1992年、時のブッシュ大統領がアメリカビッグ3のCEO及び部品業者を多数連れて訪日し、大統領によるアメ車の押し売りが行われました。
ソレと前後して、日本の各社がアメ車の販売に参入することになったのです。
ホンダのジープ販売
ホンダは、ソレ以前からジープの販売を行っていましたが、ソレは急速なSUVマーケットの拡大に対して、自社製の車が無かったからでした。
その品質たるや凄まじいもので、初年度に200箇所もの改良を要求したと言われています。
当初はフル装備の車を500万程度で販売していたものの、後にスポーツというシンプルなバージョンを300万円台で販売し、コレが結構売れました。
しかし、ソレを快く思わなかったのが、当のクライスラーだったのです。自社の車が軒並みホンダで売れているというのが気に入らなかったのです。
そこで取り上げてやれ!ということになり、ホンダとしても、自社製のCR-Vが出来た上に、トラブルが多くて面倒だから渡りに船…と、お互いに円満離婚となったのです。
その後、ホンダの販売力あってのセールスだったことを思い知ることになります。
ホンダはジープの他にも、ランドローバー・ディスカバリーをホンダ・クロスロードとして販売したり、いすゞ、ビッグホーンとμのOEM販売も行っていましたが、その中ではダントツ、ジープの販売台数が目立っていました。
尚、通常のクライスラー車は、ホンダでは取り扱わずに、東京では西武自動車が取り扱っていました。
因みにホンダは、70年代に中古車販売部門ホンダ中販をHISCOに改組し、フォード車を販売していた時期もありました。
GMのポンティアック・グランダム
GMは今まで通りヤナセが主体にやっていましたが、スズキやいすゞもGM繋がりで販売を行っていました。
乗用車撤退前のいすゞは、ポンティアック・グランダムの販売を行っていました。
スズキもポンティアック・グランダムや、シボレー・コルシカ、ベレッタを販売していました。
当時の日本GMは、ポンティアック・グランダムを日本市場の戦略車として設定し、この車がアメ車で初めて日本国内で型式認定を得たり、新聞でマーク2との比較広告を売ったりと、それなりに頑張ったものの…。
280万という価格は、当時のマーク2と同等の価格で、アメ車としては異例に安い価格だったのですが、いくらフル装備にしたところで、所詮元が安車だけあって、土台無理な話でした。
尚型式認定ですが、日本で車を販売するには、運輸省の型式認定を取得すれば、同系モデルは検査無しで販売出来る様になります。
反面、型式認定が無い車両は、一台一台検査を受ける必要があり、それまでのアメ車は全てソレであり、故に販売価格にも手間賃が加算されていたのです。
トヨタ・キャバリエ
そして極めつけは、トヨタによるシボレー・キャバリエの販売でしょう。
トヨタとGMが共同で小型車を設計し、ソレが次期キャバリエになり、日本でもトヨタから販売される…その結果が、あのトヨタ・キャバリエでした。
「トヨタ品質のアメ車」を期待していた所、出てきたのは「アメ車品質のトヨタ車」…結果は散々で、政府機関に安売りされた後、ニュージーランドに投棄されました。
アメ車としては始めての右ハンドルが設定され、既に有ったドイツ車の右ハンドルとも違い、ウィンカーレバーとワイパーレバーのレイアウトも日本車と同じになり、更にはボディパネルのチリも、アメリカ向けのシボレーに比べるとかなりマシになっていました。
ところが日本仕様に選ばれたエンジンは、当時の日本製ライバルに合わせて2.4リッターDOHC4気筒だったのですが、コレはアメリカでは欠陥エンジンと呼ばれる程にトラブルの多いものだったのです。皆僅か数年でウォーターポンプが漏れてくるのですが、正に半分エンジン降ろす様な大事な作業でした。
日本最大の販売力を誇るトヨタの力を持ってしても売れなかった…この事は、アメリカ車の売上不振の理由が、アメ車の魅力不足にあることを決定的にしました。
サターン
- カローラでなく、コレを買うメリットが一体何処に有るんだか?
GMといえば、サターンを忘れる訳には行きません。サターンというブランドについては、すでに当ブログでも取り扱いましたが、サターンがアメリカで成功した販売方法をそのまま日本に持ってきて、「礼を尽くす会社」というキャッチフレーズで大々的に宣伝しました。
しかし、いくら宣伝しようと、顧客サービスが良かろうと、肝心な車がアレでは…
何たって最大のセールスポイントが、傷付きにくい、ぶつけても凹みにくいプラスチック製の外装だけなんですから!
結局僅か4年で撤退し、あのキャッチフレーズが寒々しく思えたものでした。
オートラマ
マツダは、従来のマツダ車をフォードブランドで売る「オートラマ」系列に於いて、トーラスを始め段々とアメ車の販売を増やしていきましたが、やがてフォード日本になり、アメ車販売を主とする様になりました。
その他フォードの販売は、千葉トヨペット、東京日産といったディーラー単位でも扱われましたが、皆数年で撤退しています。
フォードも90年代初頭、新型マスタングやトーラスが好調であったことから、急速にディーラー網を拡大したものの、95年モデルのトーラスが不振を極めた辺りから雲行きが怪しくなって行きました。

- コチラは不振を極めました。
こんな具合に、アチコチで散発的に色々な試行が行われたものの、正直どれも上手く行ったとは言い難く、数年で終了しています。
一時は爆発的に拡大したフォードのディーラー網ですが、その多くが元田舎の中古車だったこともあり、その後は縮小一辺倒でした。
こんな具合に、一時はその運気が盛り上がったものの、その当のアメ車自体に魅力がなかったこともあり、長続きしませんでした。
そしてブッシュ大統領と宮沢首相の間で、一定台数のアメ車の販売を約束したものの…結局はその殆が、アメリカ製のホンダ車、トヨタ車…という結果に終わったのです。
- アコードワゴン…アメリカ製ながら、セダンよりも売れました。
今から思うと、非常に活気があった90年台前半のアメ車業界ですが…すでにこんな話も忘却の彼方へと追いやられようとしています。