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キューバ2020 ハーレーショー

キューバ 旅行
02 /28 2020
バラデロ ハーレーショー

公園で、ハーレーのショーが開催されていました。

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コチラは旧式のサイドバルブです。1200でしょうか?
フロントフォークが、後年のテレスコピックフォークに変更されていますね。

因みに同じくサイドバルブの750は、大恐慌時代、その生産設備とライセンスが日本に販売され、ソレが陸王という名前で製造販売され、日本軍によって使用されました

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コチラはOHV2世代目のパンヘッドです。フロントがスプリンガーフォークになっていることから、48年モデルと推測できます。パンヘッドは1948年に登場していますが、その初年度のみ、旧来のスプリンガーフォークを使用していたのです。

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コチラもパンヘッドで、フロントがテレスコピックフォークになっており、リアはリジットのハイドラグライドの様です。このタイプは49年〜57年迄なので、キューバに残っているタイプとしては、この辺りが多いかも知れませんね。

共にハンドシフトのままなのが珍しいですね!

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コチラはサイドバルブのトライクです。
この手は一度ハバナで見たことがありますが、ソレが今の所唯一ハバナで見掛けたハーレーです。

尚、この頃のハーレーは、フットクラッチ、ハンドシフト、更に手動進角という操作もあり、結構乗るのが難しかったりします。

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インディアンもありました。このサイドケースは、後年式のモノでしょう。

面白いのが、皆昔ながらのバディーシート…要するに、二人乗りのサドル型シートを使用していることです。この辺りは、既に北米では余り見掛けないモノです。


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コチラはトライアンフです。恐らく50年代のタイガーでしょうか?

キューバでは、1959年に始まった革命以降、個人の車両の所有を禁止され、皆国の共有財産として没収され、必要によって改造されたりしました。ソレが今に残る奇妙な車達なのですが、バイクはどうだったのでしょうか?

ハバナにしても、バイクに関しては共産圏のものばかりです。

バラデロにこうやって革命以前の車両が残っている…というのは、もしかしたら個人で隠し持っていたモノなのでしょうか?

何れにしても、こういうキレイな個体が残っているということに改めて驚きましたし、その維持も苦労があったことと思います。

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革ジャンではなく、Tシャツがメインなのは、まあ当然といえば当然ですね…。

ハバナでなく、バラデロでこんなショーが開催されていたということは、やはりこの地域に現存率が高いということなのでしょうか?

何れにしても、今アメリカのショーに行っても、現行モデルの金持ち自慢合戦です。そんな成金趣味と違って、こういう古いものを大切にしているという意味でも、見ていて気持ちの良いショーでした。
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オリンパスOM-D E-M5マーク3 タッチシャッターとピストルグリップの話

写真・カメラ
02 /27 2020
OLYMPUS-E-M5mark3-touch-shutter.jpg

去年の暮に購入したオリンパスE-M5マーク3ですが、コレを最も有効に使いこなすのは、モニターに写った画像のピントを合わせたい部分にタッチすると、そこにピントが合い、同時にシャッターが切れる「タッチシャッター」を利用することだと思っています。

オートフォーカスというものも、過去35年で随分と進歩したものの、何処にピントを合わせるか?というのは、やはり機械任せでは上手く行かないモノで、従来のファインダーを覗いての操作性というものは、決して良いものでは無いのです。

ところが、このタッチシャッターをやるときに悩むのが、どうやってカメラをホールディングするか?なのです。
通常の構え方の場合、右手でホールディングとシャッター、左手がレンズを支え、同時にズーミングなんかをこなします。

それがタッチシャッターの場合、どうしても利き手をモニター操作に取られてしまうため、レンズ操作とホールディングを左手のみ…ということになり、コレでは些か心許ないのです。

そこで、私が使用しているのが、写真の様な「ピストルグリップ」なのです。
お陰で左手は親指、人差し指でズーミング、薬指と小指をこのグリップに掛けることで、何も無い状態に比べ、遥かに安定したホールディングが可能になります。

このグリップも、余り大きなモノよりも、私の使用している全長7センチ程度の小型の物が扱い易いですね。

さて、このピストルグリップですが、実は非常に長い歴史のあるモノなのです。

Pentax-SP-motordrive.jpg - 60年代のペンタックスSPモータードライブ…一体コレをどうやって使えというのでしょう?

