1970年代に黄金期にあったフォード・モーターの社長を務め、その後80年代は破綻の危機にあったクライスラー(現フィアット・クライスラー・オートモービルズ)会長として同社を救ったリー・アイアコッカ氏が2日、死去した。94歳だった。米メディアが相次いで報じた。
自動車業界にとどまらず米産業界を代表する経営者として同氏を評価する声は多い。
フォードの販売部門で頭角を現したアイアコッカ氏は60年に同社のフォード部門のトップに就任。今も残る名車「マスタング」の開発を指揮するなど、同社の躍進を支えた。
70年にフォード社長となり業績を拡大させるが会長だった創業家のヘンリー・フォード2世と衝突。78年に社長職を解任された。ただ、79年にはクライスラーの会長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、自動車業界に返り咲いた。
当時の米自動車メーカーは2度の石油ショックで新車需要が落ち込み、ビッグスリーで最も規模の小さかったクライスラーは破綻の危機にあった。アイアコッカ氏は就任直後に米政府から15億ドルの債務保証を取り付けるなど会社救済に剛腕を発揮した。コスト削減も推し進め、自身の給与を1ドルに引き下げている。
ガソリン高を受けた日本車の輸入増と米メーカーの不振を問題視した米政府は、クライスラー救済と同時に日本に対米輸出の削減を求めた。日本車メーカーは81年に輸出台数の自主規制に追い込まれた。
政府の支援で息を吹き返したクライスラーは85年に当時の三菱自動車工業と米国での合弁生産契約を締結。日本で記者会見したアイアコッカ氏は「日本が守るべきなのは自国市場ではなく米国市場だ」と主張し、円安是正や市場開放を訴えた。
92年にクライスラーを辞め引退生活に入ったが、99年に電気自動車(EV)会社を立ち上げるなど常に自動車の世界に関わり続けた。
リー・アイアコッカ氏はイタリア系移民の子供として生まれ、戦後間もない1946年、フォードに入社しました。
当時のフォードは、ヘンリー・フォード二世が社長に就任したばかりで、エドセル・フォードの死去後、社長に返り咲いたヘンリー・フォードによる経営は既に時代遅れとなっており、社内は規律を失い、裏組織のベネット一味が好き放題に経営を牛耳っている様な状態でした。
そんな中で元々技術畑出身ながら、企画、販売で大きく力を奮ったのが氏の特徴で、初代マスタングの成功は誰もが知る所です。
その後は不振のリンカーン・マーキュリー部門に移り、リンカーン・コンチネンタル・マーク3を大ヒットさせ、マスタングの兄貴分、マーキュリー・クーガー、そして4ドアセダンのグランドマーキスをヒットさせ、その成功から、70年にフォードの社長に就任しました。
要するに私たちがカッコいい…と思うフォードは、軒並みアイアコッカ氏の手にかかっている訳です。
反面、フォード・ピントの爆発炎上問題、それをリコールせずに大問題に発展したという影も付きまとうのですが・・・。
1978年にヘンリー・フォード二世との対立からクビになり、クライスラーの社長に就任しましたが、当時のクライスラーは、正に経営危機の真っ只中。
更に79年に勃発した第二次オイルショックがクライスラーに経営にとどめを刺すことになったのです。
連邦議会では批判一辺倒の中「今クライスラーを倒産させれば、失業保険だけで年間20億ドルはかかる。その全く戻ってこない金を払うのか、その半分の10億ドルをクライスラーに融資するのと、どちらがアメリカにとって得なのか考えて欲しい」という名文句で政府から融資を引き出し、それを予定より7年早く返済したことで、大いに話題になりました。
クライスラーでは、フォード時代のボツ企画であったKカーをヒットさせ、更にソレをベースにしたミニバンを大ヒットさせました。
同時に悪名高いセールスバンクの廃止、フルサイズからの撤退、北米以外からの撤退というリストラも行なっています。
現在クライスラーの稼ぎ頭であるジープを生産していたAMCを、皆の反対の中、独断で押し切って買収したのもアイアコッカ氏でした。
反面、インペリアルの復活や、クライスラTC by マセラッティー、ランボルギーニの買収の様な失敗例もありますが…。
そして、アイアコッカ氏を失ったフォードといえば・・・時代遅れのゴミみたいな車に終始し、あのヘンリー・フォード二世も、一躍時の人となったアイアコッカ氏の活躍を目の当たりにした直後に鬼籍に入っています。
アイアコッカ氏は、経営不振の時には凄まじい力を発揮するものの、経営が安定するとイマイチという傾向が見て取れ、80年台後半にクライスラーの経営が安定した後も、ニューモデルを投入せずにKカーの化粧直しでお茶を濁し続けた結果、90年台初頭の景気低迷の煽りを受け、再び経営悪化を起こし、LHカーを最後の置き土産として92年にクライスラーを去りました。
マスタング、マーク3、クーガー、グランドマーキス、ルバロン・コンバーチブル…氏の作品に共通しているのは、安い車をベースに非常に効率的にクルマづくりをしていることでしょう。
そしてメディアに積極的に顔を出すのも特徴でした。
クライスラーの最後の頃は、日本叩きでも知られましたが、同時に日本の凄さを誰よりも知っている人だったのです。
こんなジョークがあります。
アメリカの小学校の歴史の授業でのこと。
先生 「自由か、さもなくば死を!と言ったのは誰でしょう?」
日本人のHanakoがただ一人手を挙げて
「パトリック・ヘンリー 1775年」
先生 「人民の、人民による、人民のための政治…」
Hanako 「エイブラハム・リンカーン 1863年」
先生 「日本人のHanakoが答えられるのに、皆さんは何で答えられないんですか?」
すると教室の後ろの方から "fuckin' Jap!" という声が…
先生 「誰ですか、そんな事を言うのは?」
Hanako 「リー・アイアコッカ 1985年」
コレは、アイアコッカ氏の自伝にも書かれているのですが、何れにしても、氏が有名であったからこそ、こんな小話が生まれたりしたのです。
アイアコッカ氏の去ったクライスラーと言えば…LHカーを始め新しい車を連発しましたが、正直どれも大した車とは言えず、だったらシンプルで整備性の良いKカーの方が良かった…なんて思ったものでした。
その後もクライスラーのみならず、ビッグ3の経営は不振を極め、今や風前の灯といった具合です。
そんな時代だからこそ、余計にアイアコッカ時代のフォードやクライスラーの車が魅力的に見えてしまったりするのです。
既にビッグ3の社長の名前すら知らない今日…それだけこの業界に興味がなくなったという事なのですが、それは、魅力的な経営者が居ないということでもあります。
あの頃活躍された方が既に90代…80年代も遠くなったと改めて思い知らされる気がします。
謹んでご冥福をお祈りします。