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「シーナ&ロケッツ」鮎川誠さん、膵臓がんのため死去 ロック魂貫き74歳まで現役…俳優としても存在感

映画・音楽
01 /30 2023


 ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のボーカルでギターの鮎川誠(あゆかわ・まこと)さんが29日5時47分、膵臓がんのため亡くなった。30日、公式サイトで発表された。74歳。福岡県久留米市出身。「めんたいロック」草分けの1人として1970年代から活躍し、「ユー・メイ・ドリーム」などのヒット曲も飛ばした。2015年に最愛の妻シーナさんに先立たれたが、遺志を継いで「シナロケ」の活動を続けた。通夜は2月4日、葬儀・告別式は同5日、長年暮らした東京・下北沢の森巌寺・開山堂で、15年に亡くなった妻・シーナさんと同じ「ロック葬」で執り行われる。

【写真】08年8月、ライブで熱唱するシーナ&ロケッツのシーナさんと鮎川誠さん

 公式サイトの発表によると、鮎川さんは昨年5月に膵臓がんが判明。医師から「余命5カ月程」という宣告を受けた。それでも「みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず」に全国ツアーを続行。「昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、この1ヶ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました」と伝えた。

 内田裕也さんが始めた恒例の年越しライブ「ニューイヤー・ロックフェスティバル」への出演をキャンセルし、1月8日に予定した京都のライブハウス「磔磔(タクタク)」での公演も取りやめてファンを心配させていた鮎川さん。関係者によれば、高熱が続き、22年末から重篤な状態が続いていた。最期は娘たち家族に見守られ、眠るように息を引き取った。

 1970年に篠山哲雄や柴山俊之らとサンハウスを結成。74年に九州大を卒業して翌75年にメジャーデビューを果たした。リードギタリスト兼作曲家を78年のバンド解散まで担当した。

 サンハウス時代に演奏を聴きに来たシーナ(悦子さん)と出会い、シーナの妊娠を機に76年に結婚。双子の女児のパパとなった。78年に夫婦で上京し、シーナ&ロケッツを結成。79年にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)メンバーのサポートを受けてアルバム「真空パック」を発表し、シングル「ユー・メイ・ドリーム」が日本航空のCMに起用され、一躍ブレークを果たした。

 80年のYMO初の国内ツアーにはゲスト・ギタリストとして参加し、81年の武道館公演ではYMOとシーナ&ロケッツの共演が実現した。88年には米ニューヨークのCBGBでライブデビューを果たすなど、海外にもその名をとどろかせた。90年代、2000年代に入っても、シナロケだけでなくソロとしても精力的に活動を展開。シナロケは13年に結成35周年を迎え、全国25カ所でツアーを実施。翌14年5月には「鮎川誠生誕66年祭2デイズ」を開催した。

 15年2月にはシーナさんが子宮頸(けい)がんのため61歳で急逝。喪失感の消えないまま、シーナさんの遺志でバンド活動の継続を明言。鮎川さんがボーカルを務め、オリジナルメンバーの奈良敏博、川嶋一秀とトリオで全国を回った。

 音楽だけでなく、俳優としても存在感を発揮。フジテレビ「愛情物語」(93年)、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」(01年)には那覇在住のロックの師匠役で出演。08年には「ジャージの二人」で堺雅人(49)の父親役を演じた。

 長女はモデルの鮎川陽子(46)、次女の鮎川純子(46、JUNK THE RIPPER)と三女の知慧子(LUCY MIRROR)はロックバンド「DARKSIDE MIRRORS」で活躍中。私生活では優しいパパの顔をのぞかせていた鮎川さん。今ごろは天国でシーナさんと再会し、娘達の活躍を祈っているに違いない。




数年前に…と思ったら既に8年も前でしたか…奥さんのシーナさんの訃報を耳にしましたが、今度は鮎川さんまで…。
私がシーナ&ロケッツを知ったのは、他でもないYMOつながりでした。前期YMOのバックバンドとしての活躍が知られており、ベストアルバム「YMOファミリー」にも数曲収録されていて、そこで初めてシーナ&ロケッツに接したのです。

1984年だったと思います。私の住んでいた関西の某地方都市て開催されたポップフェスティバルで鮎川さんを目にしたことがあります。5組程のバンドが登場したのですが、その中でもダントツの存在感であったのは忘れられません。その時はシーナさんは来ておらず、「ザ・ロケッツ」としての登場でした。

そして、その時のバンドの中で印象が最悪だったのが、あの「ハウンド・ドッグ」だったのです!
とにかく喧しいだけのクソだとしか思いませんでした。それが翌年ffで大ヒットした時には驚いたものでした。

何れにしても、あの時のあの茹だるような暑い夏の炎天下で目にした鮎川さんの強烈な存在感は忘れることができません。あれから既に40年近く経ち、高校生だった私も初老と言われる様になりました。
そして私が子供の頃に活躍していた方々の訃報を多く耳にする様になりました。まだ74歳…と思うと同時に、74歳にもなっていたんだ…とも思います。

私の中では永遠にあの84年当時の姿が目に焼き付いていますし、それは今後も変わりません。

先日の高橋幸宏さんの訃報といい、残念で仕方有りません。何れ訃報のカテゴリーが必要になりそうな感じですが、そんな事は考えたくもないですね・・・。

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americancars4ever

アメ車のブログとして開設して13年目、車以外にも様々な身の回りの話題を取り扱っています。