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志村けんさん死去 70歳 新型コロナに感染、闘病も力尽く

ニュース
03 /30 2020
 「ザ・ドリフターズ」のメンバーでタレントの志村けん(しむら・けん 本名・志村康徳、やすのり)さんが亡くなったことが30日分かった。70歳だった。東京都東村山市出身。25日に新型コロナウイルスへの感染を所属事務所が発表していた。

 志村さんは17日から倦怠感の症状があり、19日には発熱・呼吸困難の症状が出現。20日に都内の病院に搬送され、重度の肺炎との診断を受けて入院。診察の際に新型コロナウイルス感染が疑われたため検査が実施され、23日夜に陽性が確認された。

 都立久留米高校卒業前の68年、故・いかりや長介さんを訪ねて付き人となり、74年にドリフターズのメンバーに。TBS系のバラエティー番組「8時だョ!全員集合」では、「東村山音頭」や加藤茶(77)との「ヒゲダンス」などで人気を集めた。「全員集合」終了後もコント、バラエティーを中心に活動し、言わずと知れた日本を代表するコメディアンに。フジテレビ系「志村けんのバカ殿様」、同局「志村けんのだいじょうぶだぁ」などの番組で独自のコントスタイルを確立した。

 現在も日本テレビ系「天才!志村どうぶつ園」、フジテレビ系「志村でナイト」の週2本のレギュラー番組に出演。30日スタートのNHK連続テレビ小説「エール」にも未発表だが出演が決まっていたほか、20年12月公開予定の「キネマの神様」で映画初主演を飾ることも発表されていた。

 ◇志村 けん(しむら・けん、本名志村康徳=しむら・やすのり)。1950年(昭25)2月20日生まれ、東京都出身の70歳。68年、都立久留米高校を卒業前に、故いかりや長介さんを訪ね付き人になる。74年に「ザ・ドリフターズ」のメンバーに。フジテレビ「志村けんのだいじょうぶだぁ」、同局「志村けんのバカ殿様」などのバラエティーで人気者に。「東村山音頭」のヒットでも知られ、東京五輪の聖火リレーで東村山市を走ることが発表されていた。身長1メートル69。血液型A。

◇志村けんさんの新型コロナウイルス感染経過◇

▼3月17日 倦怠感の症状があったため、自宅静養(発症日)

▼3月19日 発熱・呼吸困難の症状が出現

▼3月20日 訪問診察をした医師の判断により、都内病院に搬送。重度の肺炎との診察を受け、入院

▼3月23日 新型コロナウイルス検査陽性が判明

▼3月24日 保健所による調査が行われ、発症日と濃厚接触者の特定が完了

▼3月25日 所属事務所が感染を公表



病状が思わしく無いことは聞いていましたが、驚きました!
私はドリフと共に育ったと言える世代なので、故・荒井注、いかりや長介さんに次ぐドリフのメンバーの死去は、ただただ残念です。

荒井注の脱退でメンバーに加入した当初、暫くはイマイチその立ち位置が定まらずに苦労されたものの、後に東村山音頭が大ヒットし、以降ドリフを大幅に若返らせると共に、第二のピークを迎え、我々のアイドルとなりました。

8時だよ全員集合の終了後も、一貫してお笑いで活躍され、年代を超えた幅広い支持を得ていました。

今日の小物ばかりのお笑いの世界を見ていると、もう志村さんの様な大物が出てくることは無いでしょう。

これから映画の主演…という時の発病、降板、そして今回の訃報…。

ドリフの最年少であったこともあり、ただただ残念です。

アメリカでも、この武漢・テドロスウィルスは、糖尿病の人により影響があるという統計が出ていますが、志村さんもそうだった様です。

今回のこの件、中国は重罪ですし、ソレに加担したWHOも同罪です!
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キューバ2020 ハバナのバレンタインデー

キューバ 旅行
03 /27 2020
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キューバでは、バレンタインデーが非常に重要な日だということです。
12月にもハバナに来たことがありますが、その時、クリスマスの雰囲気を殆ど感じなかったのに比べると、今回は街のアチコチで、バレンタインデーの雰囲気を感じる事ができます。

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本当にアチコチでこんな光景を目にします。

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やはり売っている物は、何処も同じ様なモノですね…。

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バレンタインデーのイメージも、日本とは異なり、家族でパーティーを開催する人も多く、こんな姿をよく目にしました。よくあんな大きなケーキを壊さずに持ち帰るものだと感心します!