フィルム時代、連続撮影をするためにモータードライブという装置がありましたが、ソレにこの手のピストルグリップが結構用意されていたものでしたが、余り普及したとは言えませんでした。

理由は…ハッキリ言って全く使い物にならなかったからです!

当時のカメラは、露出もピントもマニュアルの時代です。それで右手でピストルグリップを持てば、シャッタースピード等の操作が非常に困難になり、かと言って左手で持てば、どうやってピント合わせるの?という具合で、正直腕が3本無い人には使い難かったのです。

更にはカメラバッグにも収まりが非常に悪いですし…。

昔からありながらも日の目を見ず、露出もピントも自動になり、タッチシャッターが付いたことで、初めて実用的になった・・・といえるのかも知れません。

https://www.amazon.co.jp/ハンドグリップ-モノポッド-ミラーレス-デジタルカメラ(デジカメ)・-カメラハンドル/dp/B072LTMGZ5/ref=sr_1_37?__mk_ja_JP=カタカナ&keywords=カメラ+ピストルグリップ&qid=1582786565&sr=8-37

1000円にも満たない価格で買え、着脱簡単なのも、手軽で良いですね…。

私はフィルム時代から写真に関わってる古い世代ですが、実は殆どファインダーを使わずに、このスタイルで撮っています。
ファインダーを使うのは、ブレを抑えたい時か、眩しくてモニターがよく見えない時だけです。

やはりデジタルには、デジタルに合った使用法というのが有ると思いますし、その機能を最大限に活かすには、やはり古い考え方は捨てた方が良いのかも知れません。

その古い考えを捨てる為に、忘れ去られていたピストルグリップという化石の様なモノが生きてくるのが、また面白いところです。

【オペル、日本市場へ再参入】15年ぶりに…CEO「今回は撤退することはない」

ニュース
02 /25 2020

オペル、日本市場へ再参入!

独オペルオートモビルは2月18日、2021年に日本市場へ再参入すると発表した。オペルのミヒャエル・ローシェラーCEO(最高経営責任者)は同日、都内で会見し「日本へのカムバックは輸出強化に重要なステップ」とした上で、「今回は撤退することはない」と強調した。

ローシェラーCEOは会見で「2021年後半から日本でのオペル車の販売を再開する」と述べた。「オペルが日本から去ったのは2006年。ただ当時の状況は今と全く違っている。オペルは現在、グループPSAに属している。日本市場から去ったことで販売会社やお客様を失望させてしまった。ここに私からお詫びを申し上げたい。日本へのカムバックは私たちすべてにとって良いことだと確信している」とも付け加えた。

またローシェラーCEOは再参入する理由について「日本の自動車市場は世界で3番目に大きく、オペルにとっては大きな可能性のある市場だから」と説明、「日本で私どもの優先事項は顧客満足そして収益性。ドイツブランドとして高い期待に応えるだけでなく、皆様の期待以上のものをお届けできるよう、あらゆる努力をしたい」と語った。

オペルは2021年の再参入に際して、まず3モデルの品ぞろえでスタートする。そのラインアップについてローシェラーCEOは「CセグメントSUV『グランドランドX』は最初から日本市場に出す。内燃機関エンジンだけでなくプラグインハイブリッドも出す。この格好良くて先進技術を持つSUVはドイツのアイゼナッハで製造される。このクルマは交通標識認識システム、半自動パーキングアシストなど先進の安全サポートシステムを装備している」と紹介。

さらに「オペルはベストセラーカーも日本で販売する。6世代目を迎えた『コルサ』は1982年以降、1400万台売ってきた。38年前の第1世代から大きな人気を得た。オペル車の販売台数の5台に1台はコルサ。日本でコルサは違う名前で販売する予定。日本のお客様には、このベストセラーカーをガソリンエンジンモデルとバッテリーEVモデルを提供することになっている」と明かした。

残るモデルは多機能ハイルーフステーションワゴンの『コンボライフ』で、「どこまでも実用的で、ファミリーカーとして乗り心地良く、そしてイノベーティブ。5人乗りと7人乗りを設定。また大容量のトランクを備えている。多くの革新技術と安全サポート技術がお客様に好評で、2019年には世界で3万1000台以上を販売している」とのことだ。

一方、販売網に関しては「ここ数か月でオペルは販売網を日本の主要都市で造り上げる」としてうえで、具体的には「東京、横浜、名古屋、大阪、神戸などでパートナーを探していく。この販売網で人口比で輸入車市場の50%をカバーする予定。さらにドイツというルーツを強調するために店舗にはドイツ語の『アウトハウス』という名称を冠する。スタート時から販売店網は拡充していき2023年には人口比で輸入車市場の80%をカバーする」とローシェラーCEOは展望を示した。




最初に断言しましょう。
今回も絶対に失敗します!

