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メルセデス・ベンツ・スプリンター2500 タイヤの空気圧?

修理
07 /29 2019
最近は、多くの車にタイヤの空気圧の低下を知らせるTPMSが付く様になりました。
コレは空気圧の低下を知らせるという面で便利である半面、トラブルも時々あります。

先日、職場の一台でダッシュボードに警告灯が点灯していました。先ず最初にすることは、普通にタイヤの空気圧を点検なのですが…。

それで全く問題有りませんでした。

そうなると、この時点で素人にはお手上げで、スキャンツールが必要になります。
今回のヤツは、スキャンツールで点検したところ、4輪とも空気圧、温度、センサーの状態全て異常なしと出ました。

さて、どうしたものだか…。

私達の使っているスキャンツールでは、更に各センサー毎により詳しい情報を引き出すことが出来るのですが、ソレを見てアレ?っと思う事がありました。

後輪の両方だったのですが、センサーが読み取った現在のタイヤの空気圧5.0 Bar…コレは若干高目ですけど問題ありません。そして、規定の空気圧は…何とゼロになっていました!

何処でどう間違ったのか知りませんが、こういう事もあるのです。
この既定値に関しては、スキャンツールで設定することが可能で、4.8 barに設定し直してやったところ、無事警告灯は消えました。

仮にセンサー自体がトラブルを起こしていた場合は…というと、センサー交換にタイヤチェンジャーが必要ですし、更に交換後、スキャンツールを使って新しい部品のシリアルナンバーを設定し直してやる必要があるのです。

本来は、タイヤの空気圧低下を警告するという有り難いシステムも、こういうワケの分からないトラブルを起こすこともあります。

そして、その修理には、専門業者の手が必要…。正直空気圧程度でそんなの必要なのか?と思いますね…。

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インターナショナル・マックスフォース 冷却水漏れ

修理
07 /14 2019
インターナショナル• マックスフォースの冷却水漏れです。

エンジンの前から漏れている様に見えるのですが、そんな簡単に確認できる様な設計ではありません。

隙間という隙間が全くないので、照明もミラーもスコープも全く役に立ちません。

視界を確保するために、とりあえず規定圧力に加圧した状態でベルトを二本外しました。そのベルト外しだけで既に手がギタギタになります。

誰でしょう? アメ車は整備性が良いなんて言うのは?

一応最初よりは見える様になったものの…それでも漏れは全く特定出来ません。取り敢えずウォーターポンプじゃない様なのですが…じゃあ一体何処から?

イメージ 1



更に冷却ファンやプーリーといった部品を外して視界を確保しても、一向に漏れの位置が確認できません。

分解とは簡単にいっても、漏れを確認するために冷却系のホースを外せないという制約が付くので、余計に困難な作業となります。

帰る前に床に新品の段ボールを置いていくと、朝にはシミが出来ているので、確実に床に何処かから漏れてはいるのですが…。

加圧する圧力を変えてみたり色々やったのですが、サッパリ分かりません。
ただ、エアコンのコンプレッサーのブラケットボルトの辺りがずっと濡れてはいるのです。

床に垂れる程じゃないのですが。


イメージ 5


- これを取り外すのに一苦労!

その奥を点検するには…エアコンのコンプレッサーを取り外し、ブラケットを取り外しますが、整備性なんて皆無な位置にボルトが付いていますし、そのブラケット一つ取っても重いこと…。

苦労の末ブラケットを取り外し、結局その辺りを時間を置いて何度も確認したところ、ようやく滴り落ちる水滴を発見!

イメージ 4

そのブラケットの裏にあるのが、ウォーターポンプ、サーモスタット、ラジエーターホースが取り付けられるハウジングになっているのでした。

イメージ 2

ソレを取り外す為に外した部品の数々...

左端のアルミの奴が犯人です!

