われているようです。
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■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説。日曜ライダー

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 - コレが130万と言われても…悪いが外車に行きます…。

オートバイという乗り物は、元々駐車場の少ない都市部で、より人気のあるものでした。

それが、記事にも有るように、都市部を中心に集中的に取締が行われたこと、コレの影響は大きかったことでしょう。

その上、コレだけ台数が少ないにも関わらず、厳しい排ガス規制を課せられたことから、車両価格が大幅に上昇した挙句、現在、生産中止が相次いでいます。

その上、現在、バイクブームの80年代に比べ、大幅にバイク年齢が上昇しているにも関わらず、バイクメーカーが作っている車種というと、ガキっぽいガンダムみたいなデザインばかり。

とても平均年齢50歳の人が好むようなデザインとは思えません。

車両本体も、輸出仕様の廉価版を仕立て直したような物か、クソ高い大型車…コレなら、仮にバイクに乗るとしても、国産車は視界に入ってきません。

あとは、日本の教育でしょう。
私が中学生の頃、エンジンの構造を技術の授業で習い、スーパーカブのエンジンの分解をやったものでした。

ソレがバイクに興味を持ち出す年齢ということ、そして、16歳になれば免許取得…こういう具合に、子供の興味が上手く車やバイクに向かっていったのです。

そして、クラスメイトとバイク雑誌を囲み、エンジンに関して、ああでもない、こうでもない…と、延々と話し合ったものでした。
コレは大学の工学部の話ではなく、普通の高校の話しです。

今の大学生に話を聞いて驚きました。高校の技術の時間に電動糸ノコを使った木工をやったとか…そんなの、私達が小学生の時にやった事です。

ココまで教育レベルが落ちているとは・・・。

元々身の回りに軽自動車や不格好なミニバンしか無くて、教育でも一切触れられない…となれば、興味を持つ訳がありません。

1.駐車場の問題
2.排ガス規制
3.魅力ある車種が無い
4.教育の問題

要するに、バイクを取り巻くあらゆる条件が、人々をバイクから遠ざける様になっているのです。

この記事は、バイクの駐車場問題が諸悪の根源と言いたいのでしょうが、それ以外の面に全く目が向けられていないのが片手落ちです。

若い人が今の段階で興味ないんですから、その人達が今後興味を持つ可能性は非常に低いですし、今後の世代だって同じことです。

日本の自動車産業というものは、国民が車やバイクが好きということが前提で成り立っているものなのです。
その辺りの努力を一切行わなかったメーカーにも、大いに責任があります。

まだ、小金の有る団塊世代、そしてバイクブーム世代が何とか支えているところですが、その世代が引退すれば、目も当たれれない状態になりますよ!

法律の絡む問題は難しいにしても、最低限、もう少しマシなデザイン位出来るでしょうに!社員でソレが駄目なら、社外コンテストでもやれば良いんです。

それ位の柔軟性が無ければ、本当に後はないですよ!

それにしても、私のような素人でさえ、これだけ原因が挙げられるのに、プロの方々が原因がよく分からないって…。

アメリカ2017 ニューオーリンズ バーボンストリート

アメリカ旅行
04 /16 2017

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ニューオーリンズ バーボン・ストリート

ニューオーリンズの旧市街フレンチ・クウォーターのメインストリートは、バーボン・ストリートと呼ばれています。
この辺りには、ネオンサインと共に、様々なバーやクラブが立ち並んでいます。
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バーボン・ストリート…この名前を聞いただけで、殆どの人が連想するのは、飲み屋街だと思いますが、実はこの名前は、フランスの「ブルボン王朝」に因んだ由緒正しいもので、Bourbon=ブルボンの英語読みなのです。
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北アメリカの歴史は、フランスによる現在のカナダ東部の植民地化によって、後のアメリカとして独立するイギリス植民地よりも早く始まっており、その勢力はやがてミシシッピ川に沿ってメキシコ湾まで達し、ルイジアナは、そのフランス植民地として歴史が始まっているのです。
因みにルイジアナ=Louisinanaという名前は、ルイ14世=Louis 14thに因んだものです。
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この辺りは、1718年にフランス人によって開拓が始まっており、1763–1802年の間、スペインの領土になっていますが、1794年の大火で多くの建物が失われ、現在残っている多くの建物は、スペイン時代のものだと言われています。