逆に成功する要素は何処にあるでしょうか?

日本人はドイツ車が好き?
ドイツ車というか、VW、アウディ、BMW、メルセデス、ポルシェが好きなだけで、ドイツフォードだって失敗しましたし、オペルだってそうでした。

大体オペルというブランドは、フォードなんかと同じで、車なんか何でもいい…という感じの顧客層の車です。

間違ってもオペルに乗っているからオシャレに見えるとか、知的に見えるとか、そういう要素は皆無のブランドです。

しかも今回はプジョーのシャシーですよね?

私はプジョーやシトロエンの走りは好きです。ドイツ車と違ったホノボノとしていて、しかも侮れない走行性能を併せ持っています。

ソレをドイツブランドとして、どの様なチューニングにしてくるのでしょうか?

下手にドイツ人好みにするのなら、だったらプジョーの方がいいや…って事になります。

大体オペルなんてどこまで行っても大衆車です。安く売ってナンボの商品も、日本に持って来れば、本国ではあり得ない様な装備満載で高級車扱いされるのが常です。

以前もそうやった挙句、アウディやBMWとの価格差が無くなったことも、敗因の一つでした。

お洒落な雰囲気で売っているプジョーやシトロエンのに対して、どういう売り方をするのか…正直私には全く見当も付きません。

プジョーじゃなくてオペルを買うメリット、VWじゃなくてオペルを買うメリット… 。日本車じゃなくてオペルを買うメリット…正直どれも見えてこないのです。

更に、年々高齢化し、若者が貧しくなっている日本です。事実、軽自動車ばかりが売れている中で、大衆車の輸入車に果たしてどの程度のマーケットがあるのか…正直私には、ヒュンダイと同じ結末しか見えませんね。

日本市場の難しさは、他国と違って国内に非常に多くの優秀なメーカーが存在し、しかもの高品質な中古車がリーズナブルな価格で市場に溢れていることから、その中古車以上の品質、価格となると、それだけで極めて困難な事になるのです。

故に結局は個性のあるブランドしか残らない訳で、ヒュンダイが失敗したのも、正にソコだった訳です。ヨーロッパフォードも同じ事でしたし、オペルもそうなるのは、残念ながら既に目に見えています。


キューバ2020 バラデロ観光

キューバ 旅行
02 /24 2020
サンタ・マルタ〜バラデロ

キューバ2020 バラデロ観光

朝食を済ませてからは、自転車でバラデロに向かいます。
サンタ・マルタのメインストリートを走っていて思ったのが、馬車の姿が多いことです。

ハバナでも馬車は見かけますが、その殆どが観光客向けのモノであるのに対して、ココではどうも様子が異なります。

バラデロ近辺でよく見かけた乗合馬車

この様に、質素な構造で、大勢を乗せた「乗合馬車」なのです。
背景の共産党系の平板な建築といい…ココがソ連の影響下であったことを忍ばせます。

バラデロの地図

サンタ・マルタのメインストリートを過ぎると、直ぐに高速道路に合流し、橋を渡ると、バラデロに入ります。
取り敢えず高速を北上したものの、殺風景な上に、こんなサインもあるので、警察に注意される前に左側に入ることにしました。

馬車禁止…

それにしても、高速のルートといい、出入りの容易さといい、コレが1959年の革命以前に造られたモノだということに、改めて驚かされます。
間違いなく、遥かに後に造られた日本の高速なんかよりも緻密に造られています。

さて、このバラデロは、全長24キロ程に対して幅500mにも満たない大変に狭い半島なのですが、高速を降りると、牧歌的な住宅地がそこにあります。

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相変わらずこんなのが・・・。

観光客向けの馬車
 
因みに、コチラが観光客向けの馬車です。やはり随分と雰囲気が違うものですね!