わずか一本のボルトのために50キロはあるであろうエアポンプ(写真4枚目中央の黄色い紐がついた奴)を下ろしたり、一本のボルトと二本の冷却系の配管を外すためにインテークまで降ろしたろ…整備性なんて事、まるで発想に無いですねコレは。

イメージ 3



本来なら過酷な使用に耐えるべき商用車がロクに整備も出来ないとは、全く論外ですね。

何か一つ取り外すには、その隣の部品が邪魔で、その隣の部品を取るには、更にその隣の部品が邪魔...という風に延々と続くのです。

因みにこの車両、元市バスだったものですが、前回の作業者がファンシュラウド(4枚目の写真の左奥の黒い奴。冷却ファンの周りに付いています)を割っていました。

しかし、ソレが割れていたお陰で今回の作業が少し楽になったのです。

早い時期に冷却ファンを取り外したのですが、本来の手順で冷却ファンを取り外すには、ファンシュラウドを一緒に取り外す必要があり、更にソレを取り外すには、ラジエーターのロアホースまで取り外さないといけない上に、そのホースクラブは着脱不能で切らないとダメ、切れば高い確率でホースも痛める…更にオートマのオイルクーラーも配管を取り外さないと…何処から何処までもアホの極みです!

割れていらお陰で、ファンシュラウドを取り外す事なく、無理やり冷却ファンを引っ張り出すことに成功したのです。

ラジエーター周りを全て取っ払えば簡単か? ソレすら莫大な手間です。

日本ではホンダが整備性悪いなんて言いますが、コレに比べたらカワイイモノです。

国土の大きいアメリカでは…なんていう戯論、コレを見たら信用できませんね!

車内のニオイ…

修理
07 /07 2019
先日、定期整備に入庫したバスですが、室内の点検中、どうも室内のニオイが気になったのです。

ニンニクの様な… まあ、取り敢えず窓を全開にしてる整備を続行しました。

定期整備とは言え、小型車の様に簡単には行かず、半日- 場合によっては丸一日かかります。

その車両は朝イチで始め、2時過ぎには作業を終えたのですが、6時間経っても全くニオイが取れていませんでした。

コレじゃ客商売に影響あると思い、室内をあちこち点検したものの、ニンニクは発見できませんでした…。

諦めようと思いながら、ふと手を頭上のラックにやると…紙製の箱のようなものに触れました。

何だろうと思って開けてみたら…食べかけのチャーハンでした!

その前日のツアーのお客さんが忘れた物なのでしょう。
しかも炎天下のバスの中で一日中温められて…。

原因が分かったので、処理した後、消臭剤をぶち撒けました。

お客さんも故意にやった訳じゃ無いと思うのですが、こういうのは迷惑ですね…。

そして、それに気が付かなかった清掃係も...

リー・アイアコッカ氏死去 クライスラー元会長

ニュース
07 /04 2019
1970年代に黄金期にあったフォード・モーターの社長を務め、その後80年代は破綻の危機にあったクライスラー(現フィアット・クライスラー・オートモービルズ)会長として同社を救ったリー・アイアコッカ氏が2日、死去した。94歳だった。米メディアが相次いで報じた。

自動車業界にとどまらず米産業界を代表する経営者として同氏を評価する声は多い。

フォードの販売部門で頭角を現したアイアコッカ氏は60年に同社のフォード部門のトップに就任。今も残る名車「マスタング」の開発を指揮するなど、同社の躍進を支えた。
70年にフォード社長となり業績を拡大させるが会長だった創業家のヘンリー・フォード2世と衝突。78年に社長職を解任された。ただ、79年にはクライスラーの会長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、自動車業界に返り咲いた。
当時の米自動車メーカーは2度の石油ショックで新車需要が落ち込み、ビッグスリーで最も規模の小さかったクライスラーは破綻の危機にあった。アイアコッカ氏は就任直後に米政府から15億ドルの債務保証を取り付けるなど会社救済に剛腕を発揮した。コスト削減も推し進め、自身の給与を1ドルに引き下げている。
ガソリン高を受けた日本車の輸入増と米メーカーの不振を問題視した米政府は、クライスラー救済と同時に日本に対米輸出の削減を求めた。日本車メーカーは81年に輸出台数の自主規制に追い込まれた。
政府の支援で息を吹き返したクライスラーは85年に当時の三菱自動車工業と米国での合弁生産契約を締結。日本で記者会見したアイアコッカ氏は「日本が守るべきなのは自国市場ではなく米国市場だ」と主張し、円安是正や市場開放を訴えた。
92年にクライスラーを辞め引退生活に入ったが、99年に電気自動車(EV)会社を立ち上げるなど常に自動車の世界に関わり続けた。