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当日、メインストリートでは、この様にイベントの用意が行われていました。
通りをまたいで設置されているのは、イルミネーションパネルでしょうか?

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コレは…今回キューバに来て困ったのが、大きい水のボトルやソフトドリンクの類が全く売られていないことでした!
水に関しては、500ccの小さいボトルをコマ目に買う必要があり、暑い中嬉しいソフトドリンクが売られていないのは、結構不便なものでしたが…要するにイベント用に確保されていて、市場に出てこなかったんですね!!

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以前も紹介しましたが、キューバ人にとって、缶入りのソフトドリンクは非常に高価な物で、一般の人は、こういう所でソフトドリンクを購入するのです!

この日、今回初めて売られていました! 宿から近いので、ボトルを持って買いに行きました。コチラは1.5リッターのペットボトルに入れてもらって2cup、8円程度と割安です!

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何とも退屈そうに・・・。

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アメあげたら元気になりました!

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屋外でも、レストランみたいに飾り付けるのが面白いですね!

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食べ物自体は、共産党系の店で売られている様なモノです。

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どこも人でイッパイで、全てに於いてユックリのキューバで、一体どれだけ掛かることだか…。
あのイルミネーションも・・・こんな感じでした。

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こういうのを購入しても、フォークなんかが付いてこないんですよね…。

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何処も人で一杯です。
折角のイルミネーションも、一部点灯していないモノも有りました!

日本でバレンタインデーというと、主に若者に限定した上に、押し付けがましい印象があるのに対して、年齢を問わず、家族にもフレンドリーで、大変に雰囲気の良いイベントだと思いました。

リンカーン・コンチネンタル

リンカーン
03 /18 2020
73年リンカーン・コンチネンタル フロントビュー


写真は1970年に発売されたリンカーン・コンチネンタルです。
グリルの形状からして、73年モデルでしょうか? 開閉式のヘッドライトは当時のフォードのアイデンティティーですけど、コレもその例外でなく、良い雰囲気を醸し出しています。

元々手作りの少量生産車だったリンカーン・コンチネンタルは、56〜57年のマーク2までが2ドアのみだったのに対して、58年モデル以降、大量生産モデルとなり、4ドアセダンも用意される様になりました。

しかし、その売上は芳しいものではなく、ライバルのキャデラックが毎年の様にデザインに変化を与えていたのに対して、リンカーンのソレは、正に十年一日といった代わり映えのしない地味な車で、実際に売上も、キャデラックの足元にも及ばない存在でした。

73年リンカーン・コンチネンタル サイドビュー

それがこの世代になると、一気にスタイリッシュなデザインを身に纏う様になったのです。
68年にリー・アイアコッカ氏がリンカーン・マーキュリー部門のトップに就任すると、従来の地味なデザインを洗い直し、ソレがマーク3となって結実しました。

その他にもマーキュリー・グランドマーキスもヒットさせており、このリンカーン・コンチネンタルも例外ではありませんでした。
高級バージョンとして「タウンカー」が登場したのも、このモデルからでした。

同時に、従来の専用シャシーを捨て、グランドマーキスのシャシーの延長版を使用したのも、やはりアイアコッカ流と言えるでしょう。お陰で従来のコンチネンタルのアイデンティティーであった後ろヒンジのリアドアが、通常の物に改められました。

同時に、モノコックからフレームへと時代を逆行したのですが…。

同じリンカーン・コンチネンタルでも、マークシリーズがサンダーバードとシャシーを共用しているのに対して、コチラはグランドマーキスの4ドアのシャシーを使用しています。

そして、コンチネンタルの2ドア、マークシリーズと2種類の2ドアクーペが有りながら、使用しているシャシーが違い、雰囲気も異なっています。

先代の地味なデザインが9年も続いたことから、非常に新鮮に見えたのですが、実はこのモデルも10シーズンの長きに渡って製造販売されたのです。

後にオイルショックの影響で、GMが77年モデルダウンサイズを行い、クライスラーはインペリアル部門を閉鎖したことから、77年以降は、最後の本当の意味でのフルサイズの高級車として君臨していました。

73年リンカーン・コンチネンタル リアビュー


80年モデルでは、それまでコンチネンタルの一グレードであったタウンカーがダウンサイズを受けながら独立してフルサイズとして残ったのに対して、コンチネンタルはインターミディエイトのフォックスフレームを使用し、それぞれ別のモデルとしての道を歩むことになりました。