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1803年にルイジアナがアメリカに買収されていますが、その後も多くのフランス系の人々が残り、独自の文化が築かれていきました。

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 - 1803年にアメリカが、フランスから買収したルイジアナ地区(グリーン)。
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1920年代には同地区の保護が始まったことから、他の都市に比べ、荒廃による再開発の影響が最小限に留められているのが、ココの特徴です。
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さて、マルディグラの狂乱を終えたバーボン・ストリートは、本来の姿に戻りました。
それまでの人の波が、まるで嘘の様に…。
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流石はデキシーランド・ジャズの発祥地…と言いたいものの、この街で耳にした音楽に感心させられることは、全く有りませんでした。正直、同じストリート・ミュージシャンでも、ニューヨークの方が、遙かにレベルは上です。

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昼間は車が通るこの通りも、夜になると交通が遮断され、歩行者天国になります。

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やはり昼間よりも、ネオンサインのきらびやかな夜こそが、この通りの真の姿なのかも知れません。
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デキシーランド・ジャズの街…確かに生の音楽は、アチコチから聞こえてくるのですが、正直音響もいい加減、選曲もいい加減で、とても金を払ってまで聴く様な代物には思えませんでした。
既にアメリカ人は、デキシーランド・ジャズというものを知らないのかも知れません。聞こえてくる音楽というと、7~80年代のポップスであったり、変なラップであったり、何でもかんでもごちゃ混ぜ…というのが正直な感想でした。
日本の方が、遥かに上質なジャズを耳にする事ができるでしょうし、やはりアメリカの観光地というものは、いい加減なものを高い値段で売り付けるということで徹底しており、音楽の街としては、正直、全く魅力の無いものでした。

2017アメリカ マルディグラ2017

アメリカ旅行
04 /12 2017
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さて、ニューオーリンズの謝肉祭「マルディグラ」ですが、この祭りに関しては、破廉恥な行為でも有名なのです。

マルディグラの動画を検索すると、必ず出てくるのが、胸を露出した女性を集めたものです。
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胸を露出した女性に、マルディグラ特有のビーズの首飾りをあげる・・・という奴なのですが、確かにソレも行われているのですが、現在出回っているその手の動画は、10年以上前の物が多い様で、現在でも行われてはいるものの、かつてと比べて、かなり減ったということです。

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そのビーズは、パレード中に山車から観客に向かって投げられるモノですが、店でより品質の良い?モノを購入する事もできます。
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 - マルディグラのビーズ…パレードで入手したものの「ほんの一部」です。
タダの物は、当然タダというだけあり、街中に散乱して、その量たるや、凄まじいものでした。
その上街では皆飲酒をしており、この期間だけは、路上での飲酒が黙認されるのです。これも、イースターの断食前に思いっ切り羽目を外して楽しもう…という、カトリックの文化なのです。
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とにかく人、人、人…フレンチクォーターのメインストリート「バーボン・ストリート」の混雑は、尋常では有りませんでした。
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この日は、2月28日のマルディグラ当日だけあって、その人手は凄まじいものでした。

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上から “Show your tits!” という囃し立てます。

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ソレに応える女性の一例… ソレに対して、ビーズの首飾りが上から投げられます。
コレの一体何処がカトリック文化なのか…とも思いますが、同時に厳しい戒律のカトリックだからこそ、来るべく断食を含む受難節を前に、思いっ切り羽目を外そうという庶民…、故に、こんな楽しくも、何処か物悲しく、退廃的な文化が生まれたのかも知れません。
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当然街はこんな具合です・・・。
この日は、午前0時までこんな状態が続き、その後は、付近のバーやクラブに入って飲み直す…という習わしになっていますが、旅行中ということもあり、前日から同じ様な感じなので、流石に疲れて、あまり遅くならないウチに宿に戻りました。
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バンクーバーに住んでいても、アメリカのしかも南部の方に行くということは、余り考えられません。地理的にも遠く、特に用がないからなのですが、今回、折角キューバまで来たということで、その序にココまで来ることが出来ました。

もう一つ分かったのは、マルディグラ当日よりも、寧ろその数日前辺りから来ていた方が、より楽しめるであろう…という事です。
まあ、一度どんなものか見てみたいとは思っていたので、良い体験だったと思います。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。