チョット道端でバードウォッチングを…。

ってのが、コレなんですけど…



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ハバナでも、鶏が放し飼いの様になっているのは時々見掛けますが、こうやってヒヨコを連れているのは、見たこと無いですね…。

さて、狭い半島を横断して、バラデロの中心地、1st Ave. に出ます。
コチラはビーチが近いということもあり、商業、観光の中心地となっています。

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避暑地としての歴史も古く、こんな古風な建物も残っていますし、

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こういうソ連時代の建物も残っています。

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更には、こういう南国風のヤシの葉を使った屋根も、多く見られます。

バラデロの海

この日は天候に恵まれず、時々小雨がぱらつく生憎の空模様でした。

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しかし、波は穏やかで、水も暖かく、非常に心地の良いものでした。

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ところがキューバ人には、まだ寒いということで、人影の殆どが観光客でした。
そして、その平均年齢も、かなり高めですね…。

この細長い半島の左岸には、何箇所もビーチへのアクセスが有るので、1st Ave. を自転車で移動しながら、気が向いた時にビーチに出る…というのを繰り返していました。

尚、この1st Ave. を北上すると、最後に高速道路に合流しますが、ソレ以降は完全なリゾート地となり、周囲から隔離されたリゾートホテルばかりになります。

キューバ2020 バラデロ経由ハバナ行き

キューバ 旅行
02 /23 2020
バラデロ地図

キューバ2020 バラデロ経由ハバナ



ご無沙汰しています。

日本から戻ったカナダは…寒い…そして毎日雨…そんな事から、帰国前から予定していたキューバへ向かうことになりました。

行き先はトロント経由のバラデロです。

バラデロについて

バラデロは、ハバナから東に140キロ程の大変に細長い海に突き出た半島で、古くから避暑地として栄えてきた街で、殆どのカナダ人にとってキューバに行くというのは、バラデロに行く…と同意語と言える程、カナダ人観光客の密度の多い街として知られています。

ハバナからの交通は、観光バスやタクシーで2時間程となっています。
料金は、観光バスが10cuc、乗合タクシーが25cucとなりますが、観光バスはバス停までの別途の交通を考える必要があるもで、ドアtoドアのタクシーの方がオススメです。あの暑い中、荷物を持って歩きたく無いですよね?

外国人ばかりのリゾート観光地に興味のない私は、そんな場所故に今まで特に興味がなかったのですが、今回バラデロ行きの航空券が、ハバナ行きのほぼ半額であったことから、予定外で行くことになったのです。


フライトについて

バンクーバーを出発するのが23:20という遅い便です。その日は愚図ついた一日でしたが、夕方には何とか雨も止み、濡れずに空港に行くことができました。

コレで4時間強のフライトと、3時間の時差を合わせると、トロントに到着するのは翌朝6:37。

元々私は、飛行機の中で殆ど眠れないので、日本からの時差ボケもようやく癒えよう…としてた最中、再び時差ボケに襲われることになりました。

トロント国際空港

そして到着先のトロントでは・・・ご覧のように雪が降っていました!
今回思ったのが、兎に角空港にアジア人の姿が無いことです。やはり中国系の移動が制限されているのが効いているのでしょう。

ココで8時間半の乗り継ぎ時間があります。


トロント国際空港は飲食が高い!

以前にも書きましたが、ココは空港の飲食が非常に高価な上に大したモノが無いのです。手頃なコーヒーショップ「ティム・ホートン」は長蛇の列!まあ他にやる事も無いので、朝食をココで購入し、その後は行ける範囲で空港のアチコチを見て回り、時々仮眠を取ったり、インターネット等で時間を潰しました。

昼食は、聞いたこと無い店でハンバーガーを食べたものの、コレも10ドル近く、とても値段と釣り合ったモノとは言えませんでしたが、今はこの手の短距離便では機内食も有料となるので、ソレよりはマシなのです。

雪の影響もあり、結局2時間遅れでの出発、つまり10時間以上も空港で待つことになってしまいました。

既に外は真っ暗でしたが、バラデロの独特な形状の半島も飛行機から確認することが出来ました。
ココは空港から結構離れている様で、半島を通り過ぎてからも暫く飛んだ後に着陸しました。

空港では、入国時にも手荷物のX線検査が有るのが珍しいところでしたが、荷物の受け取りも全てスムーズに進み、空港の外に出ると…やはり蒸し暑い…。


バラデロ空港からのタクシー

ハバナと同じ様にタクシーの運転手が声を掛けてきます。30cucと言ってきます。ハバナでは25が相場なので、観光地価格なのでしょうか?