そしてコンチネンタルには、何故か今まで無かったトランクのアーチが与えらてたのも不思議なものでした。

78年にアイアコッカ氏はフォードを追われることになりましたが、ソレ以降のリンカーンは何処か雰囲気が暗いのに対して、この頃は、高級車ながら、全身から明るい雰囲気を振りまいていた様な気がするのです。

今改めて写真を見て気付いたのですが、フロントフェンダーの角ばって、まるで塗り壁の様な様…ある意味先代の雰囲気を継承しているのかも知れません。

後に5マイルバンパーが装備され、更に巨大化すると同時に、Cピラーに楕円のオペラウィンドウが付いたり、グリルのデザインもマーク4に似てきたり、当初はどちらかというとマーキュリーに近かったデザインが、後半はマーク4に近くなっていきました。

考えてみると、リンカーン・コンチネンタルという車は、長い歴史を持ちながらも、脚光を浴びた期間は長いとは言えず、アイアコッカ氏の手腕によって一躍脚光を浴び、そして、アイアコッカ氏無き後のフォードでは再び低迷、打ち切り、復活、低迷…打ち切り予定…つくづくアイアコッカ氏あっての人気だったんだな…と思わずには居られません。

アイアコッカ氏があのままフォードに残っていたら、一体リンカーンはどうなっていたのか…少し興味ありますね!

コロナウィルス COVID-19 別名:武漢・テドロスウィルス 2020バンクーバーにて

カナダ情勢
03 /17 2020
gas-station.jpg - ガソリンは安くなっています

コロナウィルス、別名:武漢・テドロスウィルスの脅威は、ココ、バンクーバーでもいよいよ本格的になってきました。
今朝、カナダの国境封鎖も発表されました。
カナダの永住権及び市民権所有者以外は入国出来ないことになりました。

ただ、アメリカ国境だけは封鎖されていないのですが、コレは、カナダの経済活動がアメリカと極めて密接であることによる配慮です。

ところが、アメリカという国は、国民皆保険の無い極めて危険な隣国です。
既に検査だけで3000ドル請求されたという様な話も耳に入ってきます。
無保険の感染者が一体どういう扱いになるのでしょうか? そして、その辺りも急拡大の理由の一つとなっていることでしょう。

コレで外国人が来なくなった…ということで、カナダにとって重要な産業である観光、及び教育が壊滅的なダメージを受けることになります。

コレで例えば一時帰国中の留学生なんかも戻って来れなくなりますし、新規の留学生、ワーキングホリデーといった人たちも入国出来なくなってしまいます。

私の知人が今、メキシコに旅行に行っていますが、リゾートホテルが完全に貸切状態だそうです!
別に彼が借り切った訳でも無く、単に皆キャンセルしたということです。
まあ彼らの場合、直通便で行っているので、帰国自体は問題ないと思いますが…。

街でも多くの店舗が閉まっており、しかも観光客の姿が見えない…まあコレは当然なんですが…。

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スーパーに行けば、アチコチで買い占めが起こっています。
今日もトイレットペーパー売り切れなんていう張り紙がありました。

toilet-paper.jpg 
 - トイレットペーパー品切れの赤紙

まあ、コレは少ししたら出てきましたけど…。

食料品では、パスタ類や缶詰なんかの棚がカラになっています。
そして普段は大人気の、日本食品店の弁当なんかは、逆に結構残っています。

しかし、それでもカナダ人は全くマスクをしませんね・・・しているのは一部のアジア人だけです。
まあ、日本よりも人口密度が低いというもの有るかも知れませんけど。

国際空港は4箇所だけ開けるということになっています。

ところが、意外なほど身の回りで感染者の話しって聞かないんですよね…。

まあ、コレを機会にベラボーな金儲けをしている連中が何処かにいることも、また確かなのでしょうけど。

何れにしても、早く収束に向かって欲しいものです。

皆さんもお大事に!

