アメリカ2017 グレースランド
アメリカ旅行テネシー州メンフィスといえば、あのエルビス・プレスリーの生誕地として有名ですが、かつて、彼が住んでいた家は、グレースランドとして、観光地化されています。
このグレースランドに行く方法を宿で確認すると、タクシーか、プレスリーが最初にレコーディングをしたサンスタジオのツアーに参加すると、グレースランド行きのシャトルに乗れる…という事でした。
私がGoogle mapで調べたところ、そんな回り道をしなくても、普通にバスが出ているのですが・・・どうもソレを聞くと、スタッフもイマイチ歯切れが悪いのです。
私は天性の音楽センスの無さから、敢えてサンスタジオまで行く程の熱意もありません。
普通にバスに乗って、行くことに決めました。
途中で一度乗り換えがあるのですが、そこで、スタッフの歯切れの悪い理由がわかりました!
どう見ても其処は、貧困地帯なのです!低い、魅力の無い建物が軒を連ね、店といえば安さを売りにした様な店や、大きな質屋!コレは決定的なのです。
バスの中も外も、白人の姿は皆無、私以外は全員黒人です。何処まで行っても続く殺伐とした光景の中を30分程走ったでしょうか?ようやくグレースランドに到着しました。
近くの交差点付近にも、店といえば、スタンド、ファーストフード点、自動車部品の店…こんな程度です。
グレースランドの入り口は、プレスリーの家ではなく、その反対側の敷地にあるミュージアムなんかが軒を連ねる所にあります。
そこで入場料を払い、簡単な説明を受け、映画を見てから園内を走るシャトルバスで、プレスリーの家に行きます。
それにしても、随分と高い入場料ですね…一番安いのが、家を見るだけのツアーで38.75ドル、家と各展示を見るツアーが57.50ドル、更にVIPツアー93.75ドル、個人ガイドが付くUltimate VIPツアー159ドル等がありますが、私は家と各展示を見る57.5ドルのツアーにしました。
エルビス・プレスリーと言えば、当時の世界トップクラスの富豪です。さぞかし豪勢な家というのを予想していたのですが、確かに上質な物を揃えているのですが、例えば金や大理石で飾り立てる様な感じではなく、寧ろ私に言わせれば、あの収入を考えたら、かなり質素なのではないか?というのが正直なところでした。
時代は違うにしても、例えばあのアグネス・チャンなんかの下品な豪華さもまた、その人柄を表していると言えるでしょう。
確かに彼は、車や自家用飛行機といった贅沢はしていますが、寧ろどちらかと言えば奥ゆかしい方だったのではないか?というのが、ココに来て初めて感じた印象でした。
ミュージアムには、様々な車が展示されていますが、成金趣味の下品さは皆無でした。
その上、既に私が述べた通り、延々と貧しい地域を走ってきた…という事実です。
アレ程の人が、ビバリーヒルズやベルエアといった高級住宅地ではなく、当時は何もなかったであろう場所という事を考えても・・・。
正直あの大きさの家、敷地は、アメリカの田舎に行けば、そんなに珍しいものとは言えません。
当時は、さぞかし静かな場所であったに違いありません。
家の見学が終わると、再び道路を挟んだ向かい側に行き、そちらではプレスリーの愛車、衣装等が展示されています。
コチラは車のコーナーです。
車好きで知られたプレスリーですが、この中でも、彼の最もお気に入りは、この55年型キャデラック・フリートウッドであったといいます。
やはりコレが、プレスリーのシンボルでもあるのです。
コレは彼が有名になった後も手放さずにいた数少ない車で、後に母が乗っています。
この希少なコンチネンタル・マーク2も、彼が所有していたことで有名です。
そして、何と言っても圧巻なのがコレ・・・Stutz Blackhawk... コレはStutz Motorsという少量生産の高級車メーカーの製品で、$22500ドルという、当時としては極めて高価な車でした。キャデラックですら5000ドル程度で買えた時代です。
そして、プレスリーが最後に運転した車も、コレだったと言われています。
こんなのも有りました…プレスリーは、バイクファンでもあり、数多くのバイクに乗っていたものの、コレがほぼ唯一のホンダ車であったそうです。
プレスリーは、人気絶頂期に徴兵さえているのも有名な話しですが、コレがその当時の制服です。
軍服姿のプレスリー・・・。
自家用ジェット機「リサ・マリー号」…コレも内部を見ることが出来ますが、別料金になります。
家の向かい側に、これだけの広大な敷地を用意できたこと、更には、こんな観光客向けホテルを建てるスペースが有ったこと…そのことからも、当時はこの辺り、何もなかったことが容易に想像つきます。
現在ですら、洒落た待ちというには程遠い殺風景な場所で、店と言ってもこんな感じです。
正直、グレースランド以外に何も無い地域でした。
まだ観光シーズンではないこと、平日で天気もいまいちだったこともあり、館内は非常に空いていました。
また、同時に感じたのが、ファンの高齢化です。まあ当然と言えば当然なんですが、平均年齢はやはり60代という感じだったのではないでしょうか?
若い人といえば、両親と一緒に来た子供たち…という感じでした。
日本でも、石原裕次郎記念館が、ファンの高齢化と共に客足が遠のき、閉館が決定されたのと同じことです。
しかし、今までプレスリーというと、金満家というイメージを持っていたのですが、当然そうではあるものの、家はその人を表すと言いますが、その家からは、同時に何処か奥ゆかしさを感じたのが、今回の大きな収穫でした。
こんなのを買ってしまう私は、やはり日本人ですね…。
昼食は、館内にカフェテリアが有ったのですが、当然有るものといえばハンバーガーの類ばかりで、しかも値段も観光地価格です。
そこで、外に出てファーストフードで済ませました…。
しかし、これだけ観光客が来るであろう場所に、その程度の店しか無いのも、なんか不思議なものですね。
帰りは、再び来る時に乗ったバスを使いました。時間が有ったので、途中下車して道沿いにある店なんかを見て回ったのですが、何処も入り口で荷物を預ける様に言われます。
コレも、治安の悪い地域で一般的なことなのですが、正直高価な撮影機材を預ける気にもなれず、大して見ることは出来ませんでした。
スポンサーサイト