高いというと、誰かとシェアするなら20で良いと言ってきて、結局もう一人のカナダ人とシェアして、街を目指しました。

その前に必要なのが両替…


両替の話

キューバの通貨は、キューバでしか入手出来ません。
タクシーも現金のみなので、何れにしても、ココである程度両替する必要はあります。

入手方法は色々ありますが、私はカナダドルを空港で全て両替しました。

両替は、空港の他にも街にある両替所、銀行といった場所でも可能ですが、共に結構混み合うので、空港でやってしまった方が楽です。

レートも同じですし、深夜まで開いているのが便利です。

タクシーで街へ・・・

現金を入手してから、タクシーに乗り込みます。

この街は、半島の方が観光地となっており、先端に行くほど観光客しか居ない…という風になっています。
そんな訳で私が選んだ宿は、半島のつけ根の部分のサンタ・マルタという町でした。

空港からは結構距離が有りましたが、ココでも思ったのが、キューバという国は、何処も道がシッカリとしている
ということです。

空港からのほぼ全行程が高速道路ですし、路面はともかく、こんな田舎でも、非常にシッカリとした計画の元に造られている事がわかります。

Santa Marta

空港からは私の宿の方が近く、一足先に私が下車することになりました。


サンタ・マルタの宿に到着

宿に到着すると、本当にジャストのタイミングでオーナーが出迎えてくれました。コレはハバナでもそうなのですが、何か特有の連絡網でも有るのでしょうか? 
車の音がしたから…とは言っても、他にも車は通りますし、停車もします。実際2時間到着が遅れている訳ですし。

こんなミステリアスな辺りが共産国?

先ずは驚いたのが、一泊17cucという値段で、完全なシングルルームでキッチンまで付いていたことです。
それに朝食を付ければプラス3cucとのことで、朝食も頼むことにしました。

取り敢えずチェックインを済ませ、荷物を開くと、早速夜の街を散策… と思って外に出たのですが、夜とはいえ余りに蒸し暑く、この写真を撮った時点でリタイア… 宿に戻って、着替えて再び外出しました。

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しかし、こんな田舎町でも、結構遅くまで色々な店が開いているのに驚きます。特に飲食店は皆遅いですね。

取り敢えず、こういう景色を見れば、そこがネット使用箇所だということが分かります。

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大体人のいそうな場所を散策した後、よくある共産党系のカフェテリアで軽食を取って、その日は床に就きました。

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コレはコロッケパンみたいなものでした。

翌日は時差ボケのせいもあり、朝早く目が覚めました。

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昨晩は暗くて見えなかったものの、ユッタリとした庭があります。
庭木はマンゴー、グァバ、アボカド、バナナといったモノだそうです。

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こんなモノが…旧東ドイツ製MZのサイドカーです。
庭の感じと言い、ハバナとは違った熱帯地方の空気を感じることができます。

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朝食はこんな感じです。
戦時中、日本でも田舎の方が食べ物があると言われましたが、キューバでも田舎の方が食べ物が豊富なのかも知れません。

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食事というと、必ずこんなお方がお供になります…。

朝食を終え、宿の外に出ると…最初に目にした光景がコレでした。

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のどなか景色に終戦直後のデ・ソートが実にいい味を出しています。
デ・ソートは、かつてのクライスラーのブランドで、ダッジとプリマスの中間として存在しましたが、61年を最後に、プリマスに吸収されています。

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ソ連のZILトラック、野菜売の3輪自転車、そして道の真ん中でねそべる犬…見事な三角形を形成しています。