[3月18日加筆]
現在、アメリカ側からカナダ国境の封鎖が発表されています。
まあ、「不要不急の」往来を規制するということですから、完全封鎖ではありませんけど。
カナダとしては、向こうから言い出してくれて良かった様な気がしますけど。

カナダグース カナダのファッション事情2020

カナダ情勢
03 /16 2020
Canada-goose-logo.jpg
バンクーバーの街でココ数年、頻繁によく見る様になったな…と思うファッションブランドが、カナダグースです。

正直私はファッションには無縁の人間なので、名前とロゴ位は知っていても、ソレがどういうブランドなのか、正直言うと今まで全く知りませんでした。

調べてみたところ、1957年にトロントで創業されたダウンジャケットのメーカーだということです。
カナダの寒い気候下で、レンジャーや警察にも重宝がられているものの、同時にコヨーテの毛皮を使っていることに対する批判もある様です

そして、この2014年辺りからアチコチにショールームを展開し、よりファッションブランド的な展開を始めているそうです。

確かに私が頻繁に見かける様になった時期と一致しているのかも知れません。

しかし・・・ですよ! 

ココはバンクーバーです。そんな毛皮の付いたダウンジャケットなんか着ていたら、暑くてかなわないと思うんですけど。

そして驚いたのがその値段…当たり前に1000ドル超えるんですね!
やはりバンクーバーって金持ちの街なんですね…正直特別良いデザインとも思えず、ただカナダの国を模したこれ見よがしのワッペンだけが印象に残っていただけなのですが…。

同時によく考えてみたら、アジア人率が高くない?なんて思って今日街で確認してみたら、ほぼ100%中国人でした!

まあ、バンクーバーに中国系の富豪が多いので、それは納得出来るのですが・・・同時に偽物も多いみたいですね!
正直アレ、デザイン的にも特別良いとも思えませんし、私には、どう見ても登山着なんですよね…。

それにあんなの、手足の短いチンチクリンなアジア人が着たってカッコよく無いんですけど!
私が特にカッコいいと思わなかったのは、ソレが原因だったのかも知れませんけど。

エレガントさも無くて、エキゾチックな魅力も無くて…私に言わせれば、単なる泥臭いカナダの登山着…登山に使うには高過ぎますけど。

同じく人気のノースファースもそんな感じですが、コチラは白人も着ていますし、まだ値段的に良心的です。

私は、この手の冬用のジャケットは、軽さと新素材を使った日本のものを選びます。
バンクーバーは東京より寒いとは言っても、日本のモノで十分以上ですし、やはりコチラの防寒着って妙に重いので。

キューバ2020 ハバナ初日の夜

キューバ 旅行
03 /13 2020
ハバナの夜2020

キューバ2020 ハバナ初日の夜

ISO200 F1.4 1/3秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

夕食を食べに、宿の有るセントラル・ハバナから、オビスポ街のあるオールド・ハバナのオビスポ街を目指します。
今回歩いていて気づいたのが、アチコチの街灯がLEDになっていて、何となく雰囲気が明るくなっていることです。

ハバナ、キューバ2020

ISO400 F1.4 1/25秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

ココなんかも、以前と比べてベンチは新調されていますし、LEDの照明で、非常に明るく健全な雰囲気…になりました。
実際は何も変わっていないんですけどね…。

Havana night 2017

コレは3年前にスマホで撮った写真ですが、前はこんなに薄暗く、少しヤバい?という雰囲気だったのです。
それでも安全なのは変わり有りませんが…。
因みに、キューバ以外でこういう感じの場所は、夜近づかない方が無難ですね。

オビスポ街 ハバナ2020

ISO400 F1.4 1/13秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

アメリカからの客船が来なくなったこと、そしてコロナウィルスの影響で中国人が来なくなったことから、観光の中心であるオビスポ街も、土曜日の夜なのに実に閑散としています。

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ISO400 F1.7 1/15秒 パナソニック・ライカ17mmF1.7

長距離移動で疲れているので、何も考えずに取り敢えずロブスターでも…なんて、贅沢な話しですが…。
コレにいつもの様に、モヒートとコーヒー、プリンの様なデザートが付いて14cucです。この値段でロブスターと酒とコーヒーが付いて、しかもサルサの生演奏付きなんですから、現地の人には途轍もない金額でも、外国人には、大変にお手頃な価格です。

しかし・・・毎回来るこの店でも、客入りの悪さは明らかで、私の他のもう一組は、バンドがサルサを演奏してもピクリとも反応しません。ああいうの、迷惑ですね…w

ハバナ・キューバ2020

ISO400 F1.4 1/8秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

LEDの街灯のせいで、夜間なのに発色が良いですね…逆に情緒が無くなった気もしますが…。

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ISO400 F1.4 1/20秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

こんな薄暗い所で何か売っているんだ…と思って一枚…。後で確認してみて、初めてそこに人が居たのに気付きました!