リー・アイアコッカ氏はイタリア系移民の子供として生まれ、戦後間もない1946年、フォードに入社しました。

当時のフォードは、ヘンリー・フォード二世が社長に就任したばかりで、エドセル・フォードの死去後、社長に返り咲いたヘンリー・フォードによる経営は既に時代遅れとなっており、社内は規律を失い、裏組織のベネット一味が好き放題に経営を牛耳っている様な状態でした。

そんな中で元々技術畑出身ながら、企画、販売で大きく力を奮ったのが氏の特徴で、初代マスタングの成功は誰もが知る所です。

その後は不振のリンカーン・マーキュリー部門に移り、リンカーン・コンチネンタル・マーク3を大ヒットさせ、マスタングの兄貴分、マーキュリー・クーガー、そして4ドアセダンのグランドマーキスをヒットさせ、その成功から、70年にフォードの社長に就任しました。

要するに私たちがカッコいい…と思うフォードは、軒並みアイアコッカ氏の手にかかっている訳です。

反面、フォード・ピントの爆発炎上問題、それをリコールせずに大問題に発展したという影も付きまとうのですが・・・。

1978年にヘンリー・フォード二世との対立からクビになり、クライスラーの社長に就任しましたが、当時のクライスラーは、正に経営危機の真っ只中。

更に79年に勃発した第二次オイルショックがクライスラーに経営にとどめを刺すことになったのです。

連邦議会では批判一辺倒の中「今クライスラーを倒産させれば、失業保険だけで年間20億ドルはかかる。その全く戻ってこない金を払うのか、その半分の10億ドルをクライスラーに融資するのと、どちらがアメリカにとって得なのか考えて欲しい」という名文句で政府から融資を引き出し、それを予定より7年早く返済したことで、大いに話題になりました。

クライスラーでは、フォード時代のボツ企画であったKカーをヒットさせ、更にソレをベースにしたミニバンを大ヒットさせました。

同時に悪名高いセールスバンクの廃止、フルサイズからの撤退、北米以外からの撤退というリストラも行なっています。

現在クライスラーの稼ぎ頭であるジープを生産していたAMCを、皆の反対の中、独断で押し切って買収したのもアイアコッカ氏でした。

反面、インペリアルの復活や、クライスラTC by マセラッティー、ランボルギーニの買収の様な失敗例もありますが…。

そして、アイアコッカ氏を失ったフォードといえば・・・時代遅れのゴミみたいな車に終始し、あのヘンリー・フォード二世も、一躍時の人となったアイアコッカ氏の活躍を目の当たりにした直後に鬼籍に入っています。

アイアコッカ氏は、経営不振の時には凄まじい力を発揮するものの、経営が安定するとイマイチという傾向が見て取れ、80年台後半にクライスラーの経営が安定した後も、ニューモデルを投入せずにKカーの化粧直しでお茶を濁し続けた結果、90年台初頭の景気低迷の煽りを受け、再び経営悪化を起こし、LHカーを最後の置き土産として92年にクライスラーを去りました。

マスタング、マーク3、クーガー、グランドマーキス、ルバロン・コンバーチブル…氏の作品に共通しているのは、安い車をベースに非常に効率的にクルマづくりをしていることでしょう。