更にロングで撮影すると…

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こんな感じです・・・。

海辺のリゾート地として名高いバラデロですが、その半島のつけ根では、こんな庶民的な生活が息衝いているのが面白いですね。

更にココでは無料で自転車をレンタル出来るので、それでバラデロまで行くことになります。

フォード マスタング2

フォード
02 /06 2020
Ford Mustang2 front

74年に発売されたマスタング2は、あまりに大きく、高出力で高価格になると共に、販売面でもジリ貧となっていたマスタングを原点に戻す為に発売したモノでした。

やはり先代のイメージが余りに強烈であったため、V8エンジンすら設定されていないソレは、随分とショボく見えたものの、同時に手頃なサイズとリーズナブルな価格から、販売面では、当初の目標を十分に達成したと言えるでしょう。

しかし、V8が無い…というのは、やはり当時のアメリカでは行き過ぎと取られ、翌年V8仕様も追加されています。

Ford Mustang2 v8 side

こうやって改めてみると、初代に似せようとしたんだな…というのはよくわかるのですが、FFの様に見える長いフロントオーバーハングがホイールベースを短く見せています。

それに、初代のクリーンな雰囲気に比べると、やはり何処か脂ぎった、如何にも70年代…という雰囲気も見て取れます。
折角の4.9リッターV8エンジンも、僅か140馬力と悲しくなる程に低出力でした。

フォード マスタング2 v8 リア

正直ビニールトップは無くていいと思いますし、ダッシュボードの木目も70年代的とは言え、やはりマスタングという雰囲気ではありません。

一応販売面では当初の目標は果たしたものの、やはりオイルショックで…というイメージが如何ともしがたいクルマです。実際に開発されたのはオイルショック前にも関わらす…。

そんな事から、後世の評価は芳しくなく、長年見向きもされなかった車ですが、今日の辺りに喧嘩を売っている様な怒った顔ばかしの車の中では、寧ろ魅力的にも見えてしまいます。

バンクーバーでは、長年エアケアという排ガステストが行われていましたが、ソレも5年ほど前に廃止されました。その事からも、この車を「当時以上の本来のパワーで」走らせることが可能になりました…。

ある意味、40年経って、ようやく本来の姿に戻すことが出来た…のかも知れません。しかし、その頃にはほとんど残っていなかった…という意味でも、やはり悲運の車と言えるのかも知れません。

80年代後半の日本人海外旅行者の話し

日本の話
02 /05 2020
現在何かと評判の悪い中国人の観光客ですが、ココで少し過去の日本人のことを振り返ってみましょう。

1985年にプラザ合意で急激に円高が進むと、それまで裕福層のモノであった海外旅行が一気に手頃なモノになりました。
特に87年頃からは急激に景気が上向いたことから、海外旅行に行く日本人が一気に増加したのです。

そしてその頃、海外で大いに批判を受けたのが、他でもない日本人観光客だったのです。

当時の人の多くは団体旅行で、ツアーガイドが旗を持って大きな声で喋りながら説明し、その後をまるでカルガモの様に付いて歩く大勢の大人たち…コレだけでも欧米の人たちには非常に奇異な光景だったのです。

そればかりでなく、当時の日本人というのは、所構わずタバコを吸い、その吸い殻は、所構わずポイポイ捨てるのが当たり前だったのです。

ゴミをポイポイ捨てるのも当たり前でした。

有名ブランド店を団体で占拠しての爆買…オメエラにそんなモノ似合わねえよ!って…。
当時の日本では、海外のブランドモノが非常に高価であり、この事から、海外のブランド店に日本人が殺到したのです。

有名観光地では、長時間一等地を独占しています。自由の女神の目の前で、50人はいるであろうオッサンの集団が「万歳三唱」しているのを見たことあります。一番いい場所を占拠して…。こういうのは、自由の女神に限らず、有名な所では当たり前に行われていたのです。

高級ホテルの廊下をステテコ姿で徘徊し、オートロックのドアを開放にして、一部屋に大勢集まって大宴会!

小汚い格好の団体が、高級ホテルのロビ−や高級レストランを占拠して、その作法のまた下品なこと…。

私も当時、ニューヨークの紅花に行ったことがあります。誰もが知る高級な店ですが、そこで日本人の年寄の集団が「ハッピーバースデー」に続き「幸せなら手をたたこう」を歌い、クラッカーを鳴らし…なんて事を始めるのです!
もう恥ずかしいのなんのって・・・。

バブルの頃には、海外への社員旅行が増えましたが、ソレはイコール買春ツアーという例も少なからずありました。

当時10代であった私ですが、コレは拙い、自分は絶対ああはなるまい…と固く心に誓ったものでした。
私以外にも、同世代の多くの若者が同じ様に思い、それが今日の日本人の海外でのマナー向上へと繋がったのです。

この話し、今の中国人のソレとソックリじゃないですか!