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ISO400 F1.4 1/5秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

やはり、こういう景色には、白熱灯の方がいい味が出る気がするのですが・・・慢性的に電力不足に悩むキューバでは、仕方ないのでしょう。

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ISO400 F1.4 1/4秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

月のきれいな夜でした。
こんなのもオリンパスなら、気軽に手持ちで撮影可能です。

P2081315.jpg

ISO400 F1.4 1/20秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

街角では、この時期、こんなモノがよく売られていました。バレンタインデーのプレゼントだそうで・・・。
何故ミッキー、ミニーなのでしょうか?

P2081325.jpg

ISO400 F1.4 1/13秒 パナソニック・ライカ25mmF1.4

宿のあるセントラルハバナまで戻ってきました。距離にして片道約2キロ…バラデロからの長旅の疲れもあり、この日はこの位で宿に戻りました。

今回、カメラをオリンパスE-M5マーク3に変更していますが、やはり夜景の質は向上している様です。
こんな薄暗い所で全部手持ちなんて、一昔前では考えられないことでした。

アップルストア、マイクロソフトストア、サムスンストア…バンクーバーのアンテナショップ事情2020

カナダ情勢
03 /11 2020
アップルストア

アップルストア

コチラはバンクーバー近郊のメトロタウン・ショッピングモールにあるアップルストアです。
アップルストアというのは、販売も勿論やっていますが、全商品を自由に使える様にして、誰でも商品を身近に体験できる様にする、所謂アンテナショップです。

カスタマーサービスもココで行われていて、迅速なサービス、古い機種に対するサポートも非常にレベルが高く、現在社会のカスタマーサービスの見本とも言える最高レベルのサービスを体験できます。

この日は雨の日の夜とあって、賑わっているとまでは言えませんが、それでも大勢の人がいます。

マイクロソフトショップ

マイクロソフトストア

コチラは、マイクロソフトストアです。

マイクロソフトとは言っても、扱っているのは、アップルの真似して色々初めて激高のサーフェス等、自社ブランドの機器のみで、通常のウィンドウズ機は扱っていません。

まあ、サーフェス自身の人気も大したことありませんし、ゲーム機目当てに人が来る位で、常に閑古鳥が鳴いています。
今やウィンドウズ7を切り捨て、その上ウィンドウズ10へのアップグレードも有料というふざけた態度は、いくら店をキレイに着飾っても、ダメなものはダメですね…。

ココに私の東芝のウィンドウズ7機を持って行ったら、どんな顔するか見ものですね…。

サムスンストア

サムスンストア

そしてコチラはサムスンストアです。

コチラは更に閑古鳥が鳴いています。これもこの日に限らず、何時もこんな感じです。
因みにココ、私の昔のスマホのバッテリーが膨らんできたのを「仕様です」と言って切り捨てたゴミクズです。

アップルでは、去年、3年使ったMacのバッテリーをリコールで無料交換してくれたというのに、コチラは2年で膨らんでカバーが浮いてきたバッテリーすらリコールどころか「仕様です」…。

やはり安かろう悪かろうの典型で、キャリアとの契約で安く手に入れる以外は、敢えてこんな所に来て買うような商品ではない…という事なのでしょう。




アップル、マイクロソフト、サムスン、同じショッピングモール内に、こうやってアンテナショップを展開していても、その客入りには雲泥の差があります。それはつまり、サービスレベルの差ということなのです。

因みに、こういうアンテナショップをカナダで最初に展開したのは、他でもないソニーだったのです!
寒い屋外からソニーストアに入った時の、あの暖かくて、最新機器に包まれたあの雰囲気…今ソレをシッカリと受け継いでいるのは、他でも無いアップルストアで、ソニーストアは現在、完全に撤退しています。

やはり日本のメーカーは少し驕り高ぶり過ぎたのではないでしょうか?
あれだけ一世風靡したソニーでも、いくら有名だと言った所で、商品を手に取って見ることが出来なければ、このサイクルの早い時代、速攻で忘れ去られるのです。

現在、ソニーの製品なんて殆ど見掛けませんし、見掛けたとしても、中国の無名ブランドより少し高いけど・・・程度の売り方で、ディスカウントストアで見かける程度です。

それじゃブランドイメージは築けません。

既にソニーのウォークマンを有り難がった世代は50代以上です。この世代は、今更ハイテク製品に大金をつぎ込む世代とも言えません。そして、その下の世代が完全に抜け落ちているという事実…。ソニーと言うと、プレステ位しか知られていないんじゃないでしょうか?