そしてメディアに積極的に顔を出すのも特徴でした。
クライスラーの最後の頃は、日本叩きでも知られましたが、同時に日本の凄さを誰よりも知っている人だったのです。


こんなジョークがあります。

アメリカの小学校の歴史の授業でのこと。

先生 「自由か、さもなくば死を!と言ったのは誰でしょう?」

日本人のHanakoがただ一人手を挙げて
    「パトリック・ヘンリー 1775年」

先生 「人民の、人民による、人民のための政治…」

Hanako 「エイブラハム・リンカーン 1863年」

先生 「日本人のHanakoが答えられるのに、皆さんは何で答えられないんですか?」

すると教室の後ろの方から "fuckin' Jap!" という声が…

先生 「誰ですか、そんな事を言うのは?」

Hanako 「リー・アイアコッカ 1985年」



コレは、アイアコッカ氏の自伝にも書かれているのですが、何れにしても、氏が有名であったからこそ、こんな小話が生まれたりしたのです。

アイアコッカ氏の去ったクライスラーと言えば…LHカーを始め新しい車を連発しましたが、正直どれも大した車とは言えず、だったらシンプルで整備性の良いKカーの方が良かった…なんて思ったものでした。

その後もクライスラーのみならず、ビッグ3の経営は不振を極め、今や風前の灯といった具合です。

そんな時代だからこそ、余計にアイアコッカ時代のフォードやクライスラーの車が魅力的に見えてしまったりするのです。

既にビッグ3の社長の名前すら知らない今日…それだけこの業界に興味がなくなったという事なのですが、それは、魅力的な経営者が居ないということでもあります。

あの頃活躍された方が既に90代…80年代も遠くなったと改めて思い知らされる気がします。

謹んでご冥福をお祈りします。

メルセデス・ベンツ・スプリンター3500 始動不能!

修理
07 /01 2019
出先で急にエンストして再始動不能に陥ったメルセデス・スプリンター3500…。

牽引されて来たのですが、キーを捻っても元気にクランキングするものの、全く始動する様子がありません。

こうやって全く爆発の気配が感じられない時は、燃料系を疑います。

しかも燃料タンクから凄い唸り音が聞こえてきます。コレは間違いなく燃料ポンプの不良です。

試しにダイアグに繋いでも、燃圧が低いと表示されます。

さて、燃料ポンプの交換ですが...日本車なら床に穴が開けてあって、簡単に交換が出来るのですが、欧米の車にそんな配慮は皆無です。

燃料タンクを降ろしての作業になるのですが、容量が90リッターにもなり、しかも縦長の形状です。

燃料も3/4程度入っていますし、さて、一体どうやって降ろすのか?

当然燃料を抜くドレンプラグなんかありませんし、それだけの量の燃料を保管する場所も有りません。

イメージ 1


結局ネジや配管を緩める等の作業はリフトで上げて行い、降ろす作業は低くして、しゃがんだ状態で床上用のミッションジャッキで行いました。

これだけ縦長なので、バランスを取るための位置決めが重要になります。

下手に高い位置で通常のミッションジャッキなんかを使うと、その高さから燃料一杯のタンクを降ろすのは大変ですし、落下の危険もあります。

一番厄介だったのが、給油パイプが取り外せない構造になっていることで、コレを適切な位置に持って行きながら載せたり降ろしたりが面倒でした。

日本車なら当たり前に取り外せるんですけど。

更に燃料ポンプが逝かれた場合は、異物が混入している可能性もあるので、燃料フィルターも交換します。

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燃料ポンプを交換して、これから載せるところです。

それにしても、燃料ポンプが200ドルと結構安いのが意外でした。ディーゼルの燃料系って高いのが普通なので。

載せる時も、給油パイプの位置に気を遣いながら、少しづつミッションジャッキで持ち上げます。

作業終了後は、何事も無かった様にアッサリと始動し、テスト走行でも問題なかったので、作業終了としました。

コレにしたって、床に穴さえ空いていれば、こんな面倒なことにはならないんですけど…。

欧米の車は整備性が良いなんて誰が言ったんだか?

因みにこっちのメカなら、手を抜くために、床に穴を開けて作業するなんて人も居ますが、それはやりたくないですね…。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。