今、中国の若い世代が、自国の年配者を見て、恥ずかしいと思っているそうです。その世代が中年になる頃には、また状況が違ってくるのかも知れません。

🎵NZからの手紙〜

無題
02 /04 2020
私がニュージーランドに行って最初に住んでいた家に、私宛に税務局から手紙が届いているという話を昨年末に聞きました。

コレは只事じゃ無い…と誰もがそう思います。

私がその家を出てから15年以上経っていますし、その後、何回も転居しています。
その上、私がニュージーランドを離れてからでも、既に10年経っているのです。
そんな状況でその家に届いた…ということは、何回も転送を経ていることは容易に想像できます。

そこまでして執拗に追いかけて来るとは、心当たりはないものの、只事では無い…と思うのが当然です。

仮に所得税なんかで間違いがあったとしても、10年以上も記録を保持している訳は無いので、一体どうしたものだか…と、正直かなり不安な気持ちのさせられました。

仮に10年分の利息を取られたら、大変なことです。
今まで何度も手紙が来ていたのなら兎も角、今回初めてという事ですし…。

どういう風に話を進めようか?なんていう事も考えていました。

もしかしたら、今流行りの詐欺???
実際税務局のサイトを見ても、詐欺に対する注意書きがあります。

身に覚えもなく、内容も全く予測がつかないので、他人に内容を見られるのも嫌で、そのまま封を開けずに私の方に送ってもらうことになりました。

そして、その内容とは…

「過払い金があって、60ドル返却したい…」

ということでした!

全く散々人を不安にさせておいてコレですか…。

税務局に電話してみた所、銀行口座に振り込む…という話でした。
どうでも良い… 正直面倒なので、口座の情報揃えて掛け直すと言ってた電話を切りました。

何れにしても変な問題じゃなくて一安心でした!
しかし、久々に聞くニュージーランドの英語って…一言酷いですね…。

個人商店なら兎も角、税務局のようなところでも、凄まじい訛りで喋り、何度も聞き返すようでした。
こんなのを普通に聞いていたのが、今となっては信じられない思いです。


日本の変な看板 交番=Koban

日本の話
02 /01 2020
日本の街を歩いていて疑問に思ったのは、何処も交番にもKobanというローマ字表記の看板がかかっていることです。
コレって一体誰に向けた看板なのでしょうか?

その意味のわかる日本人なら、敢えてローマ字よりも、日本語の交番の方が遥かに分かり易いでしょう。

欧米の人で日本語のわからない人は…当然何のことだか分かりません。

アジア系で日本語がわからない人も…同じく何のことだか分かりません。

結局コレがわかる人というのは、日本人か、日本語の出来る外国人に限られるのではないでしょうか?
しかし日本人なら、漢字の交番の方が分かり易いですし、敢えて言えば、日本語は分かるけど、漢字の読み書きの出来ない外国人位にしか用をなしていないのです。

前述の日本語がわかるけど、漢字の分からない外国人なら、わざわざローマ字のKobanよりも、英語でPoliceと書いてあった方が、遥かに分かり易いことでしょう。

逆にKobanという表記じゃないと判らないという人は…驚く事に皆無です!

「交番というのは日本独特のシステムで、既に海外でも認知されている…」というのが公式のコメントの様ですが、こういうのって「アメリカ人は○○」「イギリス人は□□」…というアレと一緒で、言っておきましょう、そんなの知っているのは、ごく一部の人です!

日本の文化として世界に発信したい? 交番なんて文化のクソの以前に、分かり易くてナンボのモノです。交番に訪れる人は、国籍を問わず困った人なんですから!

要するに役人のお偉いさんが、欧米のお偉いさんと少し会話して「交番って通じるじゃん!」…と、結局はこの程度の話なのです。

こんな下らない意味のない看板を全国津々浦々に…コレだけでも天文学的な税金が支払われているのです!
何れこれを撤去して、Policeの交換する作業に、また莫大な税金が注ぎ込まれることでしょう。

こんな辺りからしても、日本の役人のレベルの低さがよく分かるというものです。

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。