90年代後半、不振を極めたアップルでしたが、スティーブ・ジョブズの復帰後、劇的な復活を遂げました。
そして、その手腕とは、日本のサービスを徹底的に研究したモノだったのです。

あれから20年、今やそのモノマネのアップルがカスタマーサービスのトップになり、商品に関しても、ファッション性と共に非常に高いブランドイメージで、高い利益率を誇っています。

そして、カスタマーサービスを切り捨てた日本の企業は、ご覧の通り、完全に忘れ去られ、商品も利益の出ないコモディティ化したものばかり。

今や日本企業も技術は有っても何を作るのか分からない、作った所で、絶望的にデザインセンスがない、所詮は全て2番煎じ… 。

たかだか3枚のアンテナショップの写真ですが、コレを見ていると、3社の人気具合だけでなく、日本の不甲斐なさ迄見えて来てしまいます。

キューバ2020 バラデロからハバナへ… キューバの長距離移動事情

キューバ 旅行
03 /09 2020
バラデロからハバナへ

キューバの長距離移動事情

さて、今日はバラデロから140キロ西のハバナへ移動する日です。

キューバでの長距離移動は大きく分けて二通りの手段があります。

1.観光バス
2.タクシー

先ず我々の普通の感覚だと、1の観光バスを選びたくなりますよね?
ところが、コレは間違いで、正解は2のタクシーなのです!

バラデロ〜ハバナの観光バスの料金は10cucです。

コレは安い…と思いたいところですが、バスターミナルは宿から距離があるので、あの蒸し暑い中、重い荷物を抱えて歩くか、タクシーに乗ることになり、ソレを考えたら、決して割安とは言えないのです。

因みにタクシーの値段が25cuc!

この長距離タクシーは、他人との相乗りになりますが、コチラの宿まで迎えに来てくれて、行き先の宿まで送り届けてくれるので、大変に便利で、キューバで長距離移動をする場合、コレが最も手頃な移動手段になるのです。時間も一日一便とかいう決まりも無く、前日宿の方が予約を入れて貰えば、結構融通が利くので、オススメですね…。

キューバでの長距離移動は、乗り合いタクシー…コレに限ります!

さて、タクシーの時間が12時に決まっていたので、この日はバラデロまでは足を伸ばさず、サンタ・マルタの近辺を散策していました。


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キューバの朝は早く、様々な交通機関で移動しているのが印象的です。

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道路も余りセンターラインという感覚が無い様で、思い思いの場所を走っている様に見えます。

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自転車の前輪にリアカーを取り付けた様な野菜販売車…コレ本当に走りながら曲がれるのでしょうか?

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この方は、私の滞在していた宿に荷物を届けるのに来ました。宿の前に馬車で荷物を届けに来たのは、正直驚きました!

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徒歩、車、一輪車、自転車、3輪タクシー、そして犬・・・皆それぞれが、独自のスタイルで・・・コレがキューバの魅力なのかも知れません。

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サンタ・マルタの街で、こうやって馬車がひっきりなしに走っているのを見ると、他のも小さな町も見てみたいという衝動に駆られます。

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何時もの様に、宿の近くは野菜売で大忙し!何故敢えてこの場所なのでしょうか?

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こんなお方も居ます・・・。

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このバイクは一体何なのでしょうか?
車体回りは近代的ですが・・・。

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エンジンはコレ…どう見ても80年代初頭の空冷エンジンです!

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結局タクシーは遅れて、出発は2時になりました! 出発前に、庭で一服…これだけ蒸し暑い割に、不思議と吹き抜ける風が爽やかです。

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コレでバラデロともしばしのお別れ…。

タクシーは写真を撮る時間がなかったのですが、80年代のフィアット・レガータでした。メーターは壊れていたのですが、コンスタントに120キロは出ている感じでした。

車自体は、排気漏れも酷く、窓を開けていないと乗れない…という代物でした。
私の他には、ヨーロッパ系の人が3人!しかも隣の女性が少し英語が出来た以外は全くダメで、余り会話もありませんでした。

空港までの移動もそうですが、キューバでいつも感心するのが、そのシッカリとした高速網です。高速料金も僅か2cup(8セント程です)と安く、道幅も広く、カナダでも少し都会から外れたら、片側一車線になるのですが、この区間で片側一車線なんていう場所は皆無でした。

他の3人をハバナの空港で降ろすと、私一人だけハバナ市街を目指すことになりました。

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こんな立派なスタジアムもありますし、

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新市街もこんな感じで、コレを見れば、紛れもなく先進国です。
宿の前にタクシーが止まると、何時もの如く、絶妙のタイミングでオーナーが出てきます。

毎回同じ宿に泊まっているので、ココは顔見知りなのですが、到着時間なんかも知らせていない上に、2時間の遅れもあった上に、停車時にクラクションを鳴らす訳でも無いのに、あのタイミンがには何時も驚きます。

そして私が最初に目指したのは…

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ココ、キューバ最大のショッピングモール、Praza Carlos Ⅲでした。
タクシーで前を通った時、大勢の人だかりを目にしたからなのですが・・・。

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売っているモノと言えば…まあ普通のものですね…。

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バレンタインデーのセールの様なのですが、缶詰や食料品、酒…といった、日用品が売られていました。
まあ、物資の不足しているキューバでは、こういうモノも入手困難なのでしょう。

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この建物や人の多さが、やはりバラデロとは違い、大都市ですね・・・。

因みに宿に着いた時、前の宿のカギを間違って持ってきてしまったことに気付きました!
オーナーが宿に電話してくれて、戻ってきた時で良いという話になったのですが・・・。

普通、こういう小物を届ける場合、郵便なんかを考えますよね?
ところがキューバの場合、今回使ったこの手の長距離タクシーが、荷物の運送なんかも兼ねていて、国内殆どの場所、その日のうちに届けることが出来るということで、物資の限られた中、その柔軟な発想には感心させられました。

アウトウニオン 1000SP Auto Union 1000SP

キューバ 旅行
03 /05 2020
アウトウニオン1000SP フロントビュー

アウトウニオン 1000SP Auto Union 1000SP


バラデロで、こんなのを見掛けました。
アウディのエンブレムが…これは、アウトウニオン1000SPです。

アウトウニオンというのは、Auto Unionと書き、英語では「オートユニオン」と発音しますが、日本では、ドイツ語読みの「アウトウニオン」と呼ぶのが一般的になっています。
因みに昔はBMWも、ドイツ語読みの「ベーエムヴェー」と呼ぶのが一般的でした。

さて、このアウトウニオンですが、1932年、高級車のホルヒ、中級車のアウディ、小型車のヴァンダラー、大衆車及びオートバイのDKWの4社が合併したもので、エンブレムの4つのシルバーリングは、その4社の合併を象徴したものです。

1930年代初頭、世界恐慌からドイツの自動車業界は深刻な経営不振に陥り、そんな中でオペルがGMに買収され、フォードが本格的に進出してくる等、アメリカ勢の進出が脅威となっていた時代で、そんな中、ドイツ企業の体力強化を目指して、この大規模な合併が起こったのです。

戦時中の爆撃、そして戦後の東西分断で、壊滅的な打撃を受けたアウトウニオンですが、戦後西側では、大衆車及びオートバイのDKW一本で再スタートを切ることになりました。

DKWは、2ストロークエンジンとFFを得意とするメーカーで、戦後の厳しい状況下に最も適したシンプルな車だったのです。

ところが60年代も半ばになると、ドイツの経済が復興したこと、環境性能から2ストロークに将来性が無いこと、そしてフォルクスワーゲンが親会社となったことから、市場の重複する大衆車のDKWよりも、より上の市場を狙う方が望ましいという判断もあり、1965年、4ストロークエンジンを復活させると共に、戦後途絶えていたアウディのブランドを復活させる事で中級車へとグレードアップし、同時にDKWを廃止することになりました。

そして、あの4つのシルバーリングのエンブレムは、アウディに引き継がれることになったのです。

初期のアウディは、単純のDKWのボディに4ストロークエンジンを載せただけのモノだったのです。

アウトウニオン1000SP リアビュー

以上、大まかなアウトウニオンの歴史に触れましたが、アウディに切り替わる少し前、1958年に登場したのが、この1000SPでした。

981ccの2ストローク3気筒エンジンは、DKWの得意とするレイアウトで、この何処かで見た事あるデザインは、57年フォード・サンダーバードを真似したモノでした。

そして、何故か名前がDKWではなく、アウトウニオンとなっていますが、この1000シリーズが唯一のものです。

クーペの製造台数が僅か5004台ということで、その一台がバラデロに…それだけでも凄い事なのですが…。
グリルも純正ではありませんし、程度も良いとは言えません。

本来なら、徹底的に保護されてもおかしくない様な希少な車でも、キューバの状況下では、こうやって実用車として酷使されてしまうのです。動き出した車を止めて撮影させて貰いました。
残念ながら、エンジンは2ストロークでは無く、何かに載せ替えてある様でした。

生産中止は1965年、DKWが消滅してアウディに切り替わった年のことでした。

前述の通り、経済的に苦しかった戦後、西側ではDKWが選ばれた訳ですが、それは東側でも同じことでした。
そして、ソレが共産主義体制化でトラバント、そしてオートバイのMZへと発展していくのです。

ボディのプラスチック化も、戦前からDKWが研究していた物で、西側では商品化されなかったものの、東側では、鉄の不足から、日の目を見ることになったのです。

尚、アウトウニオンの中でも、ヴァンダラーは1941年に廃止され、ホルヒはメルセデスやマイバッハ等と肩を並べる高級車ながら、どうしてもヒトラーの愛車というイメージが強いためか、戦後、復活することはありませんでした。

そしてアウトウニオンの名前も、1985年に社名がアウディになることで消え去ることになりました。

ホールデン完全閉鎖・・・GMは何を目指しているのか?

GM
03 /03 2020
豪ホールデン撤退のお知らせ!

ホールデン完全閉鎖・・・GMは何を目指しているのか?

GMオーストラリアのホールデンが完全閉鎖されると発表されています。

オーストラリアという国は、巨大な大陸ながら、世界から完全に隔離された地理的条件から、長年完成車に高い関税を掛け、自動車も現地生産に拘ってきた歴史があります。

GM、フォード、クライスラーのビッグ3も例に漏れず、それぞれアメリカの製品をベースに、独自の車を生産を行っていたのです。

ところが、この30年間でのオーストラリアの地価高騰、物価暴騰、高賃金とあり、生産コストの高さは如何ともし難く、製造業は軒並み海外に移転するか、撤退するかになってしまいました。

クライスラーを引き継いだ三菱も、随分前に撤退していますし、ホールデン、フォードも数年前に工場を閉鎖し、その流れから、トヨタもソレに従い、自動車製造からは完全に撤退することになりました。

GMで一番開発力があり、しかも良い車を作っていたのは・・・コレは紛れもなくホールデンだったのです!
そして、GMのラインナップと言えば、ホールデンとオペルに大きく依存する体制が続いていたにも関わらず、そのホールデンを無碍に扱い、更にはオペルもプジョーに売ってしまいました。

一体今、GMに何が残っているというのでしょうか?
主流のコンパクトクラスは、軒並み粗悪な韓国製で良いとでも考えているのでしょうか?

私の知人が新車で購入したGMCアケディアを所有していますが、5年も絶たずに、エンジンもトランスミッションも駄目になった、完全な欠陥車です!
最初は手頃な価格で、顧客サービスも素晴らしいなんて絶賛していたものの、全て延長保証でカバーされたとは言え、トランスミッションは2回!その他も何かと細かいトラブルが多く、10年も経たずに今や完全なるゴミです!
ソレより10年古い日本車の方が、余程信頼性がある位です。

こんな車を平気で生産し、そしてホールデンもオペルも、その右ハンドル版ヴォクソールも切り捨て、一体何を求めているのでしょうか?

ビッグ3の顧客サービスは、以前に比べて格段に良くなったと言われています。
反面、苦労せずに売れる日本車は、顧客サービスが良くないという声も大きくなりつつあります。

幾ら顧客サービスが良かったとしても、肝心な商品がダメならダメ…コレはサターンが見事に実証してくれた筈なのですが、ソレすら忘れ去られている様です。

元々ホールデンというのは、シボレーの廉価版という性格があったことから、シボレーへの切り替えなのかと思ったら、完全撤退…。

これで、コモドアの価値は上がるでしょうし、ソレ以外の車は価値が劇的に下がるでしょう。

まあ、中国に売ってソレで満足…って訳にも行かないんですよね…今のこのご時世…。

また「GMの経営危機」のニュースを聞くのも、そう遠くないかも知れませんね!

americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。